弁天淵の河童

   昔、この里を流れる 江合川 の“ 弁天淵 ”という の近くに、“ 山太 ”と“ 千代 ”という夫婦が、貧乏ではあったが、幸せに生活していた。ところが、千代が 絶世 の美女であったため、弁天淵に 棲んで いた 河童 が千代のことを好きになり、何とか自分の妻にしようとするようになった。

   ある日、千代が、弁天淵に 洗濯 をしにきたとき、河童は、「 よし!チャンスだ! 」と言って、いつも、山太が着ている 変身 して、淵の に巻かれて浮いて見せた。これを見た千代は、蓑を拾い上げようとして、蓑に手を伸ばした。 すると、河童は、「 よし!もらった! 」と叫んで、千代を淵の底に引きずり込んだ。

   田の仕事から家に帰った山太は、すぐに、千代の 異変 に気づいた。山太が川に 捜しに 行くと、洗濯物が 散乱 し、淵の近くに千代の 下駄 が捨てられていた。山太は、千代が川の 激流 に流されたと思い、「 千代〜、千代〜! 」と叫びながら、 必死 に下流を捜したのだが、とうとう発見できなかった。

   その後も、山太が千代への愛情を捨てることはなく、毎日、毎日、「 千代…、千代… 」と、川の近くをヨロヨロと歩き続けた。 そして、とうとう、悲しみのあまりに 千鳥 と化し、現在でも、「 チ、ヨ〜、チ、ヨ〜 」と鳴いて、川の近くを飛んでいるという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 弁天淵の河童 ” 写真館

弁天淵に関して、鳴子町史 上巻には、「 昔は荒雄川菅原旅館の玄関前から金忠や鳴峡荘・日通寮の裏を流れて鉄道線路附近で大きく左折し、亀屋旅館脇の岩礁を右巻きしてここに大きな渕をつくり今の弁天閣が本流をなし赤湯・田中へと流れ下っていたという。この渕は荒雄川一の大渕で、昔の筏流師も『 呪いの渕 』と呼び弁天様を祀って、安全を祈念したという 」とある。
上の図が、鳴子町史 上巻の記述をもとに作成した想像図。 現在の江合川( 荒雄川 )とは、かなり違う流れをしていた。
これが、弁天淵の近くにあった亀屋旅館。弁天淵に 祀られた という 弁才天 を探したのだが、今回は発見できなかった。
平成19年9月6日(木)掲載