丹治とドホンの力試し

   昔、この里に、伊達家の があり、数十万石の米を管理する 役人 がいた。この役人たちは、毎年、 鳴瀬川 の流れを利用し、 高瀬舟 をつかって、米を仙台などに送っていた。 藩政時代、この倉に、“ 丹治 ”という者が出入りしていた。丹治は、 をつかみ、軽々と持ちあげるほどの 怪力 だった。また、この里の近くに、怪力で知られた、“ 底無し のドホン ”という者がいた。

   この二人が会うと、必ず、お互いの 自慢 話になっていたので、ある日、とうとう、 力試し をしようということになり、丹治が、「 倉に積み重ねてある 米俵 の中から、自分が好きな米俵を片手でつかんで抜き出し、その米俵を、すぐに、抜いた穴にもどした方が勝ちでどうだ 」と 提案 した。ドホンは、「 ハハハ! そんな簡単なことでいいのか? 一俵や二俵ぐらいの米俵なら、 御手玉 のようにすることができるぞ 」と笑ったが、丹治は、「 力では、ドホンには勝てない。力よりも技で勝負してやる! 」と思っていた。

   力試しの当日、たくさんの 里人 たちが倉にやって来た。倉の中では、「 言い出しっ屁 は丹治なのだから、丹治の方が勝つさ 」、「 どちらが負けても 不憫 よ。こんなことやめればいいのに 」など、いろいろなヒソヒソ話が聞こえていた。 力試しの時間になると、丹治とドホンは積み上げられている米俵の前に立って、思い思いの米俵に手をかけた。 そして、倉の中に、「 それ! 始め! 」という、役人の叫び声が響くと同時に、二人は、「 エイ! 」と叫び、 見事 に米俵を抜いた。

   そして、「 ヤァー! 」と叫んで、今度は、その米俵を抜いた穴にもどそうとしたとき、丹治の方は、抜いた穴におさまったのだが、ドホンの方は、 上手 におさまらず、それでも 無理矢理 に入れようとしたので、米俵が裏に飛び出してしまった。驚いた 観衆 が、「 力試しは終わったぞ! やめろ! やめろ! 」と叫んで、 騒ぎ だした。そのため、自分の失敗に 焦っていた ドホンも、ハッとわれにかえり、自分の負けを認めた。その後、観衆の代表から、数本の酒が届いたので、みんなで 酒盛り をした。そのころには、ドホンも気を落ちつかせていたので、丹治に酒をすすめる余裕をみせていた。

   その後、ドホンは、しばらくの間、自分の力自慢を話題にすることはなかったのだが、ある日、丹治に、次のような力試しを 申し入れた 。「 米俵を十五俵に結んで、その真ん中に をとおし、それを二人で 担ぐ 。そして、倉から鳴瀬川にある 船着き場 まで 休憩 なしで担ぎ、もし、途中で足をとめたり、『 待った! 』の声をだした方が負けというのはどうか? この力試しに負けた方が、当然、その日の 酒代 を払うことになる 」。この申し入れを 快諾 した丹治は、その条件として、「 私に、 後棒 を担がせてもらいたい 」と申し入れた。

   力試しの当日、倉から鳴瀬川にある船着き場までの道は、たくさんの観衆で 溢れかえった 。ある観衆が、「 今度の力試しは、ドホンが言い出しっ屁だから、ドホンが勝つにきまってる 」と言うと、別の観衆は、「 いやいや、そうではないと思うぞ。この力試しは丹治の勝ちだ。 おれは、前回の力試しを観たが、あれは、“ 技 ”というものだ。力があるだけでは勝負には勝てない。今度だって、丹治が後棒をとったのには、何か理由がありそうだ 」と言って 反論 した。

   いよいよ、役人から出発の 合図 があり、丹治とドホンが、十五俵の米俵を担いで出発すると、観衆の 声援最高潮 にたっした。二人が、鳴瀬川の 堤防 のあたりまでくると、丹治は、たいそう 疲労 を感じた。しかし、 唸り声 をあげながらも、米俵の腹を地面に引きずりながらも、見事に、船着き場まで十五俵の米俵を運んだ。観衆は、「 丹治、よくやった! ドホン、よくやった! 」と叫んだ。

   ドホンは、「 必ず、丹治は 弱音 をはくはずだ 」と思っていたのだが、期待がはずれて残念でならなかった。このようにして、二人が 頑張った 結果、里人たちから、たくさんの酒をもらった。この二人の力試しは、なかなかの 見物 であったので、二人は、この里の 人気者 になったという。

参考『 三本木町誌 下巻 』

現地で採集した情報

平成23年8月22日(月)掲載