どうして井戸の水は濁ったのか?

   昔、ある 僧侶 が、この里に来たとき、たいへん 渇いた ので、近くにあった屋敷の主人に、「 旅の者ですが、水を飲ませていただけないでしょうか? 」と頼んだ。ところが、その主人は、その僧侶の身なりが、あまりにも貧しかったので、何度も頼まれたにもかかわらず、目を合わせることもなく、強く 断った

   すると、その僧侶は、「 そうですか。こんなに頼んでもだめなら、しかたがないですね 」と言って、わざわざ遠くにある 音無湯殿山神社 まで行って、水を飲んだ。すると、しばらくして、この屋敷の 井戸 の水が、突然、 濁り はじめて飲めなくなってしまった。

   屋敷の主人が、「 どうして、突然、水が濁ったんだろう? 」と不思議がっていると、近くにいた 里人 たちの 話が聞こえてきた。「 屋敷の井戸から、あんなに 綺麗 な水が 湧いて いるのに、近所の誰にも飲ませようとしなかったから、 罰が当たったんだ  」、「 数日前に、 弘法大師 様が来たときにも、水を飲ませなかったそうだぞ。ひどいことをするもんだ 」と。

   あの貧しい身なりの僧侶が、弘法大師だと知った主人は、「 弘法大師様に 意地悪 をしたので、こんなことになってしまったのか… 」と反省して、心の中で何度も御 詫び をし、その後、里人たちや旅人にも、親切にするようになった。すると不思議なことに、濁っていた井戸の水が、もとどおり綺麗な水になったという。

参考『 三本木町誌 下巻 』

現地で採集した情報



“ どうして井戸の水は濁ったのか? ” 写真館

弘法大師が飲んだという、音無湯殿山神社の 御神水 は、この山の中にある。三本木町誌 下巻によると、この神社の 勧請 は、あまりにも古いので詳細は不明だという。 古老 の話によると、「 弘法大師が、この里に来たとき、この山に 権現 様を 祀って 、近くにあった御神水を飲んだ 」とのことである。その後も、里人たちが神社に 参詣 するときは、この御神水を 汲んで 持ち帰り、病人に御神水を飲ませて、病気の 治癒祈願 したという。
このT字路まで来たら、右に曲がる。おそらく、写真の中央の には、看板がついていたのであろう。現在は…。
カエル君の 休憩 場所になっている。

この道をまっすぐに行く。

少し広い場所がある。ここに石の橋がある。赤丸がそれ。

これが、石の橋。

橋を渡ると、左側に写真のようなものがある。古老の話によると、これは、“ 乳母神様 ”と呼ばれていて、 母乳 が出ないときに 拝む のだという。
ん〜、表情が恐い…。永久に母乳が出なくなるような気がする…。
これは、音無湯殿山神社の 社務所 。三本木町誌 下巻によると、参詣の帰りに、この社務所の中に積み重ねられている小石を借りて持ち帰り、 頭痛 のする場所を小石でなでると、すぐに、頭痛が治癒するという。治癒した後は、その小石を御返しして、 御礼 の参詣をする。ちなみに、現在、社務所の中には、このような小石はない。
三本木町誌 下巻によると、年代は不明であるが、この神社を、“ 藤割権現 ”と呼んだときがあったという。この社務所に、ある巨大な の大木が寄りかかっていたので、その藤の花の盛りのころには、「 この美しい藤の花が、悩みの多い人々の心を 和らげて 、権現様が、その悩みから 救って くださる 」として、遠くからも多くの里人たちが参詣に来た。また、秋になると、その巨大な藤の木に実がなり、やがて、実を 包んだ 皮がわれて、その美しい音を 鳴り響かせた 。里人たちは、「 この音は、権現様が藤の実をわって、その美しい音を私たちに聞かせてくださっているのだ 」と信じ、“ 藤割権現 ”と呼んで 信仰厚くした 。ちなみに、この藤の実の皮がわれる音を聞くと、今まで頭痛に悩まされていた人も、急に痛みが消えたという。
心に 汚れのある 者が参詣すると、この藤の大木が 大蛇化けて 、心に汚れのある者を 睨みつけた 。ある日、ある者が、大蛇に睨まれたことに驚いて 気絶 し、数分後、目が覚めると、不思議なことに、その者は 真面目 な人間に変わっていたという。このため、この神社は、“ 藤割蛇王権現 ”と呼ばれたときもあった。
心の 綺麗 な人間には、このような大蛇の姿は見えないという。しかし、上の写真のような、普通の景色でも、心の汚れた人間には…。
このように見える。

現在、この伝承の巨大な藤は、 枯れ 果ててしまった。しかし、この社務所の周辺には今も藤の木が多い。
古老の話からは、「 昔、体の弱い里人が、数日の間、社務所に 参籠 して、健康を祈願したことがあったが、そのとき、その里人は、夜中に、大蛇が屋根の上を 這う 音を聞いたと言っていた 」、「 五十年前、信仰心を持った者が、三ヶ月の間、この社務所に参籠したことがあった 」など、里人たちの信仰心の厚さが感じられた。
社務所をすぎると、 参道 の看板がある。

川に 沿って 進んでいく。

ずっと進んでいく。

多くの大木が倒れている。

しばらく進むと、 子育地蔵尊 がある。赤丸がそれ。

これが、子育地蔵尊。三本木町誌 下巻には、「 其の御尊体の布施主は音無の高橋左内氏の父甚太夫と高橋勝治の両氏が宮床村の伊達家御一門から入手され、此の地に納めたものであるという 」とある。
三本木町誌 下巻には、「 此の権現様の境内の入口附近に『 賽ノ河原 』と呼ばれている所に『 子育地蔵尊 』が祀つている 」とあるが、古老の話によると、「 このあたりでは、子育地蔵尊の周辺だけではなく、社務所から神社の 鳥居 までを 賽の河原 と呼んでいます 」とのことであった。
昔は、女性が子育地蔵尊に参詣することは禁止されていたが、現在は、神様にも御許しをいただき、男性も女性も参詣しているという。
さらに進んでいく。左側のオレンジ色をした部分の詳細が下の写真。
赤丸の部分から水が 湧いて いるのであるが、オレンジ色に変色している。これは、おそらく、 亜炭 のためではないかと思われる。昔、この里では、亜炭を 採掘 していた。亜炭の採掘によってできた地下の 空洞 に雨水が 浸透 する 過程 で、鉄分などを多く含む 酸性 の水になる。この水が空気にふれると、 急激化学反応 をおこして、さらに強い酸性の水になってしまう。このとき、透明な水が赤くなり、“ 赤水 ”と呼ばれるものになる。
さらに進んでいく。

小さな滝のようなものがある。

小屋の向こうに御神水がある。

これが、鳥居。赤丸が、御神水。

これが、御神水。

古老の話によると、里人たちは、御神水のことを、“ 御釜 ”と呼んでいるという。
しかし、亜炭の 汚染 が、こんなにひどいとは思わなかった…。
平成23年9月1日(木)掲載