
これが、
月浦
。夢・野望・希望など、さまざまな人間の感情を乗せて、サン・ファン・バウティスタ号は月浦から
出帆
した。


これが、サン・ファン・バウティスタ号。

当時、船の装飾は、主に
権威
を示すことが目的であった。サン・ファン・バウティスタ号にも、
伊達政宗
が好んで用いたという“ あうんの龍 ”の像や、伊達家の
紋章
である
九曜紋
があった。

これが、あうんの龍。

これが、九曜紋。

これは、
ノビスパニア
の臨時大使であるビスカイノと常長の部屋。壁などはなく、
狭くて
質素
。右がビスカイノの部屋。左が常長の部屋。

これは、
時鐘
。主に、
当直
の時間を知らせることに使用された。当直を開始してから三十分が経過したときに一回、一時間が経過したときに二回だけ時鐘が鳴らされた。
四時間の当直であれば、時鐘が八回 鳴らされると、当直が交代するということになる。ちなみに、時間の計測は砂時計で行われていた。

これは、
宣教師
ソテロの部屋。船長であるソテロには、船の中で最も大きな部屋が与えられていた。

これは、船内に
積載
されていた武器。海賊などの襲撃に備えて、
火縄銃
や
クロスボー
などが積載されていた。

これは、
火薬
箱。この火薬箱は、火縄銃とは別々の場所に保管されていた。ここで問題。なぜ、火薬箱と火縄銃が別々の場所に保管されていたのでしょうか? 宮城ふしぎ発見!

正解は、「 狭い船の中に百八十余名もの人間が乗船していたため、そのストレスから
喧嘩
が絶えなかった。そのため、喧嘩をしている者たちが、すぐに
発砲
できないように別々の場所に保管した 」でした。不正解の方は、
ボッシュウト
。ちなみに、私は、毎週土曜日の21時から放送されている『 世界ふしぎ発見! 』のファンです。

これは、
船艙
。船艙には、予備の
帆
やロープ、
樽
に詰めた食料や水など、いろいろなものが置かれていた。

これは、日本人乗組員の食事風景を再現したもの。船内の食事は、
干し飯
や
漬物
など、保存のきく食べ物が中心だった。当時、航海では、野菜不足などから
壊血病
が多く発生したのだが、
慶長遣欧使節
の記録には、そのような記述がないという。確かなことは不明であるが、ビタミンCが多く含まれている仙台
味噌
を食べていたからではないかと思われる。

これは、大砲。サン・ファン・バウティスタ号は軍艦ではないのだが、海賊などの襲撃に備えて、ある一定の武装をしていた。
ちなみに、この大砲を撃つのに、二分〜五分くらいかかったらしい。

これは、ビルジポンプ。船の中に海水がしみこんできて船艙に
溜まる
ので、このポンプで海水を
汲み
だした。

これは、帆を
縫って
いる
水夫
を再現したもの。帆船にとって、帆とロープは重要なものの中の一つであった。
当時、日本人の水夫には帆を縫う技術がなかったため、スペイン人の水夫に教えてもらいながら縫った。

これは、かまど。
釜
や
鍋
などは、波で
揺れても
大丈夫なように、上から
吊るして
あった。ちなみに、乗組員の
招集
や食事の
合図
には、下の写真のような、銅製の
ホイッスル
を使った。
これが、銅製のホイッスル。このホイッスルの吹き方によって次の行動が異なる。下の写真は、食事と掃除の吹き方。
ん〜、いまいち、実感がわいてこない…。実際に吹いたときの音を聞いてみたかった。
これは、クロード・ドゥルエが描いた支倉常長像。赤丸は、サン・ファン・バウティスタ号。
これが、前の写真の赤丸を拡大したもの。ドゥルエは、直接、サン・ファン・バウティスタ号を見たわけではないのだが、サン・ファン・バウティスタ号の姿を推測するための
唯一
の資料という意味で貴重である。
航海のためのいろいろな道具が展示されている。
上の写真は、“ クロススタッフ ”という道具。空しか見えない海の中で、帆船が目的地まで航海するためには、
緯度
と
経度
を知ることが必要であった。このクロススタッフは、緯度を測る道具。
ここで問題。何らかの理由で、このような道具がなかった場合、どうやって、上の写真の二つの星の角度を測ったのでしょうか? 宮城ふしぎ発見!
正解は、「 自分の体を使って測った 」でした。不正解の方は、ボッシュウト。昔の方は、たとえ正確ではなくても、できる範囲内で最大限の努力をしたんですね。
偉い
、偉い ( ̄〜 ̄;)ウンウン
ちなみに、上の写真のような測り方もある。
政宗が
永眠
している
瑞鳳寺
の墓からは、政宗が使っていた品々が
発掘
されている。その品々の中に、ヨーロッパ製の金製の
ブローチ
があり、常長がヨーロッパから持ち帰ったものの一つと考えられている。政宗がヨーロッパに求めた真の夢は、いったい何だったのであろうか。
慶長遣欧使節の
一行
が
滞在
したスペインのセビリア市の郊外に、コリア・デル・リオという町があり、その町には、“ ハポン ”という性の方たちが多く住んでいるという。この“ ハポン ”という姓は、スペイン語の“
Japon
”に
由来
していることから、この町に残った慶長遣欧使節の者の子孫ではないかと考えられている。
この他にも、ヨーロッパの造船工場の模型、航海中の乗組員の食事や
余暇
の過ごし方、サン・ファン・バウティスタ号の
復元
の様子など、さまざまなものが展示されていた。平成二十年二月現在で、高校生以下は観覧料が無料となっています。
小学生・中学生・高校生の諸君! デートのついでに少しだけ勉強しちゃおうぜぃ d(-_^)ネッ♪
“ 宮城県慶長使節船ミュージアム ” で取材
平成20年2月19日(火)掲載
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