猿の婿入り

   昔、佐平という男がいた。ある年の春、 日照り 続きのため、田植えをすることができず、 里人 たちは困っていた。佐平も、水のない田の前で、 茫然自失 となっていた。するとそこに、一匹の猿が近づいてきた。そして、「 佐平さん。 あなたの娘を嫁にくれたら、田を水でいっぱいにしてあげますよ 」と言った。このままでは、 佐平の家族は全員が 飢えて 死んでしまう。佐平は、 断腸の思い で、猿の提案を受け入れた。次の日の朝、佐平の田だけ、水が満々としていた。

   佐平には、三人の娘がいた。この話を長女にしたところ、 「 誰が猿の嫁になんかいくものですか! 」と言って、断った。次女も、同じように断った。 しかし、末娘は佐平の心を思い、承知した。

   結婚式から数日後、末娘と猿は、 里帰り することになった。末娘は猿に、「 里帰りの時、 婿 殿は、 を背負うものですよ 」と言った。猿は、言われるままに杵と臼を背負った。

   光明寺 までくると、 綺麗 な藤の花が咲いていた。末娘は猿に、「 あの綺麗な藤の花の枝を、 両親に持っていってあげたい 」と言った。すると猿は、「 なぁんだ。 そんなの簡単だよ 」と言った。猿が、杵と臼を背中からおろそうとすると、末娘が、 「 杵と臼を地面につけるのは、 縁起 が悪いからやめて 」と言ったので、猿は、重い杵と臼を背負ったまま、木に登った。末娘は、 「 もっと上の枝がいい… 」と言いながら、猿を、どんどん枝の細いところへ登らせた。 そして、とうとう枝が折れて、猿は、杵と臼を背負ったまま、堤の底に沈んでいった。
   その時、末娘は次のような句を詠んだという。

さがし 猿の命は惜しくない、親のなげきはお いとし や。 ( 今、夫である猿が危険にさらされているが、その命が失われても、残念だとは思わない。しかし、親が悲しんでいる姿は、気の毒で見ていられないことです )

参考『 大島誌 』

現地で採集した情報



“ 猿の婿入り ” 写真館

現在、猿が沈んだという堤はない。 堤の名は、“ 浦の沢堤 ”といった。
これが、光明寺。この光明寺の 山門 の近くに、 亀山 から流れてくる小川がある。そのあたりを浦の沢といった。そこにあった堤だから浦の沢堤と呼んだ。
これが、光明寺の山門の近くを流れる小川。このあたりに堤があった。
平成18年1月24日(火)掲載