この伝説の牛塚に関して、わたりの民話には、 「 この場所も判然としなくなりましたが、お城の南下にあったといいます 」 とある。
伊達成実は、この塚の上に欅の木を植えたのだが、その後、その欅の木は、世にも立派な大木に生長したという。この欅の木に関して、わたりの民話には、 「 いつの世にかなくなりました。この枝を折ると、たたりがあるなどといわれたものだそうです 」 とある。
これが、臥牛城の全体図。現在の地図と重ねてある。現在、本丸跡は、
亘理神社
になっている。ちなみに、この城を臥牛城と呼ぶのは、この城があった山の地形が、牛が伏せた形に似ていたからである。
これが、亘理神社の鳥居。
これが、参道。
これが、拝殿。
赤丸が、本殿。
これは、本丸跡にある公園。近くの説明板には、 「 明治維新まで本丸には二十棟以上の建物が建っていたことは確かであるが、維新後間もなく総て取り壊され、資料も残っていないためその実態は不明である。戊辰戦争で仙台藩が敗れ、西軍との降伏の調印が行われたのはこの場所である 」 とある。 “ 官軍 ” ではなく、 “ 西軍 ” と記述されているのが、いかにも東北人らしい。
これは、戊辰の碑。戊辰戦争で戦死した三十三名の名前が刻まれている。
これは、 “
薬研堀
” または “
薬研沼
” と呼ばれた堀。たった一つだけ残っている臥牛城の堀の一部である。
伏している牛が刻まれた石。
平成 24 年 12 月 12 日 ( 水 ) 掲載
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