伝承之蔵

大蛇と猿の戦い
山元町/坂元/新赤川

   戦国時代、この里にある 水神沼 に、神の使いである大蛇が棲んでいた。ある日、里人たちが、田の草取りをしていたところ、突然、雷雨となったので、急いで水神沼のほとりの小屋に逃げこみ、雨宿りをした。しばらくすると、数匹の猿が、水神沼の近くにある松の大木に登り、「 キャッ!、キャッ!、キャッ! 」と騒ぎはじめたので、それを見た大蛇が体をくねらせ、長い舌をペロペロと出しながら、猿を睨みつけたのだが、猿たちが、大蛇を挑発するように騒ぎ続けると、とうとう、大蛇と猿たちの格闘が始まった。激しい雨の中、大蛇と猿たちが格闘を続けていると、大きな音とともに、その松の大木に落雷。大蛇と猿たちの体は、粉々に砕け散ってしまった。里人たちは、大蛇と猿たちの無残な死骸から顔をそむけ、しばらくの間、声もでなかったが、しだいに、八つ裂きになった神の使いである大蛇に情けをそそぐようになり、数日後、蛇塚を築いて、ねんごろに弔ったという。

参考 『 山元町誌 第二巻 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、水神沼。残念ながら、この伝承の松の大木は現存していない。



落雷で八つ裂きになった大蛇の血は、水神沼全体に広がり、上の写真の赤丸の川に流れだした。そして、この川の下流まで、奇妙な紅い色に染めたという。そのため、里人たちは、この川を 紅川 と呼ぶようになった。


ここから大蛇の血が流れだした。



これが、紅川。現在は、 赤川 と呼ばれている。赤川には、この大蛇の霊験があり、昔から、赤川にいる 蜆貝 は腹痛の妙薬とされている。


これは、この伝承の大蛇の碑がある水神社の鳥居。



これは、水神社の本殿。



これが、大蛇の碑。



昭和33年と刻まれているので、けっこう新しい碑である。



平成 17 年 12 月 15 日 ( 木 ) 掲載
令和 5 年 9 月 10 日 ( 日 ) 改訂


地図