割石 2

   昔、 源義経 が馬に乗って、この石の上に立ったとき、突然、敵の矢が飛んできた。義経は、 九死に一生をえた が、このとき、馬が暴れ、その によって石が割れてしまった。その後、 里人 たちは、この石を、“ 割石 ”と呼ぶようになったという。

参考『 多賀城市史 第3巻 民俗・文学 』

現地で採集した情報



“ 割石 2 ” 写真館

これが、割石。石の半分ぐらいが、埋まってしまっている。 多賀城市史に載っている写真と比較すると、その違いがわかる。 現在では、どこがどう割れているのかもわからない。
赤丸が、割石。この石の場所は、多賀城市民会館で教えてもらった。 里人に尋ねたのだが、悲しいことに、誰一人として知らなかった…。
平成18年5月15日(月)掲載