菊ヶ丘

   昔、この里に、 という武士の屋敷があり、お菊という 下女 が働いていた。ある日、お菊は、罪を犯したため、 生き埋め にされてしまう。 里人 たちは、お菊が生き埋めになった場所に一本の松を植え、その丘を“ 菊ヶ丘 ”と呼んで、お菊を 弔った

   その後、不思議なことに、この屋敷を所有する者は、必ず、 没落 したという。あまりにも、所有者が次々にかわるので、この屋敷は、 塩竈雲上寺施入 されてしまった。

参考『 多賀城市史 第3巻 民俗・文学 』

現地で採集した情報



“ 菊ヶ丘 ” 写真館

多賀城市史には、「 笠神の東端の岡は『 菊ヶ岡 』と呼ばれている 」とある。 現地で、古老に聞いてみたのだが、「 そんな丘は聞いたことがないなあ… 」という答えであった。 ただ、この記述が正しいとすれば、おそらく、多賀城東小学校あたりであろう。
これが、雲上寺の入口。

これが、雲上寺の 山門

これが、雲上寺の本殿。

平成18年5月22日(月)掲載