ケサランパサラン

   嘉永 五年、この里で 猟師 をしていた“ 斉藤幸作 ”という者が、 岩倉神社境内 で、ある を見かけた。その狐が去っていく 様子不審 だったので、その狐がいた場所に近づいてみると、真っ白な 毛玉 があった。

   幸作は、この神社のあたりに 棲んで いる狐を撃たないようにしていたので、「 そうか、 恩返し のつもりか。なかなか、 義理堅い やつらだな 」と思い、猟師をやめる 決心 をした。

   そんなある日、突然、 白鬚白髪白装束 の老人が幸作の家に来て、「 あの白い毛玉は、“ ケサランパサラン ”といって、 白粉 が好きなんだ。女性だけしかいないときには、決して出してはいけない 」とだけ言って、すぐに帰っていったという。

参考『 気仙沼市史 Z 民俗・宗教編 』

現地で採集した情報



“ ケサランパサラン ” 写真館

これが、岩倉神社の 鳥居

階段をのぼっていく。

すごい杉が並んでいる。

さらに、階段をのぼる。

これが、岩倉神社の 拝殿

これは、拝殿の入口。戸が開かなかったので、外から撮影した。
ん? フラッシュするの忘れた…。もう一回。

おぉ〜! 恐! 人間がいるのかと思った! 心臓がとまりそうに…。
これが、岩倉神社の拝殿の内部。

これが、岩倉神社の 本殿

これは、岩倉神社からの風景。

これは、気仙沼市史 Z 民俗・宗教編に掲載されているケサランパサランの写真。赤丸が、ケサランパサラン。 気仙沼市史 Z 民俗・宗教編には、「 最知荒沢の斉藤良二家にあるケサランパサランは、小箱の中に白粉を入れて所蔵している。箱の には『 嘉永五壬子年三月十二日最知邑梅ノ木幸作 』と記され、これを見付けた年月日と発見者である斉藤家〈 梅ノ木 〉の先祖の名がわかる 」とある。
いったい、この伝承に出てくるケサランパサランとは、何なのか? 気仙沼市史 Z 民俗・宗教編には、「 その後、岩倉神社の祭典日である旧暦三月・六月・九月の二五日には 神棚 に上げて 拝み 、そのうちには祭典日に街道に出して参詣者に拝んでもらい、いつのまにか 養蚕 の神様として知られるようになった 」とある。今回は、時間がなくて、実際に、ケサランパサランを見ることはできなかった。ある 古老 の話によると、ケサランパサランが話題になったとき、たくさんの人が、「 見せてくれ! 見せてくれ! 」と言って、斉藤家に来たので、斉藤家では、長い間、多くの来客の対応に 苦慮 したという。そのため、現在、ケサランパサランは非公開になっているとのことであった。ちなみに、ケサランパサランは、“ 生毛玉 ”とも呼ばれている。
平成22年10月9日(土)掲載