伝承

ほうぬきしず
大崎市/三本木蟻ケ袋

   昔、この里にある、 “ 長坂山 ” という山に、 “ ほうぬきしず ” という 清水 があった。この清水は、夏は氷のように冷たく、一度、この水を飲んだ者は、その 美味しさを 忘れることができなかった。また、家族で重い病気になる者がでると、必ず、その病人は、 「 ほうぬきしずが飲みたい 」 と言うので、家族の者が、この清水を 汲んで きて飲ませたのだが、不思議なことに、この清水を飲ませた後、しばらくすると、必ず、その病人は死んでしまった。

   しかし、残念なことに、このほうぬきしずの近くには、 亜炭地層 があった。当時、自分の 所有 する山から亜炭がでると、独占的に亜炭の 採掘 と販売をおこなって金を 稼いで いたのだが、亜炭の 需要 が多くなると、さらに金を稼ごうとして、ほうぬきしずの近くに 坑口 をつけて亜炭を採掘した。そのため、山の自然は荒れ果て、いつしか、このほうぬきしず埋没 してしまったという。

参考 『 三本木町誌 下巻 』
現地で採集した情報


“ ほうぬきしず ” 写真館

ほうぬきしずは、明治時代の中頃まで、その現存が確認されていたという。三本木町誌 下巻には、 「 蟻ヶ袋国道より長坂山に向う途中に、荒川堀の橋を渡つて直ぐ右上に見える所に 『 ほうのきしず 』 という清水があつた 」 とあるのだが、道路工事のために 地形 が変わってしまい、ほうぬきしずの正確な場所を 特定 することができなかった。そこで、この里に住んでいる 古老 たちに、ほうぬきしずのことを聞いたのだが、 「 ほうぬきしず ? さぁ 〜 、聞いたことがないねぇ 」 とのことであった。もはや、ほうぬきしずの正確な場所の特定は不可能だと思われる。ちなみに、長坂山という山はない。 里人 たちは、この里にある 連峰総称 して、 “ 長坂山 ” と呼んでいる。


この里の方たちは、 元禄 年間に、すでに、亜炭の存在と、その価値を知っていた。 「 ある日、里人たちが、山に仕事に行って、 枯れ 木などを集めて 焚き火 をしていると、いつまでも焼け残っている亜炭があり、さらに、あたりを見てみると、 崩れて いる の中に亜炭層があった 」 との記録がある。


里人たちが、山から亜炭を持ち帰って 囲炉裏 で燃やすと、たくさんの がでたので、あまりの苦しさで外に逃げ出すことも、しばしばであった。当時は、 「 こんなことを 繰り返す と子供と老人が目を悪くしてしまう 」 と言って、 豊富 を利用したため、亜炭の利用は広がらなかった。そのころの亜炭の利用方法は、外で燃やして、煙をなくしてから、囲炉裏の中に 積み重ねて 置き、 火止め にして、マッチや 付け木節約 をするというものであった。


今から約130年前、 北町風呂 屋があって大 繁盛 していた。ところが、その風呂屋が火事で全焼して営業を停止してしまったため、里人たちは 入浴不便 を感じ、 鉄砲風呂 の使用を始めた。このとき、鉄砲風呂で使用されたのが、炎が大きくて湯が早く 沸き火持ち が良かった亜炭であった。


江戸時代、京都と大阪では 五右衛門風呂 が一般的で、江戸では鉄砲風呂が一般的だった。上の写真は、 喜多川歌麿描いた 鉄砲風呂の絵。赤丸の部分が、 “ 鉄砲 ” 。 ウェブサイト 「 江戸浮世風呂 」 より画像を引用させていただきました。


赤丸が、 “ 鉄砲 ” 。鉄砲とは、風呂に取りつけて火を 焚く ようにした鉄製または銅製の のこと。 ウェブサイト 「 お風呂アドバイザー 洗いの殿堂 」 より画像を引用させていただきました。


これが、鉄砲。



平成24年1月11日(水)掲載