唐島

   大島の 田中浜唐桑 半島との中間に、小さな島がある。昔、この島の 帰属 をめぐって、大島と唐桑との間で紛争があった。その後、唐桑の“唐”と、大島の“島”をとって、“ 唐島 ”と呼ぶようになったという。


参考『 大島誌 』

現地で採集した情報



“ 唐島 ” 写真館

これが、唐島。唐島の 由来 については、次の三つの説がある。

@ 昔、この島の帰属をめぐって、大島と唐桑との間で紛争があった。 その後、唐桑の“唐”と、大島の“島”をとって、“唐島”と呼ぶようになった。

A 唐の船が 漂着 したので、唐島と呼ぶようになった。

B 昔、大島は、中国と貿易をしていた。その取り引きの場所が、この島だったので唐島と呼ぶようになった。

@〜Aに関しては、特に説明は必要ないであろう。問題は、Bである。最初は、 Bの可能性はないと思っていたのだが、調査していくうちに、おもしろいことがわかった。
古老の話によると、大島には“小野寺”という姓と、“村上”という姓が多いという。 小野寺は、大島の 土着 の里人。村上は、 村上水軍 の子孫だという。 村上水軍の技術力があれば、行動範囲は、かなり広かったのではないかと思われる。

また、大島の北部には 金鉱 があって、昔、金を 精製 していた。現在も、金の精製跡が残っている。

さらに、 白幡万五郎 という漁師が、唐島の周辺で網を引いたところ、中国の 古銭 が、たくさんかかったという。この件に関しては、白幡万五郎の子孫の方に確認がとれた。 確かに、中国の古銭を発見したという。

村上水軍の技術力。金による経済力。中国の古銭の発見。 これらのことを考えると、貿易をしていたとまでは言えないが、中国とは、 何らかの関係があったものと推測できる。@〜Bは、すべてに可能性がある。または、 その他のCというのが正解かもしれない。
平成18年1月25日(水)掲載