三尺左吾平

   天保 年間、この里の茂庭家に 仕えた 足軽 に、田中三平という者がいた。三平の身長は、わずかに、 三尺三寸 だったので、 里人 からは、“ 三尺左吾平 ”と呼ばれていた。

   三尺左吾平は、いつも、その小さい体には 似合わない五尺 もある刀を腰にしていた。そして、町の中を歩くときには、刀の 戸車 をつけ、「 カラリン、コロリン。カラリン、コロリン 」という音を鳴らしながら、 闊歩 した。

   茂庭家の剣術 指南番 である小沢民弥の 弟子 で、将来を 嘱望 されていた三尺左吾平は、 俊敏 な動きと 才知優れて いて、 据え物斬り早斬り に関しては、 天下一品 であったという。

参考『 鹿島台町史 』

現地で採集した情報



“ 三尺左吾平 ” 写真館

鹿島台町史には、「 茂庭家に伝わる絵図面に、『 左吾平屋敷 』がある。 鹿島台保育所のあるあたりのようだ 」とある。赤丸が、鹿島台保育所。
1944年には、 榎本健一 が主演する「 三尺左吾平 」という映画も製作されている。ウェブサイト「 ニュース和歌山 」の画像を引用させていただきました。

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平成18年3月17日(金)掲載
平成21年12月2日(水)改訂