伝承之蔵

岩地蔵
亘理町/逢隈田沢/宮原

   昔、この里に、 “ 稲葉の渡し ” と呼ばれた、 阿武隈川 を渡るための重要な船着場があった。ある日、 左甚五郎 が、この船着場で船を待っていたとき、阿武隈川に突き出ている岩に、船の安全を祈願して、お地蔵様を刻んだので、いつしか、里人たちは、この地蔵のことを、 “ 岩地蔵 ” と呼ぶようになったという。

参考 『 わたりの民話 』
現地で採集した情報


現地レポート

この石碑の向こうに岩地蔵がある。



この階段を下りる。



これが、岩地蔵。全部で四体ある。岩地蔵は、 “ 田沢磨崖仏 ” とも呼ばれている。このあたりには、古墳時代末期の横穴墓群があり、岩地蔵は、この横穴墓を利用して、鎌倉時代 〜 室町時代初期のあたりに刻まれたと考えられている。


これが、一体目。二体目 〜 四体目は、安全柵のない危険な崖にある。



これが、二体目。下を見ると … 。



ゴォ 〜 と、波が岩に当たる激しい音がする。落ちたら即死 … 。こわいぃ 〜 。とっても、こわいぃ 〜 。



これが、三体目と四体目。ん ? デジカメの電池が切れた … 。



このクソ忙しい時にぃ 〜 !



これが、三体目と四体目。これらの地蔵を刻んだのは、左甚五郎とも、 飛騨匠 とも伝承されている。



左甚五郎は、江戸時代に、栃木県日光市にある日光東照宮の “ 眠り猫 ” を彫ったとされている名工の中の名工である。 ウェブサイト「ねこねたね」より画像を引用させていただきました。


これは、私が、日光東照宮に観光に行った時、お土産屋さんの “ 右甚五郎 ” さんに住所を彫ってもらったキーホルダー。あのねぇ … 、右って … 。ε=(>ε<) プププ


平成 25 年 1 月 16 日 ( 水 ) 掲載


地図