洞雲寺の首洗い

   天正 十八年、 大崎義隆豊臣秀吉 に敗北したとき、ある武士が、この里にある城に 籠城 して秀吉軍に 徹底 抗戦 したのだが、秀吉の大軍には勝てず、ある夜、城に火をかけて 切腹 した。

   秀吉軍が、この武士の 遺体 を確認するために、 全焼 した城の跡を探したところ、すぐに、この武士の遺体を発見した。ところが、その遺体には首がなく、 胴体 のみが横たわっていた。そのため、秀吉軍は、 のみを回収して 撤退 した。

   ところが、その翌年から、お盆になると、ある 修験者 が、この里にある 洞雲寺 という寺に来るようになった。その修験者は、朝は本堂で 焚いて 読経 し、夜は真っ暗な道を、何かが入った袋を 背負い ながら、「 ヱイト !鬼の首だ!ヱイト!ヱイト!鬼の首だぞ! 」と叫びながら歩いた。

   このようなことを一週間も続けた後、その修験者は、川で 垢離 をとり、「 首洗いだ…、首洗いだ… 」と、 一心不乱呪文唱えて 、この行事を済ませた。その後、その修験者は、毎年、洞雲寺にやって来て、この“ 首洗いの行事 ”を続けたという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 洞雲寺の首洗い ” 写真館

昔、洞雲寺では、毎年、七月二十日に、この寺の前を流れる 江合川 で、“ 首洗いの行事 ”をしていた。しかし、現在は行われていない。上の写真は、洞雲寺からの風景。 矢印のあたりが、江合川。
この伝承の袋の中には、“ 鬼の首 ”が入っていたとされている。 しかし、その“ 鬼の首 ”を見た者は、誰もいない。当時、 里人 たちは、「 たぶん、あの武士の首の ミイラ なのでは? 」と したという。
これが、洞雲寺の入口。

これが、洞雲寺の本堂。

これが、洞雲寺の本堂の中。

平成19年9月18日(火)掲載