伝承之蔵

みぞん坂
山元町/浅生原/東田

   昔、京の都から陸奥をめざして旅をしている、みどりという 瞽女 がいた。ある日、みどりが、この里に滞在したとき、とても情け深い長者が、みどりの貧しい生活を少しでも助けようと、みどりの歌を里人たちに聴かせ、多くの代金を払ってみどりを喜ばせた。その夜、長者は、みどりを自分の屋敷に泊めたのだが、翌朝、みどりが寝ていた蒲団を見てみると、 がウヨウヨしていたので、長者は、ますます、みどりのことが心配になった。そこで、長者が事情を聞いてみると、みどりが、「 私は、母を捜しているのですが、どうしても見つけることができず、必死に捜しているうちに病気になってしまいました 」と答えたので、長者は、なんとかみどりの力になろうとしたのだが、残念なことに、その数日後、みどりは、母の名前を呼びながら死んでしまった。みどりを哀れに思った里人たちが、ある坂の途中に碑を建てて、みどりを懇ろに弔ったので、いつしか、里人たちは、この坂のことを、“ みどり坂 ”と呼ぶようになった。そのみどり坂が、後に、 “ みどん坂 ”となり、さらに、“ みぞん坂 ”になったという。

参考 『 山元町誌 第二巻 』
現地で採集した情報


現地レポート

これは、みぞん坂の前にある、三角形の田。赤丸の部分に、みぞん坂がある。



みぞん坂に行くためには、小川を渡らなければならない。この写真では分かりにくいが、赤丸の部分が、石の橋になっている。この石の橋が、みぞん坂への目印となる。


これが、みぞん坂。とても、みどりの碑までは行けなかった。



しかし、薄っすらと、坂があるのが分かる。



古老の話によると、みぞん坂は、赤い米印の道まで続いているので、約100メートル弱の長さである。その古老は、「 みどりの碑を移動させたという話は聞かないので、まだ、そのままあると思うよ 」とも証言しているので、現存している可能性が高い。


平成 17 年 12 月 11 日 ( 日 ) 掲載
令和 5 年 9 月 10 日 ( 日 ) 改訂


地図