伝承之蔵

片葉の葦
亘理町/吉田/北田

   昔、後三年の役のとき、 源義家 の家来である 鎌倉景政 は、十六歳の少年であったにもかかわらず、義家と共に 藤原清衡 を助けるため、 清原家衡清原武衡 の軍と勇敢に戦った。この戦いで、武衡の家来で、弓矢の達人と謳われた 鳥海弥三郎 の放った矢が、景政の右目に命中したのだが、景政は、その矢を抜こうともせず、すぐに、矢を射って弥三郎を殺した。

   その後、景政は、その矢を抜き、ある池に自分の顔を映して怪我の状態を確認しようとしたのだが、葦の葉が邪魔で池に顔が映らなかったので、 「 ええい ! 邪魔な葦の葉め ! 」 と叫んで、茎の片側の葉を、すべて切り落とした。ところが不思議なことに、その後、この池に生える葦の葉が、すべて 茎 の片側だけにしか生えなくなったので、いつしか、里人たちは、この池のことを、 “ 鏡が池 ” と呼び、この池に生える葦のことを、 “ 片葉の葦 ” と呼ぶようになったという。

参考 『 わたりの民話 』
現地で採集した情報


現地レポート

残念ながら、鏡が池は現存していない。古老の話によると、七十〜八十年ほど前に埋めてしまったとのこと。現在は畑になっている。


昔は池だった為、この畑の周りの土は、現在でも粘土質の土である。



鏡が池を埋め立てる為に、隣の山を切り崩したので、山の斜面が急になっている。



親切な古老が、この伝説とは別の伝説を教えてくれた。それは、隠れキリシタンの伝説で、昔、この場所で、隠れキリシタンが、赤丸の石を拝んでいたという。


これが、その石。聖母マリアがキリストを抱いている姿が彫られている。



古老の話によると、 「 私の個人的な考えだが、手前の石で聖母マリアの石を隠して拝んでいたのではないかと思います 」 とのこと。


平成 24 年 11 月 19 日 ( 月 ) 掲載


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