「 恩愛刃 」 ( 加筆・修正したもの )

【 序 】

   宮城県の気仙沼市に、“ 大島 ”という島がある。昔、この島には、“ 秋山 ”という一族が住んでいた。その秋山氏の中に、 義方という者がいて、多くの 里人信望 を集めていた。その館は 豪華絢爛 であったという。義方が住んでいた本館から五十メートルほど離れたところに、別館があった。 この別館は、義方が 隠居 の後に住むためのものであったので、特に、心をこめて造ってあった。

   これは、秋山氏の 数奇 な運命の物語であり、大島に住んでいる 古老 の話を、そのまま書き記したものである。

【 一 】

   秋山義方には、義正という息子がいた。しかし、義正は目が見えなかったので、 家督相続 することができなかった。妻は、すでに、この世を去り、愛子という一人娘と一緒に別館で生活していた。 義方には、義正の他に、娘もいた。その娘は、定直という者を 婿 に迎えたのだが、子供に恵まれなかった。そのため、義方は、他家から静雄という者を 養子 に迎え、家督を相続させようとした。

   その数年後、義方の娘は、病気のために死んでしまった。このとき、定直は、時子という心の 醜い 愛人を家に迎えた。ある日、静雄と時子が、ささいなことから激しい口論となった。このとき、時子は静雄を激しく 中傷 し、定直に、静雄を本館から追放するように 進言 した。時子の中傷を信じた定直は、静雄を本館から追放してしまう。

【 二 】

   静雄が本館を追放されてから四年後、義方は、この世を去った。その数日前、義方は、義正と定直を呼び、 「 静雄は、文学と武道に 精通 している。必ず、立派な人間になってもどってくるので、そのときは、愛子と結婚させて、 この秋山家の家督を相続させてくれ 」と 遺言 した。

   ところが、義方の死後、時子は 前夫 との間にできた、行勝という息子を、養子として秋山家に迎えた。 そして、その三年後、定直が、この世を去ると、時子は、ますます、わがままになっていった。 時子は、義方の遺言に従わないばかりではなく、秋山家に 忠義 をつくす者たちを、ことごとく追放し、自分に忠義をつくす者たちを本館に迎えた。 そして、行勝を、秋山家の当主にしようとする。


【 三 】

   義正と愛子が住んでいる別館の 床の間 には、 曽我兄弟掛け軸 があった。それは、手に 松明 を持って、まさに、敵陣に討ち入ろうとするものだった。その部屋には、病気で 臥せって いる義正がいた。一見して、 快復 の見込みがなく、死期が近いことがわかる。愛子は、琴を弾いたり、物語を読み聞かせたりして義正の心を 癒した

   ある日、愛子は、本館にいる時子に呼ばれて、こう言われた。 「 静雄は、もう帰ってこないと思いますよ。あなたも、もう、十八歳になりました。 早く結婚して、落ち着いたらどうですか?どうでしょう、行勝の妻になりませんか? あなたが行勝の妻になれば、義正さまは、行勝の父となります。そうすれば、義正さまも 安泰 だと思いませんか 」。

   時子の言葉は 巧み であった。しかし、愛子は、 毅然 とした態度で、こう答えた。「 私の父は、あなたを 毒婦 だと言っています。そのような醜い心をもっているあなたに従うことは、絶対にありません 」。 その答えを聞いた時子は激怒した。みるみるうちに顔が赤くなり、 「 どうぞ御自由に! 」と吐き捨てて、奥の部屋に行ってしまった。

【 四 】

   ある夜、静雄が、別館を訪ねてきた。愛子は、夢ではないだろうかと思いながら、静雄を義正の部屋に案内した。 静雄は義正を真の父と思い、義正は静雄を真の子と思っていた。二人は、お互いに 恭しく 礼をした。愛子は、涙を流しながら、時子の悪行を語りだした。 静雄は、「 そのようなことになっているとは…。この上は、信念をまげて、行勝のところへ嫁にいってはどうか。 そうすれば、義正さまも安泰なのでは… 」と言った。 するとすぐに、愛子は表情を険しくして、「 それは、静雄さまの言葉とも思えません。 私は、あなたの他に夫と思う者はおりません 」と言った。 いつのまにか朝となり、静雄は、「 必ず、また来ます 」と言って、帰っていった。

【 五 】

   ある日、時子が、三人の武士を連れて別館に来た。しばらくの間、義正と何か話をしていたが、 義正は、突然、大声で叫んだ。「おまえたちの言葉など、いっさい聞かない!」。 すると、時子も激怒し、「 目が見えないから、 哀れ だと思って 面倒 をみてやったのに!そっちがその気なら、こっちにも考えがありますよ! 」と叫んだ。 その言葉に義正は、恨みの表情をみせた。 すると、時子は、「 なに、その顔は?言ってごらんなさい! 」と 罵った 。次の瞬間、義正は刀を抜き、時子を斬ろうとした。時子は、連れてきた三人の武士に 目配せ して、部屋を出て行った。

   ちょうどそのとき、愛子が外出から帰ってきた。愛子は、ただならぬ気配を感じて、義正の部屋へ急行する。 すると、義正が、三人の武士に取り囲まれていた。 愛子は、「 無礼者!何をするのか! 」と叫びながら刀を抜き、敵に斬りかかった。 義正も、部屋から庭にでて 応戦 した。愛子は、「 お父さま!お父さま! 」と叫んだ。 そして、目の見えない義正にかわって、敵の位置を知らせた。「 敵は後です!右にまわりました! 」。

   しかし、愛子の努力もむなしく、義正は庭の 盆栽 につまづいて転倒してしまった。敵は、義正に馬乗りになり、刀で義正を突き刺そうとした。 愛子は、馬乗りになっている敵に斬りかかった。すると、敵は、その 気迫 に驚いて逃げ去った。

【 六 】

   その夜、義正は愛子を部屋に呼んで、ある箱を見せた。その箱には、“ 恩愛刃 ”と書かれていた。「 これは、秋山家の家宝である。今夜、この家宝を、おまえに贈る。 この刃は、仙台藩主よりいただいた、 希代銘刀 である。秋山家の家督を相続する者は、必ず、この家宝を贈られる。 たとえ、秋山家を相続しても、この家宝を贈られない者は、真の相続者とは認められない。 最近の騒動は、この家宝を奪おうとする時子の計画に他ならない。 わが父、義方の遺言にも従わず、わがまま放題をしたあげくに、この家宝を奪って、 行勝に家督を相続させようとするとは、憎むべき行為だとは思わぬか… 」。 愛子は、涙ながらに恩愛刃を受け取った。

【 七 】

   その数時間後、いつものように、愛子は、物語を義正に読み聞かせていた。 するとそのとき、義正が愛し、いつも義正の側にあった琴の が、突然、切れてしまった。その絃の切れる音が、愛子の耳に悲しく入った。愛子が、 狼狽 しながら義正の顔を見ると、義正は、眠るように死んでいた。

【 八 】

   義正の死を知ると、すぐに、時子や行勝などが別館を訪ねてきた。義正が病気で苦しんでいるときには、一回も 見舞い に来なかったのに…。義正を殺害しようとした者たちが、このように情け深そうに訪ねてくるとは、 なんと醜い心であろうか。愛子は、 屏風 をさかさまにたてて、時子たちを迎えた。

   そのとき、時子が、愛子に言葉をかけた。「 義正さまのことは、私も、残念に思っています。 しかし、人の死だけは、どうすることもできません。あなたは、今後のことを考えなさい。 葬儀のことは、私と行勝が心を込めて行います。安心してくださいね 」。 醜い心にふさわしい、情ありげな態度であった。

   そして、時子は、思い出したように言葉を続けた。「 ああそうだ、義正さまの持っていた家宝の刃は、 どうなさいましたか?今の時期は潮風がよく吹くので、一日に何度も 拭か ないと、 錆び てしまいますよ。よく拭いておいてくださいね 」。時子が、自分の心の錆を 露呈 するさまは、まことに醜いものであった。

   義正の葬儀は 西光寺 で行われ、その遺体は、妻の墓の隣に埋葬された。葬儀が終わった瞬間、愛子の愛は、この地に永遠に葬られた。

【 九 】

   義正の葬儀が終わってから、一週間もたたないうちに、本館では 酒宴催して いた。夜になると、本館の人々が酒を飲んで歌を歌い、舞を舞っていた。その楽しそうな声が、 なんとも耳にさわった。愛子は庭にでて、しばらくの間、その楽しそうな声を聞いていた。 そして、目に涙を浮かべながら、また部屋に入った。

   愛子は、床の間にある曽我兄弟の掛け軸の前に座って、じっと、その掛け軸を見つめていた。 見事に、父の を討った 祐成時致 の兄弟…。愛子と曽我兄弟は、男女の違いこそあれ、境遇は同じ。愛子は、ひとりうなずき、 位牌 の前にある恩愛刃をとって、 を抜いた。

【 十 】

   行勝をはじめ、本館の人々は、みんな酒に酔って眠っていた。ただ、時子だけが、ひとりで琴を弾いていた。 しかし、しばらくすると、今まで、にぎやかに鳴いていた の声が、ぱったりとやんだ。それを 不審 に思った時子は、琴の演奏をやめて庭にでる。次の瞬間、「 父の仇!覚悟! 」という怒鳴り声がした。 時子は、「 気でも狂ったか! 」と罵った。不思議なことに、すべての 灯火 が消え、完全なる暗闇となった。

   完全なる暗闇の中で、琴の弦の切れる音がした。鋭い刃を受けたからであろうか?完全なる暗闇の中で、 筆立て の倒れる音がした。誰かが机につまづいたのであろうか?完全なる暗闇の中で、 障子 の破れる音がした。誰かが 縁側 から庭に転倒したのであろうか?完全なる暗闇の中で、「 待て!逃がさんぞ! 」という 罵声 がした。傷を受けた者が逃げたのであろうか?完全なる暗闇の中で、「 おのれ! 」という罵声がした。 逃げようとする者に追いついて、引き戻したのであろうか? 完全なる暗闇の中で、誰が誰を斬り、誰が誰に斬られたのであろうか?
   しばらく 静寂 があった後、庭の門の近くで人影が動いた。そこには、愛子がいた。


口には血まみれの恩愛刃をくわえ、手には時子の首を抱えていた。 そして、愛子は門をくぐり、暗闇の中に姿を消した。 おそらく西光寺にある義正の墓に行ったのであろう。その後の愛子の 消息 については誰も知らない。

平成18年4月15日(土)掲載