伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off


( 注意 )読んでいて分かると思いますが、この文章は、一切、校正されていません。ブログというよりもメモ帳です。



平成27年1月1日(木)、暮露暮露は、今年の最初の伝承之蔵 Spin off の更新内容を考えていた。「昨年までは猫の画像を使用した。今年はどうすべきか…」。そして、ある結論に達した。

「考えるのが面倒だから、また猫の画像でいいや。猫の画像なんてすぐに手に入るんだから。テキトー、テキトー」。すると…。

し…、しまった!聞かれていたのか!


「どういうことだニャ〜!」「ニャンということを言うんだ!」「猫をニャンだと思ってるんだ!」など、苦情の電話が殺到。元日から猫のクレーム対応に追われる暮露暮露であった。まぁ…、波乱の幕開けではありますが、今年も宜しくお願い致します。

  2015/01/06  




人間が最低限の生活をするためには、水と火の存在が必要不可欠である。陸奥之国には水源があり、水は豊富なので、残る問題は火だけである。そこで今回は、炊事場と薪置き場を作ることにした。

これが、最も原始的な火の使い方。炊事をするには、たいへん効率が悪い。


こうすると、少しだけ効率が良くなるが、さらなる効率アップが求められる。


そこで、あの有名なロケットストーブを作ることにした。上の写真がそれ。


ロケットストーブを作る為に、暮露暮露は、いっぱい勉強した。


これは、ホームセンターで買ってきたプレスエルボ90°。これだけでロケットストーブは完成。費用は千円弱であった。

え?何を言っているのか分からないって?フフフ…。それでは解説しよう。完全に上から目線であるが、せっかく勉強した知識を自慢する場がないので、少しだけ我慢して聞いていただきたい。一般的なロケットストーブは、上の図のようなものである。しかし、その原理は意外に単純なものであった。

風の流れを作り、火の出口を一点に集中すれば良いのであって、その他は飾りに過ぎない。特に立派なロケットストーブが必要なわけではないので、プレスエルボ90°だけあれば、私の目的は達成できる。

先ずは、プレスエルボ90°を設置できる場所を作った。


こんな感じ。


プレスエルボ90°を設置。


こんな感じ。


火をつけてみた。おぉ〜!理屈どおりだ!これは良い!どんどん燃えている!


試験的に鍋で湯を沸かしてみると…。


おぉぉぉぉぉ〜!


早い!もう鍋の湯がグツグツいってる!すごい火力だ!これで湯を沸かしてインスタント食品を食べたり、お茶やコーヒーを飲んだりしてくつろげる。

これだけの火力があれば、フライパンを持ってきて、中華料理を作っても良いなぁ〜。


中国ノ料理、ミンナ美味シイネ。ホントアルヨ。消費期限ガ切レタ肉?アァ、中国ノ食品加工会社ガ消費期限ガ切レタ肉ヲ日本ニ輸出シテイタ事件ノコトネ。ソンナ事件モアッタネ。デモ、ソレ、モウ過去ノ話。中国人、日本ノ過去ハ忘レナイケド、自分タチノ過去ハスグニ忘レルネ。コレ、中国デ生キル基本!覚エテオケバ便利ヨ。

ついでに、薪置き場を炊事場の横に作ることにした。斜面なので、切り株を基礎にして薪置き場を固定。


こんな感じ。


実際に薪を置いてみた。


上手にできたので、調子に乗って、もう一つ作った。


こんな感じ。春になったら、ここを薪でいっぱいにする予定。そうすれば、死ぬほど中華料理を作って食べられる。楽しみだぁ〜♪

  2015/01/20  





    突然であるが、私は、何でもかんでもメモに残すメモ魔である。本来、私はズボラな人間であり、まめにメモを残すようなタイプではないのであるが、高校時代の数学の先生の言葉によってメモ魔になってしまった。ある日、私が数学の問題を解いていると、その先生が、「何をしてるんだ?」と聞いたので、「問題を解いてます。今、考えているところです」と答えると、その先生は笑って次のように言った。「考えている?全然、手が動いてないじゃないか。問題を解きたいのなら、どんどん手を動かして用紙を数字で埋めることだ。頭の中だけで考えていても、絶対に問題なんか解けないぞ」と。現在でも数学という教科は苦手であり、数式を見るとアレルギー反応が出るのだが、その“手を動かす”という習慣だけが残ってしまった。毎日、ふと思ったことをメモ帳に残し、暇な時に、自分が書いたそのメモ帳を読んでみると、新しい発見や発想が生まれることがあるからである。

    頭の中だけで考えるのではなく、まず頭の中にあるものを全て紙に書き出し、自分の頭の中にある“何か”を読んでみる。そうすると、頭の中にあったモヤモヤしていたものが、“ぼんやりとした設計図”として見えてくる。次に、そのぼんやりとした設計図に従って行動してみる。自分が望むような結果が出る保証は無いが、そのぼんやりとした設計図を信じ、諦めることなく地道に続けてみる。そうすると、少しずつではあるが、ぼんやりしていた設計図が、“はっきりした設計図”になることがある。それこそが、自分が本当にやりたいことである。これこそが自分を幸福に導いてくれる道となる。

    私は、すでに46歳である。このことに気づくのが少し遅かった。何歳になって気づいても、その時から始めれば良いのであり、特に問題は無いのであるが、早く気づいた方が有利であることも事実である。10年前、私の頭の中でモヤモヤしていたものが、手を動かし、自分を信じて行動した結果、少しずつ形になってきたのが伝承之蔵である。改めて読み直してみると、とても人に見せられない幼稚な文章も多々あるが、ある一定の形を形成することはできたと思う。私は、46年の人生で、あり余る才能を持ちながら、上記のことを理解していない為に、自分の才能を活かすことができなかった人間を多く見てきた。素晴らしい才能を持ちながら、自分自身でその才能を潰してしまっているのである。これは、たいへん残念なことである。若者たちには、早く、本当に自分がやりたいことを見つけてほしい。「手を動かし、体を動かして汗をかき、自分を信じて諦めずに地道に続ける」。そうすれば、必ず、君たちの才能は開花するはずである。

  2015/02/01  





    “イスラム国”と呼ばれている組織に拘束されていた湯川遥菜(=ゆかわ・はるな=42歳)さんと後藤健二(=ごとう・けんじ=47歳)さんが、殺害された可能性が高くなった。公開された映像を見るかぎり、私の素人判断ではあるが、ほぼ間違いなく殺害されているであろう。現世での営み、お疲れさまでした。お二人に対し、心から御冥福を御祈りいたします。私は、二人が拘束されていると報道された時から、救出の可能性は低いと思っていた。それは、イラク戦争の際の香田証生(=こうだ・しょうせい=24歳)さんの例があるからである。

    2003年3月20日、アメリカが一方的に始めたイラク戦争によってフセイン政権が打倒されると、イラク国内の治安が急速に悪化していった。そんな中、“アルカイダ”という組織が香田さんを拘束し、人道支援でイラクに駐留していた自衛隊を撤退させなければ、香田さんを殺害すると脅迫してきた。日本政府がこの要求を拒否すると、2004年10月31日、香田さんは、イラクのバグダッド市内で遺体で発見された。この事件では、香田さんがナイフで首を切断され、大量の血を流しながら殺害されている映像が、アルカイダによって公開された。私は、その人たちのそれらの行為を考えながら、香田さんが殺害される映像を見ながら思った。「この人たちに何を話しても意味がない」と。

    この人たちにあるのは、「自分たちの思うままに行動し、それに従わない者は殺害する」、ただそれだけである。その他には何も無いのである。私が前に勤務していた会社の同僚のNさんの奥さんは、昔、少年院の職員として働いていたことがあった。その奥さんが、Nさんに、次のような話をしたという。「幼児期に、両親から『良い子だね、本当に良い子だね』と言って、ギュッと抱きしめられた経験がある子供は、まだ更生する可能性が十分にある。しかし、その経験が無い子供は、その後、どんなに誠意を尽くしても、どんなに愛情を注いでも絶対に更生しない」と。私は、宗教に関して詳しいわけではないし、軍事や世界情勢に関して詳しいわけでもない。しかし、人間の本質を見つめる目だけは、ある程度は持っているつもりである。イスラム国の戦闘員の中でも、ギュッとされた経験を持っている者は、組織の残虐性に耐えられず、いずれ離反していくだろう。しかし、その経験の無い者は、最後の最後まで残り、他人の言うことに耳を傾けることも無く、今までの行為を謝罪することも無く、自分の主張だけを徹底的に貫いて死んでいくであろう。私にはどうすることもできないが、たいへん悲しいことであり、たいへん残念なことだと思っている。

  2015/02/04  





    昨年、ブラジルでサッカーのワールドカップが開催されていた時、NHKのサッカー公式ソングである椎名林檎さんの“NIPPON”が (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)、 右翼的だと批判されていた (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 歌詞の内容と、上のような日章旗を持った写真が、そのような評価につながったのかもしれない。私の祖国である日本は、言論の自由を保障している。曲に込められたとされる椎名さんの主張は、当然、保障されなければならないし、同時に、椎名さんの主張に対する反論も保障されなければならない。お互いに議論を深めることは、大いに結構なことである。ただし、不必要に騒ぎたてるのではなく、冷静にである。

    私は、このような、日章旗に関する騒ぎを聞く度に、昔、誰かから聞いた話を思い出す。あるアジアの国に向かう日本の船でのことである。その船の船員たちが日章旗を掲げようとしたところ、研修の為に乗船していた、ある日本の学校の先生たちの団体が、「太平洋戦争で多くの犠牲者が出たアジアの国の方たちが日章旗を見たら、不快に思うはずだ!早く旗を降ろせ!」と、日章旗の掲揚にクレームをつけた。ちょうど、公立学校の教育現場において、日章旗の掲揚と君が代の斉唱が、事実上、義務づけられていることが社会問題になっている時であった。すると、その船の船長が出てきて、騒ぎ始めた学校の先生たちに向かって毅然とした態度で次のように言ったという。「この船は、日章旗を掲揚することによって外敵から守られています。日本国が私たちを守っているのです。この日章旗は、あなたたちの命を守っているんですよ。もし、日章旗に不満があるなら、今すぐ、この船から降りてください」と。

    その後、平成11年8月13日、“国旗及び国歌に関する法律”が施行され、正式に、日章旗が国旗となり、君が代が国歌となったのだが、残念なことに、この法律が施行される前、広島県立の世羅高等学校の卒業式で、日章旗の掲揚と君が代の斉唱に反対する先生と、当時の文部省の日章旗の掲揚と君が代の斉唱に関する通達との間で苦しんでいた校長が、自殺してしまうという痛ましい出来事があった。この法律が施行された後、日本国内で特に混乱があったわけではないし、外国で断固として反対する運動が起きたということもない。あの騒動が嘘であったかのように、静かに時が流れている。こんなにも素直に受け入れられるのであれば、もっと静かに議論を深めれば良かったのにと思う。なぜ、そんなに騒ぎたてる必要があったのか。なぜ、“旗”と“歌”の為に人間が死ななければならなかったのか。今でも私には理解できない不思議な出来事である。

  2015/02/08  





    以前、“ビートたけしのテレビタックル”という番組で、「地球温暖化の原因は何か?」という問題に関して、専門家と思われる方たちが討論していた (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 現在、専門家の多くが、地球温暖化の原因は主に二酸化炭素だと主張しているが、この番組に出演していた東京工業大学の教授である丸山茂徳さんは、「二酸化炭素は、地球温暖化の原因ではないし、むしろ地球は寒冷化している」と主張していた。

    現在、「地球温暖化の原因が主に二酸化炭素であることは常識だ」のような風潮があるが、その主張の根拠になるような納得のいく証拠を、私は今まで聞いたことがない。特別な専門知識を持っていない私たち庶民は、十分に気をつけなければならない。いつの世も、有識者と称する人間たちによって、何を信じ込まされているか分からないからである。もしかしたら、「地球温暖化の原因が二酸化炭素でなくなると、環境ビジネスで金を儲けることができないから困る」という人間が背後にいる可能性もあるのである。

    私には難しい理論は分からない。ただ、自分にできる範囲内で理解しようと努力しているだけである。「みんなが、そう言っているから…」というのは、何の根拠にもならない。ただ考えるのを怠って、他人に丸投げしているだけである。そのように考えるのではなく、「みんなは、そう言っているが、本当なんだろうか?」と考えるのである。大正デモクラシーの立役者であった吉野作造は次のような言葉を残している。「どんな人でも人には過誤がある。いわんや多数の集合においてをや。されば数が多いということは決して正しいということの証拠にはならない」と。「みんなが、そう言っているから」は、何の証拠にもならないのである。

  2015/02/24  





    上の写真は、IS(=Islamic State)と周辺諸国との戦闘による犠牲者である。双方ともに多くの犠牲者が出ているようだが、その殺害方法は、双方ともに激しさを増し、筆舌に尽くし難いものとなっているようである。イスラム国と記述すると、イスラム教への誤解につながるので、最近は、ISIS(=アイシス=Islamic State of Iraq and Syria)とかISIL(=アイシル=Islamic State in Iraq and the Levant)と記述するらしい。私もそれに従って、ISと記述することにした。ISにしても、その周辺諸国にしても、何も知らない子供たちを殺し、子供を殺された親の魂すら救えていない。そのような者たちが、この戦闘の果てに、どのような国を作ろうとしているのか知らないが、私の祖国である日本より良い国になるはずがないと私は思っている。平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、平成27年2月10日現在、宮城県内だけで、未だに1253人もの方たちが行方不明のままである。しかし、震災から4年が経過した現在でも、宮城県警察は行方不明者の捜索を続けているし、どうやら、最後の一人を見つけるまで捜索を続ける覚悟のようである。「震災から4年も経っているんだから見つかるはずがない。税金を使って無駄なことをして…」と思う方も多いと思うが、大正デモクラシーの立役者であった吉野作造は次のような言葉を残している。 「一つの砕けたる魂に同情することすら出来ない人々が、何を夢見て社会改造だの人類愛だのと叫び得るかを今もって怪しんでいる」と。

    イスラム教について調べていた時、私は、偶然、ハンムラビ法典に関する記述のあるウェブサイトを発見した。バビロニア帝国の初代の王であるハンムラビが整備した、「目には目を、歯には歯を」というフレーズで馴染みのある法典である。このサイトを閲覧して、恥ずかしながら、初めてイスラム教とハンムラビ法典が直接的には関係が無いことを知った。さらに、「目には目を、歯には歯を」という言葉は、「やられたら、やり返せ!」という“復讐を容認する野蛮な法”と思っていたのだが、本来は、過剰な復讐を禁止し、恨みの連鎖を防止する為に、刑罰の上限を定めたものだという。つまり、「自分の目を傷つけられたからといって、怒りにまかせて相手を殺すのではなく、自分の受けた痛みの分だけ、相手の目を傷つけるだけでやめておけ」ということである。これは、現在でいうところの罪刑法定主義にあたる。また、この法典は、奴隷や女性にも一定の権利を認めたり、「強者が弱者を虐げてはならない」や「正義が、孤児や寡婦に授けられるようにする」など、弱者を救済するような記述も多いという。約3800年も前に、このような先進的な法を整備した方がいたとは驚嘆に値する。

    バビロニア帝国は、現在のイラク南部にあった国なのであるが、この法典からは、多様な人種、多様な宗教、多様な習慣が混在する中で、何とか国の秩序を保とうとした王の苦心を感じることができる。しかし、同時に、この法典が整備された後、約3800年が経過している現在でも、恨みの連鎖が防止できていないということに関しては残念でならない。吉野作造は、次のような言葉も残している。 「物事の考え方の型式そのものに値打があるのではない。着眼の基礎はどこまでも人格だ。人格の畑に根ざしたと観て始めて同じ色の花にも甲乙の区別はつく」と。 ハンムラビ法典やその精神自体に価値があるのではない。着眼すべきは、あくまでも、その法典を運用する人間の心なのである。人間の心が成熟していなければ、法典に書かれているものも、単なる“記号”の羅列に過ぎない。法典を運用する人間の心が成熟していてこそ、その法典の精神が活かされ、私たち人間の社会の中で輝きを放ち続けるのである。

  2015/02/27  





    私の個人的な印象なのだが、営業の方の話というのは、こんなにも面白いものなのかと思うことが少なくない。私が前に勤めていた会社の同僚だったHさんは、以前、営業の仕事をしていたのだが、まだ入社したばかりの新人の時、ある先輩から大切なことを学んだと言っていた。ある日、その先輩の車に乗って、道幅の狭い一本道を走っていた時、突然、その先輩が車を止めてボンネットを開け、車が故障したフリをし始めた。Hさんは、「先輩、どうしたんですか?」と聞いたのだが、その先輩は何も答えず、ただただ故障したフリを続けた。そうこうしているうちに、道幅の狭い一本道なので、後続の車は追い抜くことができず、どんどん渋滞していき、その車は渋滞の原因となってしまった。

    そのうち、20台ぐらいの車が渋滞し、クラクションを鳴らしたり、怒鳴ったりする方も出はじめたので、不安になったHさんが、「先輩!みんな怒ってますよ!何で故障したフリなんかするんですか!」と言うと、その先輩は、「何台ぐらい渋滞してる?すごく怒ってるか?」と聞いてきた。Hさんが、「20台ぐらい渋滞してます!みんな怒ってますよ!」と言うと、その先輩は、「そうか。そろそろいいかな」と冷静に答え、何もなかったかのように車を走らせ始めた。そして、Hさんに向かって、こう言ったという。「いいか、新人。営業では度胸が大切なんだ。こんなことぐらいでオロオロしていたら営業なんて務まらないぞ。どんなに他人に迷惑をかけようと、どんなに他人が怒っていようと、知らん顔ができるくらいの度胸を身につけろ」と。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2015/03/10  





    現在、神奈川県川崎市川崎区の多摩川の河川敷で、中学一年生の上村遼太(=うえむら・りょうた=13歳)さんが遺体で発見された事件が世間の注目を集めている。この事件では、地元で不良と呼ばれている少年グループの3人が逮捕された。真冬の川で遼太さんを裸で泳がせ、その後、裸のまま首を斬るという残忍な方法で殺害されたという。まだ裁判が結審したわけではないので、その3人が犯人と決まった訳ではないのだが、いずれにせよ悲しい事件である。この事件の内容を聞いて、私が前に勤めていた会社の同僚であるNさんから聞いた話を思い出した。

    Nさんの息子さんが小学生の時、地元で不良と呼ばれている少年グループに恐喝されたことがあった。その時、息子さんの財布には40円しか入っていなかったのだが、殴られるのが恐ろしく、その全てを少年グループに差し出した。すると、その少年グループの中の一人が、「なんだ、お前も俺たちと同じ貧乏なのか?」と聞いたので、息子さんが頷くと、その“不良少年”は息子さんに40円を返し、さらに、「これでジュースでも買って飲め」と言って、100円硬貨を渡したという。

    一口に不良と言っても、同情の心を持っている者とそうではない者が存在している。この差はどこで生まれるのであろうか?ある程度その根源を特定することができれば、社会全体での対応が可能になる。世間では、加害者側への制裁に躍起になっている者が多いようであるが、それだけでは問題の本質を根絶することはできない。私たち大人は、どうしたら、若者たちに適切な道徳観を持たせることができるのだろうか?私たち大人は、山積したこれらの難問に対応しなければならない。その為には、先ず私たち大人が適切な道徳観を持ち、これらの難問に対して莫大な時間と費用をかける覚悟を持つことが必要となる。私たち大人には、ネット上に加害者と被害者の実名や顔写真を掲載して喜んでいる暇はないはずである。

  2015/03/20  





    先日、ふと思い出した話がある。昔、カンボジアかタイかマレーシアのいずれかの王様が、「ゴミを減らしてはいけない。そんなことをしたら、ゴミを拾う仕事をしている方の仕事を奪い、その方たちの生活が困窮することになるから」という主旨の発言をしたと、ニュースで報じられたことがあった。当時、私は小学校の低学年だったのだが、父親に、「バカな王様だね。ゴミは減らさなきゃいけないんだよね♪」と言ったら、父親は黙ってニコニコ笑っていた。いろいろな経験を積んだ今、父親がニコニコ笑っていた意味が分かったような気がする。その王様の発言が、今になって妙に私の心に引っかかるようになったのである。パソコンの普及で多くの事務系の方の仕事が奪われた。今後、人工知能の技術が向上すれば、案内や通訳など、さらに多くの方の仕事が奪われることになる。また、現在、自動車の無人運転の技術は日進月歩であり、すでに公道での試験走行が実施されている。もし、自動車の無人運転が実用化されれば、タクシーやバスのドライバーなど、多くの方の仕事が奪われることになる。

    30年後、現在、私たち人間がしている仕事の多くがコンピューターに奪われることになるはずである。もし、私が生きていれば76歳になっている。多分、死んでいるとは思うが、もし生きていたら忙しくなりそうである。学もなく、職歴もなく、何の技術もない私には、するべき仕事が無いのである。今までは、人間対人間の競走であった為、“真面目にコツコツ”して勝ち抜くという作戦が有効であった。しかし、30年後の未来は、人間対コンピューターの競争になる。人間が死ぬほど働いて何年もかかる仕事を、コンピューターは数秒で終えてしまうのである。これでは勝負にならない。人間がコンピューターに勝つ為には、人間にできてコンピューターにできないことを見つけるしかないのだが、100年後には、その領域もかなり狭くなっていると思う。今から約2200年前に作られた“アンティキティラ島の機械”という天体の運行を計算する為の歯車式の機械が、現在のコンピューターの原型だという。まったく、とんでもないものを発明してくれたものである。その時代に上記の王様がいて、“コンピューター廃止令”を発布していてくれたら、現在、みんなで仕事を分け合って幸せに暮らしていたかもしれないのに…。







私 : 良イコト言ウジャナイ、王様 !  ( ^ー^)ノ ☆(-_-;)  王様 : ナレナレシイ奴ダナ …


  2015/03/28  





    先日、テレビのニュースで、“リベンジポルノ”に関する事件の特集をしていた。リベンジポルノとは、別れた恋人や離婚した配偶者に対する報復として、交際時に撮影した相手方の猥褻な写真や映像などを、ネットなどで公開する嫌がらせ行為のことだという。アメリカのカリフォルニア州では、“リベンジポルノ法”という法律を制定し、この種の事件に対応しているようだが、日本では、適用できる現行の法律だけでは不十分だとされてはいるものの、未だに法律の不備は是正されていないとのことである。

    元恋人に恨みを抱いて嫌がらせをすることは、昔からあった行為であり、これからも無くなることはないと思うが、いくら考えても、このような行為をする意味が私には理解できない。そのような写真や映像をネット上に公開して、相手の名誉を棄損して恨みを晴らしているつもりなのかもしれないが、同時に、自分自身の名誉も毀損していることに、なぜ気がつかないのかということである。そのような行為は、「私は、こんなに醜い心を持っている人間です」と宣伝しているようなものであり、周りの人間は、そのような行為をする人間を見て、言葉にはしないものの、心の中で、「そういう事をする人間だったのか…。あまり関わらない方が良いな…」と思い、その矛先が自分に向けられることを警戒し、すぐに、その人間から離れていくであろう。確かに相手の名誉を棄損してダメージを与えてはいるが、自分自身に与えたダメージは、それを遥かに越えるものなのである。

    人間の心とは醜いものである。このような場合、たとえ元恋人が嫌がったとしても復縁を迫りたいという気持ち、元恋人の不幸を願ってしまう気持ちなどが心の中に湧いてくるかもしれない。しかし、私たちは、自分の心の中にある醜い部分を認め、それを抑え込む努力を怠ってはならない。そのような戦いを繰り返し、それらを克服しようと努力することによって、悲しい経験から学び、悲しい経験を活かして、人間は成熟していくのである。このようなニュースを聞いて、私が最も残念だと思うのは、恋人と別れたこと自体ではなく、それらの行為をすることによって、自分自身を成熟させる機会を逸し、その恋人と過ごした全ての時間を無駄にしてしまったということなのである。

  2015/04/01  





    上の写真は、“仙台貨物”というバンドである。以前、ある店で仙台貨物のイベントが開催されていた。特に彼らに興味がある訳ではなく、偶然、その店の前を通りかかっただけなのであるが、店頭に箱のようなものが何個か置いてあったので、「ん?何だこの箱は?」と思って近づいてみると、それぞれの箱に“○○さんへのプレゼント”と書いてあった。その箱は、ファンの方が、自分のお気に入りのメンバーに渡すプレゼントを入れる箱であった。プレゼントが多く入っている箱もあり、全く入っていない箱もあったので、彼らのことを全く知らない私にも、誰が一番人気なのか一目瞭然である。上の写真のようなキャラクターのバンドではあるが、毎日が生き残りを賭けた真剣勝負なのであろう。そのような厳しい世界で戦っている彼らには感心させられる。

    ふと、昔、母方の叔父から聞いた話を思い出した。私が小学生の時、当時、人気があった芸人さんたちが、テレビでバカなことをしているのを観て私が笑っていると、その叔父が私に次のように言った。「本当にバカな人間には、人を笑わせることはできない。頭の良い人間が、真剣にバカになりきるから人を笑わせることができるんだ」と。子供の時の私は、芸人さんはバカな方たちだと思っていたが、現在は、その叔父の言っていたことが正しいと実感している。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2015/04/07  





    私の職場に20代半ばの新人さんが来てから約4ヶ月になるのだが、その新人さんはケアレスミスがたいへん多く、未だに基本的な仕事を覚えることができない。無論、ケアレスミスをしたら、その部分を指摘して是正を求めるが、私の個人的な見解では、それだけでは効果は薄いと思っている。なぜなら、仕事を覚える以前の問題だと思っているからである。缶ジュースを飲んだ後も、缶を捨てずに机の上にほったらかし。食後、後に使う方の為に机の上を拭いておくこともない。道具を使い終わっても、元の場所に戻さず、ほったらかしにするなど、基本的な生活習慣がほとんど身についていない。「今まで家庭で親は何をしていたんだ!」という声が聞こえてきそうである。俄かには信じ難い話であるが、20数年間もそのようにして生活してきたのである。

    若者たちの育成には、多くの方たちが頭を痛めていると思うが、最も大切なことは、基本的な生活習慣を身につけさせることである。私が若者たちに求めるのは、「しっかりとした挨拶をする」「遅刻・早退・欠席をしない」といった当然のことであり、特に難しいことではない。因みに、この当然のことができない若者は、上手く論理的な説明はできないが、なぜか仕事ができない。2013年10月25日(金)の日本経済新聞の春秋という欄に、阪急電鉄の創業者である小林一三さんの言葉が載っていた。 「成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は、将来の見込みはない」と。基本的な生活習慣が身についているからといって仕事ができるとは限らないが、身についていない者は必ずと言っていいほど仕事ができない。それでは、若者たちに、基本的な生活習慣を身につけさせる為にはどうするべきか。私が知る限り、単純で根気のいる作業ではあるが、同じことを何度も何度も、繰り返し繰り返し、コンコンと言って聞かせて身につけさせるしかない。これが最も効果的な唯一の方法である。人間の習熟度は決して急成長することはない。私たち大人が怠けたことが原因で起こった結果である。今、私たち大人はそのことを猛省し、どんなに時間がかかっても、少しずつ本来の姿を取り戻していかなければならない。

  2015/04/17  





    上の写真は、前回、掲載した新人さんに渡した最低限の仕事内容を記述したマニュアルである。因みに、仕事場にある机の上の棚に放置されていたこのマニュアルには、コーヒーを溢したと思われる大きな染みがついていた。赤丸がそれである。残念ながら、この新人さんは、仕事上の重大なミスが原因で異動になってしまった。特に怒っているわけではないのだが、私が、私の後に入ってくる新人さんの為に、何時間もかけて作成したマニュアルにコーヒーを溢したまま放置した意味を、今後の自分の人生の為に少し考えて欲しいとは思う。私は、この新人さんに悪気が無いことを知っている。若さの為に思慮が浅く、現段階では、人間の細やかな心に配慮することができないのである。いつの日か、そのことに配慮できる人間になって欲しいと願っている。

    労働災害に関する世界に、“ハインリッヒの法則”というものがある。簡単に説明すると、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300のヒヤリ・ハット(災害には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例)が存在。さらに、その背後に数千件の不安全行動(規則を無視する・注意力が不足している態度など)と不安全状態(設備や作業方法の不良)が存在しているという。因みに、不安全行動は不安全状態の約9倍の頻度で起こっているとのことなので、設備や作業方法を改善するよりも、“人間の意識”を改善する方が、約9倍も大切だということになる。この法則が正しいと仮定すると、何か事故が起こった時、その原因のほとんどは、設備や作業方法などではなく、“その人間の意識のあり方”にあると言っても過言ではない。将来、仕事ができるようになると予感させる人間は、休憩時間中に今までの仕事の復習と、次の仕事の段取りの確認をしている。しかし、上記の新人さんは、休憩時間中にスマホのゲームに夢中であった。ハインリッヒの法則をそのまま適用することができるかは疑問であるが、この意識の差が、約4ヶ月が経過しても基本的な仕事を覚えることができず、挙句の果てには重大なミスを起こして異動になることにつながったと私は考えている。

    私は、優秀な仕事人間を育てようとしているのではない。意識のあり方が低い人間に、本当に充実した人生を送ることができるのかを心配しているのである。人間は、自分が死ぬ時、必ず、自分の人生を振り返るはずである。振り返った時、何も残したものが無ければ、こんなに寂しいことはない。人間には、誰にでも才能がある。必ず、才能があるのである。私のような老いた者には、その才能を活かす為に残された時間が少ないが、若者たちには、その才能を活かす為の多くの時間が残されている。私は若い時、意識のあり方が低く、その時間を無駄に遣ってしまった。若者たちには、高い意識を持って生活し、幸福な人生を送ってもらいたい。どうか、私と同じような愚かな時間の遣い方だけはしないでおくれ。

  2015/04/24  





    私の母方の叔父は、日英上人という住職であった。上の写真は、その日英上人の墓である。日英上人は子供の頃から頭が良く、学校の成績は常に上位だったらしい。反対に、私の母は、全く学校の勉強ができず、成績は常に最下位であった。日英上人が下級生として同じ中学校に入学してきた時、母は、担任の先生から次のように言われたという。「お前の弟だからバカだと思ったら、頭が良いな。ビックリした」と。

    ところが、成人した日英上人は、酒とタバコが身体に悪いことを十分に知っているにも関わらず、それを止めることができず、最後には内蔵を患い、平成8年6月25日、55歳で死んでしまった。先日、母は私に、弟への愛情を込めて、「あんなに若くて死ぬなんて。まったく、どっちがバカだか。私は、学校の成績は悪かったが、80歳でもちゃんと生きてる。あの先生が生きてたら、『どうだ!まいったか!』って言ってやりたいわ」と話してくれた。その通りである。良いぞ!ババア!言ってやれ!

母 : …   (-。-;)゛   (`ヘ´#)  私 : アノ世ニ居ル先生ニ言ッテヤレ !


母 : 私二早ク死ネッテ言ウノカイ !  ( -_-)=○☆( >_<)  アゥ !

  2015/04/28  





【人に恵まれるということ 1 】

    今回、ふと、「私は、人に恵まれているんだなぁ…」と思う事があったので、それらに関して、今までにあった幾つかの出来事を掲載することにした。私が勤務していた現場で慢性的な欠員が生じ、ほとんど休みなく連続で勤務するということが常態化していたので、「これでは体が耐えられない」と思い、現場の上司・会社の上司と相談して6月15日付で正社員からアルバイトへ身分変更することで会社と合意した。身分変更をしてアルバイトになれば、最大で130時間の労働となる為、過重な残業を避けることができるからである。ところが、事務処理上の連絡ミスで、6月15日になっても身分変更が事務処理されておらず、現在、現場を外れて仕事が無くなったにもかかわらず、正社員のままという中途半端な身分となってしまった。どうも、アルバイトへの身分変更の相談をした会社の上司が会社を退職してしまい、私の身分変更の件の申し送りを忘れていたことが原因のようである。

    私は46歳なので、今から結婚する可能性は低い。以前から、「独りで生活していくだけなら、さほど御金は必要ないし、縛りの強い正社員よりは、自由な形で働けるアルバイトの方が良いなぁ」と思っていたので、このまま中途半端な身分で仕事をするよりも、退職して新しい会社でアルバイトをしようと考えていたところ、会社側から、会社に残って欲しいとの打診があった。私が、「特に会社に対して不満はありませんが、この残業の多さでは体が耐えられません」と正直に話したところ、会社側が、残業時間をほぼゼロにすると約束してくれたので、その言葉を信じて会社に残ることにした。今後、残業時間の少ない新しい現場に配属していただける予定なので、現在、余剰人員として会社で書類整理などの雑務をしている。

    私は、6月15日まで仙台フォーラスという現場で働いていたのだが、身分変更に伴う異動の日が近くなり、仕事で御世話になった方たちに挨拶に行ったところ、「えぇ〜!いなくなっちゃうの?寂しくなりますねぇ…」という多くの暖かい声をいただいた。私は、仕事の関係者と親しくなって“なあなあ”になるのが嫌なので、あまり仕事以外の話はせず、半ば意図的に飲み会などにも参加しなかった。それにもかかわらず、こんなにも暖かい言葉をいただいたので、「へぇ〜、あまり話をしたことも無いのに、よく見ていてくれたんだなぁ。こんなにも人に恵まれていたとは…」と思い、自分で決めたことではあるが、少しだけ後悔してしまった。私も歳を取ったせいか、情に流される人間になってしまったということであろうか。

    いくら自分で考えてみても分からなかったので、「なぜ、そんなに残念がってくれるんですか?」と聞いてみたところ、仕事のことで怒られてふさぎ込んでいる者も、毎日、売上だ売上だと叱責されて数字に追われている者も、いつも笑っている私と話をすると、ホッとするのだという。どうも私には、そのような才能があるらしい。そういえば、昔、誰かから、「あんたには、『桃李言わざれども下自ずから蹊を成す』(徳のある者の下には、何ら特別なことをしなくても自然と人々が集まってくるということ)という諺がピッタリだなぁ」と言われたことがあった。私に徳があるとは思わないが、そのような高い評価をしていただけるのは、たいへんありがたいことである。私は、何事にもこだわらない。お金にもこだわらない、仕事にもこだわらない、人間にもこだわらない。私が、唯一、こだわっているのは、この伝承之蔵の編纂の時のみである。自分が本当に好きなもの以外は、ほとんどこだわりがない。無駄に神経をすり減らすことが無い為、いつも笑顔でいられるのである。私が笑っているだけで周りの方の役に立っているのであれば、こんなに嬉しいことはない。

  2015/06/22  





【人に恵まれるということ 2 】

    私は、子供の頃、全く学校の勉強ができず、成績は常に最下位であった。ある日の休み時間、数学の問題を解こうとして必死に考えていた時、あるクラスメートが、「何だ?こんな簡単な問題も解けないのか?お前バカなんだなぁ」と、クラスのみんなに聞こえるように言って嘲笑した。すると、クラスで“不良”と呼ばれていたIさんが近づいてきて、「この問題のことを言っているのか?俺も解けねえよ!俺にも同じこと言ってみろ!」と叫んで、私をバカにしたクラスメートを黙らせた。そのIさんは、先生方の間では評判が悪かったが、生徒たちの間では人気者であった。

    私は、昔から、そのような不良グループに好かれる傾向にあったのだが、どうしてそうなのか理由が分からなかった。そこで、ある日、誰にだか忘れたが、不良と呼ばれていたクラスメートに聞いてみると、次のような答えが返ってきた。「お前は、絶対に他人のことを見下さないから」と。私には当然の行為であっても、一般的にはそうではないことがあるようである。つまり、多くの方が、自ら人に恵まれる機会を失っているということになる。本当にもったいないことである。

  2015/06/26  





【人に恵まれるということ 3 】

    誰にでも、心の深いところに刻まれた経験があるものである。私が小学校の低学年の時だったであろうか、ある日、クラスメート2〜3人と、同じ小学校の上級生2人で、ある公園で遊んでいたのだが、突然、高校生ぐらいの不良グループが近づいてきて、私たちを威嚇し始めた。その時、殴られることを恐れた私は、こともあろうに、仲間を捨ててその場から逃げだしてしまった。しかし、仲間を捨ててしまった罪悪感からか、遠くに逃げることができずに近くでウロウロしていたところ、そのクラスメートが近づいてきて、「何で自分だけ逃げたんだよ!」と激しく私を叱責した。私は返す言葉が無く、ただ黙って泣いているだけであったのだが、その時、その上級生の一人が、次のように言ってくれた。「やめろ!責めるな!逃げたんじゃない!助けを求めに行ってくれたんだ!」と。

    その後、中学校・高等学校でもトラブルに巻き込まれることはあったが、決して逃げることはなかった。殴られることよりも、信用を失うことの方が、耐えがたい苦痛であることを学んだからである。そして今、私は若者たちが犯す過ちに対して寛容なのだが、それは、信用を失うことの恐ろしさを学ぶと同時に、信用を失った者を許すことの重要性も学んだからである。すべて、その時の上級生の方の言葉のおかげである。その方とは、その時しか会っていないので、名前も住所も何も覚えていない。今、どんな人間になっているのかも分からない。その時、その方に御礼を言ったのかも記憶が曖昧である。

    お兄ちゃん、あなたが許してくれたおかげで、私はこんな人間になりました。あの一言で、どんなに私の心が救われたことか。今でも感謝しています。あの日のことは、今後も決して忘れません。そして、過ちを犯した若者たちを許し続けます。ありがとうございました。

  2015/06/29  





【人に恵まれるということ 4 】

    現在、会社の余剰人員として臨時の仕事などをして気楽に生活している私ではありますが、会社の上司の方の話によると、「うちの現場で欲しいから配属してくれ」と言ってくださっている方がいるようである。もう2年以上も前に臨時の仕事で一回だけ御世話になった現場なのだが、私のことを覚えていてくれて、声をかけてくれたとのこと。私のような漂流的な生活をしている者に声をかけていただけるとは、ありがたい話である。改めて、私は人に恵まれていることに感謝している。

    そのように人に恵まれている私も、結婚相手にだけは恵まれなかった。私が独身だと知っている方から、女性を紹介していただくこともあるのだが、「公務員の女性だよ」「優秀な看護師さんだよ」のような紹介のされかたをすると、私は少し違和感を感じてしまう。私のことを心配しての善意の紹介なので、特に怒っているわけではないのだが、私は、経済的に裕福な女性を望んでいるわけではないし、社会的な地位のある女性を望んでいるわけでもない。ただ心優しい女性を望んでいるだけである。私が考えているのは、相手の女性に幸せになってもらい、その幸せそうな姿を見て私も幸せになるという単純なことなのだが、普通の女性から見ると、私は物足りない人間に見えるのかもしれない。

    私は、論理的な思考をする人間である。物事を筋立てて考え、的確な答えを導き出す。ところが、若い頃の私には、恋愛の対象ができると必要以上に“のめり込む”傾向があり、これらの思考経路が全く機能しなくなってしまうという欠点があった。自分に不利な情報は遮断され、その女性の姿しか見えなくなるのである。全く以って不思議な現象であった。自分でも信じられないくらいに独占欲が強くなり、その女性の期待に応えようとして我慢し、自分の感情を殺して相手に合わせていた。その為、私の長所が全て死んでしまい、私は私でなくなってしまったのである。人間は、自分らしくしていて初めてその魅力が光を放つのである。自分らしさを失った人間には、何の魅力も残らない。相手の女性も、さぞ息苦しかったことであろう。申し訳ないことをしてしまったと反省している。若い頃は、そのバランスの取り方が分からなかった。その他にも、私には、自分でも気づかない多くの何かが欠けていたのであろう。今さら反省しても仕方のないことではあるが、私の人生で、たった一人の女性も幸せにすることができなかったのは残念であり、過去に私と付き合ってくれた女性に対して、たいへん申し訳ないことをしたと思っている。ごめんなさい。

  2015/07/04  





    平成27年7月5日(日)、私は、女性Aさんに頼みごとをする為、ある場所に行ったのだが、その女性Aさんが不在だったので、女性Bさんに、女性Aさんへの伝言を御願いしてその場を去った。ところが、その後、7月7日(火)、19時09分、会社の上司から電話があり、「女性Bさんは、どんな人ですか?」「女性Aさんの連絡先を知っていますか?」など、通常では考えられないような質問を受けたのだが、何か理由があるのだろうと思い、全て正直に答えてから電話を切った。すると、同日、19時29分、その会社の上司から再度の電話で、「事態は沈静しました」との話があった。

    この文章を読んでいる方は、「ん?何の話だ?どういうこと?」と思うだろうが、私も同じ感想を持っている。いくら鈍感な私でも、自分にセクシャルハラスメントの疑いがかかっていることは容易に想像できるのだが、会社から何の説明も受けていないので、具体的に、何がどのように問題になっていて、その後、どのようになったのかは、今でもその詳細が不明である。ただ、“沈静”という言葉から、疑いは晴れたのだと推量でき、現に、その後、何の連絡も入っていない。ところが不思議なことに、疑いが晴れたにもかかわらず、私は、何の事情も知らされないまま、問題があったとされる場所への立ち入り・電話連絡などの接触・その場所での待ち合わせなど、全てを禁止されてしまった。誠にもって不思議な話である。

    私はフェミニストではないが、女性の尊厳は最大限に尊重してきたつもりであった。しかし、今回のことで、その意識が足りなかったことを思い知らされた。誤解を与えてしまったと思われる女性Aさんには御詫びの言葉もない。また、伝言を御願いした女性Bさんに対しても、このような事に巻き込んでしまって申し訳ないことをしたと思っている。そして、私の軽率だったとされる行動で御迷惑をかけてしまった方々に対し、御詫びを申し上げたい。すでに疑いは晴れているようであるが、たとえ僅かな時間であったとしても、人間としての信用を失ってしまったこと、また、会社の信用を失墜させてしまったことの意味は重い。たとえ謝っても許されるはずもないと思っているので、先日、会社の部長宛てに、私に対して解雇の処分をするよう求める要望書を提出し、辞職願も同封してきた。人間としての信用を失ってしまった以上、私は現職に留まる気は毛頭ないので、早く解雇の処分が下ることを願っている。会社から解雇の処分が下れば、 私は、“セクハラの疑いをかけられた人間”として、生涯、その汚名を背負って生きていくことになる。大した首ではないが、私の御首級を差し出し、生涯、その責任を背負って生きていくので、どうか、これで許していただきたい。

    女性Aさんとは、1〜2ヶ月ほど一緒に仕事をしていたのだが、その時、もっと真剣に接していたら、このような事にはならなかったと思う。軍学書である“甲陽軍鑑”には、武田信玄の言葉として次のような記述がある。 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と。 女性Aさんに、「あの人なら、そのようなことをしてもおかしくない」と思わせてしまった時点で、私の敗北である。もっと真剣に接していれば、「あの人が、そんなことをするだろうか…」となったはずであり、そうすれば、このような大騒ぎにはならなかったのである。私の徳が至らなかったばかりに、セクハラなどという低俗で品位のない疑いをかけられたことは、私にとって一生の不覚である。このようなことで討死とは、悔やんでも悔やみきれないが、根無し草のような生活をしている私には御似合いの最後だとも思う。現在、伝承之蔵の閉鎖も含めて、自分の今後の人生に関して熟考している最中である。ん〜、何か…、疲れちゃった…。

  2015/07/21  





    私は、一緒に仕事をしている方たちを全て仲間だと思って信用している。本当にそう思っているのである。前回の記事の続きになるが、私の徳が至らなかったばかりに、今回は、その仲間の信用を得ることができなかった。仲間に疑いを抱かせてしまうとは、痛恨の極みである。今回は、安心していた方面からの進攻だった為、全くそれを想定しておらず、何の防御もできないまま全軍総崩れになってしまった。

    私は下戸なので、ほとんど酒を飲んだことはないのだが、さすがに今回の件は堪えたので、「酒は嫌な事を全て忘れさせてくれる」という言葉を信じて、大量の酒を買ってきて浴びるように飲んでみた。飲んでは吐き、飲んでは吐きの繰り返しであったが、確かに、体を痛めつけている間は嫌な事を忘れさせてくれた。しかし、正気に戻ると、また酒を飲んで体を痛めつけなければならない。この歳でアルコールに依存するとは恥ずかしい話である。今回の件で、ひどく生活が荒んでしまったが、それ以上に、心が荒んでしまった。

    私は、もともと東京の出身なので、今回の件を東京の友人に相談してみると、「誤解だって分かったんでしょ?じゃあ、それで良いじゃん。何で会社を辞めるの?そこまで責任を感じる必要ないでしょ?」との答えであった。私は、「疑われたこと自体が問題なんだ。俺は、その女性の心を傷つけ、伝言を頼んだ全く無関係の女性も巻き込んで心を傷つけたんだぞ。会社を辞めて責任をとれば、少しは傷ついた心も癒えるだろ」と反論したのだが、その友人は、「お前バカか!今どきの女が、そんなことぐらいで傷つくか!」と言ってゲラゲラ笑っていた。さらに、東京では、女性たちがセクハラや痴漢を捏造して、男から高額な慰謝料をむしり取ることもあるという話を聞かされ、「その女から慰謝料の請求がきたわけじゃないんだろ?まともな女でラッキーだったな」と叱られた。私が、「俺が純粋すぎるということなのかなぁ…」と聞くと、「純粋だと?自分を美化するな!お人好しのバカってことだ!」と言って、さらに叱られた。しかし、最後に、「まぁ…、それがお前の良いところだけどな。お前は昔から女にモテただろ。何でだか分かるか?女はな、お前のそういう誠実なところをみて好きになるんだ」と言ってくれたことは、唯一の救いであった。

    その友人が薦めてくれたのが、アメリカの歌手である P!nk(ピンク)の“Fuckin' Perfect”という歌である。この歌は、以前から私も知っていたのだが、その時は、そんなに良い歌だとは感じなかった。しかし、今の私にはピッタリの歌である。以下は、P!nk の写真と Fuckin' Perfect の歌詞を私が日本語に訳したものである (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。


Fuckin' Perfect
あなたって、すごく完璧よ



Made a wrong turn Once or twice.
一度や二度、道を踏み外したこともあったわよ。

Dug my way out Blood and fire.
それでも、必死に自分の道を掘り起こしてきたわ。

Bad decisions, That's alright.
間違った選択をしたって良いじゃない。

Welcome to my silly life.
ようこそ!私の愚かな人生へ。

Mistreated,misplaced,Misunderstood,
いじめられたり、のけ者にされたり、誤解されたりしても、

Miss "no way, it's all good".
いつも、「すごく良い感じ!」と答える“ミス・良い感じ娘”だった。

It didnt slow me down.
そんなつまらないことで、私は歩みを止めたりしなかったわよ。

Mistaken,Always second guessing,
ミスをして、「ああすれば良かったのに…」と他人から批判されても、

Underestimated,
どんなに他人からの評価が低くても、

Look, I'm still around.
私を見てみなさいよ。ちゃんとこうして生きてるじゃない。




Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

Don't you ever, ever feel like you're less than Fuckin' Perfect.
「自分は完璧じゃない…」だなんて感じないで。

Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

If you ever, ever feel like you're nothin',
もし、あなたが、自分には何の価値も無いだなんて思っているのなら、

You're fuckin' perfect to me.
私を見てみなさいよ。私から見れば、あなたは憎たらしいほど完璧なのよ。




You're so mean when you talk about yourself,
あなたは、自分の事を話す時、何でそんなに卑屈になるの?

you were wrong.
それって最悪よね。

Change the voices in your head.
頭の中にあるその最悪な考え方を捨てて、

Make them like you instead.
自分を好きになってあげなきゃ駄目じゃない。

So complicated.
すごく物事を複雑にしちゃってさ。

Look how we all make it.
見てみなさいよ。あなたがこんな風にしてしまったのよ。

Filled with so much hatred.
憎しみで心を一杯にしちゃって。

Such a tired game.
すごく疲れるゲームね。

It's enough.
もうたくさん。

I've done all I can think of.
考えられる事は全てやったわ。

Chased down all my demons.
私に憑いている悪魔たちを全て追い払ってやるんだから。

I've seen you do the same.
あなたも私も同じことで悩んでるみたいね。




Ooooh! Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

Don't you ever, ever feel like you're less than Fuckin' Perfect.
「自分は完璧じゃない…」だなんて感じないで。

Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

If you ever, ever feel like you're nothin',
もし、あなたが、自分には何の価値も無いだなんて思っているのなら、

You're fuckin' perfect to me.
私を見てみなさいよ。私から見れば、あなたは憎たらしいほど完璧なのよ。




The whole worlds scared. So I swallow the fear.
世界の人たちが怯えていたもの。私がそれを飲みほしてあげたの。

The only thing I should be drinking is an ice cold beer.
私が飲みたいのは、氷のように冷えたビールだけなのにね。

So cool in line. And we try, try, try.
これでも、みんなと協調して自分の感情を鎮めようとしたのよ。すごく頑張ったの。

But we try too hard. and it's a waste of my time.
すごく頑張ったんだけど、時間の無駄だったわ。

Done looking for the critics.
あなたは、これからも批評家を探し続けるつもり?

'Cause they're everywhere.
そんなのそこら中にいるわよ。

They don't like my jeans. They don't get my hair.
彼らは、私のジーンズや髪型が気に入らないんだってさ。

Strange ourselves and we do it all the time.
私たちと彼らは、ずっとこの争いを続けるのよ。

Why do we do that?
なんで人間ってこうなんだろうね?

Why do I do that?
なんで私ってこうなんだろうね?

Why do I do that?
なんで…。




Yeeeeaaaahhh! Oooooooh! Oh! pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

Don't you ever, ever feel like you're less than Fuckin' Perfect.
「自分は完璧じゃない…」だなんて感じないで。

Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

If you ever, ever feel like you're nothin',
もし、あなたが、自分には何の価値も無いだなんて思っているのなら、

You're fuckin' perfect to me.
私を見てみなさいよ。私から見れば、あなたは憎たらしいほど完璧なのよ。

You're perfect, you're perfect.
あなたは完璧。そう!完璧なのよ!

Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

Don't you ever, ever feel like you're less than Fuckin' Perfect.
「自分は完璧じゃない…」だなんて感じないで。

Pretty, pretty please.
どうか、どうか御願いだから。

If you ever, ever feel like you're nothin',
もし、あなたが、自分には何の価値も無いだなんて思っているのなら、

You're perfect to me.
私を見てみなさいよ。私から見れば、あなたは完璧なのよ。



    言葉遣いは荒く、文法もメチャクチャなところがあるが、彼女の歌声は力強く、人の心を奮い立たせる力を持っている。今、最も私が必要としている言葉が詰まった歌である。彼女の心からの叫びを聞くと涙が止まらない。私は、溢れてくる涙を堪えることができない。私は今、一日中、この曲を聞いて、一日中、泣いている。このような疑いを受けた私の書く文章の内容を、何人の方が信用してくれるか分からないが、信用を無くしたら、また一から必死に積み重ねていくしかない。失敗したら、次からは失敗しないように必死に努力するしかない。他に方法が無いのである。大丈夫、また立ち上がることができる。大丈夫、また少しずつでも歩いていくことができる。確かに、昔から私は、お人好しのバカであった。しかし、それでも、自分なりに頑張ってきたつもりである。失敗ばかりの人生だったけど、もっと自分を褒めて、もっと自分を励ましてあげなければ。このままでは、私は死んでしまう。

    前回の記事を掲載した直後から、伝承之蔵の英語版“Between Woman's Way ( womanly living ) and Filial Duty”へのアクセスが急に伸びたので、久しぶりに自分で書いた記事を読んでみたのだが、改めて、私よりも、もっと苦しんで死んでいった先人たちがいることが分かった。自分で書いて掲載しておきながら、すっかり忘れていたのである。10年もの間、一体、私は何を考えて伝承之蔵を運営していたのかと恥ずかしく思う。もっと真剣に伝承と向き合わなければならない。目の前に、こんなに素晴らしい財産があるのに、酒に溺れた荒んだ生活をしている自分が情けない。必ず、必ず、必ずその中に、現在の苦境を抜け出すことができるヒントがあるはずである。それにしても、なぜ急に英語版のアクセスが伸びたのか不思議である。もしかしたら、海の向こうに援軍がいるのかな?考えすぎか…。

    Professor Ann, I don't forget our promise. As I was shocked by the matter this time, nearly to forget a promise... I will support you and your students that have been studying the Japanese language and Japanese culture at University of Florida. Sendai City is a wonderful. There is beautiful nature, delicious food and a respectable persons there. I want you to know Sendai City more. I must transmit a lively information to you that your students take an interest in. Let's do it together that compile a practical textbook. (アン教授。私は、あなたとの約束を忘れていない。今回の件で、ちょっと忘れそうになったが…。私は、フロリダ大学で日本語と日本文化の勉強に励んでいる生徒さんたちの役に立ちたい。仙台は素晴らしい街です。美しい自然、美味しい食事、尊敬できる人間たち。皆さんに、もっと、仙台のことを知ってもらいたい。必ず、生徒さんたちに興味を持ってもらえるような、仙台の活きた情報を送りますので、一緒に実践的な教科書を作っていきましょう)

  2015/07/27  





    現在、私は、作並の山々の中にポツンとある現場で勤務している。すごく静かな環境である。静かな環境で、静かに物事を考えることができ、ここ数日で、やっと荒んでいた心が静まってきた。良い現場に異動になったことに感謝している。すでに会社には処分の嘆願書と辞職願を提出しているので、後は会社から処分が下るのを待つのみである。私は、どのような処分が下っても、一切、異論を唱えず、心静かに全てを受け入れるつもりである。私は頑固者なので、このような生き方しかできないが、今回の件では、多くの方々に支えていただいた。そのことには心から感謝しています。ありがとうございました。

    なぜだか理由は分からないが、ふと、まだ私が小学生だった時、母の実家で、近所に住んでいた将棋の上手なTさんと将棋をした時のことを思い出した。すでに勝負は決まっていたのだが、なかなか私が負けを認めず、最後の最後まで王将を逃がそうとしていた時、Tさんは、「なんだ、往生際が悪いな。こういう時は『参りました』と言って、相手に対して礼をするもんだ」と言って笑い、次のように言った。「後で、腹の切り方を教えてやるからな」と。当時、私は子供だったので、何を言っているのか分からなかったのだが、その数年後、Tさんが自殺したと聞かされた。

    自殺の原因は、一切、分かっていない。遺書も残されていなかったという。ある人は借金問題が原因だと噂し、またある人は女性問題が原因だと噂していた。その時、私の母方の叔父であるK叔父が私に次のように言った。「人は勝手なことを言うもんだ。そんなものは気にするな。あれが男の腹の切り方だ。よく覚えておくんだぞ」と。何も語らず、誰も恨まず、静かに姿を消す。私は、Tさんの最後は立派なものであったと思っている。その日から、私は、往生際の悪い人間が嫌いになった。


    伝承之蔵に於いて、未掲載もしくは著しく掲載数が少ないのは、大郷町・村田町・角田市・川崎町・柴田町・涌谷町なので、各市町の担当部署に問い合わせてみたところ、大郷町には“おおさと昔かだり”という書籍があり、村田町には“おらほのむかしばなし”という書籍があるとのことであった。残りの角田市・川崎町・柴田町・涌谷町に関しては、自分で1つずつ掘り起こしていくしかないようである。先日、大郷町の中央公民館から、“おおさと昔かだり”が届いたので、次は、大郷町の方々に御世話になることにした。やはり、昔話は良いですね。読んでいて自然と笑みがこぼれます。しっかり下調べをしてから伺いますので、大郷町のみなさん、温かく迎えてやってください。心の病で少し気力が低下しておりました。まだ病み上がりですので、優しくしてくださいね…。本当に御願いします…。

  2015/07/31  





    上の写真は、仙台市泉区にある桂市民センターである。 このセンターでは、毎週金曜日、“泉日本語サロン”という団体が、仙台市に在住している外国人の方に日本語を教えるというボランティア活動をしているのであるが、先日、その授業を見学させていただいた。授業の見学を希望した動機は、 アメリカのフロリダ大学のアン・ウェイマイヤー教授( Professor Ann Wehmeyer )が、 自身の“日本の民間伝承”という講座の中で、伝承之蔵を使用してくださっている為である (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。以下は、当該資料の必要な部分だけを私が日本語に訳したものである。

【B.Mid-term project】

Select a story to translate from the website 伝承之蔵 (Densho no kura, Treasury of Legends) at http://legend.main.jp.This website is a collection of local legends and folktales of Miyagi prefecture, along with descriptions of the physical sites associated with them.Each tale contains proper names, dialog, culture-specific terms, and other challenges for translation that we will study in the first part of the semester.Photos and captions follow the tales, and these should be translated as well.You will be asked to comment on particular aspects of your tale that are discussed in the Hasegawa textbook, and explain your decisions for translation.As you know,Miyagi prefecture is one of the areas that received heavy damage during the 東日本大震災 (Higashi Nihon daishinsai ‘Great East Japan Earthquake’, aka Tohoku Earthquake and Tsunami) of 03/11/11.The web master will post our translations, and in this way we can make a small contribution to the preservation and dissemination of cultural heritage.

【B.1学期の中間の研究】

ウェブサイト“伝承之蔵”から翻訳する為の物語を選んでください。このウェブサイトは、宮城県の伝説と民話を集めて掲載しています。そして、掲載されている伝説に関して、その実在している遺跡の写真も添えられています。それぞれの伝説は、それにふさわしいタイトル、登場人物の会話、特別な教養を必要とする用語、そして、私たちが1学期の最初に学ぶであろう翻訳する為に挑戦すべきものを含んでいる。写真と詞書が物語に添えられているが、それらも同じように翻訳されなければならない。あなたが選んだ物語の中には、Yoko Hasegawa が書いた“翻訳講座”という本で論じられているような特有の状況があり、それに関する説明を求められることになるが、あなたは、翻訳の為にあなたが下した判断の説明をしなければならない。あなたも知っていると思うが、宮城県は、2011年3月11日、東日本大震災に於いて大きな被害があった地域の一つです。このウェブサイトの管理者は、私たちが翻訳したものを掲載してくれるでしょう。そして、このような方法によって、私たちは、文化的な遺産の保存と宣伝のための小さな貢献をすることができるのです。


    以前から、教授が自身の講座で伝承之蔵を使用してくださっているということは、教授からのメールで知っていたのだが、ここまで講義に組み込んでくださっているということまでは知らなかった。そこで、フロリダ大学の生徒さんの為に、私に何かできることはないかと思い、アン教授に相談した結果、“Something popular in Sendai=仙台で人気のある何か”に関して情報を提供することになった。一口に“Popular”と言っても人によって解釈は様々だが、相手がフロリダ大学の生徒さんとなると、20歳前後の若者に人気のある情報が良いであろうと私は考えている。

    私は、今まで国際交流には関心が無かった為、全くその道に明るくない。そこで、ネットで検索したところ、数個の国際交流グループがヒットした。その中で、地道に真面目にコツコツやっているという印象を持ったのが、泉日本語サロンであった。私が、授業の見学を希望した動機を話したところ、代表の横田英司さんは、私と初めて会ったにもかかわらず、様々な国際交流の団体を教えてくださり、その団体に私を紹介していただけるとのことであった。たいへんありがたいことである。泉日本語サロンには、様々な国から様々な理由で日本に在住している方が通っている。その方たちと交流すれば、必ず、私の中で“化学変化”が起こり、外国に発信する私の記事にも幅が出てくると思う。全てが手探り状態であるが、何とか頑張ってみるつもりである。

    「あなたが虚しく過ごした今日という日は、昨日、死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日」。 韓国の“カシコギ”という小説の中にある言葉だという。私は、この1ヶ月の間、荒んだ生活を送った上、酒の過剰摂取で体調を崩してしまった。本当に馬鹿なことをしてしまったと反省している。5キロ近く体重が減少したので、早く体重を元に戻したいのだが、未だに食べても吐いてしまうことが多く、体重は減少したままである。それでも、以前のような激しい下痢もなくなり、少しずつだが体調が快復してきていると感じる。最近、やっと荒んでいた心が落ち着いてきたので、次は何とか体を落ち着かせたい。また一つ、私の心の中の深い部分に、生涯、癒えることのない傷が加わった。本当に感謝している。何故なら、また少しだけ、人の心の痛みを真に理解できる人間に近づいたのだから。

    私は、今回の件で会社を辞めた後、母が同意してくれたら、伝承之蔵を閉鎖し、仙台に所有している不動産などの資産を全て売却して東京に帰ろうかと考えていた。しかし、確かなデータがあるわけではないのだが、どうも、多くの教育機関が伝承之蔵を使用しているようである。私は、学問に励んでいる人間が大好きであり、そのような人間たちの学問の妨げになることを心よしとしない。私は、学問に励む人間たち、特に、宮城県の将来を担ってくれる若者たちを全力で支援したいと考えている。東京に帰れば何らかの仕事はあるのだろうが、私の歳だと仙台での就職は難しい。仙台に住み続けるとなると、何らかのアルバイトをしながら伝承之蔵を継続していくしかない。東京に帰るにしろ、仙台に残るにしろ、学問に励んでいる人間たちを見捨てて逃げていくことは絶対にないので、その点は安心していただきたいのだが、困ったなぁ…、どうしよう…。なぜ私の人生はいつもこうなのであろうか。

  2015/08/05  





    今回の件のストレスの為、毎日というわけではないのだが、その日の体調によって右の耳がほとんど聞こえなくなる日がある。もともと私は耳が悪いので、あまり良く聞こえないのだが、ほとんど聞こえなくなるということはなかった。左の耳は、以前、突発性難聴を患った為、一年中、ひどい耳鳴りがしている状態なのだが、今の右の耳よりは聞こえるので、主に患った左の耳を使って会話をしている。耳鼻科の先生からは、「突発性難聴は再発することが多いので、次に発病した時は、耳が聞こえなくなることも覚悟して下さい。この病気の原因に関しては不明です。しかし、何らかの形でストレスが関係していると言われていますので、なるべくストレスは溜めないで下さいね」との説明を受けていた。両耳がこんな状態で相手の言葉が聞き取り難い為、会話の趣旨が理解できず、仕事に支障が出てきている。もはや潮時ということかもしれない。

    未だに会社からは、今回の件に関する詳しい事情説明は無い。「どこから、どんな苦情が入ったのか?」・「どのような嫌疑が私にかかっていたのか?」・「誰が私の無実を証明してくれたのか?」・「誰にどれだけの迷惑をかけたのか?」・「何が、どのような状態になって、結果的にどうなったのか?」。その他の多くの事が全く不明なので、1ヶ月以上が経過した今でも、お礼の言葉も、謝罪の言葉も申し上げることができないでいる。若者たちに伝えておきたい。「報告・連絡・相談」。常に遣われている言葉ではあるが、その実践は非常に難しいというのが現実である。上記のような情報が全く無かった為、この1ヶ月間、私は苦しみに苦しみ抜き、体も精神もズタズタに引き裂かれて廃人のようになってしまった。私は、どんなに自分に不利な情報でも、全てを受け入れて対策を考える人間である。その私にとって情報の遮断は致命傷となる。旬の情報は命と同じであり、旬を過ぎた情報はゴミと同じなのである。君たち若者には将来がある。これから、私と同じような事が身にふりかかるかもしれない。そんな時、どんな状態に陥っても、仲間同士でコミュニケーションをとって情報を共有し、一人で駄目なら二人で、二人で駄目なら三人で連携して対応することが重要である。その為には、常に周りの人間からの信用を得ておく必要がある。私は、3年もいた現場に於いて、誰一人の信用も得ることができなかった。 私のような信用の無い人間になってはいけない。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」。人間同士の信用というものは、命の重さに匹敵するほど大切なものなのである。

    私が会社に提出した嘆願書に関しても、どうも1ヶ月以上も放置されたままのようである。1ヶ月以上も放置されたということは、「あなたは、この会社に必要の無い人材です」という意思表示と解釈しても差し支えないと思う。近日中に辞職表を提出し、私の代わりの人材が現場の仕事を覚えるのを待って辞職するつもりである。この期に及んで、私に望むものがあるはずがない。何一つ望むものはない。不思議にも、心は静かである。怒りという感情も無ければ、誰かを恨むという感情も無い。明鏡止水とは、このような状態のことなのであろうか。今はただ、自分の気持ちに早く区切りをつけて、静かに再出発したいだけである。

  2015/08/12  





【 強く生きる人間より、優しく生きる人間に 1 】

    私は、今回の件で会社を辞職しようと思っていたので、3年間、お世話になった会社のT顧問を誘って最後の食事をしたところ、意外にも、「セクハラ?それ何の話だ。聞いたことないぞ」という話になった。驚いたT顧問が、「ちょっと待ってろ、聞いてみっから。辞めるなよ」と言って、すぐに私と会社に行き、Y上司に、「この話、聞いてっか?」と聞いたところ、「あ〜、ありましたね。詳しくは知りませんが、Wさんから報告は受けてます」とのことであった。その時、Y上司が私に向かって、「もう結果が出ていることなんだから、あれこれ考えて蒸し返さない方が良いよ。それをグッと飲み込む度量を持たなきゃ」と言ったので、私は、「私に関することは気にしていません。私が気にしているのは、迷惑をかけたAさんと、無関係なのに巻き込んでしまったYさんの心が傷ついていないかどうかです。ただそれだけが気がかりです」と答えた。すると、Y上司は、「あなたが知る必要はありません。私が知る必要も無いので詳しい事は何も聞いていません」と言い、さらに、「あなたがそれを知ったところで、何もすることができないでしょ?あの現場に近づかなければいいだけ。ただそれだけの話。もう終わったことだから、それを受け入れる器を持たなきゃ」と、淡々とした口調で私に話した。そして、「このくらいで終わって良かったね。普通なら、こんなもんじゃ済まないよ」と付け加えてから、最後に、「気にしなくて良いけど、気にしてね」と言って、ニコニコ笑った。

    Y上司が遣う“度量”や“器”という言葉には、確かに、ある種の処世訓的なものを感じることはできる。しかし、どういう定義で度量や器という言葉を遣っているのかは知らないが、私の頭の中にある度量や器とは、かなり大きな隔たりがあるように思う。私は、どのような処分が自分に下るかに関しては全く興味が無かった。私が知りたいのは、あくまでも相手の心の状態である。「あなたがそれを知ったところで、何もすることができないでしょ?」と言われてしまったが、なら、何もすることができなければ、何も知らなくて良いのであろうか。相手の心に配慮しなくて良いのであろうか。たとえ何もすることができなくても、相手の心に傷を与えたのであれば、自分も相手と同じように苦しんで、状況を共有することぐらいはできるはずである。一般的には、そのようなことは忘れて、普段の生活に戻るのかもしれない。しかし、私は、相手の心に配慮せずに知らん顔をすることを、度量や器などとは断じて表現しないし、そのような行動をとることは断じてない。その為、私にしては珍しく、少し興奮して声を荒げて反論してしまった。

    その日の夜、最も事情を知っているW上司から、「私の説明不足で迷惑をかけました。申し訳ありません」との電話があった。T顧問が、「だいぶ気にしているようだから、電話して説明してやれ」と助言してくれたようである。W上司の話によると、最初からセクハラの疑惑などは無く、私がAさんに依頼しようとした内容の確認、もしくは、問い合わせのレベルであったらしい。しかも、Aさんは、私が伝言を依頼したYさんに内容を確認したので、「そうだったんですか。分かりました」と既に納得しているという。私が最も気にしていたAさんとYさんの心の状態を聞いてみると、「相手の会社の方たちも、うちの会社の同僚たちも、関係している全員が『全く問題なし』で納得しています。AさんもYさんも元気でやってますよ」との答えが返ってきた。私がW上司に、「私は、その現場にいた3年間、自分では真面目に仕事をしてきたつもりでした。今回、セクハラの疑いがかかったと思っていましたので、そんなに信用が無かったのかと思い、3年もの間、自分は何をしていたのかと、毎日毎日、自問自答していました」と言うと、W上司は、「あなたには、特に問題はありません。ただ、その現場で少し失敗が続いていたので、『以後、誤解を招くような行動はいたしません』という意思表示の為、一応、出入り禁止の処分にしただけです。会社の都合上、処分しましたが、あなたが特に悪いことをしたわけではないので、その現場に謝罪に行く必要もありません」とのことであった。そして、「大きな問題にならなかったのは、あなたの人柄だと思います。あなたに関しては、良い話しか聞こえてきません。私の説明不足でしたね。申し訳ありませんでした」と逆に謝られてしまった。

    今回は、コミュニケーション不足という極めて初歩的なミスが原因のようである。結果的に、身も心もズタズタに崩壊してしまったが、特に後悔はしていないし、誰かを恨むということもない。あれだけの涙を流せたということは、私の中に人を思いやる心があるのだということを実感させてくれたし、流した涙の量が、その深さを証明してくれたので、むしろ喜ぶべきことである。人の心の痛みを知ろうともせず、知らん顔をしていたら、決して得ることができなかった大切なものである。私は、悩むことが悪いことだとは思わない。深く悩むからこそ、深く感じることができ、何か大切なものを得られるのである。要領が良くて、ずる賢くて、人の心の痛みに配慮することなく生きる人間の方が、“得”なのかもしれない。しかし、私には、そのような生き方はできない。“損”な生き方をしているのかもしれないが、私は、不器用でも、お人好しでも、人の心の痛みに配慮して生きる人間でありたい。強く生きる人間より、どんなに傷ついても優しく生きる人間でいたいのである。その現場の方たちは、私が思っていた通りの方たちであった。それが分かっただけでも満足であり、私にとって、この上ない幸せである。また何か臨時の仕事があったら、呼んでもらいたいものである。

みんな 大〜好き!  ヾ(^O^)ゝ


  2015/08/18  





【 強く生きる人間より、優しく生きる人間に 2 】

    上の写真は、RADWIMPS(=ラッド・ウィンプス)という4人組のロックバンドである。バンド名は、アメリカ英語の俗語で、“素晴らしい”とか“いかした”を意味するRADと、“意気地のない人”とか“弱虫”を意味するWIMPを合わせた造語だという。私は、このバンドが、2008年に発売した“オーダーメイド”という歌が大好きで、今でも頻繁に聴いている (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 以下はオーダーメイドの歌詞である。興味がある方は映像と共に御覧いただきたい。

オーダーメイド

歌 : RADWIMPS

作詞 : 野田 洋次郎

作曲 : 野田 洋次郎


きっと僕は尋ねられたんだろう。生まれる前、どこかの誰かに。

「未来と過去、どちらか一つを、見れるようにしてあげるからさ。どっちがいい?」。

そして僕は過去を選んだんだろう。

強い人より優しい人に、なれるように、なれますようにと。

『想い出』って何だか分かるように。




続けて誰かさんは僕に言う。

「腕も脚も口も耳も眼も、心臓もおっぱいも鼻の穴も、二つずつつけてあげるからね。いいでしょう?」。

だけど僕はお願いしたんだよ。「口は一つだけでいいです」と。

僕が一人でケンカしないように、一人とだけキスができるように。

忘れたい、でも忘れない。こんな想いをなんと呼ぶのかい。




少し不機嫌な顔のその人は、また仕方なく話しはじめた。

「一番大事な心臓はさ、両胸につけてあげるからね。いいでしょう?」。

またまた僕はお願いしたんだ。

「恐れ入りますがこの僕には、右側の心臓はいりません。わがままばかり言ってすいません」。

僕に大切な人ができて、その子抱きしめる時はじめて、

二つの鼓動がちゃんと胸の、両側で鳴るのがわかるように。

左は僕ので右は君の、左は君ので右は僕の。

一人じゃどこか欠けてるように、一人でなど生きてかないように。

忘れたい、でも忘れない。こんな想いをなんと呼ぶのかい。

胸が騒がしい、でも懐かしい。こんな想いをなんと呼ぶのかい。




「そう言えば最後にもう一つだけ、『涙』もオプションでつけようか?

なくても全然支障はないけど、面倒だからってつけない人もいるよ。どうする?」。

そして僕はお願いしたんだよ。

強い人より優しい人に、なれるように、なれますようにと。

『大切』ってなんだか分かるように。

「じゃあ、ちなみに涙の味だけども、君の好きな味を選んでよ。

酸っぱくしたり、塩っぱくしたり、辛くしたり、甘くしたり、

どれでも好きなのを選んでよ。どれがいい?」。




「望み通り全てが、叶えられているでしょう?

だから涙に暮れる、その顔をちゃんと見せてよ。さぁ、誇らしげに見せてよ」。




「ほんとにありがとうございました。色々とお手数をかけました。

最後に一つだけいいですか?どっかでお会いしたことありますか?」。


    オーダーメイドによると、ある人間が、この世に生まれる前、神様から、“涙”という感情をオプションで付けていただいたという。神様からの「オプションで涙を付けてあげようか?まぁ、涙が無くても、生きていく上で全く支障はないけどね。『面倒くさいから必要ない』っていう人もいるよ。どうする?」という問いに対して、その人間は、「私は、強い人より優しい人になりたいと思います。その為には涙が必要です。“大切”って何かを知る為に…」と答えたという。

    最近、私は、「なぜ、自分はこの歌が好きなのか?」と考えるようになった。他に数えきれないほどの歌があるのに、なぜ、この歌なのかと。もしかしたら、私も、この世に生まれてくるずっと前、その人間と同じような願い事を神様にしたのかもしれない。強い人より優しい人に。私が自分で選んだ道である。涙に暮れている顔を誇らしげに見せれば、きっと神様も微笑んでくれるであろう。強い人より優しい人に。私は、教養が無く頑固な人間なので、そのような生き方しかできない。他の生き方はできないのである。たとえ、その結果として鬱病になって死んだとしても、それで本望であり、一片の悔いも無い。強い人より優しい人に。神様も驚くほどの頑固さである。しかし、それでも、私は自分の信念に従って生きる。バカげた話かもしれないが、人の心に配慮できる人間こそ、最も幸福に近い場所にいると、本当に信じているのだから。

  2015/08/22  





    お酒とは恐いものである。現在、飲酒はしていないのであるが、先月の無謀な飲酒で体を壊して以来、未だに体調が悪い。さらに、今月、職場の同僚の一人が退職した為、残業時間が増えてしまった。仕方がないことなのではあるが、毎日、過労で酷い頭痛に悩まされている。現在、大郷町の伝説の編集を進めているので、楽しみにしている方は、もう少しだけ待っていただきたい。少しずつではあるが、編集が終了したものから掲載していくので。ん〜、それにしても困った…、ひどい頭痛だ…。

  2015/09/18  





【 生きるとは何か? 1 】

    上の写真は、黒木奈々(=くろき・なな=32歳)さんというフリーアナウンサーの方である。先日、黒木さんが胃がんで死去したというニュースがネットに掲載されていた。私は、ほとんどテレビを観ないので、失礼ながら黒木さんのことは知らなかったのだが、才能ある者が、32歳という若さで死去したことは、誠に残念である。20歳前後の若者とは違い、自分が本当にやりたいことが少しだけ見えてきた頃であろうか。これからという時に病に倒れるとは、本人も無念であったろう。しかし、私たち人間にとって死というものは、この世に生まれて以来、ずっと目前にあるものである。目に見えないものなので、若い時に強く意識することは難しいが、その死が微笑んだ時、私たち人間は、好むと好まざるとにかかわらず、必ず、それを受け入れなければならない。

    2012年2月6日、ウェブサイト「Pouch」に、「ナースが聞いた『死ぬ前に語られる後悔』トップ5」という記事が掲載されていた (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 その記事によると、人間は死ぬ直前、次の五つの後悔を口にするそうである。

@自分自身に忠実に生きれば良かった。

Aあんなに一生懸命働かなくても良かった。

Bもっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった。

C友人関係を続けていれば良かった。

D自分をもっと幸せにしてあげればよかった。

世間と呼ばれている小さな世界で上手くやっていく為に、“自分らしく生きる人間”ではなく“他人に望まれるような人間”を演じた結果、可もなく不可もなくという不本意な形で人生を終えることへの後悔が最も多いという。幸福というものは、自分自身でリスクを負い、果敢に挑戦して掴み取るものである。便利な言葉を遣わせてもらえれば、世間が作り上げた“常識”とでも言うのであろうか、その常識に従って生きていれば、一時的な幸福を感じることはできるのであろうが、上記の記事が示しているように、そのような幸福は本物ではない。それは、決して幸福と呼べるものではなく、常識というレールを歩くことによって自分の頭で考えることを拒否し、ただ怠けているというだけの偽物の幸福である。

    私が必要としている幸福は、ただ自動的に与えられた、そのような偽物の幸福ではなく、たとえ七転八倒しながらでも、自分自身の頭で考えて行動し、人生の岐路では自分自身の決断で道を選択し、ある一定の場所に到達する。それが、私の幸福である。自分自身の体を痛めつけ、自分自身の心を傷つけた末に辿り着くのが、幸福という場所なのである。その一定の場所が、自分が望んだ場所なのか、そうでない場所なのかは関係ない。結果は関係ないのである。自分で考えて、自分で決断する。それこそが、“自分らしく生きる”ということであり、そのように生きている人間こそが、真に他人に優しくできる“他人に望まれるような人間”になれるのである。私が死ぬ時、恐らく後悔はしていないであろう。失敗ばかりの人生だが、私が自分の頭で考えて生きた結果である。私は、その全ての結果を受け入れて死んでいくつもりである。

  2015/09/25  





【 生きるとは何か? 2 】

    上の写真は、平成27年9月24日、胆管癌で死去した故・川島なお美(=かわしま・なおみ=54歳)さんである。私は、この写真が好きである。川島さんの痩せた腕を見てみるといい。痩せてシワになった顔を見てみるといい。川島さんの体内にあるブドウ糖を吸収して癌が増殖している証拠である。これが癌である。私の父親の命も奪っていった癌である。同時に、自分の痩せ衰えた姿を公開した川島さんの勇気に対して敬意を表する。これは決して他人事ではない。私たちも、いつそのような病気に襲われて命を落とすか分からないのである。恐ろしいのは病気だけではない。事件・事故など、死に至る可能性がある危険は身の周りに無数にある。今まで私が死ななかったのは、ただ幸運だったからに過ぎない。つまり、現在、私が生きているのは、“拾った命”で生きているということである。

    昔、地球上に存在した多くの動物たちが絶滅していった。やがて人間も例外なく絶滅すると推量できる。私たちが住んでいる地球ですら、いつかは超新星となって宇宙の塵になるという。私は、いつも、「人間は何のために生きているのであろうか?」などと、仰々しく考えてしまう。人間は、いずれ死ぬと分かっているのに、なぜ生まれてくるのか?人間は、この世に生れてから死ぬまでに、一体、何をすべきなのであろうか?そのようなことを考える時、私は、いつも、谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」という詩を思い出すようにしている。


二十億光年の孤独

作詩:谷川俊太郎



人類は小さな球の上で

眠り起きそして働き

ときどき火星に仲間を欲しがったりする



火星人は小さな球の上で

何をしてるか  僕は知らない

(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)

しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする

それはまったくたしかなことだ



万有引力とは

ひき合う孤独の力である



宇宙はひずんでいる

それ故みんなはもとめ合う



宇宙はどんどん膨らんでゆく

それ故みんなは不安である



二十億光年の孤独に

僕は思わずくしゃみをした



    地球に住んでいる人間は、その孤独から火星人に想いを馳せる。そして、火星人も、その孤独から地球人に想いを馳せる。万有引力とは、“引き合う孤独の力”だという。その為、歪みを抱えている宇宙が、どんどん膨らんでいくと、○○人たちの不安は絶頂に達する。ちっぽけな存在の地球人が、遥か、二十億光年も離れている○○人の孤独を心配しているのである。そして、その地球人は、最後にクシャミという、ごくごく日常的な行為をして現実に戻ってきた。

    考えることは大切である。しかし、私たち人間が、いくら考えても分からないことがあるのである。私たちが住んでいる地球は、やがて宇宙の塵となって消えていく。それは、宇宙にとって何の変哲もない日常のことである。私たち人間が歩いていて、小さな蟻を踏み殺しても気づかないのと同じである。蟻の方も、「なぜ自分が踏み殺されたのか?自分の人生は何だったのか?」などとは考えない。生きているから生きているのであり、死んでいるから死んでいるのである。私たち人間は、何かが決めた能力で、何かが決めた範囲内で、精一杯の努力をして慎ましく死んでいくしかない。それが真に生きるということだと私は思う。

  2015/11/02  





    上の写真は、“嵐”という人気グループである。私が勤務している会社のT顧問は警察出身者なのだが、T顧問が警察官だった時、ある質問を電話で受けた。

質問者:「嵐は、いつ来るんだ?」

T顧問:「嵐?嵐なんか来ませんよ」

質問者:「そんなことはない!今度、仙台に嵐が来るだろ!」


    質問の意味が分からなかったT顧問は、「嵐なんか来ねぇ!天気を知りたいなら気象庁に電話しろ!ここは警察だ!」と言って、電話を切った。後日、県警本部に、「電話の対応がなってない」との苦情の電話があり、担当者から、「Tさ〜ん、嵐っていうのは、今度、コンサートで仙台に来る人気グループの名前です。覚えておいてくださいよぉ〜」との指摘を受けたという。知らないという事は、決して恥ではない。人間というものは、世間の事をほとんど何も知らずに生涯を終える。しかし、時々、知らないことによって、困った事態を引き起こしてしまう事があるのも事実である。ただそれだけの話なのだが、面白かったので記述しておくことにした。

  2015/11/09  




イノシシによる農作物への被害は全国的に深刻な問題である。山の土地の周辺でも深刻な問題になっていたので、宮城県の金銭的な補助もあり、鉄のフェンスを設置することになった。

ところが、この地区の自治会のイノシシ対策委員会に組織を運営する力が足りなかった。私の所有地内に関しても、事前に申請があった場所ではなく、別の場所に勝手にフェンスを設置するなど、目に余る行為が横行したので、後日、私が全てのフェンスを撤去した。上の写真がそれである。「あの人の土地だけフェンスが無い!」「あそこからイノシシが入ってきたらどうするんだ!」と言って怒っていたようであるが、まとまりのない組織に関わると面倒なことに巻き込まれるので放置した。

その後、隣のMさんから、「家庭菜園の農作物がイノシシに荒らされて困るので、防護ネットをしてもらえないだろうか」との相談があり、防護ネットを設置することにした。本当に困ったMさんが私に事前に相談し、話し合い、そこでお互いに納得して決めたことを実行しただけである。すぐにホームセンターで防護ネットと木材を購入。

サクッと作業。


イノシシ対策委員会が置いていった鉄のフェンスも利用した。


階段のところは塞げないので、鉄の棒を立てて…。


一枚だけ残しておいた鉄のフェンスを扉がわりにした。


こんな感じ。3時間ほどで作業は完成。一応、鉄のフェンスと防護ネットを設置したが、こんなものではイノシシの被害は減らない。以下は、実際に私が見たわけではないのだが、見たという方の証言に基づいた話である。

このままでは飛び越えられないと判断したイノシシが…。


自分の体重をかけて鉄のフェンスを曲げ…。


飛び越え…。


そして、ポーズ…。お見事!良くできました。


私は、Mさんを信用しているからすぐに行動を起こしたのである。金は出さない、人も出さない、知恵も出さない、人の土地に勝手にフェンスを設置する。これでは、イノシシ対策委員会と協力関係を築くことはできない。その後、イノシシ対策委員会は、個人的な利益を優先させたことが原因による内部紛争で空中分解し、解散したそうである。イノシシは生き残る為に必死で戦いを挑んでくる。本当にイノシシの被害を減らしたいのであれば、先ずは人間が本気で結束し、組織的に対応することが大切である。そうしなければ、命を懸けて真剣に向かってくるイノシシに勝てるはずがない。

  2015/12/19  




今回は、水源と池に設置していた“鹿威し=ししおどし”を撤去したという話です。


鹿威しを設置して2年。


チョロチョロ…。


カコ〜ン!たいそう風流であった。


しかし、1年後から少しずつ不具合が出始め…。


負担がピークになり…。


とうとう壊れた。


これが筒の部分。


石に当たって音を出す部分は、その負担に耐えきれずに穴が開いていた。


また、筒の重みに耐えきれず、筒の中央に開けた穴が広がっていた。


この鹿威しの苦痛を人間で例えるなら…。カコ〜ン!カコ〜ン!カコ〜ン!


こんな感じになる。2年間、お疲れさまでした。風流な音を楽しませてくれてありがとう。


  2015/12/24  





    上の写真の赤丸は、“雪虫”である。「雪虫が活動を始めると、一週間以内に雪が降る」と言われている。雪虫が雪の降る時を認識しているのか、それとも、偶然、活動時期が一致しただけなのかは分からないが、実際に雪が降らなくても、気温が低下して寒くなるのは事実である。先人たちは、高度な科学知識を持たなかった。私たちのように衛星を使って遥か宇宙から天気を予測するなどということもなかったし、正確な気温を測る機器すらなかった。しかしながら、科学知識を持たなかったからこそ、私たちよりも真剣に自然に向き合っていたということも事実である。

    先人たちは、自分が住んでいる家の周りの花・木・虫・動物たちの動き、風の吹き方・雲のかかり方、さらに、微妙な湿度の違いなども体で感じ取って天気を予測した。今となっては笑ってしまうような迷信もあるが、少なくとも、現在の私たちよりは神経を集中して、真剣に自然を見ていたのであろう。最近、山の土地の整備も一段落したので、今まで見過ごしてきた、そのような周りの自然に興味を持つようになった。また楽しみが増えた。もっと細かく目を配ってみると面白いことを学べるかもしれない。

  2015/12/28