戸倉の長者

   昔、旭屋敷という屋敷があった。 そこに住んでいた 長者 は、たいへんに裕福で、殿様よりもよい生活をしていた。 その資産は、十 が、金銀財宝でいっぱいだったという。 “十の倉”が“十倉”になり、さらに“ 戸倉 ”となって、そこの地名になった。

   住んでいた屋敷も、まるで、城のようであったという。 屋敷の周りには堀をめぐらし、表門・裏門には、堀に 釣り橋 をかけて、 番兵 もいた。長者が外出する時には、大勢の番兵が警護につき、その行列は見事だったという。

   しかし、ある夜、 未曾有 の大津波が戸倉を襲った。屋敷・堀・倉…、すべてが、一瞬にして海の中に消え失せてしまったという。

参考『 本吉町誌U 』

独自に、現地で採集した証言



“ 戸倉の長者 ” 写真館

この写真では、見にくいが、いちばん奥が戸倉磯。 昔は、戸倉磯まで歩いて行けたという。しかし、どのくらい前の話なのかは不明。 戸倉磯のあたりに、旭屋敷があったという。
白大丸黒大丸 の周辺を戸倉磯という。 現地の古老に聞いた「オキノウスイソ」「ナカイソ」「ウスイソ」というのは、 現地で遣われている言葉で、地図では、すべてを含めて牛磯となっている。

左の矢印が、黒大丸。右の矢印が、白大丸。 この周辺は好漁場で、 海藻 ・魚・ 海栗 などが豊富に獲れる。 ここで獲れる海産物は、十棟の倉が、すぐにいっぱいになることから、 戸倉磯と呼ばれたらしいと、現地の古老が言っていた。 そちらの 命名 の方が、自然だと思う。
本吉町誌Uには、「 最近ホヤ採り潜水夫が戸倉付近の海中で、 城郭の石垣と思われる大きな石を積み重ねたものが、 現存しているのを見つけたと、案内者(平田某)が言っています。 石垣の高さは五メートル位で、頑丈にできているということです 」とある。 この話が、事実なのか確認したいが、少々、困難である。 船をもっていて、この話に興味がある方、メールください。
平成17年10月10日(月)掲載