わらじ村長

   明治 四十二年、この里に、ある村長が 誕生 した。その村長は、“ 鎌田三之助 ”という名で、それまで身につけていた 立派 な洋服と を捨てて、 丸刈り にしたうえ、 自慢 であった カイゼル髭剃り落とし粗末 な洋服に 草鞋 という貧しい姿で、里の政治の第一歩を 踏み出した

   その後、三十八年間、役場に出勤するときも、 里人 たちと話すときも、仙台や東京に 出張 して 高貴 な方々と会うときも、 終始一貫 、粗末な洋服で草鞋を 履き 、腰に 握り飯 をぶらさげるという姿を 貫いた

   破れた 帽子 をかぶり、粗末な洋服と草鞋を履いて里人たちと向き合い、 無報酬 で里のために 一生懸命 に働いている姿を見て、いつしか、里人たちは、三之助のことを、“ わらじ村長 ”と呼ぶようになったという。

参考『 鹿島台町史 』

現地で採集した情報



“ わらじ村長 ” 写真館

昔、この里には、“ 品井沼 ”という沼があったのだが、大雨や 洪水 になるたびに、この品井沼のあたりでは、たいへんな 水害苦悩 していた。鎌田三之助は、村長の在任中、特に、この品井沼の干拓事業に 尽力 し、その改修工事を重ねた結果、 大正 時代には、ほぼ水害がなくなり、品井沼に設置されていた 水門 が不要になった。「 今まで里を守ってくれた水門を、このまま捨ててしまうのは、心苦しい… 」と思った三之助は、品井沼の干拓の歴史を 後世 に伝えるため、 昭和 五年、鹿島台小学校に、この水門を移して、その校門とした。上の写真が、鹿島台小学校の校門。
これが、昔、品井沼に設置されていた水門。

これは、鹿島台小学校にある、三之助の銅像。

これが、三之助の銅像。

平成21年12月20日(日)掲載