伝承之蔵 Spin off
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なんだ?今年の新年の挨拶は元気がないな。そんなんじゃ立派なオス猫になれないぞ!さっきから芸能ニュースばっかり見て。 そういうことか…。来年は元気よく御願いします…。
2016/01/05
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暮露暮露庵にはトイレがないので、いつも車で5分ほどの公園のトイレを使わせてもらっている。私はそれでも良いのだが、母が、「悪いけどトイレに連れて行ってもらっていい…」と遠慮がちに言うので、「やっぱりトイレは必要だなぁ…」と思い、トイレと洗い場を作ることにした。 2015年11月17日、先ずは、二畳ほどのスペースの小屋を作ることにした。私は、特別な道具を持っているわけでもないし、特殊な技術を持っているわけでもない。よって、必然的に最もシンプルな方法で建設することになる。そこで、いつものように単管パイプとクランプを買ってきて基礎を作った。 2015年11月28日、単管パイプの上に60×60×2000mmの木材を固定し、その上に12×910×1820mmの合板を2枚重ねて設置して床が完成。 2015年12月2日、壁を作ろうとしたのだが、骨組みだけだとグラグラして不安定だった…。
そこで、壁の部分を別に作ってから設置した。
こんな感じ。
しっかり屋根も作った。
作業に没頭していて夜になっていることに気づかなかった…。台風が近づいているとのことだったので、柱に木材を打ち付けて固定。残念だが本日の作業はここで終了。これで、台風が来ても大丈夫である。 2015年12月8日、考えが甘かった…。台風によって見事に倒壊。やり直し…。
やり直し完了。大切なのは何度も挑戦すること。昔、河北新報の“声の交差点”に掲載されていた言葉を思い出した。「転んだら立て!立ったら歩け!」。 反対側の壁を設置してから、屋根も完成させた。上の写真は、暮露暮露庵の上から撮影したもの。暗くなってきたので、本日の作業はここまで。早く完成させたいので、次回は早朝から作業をする予定。 2015年12月9日の早朝、寒い!こんなに霜がおりるとは思わなかった!とっても寒くて作業ができない…。 暮露暮露庵の引戸。
大蛇の池も凍っている。
前回、外に置いたままにして忘れていた軍手が凍っていた。因みに、左手にはめていた軍手。
こんな感じ。
こちらは、右手にはめていた軍手。
iPod 風にしてみた。
小屋の内部を仕切って、トイレと手洗い場に分けた。
こんな感じ。
おっ!日が照ってきた。
おぉ!暖かいぃぃ!
おぉぉぉ〜!どんどん霜が融けていくぅぅぅ〜!
あれっ?融けた霜が水滴になって天井に残ってる…。
残りの部分に木材を打ち付けていく。
計算を間違えて隙間ができてしまった…。まあ、細かいことは気にしない気にしない。
ポリカーボネートを設置する為、屋根に傾斜をつけた。因みに、赤い矢印はホームセンターで合板を半分にカットしてもらったもの。下は出入口にする予定。 屋根に赤い矢印のポリカを設置する。
暮露暮露庵の屋根から下を見ると、なかなか良い景色であった。これは何かに利用できる。
ポリカの設置が完了。
こんな感じ。いつも作業が終わるのは夜…。
2015年12月22日、最後に出入口を作れば小屋の部分は完成。
蝶番を付けて…。
取っ手を付けて…。
掛金を付けて…。
南京錠を付けて…。
こんな感じで出入する。
ほいっ!完成!
現在は、上の図のようになっている。次は、いよいよトイレ。これがまた苦労の連続であった…。では、また次回に。 2016/01/08
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これは、陸奥之国のウンチに関する昔話である。むかしむかし、この国が建国された頃、トイレなどというものは無く、国民は屋外排泄をしていた。 彼の名前は板垣ウン助。生まれたてのウンチである。
名前は、自由民権運動の主導者として知られる政治家、板垣退助に因んだ。明治15年4月、板垣は岐阜で遊説中に暴漢に襲われた時、血を流しながら、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだという。 その頃、陸奥之国の政府は、屋外排泄の不衛生さに対して危機感を持っていた。そこで、排泄物を焼却処分する“野グソ焼き払い令”を発布した。 そして、法律に基づいて次々とウンチを焼き払っていった。残念なことに、その中にはウン助の姿もあった。
「板垣死すとも!ウンチは死せず!」。彼の辞世であった…。
板垣ウン助…、わずか3日という短い生涯だった。
暮露暮露も、自らの肛門を痛めた子供の死に、動揺を隠せなかった…。
暮露暮露は立ち上がった。ウンチにも権利があり、畑にまけば肥料になるなど、その有用性を政府に訴える為に! これに同調した国民が国会の前に集結、政府に改善を迫った。これが世に言う“自由ウン権運動”である。
国民の勢いに押された政府は、やむなく新たなシステムを考えた。
@排泄→A排泄物の移動→B自然分解→C分解されたものを畑にまいて農作物を育てる。政府は、このシステムを、プリプリ(Puripuri)・ひゃっほ〜(Hyahohhh)・ドテッ(Dote)、この頭文字をとってPHD処理システムと命名した。 陸奥之国で屋外排泄されていた時代は、こうして終焉を迎えることになったのである。めでたしめでたし。
2016/01/14
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上の写真は、昔、私が書いたトイレの設置に関するネタ帳である。全部で7枚ほど書かれている。
完全に忘れていたのだが、どうやら、ペール缶の底に穴を開けて、便と尿を分離しようとしていたようである。そして、便は一回ごとに焼却する。 こんな感じ。
地面に穴を掘り、石を基礎にしてペール缶を固定しようとしていた。なかなか良いアイディアである。
コンポストトイレの作製なども考えたのだが、結局、カラーコーンを使用することにした。上の図のようなイメージである。カラーコーンを逆さまにするという簡単な方法なので、すでに誰かがやっていると思い、ネットで作製方法を検索してみたのだが、驚いたことに誰もやっていなかった。その為、仕方なく全て自分で制作過程を考えた。 2015年12月13日、このスペースにトイレを作る為、先ずは、床に穴をあける作業をした。
“千枚通し”と“引き廻し”という道具を使って、床に綺麗に穴を開ける。
これが、千枚通し。
これが、引き廻し。
イメージしたように綺麗にはできなかった。
カラーコーンを設置してみたのだが、少し穴が小さかった。
穴を大きくしたら、もっと汚くなってしまった。下にパイプを設置。
カラーコーンを設置。
これが、パイプ。
パイプを通して、排泄物を穴に入れる。
これが、穴。
因みに、この日、人間の排泄物がどのくらいの日数で分解するのかを調べてみた。上の写真は、私の排泄物。排泄した場所には、雑草しかない。 雪の影響などもあるとは思うが、5日ほどでほぼ分解した。
2015年12月17日、汚れが目立たないように、カラーコーンの内部に百円ショップで買ってきた黒色のスプレーを吹き付けた。 排泄物を通すパイプの角度を決める為、いろいろ実験してみた。先ずは、パイプの入口に泥を入れる。
泥を入れたら水で流し、この角度で排泄物が流れるのかを実験。
この角度で排泄物が流せることを確認。
穴を掘ってパイプに角度をつけた。
ほぼ45度。
2015年12月25日、カラーコーンと床の隙間から虫などが入らないように、ダンボールを設置。
さらに、コーナーガード・Lピタを丸めて設置。
その上にカラーコーンを設置。
本来の計画は上の図のようなものだったのだが、ホームセンターで和式トイレを簡易的に洋式トイレに変換する介護用品を発見。計画を変更して、“サニタリーSP”という介護用品を使用した。 サニタリーSPを設置。
サニタリーSPの口と、カラーコーンの口とが完全に一致。
カラーコーンの口から虫が入ってこないように、上の図のようにする。
こんな感じ。
水を入れて確認してみる。
やっぱり…。水がダダ漏れ…。改良の余地あり。とりあえず虫の侵入は防げそうなのでOKとする。
パイプの角度を45度にした為、排泄物を入れる穴をかなり深く掘った。赤丸の部分で排泄物を分解する。
ここに排泄物を溜める。ヤカン一杯の水が約5分で地中に染み込んだ。人間の排泄物は自然に分解されるが、トイレットペーパーは分解されない。その為、使用頻度にもよるが、半年に一回ぐらいのペースで焼却処分しなければならない。 テーブルの廃材で排泄物を溜める穴に蓋をした。
ペーパーホルダーを設置。
ガオ〜ッ!
百円ショップで買ってきた便座カバー(U型)を設置。
カーテンを買ってきた。
百円ショップで買ってきたカーテンリング。
竹を買ってきて、カーテンリングを付けた。
カーテンを付けて完成。
こんな感じ。
とりあえず、トイレは完成!ふぅ〜、疲れたぁぁぁ!
追加:2016年1月23日、排泄物を水で流す為の手桶と台を追加した。これで完璧!だと思う…。
2016/01/23
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今から17年前、私は岩手県の一関市で働いていたのだが、先日、その時の同僚であったK先輩の家に遊びに行った。そして、仙台に帰る時、17年前の曖昧な記憶を頼りに一関駅の周辺を散歩したのだが、昔、よく通っていた御好み焼き屋・ラーメン屋・定食屋が全て閉店していた。一関駅の近くの“大町通り”という通り沿いにある商店街も、多くの店が閉店していて、まるでゴーストタウンのようであった。仙台に住んでいると余り感じないのだが、地方経済の停滞は、メディアなどで報道されている以上に深刻のようである。大町通りには、“ナカゼンビル 一関ショッピングセンター”という路地裏の小さい商店街があるのだが、この商店街も一軒を残して全滅。残念なことに、昔、この商店街にあった“虔十書店=けんじゅうしょてん”という古本屋も閉店していた。ところが、散歩を続けていると、大町通り沿いに虔十書店があるのを発見。恐らく、大町通り沿いのテナント料が安くなったので移転したのであろう。上の写真がそれである。 2時間ほど散歩していて気づいたのだが、大量生産が可能な商品を提供している店が閉店に追い込まれているようである。そのような店は大手の量販店に勝てず、その姿を消していたが、量販店に真似できない専門性を持ち、消費者の細かいニーズに応えることができる店は、しぶとく生き残っていた。例を挙げれば、前述の虔十書店や、昔から一関にある有名なジャズ喫茶“ベイシー”などがそれである。そして、そのような店を倒産させないで支えているのが、私のような変人である。多くの人間が全く興味を示さないような書籍に興味を持ち、その書籍の為なら、何十万円支払っても笑みを湛える。数は少ないかもしれないが、世の中には、私のような変人が一定程度はいるのである。 17年前、私が一関を去らなければ、伝承之蔵は宮城県の伝説ではなく、岩手県の伝説を掲載していたはずである。ほとんど喧嘩別れ同然で一関を去ったのだが、当時、私は30歳の若僧であり、特に何かを感じることもなかった。しかし、47歳にもなると、やはり、現在の一関の衰退を見ると感じるものがある。「なぜ、このような歴史のある素晴らしい里が衰退しなければならないのか?」と。一関駅前はゴーストタウンのようになっていて、東北自動車道の一関インターチェンジ周辺に有名な量販店が並んでいるだけである。現在の一関は、本当の一関ではなく、必死に大都市の真似をしている、“でき損ないのコピー都市”に過ぎないように思える。里人たちには、今の自分たちにとって最も大切なものが欠けていることに気がついてほしい。 私は、豊富な資金を持っているわけではないし、有名企業を誘致する力があるわけでもない。しかし、私が一関に何の貢献もできないのかというと、そうとも思わない。英語の education という単語は、日本語では“教育”と翻訳されている。つまり、「先生が生徒にものを教え、大人たちが子供たちを育てる」という意味である。しかし、もともと education は、“引き出す”という意味であったと聞いたことがある。つまり、「誰かが誰かにものを教える」というのではなく、「その人間が本来もっている素晴らしい能力を引き出す」という意味である。私は、それこそが真の教育であり、今の日本にとって最も大切なものであると信じている。一関の里人たちには、もともと能力があるはずである。その能力を引き出すだけなら、私にもできる可能性がある。私には金はない。私には地位もない。私には名誉もない。しかし、私には信じるものがある。私は執念深くて諦めの悪い人間なので、たとえ最後の一兵になろうとも、ただそれだけを武器に斬り込んでいく。今後、何らかの方法で一関の再建に貢献したいものである。 2016/02/08
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以前、小山啓天さんという方から松島勝譜(明治41年10月1日発行)という書籍を寄贈していただいたことがあったが、その小山さんから、また、多くの書籍を寄贈していただいた。上の写真がそれ。因みに、小山さんは、「渋太夫自害〜奥羽の戊辰戦争〜」(2013年10月1日発行・日本文学館)という書籍を出版されている。この書籍を出版した時、私も一冊いただいたのだが、「本を出版されるような方が、サイトを見てくれているのか…。すごい人が見てくれているんだな…」と思ったのを記憶している。書籍の内容などから、小山さんと私に共通しているものは、「先人たちの残した“何か”、そして、自分自身が残したい“何か”を後世に伝えたい」というものだと感じている。伝承之蔵は、特に何かをする為に始めたサイトではないのだが、いつの間にか、“ある種の志”を持っている人間が集ってきているのかもしれない。 私は、人づきあいが苦手なので、コミュニティーを作る才能には恵まれていない。しかし、最近、今まで集めてきた先人たちの遺産を若者たちに受け継いでもらう必要性を感じるようになってきた。そこで、ラインやフェイスブックなどのツールを調べてみたのだが、その影響力は十分に理解したものの、「本当にこれを“つながり”と呼んで良いのだろうか?」という疑問は最後まで払拭できなかった。コミュニティーを作る時、やはり、志を同じくする者ということが最低条件になると思う。人間が本気になって学問をすれば、実力が伴うのは時間の問題なので、現在の習熟度を気にする必要は全くない。大切なのは、志、つまり、“その人間が目指す方向性”を強く共有できるかどうかである。そうでなければ、ただその場だけの楽しみで終わってしまい、長く続けることができない。コミュニティーとは、人数の多さを競うものではなく、その質の高さを競うものでなければならない。私も今年で48歳になる。そんなに長い時間が残されているわけではない。若い時は、「歳を取れば、やるべきことも減って楽に生きることができる」と思っていたのだが、実際に歳を取ってみると、やるべきことは逆に増え、その悩みも深くなる一方であった。何とも困ったことである。 「渋太夫自害〜奥羽の戊辰戦争〜」(2013年10月1日発行・日本文学館)
2016/03/11
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ん〜、疲れた…。慢性的な人手不足や会社の配置ミスなどがあり、1ヶ月に2日しか休みがありません。私は体が弱いので、過労気味になるとすぐに体に症状が現われます。今回は、頭痛などの他に、目から血が出るという症状が加わりました。その為、現在の会社を4月15日の勤務を最後に、4月25日付で退職することにしました。会社には退職理由を「休暇が少ないから」と伝えたつもりなのですが、「本当の理由は何なんだ?給料が安いからか?嫌いな人がいるからか?」と思っているようです。私は、金を基準に物事を考えたことはないし、どの会社に就職しても嫌いな人間はいるものなので、そんなことは少しも気にしていない。休みが少なくなると疲労が回復しないし、伝説の研究をする時間も少なくなってしまう。私は体調に気を配りながら、伝説の研究を死ぬまで続けたいだけである。簡単に言えば、仕事をするほど暇ではないのである。ただそれだけの理由なのだが、なぜ理解してもらえないのだろうか?不思議な話である。 先日、ネットで、「今年の夏、スイスでベーシックインカムに関しての国民投票が行われる予定」との記事を読んだ。ベーシックインカムとは、政府が、全ての国民に対して最低限の生活をする為に必要な金銭を定期的に支給する制度のことである。スイスでベーシックインカムが導入されると、成人に対して日本円で約30万円、子供に対して約7万5千円が無条件で支給されることになる。私は、社会的地位の高くない低賃金の職種で長いこと働いてきたが、そこで働いている人間の潜在能力の高さに驚くことが少なくなかった。その高い能力が、「生活するために、もっと働いて金を稼がなければ…」という理由で潰されている。無論、働くという行為は尊いものである。しかし同時に、長時間の労働によって、それ以上の価値があるものを失ってしまっている場合もあると感じる。これは、日本にとって大きな損失である。ベーシックインカムで、「少しだけ働いて金銭を稼げば生活が安定し、残った時間を自分の好きなことに費やせる」という状態にすれば、今まで、“一銭にもならない”として切り捨てられてきたことを研究する者が現われるかもしれない。もしかしたら、その研究の中から、世界を救えるような素晴らしい成果が生まれるかもしれないのである。ベーシックインカムを導入すれば、生活保護や年金、その他の社会保障制度が廃止になる。その為、国民一人ひとりが自立しているということが最低条件になるので、私は、現時点で日本に導入することには反対であるが、ベーシックインカムの制度自体には賛成である。 私は、その人間が最も輝くのは、思いっきり自分が好きなことをしている時だと思っている。人間が幸福になる為には、自分が本当に好きなこと、死ぬまで続けていけるほど好きなことを早く見つけることが大切である。最後に、私の座右の書である徒然草の中から、“大事”に関する記述がある第五十九段を掲載しておくことにする。この段での大事とは出家遁世のことであるが、自分が好きなことをする為の心づもりにも通じるところがあるように感じるからである。 徒然草 第五十九段
大事を思ひ立たむ人は、さりがたく心にかゝらむことの本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。しばし此こと果てて、同じくはかのこと沙汰し置きて、しかゝゝのこと、人の譏りやあらむ、行末難なくしたゝめまうけて、年ごろもあればこそあれ、そのこと待たむほどあらじ、物騒がしからぬやうになど思はむには、えさらぬことのみいとゞ重なりて、事尽くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。大様人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。
近き火など逃ぐる人は、「しばし」とや言ふべき。身を助けむとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて遁れ去るぞかし。命は人を待ものかは。無常の来ることは水火の攻むるよりも速やかに、遁れがたき物を。その時、老たる親、いとけなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらむや。 底本:新日本古典文学大系「方丈記徒然草」
暮露暮露の口語訳
出家遁世を決心した人は、取り去り難く心にひっかかっている事を終えることなく、そっくりそのまま放棄すべきである。「ちょっとだけ…、このことを終えてから…」、「どうせ遁世するならば、あのことを終えてから遁世しよう」、「これこれしかじかのことは、他人からの非難があるだろうから、将来、そのように非難されることがないように準備しておいて…」、「長い間、このようにして過ごしてきたのだから…」、「そのことを終えるまで、たいした時間はかからないだろうから…」、「慌ただしくならないように…」などと思っていたのでは、取り去れない事ばかりが多く重なって、それらのことを終えることができず、出家遁世をする日も来ないであろう。おおかた、人を見ていると、少ない志しか持っていない人は全て、このように出家遁世をしようという心づもりだけで、その生涯を終えるようである。
近所が火事になって逃げようとしている人が、「ちょっとの間だけ待って」などと言うであろうか。自分の命を守ろうと思えば、恥などと省みることはなく、財産なども捨てて逃げるものである。寿命というものは、私たち人間を待ってくれるものであろうか。人間に死が訪れるのは、洪水や火事のような災いよりも速やかであり、決して人間の都合で逃げることができないものである。自分に死が訪れた時、年老いた親、幼い子供、主君への恩、他人への思いやりなどを、「それらを捨てることはできない」などと言って、捨てないでいることができるだろうか。決して、そのようなことはできないのである。 2016/03/28
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いよいよ、最後まで残っていた手洗い場を作ることにした。
上の図が手洗い場のイメージ。上の盥(たらい)をベースにして作る。上の盥と洗面台に高低差をつけ、その水圧を利用して蛇口から水を出すようにする(ホースB)。そして、ホースCから排水する。ホースAは上の盥が満水になったら下の盥に水を流す為のもの。下の盥は植物の水やりなどに使用する予定。 先ずは、単管パイプを使って盥を置く為の基礎を作る。
こんな感じ。
小屋の基礎と連結させる。
けっこう簡単な作業なので、サクッと完成。
こんな感じ。
盥を置く為の台を作る。
ホイッ、完成!
おぉ〜!カッコイイ♪
暮露暮露庵の屋根から見たところ。
おっ!ポリカに雨水が溜まってる…。
…という訳で、計画を変更して雨樋を作って、雨水を利用することにした。
雨樋の設置が完了。
おぉ〜!完璧だ!
水を溜める盥とホースを買ってきた。
そして、簡易的な洗面台を買ってきた。
便利なものが売っているものである。
組み立てて置いてみた。なかなか良い。
壁に穴を開けた。上の穴から水を入れて、下の穴から排水する。
上の写真は上の盥。左の赤丸が、盥から洗面台へ水を流すホース。右の赤丸が、盥から下の盥に水を流すホース。水が漏れないようにシリコーンシーリングでコーキングした。 コーキングとは、気密性や防水性の為に隙間を埋める作業のこと。上の写真は、シリコーンシーリングとコーキングガン。シリコーンシーリングをコーキングガンにはめて使用する。 こんな感じ。
盥の中に石を置いて、風で盥が吹き飛ばされないように固定する。
部屋の中は、こんな感じ。
こちらは、部屋の外。
上の盥と洗面台を連結させる。
先ずは、洗面台と上の盥の接続部分から水が漏れないようにコーキングする。
接続が完成!
おぉぉ〜!意外に水圧がかかっていて、勢い良く水が出た。
調子に乗って棚を作った。
こんな感じ。
タオルかけも作って、どんどん物を乗せた。
完璧!
小屋の中が暗いので、ソーラー発電式のライトを買ってきた。
先ずは、充電して…。
おぉぉぉぉぉ〜!明るい!驚いた。こんなに明るいとは。
百円ショップで簡易ろ過機を買ってきた。枯葉などが入らないようにしたいだけなので、これで十分である。
小屋の屋根の広さでは、たいした雨水も期待できないので、雨樋を撤去した。
これでスッキリ!「盥を置くだけなんだから、こんな大がかりなことしなくても…」という声が聞こえてきそうだが、よ〜く見てほしい。暮露暮露庵の屋根に続く階段に見えませんか?フフフ…。それについては次の機会に…。ふふふ…。 これで、手を洗えるようになった。めでたしめでたし。
2016/04/02
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2016年3月26日、世界ふしぎ発見というテレビ番組で、自転車で台湾を一周する“ホァンダオ”と呼ばれる旅行の特集をしていたのだが、この放送を観ていて、ふと、昔、誰かから聞いた話を思い出した。ある男子高校生が夏休みに、親が猛反対したにもかかわらず、自転車での四国一周にチャレンジした。ところが、その途中、急な高熱で動けなくなって道端に倒れていたところを、偶然、通りかかった近所の夫婦に助けられ、その夫婦の家で看病してもらうことになった。夫婦は、その高校生の両親が心配していると思い、「息子さんは無事です」と電話で連絡したところ、その父親は、「ご迷惑をかけて申し訳ありません。しかし、息子は、私たちが反対したにもかかわらず旅に出ました。自業自得です。死んでもかまいませんので、道端にでも捨ててください」と答えて電話を切った。数日後、体調が回復した高校生は、その夫婦に丁寧に御礼を言って帰っていったのだが、その数年後に立派なスーツ姿で再び現われ、「今年、社会人になりました。その節は御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。これは、私が初めて自分で稼いだ御金です。受け取ってください」と言って、数万円が入った封筒を夫婦に渡して帰っていったという。 「死んでもかまいません」と言い放った時の、父親の心情はいかばかりであったろうか。その若者が、「自分で稼いだ金です」と言って持ってきた封筒を受け取った時の、夫婦の心情はいかばかりであったろうか。両親が猛反対したにもかかわらず旅に出て倒れ、偶然、心優しい夫婦に助けられた時の、若者の心情はいかばかりであったろうか。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。 2016/04/08
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2016年4月14日に熊本県・大分県を中心に発生した地震による人的被害は、 NHK NEWS WEB (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 によると、 4月24日現在、48人が死亡し、2人が行方不明とのことである。この度の大震災で被害に遭われた方々に、心より御見舞い申し上げます。この地震の一報を聞いた時、私は、地震の大きさよりも、被害の状況よりも、先ず、九州にある原子力発電所の安全が気になった。今のところ原発に異常はないとことなので、ひと安心である。上の写真は、数年前、私が福島県の郡山市を訪ねた時、郡山駅の近くにあった公園で撮影した放射能測定器なのだが、一見、普通に見えるこの街を散歩していた私に、この測定器は有無も言わさず厳しい現実を突きつけた。放射能の被害は、地震などとは比較にならないほど深刻なのである。 東日本大震災の直後、ボランティアと称する怪しげな個人・団体が存在し、私たちは、たいへん迷惑な事態に直面した。彼らは、受け入れ態勢が整っていない被災地に、独自の“善意”を旗印に掲げて押しかけてきた。本当にボランティアなのか、ボランティアを装った盗賊なのかの区別がつかず、各自治体は、ただでさえ人手不足なのに、その対応に追われていたようである。東日本大震災の時、私たちは、熊本県・大分県の方々に御世話になったので、「今度は、こちらが支援する番だ」との気持ちは分かるが、その支援の方法は慎重に考えなければならない。私が考える支援の方法は、以下の@〜Cである。
約5年前、東日本大震災によって、私が住んでいる仙台市は混乱を極め、電気・ガス・水道などのインフラが全く機能しないばかりか、ほとんど食料も無かった。ある日、私が食料を買うため街に出た時、スーパーなどの食料品店には、数量の限られた商品を買うために長蛇の列ができていた。「食料を手に入れるのに、何時間かかるかなぁ…」と思いながら、街の中をブラブラしていると、閑散としている和菓子屋があったので、店の中に入ってみると、売れ残った饅頭が山積みになっていた。和菓子は保存がきかず、すぐに傷んでしまうので敬遠されたようである。私が、その売れ残っていた饅頭を全て買い取ると、店の人が笑いながら、「まだ店の奥に饅頭が残っていますが、買ってくれますか?」と聞いてきたので、私は、「お願いします。この店に残っている饅頭を全てください」と答えた。和菓子は高カロリーの為、少ない量でエネルギーを確保でき、同時に満腹感も得られるからである。2日ほどして饅頭にカビが生えてきたが、カビを取り除いてそのまま食べた。幸いにも、腹痛などの症状もなく、食料の物流システムが復旧するまで、十分にエネルギーを補給することができた。被災中に最も役に立ったのは、電気でもなく、ガスでもなく、水道でもなく、誰に笑われようと、誰に怒られようと、誰に何を言われようと、“しぶとく生きる”という姿勢であった。 2016/04/25
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今まで何の知識も持たずに野菜を育てていたので、ほとんど収穫することができなかった。そこで今年は、少しだけ真面目に勉強して、しっかりとした畑を作ってから野菜を育ててみようと思う。 畑に関してネットで調べてみたところ、先ずは、土を作ることから始めるようである。しかし、「“土を作る”ってとういう意味だ?」と思い、さらに調べてみたのだが、ネットでの情報・書籍での情報・畑をやっている知人からの情報の内容がバラバラで、結局、どうすれば土を作ったことになるのかは分からなかった。 どうやら、その土の性質などによって方法は千差万別であり、特に統一した方法はないようである。じっと考えていても時間が無駄なので、とりあえず、大きな穴を掘ってみた。掘り出した土は、穴の側に積んでおく。 掘り出した土は、フルイを使って小石などの不純物を取り除いてから穴の中に戻す。
土を掘ると、大きな石・切り株・杉の木の枝などが出るわ出るわ。
さらに、掘り出した土をフルイにかけると、出るわ出るわ、不純物だらけ。これでは苗を植えても根が引っかかって生長できない。 雪が降ってきたので、しばらくの間、作業を中断。
作業を再開。
フルイをかける。ただただ、フルイをかける。
少しずつ…、少しずつ…。誰から聞いたか忘れたが、「フルイをかけている段階でサボって手を抜くと、後でたいへんな思いをするぞ」とのことであった。 すごい!やっぱりフルイをかけた土はサッラサラ。土を作ることに限らず、何事も手を抜くと、後々、たいへんな苦労をして後悔することになる。なぜ、ここまで時間をかけるのかは知らないが、まぁ、とりあえず真面目にやっていて損はないと思ったので、その言葉を信じて、ただただフルイをかけ続けた。 単調な作業なので、何だか眠くなってきた…。
ウトウトしていると、こんなことになる…。
おっ!けっこう埋まってきた。
赤丸が、フルイで取り除いた不純物。こんなに土の中に埋まっていたとは。
おぉぉぉぉぉ〜!因みに、四つ角に緑の棒を立てて、どこまで土をフサフサにしたのか目印をつけた。上手くいったら拡張していく予定である。 ふぅ〜、ほぼ満タン!
おぉ〜!歩くと足跡がつく!土がフッサフサ!
穴の中に、40センチほどの高さの石を立てておいた。上の写真の赤丸がそれ。
その石が埋まったので、ほぼ40センチの深さの畑が完成!ここで問題になってくるのが、肥料をどうするかである。これも情報の内容がバラバラで、肥料を使用しなくても良いのか、家庭から出される生ゴミなどを使用するだけで良いのか、それとも、店で売っている肥料を使用しなければいけないのか、結局、どうすれば良いのかが分からなかった。そこで、とりあえず、その3つの方法を全て試すことにした。 近くにあるコイン精米所に行って…。
お言葉に甘えて…。
米糠を全ていただいた…。
こんな感じ。
次に、ホームセンターで肥料を購入。
上の図のように、自然のままの土・米糠だけの土・肥料を使用した土に分けて、その効果を試してみることにした。全ての苗が同じように成長すれば、肥料などは不要だということになる。先ずは、畑の土を耕してから肥料などをまいてみる。 おぉ〜、すごい!土がフサフサなので、この広さの畑の土を耕すのに2分もかからない!「フルイをかけている段階でサボって手を抜くと、後でたいへんな思いをするぞ」とは、このことだったのである。 先ずは、ふかふか牛ふんの説明書きに従って、20リットルだけ土に混ぜてみた。
写真では少し分かり難いが、こんな感じ。
次に、米糠を土に混ぜる。
完成!このまま2週間ほど放置する。@が肥料、Aが米糠、Bが自然のままの土である。準備は完了!さてさて、この@〜Bにどんな違いが出るのか、それとも出ないのか、今から楽しみである。何の野菜の苗を買って植えようかなぁ〜♪ 2016/05/02
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先日、“陰ながら応援しています”というAさんからメールをいただいた。現在、私は失業中なのだが、私の退職に関してAさんから、「決断が早いですね」との評価をいただいた。Aさんは、仕事を辞めずに頑張って頑張って頑張って、ずっと耐えるのだが、結局は耐え切れずに仕事を辞めることが多いという。伝承之蔵を閲覧すると、「頑張りすぎは駄目だよぉ〜。頑張りすぎは、結局、頑張らなかったのと同じだよぉ〜。辛い思いをしただけ損だよぉ〜」と言われているようで、自分自身の状況を冷めた目で見ることができ、少しだけ気が楽になるようである。私のような人間の生き方が、頑張りすぎる人間の心を少しでも癒せるのであれば、こんなに嬉しいことはない。 私の決断が早いのは、明確な基準があるからである。株式や先物取引の世界に、“損切り=そんぎり”という言葉がある。含み損が生じている投資商品を見切り売りして損失額を確定することなのだが、私は、この損切りの概念を自分の日常生活で活用している。つまり、“今後も続くと予想される大きな損失”を受ける前に、“現在の小さな損失”で清算してしまうのである。会社という組織は、主に金銭という利益を追求しているだけなので、基本的に人情などというものはない。それと同じように、従業員も各々の目的の為に会社と雇用契約を結んでいるので、会社と従業員との間にある各々の目的のバランスが崩れれば、雇用契約が喪失するのは当然のことである。私は、会社と自分の間にある目的の違いを分析し、今後、妥協点を見出すことが難しいと判断したので退職を決断した。ただそれだけの極めて機械的な作業である。他には特に何もないので、会社を恨んでいるわけでもなければ、誰かを恨んでいるわけでもない。必要なのは、現状を正確に分析する力、分析内容を熟考して今後の展望を正確に判断する力、そして、その判断に従って迷わず決断する力の三つである。この決断が遅れれば遅れるほど、自分自身の傷口を広げてしまうことになる。私は、“仕事は生活の為の金を稼ぐもの”と完全に割り切っている。その為、会社に人間味などというものは全く求めていない。「会社から給料を貰う代わりに、真面目な労働力を提供する」。ただそれだけのことであり、他には特に意味はない。会社が私を必要としないのであれば解雇すれば良いし、私が会社を必要としないのであれば退職すれば良い。因みに、私生活では、仕事とは全く正反対の人情のある人間になる。私としては、仕事と私生活を明確に区別しているだけのつもりなのだが、「言っていることは正しいんだけど、何か冷たい人に感じてしまう…」というのが、私に対する評価の多数派らしい。 Aさんは、メールで、「『結果は頑張らなかったのと同じだなぁ…』という滑稽な結果になってしまいます」と述べていたが、それは誤りである。断じて滑稽な結果などではない。以前にも述べたと思うが、私は今まで、努力が無駄になったなどということを、一度たりとも、たったの一度たりとも見たことがない。私は要領が良く、ずる賢い人間なので傷口が広がる前に退職したが、Aさんは私とは違い、「自分の努力しだいで、まだ何とかなるかもしれない」と希望を持って仕事をするタイプの人間のようである。このようなタイプの人間を評価する時に大切なのは、結果ではなく過程を見ることである。Aさんは、頑張って頑張って頑張って頑張り抜いた。結果的に、自分が期待していたものは得られなかったようであるが、そのようなことは重要ではない。大切なのは、苦労して頑張り抜いたという事実である。そのような苦労を経験した者だけに、頑張り抜いた者だけに見ることが許される“景色”があるはずである。私のような人間は、その景色を見ることができない。今ここで、Aさんと私が我慢くらべをしたらどうなるだろうか?私は、自ら希望を見出して耐え抜く経験を持っているAさんに決して勝つことはできないであろう。どんなに要領が良くても、どんなにずる賢くても、人間の生涯という長期的な視点で見れば、苦労して頑張り抜いた人間には決して勝てないのである。 2016/05/08
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先日、近所のスーパーで買い物をしていた時、熊本県産のスイカが売っていたので、少しでも平成28年熊本地震の被災者の方たちの助けになればと思い、そのスイカを購入した。上の写真がそれ。 NHK NEWS WEB の報道によると、4月14日(木)以降の震度1以上の地震の回数は1300回を越えるという (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 熊本県内での地震による死者は49人、地震に関連して死んだとの疑いのある死者は18人。避難生活は長期化が懸念され、エコノミークラス症候群や感染症にも注意が必要である。 報道の頻度は少ないが、大分県の被害も深刻のようである。
何だよ…、何だよ!その目は!いいじゃないか半額だって!たとえ貧乏でも支援はできる。大切なのは忘れないこと。被災者の方たちには、しぶとく生き抜いてほしい。復興までの道のりは遠いので、真剣に生きる中にも、どこか楽天的に! 熊本県・大分県! o(^_^)○ ガンバ〜!
2016/05/10
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【 大型ウッドデッキの製作 1 】 いつも山に行くと、母が休憩をせずに草むしりをして、「あぁ〜、疲れた!疲れた…」と言っているので、ゆっくり母が休憩できる大型ウッドデッキを作ることにした。現在、4月6日(水)なのだが、何とか5月8日(日)の母の日までに完成させたいと思っている。
これが、仕事中にサボって書いた設計図。受付の女の子が、不思議そうにジ〜ッと見ていたのを覚えている。
先ずは、1メートルの単管パイプを打ち込んで、全ての基準にする。
建築工事などで、水平線を示す為に使う水糸(みずいと)を張る。
こんな感じ。
そして、張った水糸を真上から見る。
直角になっているかを確認。
大型ウッドデッキの床を水平にする為の目印をつけた。ここで初めて小屋が少し傾いていることに気づく…。しかし、細かいことは気にしない気にしない。 大型ウッドデッキの骨組みを作る為、20本の単管パイプを購入。
骨組みとなる単管パイプを、基準となっている単管パイプにクランプで固定。
水平器で垂直になっているかを確認。ここでは絶対に手を抜いてはいけない。傾きが大きいとウッドデッキの重さに耐えられず、倒壊する危険が増してしまう。何回も何回も垂直になっているかを確認すること。 基礎にする石は、全てこの土地から掘り出したもの。掘り出した時は、「こんなに石が埋まっているとは…。どこに捨てようかなぁ…」と思ったが、捨てないで良かった。 こんな感じ。
大型ウッドデッキの骨組みが完成!仮止めをして、骨組みが崩れないようにしてある。
おやっ?盥を置く為の台が右に傾いている…。いいかげんな仕事をするとこうなる。やり直し!
全て解体してやり直した。垂直になっているかを何度も何度も確認。1本に見えるでしょ?
実は3本。ん〜、良い仕事をするようになった。少しずつではあるが、上達している。
骨組みが完成!
ここで、盥を置く為の台と大型ウッドデッキを連結させて、全体を安定させる。
完成!
ん〜、やっぱり良い!以前よりも安定している。
完璧!
大型ウッドデッキの床を張りつける為に購入した木材。
単管パイプに木材を固定。
おぉぉぉぉぉ〜!
筋違いの為の単管パイプを付けた。
こんな感じて安定させる。
手すりを付ける。
反対側も。
床にする為に購入した47枚の木材。
これを1枚ずつ釘で固定していく。
あん( un )
でゅー( deux )
とろぁ( trois )。えっ?なぜフランス語で数えたのかって?細かいことは気にしない気にしない。
おぉぉぉぉぉ〜!
う、美しい…。
木材をピッタリと付けると、間に雨水が入った時に乾きにくくなって腐ってしまうので、1センチほど間隔をあけた。 カッコ良いぃぃぃ〜!作ったひと最高!
因みに、下のスペースには道具を置く為の棚を作ったり、日陰になるので休憩の為のベンチを作ったりする予定。 ん〜、重大な欠陥を発見してしまった。階段つくるの忘れた…。
ここに階段を作るしかない。
母の日に間に合うかなぁ…。一体、どうなってしまうのかぁぁぁぁぁ〜!
2016/05/12
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平成28年4月26日(火)、私の父方の兄の嫁、T伯母が死んだ。85歳であった。若いころから体が弱く、医者から、「余命は数ヶ月です」「50歳まで生きることはできませんよ」などと告知されたこともあったらしい。T伯母の葬式の時に聞いた話なのだが、私が3〜4歳の頃、私の父が事業で失敗し、その借金を返済する為、数ヶ月の間、私はT伯母の家に預けられた。預けられた日、私は、「嫌だ〜!嫌だ〜!お家に帰るぅ〜!」と泣いたのだが、数ヵ月後、親が私を迎えに来た時には、すっかりT伯母になついてしまい、「嫌だ〜!嫌だ〜!帰りたくないぃ〜!」と泣いていた。T伯母も、「私がいない時に連れてって!」と言って、T伯母と私は二人でワンワン泣いたという。 T伯母は山梨県でブドウ園を運営していたのだが、80歳を過ぎても原付バイクに鍬を載せて爆走している姿が、度々、近所の方たちに目撃されている。死ぬまで元気で好きなことをしていたとは、羨ましい限りである。「散る桜 残る桜も 散る桜」(今、私の目の前で桜の花が散っている。今は残っている桜の花も、やがては散っていくのだなあ)。曹洞宗の僧侶であった良寛の辞世の句とされている。上の写真がそれ。今、T伯母の死を悲しんでいる私も、やがては同じように死んでいくのである。死は、恐れの対象でもあり、尊敬の対象でもある。死という絶対的で厳かな存在に直面した時、人間は自分の生命の輝きを真に実感することができる。 死んじゃったT伯母。
天使の輪で復活。なぜか作業着…。
おぉぉぉぉぉ!New キャラ登場!
2016/05/15
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【 大型ウッドデッキの製作 2 】 大型ウッドデッキに、プランター・鉢などを置くスペースを作ることにした。
赤い矢印の部分に作る。
単管パイプにクランプで木材を固定。
こんな感じ。
こちら側は釘で木材に固定する。
暮露暮露庵の屋上から見ると、こんな感じ。
プランターなどが外側に落ちないように柵を作る。
しっかりと釘で固定。
単管パイプとも固定する。
プランターなどの高さの部分にさらに柵を作った。
スペースが空いていたので、プランターなどを置く場所を2段にした。
こんな感じ。
上の段にも、プランターなどの高さの部分に柵を作った。
余分な部分をカットする。
こんな感じ。
プランターなどが内側に落ちないように柵を作った。
こちら側も同じようにした。
こんな感じ。これからプランターや鉢を買って…。現在、5月2日(月)。5月8日(日)の母の日までに間に合うのか〜! おぉぉぉぉぉ〜!美しい!自分で言うのもなんだが、こんな大きなものをよく作ったものである。最近、近所の方から「よっ!大工さん!」と呼ばれている。 2016/05/18
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最近、世間では、東京都知事である舛添要一さん(=ますぞえ・よういち=67歳)の政治資金の私的流用疑惑が話題になっている (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 舛添さん自身が法律に詳しいのか、それとも、法律に詳しい方が近くにいるのかは分からないが、「すべて法的に適切に処理しています」という趣旨のことを力説しているようである。「法律に則って適切に処理しています」という言葉は、政治家の方の常套句なのだが、そう主張すればするほど、国民からは、「法律に違反していなければ、何をしても良いと思っている人間」と認識されてしまう。 そもそも、法律とは何か? それは、紙に書かれた“単なる文字”である。しかし、人間の社会に於いて、お互いに信頼し合っている場合、この単なる文字が特別な意味を持つことになる。信頼関係があってこそ、お互いの合意によって決められた法律というものが、その威力を発揮するのである。例えば、信頼関係のない人間が集まった国家で法律を決めた場合、どのような状態になるであろうか? 「あいつが法律を守るはずがない。だから、俺が法律を守る義務もない」となるであろう。信頼関係がない状態で法律を決めたところで、何の意味もないのである。 それでは、信頼関係とは何か? それは難しい問題であり、私にも説明することができない。それは、その時代その時代、その場その場で、いろいろな要素が複雑に絡み合って決まるもののようである。例えば、今回、舛添さんは、自らの政治資金の私的流用疑惑で東京都民の信頼を失い、苦境に立っている。しかし、昭和51年、第64・65代の内閣総理大臣である故・田中角栄さん(=田中角榮=たなか・かくえい=享年75歳)は、ロッキード事件(アメリカで航空機を製造しているロッキード社による、旅客機の受注をめぐる汚職事件)で同じような苦境に立ったにもかかわらず、日本国民と田中さんとの信頼関係が失われたかというと、そうとも言い切れない。汚職に関して、厳しく田中さんを追求した人間でさえ、「汚職に関しては徹底的に追求するが、田中角栄という人間は好きだ」という方も多かったようである。同じ金銭的な疑惑であり、規模的には田中さんの方が遥かに高額であったにもかかわらず、なぜ舛添さんは信頼を失い、田中さんは信頼を失わなかったのか。信頼関係というものは、確かに存在するものなのだが、目に見えない実に曖昧なものであり、その全てを文字にするなどということは、不可能に近いと思われる。それは、多くの失敗を繰り返し、挫折し、苦汁をなめていく中で、感覚的に習得していくものなのであろう。 5月14日(土)の定例会見での舛添さんの自身に対する疑惑の説明に関して、「96%の方が納得できないと答えた」との調査結果もあるようである。もし本当に東京都知事である舛添さんと東京都民との間の信頼関係が失われているのだとすれば、法律などというものは、紙に書かれた落書きに過ぎず、全く価値がないということになる。舛添さんの、「すべて法的に適切に処理しています」という言葉が、たいへん軽くて空虚なものに聞こえてくる。しかし、この世に過ちを犯さない人間などいない。以前にも記述したと思うが、「転んだら立て!立ったら歩け!」である。失敗したら反省して、その後の人生に活かせば良いのである。ただ、人間の社会というものの本質を理解せず、必死に政治家の地位にしがみつこうとしている人間の姿を見せられるのは滑稽であり、苦痛であり、同時に哀れみすら感じてくるものなので、できれば、そのような姿は見たくないものである。 2016/05/21
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5月15日(日)、NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」という番組が放送された (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 AI(人工知能)は、独創性を獲得して自らの発想で絵を描き、自動車を自動運転させ、人間ではできないような医療の診断をするまで進化しているという。将来的にはAIを使って、現在、解決が難しいとされている人間社会の諸問題の答えを得ようとしているようである。つまり、人間が考えたり経験したりすれば数万年かかることでも、AIであれば数時間でできるので、人間社会の諸問題を、人間の代わりにAIに解決してもらうということである。しかし、私は、ふと疑問に思った。AIの導き出した答えが完全に正しいのであれば良いのだが、少しでも正しくない可能性があるのであれば、その答えを検証する必要性が出てくる。問題の内容にもよるが、AIが数時間で簡単に導き出せる答えでも、その答えを人間が検証するには、数万年という“実・時間”が必要な場合もあるかもしれない。これは、何ともトンチンカンなことである。それならば、最初から人間が自分たちで答えを考えれば良いのだから。 今まで人間は、自分たちの“実・能力”以上のものを多く開発してきた。自動車を例に挙げれば、人間の一般的な歩行速度は時速4キロほどなので、時速100キロで運転している自動車に乗っている人間は、自然が人間に与えた能力の実に25倍の能力を手に入れたことになる。その結果として、人間社会での生活が飛躍的に便利になった反面、その過剰な能力を制御することができず、世界中で多くの方たちが、毎日、交通事故で死傷している。因みに、当然のことであるが、自然が人間に与えた能力のみで生活していれば、自動車自体が存在しないので、交通事故が起きる可能性は0%であり、飲酒運転などという犯罪の被害に遭って悲しむ人間は0人である。 AIは、今まで人間が開発してきたものとは桁が違うと思われる。その影響力は、私の頭では理解することができない。ひょっとしたら、AIを開発した人間たちでさえ、その真の影響力を理解していないのかもしれない。ふと、「スタートレック」という映画のワン・シーンを思い出した。記憶が曖昧で申し訳ないが、確か、主人公が乗船しているエンタープライズという宇宙船が、地球から違法に離陸した時のシーンだったと思う。政府は、最新鋭の宇宙船を使ってエンタープライズを拿捕しようとしたのだが、追跡の途中で、突然、その最新鋭の宇宙船は全ての機能が停止してしまった。その時、エンタープライズに乗船していた技術者は、そっと、追跡してきた宇宙船から盗んできたネジを見せて次のように言った。「最新鋭?大がかりな機械ほど、ちょっとした事で動かなくなるものさ」と。開発してしまったものを消すことはできない。私にできることは、開発されたAIの能力が適正に使われ、映画のようにならないことを、ただただ願うばかりである。しかし、なぜ人間は、“自然に与えられた能力の範囲内で静かに生活する幸福”というものに気づかないのであろうか。 2016/05/24
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【 大型ウッドデッキの製作 3 】 最後に、デッキに上る為の階段を作った。これで大型ウッドデッキの完成である。
先ずは、階段を支える基礎を作った。
階段になる部分の木材は、お隣のS氏からもらったもの。かなり長い。
もう一枚の木材を用意。
上の写真の赤丸の部分で土留めしていた木材を利用する。
一枚目を固定。
しっかりと単管パイプに固定する。
こんな感じ。
二枚目を固定。
階段下は、切り株で仮に固定しておく。
いろいろ試してみたが、滑り止めは33センチ間隔が最適であった。
こんな感じ。
階段下も切り株を取り除いてから、しっかりと固定する。
こんな感じ。
手すりを付けて完成。
基礎の部分は、階段の高さを調節する為、地面より下になってしまった。
こんな感じ。けっこう深い…。
全てを埋めて証拠を隠滅…。
完成ぃぃぃ〜!これで、とりあえず一段落。そこで、以下に必要経費の総括をしてみた。
@暮露暮露庵は約60万円。
Aトイレ・洗面所の小屋と…。
B盥を置く台と…。
C大型ウッドデッキの三つを合わせて約18万円であった。
「 @ > A + B + C 」である。自分で製作すると、既製品と比べて粗末ではあるが、こんなに安くできる。しかし、私は安いことだけを目的に製作したわけではない。自分で作ったものは、当然のことであるが、その構造を理解しているので、自分で修理することが可能である。業者さんから買った物は、私の能力を越えているので自分で修理することができない。そして何より、どんなに粗末なできであっても、自分で計画して自分の手で物を作るということは、と〜っても楽しい! 2016/05/27
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先月の4月5日、“世界一貧乏な大統領”として有名な、ウルグアイの元・大統領であったホセ・ムヒカさんが来日した。2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された「 Rio + 20 地球サミット2012 」でのスピーチは、たいへん素晴らしいものであった (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 ただ、少し気になる部分があったことも否定できない。ムヒカさんではなく、関連番組を放送したテレビ局の姿勢に関してである。確かに、地球サミットでのスピーチは素晴らしい内容であったし、大統領任期中の政治姿勢も悪くはなかったようである。しかし、ムヒカさんへのインタビューで引き出した答えを、金科玉条のごとく崇めるというのは、いかがなものであろうか? 気づいた方も多いと思うが、冷静に観ていて、「その考えは、いかがなものであろうか…」という部分もあったと思う。それなのに、番組の出演者の方たちは、終始、ムヒカさんを褒め称える雰囲気を修正しなかった。 日本人は、「ある一つの事に対して、右に左に大きく針が振れる」といわれる。誰かが何かを言うわけではないのだが、「右が良い」という雰囲気が形成されると大きく右に針が振れ、「左が良い」という雰囲気が形成されると、今度は大きく左に針が振れる。今回も、「ムヒカさんは良い人間だ」という雰囲気が形成されたので、上記のような有様になったようである。良いと思っていた人間が、突然、悪い人間に豹変するなどという例は、たくさん世の中にある。私たちは、ムヒカさんが何を発言しようと、テレビ局が何を放送しようと、もっともっと批判精神を持ち、一つひとつ自分で検証して判断するようにしなければならない。自分の身を守る為に最も必要なもの、それは、自分自身の“知の盾”なのである。 2016/05/29
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【 楽しく明るい失業日記 1 】
上の写真は、ハローワークが入っている仙台MTビルである。現在、私は失業中なのだが、特に焦ることもなく、不安になることもなく、緊張感をもって生活しているということもない。今回で3回目の失業となるので、そろそろベテランの領域に達しているということであろうか。2回目の失業までは、1〜3週間ほどで再就職したので、雇用保険などの申請はしなかったのだが、今回は、少し時間をかけて探そうと思っているので、雇用保険などを申請することにした。失業したことがない方の中には、失業するとどうなるのか興味がある方もいると思うので、失業中のことを記述してみる。
雇用保険に加入し、一定の条件を満たしている場合、私たちは、雇用保険制度を利用することができる。雇用保険制度とは、労働者が失業した場合などに、生活や雇用の安定を図る為の制度である。会社を退職すると、1週間ほどで離職票1・2が郵送されてくるのだが、雇用保険の申請には、この書類が必要な為、退職後の1週間は余りすることがなく、のんびり過ごすことができる。その後、離職票1・2が郵送されてきたら、ハローワークで雇用保険の「求職者給付」を受ける為の手続きをすることになる。この手続きで必要なのは、「@離職票1・2 A運転免許証などの身分証明書 B印鑑 C写真2枚 D本人名義の預金通帳」である。私は、5月2日(月)に手続きをしたので、「受給資格決定年月日」は平成28年5月2日となり、この日付が全ての給付の基準となった。手続きが終わると、雇用保険説明会の日程が提示されるので、指定された日には必ず説明会に出席することになる。私の場合は、5月13日(金)の14:00であった。 次に、健康保険を任意継続(2年間)にするか、国民健康保険に切り替えるかを選択し、その手続きをする必要がある。任意継続した場合の健康保険料は、仙台パークビル8階にある全国健康保険協会 宮城支部で確認できる。上の写真がそれ。国民健康保険の保険料は、各区役所で確認できるので、それらを比較して安い方を選択すればよい。私の場合は、任意継続を選択し、全国健康保険協会 宮城支部で手続きをしたのだが、この手続きでは、特に必要なものはなかった(名前・フリガナ・生年月日・旧会社名の記入のみ)。因みに、厚生年金保険料の支払いはなくなるので、老齢厚生年金を受ける時、この支払いがない期間の分は減額されることになる。 最後に、厚生年金保険から外れる為、国民年金に加入する手続きが必要になる。私の場合は仙台市宮城野区に住んでいるので、宮城野区役所で手続きをした。上の写真がそれ。この手続きで必要なのは、「@年金手帳 A運転免許証などの身分証明書」である。因みに、平成28年度の国民年金の保険料は、月額16260円なのであるが、この支払いが困難な場合は、納付の全額免除・一部免除の制度があるので、必要な方は別途に申請することになる。 とりあえず、大きな手続きはこれで終わり。あとは雇用保険説明会に出席し、雇用保険に関して正しく理解するのみである。上の写真は、説明会の為の資料なのだが、役所が作成する資料は独特の言い回しが多くて分かり難いので、事前に読んでおいた方がよい。ここまでの手続きで私が最も必要だと感じたことは、「少しでも分からなかったら、ハローワークの職員の方に聞く」ということである。雇用保険・国民健康保険・健康保険・国民年金・厚生年金などの制度は複雑であり、私たち素人が完全に理解するのは難しい。先ずは自分で努力して調べ、それでも分からない事があった場合は、迷わずハローワークに問い合わせることである。 余談ではあるが、ハローワークで以下の@〜Bのことがあったので、記述しておくことにした。 @50歳くらいの方が、ハローワークの職員の方に、「せっかく就職したのに、募集内容と違っていたぞ!」と、少し語気を強めて抗議していた。特に職員の方が悪いというわけではないのだが、職員の方も慣れているのか冷静に対応していた。私は今まで、募集内容と現実が完全に一致している会社を見たことがない。「何も…、カリカリして職員の方に当たらなくても…。余裕がなくなると人間はこうなるのかなぁ…」と思った。 A60代くらいの方だと思うが、職員の方から、「順番に並んで受付をしてください」との指示があったにもかかわらず、その指示を無視して勝手に席に座り、黙々とパソコンで求人情報を検索していた方がいた。失業したからそういう人間になったのか、そういう人間だから失業したのかは分からないが、不平不満の気持ちを露骨に表わしても、何も良いことは無い。「この人…、嫌な人だなぁ…」と思われている人間を、職員の方が自信を持って会社に推薦してくれるだろうか。感情を露わにしても、百害あって一利なしである。 B必死に職員の方の説明に耳を傾けて職を探している、赤ちゃんを背負った若い女性の姿が特に印象に残った。赤ちゃんの世話をしながらの就職はたいへんだと思うが、その苦難に立ち向かう若者の姿は、美しくもあり、立派でもある。他人に同情している場合ではないのだが、私の再就職は後回しでもよいので、そのような方には優先的に職を紹介してあげて欲しい。 2016/06/03
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大型ウッドデッキの花の棚が完成したので、5月8日(日)、母の日に色々な花をプレゼントした。上の写真は、以前から母が欲しいと言っていた花。左側から、クレマチス・デルフィニウム・ジギタリス。 こんな感じ。
これは、ミリオンベル。
これは、ベゴニア。
赤丸は、千日紅。この他にも、マリーゴールドを買ってきた。
これは、左側から、フクシア・ダリア。
これは、マンションのベランダで育てていたもの。
花の植え替えや配置は、全て母に任せた。「そろそろ始めるか…」。
「あぁ〜、忙しい」。
丁寧に…。
一つずつ…。
プランターや鉢に植え替えて…。
ほいっ、完成!
ご満悦の図。
「さてと…、棚に設置するかな」。
「忙しい、忙しい」。
「あぁ〜!忙しい、忙しい!」。
「よっしゃぁ〜!」。
こんな感じ。
おぉぉぉぉ〜!絶景かな♪絶景かな♪
「もう夕方になったので帰ろう」と言ったのだが、母は、百九十一高地の頂上まで行って…。
おっ、何かやり始めた!
気が済んだのか、ご満悦。よほど嬉しかったらしく、この日、マンションに帰ったのは夜の8時であった…。
2016/06/07
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最初は、トイレに関する話である。トイレの使用を始めてから数ヶ月が経過したので、排泄物に関して追跡調査をしてみた。赤丸が、排泄物を溜めている穴。 周りの土が崩れて穴が埋まっていたので、穴の中の土を掘り出してみたところ、排泄物はほぼ完全に分解していた。分解しないと思っていたトイレットペーパーも、上の写真を見る限り分解しているようである。念の為、この土の上で焚き火をして全てを焼却してみるが、ほぼ問題はないと思われる。 穴を掘り過ぎたので、ついでに土留めを作って穴を小さくした。赤丸の部分を土で埋める。
廃材を利用して穴の蓋を作る。因みに、上の写真は、大型ウッドデッキの階段を作った時に残った木材。
2枚の板を固定して蓋が完成。
風で飛ばされないように石を乗せる。
次は、蜂に関する話である。毎年、5月の初旬、スズメバチが、上の写真の赤い矢印の部分に巣を作ろうとするので、この時期、私は、スズメバチの動きを最も警戒している。 この屋根裏の部分に…。ん?なんだ?何かが飛んでいる…。
こ…、これは…。もしかして…。
蜂だ!今年も来やがった!
陸奥之国の政府は、すぐにアメリカ合衆国の空軍に協力を要請した。
戦闘機の発射準備が完了。
F-14トムキャットが…。
空母エンタープライズを飛び立った!
すぐに蜂の捜索を開始。
おっ!レーダーで発見して…。
ロック・オン!
ミサイルの発射準備OK。
ふぁいやぁ〜!
命中!蜂を撃墜したぞぉ〜!
赤丸が、撃墜された蜂。
早い…。蟻が、死んだ蜂を食べようとしている…。これが自然の掟なのか…。
その後、陸奥之国の政府部内では、「アメリカ軍に頼む前に、なぜ蜂の駆除業者に頼まなかったのか?」「一匹の蜂にミサイルを使うのは、やり過ぎだったのではないか?」などが問題となったが、すぐに忘れられてしまった。 最後は、水の供給に関する話である。水源の水や雨水を広範囲で有効利用する為、盥(たらい)と30メートルのホースを買ってきた。 利用するのは、“逆サイフォンの原理”である。逆サイフォンの原理を上の図で簡単に説明すると、盥Aに溜めた水は、盥Aの水位より下であれば、その水圧によって、盥Bがどこにあったとしても水を供給することができるというものである。 先ずは、雨水を盥に溜める。
スノコを置く為の基礎を作る。
廃材で作ったスノコを基礎の上に置く。
ホースを設置して盥と連結する。
ホースを伸ばす。
ずぅ〜と、伸ばす。
高低差が少ないので水圧は低いが、手洗い用の盥まで水の供給ができることを確認した。これで、畑にも水をまくことができる。 2016/06/13
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私は、山の作業で疲れるとコーヒーが飲みたくなる。昨年、百九十一高地にロケットストーブを作ったのだが、毎年、夏になると問題が発生する。その問題とは…。 このような状態になって使用不能になるということである。そこで、ロケットストーブを別の場所に作り直すことにした。 先ずは、草むらから部品を取りだす。
鍋と石も…。
雨水を溜めておく盥(たらい)の隣に作ることにした。
ほいっ!完成!
こんな感じ。
鍋に水を入れて…。因みに、鍋の中の焦げている部分は、母が牛乳を沸かしている時に焦がしてしまったもの。
家から持ってきたゴミを燃やして湯を沸かす。
ん〜、自分が何をしようとしているのか分からなくなってきた。私は、湯を沸かそうとしているのか…。それとも…。 鍋を燃やそうとしているのか…。
10分ほどで湯が沸いた。
貰ったコーヒーミルで、貰ったコーヒー豆を挽いた。
貰ったフィルターを使って、貰ったタンブラーにコーヒーを入れる。
あまりコーヒーを飲まない母が、「このコーヒーは美味いねぇ〜。お店のみたい♪」と言っていた。コーヒーの入れ方にも“道”というものがあると思う。私はコーヒーに関してはトンチンカンのド素人なので、よほど良い豆だったのであろう。 因みに、1リットルの湯を沸かすのに、牛乳パックが10枚ほど必要であった。暮露暮露庵も少しずつ癒しの空間になってきている。今後が楽しみ♪ 2016/06/17
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【 楽しく明るい失業日記 2 】
5月13日(金)の14:00、仙台MTビルのハローワークで雇用保険説明会に出席してきた。必要なものは、「受給資格者のしおり」と「筆記用具」のみ。まず最初に驚いたのは失業している方の多さであり、老若男女、この一回の説明会に約200人が来ていた。さらに驚いたのは、失業者に占める若者の割合であった。
雇用保険説明会の内容は以下の通りである。資料を見ながら職員の方の説明を聞いた後、雇用保険に関するビデオを観る。そして最後に、再度、職員の方が重要事項を説明して終了。説明会が終了した後も、多くの若者たちが会議室に残って職員の方に積極的に疑問点を聞いていた。職員の方の話によると、基本手当(簡単に説明すると、失業期間中に支給される金銭)に関する質問が多いとのこと。次は、5月30日(月)、午後1時30分〜2時の間に、「雇用保険受給資格者証」と「失業認定申告書」を持ってハローワークで失業認定の手続きをする予定。失業者は、原則として4週間に1回、指定された日に、失業状態であることを「失業認定申告書」でハローワークに申告しなければならない。これを“失業認定日”という。これを受けないと、基本手当の支給が遅れることになる。 基本手当は、その失業者によって金額や支給期間が異なる。そこで、私の場合、失業期間中にどのような金銭の流れになるのかを簡単に説明する。私の受給資格決定年月日は5月2日なので、その日が全ての基準になる。上の図を見ても分かるように、私のような貧乏人が失業するには、失業の知識・忍耐力・度胸が必要である。私は自己都合で退職したので、3ヶ月の給付制限がある。つまり、5月9日〜8月8日までは1円も支給されないということである。4月まで働いていたので、5月は4月分の給料で生活すれば問題はない。8月9日からは基本手当が支給されるので、それで生活すればよい。私の場合、雇用保険の保険料を払っていた期間が10年以上20年未満なので、120日分(約4ヶ月)の支給を受けることができるが、あまり働かなかった低所得者なので、1日の支給額は4159円と低く、約125000円で1ヶ月の生活をしなければならない。それでも、8月9日から12月初旬までの生活が保障されるのは、ありがたいことである。しかし、問題は、6月〜8月初旬までの約2ヶ月間である。運の悪いことに、この時期になると、頼んでもいないのに健康保険・国民年金・市民税・県民税の納付書が郵送されてくる。因みに、私の場合、健康保険が21926円/月。国民年金が16260円/月。市民税・県民税が56200円/年であり、既に8月までの健康保険と国民年金の保険料、今年度の市民税・県民税は支払い済みである。何の備えもなく失業して、「失業中でぇ〜す♪」などと言っていると、少し厳しい現実に直面することになる。最低でも、2ヶ月分の「生活費+健康保険の保険料+国民年金の保険料+市民税と県民税」ぐらいは確保してから失業するべきである。 2016/06/21
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5月3日、“坊ちゃん”というミニカボチャの苗、“夏秋美人”というキュウリの苗、“米なす”というナスの苗、“白鳥”というエダマメの苗、“ホーム桃太郎”という大玉トマトの苗を買ってきて畑に植えてみた。高価格で高品質な苗もあったのだが、低価格の苗の方が畑の現実に則したデータが得られると思い、価格は全て98円で統一、各種の苗を3つずつ購入して、それぞれの特徴を持つ畑に植えて生長の過程を記録することにした。 これが、ミニカボチャ。
これが、キュウリ。
これが、ナス。
これが、エダマメ。
これが、大玉トマト。
上の図のような配置。それぞれの畝の名称は、肥料の畝・米糠の畝・自然の畝とする。
こんな感じ。
5月5日、緊急事態が発生!たった2日で米糠の畝と自然の畝のキュウリの苗が枯れてしまった…。
こんな感じ。
ただの栄養不足かもしれないので、肥料の畝に植え替えて様子をみた。
3日後…。うぅ〜ん…、これは…。
あっ、ダメだ。レフリーが止めに入った!早くもKOです。キュウリがKO!
5月19日、枯れてしまったキュウリの苗と同じものを買ってきて、もう一度、米糠の畝と自然の畝に植えて様子をみることにした。 こんな感じ。
5月22日、全ての苗が順調に生長しているのを確認。
5月28日、まだまだ小さいが、トマトの実がなっていた♪ なんか嬉しい♪
6月5日、全ての苗で、それぞれの畝によって生長に違いがあることを確認した。上の写真は、各畝でのナス。
これは、各畝でのカボチャ。
これは、各畝でのトマト。
肥料の畝のエダマメだけに実がなっていた。幹の高さや葉の大きさなどは同じだが、米糠の畝と自然の畝では実がなっていない。 6月10日、実はなっていないが、さらにナスの生長の差が大きくなったのを確認。
6月15日、トマトの生長の違いを確認。「 肥料の畝 > 米糠の畝 > 自然の畝 」である。
肥料の畝のキュウリに実がなっていた。米糠の畝と自然の畝のキュウリとは、約10日の差があるので単純に比較はできないが、全て順調に生長していると思われる。 6月19日、苗が生長してゴチャゴチャしてきたので、お隣のMさんに剪定の仕方を聞いて剪定することにした。
剪定前…、ゴチャゴチャ。
剪定後…、サッパリ♪
キュウリは順調に生長して実をならせている♪
カボチャにも実がなり始めた♪
上から見たところ。カボチャの生長に関しては、「 肥料の畝 > 米糠の畝 = 自然の畝 」のようである。
エダマメに関しては、自然の畝では実がなっていないが、米糠の畝と肥料の畝では同じくらい実がなっていた。幹の高さは、自然の畝・米糠の畝・肥料の畝の間で大きな違いは確認できなかった。 トマトに関しては、米糠の畝と肥料の畝では同じくらい多くの実がなっていた。剪定の時期が適切だったのかは、現段階では不明である。 6月22日、母が、畑の雑草を取り除いてくれた。
ナスに関しては、「 肥料の畝 > 米糠の畝 > 自然の畝 」で間違いない。
カボチャに関しては、「 肥料の畝 > 米糠の畝 = 自然の畝 」であった。ただし、米糠に効力が無かったかというと、そうとも言い切れない。 上の写真は、米糠の畝のカボチャであるが、根に少し異常があるように見える。
こんな感じ。
キュウリに関しては、自然の畝では1本だけしか実がなっていない。
米糠の畝では、3本だけしか実がなっていない。
それに対して、肥料の畝では、8本も実がなっていた。植えた時期に約10日の差はあるものの、「 肥料の畝 > 米糠の畝 > 自然の畝 」だと思われる。 エダマメに関しては、自然の畝では実が少ない。
米糠の畝では、自然の畝より少し多いくらい。
それに対して、肥料の畝では、その数倍の実がなっていた。「 肥料の畝 > 米糠の畝 > 自然の畝 」で間違いない。 トマトに関しては、自然の畝では4個だけしか実がならない上、かなり幹が細い。
米糠の畝では、6個の実がなっていた。
肥料の畝でも、6個の実がなっていた。一見すると、「 肥料の畝 = 米糠の畝 > 自然の畝 」のように思うが、実の大きさと幹の太さを考え合わせると、「 肥料の畝 > 米糠の畝 > 自然の畝 」と言えるであろう。 中間報告です。ほぼ全ての種類で、「 肥料の畝 > 米糠の畝 > 自然の畝 」だと推量できる。米糠は、ある程度は苗を生長させるが、肥料ほどではないことが確認できた。今年の実験で肥料の効果が証明できそうなので、来年は、肥料の適正な使用量に関して実験してみようと思う。具体的には、肥料(20リットル)・(40リットル)・(60リットル)の畝、肥料と米糠を混ぜたもの(大)・(中)・(小)の畝を作って実験してみる予定。さてさて、どの畝が適量なのかなぁ〜♪ 野菜の種類によって適量が違っていたらどうしようかなぁ〜♪ 時間がかかって面倒だなぁ〜♪ 因みに、ネットには、“悪意の無い誤った情報”が多く掲載されていることも確認できたので、どんなに時間がかかっても、一つひとつ自分の目で確認していくことにした。物事の本質に迫る為には、「ゆっくり着実に」である♪ 自分の目と耳と体で物事を知っていくのは、楽ぉしいぃぃぃ〜♪ 2016/06/25
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先日、政治資金の私的流用疑惑で話題になっていた舛添要一さん(=ますぞえ・よういち=67歳)が東京都知事を辞職した。デイリースポーツ online は、ジャーナリストの田原総一朗さんの証言として、「国際政治学者だけでは我慢できなくて、天下を取りたいと。できれば総理大臣になりたいと言っていた。総理大臣になることは、天下取ること。総理大臣になって天下を取りたいと言っていた」と舛添さんが話していたと伝えているが、舛添さんが、その記事の内容を認めているわけではないので、その記事の真偽は不明である。“天下を取る”とは、辞書的には、「日本の政治を動かす為に権力を握る」という意味なのであろうが、ふと、「天下って何だろう?天下を取るって何だろう?」と思ったので、自分なりにその意味を考えてみることにした。 先ず、ロケットストーブで湯を沸かした。リラックスしないと良い考えが浮かばないと思ったので…。
フィルターで不純物を取り除きながら、鍋の湯を魔法瓶に入れる。
スーパーで買ってきた麺をゆでる。
ゆで時間は約5分。
おぉぉぉ〜!
ゆでた麺の水を切って笊(ざる)に移す。
相手が食べやすい量に調節して盛っていく。
こんな感じ。これぞ、日本人の心配り♪
面倒で時間がかかるので、や〜めた!ただ笊に移してゴチャゴチャにしただけ…。
食べる準備をする。
うぅぅ〜ん、興奮するぅぅ〜!
生わさび、きざみ海苔、食後の水ようかんと葛まんじゅうを用意して…。
いっただっきまぁ〜す♪
ロケットストーブで沸かした湯で、抹茶ラテを飲む。
ん〜♪美味しそう♪
母は、「緑の中で食べる蕎麦は美味しいねぇ〜。この抹茶も美味しい。極楽♪極楽♪」と言っていた。
“天下”とは、この蕎麦のことであり、この景色のことである。そして、“取る”とは、意識を持って行動するということである。つまり、私が考える天下を取るとは、「先人たちから与えられた状態に感謝し、それを後世の人間に残すという意識を持って行動する」という意味であり、それは、ごく一部の人間にしかできないことではなく、志を持った人間であれば誰にでもできることである。 太平洋戦争後、私たちの祖父母たちは、戦争で焼き尽くされた日本を再建し、戦後70年間、1回も直接的に戦争をしなかった平和な国にした。そして、私たちの父母たちが必死に働いてくれたおかげで、日本は世界が認める経済大国になった。戦争をしない平和な国、必死に働いて富を得た勤勉な国民、その世界が認めた信用があるからこそ、今、私たちは自由に生活することができるのである。美しい景色を眺めながら、のん気に蕎麦を食べて抹茶ラテが飲める状態。これこそ先人たちから与えられた天下である。これ以上、私が何を望むというのか?この状態を、そのまま後世の人間に残せば良いのである。 枡添さんが、「先人たちの努力を引き継ぎ、この日本をより良い国にしたい。その為に、どうしても総理大臣になって権力が欲しい」という意味で、「総理大臣になって天下を取りたい」と言ったのであれば分かるが、特に深い意味も無く、「総理大臣になって天下を取りたい」とだけ言ったのであれば、それは単なる欲の塊であり、私は、ただただ苦笑いするばかりである。 2016/06/28
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昨年の年末だったであろうか、テレビをつけたら、「7人の女弁護士」という連続ドラマを放送していた。特に興味があったわけではないのだが、最後のシーンが巧妙に撮影されていたので、後日、ついつい次の回も観てしまった。何とも製作者側の思うつぼである。このような簡単な手法に引っかかるとは、私も歳を取ったということか…。悪徳商法や詐欺の被害に遭う日も近いと感じてしまう。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。 あっ!刑事さんが入ってきた!
「飯島妙子さん。中川洋介氏 殺害容疑で逮捕します」。
「え?」。
あっ!手錠だ!逮捕されちゃう!
「え?」。
「え?」。
「え?」。
な…、なんで主人公クラスの登場人物が逮捕されるんだ…。
主人公もビックリ!
ついでに、暮露暮露もビックリ!
2016/06/30
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現在、私は失業中なので、空いている時間にネットを楽しむことが多くなっている。先日、動画投稿サイトの You tube を閲覧していたところ、お笑い芸人であるオリエンタルラジオとダンスグループであるフィッシュボーイが共演している“PERFECT HUMAN”という歌が投稿されていた (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 私は流行には疎いので知らなかったのだが、2〜3ヶ月前に流行っていたようである。以下に、PERFECT HUMAN の歌詞を読みやすいように編集して掲載したが、謙遜を美徳とする日本で、このような歌詞の歌が流行するのは珍しいように思う。特に歌詞に輝くものがあるわけではなく、深い意味があるわけでもないのだが、何となく耳に残る歌なので、最近はこの歌ばかり聴いている。私は、「この世の全ての物事には必ず意味がある」と考えるタイプの人間なので、何かを考え始めるとヘトヘトに疲れてしまう。その為、このように何も考えずに気楽に聴くことができる歌は、疲れることがないので大歓迎。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。
2016/07/02
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上の画像は、東京都知事であった舛添要一さん(=ますぞえ・よういち=67歳)を揶揄する画像である (ここをクリックすれば当該画像を閲覧できます)。 どうして、このような画像がネットに掲載されるようになってしまったのであろうか?YouTube に投稿されていた政治資金の私的流用疑惑に関する会見の映像を観ると、その答えが分かる (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 私は、枡添さんと記者の方たちとの質疑応答の中身には全く興味が無い。ただ、枡添さんという人間のみに焦点をあてて、その表情・しぐさ・話し方などを観ていたのだが、「ん〜、そんなことをしては嫌われる…」と思うことが多くあった。「私は過ちを犯しました。申し訳ありません」と答えていれば、こんなに国民に嫌われることもなかったのであろうが、枡添さんの中に、「自分の過ちを認めることは、自分が相手より劣っていると認めることになる。そのような隙を相手に見せてはいけない」という認識でもあるのだろうか、頑なに自分のスタイルを変えようとしなかった。どうやら、枡添さんには、不必要に他人を不愉快にさせる才能があるようである。 それでは、私が、枡添さんのことを強く批判できるほど立派な人間かというと、そんなこともない。以前、吉野作造記念館を紹介した時、選挙の投票に関して、たいそう立派なことを書いたが、選挙の投票日を忘れていたこともある。「あっ、しまった!今日だった!」と。しかし、「人間だから忘れることもあります。みなさんだってそういうことがあるでしょ。私だってそうなんですよ。結果的に私の言動に齟齬があったことは認めてお詫びいたしますが、通常の許容範囲ということで理解しています」などという釈明はしない。自分が過ちを犯したと思ったら、その部分を訂正して謝罪し、それに対する批判は甘んじて受ければ良いのである。今回の騒動で、国民は、“過ちを犯した人間自体”を批判しているのではなく、過ちの正確な内容と、その改善を求めているだけなのである。「自分が言ったことを完全に実行している人間であれば、とっくに神様になっているだろうし、他人からの批判を恐れて自分にできることしか言わないような人間であれば、国民の模範となる人間にはなれない」。そのようなことは、誰もが知っていることである。 枡添さんは、東京大学の法学部を卒業しているとのことなので、知識と教養があることは疑いようもない。しかし、枡添さんに決定的に欠けているものがある。それは、「人間というものに対する理解が不十分」ということである。論理的思考を基礎にして行動する枡添さんには理解しがたいことだと思うが、多くの人間は、感情というものを基礎にして行動している。枡添さんから見れば、私たちのような知識と教養の無い人間は、「物事を理解していないダメな人間」なのかもしれない。その為なのか、上記の会見では、無理矢理、自分の価値観を周りの人間に当てはめようとしているように思えた。しかし、理論はあくまでも理論であり、その理論がどんなに正しいものであっても、人間がその通りに動いてくれるとは限らないのである。枡添さんを見ていると、私の座右の書である徒然草の第四十五段を思い出して笑ってしまう。 徒然草 第四十五段
公世の二位の兄、良覚僧正と聞えしは、きはめて腹の悪しき人なりけり。
坊のかたはらに大きなる榎の木のありければ、人、「榎の木の僧正」とぞ言ひける。「この名しかるべからず」とて、かの木を伐られにけり。その株のありければ、「切杭の僧正」と呼びけり。いよいよ腹を立ちて、切杭を掘り捨てたりける跡、大なる堀にて有ければ、「堀池の僧正」とぞ言ひける。 底本:新日本古典文学大系「方丈記徒然草」
暮露暮露の口語訳
藤原公世の兄で、良覚僧正と申し上げる方は、たいそう怒りっぽい人間であった。
良覚が住んでいる僧坊の近くには大きな榎の木があったので、人々は良覚のことを、“榎の木の僧正”と呼んでいた。しかし、良覚は、「その名は、私にはふさわしくない」と言って、その木をお伐りになった。ところが、切り株が残っていたので、今度は、“切り株の僧正”と呼ばれるようになってしまった。すると、良覚は、ますます腹を立てて、その切り株を掘り出して捨てたのだが、その跡が大きな堀となったので、ついには、“堀池の僧正”と呼ばれるようになってしまった。 2016/07/04
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2016年3月15日、今年も梅の花が咲き始めた。「もうすぐ春だぁ〜」と感じる時である。
梅の木を植えた頃は、こんなに花が咲くことはなかったが、少しずつ増えているようである。
2016年4月6日、おぉぉぉぉ〜!すごぉ〜い!
2016年6月22日、初めて多くの梅の実がなっているのを発見!左が甲州小梅、右が豊後。実を取るのに必死になり、木になっているところを写真に撮るの忘れた…。 甲州小梅が9個。
豊後が8個。
2016年6月23日、数が少ないので、梅ジュースを作ることにした。先ずは、24時間、梅を冷凍庫で凍らせる。「梅を冷凍すると細胞内の細胞水が凍り、その体積が増加して細胞壁を破るため果汁が出やすくなる」とのことだが、特に顕微鏡で確認したわけではない。 2016年6月24日、梅を入れる小さな容器を用意した。
凍らせた梅を用意。キンキンに凍っている♪
梅を容器に入れる。
梅の重さと同じ重さの砂糖を入れる。
こんな感じ♪
2016年6月26日、おっ!梅から果汁が出てきた!
2016年6月27日、砂糖が容器の底に沈殿。こんな時は、シャカシャカシャカシャカ…。
容器を振って撹拌させる。
2016年7月1日、完全に砂糖が溶けた。
2016年7月2日、梅の実がシワシワ。
2016年7月7日、約2週間で梅ジュースの原液が完成!
私が、使い終わった梅を捨てようとしたところ、母が、「なんで捨てるのよ!もったいない!」と怒って、料理などに使っていた。MOTTAINAI 精神は大切です。 原液を沸騰させて殺菌する。
梅ジュースの原液が完成!
原液は、水・炭酸水・牛乳などで希釈(きしゃく=濃度を下げるために媒体の量を増加すること)して飲む。割合は、原液1:希釈液4ほどが良いらしいが、最終的には自分の好みでOK。救急車を要請した後、原液を一気に飲むのもOKだよ〜ん♪ これが、原液。すっごく良い匂いぃぃぃ〜!この原液でコップ約2杯分の梅ジュースができる(原液1:希釈液4)。 これが、水を入れた容器。持つところが折れて無くなっているのだが、母は、この容器が気に入っていて決して捨てようとしない。因みに、私が生まれる前から使っているので、47年以上は確実に使っている。ここまで使い込まれると、底に穴があかない限り捨てられない…。「ババアの MOTTAINAI 精神 + Made in Japan の技術力 = 迷惑 」→暮露暮露が発見した方程式…。 できあがりぃぃぃ〜♪母も、「美味しいぃぃぃ〜♪」と言って喜んでいた。
因みに、この母のコップは、昔のあさひ銀行、現在のりそな銀行から貰ったものである。すごい MOTTAINAI 精神だ。コップを買ったことがあるのか? 2016/07/14
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私は、迷惑メールフォルダーへの自動振り分け設定をしていないので、全ての迷惑メールが受信ホルダーに入ってくる。なぜ自動振り分けの設定をしないのかというと、自動振り分けのシステムが不十分な為、その設定をしてしまうと、必要なメールまで迷惑メールフォルダーに振り分けられてしまうことがあるからである。「送信者を受信拒否リストに追加」を設定してみたこともあるのだが、次から次へと別のアドレスでメールを送信してくるので、設定しても意味がなかった。まったく迷惑メールにも困ったものである。しかし、時々、嬉しい迷惑メールが送信されてくることもある。 迷惑メールにも困ったものだなぁ〜。
ん?
おっ!500万円を獲得したんだと。ふふふ…。ちょっぴり嬉しい♪でも…、一つだけ気になることがある。
1等はいくらだったんだろうか? ムカッ ゛(`ヘ´#) マダ上ガイルノカ!
2016/07/16
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
2016年6月27日、大型ウッドデッキから畑を眺めると、全体的に野菜が生長しているのが分かる。
これは、自然の畝のトマト。
おぉぉぉ〜!自然の畝のトマトが赤くなってきている。
これは、米糠の畝のキュウリ。
どんどん実がなっている。
これは、肥料の畝のトマト。
たくさん実がなっているが、まだまだ青い。
これは、肥料の畝のキュウリ。こちらも、どんどん実がなっている。
いつの間にか、水を溜めておく盥(たらい)に棲みついていたカエル。
目つき悪っ!
おっ!トマトの茎が!病気か?
…と思ったが、これは気根(きこん)というもので、放置していてもOKらしい。気根とは、「植物の地表に出ている茎あるいは幹の部分から出て、空気中に現われている根」のこと。 2016年7月4日、さらに野菜たちが生長していた。
これは、自然の畝のトマト。まだまだ青い。
これは、米糠の畝のキュウリ。収穫してもOKだ♪
肥料の畝のトマトも順調に生長している。
おぉぉぉ〜!肥料の畝のキュウリも収穫してOK♪
肥料の畝から2本、米糠の畝から1本のキュウリを収穫した♪
おっ!なんだ…。
こ…、これは!
いったい誰がこんなことを…。
これは、野性動物の爪の跡か…。
割っただけで、実は食べていないようだ。
収穫したキュウリたち。100円玉と比較すると大きさが分かる。
せっかくなので、“川”の字を書いてみた。
「ホホホ!兄ちゃん、笑わしてくれるのぉ〜」。
「でも、食べ物を粗末にしたら、あかんでぇ〜」。
2016/07/18
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先月、仙台市博物館で催されていた、“黄金のファラオと大ピラミッド展”を観覧したのだが、さすがエジプトの至宝だけあって、アメンエムオペトの黄金のマスクを筆頭に素晴らしい展示物の数々であった。しかし、私は、黄金のマスクには興味を示すことができず、それを見ていたのは10秒ほどであったと思う。 私が高校1年の時なので、もう32年も前の話になるのであるが、1984年10月27日〜12月18日まで東京の西武池袋本店12階の西武美術館(現・セゾン美術館)で催されていた、“黄金のファラオ展”を観覧したことがあった。未熟であった私は、そこに展示されていたプスセンネスT世の黄金のマスクの前で、その黄金の輝きに魅せられ、30分ほどジッと眺めていたのを覚えている。そして、残念ながら、その他の展示物のことは、ほとんど記憶にない。 32年前、あれほど、私が興味を示した黄金のマスクであったのに、今回、私が興味を示したのは、古代エジプトの王家で使用されていた日用品であった。その日用品の数々は、王の妻や子供の姿が表現されているなど、家族の息吹が聞こえてきそうなものばかりである。また、“アメンエムペルムウトの彩色木棺(紀元前1069年〜945年)”という棺は、現代の美術的な観点からは精巧とは言えないものの、棺の表と裏、その細部に至るまで、死んでしまった家族に対する愛情表現で埋め尽くされていた。 私は、古代エジプトの文字を解読できるわけではないし、その歴史に詳しいわけでもない。しかし、この展示物を学術的な観点ではなく、人間の心という観点から現代と比較した場合、数千年前に生きていた古代エジプト人と現代に生きている私たちとの間に、際立った違いを見つけることができないのは面白いことである。なぜか嬉しくなった私は、ニヤニヤしながら博物館を後にした。 2016/07/20
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
2016年7月8日、大型ウッドデッキから畑を眺めると、全体的に野菜が生長しているのが分かる。
これは、自然の畝のナス。やっと花が咲きそうな状態になってきた。
これは、自然の畝のミニカボチャ。もうそろそろ収穫してもOKか?
おぉぉぉ〜!ミニカボチャがいっぱい!ミニカボチャ with キュウリ。
これは、米糠の畝のナス。こちらも花が咲きそうな状態になってきた。
これは、米糠の畝のトマト。
これは、米糠の畝のキュウリ。
これは、肥料の畝のナス。こちらも花が咲きそうな状態だが、私の配置が悪かった為、キュウリとトマトに挟まれて窮屈な状態になってしまった。 おぉぉぉ〜!さすが肥料の力。トマトがいっぱい。
これが、肥料の畝のキュウリ。
これが、自然の畝のエダマメ。
これが、米糠の畝のエダマメ。
これが、肥料の畝のエダマメ。自然の畝や米糠の畝と比較すると、少し実の生長が悪いような気がする。
家庭菜園を始めて、初めてテントウムシが害虫であることを知った。
2回目の収穫♪
やはり嬉しいのだろう。収穫の時は、母が1番うれしそうにする瞬間である。
今回は、キュウリ(肥料の畝から1本、米糠の畝から1本)とトマト(肥料の畝から1個、米糠の畝から1個)を収穫した♪ 「ホ〜ホホッ!兄ちゃん、初めての家庭菜園にしては上出来じゃ」。
しかし、残念なのは、自然の畝のトマトの茎が折れてしまったこと…。
あぁ、無残…。
「まぁ、しょうがない…。次に頑張れば良いじゃないか」。
あぁぁぁ…。
こんなに実がなっていたのに…。
ん〜、残念…。
「フフフ…、兄ちゃん、それが人生さ」。ん〜、この人は誰なんだろう?
今回、犠牲になったトマトたち。
まるで家族のようだ。
元気だった頃のトマト家族。あの時は楽しかった。
ん?こ…、この並びは!
漫画“ドラゴンボール”のギニュー特戦隊だ!
リクーム!
トマト弟!
バータ!
トマト兄!
ジース!
トマト妻!
グルド!
トマト夫!
ギニュー!
トマト暮露!
5人そろって、ギニュー特戦隊!
5個そろって、トマト特売隊!
多くの収穫が見込めるようになると、母が、畑を中心にして雑草を取り始めた。
キュウリの茎が、どんどん伸びていく。まだまだ収穫できるということかな?
2016/07/23
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もう3年ほど前になるが、2013年5月26日〜7月15日まで宮城県美術館で催されていた、“ゴッホ展”を観覧したことがあった。私は、芸術鑑賞をする時に、心がけていることがある。まず最初は、説明書きを読まないで作品を鑑賞し、その後、説明書きを読んでから、もう一度、その作品を鑑賞するようにしているということである。なぜ、そのようなことをするのかというと、最初に説明書きを読んでしまうと、「この作品は、このように鑑賞するものだ」という先入観になってしまい、無制限の自由な鑑賞ができなくなるからである。 その作品の作者がどのような人生を送ったのか、その作品の市場での価格はいくらなのか、その作品がどのように生み出されたのか。そのような情報は、私にとっては不必要なものである。私は、その作品の真の価値を感じる為に最も必要なものは、“純粋な第一印象”だと思っている。私の方法で作品を鑑賞すると、「純粋な第一印象」と「予備知識を持った上での印象」という二つのものを手にすることができるが、初めから予備知識を持って作品を鑑賞してしまうと、純粋な第一印象は永久に失われてしまうのである。因みに、私は、美術鑑賞に関してはトンチンカンのド素人なので、美術を専門に研究しようと考えている方たちには、その道の専門家の指導に従うことを御勧めする。 余談ではあるが、この文章を書きながら、ふと、昔、誰かが言っていた言葉を思い出した。「母親の胎内から出て、この世を生まれて初めて見た時、俺はどう感じたのかなぁ…」と。永久に知ることのできない答えだということは分かっているが、知りたいことではある。 2016/07/24
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2016年5月2日、大型ウッドデッキが完成したので、本格的にイチゴの栽培をすることにした。
2016年5月6日、2年ほど前、イチゴの苗を三つ買ってきたのだが、そのうちの二つが枯れてしまった。そして、残りの一つも枯れたと思い、赤丸のあたりに放置したのだが、2年後、こんなイチゴ畑になってしまった。 一気に全てを栽培用に使ってしまうと、失敗した時に全滅してしまうので、リスクを分散するという意味で、そのまま地面に残すグループとプランターで栽培するグループに分けた。 上の写真は、プランターで栽培する為に掘り出した苗。この中から、花が咲いているものだけを選んでプランターに植える。 こんな感じ。
とりあえず、今年は8個のプランターを使って栽培する。
2016年5月19日、多くの花が咲いていた。
あっ!実がなり始めてる!
こっちにも!
2016年5月22日、おぉぉぉ〜!すげぇぇぇ〜!
こんなに!
因みに、赤い矢印の部分が実になる。
2016年5月28日、実がなっているかなぁぁぁ〜♪
おぉぉぉ〜!大きい!
いっぱいぃぃぃ〜!
こっちにも!
あっ!イチゴが食べられてる!
たぶん、鳥が食べたのだとは思うが…。
こんな姿になってしまって…。
あっ!1つだけ完熟してるっ!
ほれっ!
初めての収穫。
2016年6月5日、おぉぉぉ〜!
ひゃっほぉ〜!こんなにいっぱい!
ん?フフフ…。そんな所に隠れてもムダじゃ!
ほれっ!
イチゴ祭り in 暮露暮露庵。ん〜、この喜びを分かち合いたい。
喜び with シャクナゲ。
ちょうど咲いていた。
喜び with カエル。
ちょうど泳いでいた。
喜び with ヘビ。
ちょうど脱皮していた。
このイチゴの豊作を見て、“あいつ”が動き出した。
島根県の足立美術館で買った帽子をかぶり…。
今までイチゴの栽培に全く無関心だったにもかかわらず、さっさと収穫…。
私の母である。
おぉぉぉ〜!こんなに収穫できた!
近所のスーパーに売ろうとしている…。さすがだ…。
スーパーとの交渉が決裂したようなので、家で食べることにした。いっただっきまぁ〜す!
2016年6月10日、前回、全て収穫したのに、もう実がなってる!
しかも、こんなにいっぱい!
おぉぉぉ〜!大きくなるんだよぉ〜♪
2016年6月15日、この日は雨だったのだが…。
実が大きくなっていたので、気持ちは最高!
ほれっ!
ほれっ!!
ほれっ!!!
ほれっ!!!!
今日も大収穫!
まだまだ大きくなりそうな実がある。楽しみぃぃぃ〜!
…と思ったが、考えが甘かった。2016年6月19日、全体的にイチゴが傷んでいる。
大丈夫なイチゴもあったが…。
全体的に傷みが激しい。イチゴのシーズンは終わった…。
しかし、この栽培方法が正しかったことが証明された。来年はプランターをもっと増やして栽培することにする。
2016/07/28
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
ん〜、野菜たちが生長しすぎて、デジカメのフレームに入りきれなくなっている…。
ミニカボチャの幹が、こんなに伸びるとは思わなかった。
キュウリの幹も、どんどん伸びているので、とうとう大型ウッドデッキの単管パイプにからめた。
自然の畝のナス。
ちょっと元気がない…。
自然の畝のトマト。あっ!
実がなってる!
自然の畝のエダマメ。
自然の畝のカボチャ。
おぉぉぉ〜!自然の畝のキュウリがぁぁぁ〜!
米糠の畝のナス。順調である。
米糠の畝のトマト。
米糠の畝のエダマメ。
米糠の畝のキュウリ。
これも、米糠の畝のキュウリ。デジカメのフレームに入りきれない。
これは、肥料の畝のキュウリ。
うわっ!
すごい…。
これは、肥料の畝のトマト。
実が大きい。さすが大玉!
これは、肥料の畝のエダマメ。エダマメに関しては、全ての畝で収穫の時期を迎えた♪
これは、肥料の畝のカボチャ。
どんどん生長中。
因みに、ナスは完全に「肥料の畝 > 米糠の畝 > 自然の畝」である。
野菜の生長に合わせて雑草も生長しているので…。
何が何だか分からなくなってきた…。
本日の収穫を開始。うんとこどっこいしょ!(母方の祖母が遣っていた。“どっこいしょ”と同義)
ほいっ!
ん〜、腰が痛っ!
ほれっ!
カボチャにロック・オン♪
ほいさっ!
何が楽しいのか…。
一日中、雑草を取っている母…。
一日中、それを見ている私も暇だということか…。「少しは手伝え!」ってかっ♪
本日の自然の畝の収穫。たくさん収穫できたので…。
自画像で表現してみた♪ぷぷぷ…♪
こちらは、米糠の畝の収穫。こちらも収穫が多かったので…。
人類の進化を表現してみた♪
最後に、肥料の畝の収穫。生きていく為には農作物は必要不可欠。そこで…。
“命”という字を表現してみた。
これが、本日の全ての収穫♪
収穫後、昼も夜もこればっかり…。
エダマメに関しては、今回、全て収穫したので総括ができる。上の写真の状態を1個とすると、自然の畝で19個(45グラム)、米糠の畝で20個(35グラム)、肥料の畝で38個(45グラム)であった。同品種を同時期に植えて、同時期に収穫したので、ある程度は正確なデータと言えよう。米糠の畝のエダマメは、重量が低いので除外することができる。問題は、自然の畝と肥料の畝である。重量は45グラムで同じであるが、個体数は自然の畝が19個で、肥料の畝が38個。つまり、重量が同一、かつ、肥料の畝の個体数が自然の畝の個体数の約2倍なので、肥料の畝の実は自然の畝の実と比較して、成熟度が半分ということになる。この結果を見る限り、肥料と米糠は不必要であり、自然のまま育てるのが最良ということになる。 2016/07/31
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【 楽しく明るい失業日記 3 】
5月30日(月)、本日は“失業認定日”なので、仙台MTビルのハローワークで失業の認定をしてもらった。失業者は、原則として4週間に1回、指定された日に、失業状態であることを「失業認定申告書」でハローワークに申告しなければならない。これを“失業認定日”という。これを受けないと、基本手当の支給が遅れることになる。必要な書類は、「雇用保険受給資格者証」と「失業認定申告書」である。必要な書類を職員の方に提出して失業の状態であることを認定してもらい、その後、職員の方から10分ほど再就職に関する説明を聞いて終了。次は、6月13日(月)の前後に、「給付制限中相談のご案内」という書類を持って、ハローワークで職業相談を受ける予定である。
6月13日(月)、上の写真は、「給付制限中相談のご案内」という書類。失業者は、この書類を持ってハローワークに行き、職員の方に職業相談をしなければならない。ここでは、現在の就職活動の状況や今後の活動方針などを聞かれるのだが、この時点では、私は特に何をしたいのかを決めていなかった。すると、職員の方から、“職業訓練制度”というものがあることを教えてもらった。職業訓練制度とは、再就職を目指す失業者のスキルアップを図る制度のことである。職業訓練制度には、“公共職業訓練”と“求職者支援訓練”の2種類がある。簡単に説明すると、公共職業訓練は、雇用保険を受給している方の為の訓練で、求職者支援訓練は、雇用保険を受給していない方の為の訓練である。さらにザックリ説明すると、公共職業訓練は、現在、国から保証を受けている方の訓練で、求職者支援訓練は、現在、国から保証を受けていない方の訓練である。私は自己都合で退職したので、3ヶ月間の給付制限があるが、仮に、公共職業訓練を受けると、「@訓練の開始日から雇用保険の給付が受けられるAその訓練が終了するまで、雇用保険が延長になるB訓練を受けると1日あたり500円の受講料が支給される(ただし、40日分を上限とする)C交通費が支給される」などのメリットがある。ただし、公共職業訓練を受けるには、自己都合で退職した私の場合、「支給残日数が、所定給付日数の3分の1+1日以上」という条件がある。因みに、求職者支援訓練を受けると、「10万円/月額+交通費」などのメリットがあるが、受ける為には多くの厳しい条件をクリアしなければならない。 6月20日(月)、前回、公共職業訓練のパンフレットをいただいたのだが、応募条件である、「支給残日数が、所定給付日数の3分の1+1日以上」という言葉の意味が、どうもよく分からなかったので、再び仙台MTビルのハローワークに行った。疑問点は、“支給残日数”の解釈である。私は自己都合で退職したので、3ヶ月間の給付制限があり、現在は1円の支給もない。この3ヶ月間を含めた残日数なのか、それとも、給付制限が解除されてからの残日数なのか、ハローワークが発行している「受給資格者のしおり」には、詳しい説明が書かれていなかった。全ての資料に関して言えることなのだが、極めて役所的な表現が多数あり、私のようなトンチンカンのド素人では解釈に困ることも多い。上記の件を職員の方に確認したところ、簡単に説明すると、「国から支払われる予定の3分の2以上の金を受け取った人間はダメだよ〜♪」ということらしい。そういうことであれば、現在、1円も支給されていない私は完全に条件をクリアしているので、選択肢が1つ増えることになる。 そろそろ本格的に就職活動をしようと思い、ハローワークインターネットサービスで求人情報を検索していると、セラミックスの製造をしている工場が契約社員を求人していた。もともと私は、“ものづくり”に興味を持っていたので、「面白そうだなぁ〜♪」と思い、この工場の求人に応募する為、7月14日(木)、仙台MTビルのハローワークに行った。しかし、職業相談に来ている方の数が多く、待ち時間があったので、仙台MTビルのハローワークに設置してあるパソコンで求人情報を検索していると、エネルギー関係の業界新聞が、仙台支局の新聞記者を募集していた。現在は廃刊になってしまったが、以前、福祉関係の雑誌記者をしていたことがあったので、「へぇ〜、ネットに掲載してない募集もあるんだ…。面白そうだなぁ♪」と思い、ハローワークの職員の方に相談し、上記の2社の求人に応募する旨を各社に連絡してもらった。応募書類が会社に到着してから3日ほどで面接日などの連絡が来て、その10日後に選考結果が郵送されてくるとのことである。 ハローワークの雇用保険説明会では、職員の方から、「たいへん厳しい状況ですので、あまりゆっくりしている時間はないですよ」との説明があったので、求人に応募する為の封筒やら写真やらをたくさん用意した。履歴書はフォーマットを作成してパソコンに保存してあるので、その都度、志望動機などを新たに記入して印刷すればよい。職業相談をしている時、ハローワークの職員の方からは、「47歳ですか…、年齢的に少し厳しいですね…」との指摘があったが、そんなことを気にしていても若返ることはないので、気にするだけ時間の無駄である。どんなに時間がかかっても、「それでも良いですよ」と言ってくれる会社に行って真面目に働くだけである。 上の写真は、アメリカの俳優であるバディ・ハケットさんである。6月13日(月)、私の隣で職業相談をしていた女性が騒ぎだした。どうやら、会社と何かトラブルがあって退職したらしく、そのことに関して、職員の方に激しくクレームをつけていた。そして、その場で元の会社に電話して、「今、ハローワークに相談してますので!」などと声を荒げた。何があったかは知らないが、その理由に関わらず、そのようなことをしても何の得にもならない。過労死などの重大な問題が起こった場合は別として、「自分にとってメリットがあれば真面目に働けば良いし、メリットがなければ静かに退職すれば良い」。ただそれだけのことである。延々と自分の主張を繰り返したところで、延々と会社の欠点を主張し続けたところで、それが何かになるのであろうか?仮に、その主張が客観的に正しかったとしても、仮に、会社に重大な過失があったとしても、状況が好転するとは思えない。そんなに悪い会社であれば、やがて従業員の心は会社から離れていき、そんなにその女性が騒がなくても、そのうち自然に社会から淘汰されていくであろう。少しだけ会社の悪口を言って気持ちを整理し、早く新しい気持ちで再就職先を探した方が得策である。バディ・ハケットさんは、次のような言葉を残しているという。 「いつまでも人を恨んでいてはいけない。あなたが恨んでいる人は、人生を楽しんでいる」 と。 2016/08/01
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
7月24日、大型ウッドデッキからの風景。トマトが赤くなっている。そろそろ収穫の時期かな?
これは、自然の畝のナス。あまり順調に生長しているとは言えない…。
これは、米糠の畝のナス。こちらは順調に生長している。
おっ!花が咲いてる!因みに、赤い矢印の部分が、ナスの実になる。
これは、肥料の畝のナス。
こちらも花が咲いている。
あっ!実もなってる!
カボチャも順調に生長。
ほらっ♪
キュウリがいっぱい。
おぉぉぉ〜!
食べきれるかなぁ…。
食べごろのトマト。
おぉぉぉ〜!
トマトがいっぱい!早く赤くならないかなぁ〜♪
しかし、ここで困ったことが…。テントウムシが葉を食べて…。
こんな風にしてしまった…。しかも…。
こんなにいっぱい。「駆除してやる!」と思ったが…。
仲の良い姿を見ていると、なかなかねぇ…。トマトの実の生長に大きな影響がないようなので、これでOKとした。 トマトを収穫。
そして、キュウリを収穫。
And キュウリの収穫。
More キュウリの収穫。
ふふふ…、そんなところに隠れても無駄さ。
ほれっ♪
これは、自然の畝の収穫。
嬉しかったので、胴上げしてみた♪
これは、米糠の畝の収穫。
こちらは、ミレーの“落穂拾い”。
こちらは、暮露暮露の“収穫する人”。
これは、肥料の畝の収穫。ひょぉぉぉ〜!良い眺め♪
いやだぁ〜♪そんなに見つめたら、恥ずかしいじゃない♪
サザエさん♪サザエさん♪
サザエさ〜んは〜♪
愉快だなぁ〜♪
これが、本日の収穫♪
2016/08/07
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【 楽しく明るい失業日記 4 】
7月15日(金)の午後、履歴書をセラミックスの製造をしている工場と、エネルギー関係の新聞社に郵送した。7月16日〜18日は休日なので、各社で応募の対応をするのは19日のはずである。ハローワークの職員の方から、「応募書類が会社に到着してから3日ほどで面接日などの連絡が来て、その10日後に選考結果が郵送されてきます」との説明を受けていたのだが、20日にセラミックスの会社から電話があり、7月21日(木)の午前9時に面接をすることになった。そして、21日の午前9時からの面接を終えて帰宅した午後1時ごろ、担当者の方から採用の電話をいただき、7月25日(月)から出社することが決定した。再就職した場合、その入社日の前日までにハローワークに報告しなければならないので、慌てて仙台MTビルのハローワークに行って報告。その時、職員の方に、「恐らく、書類選考の途中だと思うのですが…」と言って、エネルギー関係の新聞社に断りの電話をしていただくよう依頼した。エネルギー関係の新聞社の給与は、セラミックスの会社より、月額12〜13万円ほど高かったのだが、特に残念だとは思わない。私は、自分が入社したいと思って応募した会社に順位はつけないので、「早く決定した会社に入社する」というのが基準になるからである。
再就職が決まった時、私の場合、「再就職手当の申請」と「健康保険の任意継続の資格喪失の手続き」をする必要がある。再就職手当とは、簡単に説明すると、失業者の早期の再就職を促す為、基本手当の所定給付日数を残した状態で再就職をした場合、残りの基本手当の一部が支給されるというものである。私は、この再就職手当が支給される可能性が高いので、「@再就職手当支給申請書+A雇用保険受給資格者証+B出勤簿またはタイムカードのコピー(雇入日から提出日前日分まで)」などの必要書類を、簡易書留でハローワークに郵送した(ハローワークに持参してもOK)。これらの書類の提出期限は入社日の翌日から1ヶ月以内であり、「再就職手当支給申請書」には、会社記入欄もあるので、早めに対応することが望ましい。ハローワークで私が提出した書類の内容を調査し、支給条件に該当することを確認した後、およそ一週間くらいで私の口座に再就職手当が入金されるようである。因みに、再就職手当の金額の計算式は、「基本手当の日額×所定給付日数の支給残日数×50%または60%」なので、私の場合、「4159円×120日×60%」となり、299448円が入金されることになる。 また、健康保険を任意継続にしていたので、その資格を喪失する為の書類を全国健康保険協会に提出しなければならない。必要な書類は、「@任意継続被保険者資格喪失申出書+A保険証+B新たに取得した保険証のコピー」である。因みに、失業した時、厚生年金保険から外れた為、国民年金に加入する手続きをしたが、こちらの方は、再就職に伴う特別な手続きは必要なかった。 その他、雇用保険には、「就業促進定着手当」というものがある。就業促進定着手当を簡単に説明すると、前職の最後の6ヶ月の賃金日額と、現職の入社後の6ヶ月の賃金日額を比較して、現職の方が低い場合、その差額を国が補填してくれるというものである。就業促進定着手当の金額の計算式は、「A=現職の入社後6ヶ月の賃金日額」、「B=前職の最後の6ヶ月の賃金日額」として、「(B−A)×再就職の日から6ヶ月間における賃金の支払いの基礎となった日数(月給制の場合は暦日数、日給制や時給制の場合は労働の日数)」である。 再就職の報告をしに仙台MTビルのハローワークに行った時、担当の職員の方が、やたらと私を褒め始めた。
そんなにすごいことではないと思いますが…。
たぶん、褒めてくれているんだとは思うけど…。
なんか…、その気になってきた…。
ぼ…、僕にも再就職できた…。
失業して感じたことを少しだけ記述してみる。リストラなどの会社都合で退職する場合は別として、自己都合で失業する場合は、ある程度の金銭を持っていないと苦しいと思う。昔は、「雇用保険制度を悪用し、『1年間だけ働いて会社を退職し、その後、半年間は雇用保険で楽しく暮らす』という生活を繰り返している人間たちがいる」という話を聞いたが、現在は法律が改正されて厳しくなっているので、そのようなことはできない。現在の雇用保険制度も、まだまだ多くの問題点が存在するのであろうが、甘やかし過ぎるわけでもなく、厳し過ぎるわけでもなく、「ちょうど良い制度かなぁ…」というのが率直な感想である。しかし、ブラック企業で働く人間の失業に関しては、特段の配慮が必要だと思う。ある程度の金銭を持っている人間は退職できるが、金銭を持っていない人間は、ずっとブラック企業の奴隷として働かなければならないなどという制度では困る。制度を厳しくすることも大切だとは思うが、一生懸命、真面目に働いているにも関わらず、自分の責任ではないところで不幸になっている人間を、政治家たちは真剣に助けてあげなければならない。 2016/08/08
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
7月30日、大型ウッドデッキからの風景。
おぉぉぉ〜!ト…、トマトがぁ〜!
キュウリもすごい!
ほらねっ♪
これは、米糠の畝のナス。
花が咲いている。もうすぐ実がなるぞっ♪
あっ、小さいけど実がなってる!
これは、肥料の畝のナス。おっ!
実がなってたぁ〜♪因みに、赤い矢印の部分は、トゲトゲしていて、とぉぉぉっても痛いよん♪
収穫する前に、買ってきたスイカを食べる♪
うまっ!来年は畑を拡張してスイカを栽培しよっと♪
それでは、本日の収穫を開始!
ほいさっ!
ほれっ!参ったか!
どこだ…、どこだ…。
見つけたっ!
ナスに関しては、初めての収穫♪
これは、自然の畝の収穫。
ウィリアム・テルのトマト版をやってみた。
これは、米糠の畝の収穫。
地中海を渡る難民の方たち。何とか助けてあげられないのかなぁ…。
これは、肥料の畝の収穫。
カキィィィ〜ン♪
イチローがヒットを打ちました!私は解説者のナスです。
今のヒットを、屋上のカメラの映像で分析してみましょう。
さすがイチロー選手!バットの芯で球を捉えています!
す…、すいません…。興奮して髪型が乱れてしまいました…。
これが、本日の収穫♪
自分で野菜を栽培してみて分かったのだが、個々の野菜の大きさや形を統一することは、かなり難しいことである。昔は、「味に問題がないのだから、大きさや形なんか気にしなくていいのに…」と思っていたが、今は、そうは思っていない。上の写真の商品Aと商品Bを、「大きさや形はバラバラですが、味は同じですし、重さも同じなので問題ありません」と言って売っていた場合、果たして、日本の消費者が買うであろうか?同じ大きさの野菜・同じ形の野菜であった方が、店側も販売しやすいし、消費者側も購入しやすいのである。
2016/08/09
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若い方たちは知らないと思うが、上の写真は、ビデオテープ・レコーダーというテレビ番組を録画する為の機械である。現在、私は、ハードディスク・レコーダーを使っているのだが、最近、ふと、「録画した番組を1回も観ないで消去していることがあるなぁ…」ということに気づいた。昔は、VHSという形式のビデオテープ・レコーダーが主流であり、2時間録画用のビデオテープを買ってくれば、標準モード(高画質)で2時間、3倍モード(低画質)で6時間の録画ができた。自分が観たい番組の前にプロ野球の放送がある場合の予約録画は、緊張したものである。なぜなら、試合の放送が延長されることが多かったので、設定していた予約録画の開始時間がズレてしまうからである。また、予約録画をする時も、「○月○日、○曜日、午前・午後、○○:○○〜○○:○○」と細かく設定しなければならず、設定後、何度も間違いがないかを確認した。 今も貧乏だが、学生時代はもっと貧乏だったので、録画する為の高価なビデオテープの本数には限りがあった。だから、本当に観たい番組だけを精選して録画したのである。もし、観たい番組が二つ重なった場合は、その1つをライブ放送で観ながら、もう1つを録画した。そして、観たい番組が三つ重なってライブ放送でも観ることができない場合は、涙をのんで1つの番組だけを選択して録画した。その為、録画した番組は必ず観ていたのである。 一方、ハードディスク・レコーダーは複数の番組を同時に録画できる上、何十時間もの録画ができる大容量である。しかも、野球放送などが延長された場合は、自動的に予約録画の開始時間を修正してくれる機能があり、その予約録画の設定も、機械に連動している番組表からするという簡単なものである。その為、私は、知らず知らずのうちに、「まぁ、とりあえず録画しておいて、観なかったら消せばいいや」と思うようになり、“真剣に番組を録画する”という行為をしなくなってしまった。「もしかしたら、ビデオテープ・レコーダー以外のことでも、同じようなことが私の身に起こっているのでは?」と考えると、ゾッとしてしまう。何か1つ便利になるということは、何か1つ、または、それ以上の大切なものを失うということなのかもしれない。現在、私は便利さと引き換えに、どれだけ多くのものを失っているのだろうか? 2016/08/14
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
8月6日、大型ウッドデッキからの風景。
これは、自然の畝のナス。まだ花すら咲いていない…。
これは、自然の畝のキュウリ。スカスカになってきた。もうキュウリのシーズンも終了かなぁ。
実はなっているのだが、本数が少ない。
これは、米糠の畝のナス。
おぉぉぉ〜!3本も実がなってる!
これは、米糠の畝のトマト。
これは、米糠の畝のキュウリ。こちらも、自然の畝と同様にスカスカ。
こちらも本数は少ない…。
これは、肥料の畝のキュウリ。
さすが肥料。たくさん実がなっている。
これは、肥料の畝のナス。まだ1本しかなっていない。
しかし、もうすぐ実になりそうなものもある。
これは、肥料の畝のトマト。いくつか収穫できそうだ。
トマトに関しては、まだ青いものが多いので収穫はできない。
ここで1つ疑問に思うことがある。上の図のように、小さくても完熟するトマトと、大きいのに青いままのトマトの違いは何なのであろうか?トマトの大きさと完熟の間には、どんな基準があるのだろう? これは、自然の畝の収穫。
本日、仙台は34℃という記録的な猛暑。“氷”という文字を書いて涼をとった。
そして、この涼を Wi-Fi で全国の皆様にお届けした♪
これは、米糠の畝の収穫。
ナスの仲良し3姉妹を…。
体重で分けてみた。
これは、肥料の畝の収穫。おぉぉぉ〜!さすが肥料の力!
この豊作で何だか楽しくなってきた♪
気分はサーフィン♪まず沖に出て…。
おっ!良い波が来た!
ひゃっほ〜!サーフィンUSA♪
「もう夕方だから帰ろう」と言っているのだが…。
全く帰る気配がなく…。
泉ヶ岳に太陽が沈んでしまった。
これが、本日の収穫♪
2016/08/17
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7月31日、大相撲の元横綱・千代の富士である九重親方(=本名・秋元貢=あきもと・みつぐ=享年61歳)が死んだことに対し、歌手である松山千春さんは、「バカか貢!おまえは、やることがまだいっぱいあっただろ!」とコメントしたという。この時、以前、“松山千春の ON THE RADIO”というラジオ番組で、松山さんが次のようなことを言っていたのを思い出した。「誰か助けてくれる人間がいる奴は、そいつのところに行け!誰も助けてくれる人間がいなくなったら、俺のところに来い!」と。2002年、様々な疑惑の渦中にあった衆議院議員である鈴木宗男さんは、日本中から非難を浴びていたのだが、松山さんが、鈴木さんを応援し続けたことは周知の事実である。当時、日本中を敵に回していた鈴木さんを応援することは、同郷のよしみとはいえ、かなりのリスクだったと思うのだが、松山さんの行動は徹底していた。 現在、鈴木さんに関する裁判は、最高裁判所で有罪判決が確定している。当時、かなり黒い部分があった鈴木さんを応援している松山さんに対して、強い非難があったことは容易に想像できる。確かに、非難したくなる気持ちも十分に理解できるのだが、弱い立場の人間を助けているという視点から見れば、その非難は的外れのようにも思う。もし、私が松山さんに、「もう誰も助けてくれる人がいません。助けてください」と言ったら、松山さんは、笑って私を助けてくれるような気がする。つまり、どんなに、松山さんが様々な問題で非難されていようとも、私は松山さんを、“信用のできる人間”として評価しているということである。 2016/08/18
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
8月13日、全体的にトマトが赤くなり始めた。
これは、自然の畝のナス。
やっと花が咲いた。
これは、自然の畝のトマト。美味しそぉぉぉ〜!
自然の畝のミニカボチャは実がゼロ。シーズン終了か?
自然の畝のキュウリも、ほぼシーズン終了。
これは、米糠の畝のナス。
おぉぉぉ〜!実がなってる。
米糠の畝のトマトも順調に実がなっている。
米糠の畝のミニカボチャも実がゼロ。こちらも、シーズン終了か?
米糠の畝のキュウリも、ほぼシーズン終了。
肥料の畝のキュウリは順調に実がなっている。
これは、肥料の畝のナス。
こちらも実がなっている。
これは、自然の畝の収穫。チッ!たったこれだけか…。
何てことを言うんだ!もっとよく見てみろ。“量”より“質”じゃ。
ん?
こ…、これは!ハート形のトマトだ!珍しい!
これは、米糠の畝の収穫。
落石に注意。
これは、肥料の畝の収穫。
これは、日本のグラビア・アイドル。
これは、陸奥之国のグラビア・アイドル。
収穫後の風景。全体的にシーズン終了に向かっているという印象。
キュウリの実も生長が鈍い。
でも、まだ必死に花を咲かせようとしているキュウリもある。自然の力強さを感じる♪立派だ。
ミニカボチャはシーズンが終了したと判断した。
根から引っこ抜いた。
自然の畝と米糠の畝のミニカボチャは終了。
今回の収穫♪
2016/08/21
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現在、私は、セラミックスの製造工場で契約社員として働いているが、その前の17年間は、警備業で警備員として働いていた。よく、「なぜ、警備員になったんですか?」と聞かれるのだが、一言で答えると、「自由になる時間が欲しかったから」ということになる。警備員の仕事内容は、各現場によっても違うのだが、私の場合、4時間の仮眠を含む24時間の勤務をする現場が多かった。上の図のように、24時間の勤務をした翌日は、“明け”と呼ばれる体を休める日となるのだが、若い時は体力があったので、「明け+公休」を2連休と考え、伝説の研究の為、頻繁に宮城県内を走り回ったものである。 確かに、警備員は低所得の仕事ではあるが、「@平日が休みになるなど時間の融通が利くA明けの日を公休と考えると、1ヶ月に10日しか働かないB仕事内容が簡単であり、家にまで仕事を持ち帰るということがないC夜間は自由になる多くの時間がある」など、私にとって有利な条件が多かった。悪いことではあるが、夜間の暇な時間に伝説の資料を読んだり、パソコンがある現場ではウェブサイトの編集作業をさせてもらったこともあった。それくらい多くの自由な時間を手にしていたのである。しかし、40歳を過ぎたあたりから体力の低下を感じ始めた上、慢性的な人手不足の為、1ヶ月の残業時間が40〜60時間に達することもあったので、「もはや、これ以上、警備業に留まるのは危険」と判断し、警備業を去ることにした。 現在の会社は、ほとんど残業がない日勤(月〜金曜日の8:30〜17:30)なので、たいへん健康的である。警備員の時は、1日中、眠いということがあったが、日勤の現在は、朝6:00に自然に目が覚め、夜11:00には寝るという規則正しい生活であり、昼間に眠いということが全くない。いかに、夜勤という仕事が苦しいものであったのかが分かる。しかし、警備業という職種なしには、伝承之蔵は誕生しなかったと言っても過言ではない。私にとっては最良の仕事であったと思う。低所得で簡単な仕事の為、社会的な地位は低く、世の中からは軽視されることも多いようであるが、そんな仕事も、こんな仕事も、使い方しだいで黄金にもゴミにもなるものである。つまり、最終的には仕事自体の問題ではなく、自分自身の生き方の問題であり、警備員という仕事を黄金にするのもゴミにするのも、自分しだいということである。 1980年10月5日、歌手であった山口百恵さんは、ステージにマイクを置いて芸能界を引退した。
2016年4月25日、暮露暮露は、防災センターに警戒棒を置いて警備業界を引退した。
2016/08/22
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上の写真は、リオデジャネイロ五輪のバドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得した、高橋礼華(=たかはし・あやか)さんと松友美佐紀(=まつとも・みさき)さんである。彼女たちは、圧倒的に不利であった終盤戦の時の感想を、「正直、もう負けるかなと思った」「一瞬、負けちゃうかと思った」と試合後のインタビューで語っている。その記事を読んでいて、ふと、父方の伯父であるK叔父の葬儀の時、曹洞宗の住職から聞いた言葉を思い出した。 曹洞宗には、“発心百万回”という言葉があるという。発心とは、何かを始めようとする志のこと。曹洞宗の開祖である道元は、人間の心というものを、「たいへん弱いものなので、何かを始めたとしても、すぐに諦めようとする」ものだと認識し、そのことを是としていた。大切なのは、もし、「ダメだ…、これ以上はできない」と思って諦めても、すぐに、「いや、きっと自分にはできるはずだ!」と発心すること。つまり、999999回、自分の弱い心が現われて諦めたとしても、1000000回、発心して自分の弱い心を打ち消せば、それは志を貫いたことになるというのである。 私は、道元のことを、「心に決めたことは、迷うことなく、何が何でも徹頭徹尾やり通す」という、鋼の意思を持っていた人間だと思っていたのだが、どうも、そのイメージとは少し違い、たいへん心の弱い、私たちと特に変わることのない普通の人間のようである。それでは、世に一流と呼ばれている人間たちと、私たちとの間にある違いは何なのであろうか?それは、「心の弱い自分を認め、たとえ一度は諦めたとしても、できるまで何回も何回も挑戦する」。たったそれだけ。たったそれだけの違いである。 2016/08/27
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
8月21日、大型ウッドデッキからの風景。
これは、自然の畝のナス。
花は咲くのだが、今までに実は1つもなっていない。
これは、自然の畝のトマト。
これは、自然の畝のキュウリ。シーズン終了のようである。
これは、米糠の畝のナス。前回の収穫の後、実はなっていない。
これは、米糠の畝のトマト。
これは、米糠の畝のキュウリ。こちらもシーズン終了のようである。
これは、肥料の畝のキュウリ。
さすがに、生長が鈍っている。
ちゃんと生長しているキュウリもあるが、こちらもシーズン終了のようである。
これは、肥料の畝のトマト。
これは、肥料の畝のミニカボチャ。1つだけ実がなっていた。ミニカボチャもシーズン終了。
これは、自然の畝の収穫。
トマトを収穫するキュウリ♪
これは、米糠の畝の収穫。
トマトで干し柿を表現してみた♪
これは、肥料の畝の収穫。
キュウリにサンバを踊らせてみた♪リオデジャネイロ五輪の日本代表選手団の皆さん、お疲れさまでした♪
こ、これは…。
トマトの世界の…。
ヤ○ザ屋さんか?トマトにも、そんな世界があったとは…。
これが、本日の収穫♪
ミニカボチャの収穫は、自然の畝で3個(645グラム)、米糠の畝で2個(510グラム)、肥料の畝で8個(2150グラム)であった。キュウリと同様に、概ね、「自然の畝 + 米糠の畝 ≒ 肥料の畝」という結果であり、ミニカボチャでも、やはり肥料の効果は大きい。ミニカボチャに関しては、総個体数が少ない為、肥料を使用して育てるのが最良であろう。 この結果を見る限り、キュウリとミニカボチャに関しては、肥料を使用すれば、その効果が大きいことが証明された。あとは、自分に必要な分量を設定して栽培の方法を選択すれば良い。 8月21日、本日は35℃という記録的な猛暑。
ん?何だ?
あっ!カエルが土下座してる!
「た…、頼む…。クーラーを買ってケロ…」。
クーラーを買うお金がないので、せめて簾(すだれ)を作ることにした。2メートルの単管パイプを買ってきて…。
大型ウッドデッキの手すりに固定。
物干し竿に簾をつけて…。
ほいっ!完成!
雨に濡れても大丈夫なように、プラスチック製のイスを買ってきた。
こんな感じで重ねられるので便利♪
おぉぉぉ〜!省スペースが実現!
こんな感じ。
簾は完成したのだが…。あれだけ晴れていた空が急に曇ってきて…。
そよ風が吹いて涼しくなっていた…。
2016/08/29
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上の写真は、リオデジャネイロ五輪のレスリング女子の決勝で敗れた吉田沙保里(=よしだ・さおり)さんである。吉田さんが試合後、さらには、表彰式の時にも悔し涙を流していたことに関して、タレントのミッツ・マングローブさんが、「しらけちゃって、一粒も涙が出なかった。マラソンのふざけた人(1992年、バルセロナ五輪の男子マラソンでレース中に転倒して8位に終わった谷口浩美さんのこと)の方が泣けましたよ」とコメントしたことに対し、日本中から非難の声が上がっていると伝えるメディアがあった。本当に日本中から非難の声が上がっているのかは疑問であるが、そのような発言があったことは事実のようである。 確かに、ミッツさんの主張は言い過ぎだとは思うが、全てが的外れかというとそうでもない。全てのスポーツ競技は、試合だけで評価されるのではなく、試合前や試合後、その全てを含めて評価されるものである。特に表彰式は、個人の感情を表現する場ではなく、メダルを獲得した選手とそれを支えてきた人間に対して敬意を払う場なので、あの場での吉田さんの泣き方は、いささか場違いのような気がする。もっとも、すでに吉田さんはそのことを十分に理解して反省しているとは思うが、その部分に関する指摘は甘んじて受けるべきであろう。 吉田さんは、もう何年も試合に負けていないとのことなので、負けた時の対応の仕方を忘れてしまったのかもしれない。試合後のインタビューで、“霊長類最強の女”と称される吉田さんが狼狽しているのを観て、私は、その姿に人間味を感じてホッとした。恐らく、あのインタビューで語ったことは、彼女の本心なのであろう。試合に負けて失ったものもあるとは思うが、新たに得たものもある。今回の経験で、吉田さんは、敗れ去った者に対する配慮が、今まで以上にできるようになったはずである。 次世代のレスリング女子を担う人材も、順調に育っているようである。吉田さんの背中を追ってきた後輩たちは次々にメダルを獲得し、決勝で対戦したアメリカのマルーリスさんにとっても、吉田さんは憧れの存在であったという。日本の政治家である後藤新平は、次のような言葉を残している。 「金を残して死ぬ奴は“下”だ。仕事を残して死ぬ人は、まぁ、“中”だな。人を残して死ぬ人は、“上”だよ」と。 たとえ、吉田さんが金メダルを獲得できなくても、銀メダルを獲得できなくても、銅メダルを獲得できなくても、オリンピックに出場できなくても、レスリングに関する全てを失ったとしても、吉田さんには、心ある者が残るのである。 2016/08/27
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
8月28日、今年もジャングルのようになってきたので、刈り払機で雑草を切ることにした。
ほぼ1年ぶりの刈り払機。ほとんど使用していないので故障していた。
エンジンを始動する為に赤丸の部分を引くのだが、なぜか引けない…。
ネジを外して分解し、内部を見てみたが、特に異常はなかったので元に戻したところ、何もしていないのに直っていた。どこをどう直したのかは不明だが、とにかく直ったのでエンジンを始動。 完了!
こんな感じ。
階段付近も少しだけやった。
サッパリ♪後日、雑草が乾燥したら1ヶ所に集めて焼却する予定。
大型ウッドデッキからの風景。上の写真は収穫後のもの。雑草を取り除いて疲れたので、それぞれの畝の写真を撮るのを忘れた…。 これは、自然の畝の収穫。
うっ!赤いトマトが攻めてきた…。すごい威圧感だ!
フフフ…。それっ!
勝ったぁ〜!
ハハハ!“オセロの理論”だ!
ん?し…、しまった!
1列に並ぶと全てが消えるという“ぷよぷよの理論”を忘れてた…。
これは、米糠の畝の収穫。
ホップ♪ステップ♪ジャンプ♪
これは、肥料の畝の収穫。
おぉぉぉ〜!これが、エジプトのピラミッドか♪
前回、根っ子から引き抜いたミニカボチャの茎に実がなっていた。
大きさは小さいのだが、根が無くなった後も生長を続けていたとは驚きである。
これが、本日の収穫♪
もうすぐ全ての畝でシーズンが終わる。そろそろ最終報告の準備をしておかなければ…。
収穫した野菜を糠漬けにすることにしたので、いつもの通り近くにあるコイン精米所に行って…。
お言葉に甘えて…。
こんなにもらってきた♪
この容器に糠床を作る。因みに、糠と水は同量。塩は糠に対して13%にした。
こんな感じ♪
2016/09/05
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「最近の若者は!」とは、昔からよく聞かれる言葉であるが、その逆も多いというのが私の個人的な感想である。私は、ミニストップの“挽きたてコーヒー”を買うことが多いのだが、このコーヒーは、上の写真のようなカップを買ってから全自動コーヒーメーカーにセットし、自分でコーヒーを入れなければならない。先日、そのコーヒーを買おうとしたところ、ある中年の男性客が大きな声で店員さんに怒っていた。その男性客の主張は、「コーヒーのカップの蓋(ふた)を取り忘れてコーヒーを注入してしまった為、飲むことができなかった。金を返せ!」とのこと。その男性客の奥さんが恥ずかしそうに止めているにも関わらず、「責任者に会わせろ!」「あんたの謝り方が気に入らない。どういう社員教育をしているんだ!」と叫び、それはそれは大騒ぎであった。私が見た限り、確かに態度の悪い店員さんではあったが、だからと言って怒鳴って良いという根拠にはならない。そもそも、そのコーヒーメーカーには、「ふたを取ってから入れてね♪」という店員さんの手書きの注意書きが貼ってあるし、たとえ注意書きが無かったとしても、カップの蓋を取らないでコーヒーを入れればどうなるかは、子供でも分かることである。「すいません。失敗したので、もう一杯ください」と言って、もう一度、同じものを買えば済むことだと思うのだが、その男性客は、たった100円の回収に固執した為、周りのお客さんから、「ふ〜ん、あの人は“そういう人間”なんだ」と思われた上、クスクス失笑されるに至ってしまった。 その男性客の姿を見ていて、昔、私が警備員をしていた時のことを思い出した。警備員には、ふだん常駐している現場とは別に、通称“臨警=りんけい”と呼ばれている、1〜2日のみの短期間の臨時警備がある。私が、イオンモール利府での福引に伴う臨警で列の整理をしていた時、ある母親が、列の先頭の方で、私ではない警備員に怒鳴り始めた。その理由が、ほとんど言いがかりに近かった為、その母親の高校生くらいの娘さんが、「やめてよ!恥ずかしいじゃない!お母さんが悪いんでしょ!自分の言っていることが分かってるの!」と窘(たしな)めたのだが、その母親は反省するどころか、その警備員に向かって、「ほらっ!あなたのせいで娘に怒られたじゃない!どうしてくれるのよ!」と、さらに怒鳴り続けた。さすがの娘も、この一言には衝撃を受けたらしく、恥ずかしそうにしながら、その場から走り去っていった。その様子を見ていた私は、近くにいたお客さんたちとゲラゲラ笑いながら次のように話した。「どっちが大人で、どっちが子供なんだか♪」と。 2016/09/11
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
9月3日、大型ウッドデッキからの風景。
たぶん鳥だと思うのだが、トマトが食べられていた。今年から始めた畑なので動物たちもこの場所には気づいていないと思っていたが、とうとう気づかれてしまったようだ。今年のシーズンは終了が近いので良いが、動物たちがこの畑の場所を記憶したとすると、来年からは防御しなければならない。 鳥が食べた後は、虫たちが食べ始めるようである。
赤丸は、肥料の畝から落ちたトマト。これも鳥に落とされたのだろうか?
これは、自然の畝から落ちたトマト。こちらは自然に落ちたのだろうか?全く傷が付いていない。
普通に見えるが、かなり鳥に荒らされている。
こんな感じ。
生長の途中で落ちてしまったトマトもあった。
順調に生長しているように見えるが…。
かなり傷んでいる。
もはやシーズンは終了したようである。
ナスは順調に生長している。
左のトマトは、自然の畝のもの。右のトマトは、肥料の畝のもの。鳥は、自然の畝のトマトは食べずに、肥料の畝のトマトだけを食べている。これは、肥料によるトマトの栄養価と何か関係があるのだろうか? 私が鳥の被害で苦しんでいる時、母は、のんびりして人生を楽しんでいた。
こんな感じ。そして一言。「この土地は買って正解だったねぇ〜。極楽♪極楽♪」。
これは、自然の畝の収穫。
ん〜、何を表現しようかなぁ〜。
おっ?
おぉぉぉ〜!信号機だ!
これは、米糠の畝の収穫。
収穫量が少なすぎてイメージが浮かばない…。
ん〜。
も…、もしかして…、アイディアが枯れた?
枯れてしまったのか…。
これは、肥料の畝の収穫。
美味しそうに見えるトマトだが…。
裏側は、こんな感じ。ん?こ…、これは!
ゾンビだ!トマトの世界のゾンビだ!
懐かしいぃぃぃ〜!アメリカ映画“DAWN OF THE DEAD”を引用するとは!
ナスの茎を見ていて、「こんなに太くなるんだっけ?」と思ったので、お隣のMさんの畑に行ってみた。
これは、お隣のMさんの畑のナス。やはり、私の畑のナスよりは茎が細い。こちらの方が正常だと思うのだが…。なぜ、私の畑のナスは、あんなに大きくなってしまったのだろうか? これが、本日の収穫♪収穫量が減少した上、かなり傷んでいるものがあった。
こんな感じ。
もうすぐ全ての畝でシーズンが終わる。そろそろ最終報告の準備をしておかなければ…。
2016/09/12
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【 セラミックス工場 episode 1 】 現在、私はセラミックスの製造をしている工場の契約社員として働いているのだが、いろいろなタイプの人間が働いていて実に面白い。そこで、私が工場で見たり聞いたりしたことを、そのまま記述してみることにした。私が所属しているグループは主に体力を使う仕事なので、いつまで私の体が耐えられるかは不明である。長くても3〜5年といったところであろうか。しかし、会社は気に入っているので、体力が続く限り勤めたいと思っている。 セラミックスの工場では、その原料となる粉を大量に保管している。上の写真が、その粉を保管している大きな棚。よく見てみると分かるのだが、上の写真の壁には、大きな穴があいている。いつも原料を取る時、「あの穴は、何なのかなぁ?」と思っていたのだが、先日、やっと、その答えが分かった。私が、棚の一番上に置いてあった原料を取る為に小型のリフトを使った時、機械オンチの私は操作に悪戦苦闘し、周辺の設備にぶつけないように慎重にリフトを運転していた。すると、同僚のYさんが近づいてきて、「ぶつけても良いですよ」と言ってくれた。Yさんの話によると、Yさんが新人だった時、先輩たちから、「どんどん、ぶつけても良いぞ。ただし、人間にだけはぶつけるなよ」と教えられたという。そして、Yさんは、「先輩たちが良かったのかもしれませんね」と振り返っていた。 昔も今も、子供や後輩たちの失敗を嫌う大人たちは多い。そのような大人たちは、失敗した人間を見ると、「あいつはダメだ。使えない」と言って、諦めてしまう傾向がある。しかし、古今東西、失敗しないで成長したという人間を私は聞いたことがない。今までは、その壁の穴を見ると、「なんで直さないのかなぁ…」と思っていたが、その話を聞いた後は、その穴が、「これだけ穴をあけないと、上手くなれないんだぞ!」と言っているようで、「そのままでも良いかな♪」と思って、ニコニコしてしまうようになった。その先輩たちの寛容さが、Yさんを好青年に育てたのだと思う。後輩たちをみれば、先輩たちが分かる。子供たちを見れば、親たちが分かる。全てがそうだとは思わないが、全く根拠のないことだとも思わない。 2016/09/18
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
9月10日、大型ウッドデッキからの風景。
トマトが全滅していた…。
これも。
これも。
これも。
これも。
これも。
ナスは順調に生長している。
本日の収穫はナスのみ♪(肥料の畝から1本、米糠の畝から2本、自然の畝から2本)
水源まで行けるように、刈り払機で雑草を切った。
百九十一高地も雑草だらけ…。
サッパリ♪
ホップ♪
ステップ♪
ジャンプ♪
おぉぉぉ〜!
良い眺め♪
It is a jungle region.
サッパリ♪
おぉぉぉ〜♪
もうすぐ水源。
到着!
毎年のことだが、イノシシに荒らされていた…。
今日は、水を使用可能な状態にして終了。
こんな感じ♪
2016/09/20
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【 セラミックス工場 episode 2 】 現在、私はセラミックスの製造をしている工場の契約社員として働いているのだが、いろいろなタイプの人間が働いていて実に面白い。そこで、私が工場で見たり聞いたりしたことを、そのまま記述してみることにした。私が所属しているグループは主に体力を使う仕事なので、いつまで私の体が耐えられるかは不明である。長くても3〜5年といったところであろうか。しかし、会社は気に入っているので、体力が続く限り勤めたいと思っている。 以前、同じグループの同僚であるMさんが遅刻したことがあったのだが、私が、その理由を聞いた時、Mさんは、「車のタイヤがバーストしてしまって…」と答えた。バーストとは、“burst”であり、破裂するという意味の単語である。私は、「俺が若い頃は、“パンク”と言ったんだけどなぁ…」と思ったので、Mさんに、「Mさんの周りでは、バーストっていうの?」と聞いたところ、「ええ、そう言います」とのことであった。さらに私が、「パンクとは言わないの?」と聞くと、「パンクとも言いますが、バーストの方が多いです」という答えが返ってきた。その答えを聞いた時、ふと、私の座右の書である徒然草の第二十二段を思い出した。 徒然草第 第二十二段
何事も古き世のみぞ慕しき。今様はむげに賤しうこそ成行くめれ。
かの木の道の匠の作れるうつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。 文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、くちをしうこそなりもて行くなれ。「いにしへは、「車もたげよ」「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もちあげよ」「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「立あかし白くせよ」と言ひ、最勝講の御聴聞所なるをば、「御講の廬」とこそ言ふを、「講廬」など言ふ、くちをし」とぞ、古人は仰られし。 底本:新日本古典文学大系「方丈記徒然草」
暮露暮露の口語訳
何事も、古い世ばかりが慕わしく感じるものだ。現代風のものは、ひどく下品なものになってしまっている。
あの源氏物語に登場する木工の職人が作った美しい器も、昔風の姿だからこそ趣があるのだ。 手紙の言葉遣いなども、古い時代の手紙の方が素晴らしい。それに比べて、現代風の話し言葉は、感心しないものになってしまっている。「昔は、牛車に牛を付ける前に、車から長く突き出た二本の棒を持ち上げることを“車もたげよ”と言い、灯火の灯心を掻き立てることを“火かかげよ”と言っていたが、現代風の人たちは、“持ち上げよ”とか、“かきあげよ”と言っている。また、『主殿寮の人々よ、立て』と言うべきところを、『立て置いて火を灯している松明を、明るくなるように焚け』と言ったり、最勝講という法会で天皇が論議を聴聞する場所は、本来、“御講の廬”と言うべきなのに、“講廬”などと省略して言っているのは、残念なことだ」と、古老が仰っていた。 どのような言葉を遣うかは、その時代時代によって変わっていくものである。遣っていた言葉が変わることに関して、「最近の若者は…。そんな言葉を遣わなくても、昔のままでいいじゃないか…」と思う昭和時代に生まれた人間も多いとは思うが、私は、平成に生まれた人間の新しい言葉を歓迎する。慣れ親しんだパンクという言葉を遣われると、その場をリアルにイメージしてしまう為、「なんか…、嫌だなぁ…」と思ってしまうが、バーストという聞き慣れない新鮮な言葉を遣われると、「 burst? カッコ良いなぁ。ちょっと、burst してみたいなぁ…」と思ったりもするからである。徒然草が成立したのは、平安時代の末期である。その頃、先人たちは、若者たちの新しい言葉遣いを嘆いていたようである。そして、約800年が経過した現在も、私たちは、先人たちと同じことを繰り返している。何とも面白い話である。私を含む昭和時代に生まれた人間たちの頑固さが、平安時代に生まれた人間たちの頑固さが、何とも可愛らしい♪ 2016/09/23
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1980年、今から約35年ほど前、私が小学生だった時、6面を全て同じ色にして完成させる“ルービックキューブ”と呼ばれる玩具が日本中で大ブームとなった。発売初日、私は、デパートの開店と同時に入口のドアを強引に突破してオモチャ売り場まで猛ダッシュし、一番乗りでルービックキューブを買ったのを覚えている。先日、近所の100円ショップの玩具コーナーで、偶然、ルービックキューブを見つけ、「おぉぉぉ〜!懐かしい!」と思った私は、ついつい衝動買いしてしまった。因みに、上の写真では“ puzzle cube ”となっているが、ルービックキューブと同じものである。 それほど熱中した玩具なのだが、実は、あまり良い思い出がない。ある日、なかなか6面を揃えることができなかった私は、イライラした後、シールを張り替えて自分が6面を揃えたように偽装し、「6面が揃ったよ♪」と言って、母親に自慢した。すると、当然のことだが、これを知った母親は烈火の如く怒り、「なんで、そんな卑怯なことをするのよ!そんなことをして6面が揃っても何の意味もないのよ!お前はそれで嬉しいの!」と言い放った。記憶が曖昧なのだが、結局、6面を揃えることができなかったような気がする。今回、ルービックキューブを買ったのは、心に残っているモヤモヤを払拭し、その汚名を返上する為の挑戦でもある。 先ずはバラバラにして♪
1時間経過。ん〜、なかなかだねぇ〜♪
1面だけクリア♪
2時間経過。ちょっと休憩してからにしよう…。
フムフム…、なるほど…。
3時間経過…。この野郎…。
4時間経過…。イライライライライライライライラ…。
そうか!これは玩具ではなくインテリアだったんだ!ハハハ、諸君!発想の転換だよ!時代は柔軟な発想ができる人間を求めているんだ! 上の写真は、戦国時代の武将である武田信玄である。信玄は、 「人は、童子の時より知れり」 という言葉を残したという。平成28年9月24日、35年が経過した現在も、子供の頃と何も変わらない暮露暮露であった。 2016/09/25
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今年から初めて本格的に野菜づくりに着手した。上の図は、今まで掲載した畑に関する基本事項である。
9月17日、最後に残ったナスの全景。
順調に生長してくれた。
本日の収穫♪(肥料の畝から1本、米糠の畝から3本)
収穫した後、全てのナスの根を引っこ抜いた。左側から、肥料の畝・米糠の畝・自然の畝。
これは、自然の畝のナス。
これは、米糠の畝のナス。もっとも大きく成長した。
これは、肥料の畝のナス。
今年はこれで終了♪3ヶ月の間、楽しませてくれて、ありがとうございました。来年もヨロシクおねがいします♪
「みなさん♪」。
「どうも♪」。
「ありがとう♪」。
「ございました♪」。
「来年もヨロシクお願い致しま〜す♪」。ん〜、感動のカーテンコールだ♪
後日、最終報告をします。
時間が余ったので、少しだけ水源の整備をすることにした。
ん〜、刈り払機の威力は絶大だ。
楽に水源まで行けるようになった♪
ホイッ!水源♪
水源までの道幅を拡張したかったのだが、赤丸の切り株が邪魔で、今まで整備ができなかった。
これが、その邪魔な切り株。水源までの道幅の拡張は、ここ数年間の悲願であった。
切り株は、しっかりと大地に根を張っているので、大型の重機を使わないと撤去できない。その為、お金も重機もない私には、時間をかけて撤去するしか方法はない。その方法は以下の通りである。まず、上の図のように、切り株にブルーシートを被せて雨風から切り株を守る。すると、風雨と外敵から隔絶された切り株に蟻が巣を作り、切り株を食べてくれるというもの。 蟻が切り株を食べてスカスカになった後、鉄のハンマーで切り株を叩く。
少し叩いただけで簡単に取れた。
ホレホレ♪撤去が完了♪
こんな感じ♪
これで水源までの道幅が拡張できるようになった。
ここは、奥にある水源。ここに池を作る♪
土留めをして水が流れないようにする。
こんな感じ♪
水が、どのくらいの高さまで溜まるかを実験してみる。
ここ数日の雨で、水源から流れる水量が増えている。
今日は、ここまで。さてさて、どうなるのかなぁ〜♪
2016/09/25
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先日、母から聞いた話である。私には全く記憶がないのだが、私が小学生の時、私が全く学校の勉強をしないので、今後の教育方針を巡って父と母が夫婦喧嘩をしたことがあった。その時、母が、「そんなこと言ったって、本人にやる気がなければ勉強なんかしないんだから!」と言った瞬間、いつもは温厚な父が怒って、近くにあった物を母に投げつけた。すると、小学生の私が、突然、「分かったから!今度から勉強するから!やめてくれぇ〜!」と叫び、泣きながら激しくテーブルを手でドンドンと叩いた。その姿を見た父と母は驚いて困惑し、黙ってしまったという。 その後も私が勉強することはなく、いつも学校の成績は最下位で周囲には馬鹿にされていたのだが、そんな私でも、夫婦間の暴力や暴言には敏感に反応したらしい。喧嘩をしない夫婦はいないとは思う。お互いに言いたいことも多いとは思うが、是非とも子供の前で感情的になるのは慎んでほしい。子供も上手く表現ができないだけで、心は深く傷ついているようである。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。 2016/10/01
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キュウリは、34本(7905グラム)で肥料の畝が圧勝。ただし、「そんなにあっても食べきれない」という方は、「米糠の畝≒自然の畝」(肥料の畝の約半分の収穫ができる)なので、自然の畝での栽培をお勧めする。 トマトは、31個(4320グラム)で肥料の畝が優勢だが、最後の収穫では傷んでいたトマトも多かった。「収穫量は少なくてもOK」という方は、自然の畝での栽培でも十分である。因みに、自然の畝での収穫量は、22個(2325グラム)であった。 カボチャは、8個(2150グラム)で肥料の畝が圧勝。
エダマメは、肥料の畝で38個(45グラム)・自然の畝で19個(45グラム)であった。数値のみから判断すると、重量が同一、かつ、肥料の畝の個体数が自然の畝の個体数の約2倍なので、肥料の畝の実は自然の畝の実と比較して、成熟度が半分になると思ったのだが、実際は、上の写真のように、粒の大きさや食べやすさは肥料の畝の方が良かった。この結果は、自然の畝のエダマメは、個体数が少ない上に実の生長が悪く、莢(さや)の重量が重いということを意味している。よって、肥料の畝の圧勝ということになる。 ナスは、肥料の畝で8本(1140グラム)・米糠の畝で11本(1270グラム)であった。個体数と重量のみで判断すると、少しだけ米糠が優勢である。 以下に、気になった点を挙げてみる。上の写真の左側のトマトは自然の畝のもの。右側のトマトは肥料の畝のもの。鳥や虫は、自然の畝のトマトは食べずに、肥料の畝のトマトだけを食べている。理由は分からないが、自然の畝のトマトには被害がない。これは、肥料によるトマトの栄養価と何か関係があるのかもしれない。ふと、山梨県でブドウ園を経営している従兄弟から聞いた話を思い出した。「ブドウの木を早く生長させようとして、余分だと思った枝を全て切って、栄養を1点の枝に集めたら、その枝に虫がついてブドウの木が枯れてしまった。その後は、本当に不要な枝だけを切り、どのように生長するかはブドウの木に任せている」と。つまり、ブドウの木が持っている自己防御の本能に任せたということである。野菜の自己防御の本能を最大限に引き出すには、肥料などは使用せず、自然のままにしておくのが最も良い。確かに、肥料を使用すれば美味しい大きな実がなるのかもしれないが、人間が美味しいと感じるものを、動物たちも同じように美味しいと感じるとすると、必要以上に栄養価が高まった時、それに気づいた動物たちが、人間よりも早くそれらを食べてしまうと推量できるのである。 今年から始めた畑なので、動物たちもこの場所には気づいていないと思っていたが、どうやら気づかれてしまったようである。仮に動物たちがこの畑の場所を記憶したとすると、来年からは防御する方法を考えなければならない。 今回だけの結果で全てを判断することはできないが、一定のデータは得られたと思う。大切なのは、土であることが十分に分かった。上の写真は、数年前、土も耕さずに、そのまま苗を植えた時のキュウリである。細くて小さな実を、3本ほど収穫したのみであった。因みに、ナスは1つも実がならなかった。今回、土を念入りにフルイにかけてから少し耕しただけで、これだけ多くの野菜を収穫することができた。土は、野菜を育てる為に必要不可欠な基礎の中の基礎である。土に関しては、絶対に手を抜いてはならない。剪定の仕方や苗の植え方などを覚えるのは、そのことを理解した後の話である。 2016/10/03
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【 セラミックス工場 episode 3 】 上の写真は、現在、私が使用している杖である。平成28年10月5日の朝、目覚まし時計を止めようとした時、ぎっくり腰になってしまった。ぎっくり腰になるのは今回で3回目なので、もはやベテランの領域に達したと言えるであろう。その2日後、少しだけ腰の痛みが和らいだので、病院で診察していただいたところ、腰椎椎間関節捻挫(ぎっくり腰のこと)と椎間板性腰痛(骨と骨が接触している部分があり、そのことが傷みの原因になっているとのこと)と診断された。医師の話によると、「腰椎がストレート化しているので、腰痛になりやすくなっています」とのことであった。レントゲン写真を見ると分かるのだが、腰椎の“ストレート化”とは、簡単に説明すると、通常は少し湾曲している腰椎が、私の場合、縦に一直線になっているということである。次回は、10月14日にMRI検査をする予定なので、その時に、現在、休んでいる仕事にいつ復帰できるのか判明するはずである。 今回のぎっくり腰とは関係ないのだが、9月22日、会社と相談した上で、平成29年1月31日付で退職することになった。理由は、かなり体力を使う仕事の為、このまま仕事を続けることが難しいということである。新しく入社してくる新人さんが安定して仕事ができるようになるまで勤務し、その後、新人さんの自立を見届けた上で、私が退職するという流れである。退職の日まで残業はしなくても良いということになったので、約束した日までの4ヶ月間は、何とか頑張れると思っている。しかし、ぎっくり腰は予定外であった…。 今回のぎっくり腰では猛省したことがある。ぎっくり腰になる前日、私は、重量が40キロもある製品を6個、10キロの製品を2個、ほぼ一人で梱包するという作業をしていたのだが、全く関係のないグループのKさんという若者が、私が作業している場所の近くを通った時、私の姿を見るに見かねたのか、「大丈夫ですか?腰を痛めますよ。手伝います」と言って、作業の一部を手伝ってくれた。その時、Kさんの助言に従って作業を止めていれば、ぎっくり腰になるのを少し遅らせることができたのかもしれない。「老いては子に従え」という諺があるが、私も若くはないので、若者たちの助言を謙虚に聞く耳を持たなければならない。Kさんは、私とは全く関係のないグループである。知らぬ顔をすれば、無駄な時間を費やすこともなかった。自分の時間を削ってまで私に助言してくれたのに、私はその助言を聞き流した。誠に恥ずかしい話である。 現在、私が勤めている会社には多くの若者が勤務している。全ての若者と接点があるわけではないのだが、良い人材だと思われる若者が少なくない。それにしても、これだけの人材をよく集めたものである。勿論、若いので視野が狭いという点は否めないが、人間というものは磨けば光り輝くので、今、特に問題にする必要はない。私は今年で48歳になってしまった。すでに活動期のピークは過ぎ、スピード・パワー・正確性という点では若者たちに遠く及ばない。あとは衰えていくのみである。もっと若い時に今の会社に入社していたら、面白いことになっていたのかもしれない。「20歳ほど若ければ、互いに切磋琢磨できたのに…」と思うと、誠に残念である。 2016/10/10
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【 セラミックス工場 episode 4 】 現在、私はセラミックスの製造をしている工場の契約社員として働いているのだが、いろいろなタイプの人間が働いていて実に面白い。しかし、残念ながら、自らの体力の限界を感じ、このまま仕事を続けることは困難であると判断。すでに平成29年1月31日付での退職が決定している。そこで、残り少ない時間ではあるが、私が工場で見たり聞いたりしたことを、そのまま記述してみることにした。 以前、工場内で、作業着ではなく立派なスーツを着た若者を見かけたことがあった。私が、「誰なのかなぁ?」と気にしていると、その若者は、あちらこちらで従業員たちと親しそうに話したり、記念撮影をしたりしていたので、恐らく、元従業員だったのであろう。その光景を見ていて、ふと、昔、誰かから聞いた話を思い出した。記憶が曖昧なのだが、確か、どこかの戦国大名の話だったと思う。 ある戦国大名の家臣が、何か大きな失敗をして、国外追放の処分になった。その家臣の国外追放が実施された日、その家臣の友人たちが国境まで来て、日が暮れるまで酒を酌み交わして別れを惜しんでいたのだが、偶然、国内の視察をしていたその戦国大名がこの光景を見て、「あんなに多くの人間に慕われている者を失うのは、我が国の損失である」と言って、その家臣を許したという。 どのような理由で退職したのかは分からないが、退職後も多くの従業員に慕われているところを見ると、優秀な人材だったのであろう。そのような人材を失ったことは、会社にとっては、誠に大きな損失である。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。 2016/10/11
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【 なぜ、過労死は無くならないのか? 1 】 2015年12月25日、日本最大の売上高を誇る広告代理店である電通に勤務していた高橋まつりさん(=たかはし・まつり=享年24歳)が、長時間の過酷な労働が原因で自殺してしまった。電通では、1991年8月27日にも、大嶋一郎さん(=おおしま・いちろう=享年24歳)が、同じく過酷な労働が原因で自殺している。産経新聞によると、今回の自殺に関して、武蔵野大学の教授である長谷川秀夫さん(=はせがわ・ひでお=61歳)がネット上に、「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき」などと投稿。その後、同大学に多数の苦情があり、同教授が、「言葉の選び方が乱暴だった」と謝罪し、投稿した記事を削除したという。 発症前の2ヶ月間、ないしは、6ヶ月間にわたって、1ヶ月あたりの時間外労働が概ね80時間を超える場合を、一般的に“過労死ライン”と呼んでいる。特に、この教授を責めるわけではないのだが、このような警告が存在しているにも関わらず、「100時間を超えたくらいで…」と表現したり、そもそも、会社が勝手に従業員の許容量を超えた仕事を請け負っているのに、「請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば…」と表現するなど、大学の教授を職業にしている方にしては、少々、お粗末な言葉遣いであった。その結果、多くの批判を浴びる事態に発展したのだが、すぐに謝罪したところで、この教授の意見が急に変わるとは考えにくい。なぜなら、言葉とは、その人間の心から発せられるものであり、その人間の発する言葉は、その人間の人生そのものだからである。繰り返しになるが、私は、この教授を責めているわけではないし、その内容が正しいのか誤りなのかを論じているわけでもない。大切なのは、そのような意見が現に日本に存在し、その数も少なくないという事実を認識することである。その事実から目を背けてはならない。この教授に限らず、電通で責任ある役職についている方々の心の中に、少なからず、この教授と同じような意見があると思われる。被害者と遺族には真摯に弔意を示しながらも、心のどこかで、「このくらいのことで自殺するとは、情けない人間だ。俺の若い頃は、もっと残業が多かった」と。すでに、電通では2人の人間が自殺している。そして、自殺までは至らないものの、それに近い状態の方もいるかもしれない。責任ある役職についている方々の、「このくらいのことで…」という意見が、ある種の“異様な空気”を作りだし、その空気こそが、電通に於いて無制限の残業を蔓延させ、何の罪もない従業員を自殺に追い込む原因になっているのである。 高齢者の目には、若者たちは、我慢することを知らない“情けない世代”と映っているのかもしれない。そして、若者たちの目には、高齢者たちは、仕事をすることしか知らない“哀れな世代”と映っているのかもしれない。高齢者は、貧しい時代の日本に生まれた為、ただただ生活のために働きづめに働いた。ただひたすら我慢して働いた。自分の人生に疑問を持つなどという時間はなかったのである。そんなことに疑問を持っていたら、家族を養っていくことができなかったのだから。その結果として、彼らは日本の高度経済成長を成し遂げ、現在の豊かな日本の基礎を築いた。一方、若者たちは、豊かな時代の日本に生まれた為、生活に余裕があり、自分の人生に疑問を持つ時間がある。普通に働くだけで十分に生活が成り立つのに、「なぜ、そこまで仕事をしなければいけないのか?」、「なぜ、そこまで我慢をしなければいけないのか?」と。過剰な仕事は、高齢者が考えている以上に、若者たちにとって苦痛なものなのである。 貧しい日本に生まれた人間の価値観と、豊かな日本に生まれた人間の価値観が同じはずがない。現在の日本に足りないのは、価値観の違う世代・価値観の違う人間を上手に結びつける調整役の存在である。つまり、お互いの存在意義や長所・短所、その心の機微を十分に理解し、それら価値観の違う人間の能力を最大限に引き出すことができる能力を持っている人間である。しかし、困ったことに、そのような人間がどんなに活躍しても、その成果は会社の売上などに直接的に反映されるわけではないので、会社からの評価は必ずしも高いものとはならない。それどころか、「あの人…、会社に必要なの?」という程度の評価であり、残念ながら、現時点では会社に存在することすら難しい。会社というものは、人間が集ってできているものである。人間の集合体なのに、人間の社会なのに、人間の心の機微を理解できる人間がいないのだから、どんなに会社の売り上げが高くなっても、従業員の心が壊れていくのは当然のことである。 2016/10/16
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【 なぜ、過労死は無くならないのか? 2 】 以下は、2015年12月25日、電通に勤務していた高橋まつりさん(=たかはし・まつり=享年24歳)が、長時間の過酷な労働が原因で自殺したことに関して、武蔵野大学の教授である長谷川秀夫さん(=はせがわ・ひでお=61歳)がネット上に投稿した記事を、原文のまま引用したものである。ただし、すでに当該記事が削除されている為、以下の文章が全文なのかを確認することはできなかった。 「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、 自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。 自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。 更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。 それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき」 私は、この教授の意見の正誤を論じようとしているわけではないし、責めようとしているわけでもない。しかし、上記の文章が私たちに何を語っているのかを考えることは大切なので、すでに教授の謝罪が済んでいるにも関わらず、失礼ながら例に挙げさせていただくことにした。先ずは、上記の文章を読んだ時、私が感じた率直な疑問点を列挙してみるとにする。
以上の疑問点や引用文を考察すると、この引用文に共感する人間の人物像が浮かんでくる。私が推量するその人物像は以下の通りである。「仕事というものを人生の中心に置き、その主張の多くは会社側の視点のみで成立する。そして、『生存競争に於いては、力の強い者が勝ち残り、力が劣っている者は滅びる』を意味する“優勝劣敗”という言葉を過剰に信じ、ほとんど弱者に対する配慮をしない。また、仕事に関するものには広い視野を持つが、仕事以外に関しては極めて狭い視野しか持たない。簡単に説明すると、“仕事以外の世界を知らない人間”ということである」。 私も、自分の好きなことに関しては、寝食を忘れてそれに打込む人間である。伝説の地を探訪する時、私は、朝5時くらいに家を出発し、時間がもったいないので昼食はとらない。そして、汗びっしょりになって遺跡を探し回り、夜になると、「チッ!夜になっちゃった…。暗くて何も見えないや…。しょうがない、帰るか…」と舌打ちをして家に帰る。私は、上記の引用文の内容を全て否定しているわけではない。部分的にではあるが、同意できるものもある。しかし、「人間の生涯で最も必要なものは、仕事だけとは限らない」ということを真に理解していないことが、どうしても私に警戒感を抱かせるのである。 一流企業と呼ばれている会社で不必要だった人間が、一般社会に出た瞬間、その隠れていた才能を発揮する場合がある。その逆に、一流企業で必要不可欠だった人間が、一般社会に出た瞬間、何の役にも立たない場合もある。自分の視点からだけで物事を見ると、物は平面的にしか見えない。しかし、自分以外の視点をできるだけ多く認識して物事を見ると、物は立体的に見えるようになる。今までの私の人生で、「最も視野が狭く、たいへん危険な状態にある」と感じた人間は、「仕事しかすることがなく、たったの1つも趣味を持っていない人間」であった。そして、彼らは必ず同じことを口にする。「仕事が休みの日、何をしたらいいのか分からない…」と。これは恐ろしい話である。 2016/10/19
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現在、私は、ぎっくり腰の為に仕事を休んでいるのだが、かなり回復してきたので、医師と相談した結果、10月26日に仕事に復帰することにした。全く体を動かさなかった為、かなり筋肉が弱っているので、今はリハビリに励んでいる。リハビリといっても、ウォーキングや買い物、日帰りの温泉療養など日常生活の範囲内なのだが、恥ずかしながら、20分のウォーキングをしただけで筋肉痛になってしまうという状態である。ぎっくり腰になったのが10月5日の朝だったので、回復までに20日ほどかかったことになる。医師からは、「慢性化すると、回復するまでに1〜2ヶ月かかる患者さんもいます」との話を聞いているので、仕事に復帰しても気をつけなければならない。10月14日、久しぶりに暮露暮露庵に行ってきたのだが、やっぱり自然は素晴らしい♪何もしなくても、ただそこにいるだけで、リラックス効果は絶大である。 また、ぎっくり腰になったら単なる笑い話になってしまうので、今日は焚き火だけ♪
これは、タラノキ。前から邪魔だと思っていたので伐採することにした。
サッパリ♪
焼却処分♪
9月25日に奥の水源に池を作る記事を掲載したが、続きの記事を掲載する前にぎっくり腰になってしまったので、ここで続きを掲載することにする。9月25日、ここに立派な池が完成しているはずであったのだが…。 水位が低いままだった…。
赤丸の部分から水がダダ漏れ…。
そこで、「どうせ修復するなら…」と思い、池の規模を約3倍に拡張して堤防を強化することにした。
静かに水が溜まるのを待ち、本当に溜まるのかを確認する。
水が溜まるのを待っている間に、もう1つの水源の周辺を整備した。
水が流れるようにして…。
使いやすいように整備♪
巨大な石の下の雑草を除去。しかし、この石の大きさはどのくらいあるのかなぁ?
赤丸は、道の幅を拡張する時に邪魔だった切り株。
これがそれ。たいへん立派な切り株だったので、「何かに使えないかなぁ…」と思い…。
池の中に置いてみた。すると…。
龍の頭に似ていることに気づく…。そこで、この池を、“龍頭の池”と命名した。カッコ良い♪
今日の作業はここまで♪池の水が溜まると良いなぁ♪
10月1日、おぉぉぉ〜!池の水が溜まってるぅぅぅ〜♪ところが…。
池の水位が高すぎて、龍が溺れてた…。これでは、“溺龍の池”である…。
こんな感じ…。
池の水がダダ漏れにならないように堤防を強化!
おぉぉぉ〜!カッコ良いぃぃぃ!
堤防の土が固まるのを待つ。
使えそうな木を見つけたので…。
ホースの固定に使った♪
しかし、いつ見ても綺麗な水である。
今日の作業はここまで♪
2016/10/25
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【 セラミックス工場 episode 5 】 現在、私はセラミックスの製造をしている工場の契約社員として働いているのだが、いろいろなタイプの人間が働いていて実に面白い。しかし、残念ながら、自らの体力の限界を感じ、このまま仕事を続けることは困難であると判断。すでに平成29年1月31日付での退職が決定している。そこで、残り少ない時間ではあるが、私が工場で見たり聞いたりしたことを、そのまま記述してみることにした。 私が勤務している会社では、毎月1日に全体朝礼をしている。その中で、各グループが順番で、それぞれのグループ内の課題に関して発表するのだが、若者たちが堂々と発表する姿を見ていると、実に気持ちが良い。今まで3回ほど発表を見たのだが、いずれも素晴らしい内容であった。若い頃の私には、このような立派な発表をすることはできなかった。若者たちが一生懸命に発表している姿を見て、その努力に対して敬意を払う為、今回、初めて発表の内容に関して疑問点を質問してみた。特に何かを追及するということではなく、私の疑問点を提示すれば、自分で何かを考える契機になるであろうという期待を込めてのことである。 セラミックス業界の景気が良いのかは分からないが、現在、会社での仕事は忙しく、残業時間も多いようである。とは言うものの、私に関しては、ぎっくり腰などの関係もあり、定時の5:30で退勤させてもらっている。多くの受注を獲得し、その仕事を完遂するということが、会社にとって重要なことだということは理解できるのだが、もう少し、全ての従業員や各グループ内で議論をする時間があっても良いと感じる。自分の同僚たちが、どのようなことに興味を持ち、どのように生活しているのか。そして、どのような信念を持ち、どのように行動しているのか。そのようなことを議論することによって、思いもしなかった影響を受けることがあるものである。その影響を自分の信念に上手く取り込みながら、日々、自分で考え、その考えに従って行動するように心がける。それを積み重ねることによって、自分の隠れた能力を引き出すことができるのである。そして、そのようにして一人ひとりの能力を高めることが、結局は、会社の利益にもなり、さらには社会の為にもなるのである。 2016/11/04
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【 セラミックス工場 episode 6 】 現在、私はセラミックスの製造をしている工場の契約社員として働いているのだが、いろいろなタイプの人間が働いていて実に面白い。しかし、残念ながら、自らの体力の限界を感じ、このまま仕事を続けることは困難であると判断。すでに平成29年1月31日付での退職が決定している。そこで、残り少ない時間ではあるが、私が工場で見たり聞いたりしたことを、そのまま記述してみることにした。 私は、あまり細かいことを気にしないズボラな人間である。上の写真は、会社の昼休みに私が食べている弁当なのだが、先日、赤丸のところに少量のカレーがあったので、「あっ、カレーだ。最後に食べよ♪」と思い、最後に食べたら味噌であった。「ご飯も食べ終わってるし、しょっぱそうだなぁ…」と思ったのだが、捨てるのもモッタイナイので我慢して食べた。また、昔、牛乳を飲みたくなったのでスーパーで買って飲んだところ、“飲むヨーグルト”だったということもあったし、その逆に、冷蔵庫にあった飲むヨーグルトを飲んだつもりが、実は腐ってドロドロになった牛乳だったこともあった。因みに、その時は、夜中の2時に激しい嘔吐と腹痛で目が覚め、その後、2日間、会社を休んで体重も3キロほど減少した。少し注意すれば分かるはずなのだが、なかなかそれができない。困ったものである。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。 2016/11/06
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龍頭の池は完成したものの、他の場所は荒れ放題であった。
こんな感じ…。そこで、この辺りを一気に整備することにした。
整備の為の木材が足りないので、すでに使用済みの木材を再利用することにした。矢印@の木材を矢印Aに移動し、水源の周辺のスペースを整備した。 木材の移動が完了。上の写真の左側は崖になっていて危険なので、右側の斜面を切り崩して道を拡張した。
土留めの設置が完了したので、あとは土を盛っていくだけ♪
上の写真の右側の斜面を切り崩し、その土を使って水源の前のスペースを整備した。
どんどん斜面を切り崩し、水源までの道を拡張した。かなり道幅が広くなった♪でも、左側は崖。危険だよぉ〜ん♪チッ!矢印の木が邪魔だなぁ…。 これが、その邪魔な木♪因みに、これはタラノキである。放置しておくと4メートルほどまで生長する。
ふぅ〜、ちょっと休憩♪
雑草を除去したら、水の流れが見えるようになった♪
雑草を除去したら、スズメバチの巣を見つけた…。
これが裏側…。
何らかの理由で、巣作りを放棄したようである。良かった…。もしスズメバチの巣があったら、水源までの道が通行不可になり、水が確保できなくなるところであった。 これは、龍頭の池。堤防の前が荒れているので、整備することにした。
とぉぉぉ〜っても汚い…。
ほいっ!完成!
龍頭の池の水位が高いので、少し水位を下げることにした。
水路を掘って、水をジャ〜♪
ん?
こ…、この水の流れは…。美しいではないか!
わたし好みの風景になりそうなので、急遽、上の図のような配置にすることにした。
先ずは、水源の水を龍頭の池まで流すようにする。
こんな感じ。
麻紐(あさひも)でパイプを固定する。
こっちも。
水路に高低差をつけて、水の音が出るようにする。
余っていた雨樋を利用して高低差をつける。
こんな感じ。
もう1つ、高低差をつけてみた♪この池を作った時、池の水が真っ赤に染まったので、“血の池”と命名した。
血の池を掘ってみたところ、上の写真のような土であった。水が赤く染まるということは、鉄分を多く含んでいるのかもしれない。 こんな感じ♪
作業が終わるのは、いつも夜。人生とは、なぜこんなにも楽しいのであろうか♪
最後に、水源の周辺の地図を作成してみた♪
2016/11/10
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私が、警備員をしていた頃の話である。私が、仙台フォーラスで臨時の警備をしていた時、ある子供が、食べていたスナック菓子を床に落としたので、そのスナック菓子を拾ってゴミ箱に捨ててあげたところ、私がしていた手袋が上の写真のようになっていた。白い手袋が緑色に変色しているのを見て、「こんなものを食べていて、将来、あの子供は病気にならないのであろうか?」と思ったのを覚えている。 この時、ふと、昔、どこかの会社の社長がテレビ番組で話していたことを思い出した。その社長の話によると、「人間というものは、10歳までに食べていたものを、その後、死ぬまで食べ続ける」という。つまり、子供の頃にスナック菓子やカップラーメンなどをバンバン食べさせておけば、その後は、宣伝をしなくても、死ぬまで自分の会社の商品を買って食べ続けるということである。これは、会社の売り上げを伸ばすという面では有効なのであろうが、人間の健康に与える影響という面では問題である。因みに、私が子供の頃、私の母親は、絶対にスナック菓子やカップラーメンなどというものを私に食べさせることはなかった。その為なのであろうか、現在でも、「あれば食べるけど、わざわざ店に買いに行ってまで食べたいとは思わない」という感じである。私が仙台フォーラスで会った子供は、将来、健康で元気な人生を送れるのであろうか? 2016/11/13
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【 なぜ、過労死は無くならないのか? 3 】 私は、過労死や過労による自殺が無くならないのは、会社だけの責任だとは思っていない。そこで今回は、従業員側の責任に関して述べてみることにする。11月2日(水)、NHKの“クローズアップ現代+”で、「まん延する“隠れブラック企業”〜密着 特別対策班〜”」という番組が放映されていたのだが、その番組の中で、東レ経営研究所の渥美由喜さんが、積極的に長時間労働をする従業員のタイプを以下の4種類に分類していた。
上記の1〜4は、長時間労働を減らすことを妨げている従業員側の1つの側面を示している。会社側は、新たに従業員を雇用して仕事を1から覚えさせるよりも、すでに雇用している従業員に残業させた方が圧倒的に経費を抑えられる。その会社の思惑を、従業員側が積極的にせよ消極的にせよ容認することによって、過酷な長時間労働は今まで放置されてきた。つまり、会社の思惑と多数派の従業員の思惑が一致した為、無謀とも思える長時間労働が可能だったのである。しかし、時代の変化と共に、今まで少数派であった長時間労働を容認しない従業員が確実に増加してきている。“働き方の改革”や“ライフ・ワークのバランス”などの言葉が一般的になっているのは、その証拠である。簡単に言うと、私のような人間が増えているということである。私の生き方は、前述の1〜4には1つも該当しない。 私が退職しても、私の代わりになる人間は無数にいるので、会社は全く困らない。それどころか、「この人がいないと会社の運営ができない!」という人間は、各会社に1〜2人といったところなので、それ以外の人間がいなくなっても、ほとんど変わることはない。因みに、私は仕事というものを、自分の自由時間を奪う苦役だと思っているので、残業をすると、「はぁ…、また自由時間が削られた…」という感覚になる。そして、会社で出世することや、他人からの評価などというものにも全く興味がないので、誰かが私に何らかの評価をしたとしても、私の考え方や行動が変わることはない。しかし、“そのような状態”に自分自身を置き続ける為には努力が必要である。その最も大切な努力の1つが、“強い経済体質”を保持することである。そして、私は、一般的な考え方とは違い、多額の金銭を稼ぐことだけが強い経済体質だとは思っていない。その1つの例として、私の場合、在住している自治体の最低賃金で生活できるような体制をとっている。また、リストラされる可能性があるので、今までローンを利用したことは一度もない。最低賃金を基準にして生活していれば、正社員も契約社員もパートもアルバイトも全て同一視することができるし、ローンを利用しなければ、金銭面での足かせがなく、自分の条件に合う会社が見つかるまで何回でも転職することが可能である。つまり、「金銭の垂れ流しとなる物欲などを抑制し、清貧を常とする生活環境」こそが、私の考える最も強い経済体質なのである。 長時間労働を減らすためには、会社側の意識を変えるだけではなく、従業員側の意識も同時に変えなければならない。しかし、人間の意識を変えるというのは、口で言うほど簡単なものではない。長時間労働は、日本の繁栄の基礎を築いた高度経済成長を支えた重要な要素であったとは思うが、現在も同じように必要不可欠な要素かというと、そんなことはない。しかし、今まで家族の為、日本の為に苦しい長時間労働に耐えてきた人間に対して、「あなたたちの生き方は、もう古いんですよ。いつまで実状に合わないことを続けるんですか」などと言うのも、情において忍びない。その為、僭越(せんえつ)ではあるが、私は、自分自身を1つの実験の標本として提供している。私の考え方・生き方などを記録に残すことによって、後世の人間たちが何かを感じとってくれるかもしれないからである。とは言うものの、何か特別なことをするわけではない。自分の人生に悔いを残さない為に、自分に合った人生を送れるように頑張っているだけである。 2016/11/20
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私は、社会問題となっているにも関わらず、自らの誤りを認めることもなく、改善の姿勢すら見せない企業の商品は絶対に買わないことにしている。その為、昔、深夜などに従業員を1人しか配置せず、その1人に全ての業務を遂行させるワン・オペレーション、通称“ワンオペ”が社会問題になって以降、ゼンショーホールディングスが経営する店には行かなかったのだが、そのワンオペも現在は改善されているようなので、久しぶりに牛丼の“すき家”で食事をすることにした。 ちょうど、何かのキャンペーンをしていて大幅に値引きされていたので、「おおっ、ラッキー♪」と思いながら店に入り、牛丼・とん汁・たまごセットを食べた後、会計をして帰ろうとしたのだが、その会計をした若い店員さんが、何とも無愛想な方であった。そして、その若い店員さんは、キャンペーン期間中だということを忘れていたらしく、通常の価格で会計をしてしまった。本人も途中で気づいたようで、一瞬、「あっ、しまった!」というような表情を見せたのだが、私が気づかないと思ったのか、そのまま知らぬ顔をして会計を終えた。私も、「まぁ、人間なんだから間違うこともあるさ♪」くらいの気持ちで、特に気にもせずに店を後にした。 その数週間後、再び同じ店に入り、前と同じく、牛丼・とん汁・たまごセットを頼んだところ、前回、会計をしてくれた無愛想な若い店員さんが、私が注文したセットを持ってきてくれたのだが、よくよく見てみると、牛丼の肉の量が異常に多かった。「ふぅ〜ん、先日の会計ミスの御詫びかな?」と思ったのだが、気づかないふりをして食べた後、通常の価格で会計をして家に帰った。ふふふ…、ずっと気にしてたんだ。何とも義理堅いこと♪ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。 2016/11/23
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上の図は、水源の周辺のもの。
整備した場所は、現在でも順調に機能している。
こんな感じ。
これは、龍頭の池の水位を調節している水路。余っていた雨樋を利用して高低差をつけたので、水の音がするようになった。なんとも清々しい。 これは、血の池。現在は、水の色は澄んでいて赤く染まってはいない。
こんな感じ。
パイプを利用して、水源からの水の流れを地下に通した。そして、その上に道を整備。
このようにして水の流れを地下に通した。
こんな感じ。
このまま土が固まるのを待つ。
母が、「景色を眺める為のイスがあると良いねぇ♪」と言ったので、イスを作ることにした。
まだ土が固まっていないのだが、作業には影響がないと思ったので、そのままイスを作った。
先ずは、1メートルの単管パイプを地面に打込む。
水平器を使って、しっかりと水平をとる。
木材を使って、さらに水平をとる。
イスの足が完成♪
垂木止めクランプを使って単管パイプを固定し、釘で木材を固定していく♪
ほいっ!完成!「これでは強度が弱い!」と思った方もいるであろうが、重い物を置き続けるわけではないので、これで十分である。因みに、製作時間は1時間ほどで、経費は約3000円であった。 おぉぉぉ〜!すげぇぇぇ〜!
ベンチ最高!水の音が清々しい♪
水の音に包まれる癒しの空間が完成した♪
雑草が枯れて地面が見えるようになったので、階段を整備することにした。途中までは整備していたのだが、畑の土のフルイに時間をかけてしまって頓挫していた。 百九十一高地に上る為の階段を整備。
こんな感じ。
そして、今回、最後の階段を整備して完成♪
2016/11/27
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以前、どこかのテレビ局で、評論家の岡田斗司夫さん(おかだ・としお)が日本と韓国のアニメーション事情に関して評論していた。「確かに、韓国のアニメ産業は急成長していて、日本のレベルに近づいています。でも、全然、恐くないですね。韓国のアニメ産業の目的は金です。人気があって給料が高いから、その仕事に就いている人間が多いんです。しかし、日本のアニメ産業は違います。本当にアニメが好きだから、その仕事に就いている人間が多いんです。日本のアニメ制作者は、その多くが貧乏です。でも、本当に好きでやっているので、仕事を辞めることはありません。そして、その多くの貧乏なアニメ制作者の努力によって、水が湧きだすように次々とヒット作が生み出されています。韓国のアニメ産業は、給料が安くなれば崩壊しますが、日本のアニメ産業は、そういうことはありません。アニメを支えている人間の意識が全く違うんです。長期的な視点から見れば、日本のアニメ産業の方が圧倒的に優勢です」と。 明治時代の政治家である西郷隆盛は、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり」(命もいらず、名誉もいらず、地位も金もいらないという人間は、その扱いに困るものである。しかし、そういう人間とだからこそ、困難な状況を共にして、日本にとっての偉大な事業を成し遂げることができるのである)という言葉を残したという。「お金だけが目的ではなく、ただ単に自分が好きだからやっているだけ。それで皆が喜んでくれるなら最高♪」。これこそが、日本人の“もの作り”の強さの源なのかもしれない。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。 2016/11/28
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泉ヶ岳の周辺も、厳しい寒さの足音がしてきたようである。
ほらっ!
前に勤務していた警備会社の同僚であるUさんにビワの苗をいただいたのだが、そろそろ地植えすることにした。 いろいろと植える場所を考えたのだが、斜面の北西に植えることにした。
現在の斜面はこんな感じ…。
ビワを植える予定の場所だけ整備する。
さすがだ!“石山=いしやま”と呼ばれているだけのことはある。
土を掘ると、大きな石がゴロゴロと出てくる。
Uさんからいただいたビワの苗は6本。こんな感じで植えていく。
綺麗に列ができた。3〜4年くらいで実がなるとのことなので、たいへん楽しみ♪
赤い矢印の石は、この場所で掘り当てた石。重くて重くて全く動かないので、“不動石=ふどういし”と命名した。
赤い矢印の石は、百九十一高地の山頂で掘り当てた石。この石を掘り当てて母に見せた時、母が、「ひゃぁぁぁぁぁぁ〜♪舟みたいな石だねぇ〜♪」と言ったので、“石の舟=いしのふね”と命名した。 ん〜、本当に舟みたいだ♪
上の写真のような角度で見ると…。
こんな感じ♪どうしてだろうか、この石に妙に神々しさを感じたので、お供えをする為の台にすることにした。
石の舟の上に何かを供えると、石の舟が全ての神たちに御供え物を届けてくれるという発想である。
2016/12/05
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【 セラミックス工場 episode 7 】 現在、私はセラミックスの製造をしている工場の契約社員として働いているのだが、いろいろなタイプの人間が働いていて実に面白い。しかし、残念ながら、自らの体力の限界を感じ、このまま仕事を続けることは困難であると判断。すでに平成29年1月31日付での退職が決定している。そこで、残り少ない時間ではあるが、私が工場で見たり聞いたりしたことを、そのまま記述してみることにした。 平成28年11月10日、仕事中、暮露暮露がゴミを捨てている時にその事故は起こった。
会社の敷地内の道は、雨水を逃がす為に少しだけ傾いている。
ゴミを載せてきた台車が動き出し…。
近くの普通車に向かって進んでいった。しかし、その時、風が吹いて台車の進行方向が変わり…。
隣の高級車に激突…。
あぁぁぁ〜!誰の車だろう…。
うぅぅぅ…。
車の所有者が優しい女性だったので助かった♪壊れた部分を修理するということで示談が成立♪
後日、修理代の請求書がきた。ろくマン円!
皆さん…、お世話になりました…。さようなら…。
皆さんも台車を使う時には、くれぐれもご注意を…。
2016/12/12
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もうすぐ本格的な雪が降ってくる。毎年、12月下旬〜3月上旬の間は、暮露暮露庵も雪に埋まってしまって何の作業もできない。この期間、母が自宅で退屈そうにしているので、マンションのベランダに花を飾る棚を作ってあげることにした。 花を飾る棚といっても、上の図のような簡易的なものである。
先ずは、上の段と下の段をつなく部分を作る。
次に下の段を作る。
二つを合わせて…。ホイッ!完成!
大きな棚と小さな棚を作った。
母が、マンションの玄関に花を置いているのを思い出したので…。
もう1つ、さらに小さな棚を作った。
ついでに、マンションで花を楽しむ為の土を用意することにした。上の写真は、ホームセンターで買ってきたもの。この中に土を入れる。 山の土をフルイにかけて、フッサフサの土をマンションに持ち帰る。
ゴチャゴチャだった玄関がスッキリした♪
ベランダに小さい棚を置いた。そして、フルイにかけた土も。
大きな花壇も置いた。
こんな感じ♪よほど嬉しかったのか、母は、毎晩、寝る前に棚を眺めて楽しそうにしている。母は、「よく作ったねぇ〜、子供の頃にこれだけ熱心に勉強していれば、お前も出世したのにね♪」と言っていたが、それは無理である。なぜなら、私は、出世などというものには全く興味がないのだから。 花を飾る棚を全て買ったとすると2〜3万円ほどかかると思うが、自分で作ると1万円もかからない。そして何より、既製品より粗末な棚ではあるものの、自分で物を作るということは、とぉぉぉ〜っても楽しい♪ 2016/12/16
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上の図の赤い矢印の部分の道が崩れてきたので、整備することにした。
近くにあった丸太を持ってきて、それを土留めにする。
道の脇は崖になっているので、母が転落しないように手すりをつける。
1メートルの単管パイプを打ち込んだ。これが手すりと土留めの丸太を固定する為の杭になる。
こんな感じ♪
あとは土を盛っていくだけ。ん〜、赤丸の切り株が邪魔だ…。
すぐに除去♪
けっこう大きかった。
ホイッ!完成!
こんな感じ♪
ベンチからの風景♪
疲れたのでベンチに寝ころがって休憩♪ベンチに寝ころがると、こんな空が楽しめる♪ 「 陸奥の ベンチの上に寝ころびて 空に吸われし 四十八の心 」。伝・石川啄木♪ 単管パイプをクランプで固定して手すりが完成!
…と思ったのだが、単管パイプが1本だけ足りなかった…。
後日、ホームセンターで買ってきて完成♪
おぉぉぉ〜!遊歩道みたいだ!素晴らしい♪
2016/12/18
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暮露暮露庵の周辺は谷のようになっており、しばしば強風が吹く。
上の写真の赤い矢印は屋根。その屋根が…。
強風で吹き飛ばされてしまった…。
吹き飛ばされた屋根は、こんな感じ…。
風の力はスゴイ!こんなところまで吹き飛ばしてしまった。
ピンチはチャンス♪この機会に暮露暮露庵と小屋の間にある隙間をふさぐことにした。
こんなに隙間があった…。
完全にふさいだ♪
反対側もふさいだ。
吹き飛ばされたポリカーボネートを拾ってきて設置。
ポリカの上に、暮露暮露庵の屋上に上る為の道を作る。
こんな感じ♪
ん〜、いよいよ雪が降ってきた。急がなければ…。
屋根の修復が不十分だった為に雨漏りがひどく、雪と雨で小屋の中が水浸しになってしまった。
ポリカの隙間から水が漏れていた。
先ずは、余っていた木材を隅に固定する。
その上にポリカを設置して傾斜をつける。そして、木材とポリカの間をコーキング。
完成♪
暮露暮露庵の屋上に上る為の階段の部品を作る。
これらの部品を合わせて階段を作る。
ん〜。
どれがどの部品だか分からなくなっちゃった…。
おっ、何となく階段に見えてきた♪
おぉぉぉ〜!完成に近づいている。
ホイッ!完成♪
こんな感じ♪
おぉぉぉ〜!空に近づいているぞぉぉぉ〜!
このスペースを利用する予定。
屋根にあるこのボルトを利用して木材を固定する予定♪
だいぶ散らかしてしまったが、もう暗くなってきたので掃除は次回に…。
もうそろそろ凍結の恐れがあるので、雨水の利用も停止した。
追加です。母から、「屋上に上る階段が足りない!」という苦情があったので、新たに階段を作ることにした。
こんな感じ。
おぉぉぉ〜、すげぇ〜♪
良い眺め♪さてさて、この屋上に何を作ろうかなぁぁぁ〜♪
2016/12/25
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