おまん地蔵

   元禄 年間、仙台藩は、この里にある 品井沼洪水 をなくすために、 潜穴 の工事を開始した。ところが、 享保 年間、この 元禄潜穴 に土砂などがつまり、 著しく 排水阻害 されたので、雨が降るたびに洪水がおこり、米の収穫が激減した。そのため、仙台藩では、元禄潜穴の改修工事をおこない、米の収穫の安定化を 図った


   ある業者が、この改修工事を 請け負った のだが、工事にかかる費用の計算を間違えたために 莫大損失 をだしてしまい、業者は、 人夫 への給料が払えなくなってしまった。業者は、「 ん〜、困った…。もういいや、 面倒くせぇ ! 全員を殺しちまえ! 」と思い、ある日、その恐ろしい計画を実行した。

   工事が完成した日、業者は、潜穴の中に人夫を集めて、“ 慰労 のための 宴会 ”を 催した 。このとき、たいへん歌の上手かった“ おまん ”という十六歳の美しい少女が呼ばれ、その歌声で宴会を盛り上げた。

   人夫たちが 泥酔 したころ、業者は、潜穴の先端にあった 土嚢壊して 、潜穴の中に水を流れ込ませた。そのため、人夫たちは、その 濁流溺死 。多くの 遺体高城川 に流れついたのだが、 里人 たちは、あまりの 惨状 に目を 覆い直視 することができなかった。その後、里人たちは、“ おまん地蔵 ”を建てて、この里のために働いてくれた人夫たちと、“ おまん ”の 供養 したという。

参考『 鹿島台町史 』

現地で採集した情報



“ おまん地蔵 ” 写真館

品井沼干拓 は、 莫大 な金と、多くの人間の努力と 犠牲 によって完成した。元禄六年( 一六九三年 )、仙台藩の第四代藩主である 伊達綱村 が、 大越喜右衛門 に元禄潜穴の工事を命じてから、約三百年の歳月がかかった。潜穴に関しては、上の図のように、 元禄潜穴明治潜穴 がある。
これは、明治潜穴公園にある明治潜穴の入口。

品井沼から松島湾までの高低差は、2.1メートルしかないので、水の流れはゆっくりである。
潜穴を掘る工事は、上の図のように、“ ずりだし穴 ”を掘って、その穴と穴をつないで潜穴にするという方法をとった。 また、品井沼から松島湾までの高低差は、わずかに2.1メートルしかなかったので、ずりだし穴の底面は、浅いところと深いところが交互に掘られている。 これは、潜穴の排水能力を高めるのが目的だという。
元禄潜穴は、六回も改修工事をしている。第一回が、 享保 十六年( 一七三一年 )。第二回が、 寛保 三年( 一七四三年 )。第三回が、 延享 二年( 一七四五年 )。第四回が、 文化 四年( 一八〇九年 )。第五回が、 天保 十二年( 一八四一年 )。第六回が、 文久 元年( 一八六一年 )。この伝承は、第一回目の改修工事のときのもの。
これが、おまん地蔵。この地蔵は、根廻児童公園の中にある。現在でも、おまんの一族の子孫の方が、毎年、一族のみで 供養 しているという。
平成19年11月22日(木)掲載