鹿岩丈右衛門と“ おきの ”の悲

   明治十二年、全国的に コレラ が流行したとき、 木間塚 の里にも、数名の死者がでた。

   そのとき、この里の 世話人 だった 鹿岩丈右衛門 は、コレラに感染した者の家を訪れ、里の 防疫励んだ

   しかし、不幸なことに、世話人の丈右衛門がコレラに感染してしまった。さらに、丈右衛門の妻、 “ おきの ”も感染してしまう。“ おきの ”は、明治十五年八月三十日、丈右衛門は、 同年九月一日に死亡した。

   全国的に嫌われた病気であったため、二人の遺体には誰も近づかなかった。その後、心ある数人によって、 葬式だけはすませたという。

参考『 鹿島台町史 』

現地で採集した情報



“ 鹿岩丈右衛門と“ おきの ”の悲 ” 写真館

これが、鹿岩家の墓。鹿岩丈右衛門三十七歳、鹿岩おきの三十二歳であった。
鹿島台町史には、「 鹿岩丈右ェ門は明治十五年八月三十日、おきのは九月一日、 … ( 中略 ) … 死亡した 」とあるが、鹿岩家の墓には、 鹿岩丈右ェ門は明治十五年九月一日。“ おきの ”は明治十五年八月三十日と刻まれている。 墓に刻まれた日付が誤っている可能性もあるが、おそらく、町史の誤りであろう。
これが、鹿岩家の墓がある、 慈明寺

これが、慈明寺の本堂。

平成18年3月17日(金)掲載