伝承

大猫親分一家と狐親分一家
大崎市/三本木/鹿野沢

   昔、 鹿野沢根城 にしていた、 “ 大猫親分一家 ” と呼ばれる猫の集団と、 西沢 を根城にしていた、 “ 狐親分一家 ” と呼ばれる の集団がいた。狐親分一家は、 大食い の集団だったので、自分たちの 縄張り の食料だけでは足りず、いつも、大猫親分一家の縄張りを荒らして食料を 調達 していた。また、 天王沢 に、狐親分一家ではあるのだが、足に 障害 を持っていたために 邪魔者 にされ、十分な食料を与えられなかった、 “ びっこ狐 ” が 棲んで いた。

   大猫親分一家と狐親分一家は、いつも、縄張りのことで対立していたのだが、ある日、狐親分一家が、大猫親分一家の縄張りを荒らす相談をしているのを、 偶然 にも、びっこ狐が聞いてしまった。すぐに、びっこ狐が、このことを大猫親分一家に知らせると、大猫親分は、 「 よく知らせてくれた。おまえが、 冷遇 されていることは知っている。必ず、その 恨み晴らして やるからな 」 と言って、びっこ狐を喜ばせた。次の日、大猫親分は、狐親分に、 「 縄張りのことで話があるので、今日の昼、 大豆坂地蔵尊 まで来てもらいたい 」 という内容の手紙を出した。すると、狐親分は、 「 ヤバイぞ、計画を知られたかもしれない。これは、話だけではすまないな … 」 と思い、たくさんの仲間を集め始めた。

   大猫親分一家が、約束どおり、大豆坂地蔵尊で待っていると、狐親分一家が、たくさんの仲間を連れて 威風堂堂 とやって来た。この 様子 を見た大猫親分は、 「 ほぉ 〜 、こいつは 面白い 。あいつらがそうくるなら、こっちにも考えがあるぞ 」 と 呟き 、ニヤリと笑いながら 眺めて いた。大猫親分一家と狐親分一家は、お互いに 名乗り をあげてから、縄張りの話をしたのだが、なかなか話が決まらず、とうとう、飛んだり 跳ねたり 噛んだり 叩いたり の大 乱闘 になった。大猫親分一家は、 旗色 が悪くなると、全員が近くにあった木に登って休み、 疲労 がとれたら、全員で木から降りて、狐親分一家に飛びかかるという 戦術繰り返した

   すると、狐親分は、 「 天王沢には、びっこ狐がいるが、おまえたちの仲間も、 びっこ にしてやる ! 」 と叫び、一匹の猫をつかまえて、全員で、その猫の足を食いちぎった。これを見た大猫親分一家は 激怒 し、足を食いちぎられた猫のために、 獅子奮迅 の戦いをして、あっという間に、大猫親分一家の大勝利となった。そして、大猫親分を先頭にして、足を食いちぎられた猫も含め、全員が 揃って 威風堂堂と 豆坂 を上って帰っていった。

   このとき、びっこ狐が、大猫親分に近づいて、 「 親分さん、私のために、こんなことになってしまって、すいませんでした。親分の仲間の一匹が、私と同じことに … 。すべて、私が悪いんです 」 と、 お詫び をした。すると、大猫親分は、 「 天王沢よ、そんなこと気にするな。おまえのおかげで勝てたんだ。もう、おまえは、おれたちの仲間だ。お互いに 義理 を守って、楽しく遊んで暮らそうぜ 」 と言った。すると、びっこ狐は、 「 やっぱり、大猫親分一家は、 どおり 親切 な方々だ。いや、 偉い 方々だ。心から 感謝 しています。今後とも 御世話 になります ! 」 と、何度も何度も 御礼 を言ったという。

参考 『 三本木町誌 下巻 』
現地で採集した情報


“ 大猫親分一家と狐親分一家 ” 写真館

大猫親分たちの死後、不思議なことに、この里の山々が、大猫親分たちの姿に変化したという。上のイラストは、その 様子描いた もの。 「 大猫 ・ 小猫 ・ 三毛猫 と呼ばれる山々の姿 」 というタイトルで、三本木町誌 下巻に 掲載 されている。


イラストの左から、 @ 大猫 ( 親分 ) 、 A 子猫 ( 子分 ) 、 B 三毛猫 ( 子分 ) 、 C 足を もがれた 片端 猫 ( 足を食いちぎられた猫 ) 、である。実際の山々の写真を使用せずに、イラストを使用したということは、実際の山々が、猫に 似て いなかったのであろう。ちなみに、この里の 古老 たちに、この伝承の山々のことを聞いてみたところ、誰も、この山々の存在を知らなかった。


これが、大豆坂地蔵尊。このあたりで、大猫親分一家と狐親分一家が 激突 した。


これが、 大豆坂地蔵尊 の近くにある、 豆坂 。昔は、道の両側が 雑木林 で、やっと、 馬車 が通れるくらいの 道幅 だった。 古老 の話によると、雨が降った日は、地面が 泥濘るんで 、歩くことができなかったという。ちなみに、昔、この坂に、 豆粒 くらいのコロコロした丸い石が多くあったので、この坂は、 “ 豆坂 ” と呼ばれるようになった。三本木町誌 下巻には、 「 豆坂が 訛つた のであろうか 前坂 ともいつている 」 とある。


三本木町誌 下巻に、この伝承を 提供 した、 藤門庄治 さんに話を聞こうとしたのだが、すでに、 亡くなって いた。そのため、三本木町誌 下巻や古老の 証言参考 にすることにした。三本木町誌 下巻には、 「 南町の鹿の沢といえば国道から大豆坂地蔵さんに行く途中直ぐ左に這入つた深い沢である。この沢は大変にふところが広く、今は昔と変つて田圃六町歩も有つて秋の稔りも豊に黄金の波を打寄せている 」 とあるのだが、古老の話によると、三本木中学校の裏山あたりに、昔、 田圃 があったという。しかし、現在は、田圃ではなく、ただの 荒れ地 になっている。古老たちの話を総合すると、上の図のようになる。


昔、この に、とても 美味しい 湧き水 があり、この沢の奥の山に 棲んで いた 鹿 が、しばしば、この湧き水を飲みに来たので、この里を、 “ 鹿の沢 ” と呼ぶようになった。これが、 鹿野沢の地名の 由来 である。ちなみに、三本木中学校の職員の方に聞いたところ、 「 私は、ここに来て6年になりますが、二回ほど校庭に鹿がいるのを見ました。 野兎頻繁 に見ますね 」 とのことであった。


この伝承でも分かるように、昔の猫は根性があった。まぁ、今の猫はダメですけどね。画像 1 〜 8 は、出典が不明。


あぁ 〜 、ニャンだと ! コラッ !



調子 こいてるんじゃねぇ 〜 ぞ ! 伝承之蔵 ! もう一度、言ってみんかい !


おのおの方、討ち入りじゃ 〜 !



す、すいませんでした … 。



猫A 「 親分、 謝罪 しましたぜ。 意外 に弱かったですね 」 、猫B 「 ふふふ … 、その調子だ。もっと悪口を言ってやれ 」


BY 劇団 伝承之蔵



いゃ 〜 、お疲れ。



平成24年2月26日(日)掲載