千貫森の財宝

   昔、この里の 尿前関所 を通過して、しばらく行くと、 頻繁盗賊出没 する場所があり、多くの旅人たちを悩ませていた。その盗賊たちは、自分たちの アジト石室 を作り、旅人たちから 略奪 した財宝を隠した。その財宝の重さが 千貫 になったので、盗賊たちのアジトがある森は、“ 千貫森 ”と呼ばれるようになる。しかし、三百年ほど前、この盗賊たちは、“ 千願坊 ”という 修験者呪われて 、全員が死亡してしまった。

   この盗賊たちは、財宝を隠している石室の前に、 目印 として 白南天 の木を植えていた。里人たちは、この白南天の木を発見して石室に入り、盗賊の財宝を自分のものにして 長者 になることを夢見るようになる。

   ある日、この里に住んでいた、“ 孫六 ”という者が、山仕事で千貫森に登ったところ、 綺麗山百合 が咲いていて、良い香りを 漂わせて いた。「 綺麗な山百合だなぁ。そうだ、ここで 休憩 するか 」と言って、休んでいたところ、ふと、あたりを見ると、白い実をザクザクとつけた白南天の木を発見した。

   孫六は、「 おぉ〜!これは、伝説の白南天の木だ!やったぁ〜!長者になったぞ! 」と 歓喜 して家に帰り、家族全員に 鋤鍬 を持たせて、再び、その場所に行ったのだが、白南天どころか山百合もなくなっていたという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 千貫森の財宝 ” 写真館

この伝承の後も、同じようなことが何回も 繰り返された らしい。 太平洋戦争 前にも、この伝承を信じた者が、一週間も白南天を探し続けたのだが、とうとう発見できなかったという。
この伝承の千貫森は、現在の鳴子公園のことなのだが、今でも、鳴子公園のどこかに財宝が埋まっていると信じている 里人 もいるという。上の写真は、鳴子公園。
これは、鳴子公園からの風景。

これが、尿前の関跡。近くにあった説明文には、「『 おくのほそ道 』の紀行文には、… ( 中略 ) …『 尿前の関にかかりて、出羽の国に越んとす此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて漸として関を越す 』… ( 中略 ) … と記述している 」とある。 松尾芭蕉河合曾良 も恐れるほど、 取り締まり の厳しい関所だった。
尿前の関の一部が 復元 されている。

上の写真の場所には、下の写真のような建物があったらしい。
これは、江戸時代末期ごろの尿前の関の想像図。

平成19年8月29日(火)掲載