三条宗近と小狐丸

   昔、 一条天皇 が、国の 繁栄 と国民の幸福を 祈願 するために、 伊勢神宮銘刀奉納 しようとしたことがあった。一条天皇は、この奉納する予定の刀を“ 小狐丸 ”と 命名 して、 三条宗近鍛錬 するように命じた。

   天皇の命令を受けた宗近は、良質の鉄と水を探して、この里にたどり着いた。すぐに、宗近は、小狐丸の鍛錬を始めたのだが、毎晩、 の鳴き声に悩まされ集中することができなかった。そこで、宗近は、鉄で 雌雄 二体の 金蛇 を作って、神に、「 どうか、蛙を黙らせてください 」と祈願したのだが、まったく 御利益 がなかった。

   落胆 した宗近が、ある静かな山に移って、再び、小狐丸の鍛錬を始めたところ、 念願叶って 、最高の銘刀を鍛錬することができたという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 三条宗近と小狐丸 ” 写真館

宗近が、この里を去った後、 里人 たちは宗近を 偲んで 、宗近が小狐丸を鍛錬した山を、“ 三条山 ”と呼ぶようになった。上の写真が、三条山。 この三条山に関して、鳴子町史 上巻には、「 …、南の山麓台地を三条平と呼んだ。 台地の登山口には、駒止観音堂や薬師堂が建立され、また才の神が祀られている。 鍛冶場跡は羽黒平のほぼ中央部で、…( 中略 )… の石の御堂が建立され、不動明王像( 石像 )が祀られてある 」とあるが、すべて未確認である。現在、調査中。
鳴子町史 上巻には、「 蛇体を鋳たホド跡に御堂を建立し、清水の湧く小沢を鍛冶谷沢と呼び、清水にはしめ縄を張って常には使わず、正月の若水のみを汲んだ。後年この小沢を中心に村落が開け、鍛冶谷沢を称するようになったという。この地は今の川渡中学校の西裏の地である 」とある。 上の写真が、川渡中学校の西側。現在、川渡中学校は、大崎市立鳴子中学校となっている。この記述に関しても、すべて未確認である。現在、調査中。
平成19年9月6日(木)掲載