伝承

ある白狐の物語
大崎市/三本木/北町

   元禄 九年、 下伊場野村領主 であった佐藤典膳順信は、弟の盛信に 三百石 を与え、 桑折村分家 を出させた。約百七十年後、この分家の当主に、奥山内膳之守の娘である “ おひで ” という女性が 嫁入り したのだが、このとき、おひでは、 実家 から、 白狐 の夫婦を連れてきた。その数年後、時代が大きく変化。 明治 元年、武士は、その 地位 を離れて、 町人百姓 にならなくてはならなくなり、誰もが、新しい生活の 必死模索 するようになった。

   このとき、おひでは、桑折から、 北町 にある 三本木橋 のあたりに屋敷を移し、その場所で、 髪結い の商売を始めたのだが、そのとき悩んだのが、実家から連れてきた白狐の夫婦のことであった。今までは、家族 同然 に生活していたが、家庭の 事情 から、自分たちの生活だけで 精一杯 になってしまったので、おひでは、 「 この 、白狐の夫婦を自然にかえしてやった方が、あの夫婦にとっても、幸せなのではないだろうか ? 」 と思うようになり、白狐の夫婦にも、 「 私たちの 都合 で、おまえたちには、自然の中で 棲んで もらわなくてはならなくなってしまいました。その方が、おまえたちも自由な生活ができるでしょう 」 と、泣きながら、 繰り返し 言い聞かせた。そして、おひでは、白狐の夫婦を、 鳴瀬川川岸 に連れていって、 「 今夜、おまえたちは、ここで寝るんですよ 」 と言って、 別れ惜しみ ながら、屋敷に帰った。そのとき、白狐の夫婦は、しょんぼりした 様子 で、いつまでもおひで見送って いたので、その後、おひでは、しばらくの間、仕事が手につかず、食事も をとおらなかった。

   ある夜、コンコンと玄関の戸を 叩く 音がしたのだが、おひでは、 「 白狐の夫婦が来たのね。今、 返事 をしてしまうと、 諦め させることができないわ 」 と思い、知らないふりをして寝ていた。ところが、白狐の夫婦が、ずっと、玄関の戸を叩き続けたので、 不憫 に思ったおひでは、玄関の戸をあけずに、 「 あんなに帰ってくるなと言ったのに、なぜ、帰ってきたのですか ? まだ、わかってくれないのですか ? 」 と、涙ながらに言って聞かせると、いつの間にか、白狐の夫婦は姿を消した。

   明治時代になると、鳴瀬川の 高瀬舟 の数が増加し、人々の 往来頻繁 になったため、この里に 数軒 しかない料理屋は、たいそう 繁盛 した。ある日、ある料理屋の 主人 が、昨夜の売り上げを調べたところ、 売上金 の中に、柿の葉や柿の種が入っていることに気づいた。主人は、 「 ん〜 、さては、客に 化けた が、他の客に 紛れて無銭飲食 をしたんだな 」 と思い、たいそう 悔し がった。ある夜、この主人の料理屋の広い 座敷 が、たくさんの客で 一杯 になったとき、主人は、ところどころに置いておいた 行灯灯火 が消えていくのに気づいた。主人は、 「 狐の 野郎 ! 行灯の油を 舐めて やがるな。今日こそ、逃がさないぞ ! 今度、見つけたら、 殴って やる ! 」 と思い、じっと、狐が姿を現わすのを待った。

   そうとは知らない狐が、客に紛れて行灯の油を舐めようとして、行灯に頭を向けたとき、狐の長い 口先 が、ぼんやり見えたので、主人は、 用意 しておいた棒で、 思い切り 狐を叩きつけた。驚いた狐は、その姿を 丸出し にして逃げ、その後は、まったく姿を見せなくなったのだが、不思議なことに、その狐が姿を見せなくなると同時に、この料理屋の客の数が、急に少なくなった。それもそのはずで、狐は、行灯の油を舐めたいばかりに、 騙した 里人 たちを、この料理屋に連れてきて、その里人たちに紛れて自分の姿を 隠して いた。しかし、こんな 痛い目に合っては 、里人たちを騙して連れてくることもできないので、当然、料理屋に客は来なくなる。そのため、この料理屋は、その “ 白狐 ” が姿を消してからというもの、思わぬ 不景気 に苦しめられたという。

参考 『 三本木町誌 下巻 』
現地で採集した情報


“ ある白狐の物語 ” 写真館

これが、現在の三本木橋。



当時の料理屋の 賑わい に関して、三本木町誌 下巻には、 「 夜になると毎晩障子の隙間から覗き見する若い衆が重なり合つて、家を鳴瀬川の方へ押し倒すのではないかと心配する程であつたという 」 とある。 ウェブサイト 「 江戸浮世風呂 」 より画像を引用させていただきました。


当時の料理屋の賑わいに関して、三本木町誌 下巻には、 「 数軒ある料理の中に鳴瀬川三本木橋堤防附近に 『 赤らんかん 』 と称する一流の料亭があり、その亭の横に枝垂れ柳があり、そこから堤防を下る所の丸い敷石を踏んで鳴瀬川に手桶を下げて水汲みに出る婦女子の姿は、田舎離れをした風景で誠に風流なものであつたと当時の話題になつて居つたという事である。また三本木橋には一重着の夏姿も軽く夕涼を楽しむ人々で一時は賑わつたという 」 とある。 ウェブサイト 「 枕草子-まくらのそうし 」 より画像を引用させていただきました。


平成24年5月3日(木)掲載