伝承

火伏地蔵
大崎市/松山下伊場野/八幡崎

   昔、この里に、 由来 が不明な 地蔵 があり、しばしば、 里人 たちは、 「 あの地蔵様は、いつから、あそこにあるのかな ? 」 などと、 していた。そこで、 昭和 二十八年、ある 巫女 に占ってもらったところ、次のような 御託宣 があった。

   「 今から四百二十年前、私は、 茂庭家家来 に追われて、この里にある 八幡神社境内 まで逃げて来たのだが、その八幡神社にまで 追手 が来たので、さらに、奥の林の中に逃げた。そして、その林の中で追手に 包囲 されて 絶体絶命 になったとき、私は、ある 妖術 を使って、 のように空を飛び、黒い雲の中に姿を消した。そのとき、私は、三人の 弟子 と、十六人の友人を地上に置いてきてしまったことに気づいた。そのため、再び、地上に降りたのだが、このとき、またしても、追手が私を包囲した。私は、 『 ん 〜 、もはや、これまで … 』 と 諦め 、その場で火を 焚き 、その火の中に飛び込んで となった。そうとは知らない追手たちは、 鵜の目鷹の目 となって私を 捜し 回っていたのだが、私の十六人の友人は、私の死に気づき、私の姿を 座像刻んで 、弟子の “ 定塚 ” の 立像 と共に 御堂納め 、さらに、千個の小石に、それぞれ 経文 の中の一字を書いて御堂に納めて、私を 供養 した。そのような立派な由来があるにもかかわらず、私の 化身 である地蔵は、今日まで、ゴミ 同然無視 され続けてきた。いつか誰かに告げようと思っていたのだが、今日、おまえたちに告げることができ、こんなに 嬉しい ことはない。私の 命日 に、この地蔵を供養し、また、いつも、この地蔵が 清潔 に保たれるのであれば、おまえたちに、財宝のある場所を教えてやろう。私は、ただの地蔵ではないぞ。 火伏せ の地蔵だ。 」

   そのため、いつしか、里人たちは、この地蔵のことを、 “ 火伏地蔵 ” と呼ぶようになったという。

参考 『 三本木町誌 下巻 』
現地で採集した情報


“ 火伏地蔵 ” 写真館

赤丸が、火伏地蔵の



これが、祠。



左が、火伏地蔵の座像。右が、弟子の定塚の立像。



祠の中に、赤丸のような石があった。



これが、その石。中に穴があいている。 古老 の話によると、この穴は、昔、この里にいた 修験者 があけたものだという。


古老の話によると、この石は、この祠の下から 出土 したもので、この石の一つ一つに 般若心経 の文字が書かれていたという。この古老の先祖が、近くにある八幡神社に 奉納 するため、この石を に入れて、二人で何回か往復して運んだ。


八幡神社に奉納された石は、さらに、 多賀城 に奉納されたという。ちなみに、火伏地蔵の前にある山には、昔、多賀城に納めるために、 を焼いたという 遺跡 がある。


これが、八幡神社の 鳥居東日本大震災 で被害を受け、現在、 修復 中である。


こちらの鳥居は、 無事 であった。



この階段を上っていく。



これが、八幡神社の 拝殿



平成24年3月9日(金)掲載