伝承之蔵

お鶴明神 2
登米市/中田町浅水/上川面

   昔、この里に、伊藤某という長者が住んでいたのだが、その長者が、仙台藩から 相模土手 の改修工事を命じられたことがあった。このとき、その長者の下女の中に、お鶴という 南部 生まれの女性がいたのだが、ある日、改修工事で働いていた工夫たちが、「この土手の安全を永遠のものにするため、人柱をたててみてはどうか」と相談していたとき、たまたま、お鶴が仕事場に弁当をもってきたので、工夫たちが、「この里を洪水から守るために、人柱になってくれ」と、お鶴に頼んだところ、お鶴が、泣きながら、「里のためになるなら…」と言ったので、人柱として土手に生き埋めにされた。その後、里人たちは、お鶴のために祠を建てて懇ろに弔ったので、いつしか、里人たちは、この祠のことを、“ お鶴明神 ”と呼ぶようになったという。

参考 『 中田町史 改訂版 』
参考 『 日本の伝説(第W期)全10巻 40 宮城の伝説 』
現地で採集した情報


現地レポート

上の写真の赤い矢印が、お鶴明神。



これが、お鶴明神。 明治 十一年、未曾有の氾濫で土手の上を十五センチほど水が越えた時、「このままでは、相模土手が決壊してしまう」と思った里人たちが、“お鶴明神村内安全堤防安全”と書かれた紅白の旗を掲げて一心不乱に祈ったところ、不思議なことに、相模土手は決壊しなかったという。


これは、お鶴明神の説明板。



これは、お鶴明神の祠。



これは、お鶴の涙でできた、“お鶴の涙の池”。明治の初期に埋没していたものを、 平成 十年三月に復元した。また、この池は、“ 鶴ヶ池 ”とも呼ばれているのだが、中田町史 改訂版には、「…三坪ほどの池あり、鶴ヶ池と号しお鶴という女が飛び込んで死んだ池だと云い伝えているが、これは誤伝だと云う…」とあり、お鶴明神の伝説が誤伝されたと思われるのだが、お鶴という名前の別の女性の伝説である可能性もあるので、併記しておくことにする。


平成 18 年 9 月 17 日 ( 日 ) 掲載
令和 8 年 2 月 23 日 ( 月 ) 改訂


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