甘酒地蔵

   文治 三年、 源義経一行 が平泉に向かう途中、この里に来たところで夕方になってしまったため、 野宿 をすることになった。このとき、 北の方 は、 亀若丸出産 して間もなかったので、 家来 たちは、北の方の体を 気遣い を刈り集めて、仮の 座所 を設置した。

   一方、 を集めるために森に入った家来たちは、その森に 棲んで いる猿の に出会った。家来たちは、その猿たちの 首領 に、「 現在、われわれが、このように 困窮 しているのは、次のような事情があるからだ。それは… 」と、義経一行の悲しい事情を話した後、集めた薪を持って帰った。

   その夜、 法螺を吹き 鳴らし、 松明 をかざした大きな地蔵が、「 義経殿!義経殿! 」と叫びながら、材木を 担いだ 小さな地蔵たちを引き連れてきた。そして、その地蔵たちは立派な堂を 建立 し、堂の中に義経一行を 招いた 。堂の中では 宴会催され甘酒 などがふるまわれた。

   次の日の朝、義経一行は、地蔵たちに、「 お地蔵様たちに守っていただいたので、昨夜は安心して眠れました。ありがとうございました 」と言って感謝した。 ところが、義経一行が旅立とうとしたとき、そこに地蔵たちの姿はなく、あの森の猿たちの群が 整然 と並んで義経一行を 見送って いた。このとき、義経一行は、昨夜の 歓迎 は、猿たちの 慈悲 であったことを知る。

   猿たちの首領は、「 猿も人間と同じように、出産のときには、かなりの 苦痛 があります。その苦痛を何とか 取り除いて いただけないでしょうか 」と言い、 土下座 して義経一行に 懇願 。猿たちに 同情 した 弁慶 が、 呪文唱えて 安産 の神を 勧請 し、その堂に地蔵を 祀った 。その後、その猿たちが地蔵を管理し、いつも甘酒を 奉納 していたので、いつしか、 里人 たちは、この地蔵を、“ 甘酒地蔵 ”と呼ぶようになったという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 甘酒地蔵 ” 写真館

47号線に、上の写真のような案内がある。

トンネルへと進む。

なぜか、トンネルの中は 水浸し だった。このトンネルを抜けると…。
えっ!!!

何度も地図を見たのだが、ここは道のはずである。しかし、実際は川の状態に近い。このようなことは 想定 外だったので、何も準備してこなかった…。よって、今回は、甘酒地蔵の撮影を 断念 した。ん〜、「 県境の短いトンネルを抜けると川であった… 」( 川端○成『 雪国 』より引用? )
平成19年8月28日(火)掲載