伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off ( 2014年 )


( 注意 )読んでいて分かると思いますが、この文章は、一切、校正されていません。ブログというよりもメモ帳です。



あけましておめでとうございます。本年も宜しく御願い致します。


まぁまぁ、ご主人様、一杯どうぞ!


それでは、われわれも遠慮なく…。


あ〜、こりゃこりゃ〜!ヒック…♪


書き初めだよ〜ん♪ご主人様も一緒にどうですか?


え〜、ご主人様とかけて、○○と解きます。その心は…。


今年も御主人さまに幸せが訪れますように♪


ふぅ〜、やっと会社に出勤したか…。人間の相手をするのも疲れるぜ…。アホらし…。


  2014/01/05  




前に掲載した鹿威しが意外な効果を発揮している。鹿威しを作ったところ、所有地内にイノシシが掘ったと思われるような穴がなくなったのだ。「これは、意外に効果があるのでは…」と思ったので、試しに水源の近くにある池に、もうひとつ鹿威しを作ってみることにした。また、沢に作った池の堰の底が抜けてしまったので、今回、全体的に沢の整備をやり直すことにした。

上の写真は、水源の近くの池。先ずは、竹を使って、鹿威し用の水を確保した。


こんな感じ。


鹿威しを作った。2回目の作成なので、今度は完璧。


鹿威しを固定する為の石を集める。


先ずは、鹿威しに当たる部分の石を池の中に設置。


次に、鹿威しを石で固定して完成。


チョロチョロ…。


ジョバジョバ!


カコーン!ん〜、風流だ。


上の写真は、沢の水を堰き止めて大きな池を作った時のもの。


初めて作ったにしては上手くできた。


水の音が絶えない心地よい場所であったのだが…。


去年の春、その堰の底が抜けてしまった。


堰の底が抜けて、水がダダ漏れ。水が溜まらなくなり、音も止まってしまった。


水の流れが無くなった為に藻が発生。


こんなに汚くなってしまった…。そこで、再び沢を整備することにした。前回は、沢に水が流れている状態で整備した為に不十分な整備となったので、今回は、沢の水を全て迂回させてから整備することにした。

先ずは、どれだけの水量があるのかを知りたいので、水源からの水を1ヶ所に集め、その水をパイプに流してみた。

すると…。


けっこう流れていた…。多いなぁ…。どうしよう…。


考えていてもしょうがないので、パイプを伸ばした。


どんどん伸ばした。


途中でパイプが無くなった…。


後日、ホームセンターでパイプを買ってきて、さらに伸ばした。ムキになって伸ばした。ホースを使う等、いくらでも他に方法はあるのに、パイプにこだわってヤケクソで伸ばした。因みに、パイプを使うことに合理的な理由は無い。ただ単にイライラして感情的になっただけである。

はぁ〜、やっと迂回に成功!


4メートルのパイプを11本も使用する大工事になってしまった。


池の堰は、以前は上の写真のようだったが…。


解体してこうなった。


自分でも忘れていたのだが、堰には上の写真にある切り株が使われていた。これじゃあ、切り株と切り株の隙間から水が漏れるだろうに…。さすが初心者。でも、よく1年間も底が抜けなかったなぁ〜。

調べてみると、やはり切り株の下に水の通り道があった。


少しでも水が漏れないように、ビニールシートが埋められていた。そんなこともしてたんだなぁ。埋めたこと自体を忘れてた…。

一気に沢の下流まで掃除した。


驚いたことに、まだこんなに切り株が埋まっていた。新しい池を作る時に利用する予定である。


水源からの水を全て迂回させたはずなのに、まだ沢に水が流れている。調べてみると、途中の2ヶ所から結構な量の水が湧いていた。これらの水を迂回させるのは難しいので、そのまま作業することにした。

泉ヶ岳にも雪が積もり…。


家の山にも雪が積もったので…。


雪が解ける3月まで作業は中断。お疲れさまでした。次回は、番外編を掲載します。


  2014/01/09  




暮露暮露庵の周辺の整備も一段落したので、春になったら庵で書道でもしながら、ゆったりとした生活をすることにした。ただ、「ん〜、何で急に書道をしようと思ったのかなぁ…」という疑問が頭に浮かんだので、何故なのかを必死に考えてみたのだが、答えが全然わからない。しかし、ふと、高校時代の書道の先生の話を思い出した。その先生は、最初の授業で次のようなことを言っていた。「君たちを、上手な文字が書ける人間にするのは簡単なことです。私が竹刀を持って君たちの後ろに立ち、下手な文字を書いたら、おもいっきり竹刀で殴ればいい。すぐに上手くなります。しかし、それでは、一生、君たちが書道の楽しみを理解することはないでしょう。私は、そのような授業をするつもりはありません」と。確かに、その通りである。子供を怒鳴って脅せば、すぐに効果があるが、同時に、一生、強い圧力をかけ続けなければならなくなる。少しでも圧力を弱めると、子供の反撃が始まり、全ての秩序が崩壊するからである。人間を教育する場合は、粘り強く時間をかけて指導するという方法が最も良いのであるが、なにせ時間がかかり、効果が出るのはかなり先のことになる。その為に、多くの先生たちが、“最も楽な方法”に走ってしまうのであろう。

先ずは、書道用の机を作ることにした。ちょうど職場に、不要になって処分に困っていた二段ベットがあったので、それを貰ってきて解体し、机の材料にした。

必要な部分を用意してから作業に入った。


完成!立派な机ができた。春になったら、日向ぼっこをしながら、この机で書道を楽しむことにする。


ついでに筆置きも作った。


次に、書道をする為の道具を揃えたのだが、全て100円ショップで買えた。すごいねぇ〜、1000円ほどで書道が始められる。初心者にはピッタリ♪

これは、セカンドストリートで900円で買ったもの。ちょうどよい大きさだったので道具入れにした。


これは、お手本にしようと思って買ってきた本。なかなか良い本なのだが、この写真を撮影した後、母がこの本を見て、「これ分かり易くて良いわねぇ〜、ちょっと借りるね♪」と言って持っていったきり、未だに未返却である。永遠に借りておくという意味だったのかなぁ…。

母から御手本を“借りて”練習してみた。最初の文字は“伝承之蔵”にしようと思ったのだが、“心ある者”に変更した。

おぉ〜!さすが初心者!ヘタクソだ!


実際に書いてみて分かったのだが、難しい!お手本の通りに書くのに何枚の半紙が必要なのか?全体のバランス、線のメリハリ、細やかな筆づかい、文字を書く時の流れ。すごい能力だ。この本の作者は塚竹堂という方なのだが、この世界では有名な方なのであろう。

お手本と比較してみると、自分の文字がどれだけ下手なのかが分かる。全体のバランスが悪く、文字を書く時に“線を巻く”という癖が私にはあるようである。お手本では、“る”の最後の部分を折りたたむように巻いているのだが、どうしても同じように書けない。私の書き方だけではなく、筆にも問題があるようである。筆の墨の吸い方、筆の毛のしなやかさも考慮しなければならなくなった。練習して上達するのと同時に、仙台筆や雄勝硯などの道具を揃えることも大切なのだと思った。ん〜、書道は奥が深い!

これは、雪舟の山水図という作品。どうせ書道を始めるのだから、ついでに水墨画も始めようと思い、水墨画の巨匠である雪舟の作品を模倣することにした。

おぉ〜!この構図の素晴らしさ!高い完成度だ!


次に、雪舟の大達磨像という作品を模倣してみた。


おぉ〜!完璧だ!


さらに、雪舟の自画像を模倣した。


て…、天才だ!私に水墨画の才能があったとは!


この才能を活かして、私自身のキャラを作ってみた。私は、悟りを得たいと思っているので、顔の輪郭は御坊さんにした。

でも、少しだけ俗世に未練があるので、髪の毛を一本だけ残した。


また、私は風流を好むので、眉毛は平安貴族のようにした。


そして、いつも笑顔でいたいので、目と鼻と口は優しく描いた。


暮露暮露の服装にして完成!ん〜、なかなか良い。


高校を卒業してから30年の時を経て、当時、書道の先生が蒔いた種が見事に芽を出した。文字を上手に書くことが目的ではない。書道を日常生活に取り入れて、それを自然に楽しむことが目的である。先生、あなたは間違っていなかった。今、私は、あなたが言っていた世界に、一歩、足を踏み入れ、その世界の奥深さと楽しさを満喫している。

  2014/01/30  





    先日、俳優の大沢樹生さんと女優の喜多嶋舞さんとの間にできた子供と思われていた16歳の長男が、実際は大沢さんの実子ではないことがDNA鑑定で判明したというニュースをデレビで放映していた。さらに、その番組にゲスト出演していた元二子山親方(本名:花田満さん)の妻であった藤田憲子さんが、満さんと憲子さんの間にできた子供である勝さんと光司さんに関して、「光司さんは満さんの実子だが、勝さんは実子ではない」という噂の為、兄弟が不仲となり、何十年も苦しみ、現在もその噂で苦しんでいるという話をしていた。その番組で、憲子さんは、「DNA鑑定をしてもいい」「何十年も前の噂を、今も信じている人がいる」などと主張し、世間に対して、真実を知ってもらいたいと理解を求めたのであるが、これを見ていた母が、「何でそんなことをテレビで言うのよ!」と言って怒りだし、何の関係もない私が、延々と母の主張を聞かされるという被害にあった。特に、この問題に関心があるわけではないし、被害にあった腹いせで言うわけでもないのであるが、仮に憲子さんがDNA鑑定をして二人が満さんの実子であると証明しても、「どうせ医者に金を積んで、自分に都合のよい結果を出してもらったんだろう」などと噂されるのが落ちである。つまり、“人の口に戸は立てられぬ”以上、噂などを気にするのは時間の無駄だということである。このような話は、その内容の真偽は別にして、昔から絶えたことがない。以下に引用するのは、徒然草の第七十三段に記述されている“空言=そらごと”に関するものである。

徒然草 第七十三段
    世に語り伝ふること、まことはあひなきにや、多くは皆空言也。あるには過ぎて、人は物を言ひなすに、まして年月過、境も隔たりぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書きとゞめぬれば、やがて定まりぬ。
    道ゝの物の上手のいみじきことなど、頑なる人のその道知らぬは、そゞろに神のごとくに言へど、道知れる人は、更に信起こさず。音に聞くと見る時とは、何事も変る物なり。
    かつ顕るゝをも顧みず、口に任せて言ひ散らすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又、我もまことしからずは思ながら、人の言ひしまゝに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の空言にはあらず。げにゝゝしくところゞゝゝうちおぼめき、よく知らぬよしして、さるからつまゞゝ合せて語る空言は、恐ろしきことなり。
    我ため面目あるやうに言はれぬる空言は、人いたくあらがはず。皆人の興ずる空言は、ひとり、「さもなかりし物を」と言はむも詮なくて、聞きゐたるほどに、証人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。
    とにもかくにも、空言多き世なり。たゞ常にある、めづらしからぬ事のまゝに心得たらむに、よろづは違ふべからず。下ざまの人の物語りは、耳驚く事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。
    かくは言へど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにはあらず。是は世俗の空言をねんごろに信起こしたるもおこがましく、「よも」など言ふも詮なければ、大方はまことしくあひしらひて、ひとへに信ぜず、又疑ひ嘲けるべからずと也。
底本:新日本古典文学大系「方丈記徒然草」

暮露暮露の口語訳
    真実の話は面白くないのであろうか。世間に語り伝えられている話の多くは、みんな嘘の話である。もともと人というものは、実際にあった以上に話を誇張するものであるが、まして、歳月が経って場所も遠く離れてしまえば、言いたい放題に話を誇張して、文字に残してしまう場合もあるので、そのまま真実として認識されてしまう。
    さまざまな道の名人の素晴らしさを、思い込みが強くて正しい判断ができない人は、むやみに神のように言いふらすが、その道を熟知している人は、そのような評価を信用することはない。噂で聞くのと、実際に見るのとは、何事でもその印象は違ってくるはずである。
    正しい判断ができる人がいる一方で、嘘であることがバレて信用をなくすことも気にせず、言いたい放題に嘘を言いふらす人もいる。しかし、そのような嘘は、すぐに事実無根であると分かるように思われる。また、「真実ではないのではないだろうか…」と思いながらも、人から聞いた話をそのまま、鼻をヒクヒクさせながら楽しそうに言いふらす人がいるが、これは、その人に罪のある嘘ではない。しかし、記憶が曖昧な部分をはぐらかしながら、全体のつじつまが合うようにしてもっともらしく話すような人の嘘は、たいへん恐ろしいものである。
    人間というものは、自分にとって都合のよい嘘に対しては、とりたてて強く否定したりはしない。その場にいる数人で面白がる嘘は、一人だけ、「そんなこともないだろうに…」と言っても意味がないので、しかたなく黙って聞いていると、その場にいて何も言わなかったということで、その話の証人にされてしまい、いよいよその嘘が真実のように認識されてしまう。
    とにもかくにも、嘘が多い世の中である。ただいつものように存在する珍しくもないことを、そのまま認識していれば、全てのことにおいて間違えることはないのである。身分の低い人が話す話の内容は、聞いていて驚くようなことばかりであるが、教養のある人は、奇怪な話などしないものである。
    そうは言っても、神仏の不思議な霊験や、人々を救うために仮に人間の姿となって現われた仏の伝記などは、一概に信じてはならないというものではない。神仏の霊験や仏の伝記などを信じることは、世間の嘘を本気になって信じ込むような愚かなこととは違う。神仏の霊験や仏の伝記などに関しては、「まさか、そんなことはないだろう」などと言ってもしかたがないので、だいたいは真実の事と思っておいて、信じ込みすぎることなく、また、疑ったり嘲笑したりすることもないようにするものである。

    昔から、“嫌がらせの情報”や“利権がらみの情報”などを意図的に流布している人間はいたし、その情報を処理する能力が欠如している為、そのまま信じ込む人間もいた。そして、現在もそのような人間は多くいるのである。受信した情報を正確に分析する能力が欠如している人間に、「自分を正確に理解してください!」と主張しても時間を無駄にするだけで、全く意味がない。そもそも、なぜ、そんなにも他人に自分を理解してほしいと思うのかが、私には理解できない。自分が他人の事をどれだけ理解しようとしているのかを考えれば、答えは簡単に導き出せるはずである。あなたは、自分が思っているほど世間の人に関心がないし、同時に、世間の人は、あなたが思っているほど、あなたに関心があるわけではない。つまり、「私はあなたのことを知らないが、あなたには私の事を理解してもらいたい」と主張しているに等しいのである。

    憲子さんの家族の例から学ぶことは多い。たとえ真偽の不明な怪情報であっても、繰り返し繰り返し耳うちされれば、いつの間にか“真実のように聞こえてくる”ものである。その結果、たとえ家族であっても簡単にバラバラになってしまう。人間の心とは、そのように弱いものである。だから、たとえ面倒だと思っても、毎日毎日、繰り返し繰り返し、お互いの心を確認することが大切なのである。これは、簡単そうに見えて、かなり難しいことである。まして、このようなことを世間の人々にするのは、大切なことであり必要なことだとは思うが、実際には不可能である。その為、私は、家族を中心とする自分の周囲の人間に限って正確な情報処理をし、その他に関しては、「真偽は不明であるが、そのような情報がある」という程度にとどめている。同時に、世間に対して自分を正確に理解してもらうことも求めていない。

    私は、家族を中心とする自分の周囲の人間が理解してくれれば、それで十分である。世間の理解を得ることはその次であり、特に今すぐ必要なことではない。デジタル大辞泉で“信”に関する言葉を調べてみると、以下のような意味であった。
    【信ずる】@そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。A信用する。信頼する。
    【信  頼】信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。
    【信  用】確かなものと信じて受け入れること。
世間一般では、このような意味で通じているのであるが、私の心にある感覚とは少し違っている。私の心の中の“信”とは、「相手の言っている内容を正しいと思う」ということではなく、「この人間になら騙されてもしかたがないと覚悟を決める」というものである。つまり、信による結果は、相手に起因するものではなく、自分自身に起因するものなのである。

    柳生新陰流には、“無刀の位”という技があるという。足を開いた姿勢で両手をだらりとぶら下げるという無防備な構えである。「相手に刀を抜かせずに相手を制することを目的とし、相手を恐れず、たとえ自分が斬られても相手を制する」というのが極意らしいのだが、原則として非公開なので、詳しいことは分かっていない。しかし、この柳生新陰流の第二世である柳生宗厳が“石舟斎”と号していたことなどから、私なりに推量することはできる。私は、この号をたいへん気に入っている。刀を持った相手を前にして、無防備と思われるような構えをし、斬られる覚悟で立ち向かって相手を制する。その時、宗厳は、“石の舟に乗った心境”だったのであろう。信という言葉の実践は、柳生新陰流の極意に通じるものがあるのではないだろうか。

  2014/02/08  







    最近、私は、歌手の家入レオさんの歌をよく聴いている。あまりひねった技巧を凝らさず、素直に表現された詩が気に入っているからである。物事を素直に受け入れるには、私は経験を積み過ぎてしまった。何かを見ると、ついつい戦略を練ってしまう。私の悪い癖である。彼女の素直な感性は、年老いた私には少し眩しい。

    今から十数年前、私は、ある女性から諭されたことがあった。深々と雪が降っていた日、二人で雪の景色を眺めながら、特に世間を風刺したつもりはなかったのだが、私が、「この雪の白さは嘘っぽい」と言うと、その女性は、「あんたねぇ、自然の美しさくらい素直に受け入れなさいよ!」と言って、私をキツく叱った。その通りだと思って反省した私は、それ以来、自然の美しさだけは、意識的に人間世界のこととは区別して、そのまま素直に受け入れることにしている。

    素直な感性というものは、どんなに私が望んでも、もはや二度と手にすることのできないものである。家入レオさんら若者には、今しか持つことのできない素直な感性を大切にし、その素晴らしい才能を存分に発揮してもらいたい。
甘クテ苦イィ〜♪chocolate♪  ρ(^∇^*)♭  ポ・ポ・ポ・チョコレート♪

  2014/02/26  





    以前、私の職場で盗難事件があり、警察の方に来ていただいたことがあった。鑑識課の女性が扉の指紋を採取していた時、仙台中央署の刑事第一課の I さんと話す機会があったのだが、私が、「一度、全ての日本人の指紋を採取した方が良いのでは?そうすれば、こんな時、すぐに犯人が分かるでしょ」と言うと、今まで笑顔で雑談していた I さんの目つきが急に厳しくなり、「私は嫌ですね。この日本を、そんな国にはしたくないです」と言った。

    私は、人間の根本は“悪”だと信じている。その為、人間は、日々、自分を律しなければならない。しかし、 I さんは、人間の根本は“善”だと信じているのであろう。人間が悪のように見える場合もあるが、心の底には必ず善があると。その為、人間の悪を前提にした全ての日本人の指紋の採取を嫌うのである。考え方は違うが、その信念には敬意を表する。

    私と I さんは、“人間というものの本質”に関する考え方は違うが、“人間の可能性を信じる”という意味では同じ方向を向いている。つまり、歩いている道が違うというだけで、最終的な目的地は同じということである。警察官による不祥事が大きく報道され、このような小さな誇りは報道され難いという側面があるが、それでも、現場の警察官は前に進もうとしている。どんなに批判されても歯を食いしばって頑張っている警察官がいる。そのことだけは、改めて理解してあげてもらいたいと思う。以下は、警視庁警察学校の入校式で読み上げる宣誓書である。 原文は、ウェブサイト「警視庁」より引用しました。


【宣誓書】


    私は日本国憲法

    法令

    条例その他の諸法規を忠実に擁護し

    命令を遵守し

    警察職務に優先して

    それに従うべきことを要求する

    団体又は組織に加入せず

    何ものにもとらわれず

    何ものをも恐れず

    何ものをも憎まず

    良心のみに従って

    公正に警察職務の遂行に当ることを

    厳粛に誓います。



暮露暮露の意訳

    私は、日本国憲法・法令・条例、その他の諸法規を忠実に擁護し、また、それらに定められている事を厳格に遵守いたします。 警察官としての職務を遂行するにあたり、その職務を疎かにして、自分たちの利益になる行動を私たち警察官に対して要求してくるような団体または組織に加入することはいたしません。 そして、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、ただ人間の良心にのみ従い、警察官としての職務を公正に遂行することを厳粛に誓います。

  2014/03/08  





    特に強い興味があったわけではないのだが、2014年3月4日(火)の河北新報に、“ワーキングプア”に関する記事が載っていたので、少しだけ気になり、ワーキングプアについて調べてみた(ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。その定義は各国によって様々で、統一されたものはないようなので、自分なりにまとめた定義を私自身に当てはめてみると、今まで気づかなかったのだが、私がワーキングプアであることが判明した。以前は、“負け組”と呼ばれていたようだが、いつのまにか、ワーキングプアに名称変更されていた。何とも忙しい世の中である。次は何と呼ばれるのか今からワクワクしている。その記事によると、働く貧困層を意味するワーキングプア。バーチャル(仮想現実)ではないリアル(現実)な生活での充実を意味する“リア充”。そして、その二つを合わせたような、貧乏生活での充実を意味する“プア充”という言葉が、今、注目を集めているという。

    賢明な若者たちが、何の批判もなしにプア充などという生き方を肯定することはないと思うが、念の為、ワーキングプアと呼ばれる私の体験を述べておくことにする。現在、私はワーキングプアの状態を楽しんで生活していることは事実である。しかし、それには、それ相当の物理的・精神的準備が必要である。物理的準備とは、年金・医療・不動産、その他の社会不安であり、すでに、私は、それらの社会不安に予防線を張っている。そして、精神的準備とは、真の貧乏を知っているかどうかということである。私は、子供の頃、貧乏のドン底にいた。父が事業に失敗して多額の借金を抱えていたからである。他人が“馬小屋”と呼ぶような家に住み、着るものはいつも同じ。そのような生活をしていた為、他人から嘲笑され、蔑まれて生きてきた。しかし、ドン底の貧乏生活をしていたからこそ、見えてくるものがあった。流行している物を買い、他人よりも豪華な家に住み、高級車に乗る。そして、それらの行為を高らかに自慢し、そうではない者を軽蔑する。子供の頃から、そのような大人の行動に違和感を感じていた。私の持っている金銭的な価値観と、普通の人たちのそれとは“軸”が違うと。私は、子供の頃の貧乏生活で、金が無い惨めさを味わわされた為、金のありがたみを十分に認識することができた。そして、「限られた少ない金銭の範囲内で、最大限に自分なりの幸福感を引き出す」という能力を身につけたのである。

    金を稼ぐだけなら、頭を使いながら死ぬほど働けばいい。そうすれば金持ちになれる。しかし、その代わりに莫大な時間を失い、過重労働で健康を害することもある。また、楽に暮らしたいだけなら、あまり働かずに最低限の生活をすればいい。そうすれば、面白おかしく暮らせる。しかし、その代わりに手に入れた莫大な時間をもてあまし、“退屈という苦痛”に苦しめられることになる。そのような極端な生き方をすれば、幸福とはほとんど関係のないものに莫大な時間を費やし、無駄に大量の汗を流すことになってしまう。金は、本当に大切なものである。将来がある若者たちには考えてもらいたい。何のために金を稼ぐのか?いくら稼ぐのが妥当なのか?そして、最も大切なことは、稼いだ金を、自分が幸福になる為にどのように有効に使うのかということである。さらに真剣に考えてもらいたい。どうすれば幸福を感じながら生活できるのか?そのためにはどのくらい働けばいいのか?そして、最も大切なことは、「他人が自分のことを幸福だと思ってくれる」ということで満足するのではなく、「これが私の幸福の形です」と自信を持って言える価値観を見つけ出す力を身につけることである。深く深く、さらに深く考える必要がある。「私は、将来、○○になりたいから貧乏でもかまわない」など、自分なりの夢を持ち、深く深く考え抜いたプア充なら、私はその生き方を否定しない。また、不本意にもワーキングプアになってしまった方には、同情の念を禁じ得ない。しかし、何の目的もなく、ただ楽をしたい、単に苦しいことが嫌いという理由でワーキングプアになる者は、日本にとって最も危険な存在の一つとなるであろう。

  2014/03/16  





    平成26年1月27日(月)、NHKのプロフェッショナルという番組で、Jリーグ・ガンバ大阪に所属する遠藤保仁さんの特集をしていた (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該番組を閲覧できます)。 遠藤さんは、2006年のドイツ・ワールドカップで日本代表に選ばれたものの、3試合とも控えにまわり、ゴールキーパーを除くと、ただ一人だけ試合に出場する機会がなかった。上の写真は、その時のものである。私は、このような一流選手の苦痛に歪んだ表情が大好きである。「この人は、今、何を考えているのであろう?」「どうやって、今、目の前にある大きな壁を乗り越えていくのだろう?」などと考え、ついついニヤニヤしてしまう。因みに、普通の人が困っている場合、私は、すぐに優しい手をさしのべる。冷たく突き放すのは、大きな壁を乗り越えた時の充実感を知っていて、そのための力が身についている人間だけである。

    遠藤さんが、「なぜ、自分は試合に出ることができなかったのだろう。何が自分に足りなかったのか?」と考えていた時、元日本代表監督のイビチャ・オシムさんに会って、「チームの為に走らなければならない」「点を取る為には、危険だと思うプレーをしなければならない」「サッカーは、一人の王様がいて、十人の家来がいるチームではない」「誰かが困った状況に陥れば、みんなで助けなければならない」など、基本的なものの大切さを改めて認識し、それらに対する自分の認識が不十分であったことに気づかされたという。

    “基本を極める”。番組によると、遠藤さんは、ずば抜けたスピードを持っているわけではなく、豪快なシュートを打てるだけのパワーもない。その遠藤さんを支えているのは、「ボールを止めて蹴る」という基本的な動作の圧倒的に高い精度らしい。「周りの人間に何を言われても焦らず、今、自分にできることを淡々とやる。世界で互角以上に戦うには、地道なことを積み重ねていくしかない」。それが、遠藤さんの戦い方だという。私の個人的な印象ではあるが、何か一つの事を極めようとする者は、その人によって表現の違いはあるものの、必ず同じような意味のことを言っている気がする。そして、その言葉の意味は、さして特別なものではなく、ごくごく普通のことであることが多い。今、私は、DVDに録画したこの番組を何回も繰り返し見て、大切なメッセージを記憶に焼きつけている。

  2014/03/21  





    私は、学生時代、よく家電量販店などで値切って商品を買ったものだが、社会人になってからは、店の提示する価格が適正なのだと思って値切らずに買っている。最近は、度を越した低価格に危機感を持っているので、なおさら店の価格表示のまま買っている。店の従業員の方たちが、「しめしめ、バカな客だ。高値で買いやがって」と思っていても平気である。ただし、豊富な知恵を背景にした値切りには賛成なので、そのような場合は、積極的に参加したいと思っている。つまり、“粋”な値切りである。

    知恵のある値切り交渉に関しては、いろいろな話を聞いたことがある。ある店で、その店の主人と客との間でさんざん値切り交渉をした後、その客が、値切った分の金額を、「はい、ご祝儀」と言って主人に渡した。また、執拗に魚の価格を値切ってくる客に対して、魚屋の主人が、「お客さん、そんなに言うなら、自分で魚を獲ってきてみなよ。海までの交通費・船代・釣り具の代金、一体いくらかかると思ってんの?こんな価格じゃ手に入らないよ。そう考えたら安いもんでしょ♪」と言って、客の値切りをかわしたなどである。

    昨今、「これくらいの部品なら、あなたの工場じゃなくても生産できるんだから、他の工場から買ってもいいんだよ。値引きしないなら、この仕事は他の会社にまわすから」と言って、仲間であるはずの下請け会社をいじめている会社が多いという。自分たちが助かる為に多くの仲間を泣かせるという値切りは、最も下品な値切りである。ただひたすら値切るだけで、値切った分の金額の使い方も知らないとは笑止千万。値切るなら、もっと楽しく。もっと風流に。粋にやろうよ。粋にね♪因みに、戦国時代の武将である宇喜多直家は、多くの姻戚を毒殺したり闇討ちにしたとされるが、一方で、自分の家来と共に農作業に励んだり、共に節食して兵糧を蓄えたりした。そして、姻戚を殺すことはあっても、自分の家来は一人も殺さなかったという。少し乱暴な例を挙げたが、現在よりも苦しく困難な時代に生まれていながらも、仲間だけは絶対に裏切らない人間がいたという話である。

  2014/03/26  





    昨年末、一流とされているホテルやレストランなどで、メニューに芝海老と表示しながら、実際にはバナメイエビを使用するなど、表示と異なる食材を提供していたことが発覚した。その後の報道では、“誤表記”“虚偽表示”“偽装表示”など、いろいろな表現があったが、簡単に話すと、ホテルやレストラン側は、お客さんの為の表示ではなく、自分たちの為の表示をしていて、お客さん側は、その時は満足して帰ったものの、表示が違っていたことを知って、突然、怒りだしたという話である。つまり、これらの料理をした人間は職人ではなく、また、お客さんたちも、自分たちが思っているほどグルメではなかったということである。このニュースを読んでいて、ふと、次の二つの事を思い出した。

    先ず一つは、私が10歳くらいの頃、ある中華料理屋に一人で入り、冷やし中華を注文した時のことである。店の主人が、「お金を持ってる?」と聞いてきたので、私が財布の中の御金を見せると、安心した主人は、近くにいたアルバイトに向かい、「おい!お前が作れ!」と叫んで、自分が料理するのではなく、アルバイトに料理をさせた。特に料理の味に問題はなかったので、帰る時、私は、そのアルバイトの方に、「ごちそうさまでした。おいしかったです」と言って帰ったのだが、しばらくすると、その店は閉店していた。

    そして、もう一つは、15年ほど前、同僚のSさんから聞いた話である。ある人が、お客さんの健康を第一に考えて、天然素材にこだわったラーメンを提供する店をオープンしたのだが、お客さんの間で、「あまり美味くない」という評判になり、閉店に追い込まれそうになった。そこで、背に腹は代えられず、主人が、化学調味料をバンバン入れたラーメンを提供すると、「あのラーメン屋は美味い」という評判になり、あっという間に、行列のできるラーメン屋になってしまった。しかし、その主人は、寂しそうに次のように呟いたという。「お客さんには、本当のラーメンの味なんか分からないんだね…」と。

    私が考える真の職人とは、たとえ相手が子供であっても、たとえ相手が素人であったとしても、手抜きをせず、自分の持っている最高の技術を提供する人間のことである。また、真のグルメとは、ただ話題になっている店を食べ歩いている人間のことではなく、その素材の美味さを極限まで感じる舌を持っている人間のことである。因みに、平安時代の貴族たちは、鯉を食べると、どこの国の、どこの水で育った鯉かを正確に当てたという。そのような人間こそが、真のグルメである。今回の件では、お店側も、お客さん側も、反省すべき点が多かったのではないだろうか。

  2014/04/01  





    ロシアによるウクライナ南部クリミア半島の編入・シリアの内戦など、いつの時代にも紛争というものは絶えることがない。いつも思うのだが、このような紛争に関する各国の政府高官の言葉には何か歯切れの悪さを感じる。私には分からないような何らかの利害関係があり、その為にあのような言葉になるのであろうが、誠にスッキリしない言葉である。When you were born, you cried and the world rejoiced. Live your life so that when you die, the world cries and you rejoice.(君が生まれた時、君は泣いていて、周りは笑っていた。君が死ぬ時、周りは泣いていて、君は笑っている。そんな人生を歩みなさい)。先日、初めて知ったのだが、これは、インディアンが残したとされる言葉だそうである。歯切れの悪い言葉が氾濫する世界の中で、この短い言葉は、時代を越え、距離を越えて、遥か日本に住んでいる私の心を射ぬいた。それは、単なる音としての言葉ではなく、心に直接的に語りかける“真の言葉”であった。

    どうして同じ人間でありながら、これほどまでに言葉の影響力に差が生じるのであろうか?地位や身分や金銭などは、あまり関係がないようである。政府高官であれば地位としては申し分ないし、身分も高いので金銭的にも恵まれているであろう。ならば、知識であろうか。それも、あまり関係がないようである。知識だけなら私たち現代人の方が持っている。私は、その根底には、“欲”があるのだと思う。ある一部の利害関係だけを考えて行動している人間の言葉には、あまり説得力がない。しかし、私利私欲が無く、全体のことを考えて行動している人間の言葉には、直接、人の心に語りかけ、その心を震わせる力が与えられる。前述のインディアンの言葉は、子供に対する溢れんばかりの愛情に満ちている。そして、それは、自分の子供に対してだけではなく、全員の子供に対して向けられていると感じる。子供のいない私の心でさえ震えるのである。まして、子供を育てている親の心は尚更であろう。利害関係に縛られた私たちの発する言葉は、私利私欲のない先人たちの真の言葉には絶対に勝てないことを思い知らされた。

  2014/04/07  




百九十一高地の激闘・前編


上の写真の赤丸は、所有地内の標高191メートルにある場所なので、“百九十一高地”と呼んでいる。


百九十一高地の頂上は、たいへん眺めが良い。


その為、土地を整備して平坦にし、不要になったテーブルと椅子を置いて休憩などに使用していた。


こんな感じ。


ここは、暮露暮露庵が完成して以降、ブルーシートをかけて放置している状態だったのだが、私が知らない間にミツバチが巣を作ってしまった。

そして、平成25年10月12日、私は、見事にミツバチに左腕を刺された。


ミツバチに刺された時は激しい傷みを感じたが、傷口から血を絞り出して水洗いしたせいか、その後は痛みもなくなり、上の写真のように、たいした傷にもならなかったので、バンドエイドを貼って終了。ミツバチに刺されても、迅速に対処すれば、たいした事にはならないのである。

…と思ったが、考えが甘かった。バンドエイドを取った時、弱っていた皮膚が一緒に取れてしまった!


あぁ〜!腕が腫れてきた!か、かゆい!カユイ!痒い!めっちゃ痒い!


おぉ〜!手が!ドラえもんのように…。


う…、膿が出てきた…。


ん〜、膿は出なくなったが、傷口が窪みのようになってしまった。


な、何だ、この白いものは?脂肪か?再生中の皮膚か?


おぉ〜、また膿が出てきた!


傷口がクレーターのように…。


ふぅ〜、やっと傷が癒えてきた…。おのれ…、ミツバチめ!


このミツバチ騒動によって、“野性の王国”から独立しようとする機運が高まった。


そして、強引に野性の王国から独立して新国家を樹立。人間界の遥か彼方に、果てしなく広い空間を持ち、人間が望む全てのものが備わっているという場所、心身の苦痛や生活の苦労が一切なく、皆が楽々としている“極楽浄土”という場所があるという。その理想郷からは、距離的にも精神的にも遠くにある国という意味で、国名を“陸奥の国=みちのくのくに”とした。

陸奥の新政府は、野性の王国から独立してすぐに軍隊を編成、怒りにまかせてミツバチの巣に進撃を開始した。

第一次総攻撃を開始。


しかし、巣の周りを警戒していた見張りのミツバチに見つかり、大混乱となった。


第一次総攻撃は失敗。ミツバチの巣というよりも、もはや立派な要塞であった。


孫武が著したとされる兵法書「孫子」には、以下のような一節がある。彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず敗る。(相手の能力を熟知し、自分の能力も熟知すれば、百戦しても何の心配も無く全て勝利する。相手の能力を十分に知らず、自分の能力だけを熟知すれば、一勝一敗となる。相手の能力を十分に知らず、自分の能力も十分に知らなければ、戦うたびに必ず敗北する)。ん〜、蜂の能力を何も知らずに攻めていた…。

そこで、蜂に関して調べてみた。簡単にまとめると次のようになる。A@蜂は、巣に近づいたり、触れようとしたりするから刺してくるのであって、それ以外では、むやみに人間を刺すことはない。A蜂の活動期間は、2月ごろ始まり、10〜12月ごろ終わる。その中でも、8月〜11月ごろは女王蜂が誕生する時期なので、蜂は特に攻撃的になる。B蜂の活動時間は、朝7〜8時ごろから日中にかけて活発に活動し、その後、夕方から夜にかけて巣へ戻り、そのまま休止状態となる。C多くの蜂の巣の使用期間は1年限りで、12月までには巣の中は空になる。ただし、翌年も前年に近い場所に巣を作る可能性が高いので注意が必要である。因みに、ミツバチは越冬して同じ巣を数年間は使用する。B@花が咲いている場所や水場を好む。A明るい方へ向かう習性がある。B黒い色のものを攻撃する習性があるC素早く左右に動くものに反応して追ってくる。因みに、オオスズメバチの飛行速度は時速40キロである。Dスズメバチは、整髪料や香水に含まれる成分、人間の汗などの臭いにも敏感に反応する。E直線的に追いかけてくるので、遭遇した場合、姿勢を低くして急角度で曲がるなどして巣から離れるようにする。F蜂によっては、一匹の蜂が他の生物に毒針を刺すと、そこから蜂が攻撃的になるフェロモンを発する為(仲間を呼ぶ効果と即座の攻撃を促す効果)、他の蜂も集団で襲ってくる。Gスズメバチは、巣に近づく敵に対して威嚇を始める警戒範囲(数メートル〜10メートル程度)を持っていて、その周辺を大きな弧を描いて飛ぶ。C@蜂に刺された場合、すぐに毒を絞り出して水で洗い流し、抗ヒスタミン剤・ステロイドの軟膏を塗る。また、ひどく腫れる・蕁麻疹や吐き気・息苦しいなどのアレルギー症状が現われたら、すぐに医師の診察を受けるようにする。A二回目以降はアナフィラキシーショックを起こして命を落とす危険性があるので注意が必要である。

ん〜、そんなに強い敵だったのか…。戦況は極めて不利だ…。ミツバチの要塞があるため、水源までの道が利用できず、水の補給が絶えてしまった。ミツバチは越冬して数年間も巣を使い続ける…。何としても、今のうちに要塞を落とさなくては…。

ん?そうだ!猪の防護柵を作る予定だった“メイちゃん迷子の道”がある!この道を通って要塞の背後にまわりこめば良いんだ!

先ずは、ミツバチが活動を停止する夕方を待って…。


メイちゃん迷子の道を通ってミツバチの要塞の背後にまわり、偵察することにした。


ん〜、北側が出入口になっていて見張りのミツバチがいる。


これが、全体図。ミツバチにとっては攻めやすく守りやすい。かなり強固な要塞である。しかし、その強固さが逆に欠点にもなる。フフフ…。良い策を思いついた。

メイちゃん迷子の道の藪の中に待機。夕方になってミツバチの活動が停止するのを待ってから要塞に突撃し、バルサンを投げ入れた後、蜂が直線的にしか飛べないのを利用してジグザグに逃げる。そうすれば、要塞の中にパルサンの煙を充満させることができ、ミツバチを全滅させることができるというわけである。

これは、新政府が開発したパルサン槍。パルサンと槍を融合させた斬新な武器である。


新政府は、すぐに、“パルサン決死隊”を組織し、平成25年11月8日、17:00に第二次総攻撃を開始することを決定した。

  2014/04/17  




百九十一高地の激闘・後編


平成25年11月8日、16:30、パルサン決死隊が暮露暮露庵の前に集結。要塞に向かって進軍を開始した。


ナポレオンは、31歳でアルプスを越えた。


暮露暮露は、45歳で百九十一高地を越える。


メイちゃん迷子の道を通って進軍。


メ…、メイちゃん!まだいたのか!ここは危ないから逃げなさい!


うぅ…、野性の王国からの圧力で、さらに老けてしまった…。か…、必ず、この仇はとるからね!


16:45、要塞の近くにある藪の中で待機。


17:00、第一次総攻撃の反省を踏まえて計画した第二次総攻撃が開始された。


突撃ィィィ〜!


第二次総攻撃は、子供まで戦闘に参加させるという総力戦になった。


そして、ついに要塞にパルサン槍を突き刺した。


目的を果たしたパルサン決死隊は、すぐに計画どおりジグザグに撤退。


へへへ…、今頃、要塞の中は煙が充満しているはず。上の写真の月は、ミツバチたちが見る最後の三日月となる。完全勝利は目前だ!

1789年、フランス国民は、フランス革命に命を捧げた。


2013年、暮露暮露は、陸奥の建国に命を捧げる。


新政府は、無駄な犠牲者を出さない為、パルサンの効果が出るまで十分に時間をおくことにした。そして、平成25年11月26日、第三次総攻撃を開始することを決定。

11月26日、17:00、第三次総攻撃を開始。


見張りの蜂はいない…。気配もない…。ふふふ、間違いない。ミツバチは全滅した!


新政府は、とうとう開戦以来の悲願であった百九十一高地山頂の占領を成し遂げた。


ハハハハハ!勝った!それ〜、ブルーシートをはがせ〜!要塞の中は、ミツバチの死骸でいっぱいだぁ〜!。


ガバッ!


使用済みのパルサン槍だ!よく頑張ったぞ!ミツバチの死骸、死骸と…。


ん〜、おかしい…。一匹の死骸も無い…。え?こ…、このマーブル模様は!


スズメバチの巣だぁ!ミツバチの要塞だと思っていたら、スズメバチの要塞であった。


ん〜、スズメバチの巣と椅子が一体化している…。


地面に置いてあった鎌とも一体化している。


ん〜、すごい…。


すでに巣を捨てた後であった。


四角に凹んでいるのが、椅子と一体化していた部分。


崩れている部分から中を見ると、小さな部屋に区切られているのが分かる。実に効率的なアパート経営である。


サンダルと比較すると、巣の大きさが分かる。


美しい模様の芸術的な巣ではあるが、意外にもろく、すぐに崩れてくる。


こんな感じ。


椅子と机を撤去。完全に要塞を解体した。


蜂は、翌年も前年に近い場所に巣を作る可能性が高いので、新政府は、この場所に自国の要塞を建設することを決定した。陸奥の国の初めての戦争は、莫大な借金と多くの人的被害を残したにもかかわらず、ほとんど戦果と呼べるものは無かった。そして、この戦争は国力を低下させ、国民を疲弊させたため、ヨチヨチ歩きの新国家にその負担が重くのしかかった。そこで、新政府は、“最終手段としての戦争”という選択肢を残しながらも、戦争以外の国家運営の在り方を模索し始めた。軍隊は寄せ集め。憲法なし。統治機構なし。首都なし。国旗なし。国歌なし。新政府は、国家の基本を定めながら同時に国家運営をするという、極めて難しい舵取りを迫られることになったのである。

  2014/04/28  





    前の会社に勤務していた時、私は、ある半導体の工場に配属になったのだが、その工場に、廃棄物関係の協力会社として勤務していた I さんという事務職の方がいた。 I さんの会社は、廃棄物のトラック輸送を主な仕事にしているのだが、その会社では、50歳になると、社員の健康を考えて、トラックの運転手から事務職に異動することになっている。ところが、 I さんは、「事務職になると給料が下がってしまう。俺には、これから金がかかる小学生の息子がいるから、このままトラックの運転手を続けさせてください」と会社に願い出た。しかし、これを知った奥さんと息子さんは、「絶対にやめて!」と言って怒ったという。 I さんは、家族の為に無理をして金銭を稼ごうとしたのだが、家族が最も望んだものは、“パパの健康”という最もシンプルなものであった。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2014/05/06  




以前、陸奥の国内で発見した寄り添うように埋まっていた三つの石を、上の図のように、暮露暮露庵の前の畑に祀った(2013年12月22日の記述を参照してください)。

こんな感じ。ところが、石の設置が終わって帰ろうとすると、母が私に、「あの中央の石…、人の顔に見えない?」と言った。

人の顔?


人の…。


顔…。


あっ!こ、これは!


いかりや長介だ!死んだはずの長さんが復活した!(削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます

おぉ〜!懐かしい!テレビ人形劇「飛べ!孫悟空」の長さん三蔵法師だ!…と言っても、若い方は知らないか…(削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。

ん〜、見れば見るほど、そっくりだ…。


以前は、こんな感じの畑だったが、上の段に三つの石を設置した。


再び長さんに会えたのも何かの縁なので、下の段を大幅に拡張して、長さんへの貢物の農作物を育てる畑にした。

その畑に、キュウリ・ナス・トマト・ダイコンの種を蒔いた。


しかし、ダイコンは無事に発芽したのだが、キュウリ・ナス・トマトは全滅してしまったので、キュウリ・ナス・スイカの苗を買ってきて植えることにした。

ところが、全滅したと思っていたキュウリが発芽。買ってきたキュウリの苗を植える場所が無くなってしまったので、仕方なく鹿威しの隣に植えることにした。

こんな感じ。


完璧!これで長さんも満足するであろう。


私が長さんへの貢物の農作物を畑に植えていた頃、湾岸署の会議室では事件の処理に追われていた。


そして、「踊る大捜査線」の主人公である青島俊作は、「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!」と叫んでいた。

ちょうどその頃、陸奥の国の会議室では、この畑の名称を何にするかで議論を重ねていた。


そして、伝承之蔵 Spin off の主人公である暮露暮露は、「農作物は会議室で育つんじゃない!畑で育つんだ!!」と叫んでいた。

結局、この石群の正式名称は“家族石=かぞくいし”に決定し、三つの石のそれぞれを“父の石”“母の石”“子の石”と呼ぶことにしたのだが、父の石に関しては愛着を込めて、通称“長さん復活の石”とした。また、畑に関しては正式名称をつけず、通称“踊る大農作物畑”とした。

  2014/05/22  





    上の写真は、私のマンションの近くの道にある支柱である。先日、某有名会社のトラックが作業を終えて出発した時、私は、そのトラックが支柱を完全に踏み倒したのを目撃した。そのトラックの運転手さんは、自分が支柱を踏み倒したことには気づいたのだが、知らん顔をしてその場を立ち去ってしまった。その運転手さんの悪い姿勢にも驚いたのだが、私がもっと驚いたのは、トラックに踏み倒されてペシャンコになったはずの支柱が、わずか1〜2分で復元してしまったことであった。何という高い技術力であろうか。すぐにネットで検索してみると、この支柱は“ジスロンパイプ”というものであり、「@変形しても復元するA人や車に接触しても、人や車を傷つけないB老朽化したら回収し、何度でも同じ製品にリサイクルできる」という特徴があることが分かった。

    昔、政治評論家であった故・三宅久之さんが、多くのIT企業が急成長し、世の中が、「これからはITの時代だ。日本の“物作り”はもう古い」という風潮にある中、これらの主張に真っ向から反論し、「日本は物作りの国だ。物作りの国が物を作らなくてどうするんだ!」と怒っていた。その通りである。誰からも気にも留められずにひっそりと街角に立っている支柱を見れば、日本国と日本国民の意識が見えてくる。街角の支柱にさえ高い技術力を駆使し、公共の利益に貢献しようとしている。日本人の意識の繊細さ、勤勉さ、技術力の高さ。これは世界に誇れるものである。もし今、私が若く、人から、「あなたは、将来、どんな職業に就きたいですか?」と問われたら、私は迷うことなく、「職人です」と答えるであろう。やっぱり凄いぞ! Made in Japan !

  2014/05/29  





    上の写真は、明治時代に発行された二十圓金貨幣である。法律によって旧二十圓金貨幣と新二十圓金貨幣に区別されている。私は古銭が好きなので、先日、ネットでいろいろ調べていたところ、保存状態にもよるが、現在、この金貨は、旧二十圓金貨幣が数百万円〜千数百万円、新二十圓金貨幣が数十万円〜数百万円で取引されていることを知った。私の母方の祖父は、“日存上人”という檀家さんから慕われていた心の優しい住職であったのだが、私が子供の頃、この金貨を何枚も持っていた。ある日、祖父が、虫歯の治療のために行った歯医者から帰ってきて、「貧乏だから金歯を買う御金がない。たまたま昔の金貨があったから、それを溶かして金歯にしてもらった。これで美味しく御飯が食べられる」と言って喜んでいた。子供だった私は、「おじいちゃん、良かったね♪」と言って一緒に喜んだのだが、今、改めて尊敬する祖父に一言だけ言いたい。








バ〜カ!


  2014/06/11  





    上の写真は、サッカーのイタリア代表のマリオ・バロテッリ選手である。私はサッカー観戦が好きなので、今回のワールドカップ・ブラジル大会の試合を全て録画して観ている。先日、録画していたイタリア代表の試合を母と一緒に観ていたのだが、バロテッリ選手を見た母が、昔、誰かから聞いた話を思い出して、私に話してくれた。ある日、ある黒人の母親が買い物から帰ってくると、まだ幼い自分の子供が必死に手を洗っていた。そして、「ねぇ、ママ…。何で僕の肌は黒いの?石鹸で何回も洗っているのに白くならないんだ…」と母親に言ったという。某国での人種差別の話である。

    私の母方の祖父は山梨県で住職をしていたのだが、太平洋戦争前、その寺の近くに朝鮮半島から来日した朴さんという方が、家族六人(父・母・子供四人)で生活していた。しかし、朴さんの家族は、朝鮮人という理由で周囲の里人たちから蔑まれ、子供たちも、毎日、学校でいじめられていた。ある日、朴さんの子供が、上級生たちから、「お前、名前は何て言うんだ?」と聞かれたのだが、朝鮮人だと知られるといじめられるので、その子供は、何も話さずにじっと下を向いて黙っていた。偶然、そこに私の母が通りかかり、「その子は、“金子さん”だよ。恥ずかしがり屋だから黙ってるだけよ」と言って助けると、その上級生たちは、「何だ、朝鮮人じゃないのか」と言って去っていったという。また、ある日、私の祖母が、「この米…、虫がついてるんだけど…、もらってくれる?」と言って、寺で余っていた米を朴さんにあげようとしたところ、朴さんは、「大丈夫!大丈夫!アリガトウ、アリガトウ」と言って、喜んで米を受け取ってくれた。朴さんの家族は、いつも優しい言葉をかけてあげた私の祖母に、死ぬまで感謝し続けたという。

    差別は根の深い問題である。誰の心の中にでもある醜い部分なので、どうしても目をそらしてしまって真摯に向き合うことができない。大きな団体が差別を根絶するための活動をすることも大切だとは思うが、私の祖母や母のように、自分の身近で差別されている人間を助けるという活動の方が効果が大きいようである。なぜなら、差別を根絶する活動は、他の人間との闘いではなく、自分自身の心の中にある恥部との闘いなのだから。差別をするのは、自分の心の中に闇の部分があることに気づかず、または認めず、その誤った認識を基準に物事を判断する人間たちである。自分の心の中に闇の部分があることを明確に認識し、それに打ち勝つことのできる強い人間が増えれば、いつか差別が根絶される日が来るかもしれない。

  2014/06/24  





    私は、自分自身の置かれている経済状況を把握する為、かなり細かく家計簿をつけているのだが、今月、初めて赤字を出した。私の母は、今年で八十歳になる。最近、もの忘れが激しくなり、歳をとると寂しくなるのか、私が会社に出勤する時、玄関まで見送りにきて、寂しそうな表情をするようになった。「まぁ、歳を取るとそうなるのかなぁ…」とも思うので、私はできるだけ母の側にいるようにしている。その為、私は、1ヶ月に9日しか働いていない。勤務日数が少ないので、給料は安く、毎月、ギリギリの生活をしているが、その代わりに1ヶ月に20日以上の休日を確保している。つまり、金銭的にギリギリの生活をする代わりに、しばしば母を家庭菜園に連れて行くなど、その世話が可能になっているのである。母は、私が買った山での家庭菜園が気に入っており、「この土地は良いねぇ。お前、買って正解だったよ。ありがとう。ありがとう」と言って、日が暮れるまで土いじりを楽しんでいる。今のような生活スタイルを続けている限り、将来、赤字が膨らんでいくことは明白である。しかし、私は、そのようなことは少しも気にしてはいない。それは、子供の頃、母方の叔父と将棋をした時の記憶によるものである。

    上の図は、飛車と角行という将棋の駒の動ける範囲である。この二つの駒は、たいへん広い範囲を動けるので、相手の王を詰む為には絶大な力を発揮する。“詰む”とは、相手の王を逃げられない状態にして対局に勝つことである。ある日、私と叔父が将棋をしていた時、私の飛車と角行が攻められて危なかったので、私は、必死に二つの駒を逃がし続けた。しかし、そうこうしているうちに、王が詰んで対局に負けてしまった。叔父は笑いながら私に次のように言った。「ハハハ、飛車と角行がそんなに大切か?お前が飛車と角行を守っているうちに、お前の王は危険な状態に陥った。確かに飛車と角行は大切な駒だが、それらを守って王が詰んでしまうのは本末転倒だ」と。若くて未熟だった私は、対局の全体的な状況を見ることなく、目先の有用な駒を失うことを恐れた為、その対局に負けてしまった。その時、場合によっては、有用な駒を捨ててでも、手にしなければならないものがある事を学んだのである。

    今、私がしなければいけないことは、目先の金銭を稼ぐことではなく、いかに自由に使える時間を多く確保するかである。その為には、少々、家計簿が赤字になっても気にする必要はない。全体の状況を把握し、将来の方向性を決めた上で、今、自分が何をすべきかを考えて、それを実行するだけである。将棋の勝ち負けは客観的に見て明白であるが、人生の勝ち負けは将棋のそれとは少し違っている。私が人生の勝ち負けを判断する基準は、自分自身の感性である。私が死ぬ時、金銭ばかりではなく、自分の経験した全てのことを総合的に熟考した結果、プラス・マイナスがゼロ以上であると自分で納得することができたなら、それは、私の勝ちである。他人の感性は関係ない。自分が勝ったと思えば勝ちだし、自分が負けたと思えば負けなのである。その為、私の言う人生の勝ち負けでは、全員が勝つこともあれば、全員が負けることもある。

  2014/07/05  




家族石の設置も完了したので、その周辺の整備を少しずつ進めた。(家族石に関しては、2013年12月22日、2014年05月22日の記述を参照してください)

父の石、通称“長さん復活の石”も立派に安置できた。


母が土地に彩りを与える為に、いろいろな花を植え始めた。


これは、シャクナゲ。


これは、ベゴニア。


これは、マリーゴールド。


こんな感じ。長さんも満足しているであろう。


踊る大農作物畑には、長なす・地這きゅうり・時無し大根・中玉トマトの種を蒔いた。


しかし、時無し大根を残して全滅してしまった。その為、紫紺 仙台長なす・梵天丸 丸なす・紅こだまスイカ・花笠スイカ・夏元気きゅうりの苗を買ってきて植えた。

それぞれの植物は順調に生長したのだが、最近、ハッと気づいたことがある。それは、角度である。


真上からの写真ではないので分かりにくいが、なぜか生長する植物の大きさ(高さ・幅など)が、南側は小さく北側が大きくなっている。

時無し大根・紫紺 仙台長なす・梵天丸 丸なす・紅こだまスイカ・花笠スイカ・夏元気きゅうり・ベゴニア・マリーゴールド。全ての大きさが、“南側<北側”となっている。

どうしてそうなるのかを考えた末、私は、あまりにも恐ろしい秘密に気づいてしまった。


それは、長さんの唇の角度と同じだということである。


ん〜、完全に一致している…。


間違いない…、これは長さんの呪いだ!ところが、母は全く気にせず、「何が呪いよ!花を植えて彩ったり、野菜を作ってやったのに!」と言って逆ギレ。収穫した大根を次の写真のように御供えした。

オーホッホッ♪ ξ\(^。^ ))))) チョンマゲ〜!


母と私は、収穫した野菜と共に、長さんの呪いをも食い尽くしてしまうという、恐ろしくも力強い親子であった。


因みに、これが、今回、収穫した夏元気きゅうりと時無し大根。農薬・肥料などを全く使用していないので、100%自然の力だけで生長した野菜である。その為、生長の速度も遅く、形も悪くて大きくならない。しかし、味には全く問題はない。自分で野菜を作ってみると、店で販売されている野菜が、どれだけ無理に無理を重ねて栽培されたものなのかが分かる。私が、なぜ農薬や肥料を使用せずに100%自然の力だけで栽培するのかは、また次の機会に述べることにする。今後、しばらくの間、陸奥の国の話が続きます。

  2014/07/26  




先月は臨時の仕事が多かった為、体調を崩してしまった。私は体が弱いので、少し無理をするとすぐに体調を崩してしまう。困ったものである。父親も体が弱かったし、母親も体が弱いので、私の虚弱体質は恐らく遺伝だと思われる。体調不良の症状は、母親のそれに近い。最近は、ひどい頭痛と激しい胸の痛みに苦しめられている為、休日にはパソコンも使用せず、十分に体を休めて疲れを癒していた。今回は、そんな暮露暮露の、ある休日を紹介することにする。

2014年4月7日、去年、ホームセンターから買ってきて植えた梅が完全に根付いた。


おっ!蕾が出てる〜!


2014年4月14日、お〜!梅の花が咲いた。


春は、もうすぐだ。


大した働きもしない暮露暮露であったが、それなりに頑張っていたので心身ともに疲れていた。以下は、2014年5月12日、私が暮露暮露庵で仕事で疲れた体を癒していた時の話である。

ん?


へ〜、そうだったのか…。


ふふふ…、ほれっ、頑張れ。


もう少しだ。頑張れ、頑張れ。


よし!良くできました。


ん〜、今日も一日、勉強になった。楽しかったぁ〜。


鶯は、“春告鳥=はるつげどり”とも呼ばれている。春を告げる鳥とは何とも風流である。私は、鶯は生まれながらに美しく鳴くものだと思っていたのだが、必死に練習しながら上手く鳴けるようになることを知った。私たち人間も彼らに学ばなければならない。何か目的があるのなら、真剣に努力しなければならないことを。因みに、鶯は、「ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ」と鳴くが、“ホーホケキョ”は、他の鳥に対する縄張り宣言であり、“ケキョケキョケキョ”は、縄張りに侵入した者などへの威嚇であるという。私は、鶯が上手に鳴けるようになって喜んでいたが、鶯は、私に、「邪魔だから出ていけ!」と鳴いていたのである。心身の疲れを癒しに来たのに、逆に、心に深い傷を負った暮露暮露であった。

余談ではあるが、現在、日本では鳥獣保護法により鶯の捕獲・飼育は原則として禁止されている。しかし、実際には密猟が絶えないのが実態である(削除されていなければ、ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。物には“あるべき場所”があり、人や動物には“居るべき場所”がある。鶯の居るべき場所は自然の中であり、決してペットショップや人間が住んでいる家屋の中ではない。自然の中から聞こえてくるホーホケキョには、美しさを感じたり、畏敬の念を抱いたりするが、家屋の中から聞こえてくるホーホケキョからは、人間の罪深さしか感じない。

  2014/08/11  




ある日、百九十一高地でスズメバチの女王蜂を目撃した。蜂は前年に巣を作った場所の近くに、再度、巣を作る傾向があるので注意が必要である。また、O国は元首が不在の為、現在、荒地となっており、ほぼ野性の王国に占領された状態となっている。

その女王蜂は、上の写真の赤丸のあたりに姿を消した。


昨年のスズメバチとの忌まわしい戦争の記憶が蘇える。尊い多くの犠牲をはらった戦争であった。今年はあの惨劇を繰り返してはならない。

鹿威しの効果があったのであろうか?今年は、イノシシの被害が全く無い珍しい年であった。上の写真のような景色が…。

こんな風になってしまった年もあった。


後日、女王蜂を目撃した周辺で小動物の糞を発見。


断定はできないが、タヌキかキツネだと思われる。キツネの糞にはネズミなどの毛が含まれていることが多いので、タヌキである可能性が高い。

小動物は、恐らく隣のM国の畑の農作物を狙っているのであろう。百九十一高地は、その通り道になってしまっている。

危機感を持った陸奥之国の政府は、再び百九十一高地を占領されることを恐れ、本格的な軍事要塞の建設を決定した。

先ずは、軍事要塞を建設する為の土地の整備にとりかかった。


政府は国民を総動員して資材を山頂まで運ばせた。


これが山頂に運ばれた資材の一部。


この単管パイプの先に…。


このようなものを付けて杭にして地面に打ち付ける。


先ずは単管パイプで大枠を作った。


次に細かい部分を単管パイプで補強してから、90×90×3000mmのしっかりした木材をパイプに固定。


あとは板を釘で打っていくだけ。


完成。


おぉ〜!完璧!


ん〜、良い眺めだ!


単管パイプを組み立てた時、本来は、上の写真のようになるのだが、間違えて…。


こんな風にしてしまった…。でも、細かいことは気にしない気にしない。


おぉ〜!素晴らしい!自然の中にある舞台だ!広さは四畳強といったところ。


せっかくなので、この舞台で、映画“アナと雪の女王”の主題歌である“Let it go”の曲にのって踊ってみた(削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。

Let it go ! Let it go !


Here I stand in the light of day ….


踊りを踊れるほど広くなかった…。


以前、職場からもらってきた木材を使って薪置きを作った。


風で飛ばされないようにしっかりと石で固定。


完成。あとは薪を積み上げていくだけ。ここに簡易的な釜戸を作る予定。


百九十一高地は、それぞれの思惑がひしめく不安定な地域と化していった。


  2014/08/30  




蛇・イノシシは、見晴らしの良い場所を嫌うので、安全を確保する為、百九十一高地の下の雑草を刈ることにした。

このような状況では蛇が近くにいても気づかないので、突然、襲われて噛まれる可能性が高くなる。


刈払機で草刈りをしたところ、山椒の木があるのを発見。「へぇ〜、こんなところに山椒があったんだ…」と思って見ていると、山椒の木に巻きついていた蔓の葉にスズメバチが巣を作っていた。

これがスズメバチの巣。まだ初期の段階。この状態で発見できたのは幸運であった。大きくなってしまうと個人では除去できないので、行政機関に通報することになる。

ん?巣の中に幼虫がいる。


これが幼虫。もしこれが大きくなっていたら…。


こうなって…。


脱皮して…。


成虫になって…。


最後はこんな風になり、大惨事になったであろう。


ふぅ〜、危なかった…。


因みに、山椒の木には雄と雌があり、雌雄が一定の距離に植わっていないと実がならない。左の赤丸が雄。右の赤丸が雌。

雌には写真のように実がつく。山椒の実の生長は、大きく三段階に分けられる。第一段階は実が緑色になる。第二段階は実の色が緑色から赤色に変わる。そして、第三段階は赤色の実の殻が割れて中から種が落ちる。

第一段階は実山椒(=みざんしょう)と呼ばれ、佃煮などにして食べる。


これが第二段階。


そして、これが第三段階。黒色のものが種。この黒色の種を石で砕いて臭いを嗅いでみたのだが、全く山椒の香りはしなかった。

私は、香味料として鰻や七味唐辛子に使用される粉山椒(=こなざんしょう)は、この黒色の種を挽いたものだと思っていたのだが、調べてみると、赤色の殻の方を挽いたものであった。ん〜、勉強になった。

このところ、頭痛と胸の痛みが激しく、著しく体調が悪いのでパソコンを控えております。体調が良い時に更新するつもりではいますが、遅れがちになると思います。伝説・都市伝説・史料・観光・特産品なども更新したいのですが、膨大な資料の編集には時間がかかる為、体調と相談しながらの更新になります。宮城県の伝説だけに特化していれば良かったのですが、少し範囲を広げすぎてしまいました。反省しています。ごめんなさい。

  2014/09/27  




昨年、池の底が抜けてしまったので、作り直すことにした。


前に作った池は完全に壊した。


先ずは、池から全ての水を抜く為、パイプを使って水源から流れてくる水を迂回させた。右の赤丸がそれ。しかし、その結果、池の底から少量の水が湧き出していることが判明。左の赤丸がそれ。

これがそれ。少量だが、放置しておくと水たまりになってしまう。


湧き出している水をパイプで迂回させ、完全に池の水を抜いた。


以前に作った池の堤は、幅が約1メートルと狭かったので底が抜けてしまった。


今度は、底が抜けないように幅を約3メートルにし、堤の両側は切り株で土留めした。


池の底の土を掘って深くした。


堤の両側を切り株で土留めし、間を土で埋める。同時に池の水を逃がすパイプも埋める。


池に水を流して底が抜けていないかを確認。とりあえず水は漏れていない。


おぉ〜。


パイプを使って高低差をつけ、水の音が大きくなるようにした。


あとは、どんどん堤を土で埋めていくだけ。


大量の土を必要とするので、土が足りなくなり現在も未完成のまま。無理をせずに少しずつ埋めていく予定。


しかし、池の水を逃がすことには成功した。堤が未完成でも水は漏れていない。


池の周囲に土留めをして土が崩れてこないようにした。


おぉぉ〜。


時間をかけて少しずつ堤を高くしていく予定。そうすれば池の水位が高くなり、魚を飼うことができるようになる。


おぉぉぉぉぉぉぉぉ〜!風流ぞな風流ぞな!庭園じゃぁぁぁぁ〜!


池で鯉を飼って、手をパンパンと鳴らすと鯉たちがエサを食べに水辺に集まるように学習させる予定。ん〜、楽しみだ。

エサの時間だよぉ〜。


おえっ!気持ち悪っ!


ついでに、もう一つ堤を作って…。


第二の池を作った。


こんな感じ。


第一の池と第二の池で魚を養殖し、建設予定の缶詰工場で加工して販売する予定。


これが缶詰の試作品。なかなか良くできている。魚型の缶詰に美味しい魚を詰めた魚の缶詰。ん?違ってるかな…。

さっと開けることができる使いやすさ。“美味しい魚〜伝承之蔵より愛を込めて〜”は、近日、発売予定。かみんぐすーん。

  2014/10/17  




陸奥之国という国名がつく前、この地に初めて階段を作ってから四年。その時に使用した木材が腐食して崩れ始めたので、新たに階段を整備することにした。

これが初めて作った百九十一高地への階段。そこら辺に横たわっていた丸太などの木材を利用して作った。


こんな感じ。


現在は、木材が腐食して崩れているものもある。


そこで政府は、この階段を整備して百九十一高地への安全な道を確保し、百九十一高地の実効支配を確実なものにしようとした。

これが階段を作る為に購入した木材。


上の図のようにして階段を作る。


百九十一高地の山頂から下に向かって作っていく。


これは、途中にある邪魔な切り株。


しかし、よく見てみると、蟻などに食べられてボロボロになっていた。


スコップで周りの土を掘ってみると、簡単に切り株が抜けた。天候や昆虫たちが、私の知らない間に切り株を完全に殺してしまっていたのである。しかし、自然は循環するので心配したり悲しんだりする必要はない。この死んだ切り株は土の中に埋もれ、さらに微生物によって分解されて栄養が豊富な土となる。そして、その土がさらに多くの植物を育み、この自然をより実りあるものにしていく。全ての生命の死に無意味なものなどない。当然、人間の死もそれに含まれる。人間は、自分たちが頂点に立ったと錯覚しているようだが、所詮、自然界を形成している一つの“種類”に過ぎない。

ひたすら同じ作業の繰り返し。


こんな感じ。


ふぅ〜、たいへんな作業である。


もう少しで完成。


完成!


階段を上から見たところ。


階段が完成したのは良いのだが、母がフウフウ言いながら階段を上っている。母も八十歳、かなり体力が低下しているので何とかしてやらなければ…。

そこで、手すりを作ることにした。上の写真がそれ。単管パイプを使った簡単なものだが、たいへん実用的である。

こんな感じ。


手すりの高さは、母が使いやすい高さにした。平均すると約90センチである。こうしてみると、この斜面が、どこまでがなだらかで、どこからどのくらい急になっているのかが分かる。因みに、この手すりを作るのに一万円かかったので、その代金を母に請求すると…。

私が成人するまでにかかった養育費の請求書を、母から突きつけられた。


ま、負けた…。


  2014/10/23  




今回は、上の段の平地と下の段の平地の話です。


現在、家族石が安置してある場所は、昨年までは畑であった。


昨年、その畑でダイコンを栽培していたのだが、そのダイコンが、害虫の被害で全滅してしまった。上の写真は、呆然と立ちつくす母。

犯人は、赤丸のカブラハバチの幼虫である。この害虫がダイコンの葉を全て食べてしまった。


ネットで調べたところ、この害虫の天敵はカエルだということが分かった。


ん〜、君たちに頑張ってもらうしかない…。


おぉ〜い!寝てないで働こうよぉぉぉぉぉぉ〜!しかし…、少しカエルの数が少ないような気がする…。


そういえば、毎年、蛇の抜け殻を多く見かける。


上の写真の抜け殻は、途中で切れて二本になっているが、一匹の抜け殻である。


この抜け殻は、顔の形まではっきりと分かる。


これらの抜け殻を目撃した場所を思い出してみたところ、上の段の平地と下の段の平地に集中していることが分かった。もしかしたら、このあたりに蛇が棲みついているのかもしれない。

このまま蛇を放置していては、カエルが食べられてしまい、天敵がいなくなった害虫が繁殖して農作物が荒らされてしまう。危機感を持った政府は、単独での戦争を避け、カエルと条約を締結して蛇と害虫に対抗することにした。

条約名:人間・カエル相互防衛条約。条約内容:人間はカエルの為に蛇を駆逐する。カエルは人間の為に害虫を駆逐する。また、陸奥之国はカエルに対して“ケロケロ通行手形”を発行して国内での移動の自由を保障する。

陸奥之国は、昨年の百九十一高地の戦いに続き、またしても自国の要塞を攻撃することになった。


政府は、軍隊を二つに分け、第一部隊に要塞を破壊させ、第二部隊に蛇を攻撃させる作戦をとった。


また、先進国と肩を並べる為、蛇を殺すという野蛮な行為を避け、蛇の頭を少し叩いて気絶させ、そっと森に返すという人道的な作戦をとることにした。「敵が人間ではなく蛇なのに、なぜ人道なのか?蛇道と表現するのが妥当なのでは?」という議論もあったが、緊急事態の為、結論は先送りされた。

平成26年7月13日、第一部隊が要塞の丸太の破壊を開始。


上の段の平地の丸太を破壊!


下の段の平地の丸太を破壊!


おぉ〜!作戦成功!これで蛇は隠れることができなくなった。


そして、第二部隊を前線に投入。いよいよ蛇との接近戦になった。


あっ!蛇だ!


こ、これは!蝮だ!蛇の動きは速いので、油断していると噛みつかれてしまう。因みに、蝮による被害は、年間で約3000人。その内、10名程度が死んでいるという。

現在、陸奥之国は乱世の時代。同じく核戦争後の乱世を描いた漫画“北斗の拳”のようになってきた。


一体、どうなってしまうのかぁ〜!次回に続く。


  2014/11/12  




いよいよ、核戦争後の乱世を描いた北斗の拳のように、人間対蛇の壮絶な戦いが…。


始まった!


蛇に近づいて棒で頭を叩こうとすると…。


え?蛇が危険を感じて、ふり向いた!


ひぃぃぃ〜!恐ッ!


ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!


ふぅ〜。


ひっくり返って、グッタリしてる…。


死んじゃった…。


この事態を重くみた政府は、再度、人道主義を徹底するように通達を出した。


しかし、その後も蛇は現われ続け…。


一匹目…。


二匹目…。ん〜、ウジャウジャいる…。


今度は、二匹が同時に敵となり…。


また、蛇が危険を感じて、ふり向いた!


ひぃぃぃ〜!恐ッ!


この!この!この!この!この!この!この!この!


この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!


この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!

この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!


この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!

この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!

この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!この!


ふぅ〜。


ハッ!し…、しまった!


また死んじゃった…。


さらに、今度は血だらけ…。


しかも、強く叩きすぎて、棒が折れた…。


暮露暮露は、政府に気づかれないように、そっと、野性の王国の領地に蛇の死骸を捨てた。この戦いで、合計9匹の尊い命が失われた。この犠牲を決して無駄にしてはならない。

北斗の拳でも、多くの戦士たちが死んでいった。


私の心の中で生きよ!勇敢に戦った戦士たちよ!


因みに、カエルが害虫を食べてくれたおかげで、今年はダイコンが豊作であった。しかし、今度は…。


増えすぎたカエルに困っている。自然のバランスって難しい…。


  2014/12/04