伝承

大豆坂地蔵尊の由来 3
大崎市/三本木/大豆坂

   昔、この里の という者が、ある理由で 処刑 された。このとき、 大光寺住職 は、その者の 弔う ために、 仙台八幡 にあった 石屋依頼 して、 広瀬川 にあった大きな石で、 地蔵 を作ってもらった。

   明和 二年十月、完成した地蔵を、大光寺に 奉納 するはずであったのだが、仙台から大光寺に運んでいる途中、この里にある 大豆坂 まで来たところで、地蔵が急に重くなり、運ぶことができなくなった。そのため、 仕方なく 、大豆坂に地蔵を 祀る ことにした。

   明治 九年、 明治天皇 が東北を 行幸 するとき、この里を通ることになった。 里人 たちは、 「 この大きな地蔵を天皇が 御覧になったら不愉快 になるのでは … 」 と言って、 無礼 なことに、この地蔵を 伏せて しまった。

   さらに、明治十四年、明治天皇が、再び東北を行幸し、この里を通ることになったとき、里人たちは、 「 見苦しい ので、天皇の目につかないところに地蔵を移そう 」 と言って、この地蔵を他の里に移そうとした。ところが、地蔵を運んでいる途中、急に地蔵が重たくなり、里人たちは、たいへん苦労して運んだ。

   また、この地蔵を他の里に移した年、この里に悪い病気が 蔓延 し、その病気で多くの里人たちが死んだ。このとき、この地蔵を 信仰 していた 老婆夢枕 に、この地蔵が現われ、 「 私は、元の場所に帰りたい。すぐに戻すように 」 と、 お告げ をした。そのため、里人たちは、 「 また、あの重い地蔵を運ぶのか … 」 と思いながらも、地蔵を元の場所に戻すことにした。

   ところが不思議なことに、他の里に運ぶときには、あんなに重かった地蔵が、今度は逆に軽くなり、 容易 に運ぶことができた。さらに、この地蔵を元に戻すと、すぐに、里人たちの病気が 治癒 した。このため、いつしか、里人たちは、この地蔵を、 “ 大豆坂地蔵尊 ” と呼んで、信仰を深めたという。

参考 『 三本木町誌 下巻 』
現地で採集した情報


“ 大豆坂地蔵尊の由来 3 ” 写真館

これが、 大光寺



これが、大光寺の 本堂



これは、 大豆坂地蔵尊 の近くにある、 豆坂 。昔は、道の両側が 雑木林 で、やっと、 馬車 が通れるくらいの 道幅 だった。 古老 の話によると、雨が降った日は、地面が 泥濘るんで 、歩くことができなかったという。ちなみに、昔、この坂に、 豆粒 くらいのコロコロした丸い石が多くあったので、この坂は、 “ 豆坂 ” と呼ばれるようになった。三本木町誌 下巻には、 「 豆坂が 訛つた のであろうか 前坂 ともいつている 」 とある。


これが、大豆坂地蔵尊。かなり大きい。ちなみに、 前坂地蔵尊 とも呼ばれている。


平成24年2月16日(木)掲載