伝承之蔵

湊神社と鮫
亘理町/荒浜/上隈渕
亘理町/荒浜/明神西

   昔、この里に、 阿武隈川 の河口があったとき、ある大洪水が、この里を襲い、上流から流れてきた観音像が、海に流れ出そうになったことがあった。このとき、これを見た多くの鮫たちが、力を合わせて観音像を陸に押し上げたため、観音像は海に流されずにすんだ。これを知った里人たちは、その後、 湊神社 を建て、鮫の背に乗った黄金の十一面観音像を御神体として祀ったという。

参考 『 わたりの民話 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、湊神社の鳥居。



これが、湊神社の本殿。湊神社は、弘和三年 〜 元中九年、 亘理行胤 が建てたと伝承されている。当時、この場所は、阿武隈川の河口であったため、湊の守り神として建てられた。


この伝説とは別に、嵐で海に流された漁師が鮫に助けられたという伝説もある。昔は、多くの里人たちが、海難事故防止 ・ 眼病 ・ 安産の神様として、湊神社を厚く信仰した。当時の氏子たちは、当然のように鮫を食べなかったし、鮫を原料とした蒲鉾などでさえ食べなかったという。その後、この湊神社は、明治四十二年に、 荒浜川口神社 に合祀された。


これが、川口神社の鳥居。



川口神社は、海の近くにあるため、東日本大震災の津波の直撃を受けた。上の写真は、鳥居の隣。赤丸が、その残骸。



これが、残骸。



これは、川口神社の碑。この碑も、津波の直撃を受けた。



刀で切ったようになっている。



これが、残骸。



しかし、こんなに大きな碑が … 。



硬いパイプが、ゴムのように曲がっている。



津波で砂が抉り取られている。



こんなに大きな石が … 。



石だけではなく、屋根も流された。



もともとは、ここにあった屋根。



これが、拝殿。昭和初期までは、荒浜でも鮫がよく獲れた。近くの市場だけでは置ききれず、阿武隈川の堤防までズラッと鮫を並べて競りがおこなわれたという。


赤丸が、本殿。



これは、川口神社の倉庫。津波で全てのドアが流された。



何とか神輿は助かった。



しかし … 、壁が … 。



プレハブの倉庫が … 。



平成 24 年 12 月 31 日 ( 月 ) 掲載


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