胸割り阿弥陀

   昔、充国寺の和尚が、京の都からの帰り道、森の中で 追剥ぎ たちに襲われた。ところが、突然、風もないのに近くの大きな木が倒れてきて、追剥たちを押しつぶした。 その時、追剥の一人が、ものすごい目つきで和尚を 睨んで から死んだ。

   和尚が寺に帰ってから数日後、門前の家に赤ん坊が生まれた。和尚は、お祝いのために、その家を訪れ、 「 どれどれ、赤ん坊の顔を見せてください 」と言って、赤ん坊の顔を見た。 ところが、その赤ん坊の目つきが、あの森の中で死んだ追剥の目つきと同じだった。 赤ん坊は、ずっと、恨みの目つきで和尚を睨んでいた。

   ある日、和尚は 乱心 してしまう。その赤ん坊を寺に 誘拐 して、 無残 にも殺してしまった。すぐに和尚は 逮捕 され、 引き回し の後、 になることが決まった。

   和尚は、引き回しのために寺の前を通り、 七北田刑場 へ向かうことになっていた。和尚が寺の前を通るとき、小僧たちは、 阿弥陀 さまを門前に運び出して、涙ながらに和尚を見送った。和尚が門前を通り過ぎた瞬間、 「 パチン 」と音がしたので、小僧たちが阿弥陀さまを見てみると、阿弥陀さまの胸が、 一寸 ほど割れていた。そればかりか、道の方を向いていた門前の石地蔵が、くるりと向きをかえて横向きになったという。

   その後、阿弥陀さまは、京の都の 仏師 によって修繕され、無事に寺にもどった。ところが、寺にもどると、 「 パチン 」という音とともに、同じところが割れてしまった。何度も修繕したのだが、 結果が同じなので、阿弥陀さまの胸は、一寸ほど割れたまま現在に至っているという。

参考『 仙台市史 6 』

現地で採集した情報



“ 胸割り阿弥陀 ” 写真館

これが、充国寺。

これは、 新坂通り 。赤丸が充国寺。和尚は、この新坂通りを通って七北田の刑場へ行った。
これが、充国寺の本堂。

これが、横向きになったという石地蔵。事件前は、この写真に向かって右側を向いていた。 この話の和尚は、“ あんさい ”和尚という。漢字は、“ 安祭 ”とされているが、 未確認である。充国寺の住職に聞いたところ、あんさい和尚の生きた時代と、 石地蔵が建立された時代とは違うということであった。「 どうして、こういう話になったのか…。 それに、和尚という身分の者が、引き回された後に処刑されたという話は、 聞いたことがないです 」とのこと。確かに、住職が処刑された例はあるが、 仏に仕える者を引き回しという“ さらし者 ”にしたということは、 聞いたことがないような気がする…。
これが、充国寺の本堂の中。赤丸が、 胸割り阿弥陀

これが、胸割り阿弥陀。

確かに、胸が割れている…。割れて…。割れ…。ん?

割れてない!何でぇ〜!うそじゃ〜ん!このことについて住職に聞いてみたところ、 「 ええ、割れていませんよ。最初から。まわりと色が違うので、割れているように見えますが、 無傷です 」と、あっさり言われてしまった。この話は、どういう風に形成されたのだろうか?
平成18年2月11日(土)掲載