伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off ( 2012年 )


( 注意 )読んでいて分かると思いますが、この文章は、一切、校正されていません。ブログというよりもメモ帳です。




   体調不良で休んでいましたが、現在も体調不良です。最近、疲れているせいか特に鬱といういうわけではないのですが、何もする気にならず、サイトの更新もせずにプラプラしています。少し伝説の探訪に偏っていたように感じたので、気分転換に古本屋に通い始めました。これが意外に面白くて今度は古本屋に偏っています。単純なんですね私は。古本は一点ものなので、その場で購入しないと次はありません。宮城県の伝承に関する書籍がたくさんあったので、仕方なく一冊○万円する書籍を次々に購入してしまいました。購入した書籍の多くが著作権保護期間を過ぎていますので、ネットでの公開が可能です。現在、スキャニング作業中ですので、興味のある方は楽しみにしていて下さい。

   サイトの更新をサボっている間、仙台の都市伝説に興味を持ちました。仙台の都市伝説を集中的にまとめたサイトがなく、あっちのサイトに話が一つ、こっちのサイトに話が二つという具合にバラバラだったので、「あぁ〜!面倒臭い!」と逆ギレ。自分で新たにコーナーを作ることにしました。ただひたすら都市伝説を羅列しても面白くないので、「何か良い設定はないかなぁ〜」と思っていた時、たまたまテレビで特定保健用食品“トクホ”の特集をやっていた。「そうだ、特別捜査班とかにして“トクサ”でいいや」と思い即決定。「仙台の都市伝説だから舞台は仙台市役所でいいや」と思い即決定。最後まで悩んだのが“都市伝説”という言葉の定義であった。ネット上では、都市伝説という言葉を、@単なる私的な噂のことA心霊系的な話のことB世間で話題になっている話のことなど様々な意味で遣っていた。「これは、言葉の意味を統一してから掲載しないと収拾がつかなくなるぞ」と思って二時間ほど悩んだのだが、「ん〜、面倒臭い…。バラバラでもいいや…。そうだ、これは“不揃いの美”の追求だ!」と自分を納得させて決定した。ページを作っている時は「これは面白い!」と思って作っていたが、出来あがりを見てみると、「ん〜、面白いかなぁ…。イメージしていた程の出来ではないな…」と思ったのでボツにしようとした。でも、「まぁ、せっかく時間をかけて作ったんだから。アップだけでもしておこう」と思い直してアップ。アクセス数が少なかったら静かに削除します。すいませんね、根がいい加減なもんだから…。

  2012/07/06  





   私の職場の同僚に二階堂さんという方がいるのですが、以前、「自分の先祖は福島県の須賀川にある須賀川城で伊達氏と戦って二〜三日で落城して滅亡した」という話をしてくれたことがあった。先日、古本屋で“奥羽旧事”(明治二十年刊)という書籍の中に二階堂氏に関する記述を見つけたので、「へぇ〜、本当だったんだ」と思って立ち読みした。奥羽旧事によると、二階堂氏は伊達氏と戦って敗北し、福島県・山形県などに逃げた後、秀吉の小田原征伐の時に完全に滅亡したのだという。

   伊達氏が二階堂氏の領地を攻めようとした時、家臣たちは伊達氏に降伏することを勧めたのだが、二階堂家の前の当主である盛義の妻がこれを認めず次のような演説をしたという。「我らが降伏すれば、政宗は必ず次に佐竹義重を攻めるであろう。二階堂家が貧しかった時、義重の援助で我々は自立することが出来た。義重の為に戦うことこそ人間として守るべき正しい道である。私は義重の壁となって伊達氏と戦い、少しでも義重の損害を少なくしようと思う。お前たちが降伏したいのなら降伏しても良い。しかし、私は絶対に伊達氏には降伏しない」。これを聞いた家臣たちは感激して涙し、領地を死守することに決定。二心なきことを示す誓書を作ったという。

   実際には、伊達氏による二階堂家内部の激しい切り崩しの為に敗北したのであるが、この奥羽旧事に二階堂家を裏切って伊達氏に通じていた者の名前が列挙されているのを見ると、時代劇などに出てくる“名を惜しむ”という感覚が少し分かるような気がする。何十人もの一族を守らなければいけないので、生き残るために裏切ったというのも理解できるが、後世の人間がその行為に共感するとは思えない。当時、二階堂家の仕置きをしていた盛義の妻は伊達晴宗の娘であった。伊達氏であるにも関わらず、最後まで伊達氏に降伏せずに二階堂家の為に戦った人間の生き様は共感に値する。史料のコーナーに衝動買いした奥羽旧事をアップしました。比較的簡単な漢文体で書かれているので興味のある方は御一読を。


二階堂氏ノ子孫 (-_-)...zzzZZZ     ← (・_・。) アノ置物ノヨウナ人ガ…


誰ガ置物ダ! (#`m´) ムカッ   ...((((°O°;) 聞コエテタノネ


  2012/07/13  





   先日、ある場所で、「知性は勇気の下僕にすぎない」と書かれた色紙を見た。若者たちの誤解を誘わないように補足説明をしたい。一口に勇気と言っても様々な勇気がある。正義の為に奮い立たせる勇気であれば“義勇”であるし、武術に優れていて勇ましいという意味であれば“武勇”である。また、ただ単に乱暴で向こう見ずという意味であれば“蛮勇”ということになる。勇気という言葉を正しく定義し、それを正しい方向に導くのは知性である。正しい知性なくして正しい勇気はありえない。逆に、勇気が無いのであれば、知性があっても意味がない。知性も勇気も、人間が生きていく上で最も重要なものの中の一つであることに違いはないので、どちらが上で、どちらが下ということはないのである。

   しかし、私は、特にこの言葉を非難するつもりはない。むしろ、色々なことを考えさせてくれるこの言葉が好きである。言うのが遅れたが、これは、文芸評論家である小林秀雄の言葉である。秀雄の言葉に喧嘩を吹っかけるには相当の学問が必要なので、ここでは、「まぁ、彼の言うことだから…」と評するにとどめておくことにする。「秀雄は、どういう意味で“下僕”“知性”“勇気”という言葉を遣ったのかなぁ〜」と考え始めたら、あっという間に数時間が過ぎてしまった。一文で人の心を揺り動かすとは、流石に日本が誇る文芸評論家である。それにも増して、学問をするとは何故こんなにも楽しいのであろうか。

  2012/07/19  





   先日、亘理町教育委員会に購入依頼していた“わたりの民話”が自宅に届いた。亘理町の伝説は数が少ない為か、亘理町史にはその項目すらない。この書籍には、亘理町の伝説が18話収録されているのだが、全国的に類型がある伝説も多く、亘理町独自の伝説は数少なかった。ざっと読んでみたところ、その所在が明確な場所は少なく、ほとんどの伝説の場所が不明確なものであった。

   確認したわけではないが、私が今までに探訪した沿岸部の伝説の遺跡の多くは今回の津波で流されただろうし、今度、初めて探訪する予定の亘理町も例外ではないと思われる。しかし、私は論理的な人間である。「ただ、何となくそんな気がする」という印象批評で先入観を持つことだけは絶対に避けたい。実際に現地に行って自分の眼で確かめる。これが基本である。そうすれば、もしかしたら、書籍に記述されていない新しい事実を発掘できるかもしれないのだから。

   私も、なかなか良い事を言いますね。自分で書いていて、「ん〜、この人は立派な人間だ」と思ってしまいました。ということで、次回は亘理町の伝説を掲載することになります。一生懸命に下調べをしてから探訪しますので、亘理町の皆さん、どうか優しく迎えてやってください。

  2012/07/29  





   「コーヒーおいしくなりました」。これは、私が通っている食堂の廊下にあったポスターのコピーである。私はひねくれ者なので、このコピーを読むと、「以前のコーヒーは不味かったのかな?」と思ってしまう。昔、“KIRIN一番搾り”という商品のコマーシャルを見た時も、「ん〜、KIRINさんは、今まで我々に何番搾りを飲ませていたのだろうか?」と呟き、周りの人を爆笑させた。

   コピーは、短い言葉で意思を明確に伝えなければならないので、たいへん難しい仕事だと思う。「コーヒーおいしくなりました」は、当然、「今までよりも美味しくなりました」という意味であるし、“KIRIN一番搾り”は、「一番麦汁のみを使用し、苦味などがある二番麦汁を使用しない」という意味である。これらのコピーが、敢えて御幣を恐れない表記をして、その本来の効果を期待したのであれば大成功ということになる。

   例えば、昼食をとろうと定食屋を探している人がいたとする。その時、「不味くて高い定食屋」という看板を見つけたらその人はどうするであろうか。「料理が不味くて料金が高いのなら、この店で食べるのはやめよう」と思う人は少ないと思う。この看板のコピーを見て少しでも客が増えれば、そのコピーを考えた人の勝ちということである。

  2012/07/31  





   平成24年9月10日付で、現在、勤務している会社を退職することになりました。会社は気に入っているのですが、2年前に配属になった現場の雰囲気にどうしても馴染むことができませんでした。私は論理的なタイプの人間なので、感性で動くタイプの人間とは折り合いが悪いのです。私は頑固者で他人に迎合・妥協することが苦手です。この性格さえ直せば出世できるのでしょうが、幸か不幸か、私は、出世・金・地位・名誉などに全く興味がない人なので、今までこの性格を直す必要がありませんでした。今後も直す予定はありません。まぁ、1年ぐらいのんびり休んでから今後のことを考えたいと思います。

   同居している母が、「死ぬまでに一回は姫路城を見てみたい」と言っているので、退職後に姫路城に連れて行ってやろうと思います。因みに、前回は、「弘前公園の桜を見てからじゃないと、死んでも死にきれない」と言っていました。最近では、「せっかく東京から仙台に引越して来たんだから、北海道にも行ってみたいねぇ」と言っています。年寄りが“死ぬまでに”とか“死んでも死にきれない”という言葉を遣った時は要注意です。まぁ、今まで苦労して育ててくれたので、私の通帳の残高が減っていくのはかまわないのですが。旅行に連れて行くぐらい御安い御用だから、長生きしてね。  ヽ(^0^)ノ  キャハ


☆彡     母 (-人-;)    オ星サマ、死ヌ前ニ、ヨーロッパ旅行ニ行キタイデス


息子  "/(;-_-)    ババア…、人ノ金デ旅行スル気ダナ…


  2012/08/06  





   先日、知り合いに様々な面白い質問をされましたので、以下に記述しておきます。同じような質問を受けることが多いので、次に聞かれた時はこのアドレスを教えて省略しようかと…。

Q:結婚しないの?
A:したくない訳ではないのですが、相手がいないだけです。
Q:将来のことを考えて不安にならない?寝たきりになったときのこととか。
A:特に不安はありません。女性を家政婦さんという見地から選んでも上手くいかないでしょうし。逆に伺いますが、どのようにしたら不安を払拭できますか?例えば、老後の安心の為に100万円貯蓄したとします。人間というものは、それでも不安を払拭することが出来ず、200万円貯蓄しようとします。すると不思議なことに、貯蓄すればするほど不安になり、300万円貯蓄したとしてもさらに不安が増していきます。“ある程度”の金銭的な備えは必要ですが、本当に必要なのは金ではなく“覚悟”ということです。因みに、死んだ私の父はこう言っていました。『全く働かなくても3年ぐらい生活できるだけの貯蓄をしておけ。例えどんな状況になっても、3年あれば何か良い案が思いつくはずだ』と。
Q:年を取ってから独りは寂しいよ。
A:私は、独りでいることを寂しいと感じたことはありません。 恐らく、“二人でいる方が、独りでいるよりもずっと寂しい場合がある”ということを知っているからでしょう。 人数は関係ありません。周りに百人の人間がいても、真に心の通じている人間がいなければ、独りでいるのと同じです。 偉そうなことを言っていますが、過去に女性の心を傷つけたこともありますし、私の心も傷つきました。 私の心は既にボロボロですので、少々、鈍感になっているのかもしれませんね。
Q:古地図だけ見てれば幸せなの?
A:古地図だけを見ているのではありません…。古地図は、宮城の伝説を探訪するためのアイテムの中の一つです…。 恐らく、私は、一生、自分の好きなことをやり続けるでしょう。私が死ぬ時、 『自分が思い描いた人生ほどではなかったが、自然に与えられた命の期間を自分なりに精一杯生きた』と思えるような人生を送るのが夢です。


  2012/08/15  





   以前、自宅マンションで使っていない荷物を収納する為、トランクルームを借りようとしたことがあった。しかし、「どうせだったら家庭菜園用の土地を10坪ぐらい買って、物置小屋を置いた方が安いなぁ」と思い、偶々、新聞に“山里暮らしに好適”“山小屋・家庭菜園に!”“1坪9800円!”“泉中央駅まで車で約25分”という魅力的なコピーが書かれているチラシが入っていて、“販売する土地の分割が可能”とも書かれていたので、「10坪だと…、98000円か。長期間、トランクルームを使うより安くて良いかも」と思って現地に行ってみた。

   すると、不動産屋さんに、「お客さん、確かにチラシには分割可能と書きましたが、山の土地を買うのに10坪だけというのは聞いたことがありません」と言われてしまった。「まぁ、それもそうだな。少し広めに買って、畑にして野菜でも作るか」と思い、平成21年10月17日、10坪だけ買う予定が、不動産屋さんの巧みな営業戦略に敗北して127坪も買ってしまった。

   数ヶ月後、また、不動産屋さんが来て、私に、「この近くに湧き水があるんですよ。今は、土や枯木・枯草などに埋まっていますが、すごく綺麗な水です。この里に、『どんなに天候不順で渇水になっても、あそこの湧き水だけは涸れたことがない』という伝説が残っているくらいですから」と囁いた。私は“伝説”という言葉に弱いので、どうしてもその湧き水のある場所を見てみたくなり、平成21年12月22日、その湧き水がある場所までの土地161坪を買ってしまった。

   その後、伝説の湧き水を掘り当て、その周辺を整備してみると、2ヶ所から水が湧いていて、そこそこの水量があった。「ん〜、この水量だったら、この沢を整備して東屋でも作れば、綺麗な憩いの場になるなぁ」と思い、平成22年12月15日、さらに、沢の周辺の土地178坪を買ってしまった。

   いつの間にか約466坪の土地を買ってしまっていたのだが、ふと我にかえって、「今まで簡易的なキャンプぐらいしかしたことがないのに、こんな広い山の土地を一人で整備することができるだろうか?」と、途方にくれた。私のイメージでは、すでに京都にある日本庭園風のものが完成しているのだが…。今さら反省しても仕方がないが、イメージが先行すると、とんでもない事態に陥るという典型的な例である。次回は、その惨状を…、いや、その成果を掲載いたします。

どうしよう…。


フゥッ…、コンナニ買ッテシマッタ…    C= (-。- )    マタ母ガ、チャブ台ヲ飛バスナ…


コノ馬鹿息子ガ!コンナニ土地ヲ買ッテドウスルノヨ!    (ノ`0)ノ ⌒┫ ┻ ┣ ┳☆(x x) ウギャ


  2012/08/20  





   【沢の話1】前回の続きです。何から話せばいいのか分からないので、先ずは水源の話からします。伝説の湧き水は2ヶ所から湧いていました。スコップで手当たり次第に土を掘っていたら、偶然、発見できました。その苦闘は以下の通りです。

だいたいこの辺りにあることは分かっていたので、手当たり次第に土を掘った。


先ず、湧き水(1)を発見。岩と岩の間から湧いていた。軟水で飲みやすく、甘く美味しい水であった。


そして、湧き水(2)を発見。こちらも岩と岩の間から湧いていた。


全く水の流れが見えないので、先ずは周囲の清掃から始めた。


しかし…。


はぁ…、丸太と切株がこんなに…。


何とか流れが見えるようになった。


水源の周辺だけで、こんなに丸太と切株が…。


まだこんなに残ってる…。


  2012/08/23  





   【沢の話2】前回の続きです。1週間ほどかかって、やっと水源からの水の流れが見えるようになりました。全ての休日を使って山に通い、短期間のうちに水源とその下流を整備したので、近所の方から“人間ブルドーザー”と呼ばれるようになってしまった。

斜面の土を切り崩して土留めし、水源の周辺の整備を開始。


飲料水と休憩場所を確保し、そこを拠点にして下流の整備を開始。左の赤丸が湧き水(1)。右の赤丸が湧き水(2)。

これが湧き水(2)。


いざ!下流の整備へ!


その前に少し休憩…。


作業を始めると、出るわ出るわ。こんなに丸太が埋まっていた。しかも、これはほんの一部。


これは埋まっていた杉の枝。


これも。


こんな丸太も埋まっていた。動かすと腰の骨が折れそうなので、とりあえずそのままにしておいた。


大きな一枚岩が出てきた。見てみると、水の流れに沿って岩が綺麗に削られているので、何百年もの間、同じ場所を水が流れていたのであろう。

大きな一枚岩の周辺には、石がゴロゴロ埋まっていた。


完全に土と枝と丸太に埋まっている。


しかし…。


やっと沢の全容が見えてきた。因みに、写真の中央に写っている丸太や切株は、全て埋まっていたもの。一つ一つ掘り出したので時間がかかってしまった。

水源の近くに巨大な一枚岩があった。掘っても掘っても岩で、結局、どのくらい大きな一枚岩なのかは不明。


出るわ。


出るわ。


出るわ。


ふと空を見上げると、綺麗な雲が漂っていた。「ん〜、昔の開拓団の苦労はこんなもんじゃなかったろうなぁ〜。何の機械もないのに、木を伐採してから切株を抜いて…。ん〜、一本の木を処理するのに、いったい何時間ぐらいかかったのかなぁ」と思うと、休んではいられないので、また、作業にとりかかった。この続きはまた数日後に。

  2012/08/26  





   【沢の話3】前回の続きです。2011年3月11日(金)、14時46分頃、東日本大震災が発生。その地震は容赦なくこの土地も揺らした。その影響で湧き水(1)の水量が減少し、その分、湧き水(2)の水量が増加。全体的な水量は変わらなかったが、地中で何らかの変動があったようである。湧き水(1)、湧き水(2)から湧く水は、2週間も白く濁っていた。

湧き水(1)の水量が減少。


逆に、湧き水(2)の水量は増加。「湧き水(1)+湧き水(2)=一定」ということは、二つは同じ地下水脈ということなのであろう。

湧き水が、2週間も白く濁っていた。この湧き水は、そうとう遠いところから来ているということなのであろう。


赤線はO氏の所有地との境界線。気をとりなおして、沢に沿って道を作る作業を開始した。


埋まっていた丸太を利用して沢に沿って道を作った。


こんな感じ。


赤丸が湧き水(1)で、赤い矢印のところを水が流れていたのだが、東日本大震災の影響で水量が減少した為、赤い矢印の部分を埋めてしまった。

こんな感じになった。赤丸は湧き水(1)。


湧き水(1)から湧いている水は、地中に埋めたパイプで対応。


逆に水量が増加した湧き水(2)は、水が溢れだして周辺が水浸しになってしまった。


その為、石と丸太と粘土質の土で補強した。


夏に涼をとりたいので、池を作った。


こんな感じで水を堰き止めた。


「どうせなら風流に」と、竹を使ってみた。おぉ〜、風流ぞな風流ぞな!


埋まっていた丸太を利用して川に橋を架けた。


水源から池までの道を作った。巨大な一枚岩があって杭が打ち込めないので、代わりに切株を利用して丸太を固定。

池を作った途端に、カエル・昆虫・キツネ・タヌキなどが水を求めて集まり始めた。しかし、どうして彼らには水の場所が分かったのだろうか?お隣のS氏の話では、「この前、ここに泊まった時、あんたの土地の川に蛍がいたよ。3匹ぐらいだったかなぁ」とのことであった。匂いで分かるのか?湿気で感じるのか?いずれにせよ、「彼らも水が必要で、生きる為に必死ということなんだなぁ」と思った。

んで、これが客人。招待した訳ではないのだが、家賃も未払いの上、人の土地で勝手気ままに生活している。まぁ、自然はもともと彼らのもので、人間が勝手に「ここは自分の土地だ」と人間社会でのみ通用する登記をしているに過ぎないのですがね。

少しずつだが形になってきた。風流ぞな風流ぞな!


以前は「あんな山の土地を買ってどうするのよ!」と言っていた母が、今では「あそこは良い土地だねぇ〜、あんた買って正解だったよ。毎日でも行きたいわ」と言っている。


コノ馬鹿息子ガ!コンナニ土地ヲ買ッテドウスルノヨ!    (ノ`0)ノ ⌒┫ ┻ ┣ ┳☆(x x) ウギャ


数ヶ月後


チョット、ソコノ地主サン。私ヲ山ニ連レテッテ    〜(m~ー~)m    ゛(`ヘ´#)    キモインダヨ!ババァ!


  2012/08/28  





   先日、仕事から自宅に帰ると、母が菓子を食べていたので、「腹へったから一個もらうよ」と言って食べたのだが、ふと包装紙を見ると、(株)京王百貨店聖蹟桜ヶ丘店と印刷されていた。「何で東京のデパートの菓子がここにあるんだ?」と不審に思い、周りを見てみると、現金200万円が入った袋が置いてあった。

   母が高齢で金銭の管理が難しい為、現在は全ての母の資産を私が管理している。年金と不動産の僅かな賃貸収入が主なのだが、全ての金の流れは私が把握しているので、私の知らない金があるはずがない。私が留守の間に悪徳業者に無理矢理キャッシングさせられた等の可能性もあるので、「お母さん、この金はどうしたの?おかしいでしょ、こんな大金を持ってるなんて。俺が留守の間に誰か来た?」と聞いてみると、母は、「ずっと昔、ある人が金に困っていたので貸してあげたんだけど、今になってその金が返ってきた。ちゃんと利子もつけて」と、嬉しそうに答えた。

   俄かには信じられない話であったのだが、手紙のようなものを持っていたので、嘘ではないと判断した。ついでに、「へぇ〜、そんなこともあったんだ。因みに、金が返ってこなかったら、どうするつもりだったの?」と聞いてみた。すると母は、「私の母、つまり、お前の祖母がいつも、『他人に金を貸す時には、ドブに捨てたと思って貸すもんだ』と言っていた。その金でその人が幸せになれるなら良いじゃない」と答えた。

   東京の不動産を賃貸する時も、「お母さん、もっと家賃を高くすればいいじゃん。お母さんの小遣いになるんだから」と言ったのだが、母は、「昔、私が若かった時、兄弟姉妹4人で東京の四畳半のアパートに住んでいたことがあったんだけど、すごく貧乏で、家賃を払うのも大変だった。だけど、大家さんが、『若いから家賃を払うのも大変だろ。安くしてあげるよ』と言って家賃を下げてくれたの。その恩返しで、今度は私が若い人に家賃を安くしてあげるのよ。この歳になるとそんなに御金は必要ないんだから」と答えた。

   なるほど、母が幸福な人生を送れる理由が分かったような気がする。欲を捨てて他人の為に施しをすれば、さぞや幸福な人生であろう。しかし、世の中には、金にしか興味がなく、他人が不幸になっても自分が幸福であれば良いという種類の人間がいる。母のような御人好しは、そのような種類の人間の格好の餌食である。

   肺癌と膀胱癌を併発して死んだ父は、最後に、「(最後まで面倒を看てくれて)ありがとう…。お母さんを頼む…」と、かすれた声で言ってから死んだ。父が死んだ後、母から、生活のほぼ全般を父が管理していたことを聞かされた。お人好しの母が、今日まで幸せに暮らしていられるのは父が守っていたからである。医師から癌を告知されて余命半年と知った父は、母に、「お前が独りになっても生活していけるようにしておくからな」と言い、自分の全ての資産を母の名義に変更して私にこう言った。「キャッシュカードの暗証番号を教えて、全ての通帳・印鑑・不動産の登記簿を渡すから、お前が御母さんの資産を管理しろ」と。私が、「俺には何も無いの?」と聞くと、父は、「お前は、ずる賢いから金がなくても生きていける」と言って笑っていた。さらに、「俺が金を横領したらどうすんの?」と聞くと、「お前は、自分が信用している人間のことは絶対に裏切らない」と答えた。ハハ…、さすが父親、良く御存じで…。父と母は良い夫婦であり、父と私は良いコンビである。


金ハ、世ノタメ人ノタメニ有効ニ遣ウモノダヨ    v(ー_ー)        d(-_^)    good!ヤルネェ〜、ババア!


オ前ノ赤チャンノ頃ノ写真ヲ見ツケタヨ。オ前ハ、昔モ今モ変ワラナイネェ    (*^o^*)    f(^^;)    写真?ドレドレ













ムカッ!    (`m´#)              


  2012/09/01  





   【沢の話4】とりあえず今回で沢の話は最終回です。沢の整備も一段落したので、休憩する場所が欲しくなり、簡易的な東屋のようなものを作ることにした。そのようなものを作るのは初めてなので、まずは綿密な設計図を書いてみた。その設計図に従って材料を購入し、計画通りに作業すると、完璧な東屋が完成。さらに簡易的なカマドも作り、軽食もとれるようにした。

これが設計図。ここで問題になるのが、基礎にする切株の高さと水平を確保できるかどうかであった。


市役所に勤務しているY氏に相談したところ、「簡単だっちゃ。ペットボトルだ。ペットボトル!」と、あっさり答えを教えてくれた。

水を入れたペットボトルを横にして、模様の線に合わせれば水平ということになる。


場所は池の隣に決定した。


しかし、散らかってるねぇ…。


お掃除が完了。


高さが一定になるように切株を埋め、ペットボトルを利用して切株の水平性を確保した。


ポリカーボネートと木材などを購入。


先ずは、屋根の部分のみ完成。


屋根を支える木材と地中に打ち込んだ杭を針金で固定。床板も釘で打ちつけた。


ペットボトルを利用して簡易的に水平性を確保しただけなのに、床板と切株がピッタリと合ってグラつかないのには驚いた。

こんな感じ。手前の部分は後で何かに使えそうなので、切らずに残した。


完成!満足感に浸っている私に、屋根が少し歪んでいることなど関係なかった。


床に座って見える風景。風流ぞな風流ぞな!


風鈴を付けてみた。


ん〜、風流ぞな風流ぞな!


カマドも完成。


早速、100均で買ってきたパスタを茹でてみた。


100均は便利な店ですなぁ〜。しばらく通いそう…。


この東屋を作る為に清掃した時に出た物は、全て燃料として再利用できる。自然の循環システムとはすごいですな。再利用できないのは、ビニール・鉄・コンクリートなど、人間が自分たちが便利に快適に過ごすために作ったものだけ。

東屋に通じる道の整備も順調。


東屋で寝っ転がってぼんやり池を見ていると、ふと、水中で動いている物があるのに気づいた。


おぉ〜、オタマジャクシじゃ〜!


ウジャウジャいる。いつの間に…、気づかなかった…。


カマドの火に杉の枝を入れようとして枝を手に取ると、枝の下に沢蟹がいた。


おぉ〜、こっちにも。


え?こんなにいるの。何か…、賑やかになってきたなぁ。


お隣さんのS氏が完成品を見て、「どうやって基礎の水平を測ったの?」と聞いたので、私は、「ペットボトルで測りました。まぁ、古代エジプト人がピラミッドを造った時に用いた方法と同じ原理ですね」と答えた。すると、S氏は、「へぇ〜、あんた頭いいねぇ」と言ったので、私は、「いえいえ、それほどでも」と答えた。この会話の中に、ペットボトルの利用を教えてくれたY氏の名前が出てくることは遂になかった。

お隣さんのS氏が、「これ余ってるからあげるよ」と言って、余っていた水平器をくれた。私は、「ありがとうございます!」と御礼を言いながらも、心の中で、「Sさん…、もう少し早く欲しかった…」と叫んだ。

  2012/09/06  





   お久しぶりです。無職になったというのに全く緊張感がない管理人です。目覚ましをセットせずに夜に寝て、体が起きたいと思った時に起きています。仕事をしていた時は、あまりテレビを見なかったのですが、時間ができたので色々な番組を見ています。しかし、つまらない番組が多いですね。私が子供だった時、楽しそうにテレビを見ている私に、父が、「おまえも、つまらない番組を多く見てるな。確かにその時は面白いかもしれないが、内容が無いから人生の糧になることがない。その時だけの楽しみだ」と言っていたのを思い出しました。今になってその意味が良く分かりました。まぁ、無駄な時間を過ごすことも大切なんですけどね。たくさん無駄なことをすれば、“これは無駄だ”ということが認識できるようになります。無駄を認識できるようになると、その無駄なことと比較して、“これは大切だ”ということが認識できるようになるからです。

   無職になって暇になった為か、最近、昔のことを思い出すようになりました。私が二十歳の若僧だった頃、私は、トラックで荷物を配送するアルバイトをしていたのですが、ある日、五十歳のオジサンがバイトで入社してきました。役者を目指している研究生のオジサンで、舞台がある期間とその前の一ヶ月間は稽古をしなければいけないので、時間の融通がきくこのバイトを選んだとのことでした。

「○○さんは、いつから役者を目指すようになったんですか?」
「若い頃からずっとだよ」
「生活はどうしてるんですか?」
「舞台と稽古がない期間のバイト代で生活してる」
「収入が無い月もありますよね。生活できるんですか?」
「四畳半の一間とキッチン、風呂なし、トイレ共同。まぁ、ギリギリかなぁ」
「ちゃんと就職した方が生活が安定するのでは…」
「ハハハ。仕事するほど暇じゃないから」

   “仕事するほど暇じゃないから”。その時は、「このオジサンは何を考えてるんだ?」と思ったのだが、色々な経験を積んだ今は、少し考えが違う。私は堅実な人間なので、“堅守速攻”を得意とする。先ずは守りを固めてジッと我慢し、怒らず焦らず、相手が焦れて隙を見せるのを待って一気に攻め込む。日常生活にもその考え方が現われている。既に家などの大きな買い物は済んでいて借金もなく、ある程度の貯蓄もある為、無職になったからといって直ぐに生活が破綻することはない。ゆっくり職を探しながら、余裕を持って自分の研究に情熱を注ぐことができるのである。しかし、そのオジサンは違う。自分の好きなことの為に全てを捨てて、ただ一つの目的に向かって情熱を注いでいる。確かに、全てを捨てて身軽になった分、生活面はリスキーになるが、ただ一点だけを見つめて突き進むパワーは凄まじいものである。

   基本的に、人間の情熱というものに優劣は無いのであるが、今、“オジサンの情熱”と“私の情熱”が対峙した時、私は、どのように感じるのだろうか?自分の信念に従った行動に自信が無いわけではないが、「まさかとは思うが、自分の情熱が劣っているのでは…」と思わないわけではない。何故か今、無性にそのオジサンに会ってみたいと思っている私がいる。ん〜、あの時、もっと真剣にオジサンと向き合っていれば良かった…。

  2012/10/04  





   先日、亘理町を探訪してきました。突然、お宅を訪問して色々なことを聞いたにも関わらず、快く答えてくださった多くの方々、本当にありがとうございました。私は、個人的に伝説を研究しているだけなので、会社などの後ろ盾がありません。つまり、社会的な信用が全くないということです。そのため、探訪先で、「家はセールスお断りだから帰れ!」「そんなのは俺に関係ない!」「知らねえよ!」などと罵倒されることは、しょっちゅうです。しかし、特に恨むということはありません。突然、知らない人間が現われて話を聞こうとするのですから、不審に思う方が当然です。つまり、突然の訪問に笑顔で迎えてくれた方々は、“より親切”なのだということです。

   今回の亘理町の探訪でも、農作業をしていた古老に話を聞いたところ、その古老は、わざわざ作業を止めて、長時間、私に昔の様子を話してくれた上、「あんた面白い人だなぁ。若いのに昔の事を良く知ってるし、今日、家に泊っていかないか?」と言ってくれました。これは、私の個人的な感想ですが、亘理町に限らず、宮城県の古老たちは不安に思っているのだと思います。「最近の若者は、昔のことを全く知らない。俺たち年寄りが死んだら一体どうなるんだろうか?でも、俺たちも若者たちのことは悪く言えないな。この歳になって初めて、『あぁ、もっと両親や祖父母の話を聞いておけばよかった』と思うようになったんだから」と。一人の人間が死ぬということは、知的財産の消滅を意味します。宮城県のオフィシャルサイトによると、平成23年1月〜12月の間に、宮城県内だけで3万4047人もの人間が死んでいます。1年間に、それだけの知的財産が失われているということです。

   人間社会には、政治・経済・文化・芸術など色々な分野がありますが、それらは全て人間の営みです。人間の営みである以上、その営みの根幹になるのは“心”です。人間の心が全ての中心となるのです。その心を健全に育てるのが、先祖から引き継いだ知的財産です。先祖たちが苦労して知的財産を積み重ね、それを私たちに引き継いでくれなかったら、私たちは猿のままでした。まぁ、昨今の人間社会の有様を見ていると、「人間は、猿だった時が最も幸福だったのかなぁ…」と思うことが無いわけではありませんが。

  2012/10/11  





   「明日の朝食用のパン買ってあったっけ?」。去年の八月の母の言葉である。冷蔵庫の冷凍室には、パンが12斤も入っている。パンを買ってきたことを忘れ、何斤も何斤も買ってきてしまったので、それを私に隠すために冷凍室に隠していたのであるが、隠していること自体を忘れてしまったようである。そして、母は私にこう言った。「あんた!こんなにパンを買ってきてどうするの!」と。

   認知症について調べてみたところ、認知症になるまでには、「物忘れ→軽度認知障害→認知症」という段階があるらしい。恥ずかしながら、認知症に特化している“物忘れ外来”というものがあることを初めて知った。すぐに母を病院に連れて行こうとしたのだが、これが意外に難しい。「なんで病院に行かなきゃいけないの?」。母は、自分が忘れていることを忘れているので、自分は正常だと思っているのである。

   何とか説得して病院に連れて行き、頭部のCTスキャンを撮ったところ、「確かに脳の委縮はありますが、老人になれば誰でも脳は委縮します。特に酷いということはないですね。この画像と問診の結果を総合的に判断すると、認知症ではありません。単なる物忘れの範囲ですね」との診断であった。診察から1年たった現在、日常生活に支障はないのだが、やはり物忘れは多い。さすがにパンを12斤も買ってくるということはなくなったが。1年を通して母を見ていると、夏の暑い時期に物忘れが酷くなる傾向がある。秋・冬・春は、多少の物忘れはあるが正常に近い。

   「もしかして、母は認知症なのではないのか?」と疑い始めた時から、私の頭の中は1つの方向性で決まっている。母に心安らかな死を迎えさせ、無事に父の所へ送り出すことである。

@完全に仕事を辞めて、母と共に残りの時間を過ごす。
A母を認知症専門の施設に入所させて、私が施設へ通うようにする。
B山梨に親戚が多いので、山梨に引越して親戚の力を借りる。

など、母の状態によって色々な決断をしなければならないのだが、今のところ決断を下すほど母の状態は悪くない。今、必要なのは、“覚悟”だけである。母がどのような状態になっても、徹頭徹尾、寄り添うという覚悟である。例え母が私のことを忘れても、私は母のことを忘れない。例え母が私に与えた施しを忘れても、私は母から受けた恩を忘れない。これは人間として歩むべき当然の道である。そうしなければ、私は人間ではなくなってしまう。

   報道されていることを鵜呑みにするわけではないが、昨今の日本では、親子の間で聞くに堪えないようなことが行われているようである。私の祖国である日本には、「犬でさえ三日飼えばその恩を忘れない。よって、忘恩の徒は犬畜生にも劣る」という言葉がある。恩返しの方法は、その人間が置かれた状況によって色々である。これをすればOKというものはない。しかし、“忘恩の徒=恩知らず”と呼ばれるようなことだけはするべきではないのではなかろうか。ただし、幼少の頃、両親から虐待を受けたことがあるなど、特別な事情がある場合は別の話である。

  2012/10/26  





   今回は、初めて山の土地を買った頃の話です。周りからは、「そんな土地を買ってどうするの?」「やめといた方が良いよ」と言われていたのですが、実際に現地に行って土地を見た私は、すぐにこの土地が気に入りました。当時、「何でみんな反対するのかなぁ…」と疑問に思ったのを覚えています。しかも、土地の購入を反対している人たちは、一回も現地を見ていないのです。“山の土地”というものに対して先入観があるんですね。まぁ、人様が何と言おうと、自分が良いと思ったことをすれば良いんですけどね。結果責任は全て自分が負うんですから。「あの人がああ言ったから」「この人がこう言ったから」と言い訳をして断念し、結局、後悔するなどというのは愚の骨頂です。

「さてと…、この土地をどうやって料理するかな…。先ず掃除から始めるか…」と思い、山の斜面の清掃をした。


上から下に向かって、必死にレーキで掃いた。写真の下の方に見えるのは掃き下ろした枝やゴミ。


こんな斜面では何もできないので、平らな部分を作ろうとした。


少しだけ平地を作ってみたのだが、これだけでは家庭菜園もできない。しかも、端の方が不安定で少しずつ崩れていった。

ふと周りを見渡すと…。


これは使えるぞ…。


先ず、できるだけ丸太を集めた。


そして、ホームセンターで買ってきた杭を地面に打ち込んで、丸太を積んでいく。すると…。


ジャ〜ン!土留めができはじめたのだ〜!すごい?ねえ、すごい?


ジャジャ〜ン!土留めの完成!


ほら!こんなに平らな部分ができた〜。


よし!また丸太を集めて…。


下の段は8本の杭だったが、上の段は12本の杭を並べて…。


丸太を積んで…。


ついでにゴミも埋めて…。


ジャ〜ン!二つ目の土留めが完成!


こんなに広い平らな部分が出来た。


おぉ〜!


おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜!“断固反対”の横断幕をつければ、立派な要塞ではないか!


何に反対するかは後で考えることにして、とりあえず完成。不動産屋さんの言う通りであった。私が、この土地を購入した時、不動産屋さんが、「切株とか丸太はどうします?捨てておきましょうか?」と言ったので、私は、「お願いします」と答えた。すると、不動産屋さんは、「この山で何かする時は役に立つと思いますよ。残しておいた方が良いと思いますが」とアドバイスしてくれた。私は、「本当にこんなゴミを使うのかなぁ…」と半信半疑であったが、「まぁ、不動産屋さんがそう言うなら…」と思い、全てそのままにしておいてもらったのであった。

  2012/10/31  





   今回は、私の土地の唯一の平地の話です。斜面にログハウスのようなものを建てても良いのですが、やはり平地に建てた方が安定します。今のところ定住する予定はないので、立派な建物を建てる必要はないのですが、私が定年したらここに住もうと思っているので、基礎的なことはやっておきたいと思っています。それまではプレハブ小屋を置いておいて休憩所にするくらいですかね。

赤線のあたりが、この土地の唯一の平地。80坪ぐらいかなぁ…。ここに休憩できる小屋を建てたいのだが、困ったことに、この地面の下には重たい切株がいっぱい埋まっている。この切株を全て取り除かないと、小屋を建てても少しずつ小屋が地面に沈んでいってしまう。

切株は1個だけで何十キロもの重さがある。


さすがに私一人でこの切株を取り除くのは難しいので、お隣のS氏に応援を要請した。写真はS氏所有のユンボ。カッコ良い〜!それ行け〜!

出るわ!でるわ!デルワ!さすがに、こんなに埋まっているとは思わなかった。いったい何トンあるんだ…。


おぉ〜!これで基礎を作れるようになった。来年の春、休憩のための小屋を建てる予定だよん♪


細かい枝などは冬に焚火で焼却し、その熱で御湯を沸かしてコーヒーを飲む。無駄なものは何もなし。


掘り出した切株は、隣の山の麓に捨てた。もちろん地主さんの許可を得ています。30年もすれば腐葉土になるでしょう。1つ1つ1輪車に乗せて捨てたので、時間がかかった上、何十キロもある切株を運んだのでたいへん疲れた…。やっとここまで減った…。

私が切株を捨てている時、知らない夫婦が車で来て、私に話しかけてきた。話を聞いてみると、東日本大震災の津波で家を流されてしまったので、家を建てるための土地を探しているとのことであった。いろいろ土地の話を聞いてきたので、「この辺は静かで住みやすいと思いますよ。近所の人たちも、みんな良い人たちですし」と答えて、自分の土地を案内した。すると、その夫婦が、「ここ良いですねぇ。あなたの土地を売ってくれませんか?できれば坪2万5千円ぐらいで」。「え?」。おぉぉぉ〜!ついに伝承之蔵スピンオフも最終回かぁ〜!

カタカタカタカタ…。←必死に計算しているコンピュータ音

【土地購入の金額】

坪9800円×466坪=4566800円

【土地売却の金額】

坪25000円×466坪=11650000円

【土地売却による利益】

11650000円−4566800円=7083200円

チン!←計算が終わったコンピュータ音


【結論】

フ〜   ○o。.(-。-)y-~~~   ムフフフ…


【予想外】

ところが、母に売却の話をすると…。


ウッ…。なぜ女子高生の姿に…。しかも、自分の土地でもないのに上から目線で正論を…。


売却断念…。ババァ…。“正論は小声で言え”という諺を知らんのか…。


フゥ…。なんで私が貧乏なのかがわかった…。正論を言う貧乏神がついてるからだ。まぁ、別にいいんですけどね…。ハァ…、いっぱい古文書を買うチャンスだったのだが…。

  2012/11/11  





   先日、ふと、「1日に、何人ぐらいの人たちが伝承之蔵を閲覧しているのかなぁ…」と思い、久しぶりにアクセス分析をしてみたところ、平均して、1日に約200人ぐらい、正確に言うと、1日に約200台のコンピュータで閲覧されているという結果であった。日によっては1日に300〜400人の方が閲覧し、一番多い時で、1日に1200人の方が閲覧しているという日もあった。「素人のサイトにしては多いなぁ…」というのが率直な感想である。なんせ、このサイトを始めた時には、せいぜい1日に12〜15人ぐらいの閲覧者しかいなかったのだから。

   実は、伝承之蔵は、最初から伝承之蔵で始めたわけではない。7年前に始めた時は、“凍える心の文学館”というタイトルで、子供たちに昔話などを簡単な文章で紹介するサイトであった。しばらくして、そのサイトを、“河南新報”というタイトルに変えて、河北新報の記事をもとにして、「全て嘘の記事なのだが、本質をついている面白い文章」という趣旨で記事を掲載するサイトにした。この時、伝承之蔵は、そのパロディー新聞の1つのコーナーに過ぎなかった。

   その後、また、そのサイトを、“宮城百科”というタイトルに変えて、宮城県の観光・特産品・伝説などを掲載するサイトにした。この時、そのサイト内の、“宮城民話概略集”というコーナーで伝説を掲載していたのだが、アクセス分析をしたところ、このコーナーの人気が高かったので、「それなら、宮城県の伝説をメインにしたサイトにするか…。しかし、宮城民話概略集では堅苦しいなぁ…」と思い、旧サイトの1つのコーナーに過ぎなかった伝承之蔵を、そのままサイトのタイトルにして現在に至っている。

   今回のアクセス分析によると、現在は、伝承之蔵スピンオフの人気が高いようで、伝説のコーナーとほぼ互角のアクセス数である。「荒地の開墾を頑張って下さいね」メールが多いので、スピンオフの中でも、山の土地に関する記事に興味が集中していると思われる。荒地の開墾に関しては、「基本的に人の助けを借りず、独りで楽しく開墾する」がテーマであるので、“独腕”ということになる。また、私の土地の周りにいる方たちも、私と同じように楽しみながら開墾していて、既に永住している方もいる。主にアメリカで用いられている、“BASH=にぎやかなパーティー”という言葉がぴったりである。そこで、伝承之蔵というタイトルを変えて、以下のタイトルにすることを検討中である。




   ジャ〜ン!新タイトルは、“ザ・独腕・BASH!”。おぉぉぉぉぉぉぉぉ〜!これから、バッシュ村はどう開墾されていくのか?著作権法ギリギリのロゴもスリリング。んん〜ん!興奮するうぅぅ〜!

  2012/11/18  





   すいません…。恥ずかしながら、再就職してしまいました。再就職したといっても、私は今年で44歳になったので、定年退職まで16年しかありません。会社で通用する人間を育てるには、最低でも10年はかかります。今から私を教育しても、一人前として使えるのは僅かに数年ということです。それならば、私を育てるよりも、20代〜30代前半の若者を育てた方が得策です。

   未来のある若者たちに、私が今まで経験してきた事・物事の見方・論理的な思考力などを伝え、私自身は、若者たちの部下となって働きます。そうすれば、私が定年を迎える頃には、私を踏み台にして成長した若者たちは一人前になっているでしょう。その時、若者たちが私を煙たがっているようであれば退職しますし、少しだけ居てほしいと思っているようであれば、嘱託社員として残るのも良いでしょう。

   私の祖国である日本に多大な功績を残した後藤新平は、生前、良くこんなことを言っていたという。「金を残して死ぬ奴は“下”だ。仕事を残して死ぬ人は、まぁ“中”だな。人を残して死ぬ人は“上”だよ」と。私も、お世話になった会社や日本の為に、僅かながらでも貢献してから死にたいと思う。

  2012/11/30  





   先日、喉が渇いたので、あるスーパーでコーヒーを買ってベンチに座って飲んでいたところ、私の近くで二人の主婦が会話を始めた。二人とも自分の子育てに自信が持てず、その悩みが尽きないようで、30分も立ち話をしてから、「ん〜、難しい…。どうしたら良いのか分からないわ…。お互いに悩みが尽きないね」と言って、二人とも家に帰っていった。

   私の個人的な感想ではあるが、日本人は、「1+1=2」のように、答えが明確なものに対しては強いのだが、「X+Y=2」(答えが2になるように、XとYに自由に数字を入れなさい)のように、答えが複数あるものに対しては極端に弱いような気がする。「XとYを1としたら普通すぎるだろうか?」「X=100、Y=−98にしたら変に思われるだろうか?」など、余計なことを考えるからであろう。つまり、周りの人間に配慮し過ぎて、決断ができないのである。

   ここで皆さんに問題を出します。今、あなたの財布の中には1000円札が4枚あります。あなたは、この4000円を子供にお年玉としてあげなければいけません。しかし、“4=し”は、“死に通じる”と言われる縁起の悪い数字です。あなたはどうしますか?皆さん、自分が導きだした答えに自信を持ってください。今、あなたが頭で考えたことは、全て正解だと思います。参考までに記述しますが、私は以下のように考えました。

   @“縁起が悪い”などということは迷信なので、そのまま4000円を渡す。
   A誰かから1000円を借りてきて、5000円にして渡す。
   B1000円を引いて、3000円にして渡す。
   Cお年玉をあげることをやめる。
   Dその他(私の頭では思い浮かばない答え)。

あなたが答えだと思ったものが、この問題の正解です。自信を持って決断してください。他人が何と言おうと良いじゃないですか。気にするだけ時間の無駄です。いくら考えたって、どうせ完全な正解などというものはないのですから。“深く考えた後、大ざっぱに行動する”というのが私の信念です。

   ちなみに、私の母方の祖父は、お年玉の4000円を私に渡す時、次のようにしていました。先ず、3000円を渡し、しばらくしてから1000円を渡す。つまり、4000円ではなく、3000円+1000円なので、“死”には通じないということです。ムフフ…。人間の知恵とは素晴らしいねぇ。おじいちゃん!やるぅ〜!

ドモドモ  (^o^)ゞ  オジイチャンデス…


  2012/12/5  





   もうすぐ雪が降ってくる頃なので、東屋の屋根を外す為に山に向かった。なんせ簡易的なものなので、雪が積もったら東屋は簡単につぶれてしまう。そのついでに、水源の周辺の整備も完成させてしまおうと頑張った。

水源の周辺に、もう1つ池を作るために水を堰きとめた。


池が完成。


ん〜、なかなかの仕上がりだ。


上の写真は、水源(2)の水が出ているところなのだが、私が土を掘って日光と大気にふれさせた途端に植物が生え始めた。この植物たちは、水の方へ水の方へと進んでいる。植物にとって水がいかに重要なものかが実感できる。

水源(1)の周辺も、土を切り崩して埋めたので、かなり広くなった。


これは、水源(1)からの眺め。ん〜、風流だ…。この場所は、冬は風が通らず温かい。また、日陰になっている為、夏は涼しい。後日、この場所に簡易的な休憩所を建てる予定である。写真に写っているのは全て雑草だが、これらを刈り取って素敵な花を植えれば、かなり風流になる。

おぉぉぉぉぉ〜!極楽じゃ〜!え?最低?そんなもん関係あるかい!


仮に作っていた道を…。


ちゃんと整備した。


階段も作って…。


道も完成。


こんな感じ。


ついでに、夏の間、雑草が生え放題で立ち入りができなかった場所に行ってみた。すると…。


こうだったのが…。


こんな風になっていた!


この穴は…。ん〜、ヤツだ…。


クッ…。


階段もメチャクチャにされていた。


斜面全体が崩されているので、1頭や2頭の仕業ではない。それにしても、すごい破壊力だ。


実は、以前、私が水源で作業をしていた時、イノシシに襲われたことがある。幸いなことに、イノシシのうなり声と物音で早く気づき、一番下の平地で作業をしていた母の所までダッシュで逃げたのだが、その時、母は…。

ババア…、殺す…。


怒っていてもしょうがないので、東屋の屋根を外して家に帰った。


  2012/12/16  





   先日、ダイソーのクリスマスグッズのコーナーで買い物をしていた男性が、突然、電話中に怒りだした。「あまり親しくない人が企画したクリスマスパーティーなんだから、何を持って行けばいいのか、どんな人が来るのか、どんなパーティーなのか、その人に聞いてから行った方が良いだろ!それが常識ってもんだ!お前には礼儀ってもんがないのか!」と。恐らく、電話の相手は、その男性の彼女なのであろう。その後、その男性は、買い物カゴに商品を投げ入れ、会計を済ませて店から出ていくまで、ずぅ〜と電話で怒鳴っていた。

   会話の内容を全て聞いたわけではないので、あまり強くコメントはできないのだが、恐らく、この男性の言っていることの方が、理論的には正しいのであろう。しかし、この男性は、彼女との関係を良い方向に向かわせたのではなく、ただ、彼女を言い負かしたに過ぎない。つまり、正しいのは、“言っている内容だけ”ということである。この男性は全く気づいていないのであろうが、彼女との信頼関係は、既に風前の灯火ある。

   確かに、理論的な正当性は大切なことである。しかし、言葉遣いや姿勢といったものも、同じように大切である。人間には“感情”というものがあり、この感情がマイナスの方向に向かうと、どんなに正しいことを言っても、絶対に自分の気持ちが伝わることはない。もし、この男性が、「この彼女と絶対に別れたくない」と思っているのであれば、彼女に対して、理論的な正当性を基にした適切な言葉遣いをし、粘り強く温和に接するという姿勢を持つべきであった。君の彼女は、苦情を聞くコンピュータではなく、感情を持った人間なのだから。

  2012/12/23  





   先日、古本屋さんで“仙台城沿革”(大正八年五月刊)という書籍を購入した。以前は3〜4万円で流通していた書籍なのだが、昨今の不景気の為、1万8千円という値段であった。因みに、スキャナーで読み込む為にバラバラに分解してしまったので、現在の金銭的な価値は0円である。「せっかく、高価な書籍を購入したのに、何でバラバラにしてネットに無料で公開するの?勿体ない…」と言われることもあるのだが、それは、“ものの価値”というものに対する考え方の違いからくる誤解であり、決して勿体ないことではない。

   仙台城沿革は、仙台城に設置されていた、旧日本陸軍の第二師団によって発行されている。仙台城の沿革が簡単に紹介されていて、仙台城に関する5点の図が掲載されているので、仙台城を研究している方、第二師団を研究している方など、多くの方たちが仙台城沿革に興味を持つであろう。私が、金銭的な価値を捨てることによって、多くの方たちが学問をすることが出来るのである。私にとって、仙台城沿革を所有している価値は、「不特定多数の人間に、この書籍から何かを感じてもらう」ということにある。ただ大切に保管し、自分だけで楽しむのであれば、私にとって、この書籍は何の価値もないものとなる。多くの人間が仙台城沿革で学問をし、私たちの祖国である日本の為に貢献する人材が育つ。本当の“ものの価値”とは、そこにあるのである。

   面白いですよ、仙台城沿革は。大正八年五月刊ですから。面白いと思いませんか?大正八年には、第一次世界大戦の終結に関するパリ講和会議が開催され、朝鮮半島では三・一独立運動が起こり、中国でも五・四運動が起こっています。世界が激動の時代を生き抜いている時、仙台では軍人さんが仙台城の研究をしていたんです。“軍人”というと悪いイメージで解釈する人も多いですが、所詮、人間です。そこら辺に住んでいる庶民なのです。特に人殺しが好きというわけでもなく、徴兵されたから仕方なく従軍しているという人たちです。敵兵を殺す為に徴兵された軍人さんが、戦争そっちのけで仙台城を研究する…。フフフ…、人間って面白いですね。フフフ…。史料のコーナーに仙台城沿革をアップしました。大きな5枚の図が掲載されていて、本文も7ページと短いので、全く興味がなくてもすぐに読めます。ぜひ御一読を。

  2012/12/29