大島分断

   昔、大きな津波が大島を襲い、島は三つに分断されてしまった。 その津波は、田中浜から浦の浜へ、小田ノ浜から 浅根浜 へと抜けていった。


   津波が抜けた後、島内で 灯火がともって いたのは、 休石 にあった、一軒の屋敷だけだったという。
参考『 大島誌 』

現地で採集した情報



“ 大島分断 ” 写真館

これが、休石の全景。休石は、光明寺の東側の地域。 昔、仙台藩主が大島に来たとき、ここで休憩した。それで、休石と呼ばれるようになったという。
未確認だが、休石には、“ 船こぼれ ”と呼ばれている畑があるという。 昔、津波で、船が、その畑まで押し上げられたので、そう呼ばれるようになったという。
これが、竹の下の全景。 “ 竹の下 ”という地名は、もともとは、“ 鯛の下 ”という地名であった。 昔、津波が抜けた後、木の枝に鯛がささっていたので、そう呼ばれるようになったという。
これが、 合柄 の全景。 “ 合柄 ”という地名は、もともとは、“ 合殻 ”という地名であった。 昔、津波が抜けた後、大量の 牡蠣 の殻が、うちあげられたので、そう呼ばれるようになったという。
平成17年10月25日(火)掲載