伝承之蔵

殿原小路の平太夫 2
山元町/坂元/舘下

   昔、この里にある 殿原小路 に、負けず嫌いで有名な 平太夫 という剣の達人が住んでいた。ある日、平太夫が勤めを終えて 蓑首城 から帰る途中、大きな鷲が舞い降りてきて平太夫の頭をつかみ、再び空高く舞い上がった。そのとき、平太夫は、恐れることなく冷静に鷲の足を剣で切ったため、鷲の足もろとも野原に落下し、平太夫は、そのまま自分の屋敷に帰ることとなった。屋敷に帰った平太夫が、日が暮れているにもかかわらず、家来に松明を持たせて再び自分が落下した野原に行ってみると、大量の血痕があったので、その血痕をたどって平太夫たちが北へ北へと進むと、鷲の足が落ちていた。平太夫が、「 鷲は、おれに切られた足を、ここまで口にくわえてきたらしいな… 」と思いながら、さらに北へ進むと、 八手庭 のあたりで、目を炯々と光らせたまま、その鷲が死んでいた。その後、剥製にされた鷲は、蓑首城の書院の大欄間に飾られたという。

参考 『 山元町誌 第二巻 』
現地で採集した情報


現地レポート

これが、殿原小路。昔、この里には蓑首城という城があり、この通りには多くの家来たちが住んでいた。因みに、当時は、殿様が死んだ時、殿様の後を追って家来たちも切腹したので、この殿原小路は、 追腹小路 とも呼ばれている。


これは、この伝承に関連している場所の全体図。平太夫は、蓑首城からの帰り道で鷲に襲われたのだが、山元町誌 第二巻には、平太夫が鷲の足を切って落下したのは、 八膳川 の近くだったとある。そこで、八膳川について数人の古老に聞いてみたところ、誰も知らないとのことであった。よって、この八膳川の詳細は不明である。昔は存在したが、現在は存在していないのかもしれないし、あまりに細い川なので、ごくごく近所の里人しか知らないのかもしれない。また、最初から架空の川だったという可能性もある。因みに、平太夫たちが鷲の足を発見した場所は、現在、 鷲足 という地名になっている。その鷲足から700mくらい北へ進んだ場所が、この伝承の鷲が死んでいた八手庭。


蓑首城は、現在、 坂元神社 になっている。上の写真は、坂元神社の拝殿。蓑首城の書院に飾られていた鷲の剥製は、来客も恐怖を感じるほど炯々と目を光らせ、来客を睨んでいたという。


これは、近くにあった説明文。



これが、蓑首城の空壕。写真では見にくいかもしれないが、かなり深い空壕である。



明治 初年、この蓑首城は、不審火で炎上してしまった。古老の話によると、「 明治の新政府は、旧幕府の武士たちが蓑首城に籠城し、新政府に抵抗することを恐れていたため、新政府の関係者が密かに放火して炎上させた 」ということらしい。しかし、その古老も、「 この話は推測の範囲であって、証拠はないよ 」と前置きしており、その話の真偽は不明である。


平成 18 年 1 月 11 日 ( 水 ) 掲載
令和 5 年 9 月 10 日 ( 日 ) 改訂


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