伝承之蔵

お鶴明神 1
登米市/中田町浅水/上川面

   昔、この里に、伊藤某という長者が住んでいたのだが、その長者が、仙台藩から 相模土手 の改修工事を命じられたことがあった。このとき、その長者の下女の中に、お鶴という 南部 生まれの女性がいたのだが、お鶴は、正直で賢い働き者だったので、長者の信頼も厚く、改修工事で働いていた工夫も、お鶴姉と呼んで親しんでいた。ところが、改修工事が完成しそうなころ、突然、お鶴が急病で死んでしまったので、たいへん悲しんだ長者と工夫たちは、お鶴の遺体を土手に埋めて祠を建て、この土手の安全を永遠のものにしたので、いつしか、里人たちは、この祠のことを、“ お鶴明神 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 中田町史 』
現地で採集した情報


現地レポート

上の写真の赤い矢印が、お鶴明神。



これが、お鶴明神。 明治 十一年、未曾有の氾濫で土手の上を十五センチほど水が越えた時、「このままでは、相模土手が決壊してしまう」と思った里人たちが、“お鶴明神村内安全堤防安全”と書かれた紅白の旗を掲げて一心不乱に祈ったところ、不思議なことに、相模土手は決壊しなかったという。


これは、お鶴明神の説明板。



これは、お鶴明神の祠。



平成 18年5月15日、電電虫さんより、この伝説への疑問のメールをいただきました。その内容は、「1.お鶴は急病で死んだのではなく、昼食を運んできたところを捕らえられて、人柱として生き埋めにされた。2.この伝承の土手は、 若狭土手 ではなく、相模土手である」というもの。お鶴の伝説に関しては、複数の伝説が存在しているので、1の疑問に関しては、お鶴明神2に記述し、1の疑問の対応とした。また、2の疑問に関しては、私の間違いであることが判明した。電電虫さんのメールを読んだ後、中田町史 改訂版で確認したところ、電電虫さんの主張が正しいことが証明されたので、若狭土手と記述していたものを、相模土手と改めた。慶長十一年、洪水で困っていた里人たちのため、 伊達相模宗直 は相模土手を築いたのだが、その後、しばしば、相模土手が決壊したので、 伊達若狭宗貞 が相模土手を改修した。宗貞が築いた若狭土手は、この伝説の土手とは別のものである。


平成 17 年 7 月 31 日 ( 日 ) 掲載
平成 18 年 9 月 17 日 ( 日 ) 改訂
令和 8 年 2 月 22 日 ( 日 ) 改訂


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