末沢の観音堂

   昔、 源義経一行 が、この里に 滞在 したとき、この里では ジフテリア が流行していて、毎日、子供たちの命が失われ、親たちを悲しませていた。それを見た 北の方 は、「 私も人の子の母です…。何とかして、幼い命を救うことはできないものか… 」と、 弁慶常陸坊海尊 に相談した。

   数日後、弁慶は北の方に、ある 里人 から聞いた話をした。その話というのは、「 この里の、ある に神を 祀った とき、その淵の主が現われて、『 昔、この里に、出産を 間近に 控えた 、“ おちか ”という女性が住んでいた。“ おちか ”は、 赤ん坊 が生まれてくる日を心から待っていたのだが、ある夜、 暴風雨 のために川が 氾濫 し、“ おちか ”は、屋敷ごと流されて死んでしまった。そこで、おまえたちに頼みがある。“ おちか ”の 遺体 は、私が 葬った ので、おまえたちは、“ おちか ”の を祀ってくれないだろうか。そうすれば、私が、 観世音菩薩 となって、この里の 凶事 をなくしてやろう 』と言っていた 」というものであった。

   その話を聞いた義経は、里人たちに金銀を与えて、その淵の近くに堂を 建立 し、観世音菩薩を祀らせた。すると不思議なことに、その堂の中から、赤ん坊を抱いた女性が現われて、ジフテリアに 感染 した子供たちを次々に 治癒 させたという。

参考『 鳴子町史 上巻 』

現地で採集した情報



“ 末沢の観音堂 ” 写真館

この伝承の観音堂は、現在、 洞川院境内 にある。上の写真は、洞川院の入口。
これが、洞川院の本堂。

これが、洞川院の観音堂。

この観音堂には、三体の観音像が 安置 されている。

これが、中央にある 不空羂索観音

これが、向かって左側にある 救世観世音菩薩

これが、向かって右側にある 鬼子母神

余談 ではあるが、上の図のように、鬼子母神の“ 鬼 ”の字は、 便宜的 に左側を使用するが、 元来 は、右側が正しい。理由は、以下のとおり。

鬼子母神の“ 鬼 ”について知りたい方。

平成19年9月7日(金)掲載