鳴子の由来 2

   文治 三年、 源義経一行 が、 源頼朝追跡 から逃れて 平泉 に向かう途中、妊娠していた義経の妻が 亀若丸出産 した。ところが、亀若丸が生まれたとき、義経一行が 滞在 していたのは敵の 領地 だったので、 赤ん坊 の亀若丸に泣かれては、すぐに敵に気づかれ、 捕虜 になる可能性があった。
   そこで、 弁慶 は、そっと、亀若丸の口に手をあてて、「 和子 、この弁慶の話を聞いてください。われわれは、罪もないのに追われる身となり、このような苦しい旅をしております。 和子に泣かれますと、われわれは捕虜になってしまいますので、どうか、泣かずに…、泣かずに… 」と話して聞かせた。

   その後、義経一行は、敵の領地から 陸奥 に入り、この里に滞在。味方の領地に入って安心した義経は、近くの温泉で亀若丸を 産湯 に入れた。すると、敵の領地では泣かなかった亀若丸が、この里で初めて泣いた。そのため、 里人 たちは、亀若丸が初泣きした温泉を、“ 啼子の湯 ”と呼び、さらに、“ 啼子の湯 ”を“ 鳴子の湯 ”と呼ぶようになったという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 鳴子の由来 2 ” 写真館

鳴子町史 上巻には、「 鳴子と書かれた年代ははっきりしないが、国鉄が開通して営業を開始した大正四年前後ではないかと言われる。 以前には『 啼子 』、『 鳴児 』、『 成子 』と書かれたこともある 」とある。 “ 鳴子 ”という言葉が、 意外 に新しい言葉なのを知って驚いた。ちなみに、大崎市役所の方の話によると、鳴子が、“ なるこ ”と読まれるようになったのは最近で、長い間、“ なるご ”と読まれていたという。
平成19年10月12日(金)掲載