三尺左吾平 |
天保 年間、この里の茂庭家に 仕えた 足軽 に、田中三平という者がいた。三平の身長は、わずかに、 三尺三寸 だったので、 里人 からは、“ 三尺左吾平 ”と呼ばれていた。 三尺左吾平は、いつも、その小さい体には 似合わない 、 五尺 もある刀を腰にしていた。そして、町の中を歩くときには、刀の 鐺 に 戸車 をつけ、「 カラリン、コロリン。カラリン、コロリン 」という音を鳴らしながら、 闊歩 した。 茂庭家の剣術 指南番 である小沢民弥の 弟子 で、将来を 嘱望 されていた三尺左吾平は、 俊敏 な動きと 才知 に 優れて いて、 据え物斬り と 早斬り に関しては、 天下一品 であったという。 参考『 鹿島台町史 』
現地で採集した情報
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