この伝承の赤沼は、現存していない。昭和二十三年の
護岸
工事で消滅してしまった。鳴子町史 上巻には、「 赤沼は川渡中学校西隣地で上川原農道下にあったが、今は総合開発の鍬入れ跡も見事に近代営農法による美田と化し… 」とある。
これが、川渡中学校。現在は、大崎市立鳴子中学校になっている。
上の写真が、中学校の西隣の美田。ここに、赤沼があった。と思ったのだが、ある
古老
が、赤沼跡を撮影している私に、「 おい!兄ちゃん!何してるんだ 」と声をかけてくれた。
私が事情を説明すると、その古老は、「 それなら、あの屋敷の人に話を聞けばいい。あの屋敷の
屋号
は、“ 赤沼 ”だ 」と教えてくれた。
この坂を上ると、“ 赤沼 ”という屋号の屋敷がある。その屋敷の古老に話を聞いたところ、赤沼は、上の写真の赤丸のあたりにあったと教えてくれた。
この森の中に赤沼があった。
上の写真の赤丸のところから入る。
上の写真の矢印は川。古老の話によると、赤丸のあたりに赤沼があったという。この沼の水は鉄分を多く含んでいたので、水の色が赤く見えた。そのため、赤沼と呼ばれていた。
古老の話によると、赤沼は、上の図のような感じだったという。この古老は、小学生のとき、この沼で
頻繁
に遊んだ。沼の中に入ると、
膝
までは泥。腰までは水。
隣
の川の
洪水
で沼の水が
溢れる
と胸まで水がきたという。
昭和二十三年の護岸工事で、
緩やか
な
斜面
になった。
現在でも、栗の木や柿の木の
切り株
が残っている。この古老が話す赤沼の位置と、鳴子町史 上巻に記述されている赤沼の位置には
相違
がある。しかし、この古老がする赤沼の話は
詳細
であり、信用するに値する。恐らく、鳴子町史 上巻の記述の誤りであろう。
平成19年9月19日(水)掲載
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