心優しい長者と里人の絆

   寛文 年間、この里に、千葉太郎左衛門という 長者 が住んでいた。太郎左衛門は、 里人 たちが 凶作 で困っているとき、倉を開いて自分の米を与え、里人たちと 喜怒哀楽 を分かち合うような心の優しい長者だった。そのため、千葉家は、里人たちから 慈母 のように 慕われ 、千葉家に何かあったときには、里人たちは 押っ取り刀馳せ参じ 、どんなに 過酷 な労働も次々に 片付けた

   千葉家の何代目かに、格左衛門という者がいたのだが、ある年、その格左衛門が、たくさんの 下男下女動員 して田畑への 堆肥 運搬をしたとき、 手ランプ に使うための油がなくなってしまったことがあった。 そこで、誰かに油を買いに行かせようとしたのだが、猫の手も借りたいほど忙しかったので、手のあいている者が誰もいなかった。 しかたなく、格左衛門が自ら油を買いに行ったのだが、油を買った帰り道、数人の若者が格左衛門にぶつかり、格左衛門は、買ったばかりの油をこぼしてしまった。

   格左衛門が、その若者たちに、その 粗相 を注意すると、「 何を 偉そうに !俺は、隣の里の長者の 家来 である三浦夘右衛門だ!おまえは、長者のくせに、下男や下女に油を買いに行かせることもできないのか! 」と 罵られた 。格左衛門は、 粘り強く 若者たちを 説得 したのだが、夘右衛門は、「 この 喧嘩始末 をどうするんだ! 」と、 因縁 をつけてきた。格左衛門は、「 これ以上、話しても 無駄 か… 」と 諦めて 、急いで屋敷に帰った。そして、刀を手に持ち、「 私は、千葉家の 名誉 を守らなければならない… 」と言って、屋敷の門を出た。

   この話を聞いた、この里の若者たちは 激怒 し、隣の里の長者の屋敷を 襲撃 。夘右衛門を 討ち取った 。その後、この事件を知った 岩出山藩 は、すぐに、役人を 派遣 して、夘右衛門を殺害した者を 逮捕 。その者を 遠島 にして、この事件は 落着 した。このとき、里人たちの、「 格左衛門様だけは、守らなければならない! 」という 気遣い があったため、この事件の 捜査 で格左衛門の名前が出ることはなく、格左衛門は、何の罪にも問われなかったという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 心優しい長者と里人の絆 ” 写真館

千葉長者の屋敷跡に関して、鳴子町史 上巻には、 「 長者屋敷は、川渡鍛冶谷沢の大学農場正門を入った地積およそ三、〇〇〇坪の所で、現在は職員官舎が建ち、 芝張の構内が広々と続き、老桜が並木をなして、園地化されている 」とある。 現在、千葉長者の屋敷跡は、国立大学法人東北大学大学院農学研究科附属複合生態フィールド教育研究センターの構内にある。 おぉ〜い!名前が長すぎるぞ!
これが、東北大学大学院農学研究科の正門。この門をすぎてすぐの敷地が千葉長者の屋敷跡。
これが、千葉長者の屋敷跡。

千葉長者の墓に関して、鳴子町史 上巻には、 「 千葉家の墓は鍛冶谷沢の原区、丁度長者屋敷裏の原野に在り実に壮大なものだ 」とある。 この千葉長者の墓は、千葉長者の子孫の男性の方が管理していたのだが、数年前、その方が 他界 してからは、荒れてしまった。 現在、千葉長者の子孫は、女性の方が一人いるのみである。 その方は、結婚して東京に住んでいるため、この里に来ることは少ない。
この森の中に、千葉長者の墓がある。

ここが、入口。かなり荒れている。

参道 の途中に、このような石があった。 古老 の話によると、上の写真の赤丸の穴をくぐると 御利益 があると言われ、子供のときには、 頻繁 にくぐっていたという。
上の写真の赤丸が、千葉長者の墓。私は、宮城県内の多くの長者の墓を見てきたが、こんなに立派な墓を見たことがない。 遠くから撮影しないと全体が撮影できなかった。いかに 莫大 な黄金を持っていて、高額な墓を建てたとしても、その長者に 人徳 がなければ、 盛者必衰道理 に従うのみ。黄金は消え、墓は土に 埋もれる 。この千葉長者が、 並々ならない慈悲 の心 ”を持った 家柄 であったことが 推測 できる。 素晴らしい
上の図が、千葉長者の墓の全体図。

これが、全体図のAから見たところ。

これが、全体図のBから見たところ。

これが、中央にある千葉太郎左衛門の墓。すごい!下の写真は、横から見たところ。
かなり大きな 自然石 である。鳴子町史 上巻には、 「 この墓石は赤這沢で採石されたもので、運搬には毎日五〇人の里人が出役し三八日を要したというから、延一、九〇〇人が奉仕したわけである 」とある。 三十八日間、違う五十人が 出役 すれば、合計で千九百人になるが、 重複 した場合もあると考えられるので、単純に千九百人が 奉仕 したとは言えない。しかし、たとえ三十八日間、同じ五十人が出役したとしても、小さな里にしては、かなりの人数である。 よって、千葉長者の“ 慈悲の心 ”の深さを表わしていることに変わりはない。
これは、千葉太郎左衛門の墓の前。右の赤丸が、千葉太郎左衛門の墓。 古老の話によると、子供のとき、左の赤丸のところに立ってジャンプし、思いっきり地面を 踏み つけると、地面の中から、「 ゴーン…、ゴーン… 」という音が響いたという。その理由に関して、当時の 里人 たちは、下の図のように推測していた。
里人たちの推測は、上の図のようなものであった。千葉太郎左衛門の墓の下は 空洞 になっていて、地面に 振動 を与えると、 吊り 下げられた 棺桶揺れて 音が響くというもの。ただし、実際に墓を掘って確かめたわけではないので、詳細は不明。
上の写真は、千葉太郎左衛門の墓から見た参道。昔は、遠くの里からも 参詣 に来る者がいたので、この参道には 出店 などもあり、たいへん 賑わった という。
平成19年9月17日(月)掲載