伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off ( 2013年 )


( 注意 )読んでいて分かると思いますが、この文章は、一切、校正されていません。ブログというよりもメモ帳です。




   新年、明けまして、おめでとうございます。旧年中は格別の御厚情を賜り、誠にありがとうございました。おかげさまで、伝承之蔵も今年で創業8周年を迎えます。本年も、変わらぬ御引き立ての程、よろしく御願い申し上げます。皆様の御健勝と御発展を御祈り申し上げます。

以上、「ビジネスマナーと基礎知識」の例文を丸写し。

  2013/01/01  





    先日、仕事でシャトレーゼ泉野村店という洋菓子屋に行ったのだが、その店は、Tさんという若い方が店長をしていた。私は、積極的に若者を登用することに賛成なので、特に驚きはない。当然、失敗することも多いだろうが、願わくば、その失敗を糧にして、T店長たちの若い力が育つことを望む。私たちのような年寄りが、「今までの経験からすると…」「これはこうするものだ…」などと口を出すと、ロクなことにならない。多くの失敗を経験させ、苦しみ悩ませて、若者たちが自分自身で答えを導き出すようにする。これこそが、若者たちを成長させる最善の方法であると私は信じている。私たち年寄りがするべきことは、「若者たちに、取り返しのつかない失敗をさせない」ことに尽きる。それ以外の若者たちの失敗は、私たち年寄りが、相手にペコペコ頭を下げて謝罪すれば済むのだから。

    とは言うものの、確かに、全てを若者たちに任せるのは勇気がいることである。また、少し間違えれば、私たち大人の責任放棄と解釈され、全ての信用を失うという危険性もある。以下は、山本五十六が好んで遣っていたとされる言葉である。 やってみせ  言って聞かせて  させてみて  ほめてやらねば  人は動かじ 。 話し合い  耳を傾け  承認し  任せてやらねば  人は育たず 。 やっている  姿を感謝で見守って  信頼せねば  人は実らず 。 この言葉は、上杉鷹山の「してみせて言って聞かせてさせてみる」をアレンジして発展させたものだとも言われているようであるが、その真偽は別にして、この言葉は物事の本質をついている。「言うは易く行うは難し」という声が聞こえてきそうだが、それならば、何を基準にして、どのように行動すれば良いのか教えてほしい。不満ばかり多く述べて行動しないよりは、失敗ばかりでも行動する方が、人生にとっては有益である。汗を流して努力していなければ、いくら不平・不満を述べても、誰も真剣に話を聞いてはくれない。一歩も前進することなく、時間だけが無駄に過ぎていくのみである。この場合、「山本五十六の言葉を胸に刻み、現実と戦いながら少しでも理想に近づく」というのが、現実的であろうか。因みに、山本五十六の言葉を、さらに発展させた言葉がネットに掲載されていたので、ついでに紹介しておきます。 やってみせ  言って聞かせて  させてみて  ほめてやっても  少しも動かじ 。


難シイ話ハヤメテ、ケーキ食エ。ウメーゾ、ホレ!  ( ^_^)=O☆((((((((●\(-_- )  ババア…


キャー、オイシイ〜!  q(≧∇≦*)    (*≧∇≦)p  本当ダ〜、ウメエ〜!

  2013/01/07  





    先日、パソコンの中のデータを整理していると、Asahiの“若武者”という商品の写真を見つけた。若武者とは、現在は販売されていないのだが、当時、Asahiが販売していた御茶のことである。若武者を見ると、いつも思い出すことがある。前の会社の同僚でTさんという若者がいたのだが、ある日、Tさんが、あおば通駅の前で配っていた試供品の若武者をたくさんもらってきたことがあった。そして、「駅前で御茶の試供品を配ってました。たくさんもらったんで、皆で飲みましょう」と言って配ったので、御茶を飲みながら、「若武者かぁ〜。美味しいね〜、この御茶」などと皆で話していた。その時、若武者を飲んだTさんが、「本当だ!美味いですね!この落武者!」と言ったので、そこにいた全員で、「これから売り出す商品に、そんな縁起の悪い名前をつけるかぁ!」とTさんを罵倒し、数分の間、皆でゲラゲラ笑ったのを覚えている。ただそれだけの話なのだが、面白かったので記述しておくことにした。


母:ン〜、ソレデ振リ仮名ヲフッタノカ…。  (ー.ー")     ヽ(`Д´メ)ノ  私:ソンナワケネーダロ!

  2013/01/12  





   昨年、一部の未完成の道が残ったものの、ほぼ全ての道が完成した。所有地の中の移動が容易になるまでに、3年もの月日がかかってしまった。作業をしている間、私は、自然の逞しさを身にしみて感じた。いくら根っ子を刈り取っても、直ぐに新しい芽が生えてくる。環境破壊に余念がない私たち人間が滅亡しても、自然は、たっぷりと時間をかけて確実に再生していくことであろう。私たち人間は、絶対に自然の力には勝てない。一時、勝ったように錯覚することはあるだろうが、長い時の流れの中では、私たち人間は、ゴミのような存在である。

道を整備する為に、先ず、硬い木を集めた。


簡易的な階段だが、有ると無いとでは大違いである。


所有地の中に、水が湧いている場所が多くある。湧いていると言うよりは、染み出していると言った方が正確であろうか。道がビショビショになってぬかるんでしまうので、最初は、「何でこんなところから…。邪魔な水だなぁ…」と思ったのだが、ふと、「一体、どのくらいの水が染み出しているのだろう?水量によっては使えるなぁ」と思い、池を作って水を溜めてみた。

池を作ってみると、結構な水が溜まった。これだけの水があれば、畑に水を遣ったり、手を洗ったりすることが出来るので、整備して利用することにした。因みに、現在、この池は無い。タンクを設置して水を有効利用することを検討中である。

下の段の平地までの道と階段が完成。


上の段の平地までの道と階段を整備する為、大きな丸太を運んで土留めをした。


下の段の平地から上の段の平地へ行く為の階段。


こんな感じ。


所有地の頂上までの階段を整備しようとしたのだが、矢印の丸太を運ぶのには苦労した。えらく重くて、動かすには動かしたのだが、最後には手の筋を痛めてしまった。先は長いので、無理は禁物である。

これは、所有地の頂上付近からの眺め。うひょ〜!良い眺め!疲れが吹っ飛ぶ!ここに机と椅子を置いて、この素晴らしい眺めを見ながら、休憩したり御飯を食べたりしているのだが、唯一の弱点が雨である。雨が降った時は、直ぐに頂上から一番下の平地に駆け下りて車に避難している。この場所にいると、山口素堂の「目には青葉  山ほととぎす  初がつを」という俳句が身にしみる。森・鳥のさえずり・温かい陽ざし・そよ風などを感じてリラックスしていると、人間も動物なんだということを実感します。動物が自然の中で生活していることは、至極当然なことなんですね。コンクリートに囲まれた仙台市街のマンションに住んでいること自体が、膨大なストレスになっているんだと思います。便利な生活環境に騙されて市街地で暮らしていますが、よくよく損得勘定をすれば、損をしていることは明白です。ん〜、帰りたくない…。

頂上付近は、こんな感じ。ここから100メートルほどで水源に至る。以前は、野バラが咲いているここを通らなければ水源に行けなかったので、水源に着くまでに野バラの刺でズボンがボロボロになってしまったこともあった。

いつもと同じ方法で水源までの道を整備。単純だが、この方法が最も簡単で確実である。


脇の斜面の土を崩して道を作る。


道が水源に到達。


階段を作って完成。


こんな感じ。この整備で水源まで容易に行けるようになり、機材の搬入や家で飲む為の水の輸送などが容易になった。やっと、野バラの刺に脅える生活から解放された。

最後に残ったのがここ。上の段の平地から沢に行く為の道の整備である。この道が完成すれば、全ての所有地の中の移動が容易になる。

以前は、こんなジャングルの中を行かなければならなかった。


経験がない方には分からないだろうが、このような獣道を通るのは、たいへん危険な行為である。視界が悪く、いつ蛇に噛みつかれるか分からないし、いつイノシシなどの野生動物に襲われるか分からないからである。市街地に住んでいる人間は、便利な環境を手に入れた半面、森に住むための感性を失ってしまった。そのため、適切な警戒感を持たないまま森に入ることになる。一方、野生動物は、厳しい環境で毎日の生活を送っている。これでは、毎日、武道の鍛錬を積んでいる武士と、農作業しかしていない農民兵が戦うようなものである。この3年間で私が自然から学んだことは、「出来るだけ危険な場所には近づかない」、「不幸にして危険な状況に遭遇したら直ぐに逃げる」ということである。

丸太がある場所が沢である。あそこまで道を整備すれば、道に関しては、取りあえず完成となる。簡易的に作った道なので、後で、ゆっくり時間をかけながら本格的に整備すればOK。

この丸太を道の整備の為に利用する。


丸太を並べて土留めにし、切株で丸太を支えた。あとは土で切株ごと埋めれば完成である。雪の時期がきてしまったので、昨年はここまでしかできなかった。今年、雪が融ける頃に作業を再開し、道を完成させる予定。

やっと道の整備の目途がついた。これで母の散歩コースが完成する。この円形の道を一周するのが、年老いた母の体力に見合う運動量なのである。上の図のように、春夏秋冬のエリアを作って、母が散歩をしながら、それぞれの季節のものを楽しめるようにしようと思っている。だが、母の散歩コースの為だけに闇雲に作ったわけではない。四季の循環から、人間の命の循環を表現しようと思っている。つまり、転生である。ここを散歩する者は、人生の春夏秋冬を巡って、また新しい命を授かり、再び巡り続けることになる。私は知っている。4年前に癌で死んだ父の為に、未だに、夜、母が独りで泣いていることを。「父の鎮魂と転生」と「母の長寿と心安らかな往生」を願いながら作業を進めていくつもりである。

  2013/01/17  





    先日、松島勝譜と松島図誌という書籍を買った。史料のコーナーにアップしましたので、興味のある方は御一読を。この書籍は、地理誌に分類されているようなのであるが、読んでみると松島の観光パンフレットとしても活用できそうである。当時は写真がなかったので、絵を使って、ありのままの自然を何とか伝えようとする努力が見える。情報伝達技術が未熟であった分、さぞや、昔の人たちの想像力をかきたてたことであろう。この書籍を読んでいる人が、日本三景の松島を想像しながらニヤニヤ笑っている風景が目に浮かぶ。この想像する力こそが、人間にとって大切なのだと思う。

    以前、私は、福祉関係の雑誌の東北常駐記者のアルバイトをしていたことがあったのだが、この書籍を読んでいて、岩手県のある福祉専門学校を取材した時の先生の嘆きを思い出した。その学校の遠足で、岩手山に行った時、頂上で生徒が、「な〜んだ、つまんない。写真と同じじゃん!」と言ったのだという。先生の嘆きは当然である。写真と同じということは、絶対にありえないのだから。そこに咲いていた植物の色は、濃かったですか薄かったですか?そこの土は、固かったですか柔らかかったですか?そこに吹いている風は、強かったですか弱かったですか?そこには、とのような虫たちがいましたか?そこは、とのような匂いがたちこめていましたか?その他にも、まだまだ感じたことがあるはずです。写真では知ることが出来なかった情報を、その生徒さんは、“その場所”で得ることができたはずなのです。

    確かに、昔の人たちには、科学的な知識はありませんでした。現在の私たちの方が多くの知識を持っています。しかし、科学的な知識がない分、現在の私たちに欠如している“感じる力”を持っていました。私たちが上記の絵を見ても、あまり感じることはないのかもしれませんが、昔の人が見ると、この絵から、潮の匂い・そこに暮らす人間の賑わい・身に受ける陽ざし等、色々なものを感じとったことでしょう。今と昔を単純に比較することは出来ませんが、時々、昔の人たちを羨ましく思う時があります。昔は、今よりも辛いことが多かったはずなのに、何故か、今の私たちよりも活き活きと生活しているように思えて…。

  2013/01/24  





    風邪をひいてしまいました…。因みに、私は、体調を崩しても、「もぅダメだぁ〜!」と我慢の限界がくるまでは薬を飲まない人です。自然治癒能力を高めると共に、体が薬に慣れてしまうのを防ぐのがその目的です。その為なのかどうかは不明ですが、偶に薬を飲むと一発で病気が治ります。

    どうしても我慢できずに薬を飲む時、いつも、私は、子供の頃に聞かされた御婆ちゃんの言葉を思い出します。その言葉は、私の母方の祖母の口癖で、私の母の口癖でもあります。「いいかい、良く聞くんだよ。医者が薬を4錠飲みなさいと言ったら、2錠だけ飲みなさい。医者が薬を3錠飲みなさいと言ったら、1錠だけ飲みなさい」と。

    未だに、この言葉の根拠は不明なのであるが、祖母と母の口癖に従って薬を飲んでも何の不都合もないので、この言葉は正しいということなのであろう。つまり、医者の言う通りに薬を飲んでいる人々は、“薬を飲み過ぎている”ということである。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2013/02/02  





   道が完成に近づき、所有地の中の移動が容易になったので、未使用の土地を開墾して蕎麦畑にすることにした。全く何も知らない素人なので、蕎麦を収穫できるのか不安であったのだが、皆が、「蕎麦なんて簡単だよ。種を蒔いて放置しておけば勝手に実がなるから」と言うので、それなら自分にも出来ると思い、挑戦してみることにした。

頂上付近に行く場所に蕎麦の畑を作った。


その為には、まず、この荒地を整備しなれば…。しかし、凄いねぇ〜、この荒れ具合…。


畑を作ったら、こんな感じになった。赤丸が畑。


ついでに、頂上付近も丸太で土留めして畑を作った。


これが、斜面の畑。


これは、頂上付近の畑。


蕎麦の種を買ってきて蒔いたところ、すぐに写真のようになった。


こんな感じて生長していく。


短時間でこんな感じに。


どんどん生長していく。


おぉぉぉぉ〜!


蕎麦の茎は弱いので、すぐに折れてしまう。


何も手をかけていないのに、どんどん生長していく。本当に素人でも簡単に出来るぅ〜!楽勝!楽勝!


頂上付近の畑に植えた蕎麦も立派に生長している。


これが蕎麦の花。


おぉぉぉ〜!これなら蕎麦の実がたんまり採れる。ちょうど、お隣のSさんが遊びに来たので、「Sさん、蕎麦の生長が順調なので、蕎麦屋でもやろうかなぁ」と相談すると、Sさんが、「あんたが蕎麦屋をやるなら、俺はコーヒー屋をやるよ」と言ったので、一気に話に華が咲いた。

フフフ…。金儲け、金儲け…。へへへ…。


ハハハハハ!いいぞ〜!もっと伸びろ!もっと実をつけろ〜!ところが…。


台風16号で全滅…。   (*°ρ°) ボウゼン…


あぁぁぁぁぁぁ…。


根元から折れてる…。


いっぱい実をつけてたのに…。


頂上付近の畑の蕎麦も全滅…。


はぁ〜、蕎麦の売り上げ金が…。いや、植物の尊い命が…。


  2013/02/08  





    昔、何かの講演の時に、“脳から言葉を吐き出す”という意味の“脳吐=ノート”を書くことを勧められたことがあった。「なるほど…、頭で考えたことを全て書き残すのも良いなぁ…」と思い、“徒然脳吐”と題したノートを書くことにした。先日、その徒然脳吐に、平成8年のNHK大河ドラマ「秀吉」の中の竹中半兵衛のセリフが書き写されていたのを見つけた。

古の兵法書に曰はく、「将たる者の器」。


腹黒き人を見分け、危機を未然に察知し、よく部下を統率す。これ未だ十人の将なり。

早暁より夜更けまで軍務に精励し、言葉遣いもいたって慎重である。これ未だ百人の将なり。

曲がったことを嫌い、しかも思慮に富み、勇敢にして戦う気力旺盛なれば、千人の将なり。

見るからに強く、しかも部下将兵の労苦を思いやる心を持てば、一万人の将なり。

有能なる人材を登用し、自らは日々怠りなく修養に努め、寛容にして仁義に厚ければ、十万人の将なり。

人々を慈しみ、信義を以て近隣諸国を臣服させる。これぞ天下万民の将たる器なり。


    この言葉が何回も何回も繰り返し脳吐に書かれていた。恐らく、当時の私に必要だった言葉なのであろう。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。因みに、この言葉の原典は、諸葛武侯心書の中の将器第五である。以下に画像を掲載するので、興味のある方はどうぞ御読み下さい。




  2013/02/20  





    私は、“突き抜けた人間”が大好きである。つまり、余りにバカバカしいことなのであるが、「お前が、そこまで言い張るなら許してやる」というラインを超えた人間のことである。私の友人Fの兄の話なのであるが、ある日、そのF兄が車で遊びに出かけた時、F兄が間違えて一方通行を逆走してしまったことがあった。その時、運悪く、向かいから車が進入してきてしまった。細い一方通行の道で、すれ違うことができなかったので、その車の運転手は怒って、運転席の窓から顔を出し、「一方通行だろ!早くバックしろ!こっちは仕事で来て、急いでるんだよ!」と叫んだ。当然、バックして戻るべきなのだが、F兄は逆ギレして、「そっちは仕事で来てるかもしれねぇけどな!こっちは遊びで来てんだよ!そっちがバックしろ!」と言い張り、とうとう、ちゃんと交通ルールを守っている相手の車の方がバックしてしまった。ただそれだけの話なのだが、面白かったので記述しておくことにした。

  2013/03/03  





    昔、誰かから、“馬鹿”という言葉の語源に関する話を聞いたことがあった。その話によると、お釈迦様の弟子にパーカーという者がいて、毎日毎日、来る日も来る日も、ただひたすら釈迦の屋敷の庭を掃除していた。ある日、パーカーが釈迦に、「私は、庭を掃除することしか能がありません。何のお役にも立てず、申し訳ありません」と言ったのだが、釈迦は、パーカーを無視して通り過ぎていった。その後も、釈迦はパーカーを無視し続けた。そんなある日、パーカーは、「なぜ、毎日、掃除しているのに、こんなに庭が汚れるのだろうか?」という疑問を持った。そして、「ハッ!そうか!もしかしたら、人間の心も、この庭と同じなのではないだろうか?毎日、掃除しなければ、人間の心も、どんどん汚れてしまうんだ!」ということに気づいた。ふと気づくと、後ろに、ニッコリと笑っている釈迦が立っている。そして、「その通りだ。掃除をすることによって、悟りを開いたではないか。お前は立派な私の弟子だ」と言って、その修行の成果を称えた。この話が日本に伝わって、“パーカー”が“パカ”となり、やがて“馬鹿”という言葉になって定着した。もともと、馬鹿とは、“ある一つのことしかできない”という意味ではなく、“一つの事を一生懸命にする”という良い意味で遣っていたという話であった。

    たいへん良くできた話ではあるが、どうも、この話は誰かの作り話のようである。馬鹿の語源に関しては諸説あるのだが、このような話は説としても無い。この話の真偽のみを議論するのであれば、この話をしている人間は嘘つきということになる。しかし、私は、この話の真偽を検証しようというのではない。私が注目しているのは、「なぜ、この根拠の無い作り話が、人々の間で語り続けられているのか?」ということである。恐らく、この話は一人の人間によって成立したものではない。つまり、この話の中には、人間が生きていく上で大切な要素、多くの先人たちのメッセージが“練り込まれている”ということである。私たちは、この話の“その部分”に魅せられるのであろう。多くの先人たちのメッセージが入った作り話が忘れ去られることがないように、ここに記述しておくことにする。

  2013/03/08  





    誰かから聞いた話である。昔、自分の希望する仕事に就職できず、嫌々、靴磨きを仕事にしている若者がいた。ある日、いいかげんに靴磨きをしている若者のところに、ある老人が靴を磨いてもらいにやってきた。

老人:「君のする仕事は雑だね」

若者:「こんな仕事を一生懸命やったって、しょうがないでしょ」

老人:「君の仕事は何だい?」

若者:「靴磨きだよ!悪いか!」

老人:「なら、靴磨きを真剣にやりなさい。そうすれば、誰も君を靴磨きのままでは終わらせない」

若者:「…」

    ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2013/03/16  





    私は、何らかの理由で死ぬことがない限り、今年で45歳になる予定である。最近、なぜ、若い時に、もっと旅をしておかなかったのだろうと、しみじみと思うことが多くなった。昔は、学校を卒業したら、直ぐに就職することが当然という時代であったので、そうしないと、“働きもしないで遊んでいる怠惰な人間”と評価されて軽蔑されたものであった。「アメリカなどでは、学校を卒業してから数年間、旅などをして見聞を広める人たちも多い」という話は聞いていたものの、「それは、アメリカでの話であって、ここは日本だから」と、未熟者のくせに、何の批判もしないで“常識”を受け入れていた。いや、分かっていたのに、知らないふりをしていただけかもしれない。なぜなら、当時、私の知り合いが、学校を卒業して直ぐに、2年半かけてバイクで日本を一周した時、私は、その話を羨ましそうに聞いていたからである。人間の幅が広くなった者に嫉妬し、その自由な生き方を羨ましく思った。つまり、人と違う生き方をして常識とやらから逸脱するのを恐れた臆病者だったのである。

    私は身体が弱いので、60歳まで生きられるかは分からないのだが、15年後に定年退職することになるので、退職したら直ぐに、47都道府県を全て旅しようと思っている。もちろん、その時、母が存命であれば計画は延期になるのだが。本来であれば、津々浦々まで見聞したいところなのであるが、時間的に不可能なので、各都道府県に約1ヶ月ずつ滞在し、重要文化財(主に建造物)、名所・旧跡、郷土料理などを中心に見聞しようと思っている。私は、何の資格も才能も無い低所得者なので、金銭的な余裕は無いのだが、細かいことを気にしない楽天的な性格という“最強の武器”を持っている。「細かいことまで考えていたら100年経っても旅立てない。行けば何とかなるんじゃな〜い♪」といった具合である。確実にあるのは、「自分が生まれた日本が、どういう国なのかを感じてみたい」という気持ちだけである。金銭的なことは日雇い労働をすれば済むし、宿泊は車で寝泊まりすれば済む。衣服の洗濯などはコインランドリーで済むし、風呂に入らなくて人間が死んだという話も聞いたことがない。

    私は、愛用のiPodにSHOGUNの“男達のメロディー”という曲を入れて旅立つつもりです。温泉と美味しい食事を楽しみながらの快適な旅ではないし、旅行会社が企画したような段取りの良い旅でもないけれど、素直に自分の気持ちに従った、本当に必要な旅になると思います。伝承之蔵に詳細なデータを残しますので、特に、若者たちに閲覧してもらいたい。そして、可能なのであれば、人間の幅を広げるために若いうちに旅をしてもらいたいと思います。温泉が好きなら温泉郷を中心に計画すればいいし、鉄道が好きなら鉄道を中心に計画すればいい。自分が本当にやりたいことをするだけで良いのです。若い時に旅をした場所を、定年退職してから、もう一度、旅するのも良いと思いますよ。数十年の経験があると、同じものを見ても、昔とは違った景色に見えるはずです。平成生まれの若者たちよ。昭和生まれのオジサンの生き方を見ていてください。馬鹿で、単純で、楽天的で、わがままで、諦めが悪いくせに、それでいて少しだけ寂しがり屋のオジサンの生き方を。この旅が終わったら、宮城県の民話の本でも読みながら、心静かに死ぬのを待ち、あの世とやらに行って御先祖様たちに逢ったら、どれだけ自分が人生を楽しんでから死んだのかを自慢してやろうと思います♪


男達のメロディー

歌手:SHOGUN     

作詞:喜多條忠     

作曲:CaseyRankin



走り出したら、何か答えが出るだろなんて、俺もあてにはしてないさ。してないさ。

男だったら、流れ弾のひとつやふたつ、胸にいつでも刺さってる。刺さってる。Uh…

Pick Up Your Head,Throw Away Your Blue's.
(そんなにふさぎ込まねえで、顔を上げろよ)

どうせ一度の人生さ。

The More You Give Babe,the Less You Lose yeah.
(おまえが失ったものより、あいつにしてやったことの方が多いじゃねえか。それで良いんだよ)

運が悪けりゃ死ぬだけさ。死ぬだけさ。




俺とお前は、まるで懐かしい友達さ。初めて出会った筈なのに。筈なのに。

明日も気がむきゃ、俺のそばに居てもいいけれど、俺のことにはかまうなよ。かまうなよ。Uh…

Pick Up Your Head,Throw Away Your Blue's.

どうせ一度の人生さ。

The More You Give Babe,the Less You Lose yeah.

運が悪けりゃ死ぬだけさ。死ぬだけさ。




お前が、この街、離れて行く気になったら、俺は微笑って見送るぜ。見送るぜ。Uh…

Pick Up Your Head,Throw Away Your Blue's.

どうせ一度の人生さ。

The More You Give Babe,the Less You Lose yeah.

運が悪けりゃ死ぬだけさ。死ぬだけさ。

  2013/03/30  





■従業員と会社(前編)■

    2008年6月12日、ワタミ株式会社に勤務していた森美菜さん(26歳)が、自宅の近くにあるマンションから飛び降り自殺をした。遺族は、自殺の原因が、長時間の深夜勤務や残業が続いたことにあるとして、横須賀労働基準監督署に労災の申請をしたのだが、横須賀労働基準監督署が、このことを原因として認めなかった為、遺族は神奈川労働局に審査を請求。2012年2月14日付で、やっと、神奈川労災補償保険審査官が労災の適用を認める決定をした。

    この決定に関して、ワタミの取締役会長である渡邉美樹さんは、自身のtwitter(2012年2月21日)で以下のように述べている。「労災認定の件、大変残念です。四年前のこと昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです」と。このtwitterの記事を見て激怒する方も多いと思うが、このような会社は昔からあったし、今後も直ぐに無くなることはないと思う。

    現在、ワタミが日本に存在しているということは、日本がワタミを必要としているからである。ワタミのウェブサイトによると、平成24年3月31日現在、ワタミの従業員数は、5730人とのことであるから、雇用に関しては、それなりの貢献をしているし、また、将来、自分の店を持った時の為に、過重な労働とは知りながらも、必死にワタミから経営のノウハウを学ぼうとしている者もいる。つまり、ワタミには、それなりの需要があるということである。

    特にワタミを擁護するつもりはないが、そのような状況を考慮せずに、仮に、ワタミを世間の激しい批判で倒産に追い込んだとしても、現在のワタミの従業員が苦しむだけで、他には何の意味もない。なぜなら、ワタミの替わりになる“そのような会社”は幾らでもあるのだから。ナンバーワンの会社が倒産すれば、ナンバーツーの会社がナンバーワンとなって、その体質を引き継ぐことになる。つまり、会社の名前が変わるというだけであって、その本質的なものは何も変わらないということである。同じような悲劇が何度も繰り返されるのは、本質を理解せずに表面だけを見ているからである。今回のような悲劇を繰り返さない為には、“従業員と会社”というものの本質を理解しなければならない。

  2013/04/08  





■従業員と会社(中編)■

    多くの会社が追求しているのは、第一に金銭的な利益であって、決して人間の幸福ではない。どんなに立派な経営理念を掲げていたとしても、多くの会社の実態は、その理想とはかけ離れているはずである。私は、前の会社に勤務していた時、協力会社として、ある大きな工場に配属になったのだが、その工場では、無駄を徹底的に排除する“トヨタ生産方式”を採用していて、従業員の歩幅まで厳密に計算して管理し、生産性の向上を目指していた。さらに、カイゼン(改善)と称して、蛍光灯の一本まで無駄にしないように従業員を指導していた。このような行為は、明らかに生産性の向上のみを目的としたものであり、決して人間の幸福を追求するものではない。「カイゼン…、カイゼン…」という言葉の響きが、ロボットの発する機械音のように思えたのを覚えている。

    ただ、多くの人間は労働をして金銭を稼ぎ、その金銭で生活しなければならない状況にある。その為、自分たちの生活を支えている会社が生き残るためには、世界との熾烈な競争に勝たなければならないので、従業員が、「過重な労働は嫌だが、この経済状況では、自分や家族の生活を守るためにやむを得ない…」と考えるのも理解できる。そのような状況が、より一層、この問題を複雑にしている。では、このような時、従業員には何が必要なのか?それは、揺るぎない“人生観”である。美菜さんのような悲劇が起こった時、過労自殺の部分だけが際立って報道され、会社が厳しい批判にさらされるが、実は、どのような会社なのかが問題なのではなく、自分がどのように考えているのかが問題なのである。

    私が、この工場の従業員であったら、迷わず退職しているであろう。トヨタ生産方式を確立した方たちは、「従業員の人間性なども考慮した上で、この方式を確立した」と主張するのであろうが、私には、このような方式を発想すること自体が信じられないことであり、私の人生観に照らし合わせると、誠に非人間的なことなのである。生活する為には金銭が必要なので、トヨタ生産方式も必要なことなのかもしれないが、どうしてそんなに金銭を追い求めるのかと疑問に感じる時も多い。「そこまでして世界との競争に勝って、何を得ようとしているのか?」「世界との競争に勝つと、本当に人間は幸福になれるのか?」など、次々に疑問が湧いてくる。因みに、現在、私は社会的な地位の低い低所得者であり、一般的には“負け組”とやらに分類されているようであるが、今の会社に満足しており、趣味の時間を存分に楽しんでいるので、十分に幸福である。

    美菜さんの悲劇は、自分の人生観と大きく異なる会社に入社してしまったということである。そして、まだ若くて十分に人生観が確立しておらず、ワタミを退職する決断が遅れた為、このような悲劇が起こってしまった。ワタミに残っている従業員は、その方の人生観に従って残っているのであって、他人がとやかく言うべきではないし、退職する従業員は、ワタミとは無関係になるので、ワタミを批判する必要もない。それぞれの人間が、自分の人生観に従って行動すれば、特に問題はないのである。確かに、このような悲劇を繰り返さない為には、ワタミの体質を批判することも大切ではあるが、もっと大切なのは、より一層の学問を積んで、自分の人生観を持つことである。ワタミのみならず、この世にあるものは全て、自分では想像もできないような微妙で複雑で精密なバランスの上に成り立っている。「物事の本質を見抜く目を養い、自分の人生観に従って生きる」。このことが最も重要なことであり、自分を幸福に導いてくれる唯一の手段であると私は信じている。

  2013/04/13  





■従業員と会社(後編)■

    伝説の探訪をしていた時、ある古老から次のような話を聞いたことがある。「昔は、休日なんてものは、ほとんど無かった。一ヶ月に一日だけ休日はあったが、身体が疲れきっていて、一日中、死んだように寝てたよ。週休二日だと?そんなもんあるわけねぇ!」と。会社というものは、従業員を酷使するものである。これは、今も昔も大きくは変わっていない。ただ、先祖たちの努力の結果、少しずつ良くなってきていることは確かである。しかし、忘れてはいけないのは、会社から給料をもらっているにもかかわらず、真面目に働かない従業員も多いということである。会社が厳しい状況にある時、会社を支えるどころか、ハローワークに行って次の会社を探している従業員もいる。このような従業員を信用しろといっても無理である。会社が一方的に悪いという場合もあるが、“お互い様”という側面も少なからずあるように思う。今現在、会社が従業員を酷使するのは、そうなるべき理由があったという側面も否定できないのである。

    将来、従業員と会社の関係が、適切なバランスを保てるようになるまでには、もう少し我慢が必要である。では、まだ人生観が成熟していない美菜さんのような真面目な若者たちには、そのような時がくるまで何が必要なのか?それは、「平気で嘘をつく醜さ」「自分の信念を曲げても平然としていられる変わり身の早さ」など、自分の身を守るための“醜い心”である。真面目な若者たちは、自分自身の心を汚す勇気を持たなければならない。そうしなければ、今を生き抜けないのであるから。少しだけでいいので悪い心も残しておくべきである。従業員を使い捨てにする会社に対抗できる者は、会社を使い捨てにする従業員しかいないのであるから。

    「強い者が生き残ったわけではない。賢い者が生き残ったわけでもない。変化に対応した者が生き残ったのだ」という言葉がある。この言葉は、ダーウィンが著した『種の起源』の一節とされているが、どうも誤りのようであり、ダーウィン自身の言葉かどうかも疑わしいようである。しかし、この言葉の意味するところが重要であることに変わりはない。現在の従業員と会社の関係に疑問を持ちながらも、現実を認識して適切な対応をし、しぶとく生きた者が生き残るのである。真面目な若者たちよ。長い戦いになるので、特に急ぐ必要はない。少しだけ醜い心を持ち続け、ゆっくりと腰を据えて現実と戦いながら、自分自身の幸福の形を模索しなさい。会社との関係を悩んで自殺しても、家族や親族が悲しむだけで、ほとんど状況は変わらない。自殺などせず、たとえ他人に笑われても、しぶとく生き抜いてもらいたい。真面目な若者たちよ。君たちは無限の可能性を秘めていて、その生きる道は無数にあるのだよ。その恵まれた環境を無駄にしてはいけない。私のように生きるべき道が限られているオジサンもいるのだから。

  2013/04/20  





    亘理町の伝説の編集が終了したので、今度は、大河原町を探訪しようと思い、“大河原のざっとむかし〜大河原の民話と伝説〜”という書籍を、大河原町教育委員会に購入依頼していたのだが、先日、その書籍が自宅に届いた。現在、その勉強に没頭している。大河原町は面積が狭い為、独自の伝説や民話が極端に少ないのだが、少ないながらも、「おっ!これは面白い」と思う伝説も幾つかあった。もっとも、私のする探訪は、伝説の追求のみが目的ではなく、古老から話を聞いて、その里の昔ながらの生活ぶりを感じることも目的なので、たとえ伝説の数量が少なくても、毎回、たいへん楽しみにしている。山には山の、海には海の、市街地には市街地の暮らしぶりあり。実際に現場に足を運んで、じっくりと古老たちの話を聞き、その里の気質を感じてきたいと思います。ということで、次回は大河原町の伝説を掲載することになります。一生懸命に下調べをしてから探訪しますので、大河原町の皆さん、どうか優しく迎えてやってください。

  2013/04/28  





    私の職場では、月に一回、建物周辺の清掃活動をしている。上の写真は、その時に集めたゴミを捨てる際の分別の表示である。“もえへんゴミ”。「人ほど可愛らしきものはなし」という言葉があるが、関西の方というのは、何とも可愛らしい人間である。人間なので、多くの悲しみを抱えているのであろうが、それでも楽しく生きていこうとする生命力を感じる。

    大阪鎮台の第四師団の中核部隊であった歩兵第八連隊に関して、次のようなフレーズが残っている。「またも負けたか八連隊。それでは勲章九連隊」(また八連隊は負けたのか。そんなことでは勲章はもらえないぞ)。商人気質のため金銭勘定が得意で、休みなく喋っていて、いつも笑っている。そのようなイメージがある為、実際には弱い連隊ではなかったにもかかわらず、このようなフレーズが、ある一定の信憑性を持ってしまったのであろう。

    昔、世間で爆弾事件が多発していた時、関西の方が、飛行機の中で紙袋を膨らませて客室乗務員に見せ、冗談で、「これは爆弾だ」と手でジェスチャーをしたところ、緊急着陸した空港で逮捕されたというニュースを見たことがあった。私と一緒にニュースを見ていた人たちは、「こんな時に不謹慎な!」と怒っていたが、私だけはゲラゲラ笑っていた。答えは簡単。「だって、それが関西人なんだもん」である。関西の方は、日本中どこに行っても関西弁を捨てず、その世界観は独特のものである。私のように常識が欠如している人間は、その独特の世界観に魅力を感じてしまう。

    私が今まで生きてきた中で、最も美しいと感じた言葉が関西弁(京都弁)であった。昔、京都に旅行に行ってバスに乗った時、満員のバスに御婆ちゃんが乗ってきたことがあった。私が、「お婆ちゃん、どうぞ」と言って席を譲ると、その御婆ちゃんは、「おおきに」と答えた。辞書的な意味での“おおきに”ではなく、生活の中で自然に遣われた“おおきに”は、とても美しく、たいへん感動したのを今でも覚えている。関西の方に限らず、他の方たちも、どんどん、お国言葉を遣って欲しいものである。自分が生まれ育った地域の文化を前面に出すことが真の交流であり、真の相互理解につながるのだから。


因みに、私なら上のような表示にしていたであろう。おぉぉぉ〜!これぞ、宮城と関西の融合!
フフフ…、勝ッタ…  ( ̄ー ̄)  ニヤリ!


ギャハハハ!  ソノ通リ!  (o_ _)ノ彡☆バンバン


  2013/05/14  





    先日、YouTubeで、スポーツ振興くじtotoのCMを見たのだが、なかなか印象に残る作品であった(削除されていなければ、ここをクリックして閲覧できます)。この作品に関して特に異論があるわけではないのだが、少しだけ補足的なコメントをしておこうかと思います。当該CMを見ないと読んでも分からないと思いますので、当該CMをダウンロードして御覧になってから以下の文章を御読みください(  ダウンロードする  )。「面倒だぞ!」と思った方は、ここで終了となります。お疲れさまでした。(⌒0⌒)/~~~バイバーイ!

    君は、監督に名前を呼ばれた選手を羨ましそうに見ている。君は、練習で一度もシュートを決められなかった。つまり、君はバスケが下手クソだということだ。試合中、選手交代させられて悔しい思いをしている選手は、その後も試合に集中していた。出場できなかった君の事など少しも考えていない。しかし、君は、そんな汗まみれの選手にタオルを渡そうとした。その弱さが、君のレギュラーへの道を阻んだ。君には、レギュラーになる為の決定的に重要な要素が欠けていたのであろう。でも、試合に出場できないって、そんなに大切な問題かい?部活でレギュラーだった人間は、卒業後、みんな幸福な人生を歩んでいるのかい?部活で補欠だった人間は、卒業後、みんな不幸な人生を歩んでいるのかい?限られた短い時間だけで物事を見てはいけない。昔、経団連の会長をしていた石坂泰三が、次のような言葉を残している。「人生はマラソンなんだから、百メートルで一等をもらったってしょうがない」と。

    君は、後輩にレギュラーの座を取られた時、嫉妬して後輩をイジメたのかい?自分の心に湧いてくる醜い心に打ち勝ったではないか。君は、補欠だったからこそ、できない人間の気持ちが分かる人間になれた。できない人間に優しい手をさしのべてあげられるは君だけなのだよ。レギュラーになれる人間はほんの一部だけであり、ほとんどの人間はなれない。でも、レギュラーになれなくても頑張っている君の姿を見て、「ああいう人間になろう」と思った後輩がいたかもしれない。君は立派な手本となって、後輩を育てたのだよ。君の努力は、ちゃんと報われているではないか。人を幸福にしているではないか。

    私は、今まで生きてきて、“努力が無駄になった”という状況を、一度たりとも、たったの一度たりとも見たことがない。ただ、自分が期待していた結果が得られなかった為、努力が無駄になったと誤解している人間は頻繁に見かける。しかし、それは、実際に自分が手にした結果を認識していないだけであって、しっかり努力は報われているのである。若者たちよ。今、君たちがしている努力は、必ず報われる。あと何十年かして君たちの寿命が尽きる時、最後に今日という日を思い出してほしい。その時、君たちは実感するであろう。あの日の努力は、決して無駄ではなかったのだということを。

  2013/05/28  





    先日、母と一緒に徳仙丈山を探訪したのだが、頂上から下りる急な坂道の最後で、突然、母が慎重に坂道を下りはじめた。私は、「ん?どうしたんだ突然?」と思ったのだが、すぐに、徒然草の第百九段の話を思い出した。

徒然草 第百九段
    高名の木登りと云し男、人を掟てて、高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危うく見えしほどは言ふこともなくて、下るゝ時に、軒長ばかりに成て、「誤ちすな。心して下りよ」と言葉を掛け侍しを、「かばかりになりては、飛び下るとも下りなむ。いかにかくはかり言ふぞ」と申侍しかば、「そのことに候。目くるまき、枝危うきほどは、をのれが恐れ侍れば、申さず。誤ちはやすき所になりて、かならずつかまつることに候」と言ふ。
    あやしの下臈なれども、聖人の戒めに叶へり。鞠も、かたき所を蹴出してのち、やすく思へば、かならず落つると侍るやらむ。
底本:新日本古典文学大系「方丈記徒然草」

管理人の口語訳
    ある日、木登りの名人として有名な男が、人に命じて木に登らせ、梢を切り落とさせていた。しかし、たいへん危険だと思われる時は何も指示を出さず、木から下りる時、軒の高さほどになって初めて、「怪我をするなよ!細心の注意を払って下りろ!」と指示を出した。その人が、「この程度の高さであれば、飛び降りても大丈夫です。なぜ、そのようなことを言うのですか?」と言ったところ、「お前の、その油断した心の事を言っているのだ。目が回るような危険な場所では、自分でも“ここは危険だ”と思っているから、十分に気をつける。だから、特に指示は出さない。しかし、怪我は、必ず、“もう安心だ”という場所で起こるものだ」と答えた。
    身分の低い者ではあるが、その心は、聖人の戒めにかなっている。蹴鞠も、難しい状況を乗り越えた後、「あぁ、上手くいった」と思った時に、失敗して鞠を地面に落としてしまうものだ。

    私が、この話を母にしたところ、徒然草に記述があることまでは知らなかったが、この話の内容自体は知っていた。昔の教育は、生活に則した実用的なものだったのかもしれない。古老たちの話を聞いていると、つくづく、そう思う。

    今日、NHKの“スタジオパークからこんにちは”という番組に、タレントのコロッケさんがゲストで出演していた。コロッケさんは、母親に教えられた“あおいくま”という言葉を、常に胸に刻んでいるという。 「 →焦るな    →怒るな    →威張るな    →腐るな    →負けるな 」。特に難しい言葉は無く、誰にでも理解できる簡単な言葉である。その簡単な一言が、コロッケさんの人生を支えている。人間の人生で本当に大切なものは、そう難しいことではなく、比較的に簡単なものなのかもしれない。現在の日本の社会の仕組みは、少し複雑すぎるのではないだろうか?昔は、もっと単純で理解しやすかった。昔の教育が全て正しいとは思わないが、昨今、軽んじられ過ぎていると感じる。

    教育基本法の改正などという難しい話をされても、必要なことだとは思うが、私のような無学な人間には、その意味がサッパリ分からない。そんなことよりも、日本国で、地域社会で、学校で、家庭で。それぞれが、それぞれにできる範囲で、人生で大切なことを、簡単に分かりやすく、粘り強く、子供にコンコンと説いていくことが重要なのではないだろうか。そうすれば、子供も賢くなるし、教えている大人にとっても勉強になる。「叱る先生(ひと)、叱られる生徒(ひと)も、叱る人間(ひと)」。私が、今から15年ほど前に詠んだ歌である。これこそが教育なのだと現在でも私は信じている。

  2013/06/12  





    先日、仙台市在住の方から、松島勝譜(明治41年10月1日発行)を寄贈していただいた。その方の話によると、「父親の遺品の整理中に発見したのですが、捨てるに捨てられず保管していました。私の家に置いていても、利用せず腐るばかりなので寄贈したい」とのことでした。父親の貴重な遺品を寄贈していただき、ありがとうございました。史料のコーナーにアップしましたので、興味のある方は御一読を。

    私が生きている間に、少なくとも、宮城県史・仙台叢書・各市町村史は全て掲載しておきたいものである。特に、仙台叢書は、現在、全巻揃えることがたいへん困難である。仙台叢書とは、仙台叢書(第1〜18巻)、仙台叢書 別集(第1〜4巻)、伊達世臣家譜(第1〜3巻)、伊達世臣家譜 続編(第1〜4巻)、封内風土記(第1〜3巻)、これらを合計した全32巻と仙台叢書刊行会趣意書のことをいう。仙台叢書が全巻揃えば、宮城県の歴史を研究する為の入口としては十分である。寄贈に頼るとは情けない話であるが、もし仙台叢書を所蔵していて利用していない方がいたら、揃っていなくてもよいので、伝承之蔵に寄贈していただけるとありがたい。私が責任を持って、必ず公開いたします。

    伝承之蔵は、現在、1ヶ月の閲覧者数の平均が、約7000〜8000人ほどです。多い時には、約12000〜13000人の方が閲覧しています。特に何か大そうな思想を持って始めたサイトではないのですが、いろいろな方が、いろいろな目的で利用しているようです。閲覧者数が多くなるということは、それだけ、サイトの社会的な責任が増すということです。私は、伝承之蔵を、宮城県の伝説を通して、宮城県の歴史を学ぶことができるサイトにしたいと考えています。

    歴史を学ぶことは大切なことです。歴史を知れば、その知識は、私たちの人生を豊かなものにしてくれます。歴史を学ぶと言っても、そんなに大げさに考える必要はありません。自分が興味を持ったものを、楽しみながら深く掘り下げるだけです。幸運にも、先人たちが、後世の人間が幸福になれるように、多くの書籍を残してくれています。私たちは、その書籍を利用して幸福になればいいのです。自分が興味を持ったことを死ぬまで追い続ける。心臓が止まる瞬間まで追い続ける。そして、自分が死ぬ時、先人たちから受け取った大切なバトンを、後世の人間が幸福になれるように、未来ある若者たちに渡す。ただそれだけのことで、特に難しいことではありません。


フフフ…、今デショ!  ( ̄+ー ̄)  キラーン

  2013/06/29  





    お久しぶりです。体調を崩しておりました。咳・熱・目まい・喉の痛みなど、夏風邪の酷さを体感いたしました。ひどいものですね。病院の薬を飲んで安静にしていても、治癒するのに一週間もかかりました。私は身体が弱いので、病気に感染しやすく治癒しにくいのです。数年前も、左の耳が突発性難聴になり、耳が聞こえなくなる寸前まで悪化しました。何とか少しだけ回復したのですが、耳鳴りが酷く、現在も他人の話が聞きとりにくい状態です。突発性難聴の特徴に関しては諸説あるのですが、私が通院した病院の先生の話によると、「この病気は繰り返す場合が多いので、覚悟しておいてくださいね」とのことであった。

    私は、昔、会社で意識を失って倒れたこともあります。その後、仙台厚生病院で心臓カテーテル検査をした時のことです。検査をしている先生たちの、「あっ!スモールだ!珍しいなぁ…」という会話が聞こえてきたので、私は、「え?他人のより心臓が小さいのかな?」と思い、ふと不安になりました。カテーテル検査後の先生の話によると、「心臓が小さいというわけではありません。ご存知のように、心臓は身体全体に血液を送っているのですが、あなたの場合、血液を送り出す心臓の血管の太さが極端に細いんです」とのことであった。私には、「なるほど…、私の心臓の血管には、そんな欠陥があったのか…」と、事実をそのまま受け入れることしかできなかった。

    私は、自分に関する病状は全て告知してほしいと考える人間なので、本当のことを全て話してくれた先生には、たいへん感謝している。その後も、自宅で二回ほど、突然、動悸が激しくなって息ができなくなり、目の前が真っ白になるという危険な状態があった。さすがに、その時は、「あっ!ダメだ…。死ぬ…」と思ったのだが、何とか心臓が持ちこたえてくれたので助かった。恐らく、将来、私は、心不全とか心筋梗塞とか狭心症とか、心臓に関係する病気で死ぬことになると思います。

    私の背後には、常に死神がいます。私の書く文章に“死の臭い”がするのは、このためです。死の訪れる時期は、その人によって違いますが、金持ちにも、貧乏人にも、社会的な地位を持っている人にも、社会的な地位が無い人にも、全ての人間に平等に訪れます。私たち人間は、死を拒否することはできません。“その時”が来たら、必ず、受け入れなければならないのです。だから、今を精いっぱい生きるのです。いつ死が訪れても悔いが残らないように。最後のその瞬間まで生き抜くのです。自然から与えられた、親から与えられた命を最後の最後まで大切に使い切るのです。いつ私の頭上に死が落ちるのかは分かりませんが、その時は、心静かに受け入れるつもりです。しかし、ただ一つ願いが叶うのであれば、母が往生した後であってほしい。年老いた母を残して私が先に死ぬのは、いかにも無念である。

  2013/07/25  





    以前、与五郎寿司さんから写真の寄贈を受けたのですが、フラッシュで写真を表示する方法が分からず不具合が生じた為、現在まで削除していました。改めてページを作成いたしましたので、興味のある方は、「宮城の古寫眞」を閲覧してください。上の写真は、その寄贈された写真の中の一枚です。昭和二十年七月十日、アメリカ軍によって行われた仙台空襲の犠牲者であると推量できます。右足は焼けただれていて、左足は不自然にねじ曲がっています。これが戦争です。

    軍人恩給や援護年金などの戦争に関する年金は、掛け金が無料で厚生年金・共済年金との併用もできるなど優遇されているので、批判されることも多いが、これらに対する過剰な批判は控えるべきだと思う。強制的に戦争に行かされ、他国で殺したくもない人間を多く殺し、仲間を殺され、片目を失ったり、片腕を失ったり、筆舌に尽くし難い苦痛を味わった仲間に対する年金である。財政が許すのであれば、できるだけの事をしてあげたいと私は考える。ただし、養子縁組をするなどして、軍人本人やその妻が亡くなっているにもかかわらず、不当に受給している者がいるとするならば、政府は、そのような者たちに対し、毅然とした態度をとるべきである。このような行為は、私たちの祖国である日本に対して、また、祖国の為に正義だと信じて戦い死んでいった者に対して、無礼極まりない行為である。

    軍人などの身分のあった者は、まだ恵まれている方である。上の写真のような仙台空襲で死んでいった庶民は、何の個人補償も無く、虫けらのように殺されていった。仙台空襲による死者は、統計の取り方にもよるが、千人とも三千人とも伝えられている。仙台空襲だけではなく、他の空襲で死んでいった庶民も境遇は同じである。祖国を同じくする仲間に対するこのような仕打ちは、許し難いものがある。太平洋戦争の評価は、数百年後の賢明な歴史家に委ねればよい。ただ、今できることも多いはずである。1万円でも1千円でも1円でもよいから、庶民に対して補償し、「日本国民に対して凄惨な苦痛を与え、不幸に導いた全ての責任は国にある」と謝罪することぐらいはできるのではないだろうか?政治家たちは、一体、何をしているのか。このような事があるたびに、礼記の苛政猛於虎也を思い出してしまう。

苛政猛於虎也
    孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聽之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。而曰、然。昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。夫子曰、何爲不去也。曰、無苛政。夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也。
出典:礼記 檀弓下

管理人の口語訳
    孔子が、泰山の近くの村を通りかかった時、墓に向かって泣いている婦人がいた。孔子は、僅かにこの泣き声を聞いたので、弟子の子路に、「あなたの泣き声を聞き、たいそう悲しいことがあったのだと感じました。いったい何があったのですか?」と婦人に尋ねさせた。すると、その婦人は、「はい、その通りでございます。昔、私の舅が虎に食い殺されました。その後、夫も虎に食い殺され、今回は、私の息子が虎に食い殺されました」と答えた。
    そこで、孔子が、その婦人に、「そんなに恐ろしい虎がいるのに、なぜ、あなたは、この村を去らないのですか?」と尋ねたところ、婦人は、「この村には、重税がないからです」と答えた。すると、孔子は、弟子たちに向かってこう言った。「お前たち。よく覚えておくんだぞ。重税などの痛みを国民に押しつける政治は、虎に食い殺されるよりも恐ろしいのだ」と。

    私たち庶民の多くは無学な人間である。政治・経済・国際情勢などに関しては、新聞・テレビ・ネットの報道に頼るばかりで、何一つ自信を持って“これが真実だ”と言えるものが無い。しかし、学問と経験を積んだ政治家たちは、“国家百年の計”を見据えて、私たち庶民を正しき方向に導く義務がある。だからこそ、政治家は、私たち庶民の尊敬を集める存在なのである。また、そういう存在でなければならないのである。どうか、視野が狭く、不平不満が多く、我儘で、特に進んで責任ある行動を起こすわけでもない私たち庶民を優しく包み込む度量を持って、堂々と自分の信念に従い、後世の人間から評価されるような政治活動をしてもらいたい。


上の写真は、仙台空襲を生き延びた仙台市民だと思われる。場所は不明。仙台の中心部は空襲によって壊滅的な打撃を受けたのだが、建物が残っているところから推量すると、仙台の郊外かもしれない。政治家の方は権力を持っている。その権力を行使すれば、簡単に人間を殺すことができる。だからこそ、慎重に権力を行使していただきたい。上の写真は、政治の恥である。

私の祖国である日本は、この旗の下で良いことも悪いこともしてきた。これからもいろいろな問題が起こると思います。それでも、私は日本が大好きである。この国に生まれて本当に良かったと思っている。

  2013/08/09  





    私は、昔から、暮露暮露(boroboro)というハンドルネームを使っている。「暮露暮露って何ですか?」という質問をされることが多いので、ここで少しふれておくことにする。暮露暮露とは、吉田兼好の徒然草の第百十五段に登場する人間たちの総称である。私は、その何とも言えない人間臭さが気に入っているので、長いことハンドルネームとして使っている。以下が、徒然草の第百十五段である。

徒然草 第百十五段
    宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品念仏を申けるに、外より入り来るぼろぼろの、『もし、此御中に、いろをし房と申ぼろやおはします』と尋ければ、其中より、『いろをし、ここにさぶらふ。かくの給は誰』と答ふれば、『しら梵字と申者也。をのれが師なにがしと申し人、東国にていろをしと申ぼろに殺されけりとうけ給しかば、その人に逢ひたてまつりて、恨み申さばやと思ひて、尋申なり』と言ふ。
    いろをし、『ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事侍き。ここにて対面したてまつらば、道場を汚し侍べし。前の河原へまいりあはむ。穴賢、わきさし達、いづ方をも見つぎ給ふな。あまたの煩ひにならば、仏事の妨に侍べし』と言ひ定めて、二人河原へ出合て、心行ばかり貫きあひて、共に死ににけり。
    ぼろぼろと云者、昔はなかりけるにや。近き世に、ほろしむ、梵字、漢字などいひける者、其始なりけるをや。世を捨てたるに似て、而我執深く、仏道を願ふに似て、闘諍を事とす。放逸無慙の有様なれど、死を軽くして、少しもなづまざる方、いさぎよく覚て、人の語りしままに書付侍る也。
底本:新日本古典文学大系「方丈記徒然草」

管理人の口語訳
    昔、宿河原という場所に、多くの“ぼろぼろ”という者たちが集まって念仏を唱えていた時、他の場所から来たぼろぼろが、「この中に“いろをし房”という者はいるか?」と尋ねたところ、あるぼろぼろが、「いろをし房ならここにいる。そう言うお前は誰だ?」と答えた。そのぼろぼろは、さらに、「俺は、“しら梵字”という者だ。俺の師が、東国で、いろをし房という者に殺されたと聞いたので、そいつに会って仇討がしたいと思って訪ねてきた」と言った。
    すると、いろをし房は、「よく訪ねて来た。確かに、昔、そんなことがあった。ただ、この場で決闘すると、道場(仏事を修する場)を汚すことになる。前の河原に場所を移そう。周りの方々!決してどちらにも味方するなよ!多くの方々に迷惑をかけることになると、仏事修行の妨げになるからな」と言った後、しら梵字と河原に行き、二人とも思う存分に戦い、刺し違えて死んだ。
    ぼろぼろという者は、昔はいなかったのであろうか?最近の“ほろしむ”“梵字”“漢字”などという者たちが、その初めなのであろうか?世を捨てているかのように見えて、自我に対する執着が深く、仏道修行を極めることを願っているように見えて、闘争をすることがある。欲望のままに振る舞って自分の悪行を恥じないのだが、死を何とも思わず、少しも生に執着しない姿勢が潔く思えて、人が私に話してくれたままを書きとめておくことにした。

    暮露暮露は、真面目なようで不真面目であり、不真面目なようで真面目である。また、周りの人間の評価を気にすることもなく、自由気ままに行動しているわりには、妙に一般的な道徳を重んじる時もある。“他人が決めた基準”ではなく、“自分が決めた基準”に従って行動し、その結果責任は全て受け入れる。自分の好きなように生き、そして死んでいく。何とも清々しい人生である。

    多くの人間は死を恐れる。死を恐れるあまり失ってしまうものも多い。しかし、暮露暮露は、多くの人間が恐れる死というものを恐れない。その為に得ているものも多い。死を恐れず、それを素直に受け入れる潔さは称賛に値する。とても普通の人間にはできないことである。多くの人間が生涯にわたって悩み続ける死という問題を、暮露暮露は、いとも簡単に解決してしまう。もしかしたら、このような人間こそ、最も優秀な人間なのかもしれない。徒然草の百十五段は、初めて読んだその日から、私の心をつかんで離さない。数十年が経過した今も同じである。

  2013/09/10  





    先日、家庭菜園をしていた時、突然、前に勤めていた会社の課長から聞いた話を思い出した。「手でするべきことを足でするようになっては、誰にも信用されない」というものであったのだが、面白い話だったので、二度と忘れないように記述しておくことにした。

    明治時代の日本画家である橋本雅邦さんの屋敷には素晴らしい庭があり、その庭の植木の管理は、ある一人の庭師に任されていた。ある日、庭師が、いつものように雅邦の屋敷に出勤すると、雅邦の夫人から、「『もう、あなたに庭の手入れを任せることはできない』と主人が言っていますので、お帰りください」と告げられた。庭師が、「なぜですか?」と聞いても、夫人は、「理由に関しては、私は何も聞いておりません」と答えるのみであった。それから、庭師は、毎日毎日、雅邦の屋敷に通い、「せめて、私のどこに落ち度があったのか、その理由だけでも聞いていただけないでしょうか?」と夫人に懇願した。すると、庭師が、何度も何度も謝っていることを聞いた雅邦が、その理由を夫人に話し始めた。「実は、先日、庭に面した部屋の障子の隙間から、あきれた光景を見た。あの男は、自分が剪定して地面に落した枝を、ほうきで丁寧に掃くのではなく、足でかき集めていた。手ですべきことを足でするようでは、もう、あの男を信用することはできない。人が見ていないと手を抜いたり、横着をしたりする者に、しっかりした仕事ができるはずがないのだ」と。この話を夫人から聞いた庭師は、自分のとった行動を深く恥じ、誠心誠意、夫人に謝罪した。やがて、その心が雅邦にも伝わり、許された庭師は、再び雅邦の屋敷の庭の手入れを任されるようになった。その後、生涯、この教訓を忘れずに仕事に励んだ庭師は、やがて、世の人たちに名人と呼ばれるほどの庭師に成長したという。

    自分の専門分野以外の事は別にして、自分の専門分野では絶対に手を抜かないで、自分が納得のいくまで徹底的に追求する。永遠に完成しないことを十分に知っているのに、それでも、少しでも完成に近づこうとしてしまう。世に一流と呼ばれる人間に共通していることだと思う。以前、アップル社の共同設立者の一人であるスティーブ・ジョブズさんの特集がテレビで放映されていた。アップル社が、パソコンの試作機を製作していた時、基盤を担当していた者が、スティーブに完成した基盤を見せにきたのだが、その基盤は、性能には問題がなかったものの、見た目が美しくなかった。その為、スティーブが、もっと見た目にも美しい基盤を作るようにと指示した。すると、その者は、「これはパソコンの基盤だぞ。性能が良ければいいじゃないか。これから鉄の箱の中に入れるのに…。こんなもの誰も見ないよ。いったい誰が見るっていうんだ?」と言った。するとスティーブは、こう言って怒鳴ったという。「俺が見るんだよ!」と。

  2013/09/14  





    今も昔も公衆便所には落書きが絶えない。悪意ある個人情報の漏洩と思われる落書きなど様々なものがあるが、そのほとんどは、読む価値がないものである。しかし、私には、一つだけ強く印象に残っている落書きがある。昔、急な腹痛で公衆便所に駆け込んだことがあった。「ん〜!漏れるぅ〜!」と心の中で叫びながら、急いでズボンを下ろして用を足し、「はぁ〜、間に合った…」とホッとして目の前の壁を見ると、そこに次のような落書きがしてあった。「おぉ、よく来たな。まぁ、ゆっくりしていけや」と。公衆便所であることを忘れて大笑いしてしまい、便所を出る時、その場にいた人たちに気味悪がられてしまった。不意を突かれたとはいえ、便所の落書きを読んで大笑いするとは、暮露暮露、一生の不覚である。  o( _ _ )o〜†パタッ。  この“便所の落書きの奇襲”事件は、私の心を深く傷つけた。ただそれだけの話なのだが、今後の戒めにしようと思ったので記述しておくことにした。

  2013/09/23  





    今から9年前、株式会社楽天野球団が東北楽天ゴールデンイーグルスを立ち上げる際、私は、その協力会社の一員として仕事をしていた。上の写真は、イーグルスの初代監督である田尾安志さんの真新しいユニホームと荷物である。当然、無断撮影なのであるが、もう9年も前の事なので時効が成立していると思って掲載した。 今年、イーグルスは初優勝を決めたのだが、ここで少しだけ立ち止まって過去を省みるのも良いのではなかろうか。イーグルスの誕生は、2004年6月の大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併問題に端を発している。初期のイーグルスの選手は、バファローズの選手とブルーウェーブの選手とが微妙に入り混じった混合チームのようなものであった。半分は新球団だったが、残りの半分はバファローズとブルーウェーブの歴史を引き継いだ球団で、決して純粋な新球団ではなかったのである。この複雑な“新球団”の面倒をみたのが田尾監督であった。“寄せ集め集団”と揶揄されて笑われながらも、田尾監督の忍耐のおかげで、何とか球団としてヨチヨチ歩きを始めることができた。私は特に野球に詳しいわけではないが、イーグルスに関して心に残った三つの出来事を以下に記述してみることにする。

@  9年前、初めてイーグルスが本拠地の仙台で試合をした日、私は、関西弁で話している若者たちと会話をする機会に恵まれた。私が、「そうですか。大阪の出身なんですか。それはまた遠いところから…。どうしてイーグルスのファンになったんですか?」と聞くと、その若者たちは、「僕たち、近鉄のファンなんです」と答えた。その若者たちは、まだ応援の素人であるイーグルスのファンたちに応援歌の歌詞カードを配り、「次は、○○選手です。歌詞カードの○○番の応援歌ですので、僕たちと一緒に歌ってください。お願いいたします」と丁寧に頭を下げていた。自分たちも試合を観たかったのであろうが、他のイーグルスのファンの為に汗まみれになって応援してくれた。もしかしたら、イーグルスは、近鉄の匂いのする応援を引き継いでいるのかもしれない。イーグルスの複雑な成立過程の縮図を見たようで、今までで最も印象に残っている出来事である。

A  2005年5月17日、イーグルス対スワローズの交流戦で、「あなたのおかげで僕達のイーグルスは生まれた  ありがとう古田  〜東北楽天ゴールデンイーグルスファンより〜」という横断幕が掲げられた。当時、プロ野球の12球団を10球団に整理して1リーグ制にする案があったのだが、選手会の会長をしていたスワローズの選手である古田敦也さんらが猛反対した結果、どうにか現在の体制が維持されることになった。その為、バファローズとブルーウェーブが合併した後にできた、残り1つの枠でイーグルスが誕生したのである。球団数を整理する方向に進んでいれば、イーグルスが存在することはなかった。古田さんだけではなく、他の多くの人間が獅子奮迅の奔走をしたからこそ、今年、イーグルスは優勝できたのである。ここで、もう一度、その人間たちに感謝するべきではなかろうか。そもそも球団が誕生していなかったら、優勝する可能性は0%なのだから。これは、決して忘れてはいけない出来事である。

B  2011年3月11日14時46分頃、後に東日本大震災と呼ばれる国難が日本を襲った。前の会社の同僚であるNさんの息子さんが、関東エリアで中古車の会社を経営しているのであるが、震災後、その息子さんが、当時、イーグルスの選手であった山崎武司さんに関して、Nさんに次のような話をしたという。その話とは、「震災後すぐに、山崎武司さんが自身の所有する高級車を売却し、その全額を被災地に寄付した」というものであった。ただ単に野球をして高額な年俸を稼ぐのが目的の人間なら、このような行為はしないはずである。山崎選手の心の中に、様々な想いがあったのであろう。つまり、野球というスポーツを媒介としてイーグルスと繋がり、イーグルスを媒介としてファンと繋がり、ファンを媒介として地域の人間と強く繋がったということである。この出来事は、地域密着が成功しているという1つの証拠になると思われる。

    これらの人間たちの行為に共通していることは、「自分の為もさることながら、自分の知らない誰かの為に行動する」という精神である。イーグルスの初優勝を祝うならば、同時に、このような人間たちへの感謝の気持ちも思い出さなければならない。そして、どれだけ多くの人間たちに支えられて優勝できたのかを、もう一度、心に刻むことが大切である。確かに、世の中には、自分の為だけに行動している人間の方が多いのかもしれない。しかし、残念なことに、そういう人間は、自分の持っている能力を十分に発揮できていないような気がする。先ずは、自分の為に行動する。しかし、時には自分の事を後回しにしても、自分の知らない誰かの為に行動する。そのような人間の方が、より自分の能力を発揮しているのではなかろうか。不思議なもので、自分の事を後回しにしてまで他人の為に必死に行動している人間を見ると、人は、「都合よく使われやがって…。馬鹿な奴だ!」と思いながらも、その人間の為に何かしてあげたくなるものである。この二つの想いが重なった時、人間は信じられないような底力を見せることになる。

東北楽天ゴールデンイーグルスを支えている全ての人間に贈ります。初優勝、おめでとうございます。そして、上の写真の時の心を忘れずに、次の高い目標に向かって再び頑張ってください。

  2013/10/07  





   最近、私の所有する山の土地の周辺で、イノシシの被害が多発しているらしく、周辺の自治会から、イノシシの被害を防ぐために、防護柵を設置させてほしいとの連絡があった。同時に、柵を設置する場所の草刈りに協力してほしいとの連絡もあったので、「まぁ、無料で設置してくれるのだから悪い話ではないなぁ」と思い、草刈りをすることにした。設置する場所は、上の図の通りである。私の所有地・Sさんの所有地・Mさんの所有地・Oさんの所有地を全体的に柵で囲むという計画である。自治会の方から、「急いでいるので、二週間ほどでやってください」との要請があったので、「全体的に囲うのか…。かなり広いなぁ…。でも、イノシシの被害が無くなるなら良いか…」と思い、草刈りの計画をたてていると、「やっぱり、明後日までに終わらせてくださいね」との追加連絡があった。「え?ずいぶん急だなぁ…。誰が中心になって計画を進めているんだろう?」と思い、いろいろな人に聞いてみたのだが、誰が中心なのかサッパリ分からなかった。 そこで、“私が勝手に責任者と思っている方”に電話して、「急には無理ですので、もう少し時間をください」とお願いし、了承を得た。この話を母にすると、「ハハハ!田舎なんだから、そんなものよ。怒らない、怒らない。悪気はないんだから」とのこと。どうも、田舎では、その場の雰囲気で何となく物事が決まってしまうらしい。特に怒っているわけではないが、後々のトラブルを避ける為にも、もう少し各所に話を通しておいた方が良いと思うのだが…。という事情で、豪雨という最悪の天候の二日間、ずぶ濡れになりながら、一気に低木と雑草を刈った。

これが防護柵。自治会の方たちが設置してくれる。この柵で私の所有地を囲んでくれるらしい。何ともありがたい話である。

自治会の方たちが作業しやすいように、広めに低木と雑草を刈った。


もはや、立派な道である。自治会の方たちが十数人で作業するので、これぐらいは必要である。


低木をバッタバッタと薙ぎ倒す。倒した低木は、薪にしたり杭にしたりする。また、雑草は集めて燃やし、畑にまいて肥料にする。決して自然破壊ではない。全て使い尽くすので御心配なく。

下り坂もなんのその。柵を設置する自治会の方たちの苦労は、こんなものではないはずである。


しかし、さすがに斜めの作業は苦しかった…。


バッタバッタと薙ぎ倒す。フフフ…、柵ができたらイノシシの奴、驚くだろうな…。さんざん荒らしやがって。へへへ…。

おっ、何か…。映画「となりのトトロ」のメイちゃん(4歳)の迷子のシーンみたい。


あっ!メイちゃ〜ん!


メイちゃ〜ん!もう大丈夫だよ〜!


ゲッ!「となりのトトロ」は25年前の映画だった!長年の迷子のストレスでこんな姿に…。かわいそうなメイちゃん…。

数日後、自治会の方から、「柵の設置を中止します」との連絡が入った…。理由は、“材料不足”と“全ての土地を囲うのは面倒”とのことであった。私は、「そ…、そんな理由で中止に…。事前に知ることができた情報なのでは…。本当に100%行き当たりバッタリだったのか…。冗談のような話だ…」と思ったのだが、母はゲラゲラ笑っていた。しかし、その後、この“道”が重要な役割を果たすことになった。この草刈りは無駄にはならなかったのである。今後、しばらくの間、山の土地の話を掲載するので、詳しい話はその時に。

  2013/10/22  





   早いもので、山の土地を購入してから4年が経過した。思えば、冬の寒い日は震えながら焚き火で暖をとり、雨が降った時は車の中に逃げ込むという状態だったので、よく諦めないでここまで整備したと我ながら感心する。しかし、急ピッチで荒地を開墾し、“人間ブルドーザー”と呼ばれた私も、最近、体力が低下していることを実感する瞬間が多くなり、「あぁ…、俺も歳なんだなぁ…」と思うようになった。そこで、所有地内の道の整備なども目途がたったので、これからは、気力と体力のバランスをとる為に、自然の生活を楽しみながら開墾を進めようと思う。と言っても、自然の生活を楽しむために何をすればいいのか分からないので、とりあえず、六畳のプレハブ小屋を建てて休憩できる場所を確保したのだが、ただプレハブ小屋を建てても風流ではないので、プレハブ小屋の前に池を作ることにした。

これは、水源から流れてくる水。この水を拝借して池を作ることにした。


赤丸が今まで流れていた水路。その左が、今回、池を作る為に作った水路。


やっと水路が自分の所有地に到達!赤丸が水路。その前の平らな土地にプレハブ小屋を建てる予定。


これは、山から見た風景。赤丸の場所にプレハブ小屋を建てる予定。


プレハブ小屋が完成!


これが、プレハブ小屋。これで休憩する場所ができた。


北側と東側は陽が当たらないので窓をつけなかった。


これが内部。南側と西側は陽がよく当たる。


最近のプレハブ小屋の完成度の高さには驚いた。もうひとつプレハブ小屋を隣に建てて通路で繋ぎ、“宇宙の家”みたいにして、風呂とトイレを作れば生活できそうである。私のハンドルネームをとって、このプレハブ小屋を、“暮露暮露庵”と命名した。風流な庵にするぞ〜!ん〜、興奮するぅ〜!

これは、暮露暮露庵の基礎を作る時に掘りだした木材。


この切り株も。まだ、こんなものが埋まっていたとは…。


ちゃんと雨樋もついている。


せっかくの雨水を無駄にするのは、もったいないので、新しく作った水路と合流させて、池に流すようにした。


こんな感じ。


下の赤丸の場所に池を作る予定。上の赤丸は、地下にパイプを通して埋め、平地にする予定。


こんな感じ。ん〜、「気力と体力のバランスをとる」と言っておきながら、結局、いろいろ動き回ってしまう…。というわけで、次は池の話を掲載します。

  2013/11/02  





   前回は、暮露暮露庵の話をしましたが、ただ実用的というだけでは趣がないので、池を作ることにした。今回は、その池の話です。ついでに、ウッドデッキも作ってしまいました。

池を作るといっても、どうやって作ればいいのか分からなかったので、いつもの通りガムシャラに体を動かした。とにかく、どんどん掘り進む!何も考えずに掘り進む!何をすればいいのか分からなかったら体を動かす!頭の中だけで考えない!うぉぉぉぉぉぉ〜!しかし…、なぜ右回り?

さすがに、“石山=いしやま”と呼ばれている山だけあって、石がゴロゴロ出てきた。


あぁぁぁぁぁぁ〜!疲れた!穴掘りがこんなにキツイとは思わなかった!


まだ、たったこれだけ…。


サスペンスドラマで、頻繁に登場するこのシーン。いつも、「なぜ犯人は、もっと深く掘らないんだろう?深く掘って埋めれば発見されないのに…」と思っていた。しかし、自分が穴掘りをしてみて、その答えが分かった。答えは簡単、たいへんだから!スコップを地面に刺した瞬間、カチッと音が鳴って石に当たる。そして、時間をかけてその石を掘った後、再びスコップを地面に刺すと、今度は切り株や丸太に当たる。石・切り株・丸太などを掘りだすのは時間がかかってたいへんな作業。だから、急いでいる犯人は、時間的に深く掘れないのである。サスペンスドラマも、結構リアルに制作されているんだなぁ…。

こんなに土が…。


池の水を空にした方が作業しやすいと思って水を堰き止めていたのだが、実は逆であった。ただ土を掘るのは、たいへんキツイ。そこで、堰き止めていた水を池に入れて、土を柔らかくすることにした。

池を水で満たしてから作業開始。確かに泥は水分を含んでいるので重い。しかし、泥の方が石などは掘り起こしやすい。

また夏が来てしまった…。草ボウボウ…。


まるでジャングル…。この時期が一番いやである…。


掘り進んでいくと、多くの地下水脈を掘りあてた。


赤丸が地下水脈。一つ一つの水量は少ないが、全ての水を合わせると、結構な水量になる。


雨が降ると、その後、数日間は水が染み出してくる。所有地内に何ヶ所もそういう場所があるので、その一つ一つから染み出す水を一ヶ所に集めて、その水を池に流すことにした。

こんな感じ。水の音が心地よい。おぉ、いよいよ風流になってきた。この池の周りに石垣を作ろうとしたのだが、掘り出した石だけでは足りないので、もっと多くの石を確保してから作業を開始しようと思う。因みに、石垣の作り方は、“野面積み=のづらづみ”にする予定である。

石垣の作り方には多くの方法があるのだが、野面積みとは、ほとんど加工していない不揃いな形の石を積み上げていく方法のこと。上の写真の赤線の左側がそれ。因みに、赤線の右側は、“切り込み接ぎ=きりこみはぎ”という方法。切り込み接ぎとは、方形に加工した石を密着させて積み上げていく方法のこと。

私の所有地内には、この時期、いろいろな種類のキノコが生えている。危険なのでキノコにだけはノータッチなのだが、美味しそうなので、毎年、食べたくなる衝動にかられる…。

暮露暮露庵ができて休憩できるようになったのは良いのだが、庵に入る時、いつも母が段差につまづく。そこで、段差を無くすようにウッドデッキを作ることにした。

新しく材料を買うのも勿体無いので、水源の近くに建てた東屋を解体してその木材を再利用することにした。しかし…、草ボウボウでどこにあるか分からない…。

おっ!発見。


この木材を再利用する。


東屋の屋根も、この有様…。


これらの木材と切り株も再利用する。


東屋の基礎になっていた切り株を再利用。


木材もバラバラにして再利用。


ウッドデッキの基礎が完成。


あとは、一枚一枚、釘で打っていくだけ。


完成!新しく買ってきた木材を二枚たして広くした。


二枚分の基礎は、池を作った時に掘り出した石を利用。


池の周りが草ボウボウなので草刈りをした。


こんな感じ。


母が、完成したウッドデッキを30秒ほどジッと見つめた後、振り向いて、不安そうに私にこう言った。「これ…、本当に乗っても大丈夫なの?」。大丈夫だよ!おめ〜の為に作ったんじゃね〜か!

おぉ〜!少しずつだが、風流になってきた!


大蛇が這っているように見えるので、“大蛇の池”と命名した。


お隣のSさんが、「これ余ってるから、何かに使って」と言って、立派な木材をくれた。


早速、ウッドデッキと地面の段差を解消した。


おぉ〜!完璧!というわけで、次は庵の周辺の整備の話を掲載します。


  2013/11/12  




暮露暮露庵が完成して休みながら作業ができるようになったので、庵の周辺を整備して庭を作り、自然を楽しめる空間を作ることにした。

お隣のSさんから立派な木材をいただいたので、斜面に段々畑を作ることにした。


いつもの通り、先ずは掃除から。昔、誰かから、「何をすべきか迷ったら掃除をしろ」と言われたのが、未だに頭に残っている。因みに、私は無精者なので、いつも部屋は散らかった状態である。

上の段の畑が完成。


こんな感じ。


これは、畑を上から見たところ。地面を掘ったら水が染み出してきてしまった。このままでは畑が水浸しになってしまうので、水路を掘って水を逃がすことにした。

どんどん水が染み出してきたので、私もどんどん水路を掘った。


掘っても掘っても水が流れてくるので、結局、大蛇の池まで掘って、池にジョボジョボ。疲れた…。


下の畑が完成。


母が、「せっかく作ったんだから、使わないともったいない」と言って、ダイコン・カブ・ホウレンソウ・コマツナの種をまいた。

こんな感じ。


草ボウボウで、お隣のOさんとの境界線が分からなくなったので、境界線の周辺を整備することにした。


水が染み出して池のようになっている場所がある。


おっ!イモリだ!この池に住民がいたとは。住民税・固定資産税・都市計画税は、一括払いがお得です♪


むむ…、少しだけ水が染み出している…。


ここも…。


ここもだ…。ん〜、さてと…、どうしようかな…。このままだと、いくら道を整備しても、常に泥だらけの道になってしまう…。

数本の棒を立てて、境界線が分かりやすいように黄色い糸で棒と棒を結んだ。これで境界線が明確になった。


境界線の周辺を掃除していたら、太い枝がゴロゴロ出てきた。


大きな石もゴロゴロ出てきた。


おぉ〜、何とか境界線あたりの全体像が見えてきた。


これが全体図。


池のようになっている場所は、まとまった水があるので利用価値があるが、A点・B点・C点の、“少しだけ染み出している”というのは利用価値が低くて困る。そこで、“暗渠=あんきょ”してA点・B点・C点の水を一点に集めることにした。

暗渠には様々な意味があるのだが、私の言う暗渠とは、地下に水の通り道を確保し、その上に土をかぶせて地面を有効利用するという意味である。上の図のようにすれば、C点に溜まった一定量の水を利用できるし、地面も泥になることなく有効利用できる。

A点・B点・C点から染み出している水を、赤丸のパイプからのみ出るようにする。


赤丸は、B点とC点を結ぶ暗渠。


こんな感じ。A点とB点を結ぶ暗渠も同じ要領でする。


最後に土で埋めて、暗渠が完成!


おぉ〜!これで水が染み出してくることがなくなった!


パイプから水が出てきている。ふふふ…、フフフ…。暗渠が成功した証拠じゃ〜。ん〜、この水を何に使おうかなぁ〜。

パイプと地面との間に落差があるので、急きょ“鹿威し=ししおどし”を作ることにした。池のある庭といえば鹿威しという安易な発想である。上の図は、ネットの情報をまとめたもの。簡単にできそうに書いたが、頭の中で理解することと、実際に作ることとは別の問題である。人間は失敗を繰り返して大きく成長する。先ずは失敗を恐れずに行動し、それを諦めずに続けることである。初めて鹿威しを作るので、失敗して当然。初めから上手くいくほど、世の中は甘いものではない。

ところが、初めてなのに簡単にできてしまった…。エッ!  w(°o°)w  世ノ中ッテ甘イノ?


これは、鹿威しを上から見たところ。急きょ作ったので、ひん曲がっている。まぁ、細かいことは気にしない気にしない。

鹿威しの“カコ〜ン”という音は、竹の堅さや石の置き方などで決まる。値段の高い竹を使えば良いということでもないし、立派な石を使えば良いというわけでもない。因みに、私が作った鹿威しは、ホームセンターで買った一番安い竹であり、石は、そこらへんの土から掘り出したものである。それでも、カコ〜ンという良い音がする。カコ〜ン!おぉ〜、風流ぞな風流ぞな。カコ〜ン!ん〜、興奮するぅ〜!

染み出す水の量は、その時の天候に左右される。晴れの日が続けば一滴も出ないし、雨が降ればその逆である。因みに、鹿威しを作った時は、1秒に一滴のペースで水が出ていて、約7分に一回のペースでカコ〜ンと鳴っていた。

ところが、カコ〜ンと鳴った後の、鹿威しの水の逃げ道を作り忘れていたので、鹿威しの下が水浸しになってしまった…。

急きょパイプを使って水の逃げ道を確保した。


鹿威しは働き者で、24時間365日、休みなく働き続けるので、水量は結構なものである。一回、カコ〜ンと鳴ると、約120ミリリットルの水が溜まるので、1秒に一滴の水が染み出すと仮定すると、7分で約120ミリリットル、1時間で約1リットル、1日で約24リットルの水が溜まる計算になる。このままでは、また地面が水でビショビショになってしまう…。

そこで、上の図のように、パイプを使って水を逃がすことにした。


石を利用して、水が地面に染み込まないようにした。


パイプの中を、シャ〜と水が通る。


そして、大蛇の池に、ジョバジョバと流れる。


こんな感じ。カコ〜ン、シャ〜、ジョバジョバ。


水が染み出さなくなったので、安心して階段を作れるようになった。


最後は、水が染み出して池のようになっている場所である。


3メートルのパイプを買ってきて…。


繋いで繋いで繋いで〜♪


大蛇の池に流す♪最後だけ、何故か和風。ウフッ♪


こんな感じ。


  2013/12/05  





   私の母は、来年で80歳になる。歳も歳なので、「体を動かすのも、かなり厳しいだろうなぁ」と思い、暮露暮露庵を建てて、休憩しながら山での生活を楽しんでもらうことにした。以前、母が、「花でも植えて楽しみたい」と言っていたのを思い出し、今回、花壇を作ることにした。今年は間に合わなかったが、来年の春には、母が花を植えてその生長を楽しみ、疲れたら庵で新聞や本などを読みながら、ゆっくりと山での生活を楽しむ姿を見られるであろう。

水が染み出していた場所を暗渠したため、その上に余った丸太を利用して花壇を作れるようになった。


こんな感じ。赤丸の部分のスペースがもったいないので、さらに余った丸太で花壇を作った。


こんな感じ。


上の写真は、ドクダミ草の根。前述の二つの花壇を作った場所には、ドクダミ草が繁茂していた。ドクダミ草は薬用などに利用されているが、その繁殖力は流石である。とにかく強い。広範囲に根が張っていたので、掘っても掘ってもドクダミ草の根であった。この繁殖力を見ると、先人たちが薬用に利用した気持ちが理解できる。何となく効きそうだもん。

水が染み出さなくなったので階段を作ったのだが、赤丸の部分のスペースがもったいないので花壇を作った。


こんな感じ。


まだ沢の整備を始めたばかりの頃、大きな一枚岩のあたりから石がゴロゴロ出てきた。


これが、その石。この中で面白いと思った石があったので、前回、掲載した段々畑の上の段に置いてみた。


これがそれ。この三つの石は、寄り添うように埋まっていた。まるで、家族が寄り添うように埋まっていたので、それぞれを、“父の石”“母の石”“子の石”と命名して安置することにした。

これが、父の石。重心が低くて大きい。どっしりと構えている。


これが、母の石。一見すると線が細いが、足がとんがっていて地面にしっかりと根を張り、凛として美しく構えている。

これが、子の石。ふふふ…、小さいくせに、胸を前に突き出し、自分を大きく見せようとしている。フフフ…。


父の石を一番手前に配置。母の石を次に配置。そして、一番奥に子の石を配置する。同じく、父の石を一番高くし、母の石を次に高く、そして、子の石を一番低くする予定である。これは、家族の在り様を示している。しかし、決して、昔の家父長制度に戻そうというのではない。これは、家族内の最低限必要な秩序である。子は両親の言葉に従い、母は父に尽くしながら子を守り、父は母に貢ぎながら家族を守る。ただし、“従う”と言っても絶対服従という意味ではないし、“尽くす”“貢ぐ”と言っても悪い意味で遣っているのではない。何らかの事情で、「父がいない・母がいない・子がいない」という場合を除いて、「父はドンと構えて動かず、母は凛として優しく、子は未熟ながらも必死に親についていく」という家族であって欲しい。そのような家族が日本に1つでも増えて欲しい。そういう願いを込めて、この三つの石を、この場所に祀ることにした。

余談ではあるが、石は重い…、たいへん重い…。石が置いてある沢から段々畑までは、デコボコの道で約70メートルあるのだが、やっとの思いで運んだ。疲れた…。かなり疲れた…。しかし…、私の所有地がグーグルの地図で、こんなにはっきりと確認できるとは。かなり前の画像ではあるが、すごい技術である。これでは、うっかり立ち小便もできない。

ん〜、立ち小便も監視される時代が来るのかなぁ…。世の中ますます住みにくくなるねぇ…。


おぉ〜!少しずつ形になってきた。次に赤丸の部分を整備した。


この部分。


どうせ何か植えるのであれば、花を観賞できて実も取れる物が良いと思い、梅を植えることにした。ホームセンターで、甲州小梅・南高梅・白加賀・豊後の4種類を買ってきたのだが、従業員さんの話によると、「南高梅・白加賀・豊後は花粉を飛ばさないので、花粉を飛ばす甲州小梅を2メートルほど離して植えてください」とのことだったので、上の図のように植えた。これで甲州小梅が飛ばした花粉を南高梅・白加賀・豊後が受粉できる。

先ずは穴を掘って…。


梅を植える。


これが、甲州小梅。花粉をバンバン飛ばす。


これが、南高梅。


これが、白加賀。


これが、豊後。


来年は、梅の花を観賞し、取れた実で梅酒をつけようと思う。ん〜、楽しみだぁ〜。


  2013/12/22