伝承

伊達八騎八幡
大崎市/三本木桑折/八幡東

   昔、 伊達政宗 は、 大崎義隆滅亡 させるため、自分の 居城 である 岩出山城 を出発。大崎氏の 領地 を次々に 攻略 した後、 自ら 八騎騎馬率いて 前線 に進み、 桑折城迫った

   このとき、 一栗城 から政宗の後を追ってきた、騎馬に乗った武士が、 「 おい ! 政宗 ! 」 と叫びながら、政宗に向けて矢を 放ち 、そのまま去っていった。その武士の放った矢は、政宗の体を 掠めて 命中 。政宗の命に 別状 はなかったが、 危機一髪 であった。その後、この矢が、 矢文 であることに気づいた政宗が、この文を取って読んでみると、一首の歌が書いてあった。

政宗は  み山の猿に  さも似たり  ただの一栗  落し兼ねたか  ( 政宗よ、おまえは、山に 棲んで いる 無能 に、たいそう 似ている な。一栗城の一つも 落城 させられないでいるのか )

   この歌を読んだ政宗は 激怒 し、この文を 握り潰した 。そして、 「 おれは、敵に対して怒っているのではないぞ。一栗城などという小さい城は、いつでも落城させることができると思って 油断 していた自分自身に怒っているのだ。その結果、今、おれは、命を落としそうになった。それ ! 引き返して、一栗城を落とすぞ ! 」 と叫んで、ただちに引き返し、たちまち一栗城を落城させた。

   その後、 泰平 の世になると、伊達家は、この里に、 八幡神社建立武運 長久祈願 する神として、 里人 たちが 参詣 することも 許可 するなど、 厚く 信仰 した。そのため、いつしか、里人たちは、この神社のことを、 “ 伊達八騎八幡 ” と呼ぶようになったという。

参考 『 三本木町誌 下巻 』
現地で採集した情報


“ 伊達八騎八幡 ” 写真館

この伝承の八幡神社は、現在、近くにある 八坂神社合祀 されている。ちなみに、昔、この八幡神社があった場所は、現在、 “ 八幡東 ” という地名である。


これが、八坂神社の 鳥居



この階段を上っていく。



これが、八坂神社の 拝殿



この伝承の八幡神社は、実際には、この伝承の前から存在していた。桑折城の 城主 が、この八幡神社を厚く信仰していたのだが、この城主が、 大崎の乱敗北 して 没落 すると、その 家来 たちが、 「 役に立た ない神め ! こんな神は、 捨てて しまえ ! 」 と叫んで、 御神体鳴瀬川 に流してしまった。ところが、 偶然 、里人たちが、 川下 で御神体を発見し、新たに 祀って 信仰したので、いつしか、この八幡神社は、 “ 流れ八幡 ” と呼ばれるようになった。


右の赤丸が、昔、八幡神社があった場所。左の赤丸のあたりに鳥居があったのだが、 東日本大震災倒れて しまった。


現在も、 が建っている。



祠の中には、 “ 八騎八幡神社 ” と 刻まれた 石がある。


平成24年4月4日(水)掲載