伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off


( 注意 )この文章は、一切、校正されていません。ブログというよりもメモ帳です。



新年、明けましておめでとうございます。正月といっても、私たち猫の世界には特に娯楽があるわけではありません。そこで、今回の正月は、人間の世界の最大の娯楽である“飲む=大酒を飲むこと”・“打つ=博打を打つこと”・“買う=買春をすること”を体験して楽しみたいと思います。

もちろん、クロネコ・ヤマトのトラックで移動します。


まずは、“飲みの世界”を覗いてみたいと思います…。


「まずは一杯♪」。


「おぉぉぉ〜! ツマミも美味しい!」。


「上司がバカだと、部下は苦労するよ…」。「ん〜、分かる、分かるよぉぉぉ♪ ささっ、飲んで飲んで♪」。


「あれぇぇぇ〜、もう酒ないのぉぉぉ〜♪ ホラッ! もっと酒を持ってこい!」。


「な…、何という醜い世界だ! これでは自分自身がダメになってしまう!」


「早く逃げよう!」。


次は、“博打の世界”を覗いてみたいと思います…。


まずは、ポーカーから…。


「おほぉぉぉ〜! 勝った!勝った!」。


「フフフ…、おれの金、オレの金。ぜぇぇぇ〜んぶ俺の金ぇぇぇ〜♪ へへへ…」。


しかし、しだいに勝てなくなり…。


「オラオラ! 負けた分の金を払わんかいボケッ!」。


「す…、すみません! 明日までに何とかしますので、今日のところは!」。


「お…、お願いです! お金を貸してください! ご主人様!」。


「バ…、バカ野郎! 人間に金を借りるのか! お前にはネコとしての誇りがないのかぁぁぁ!」。


「な…、何という醜い世界だ! これでは自分自身がダメになってしまう!」。


「早く逃げよう!」。


最後に、“買春の世界”を覗いてみたいと思います…。


“クレオパトラ”という風俗店を覗いてみた。すると…。


「な…、なんと!」。


「いちいち…、こんな姿に…、ならなければいけないのか…」。


「プププ…、面倒くせっ!」。


「早く逃げよう!」。


ネコたちは、人間の世界がルービックキューブよりも複雑なことに大きなショックを受け…。


あまりのショックに鬱(うつ)になるネコが続出…。


旅に出たまま二度と戻らないネコまで現われた…。


事態を重く見たネコ政府は、しばらくの間、人間との接触を禁止する強硬措置にでた。2018年が波乱の幕開けとなってしまったことは、誠に残念である…。

  2018/01/05  







【 認知症と向き合う 1 】

    お久しぶりです。平成29年9月頃より更新の頻度が極端に低下してしまい申し訳ありません。実は、昨年の8月下旬から9月上旬にかけて、「私って、今どこに住んでるんだっけ?」・「玄関の前に男の人が立っていて、ずっと室内を見ている」など、母に認知症を疑わせる症状が現われた為、昨年の9月5日、なかむら脳神経外科で診察していただいたところ、「確かに認知症が疑われますが、現在、当院には認知症の専門医がいないので断言はできません。東北医科薬科大学病院を紹介いたしますので、そちらで検査してみてください」とのことであった。

    5年前にも認知症を疑わせる症状があったので、なかむら脳神経外科でMRI検査をしていただいたのだが、その時は、「脳に委縮が見られますが、歳相応の脳なので問題はありません」と診断された。5年前と現在の母の脳のMRI画像を比較すると、素人でもはっきりと判別できるほど脳が委縮していた。5年前の診断が誤診ではなく、かつ、母が認知症だと仮定すると、この5年の間に認知症が発症し、病状が進行したということになる。

    なかむら脳神経外科で東北医科薬科大学病院を紹介すると言われた後、“余談”という形で医師から次のような話を聞いた。「確かに5年前と比較して脳は委縮しています。ただし、歳をとると誰でも委縮していきますので、それだけで認知症だという診断はできません。また、長谷川式という簡易的な認知症の診断テストをして、その点数が少しだけ合格点よりも低かったのですが、合格点より低かったからといって、すぐに認知症だと診断することもできません。私は、認知症の専門医ではないので何とも言えませんが…、ん〜、もの忘れの範囲じゃないかなぁ…」と。確実に認知症と診断することは、私が思っている以上に極めて専門的な知識が必要のようである。

    同年9月13日、東北医科薬科大学病院で診察していただいたところ、「なかむら脳神経外科さんで長谷川式という認知症の簡易検査をしたのですが、その結果とあなたから聞いた話を総合すると、認知症の可能性が高いと思います。しかし、精密検査をしてみないと断定はできません」とのことであった。その時、私は、1日で精密検査が終わると思っていたのだが、MIBG心筋シンチ・DATシンチ・MRI検査・脳血流シンチ・専門医によるカウンセリングなどの検査を受けなければならず、この間、約1ヶ月を要することになった。あまり聞き慣れない難しい用語を簡単に説明すると、“MIBG心筋シンチ”とは、心臓の筋肉(心筋)へ流れる血液の量や心筋の機能を画像化する検査のことであり、“DATシンチ”とは、認知症の種類の1つであるレビー小体型認知症では、ドーパミン神経細胞の終末に存在するドーパミントランスポーター(DAT)の密度が低下することに着目し、それを画像化する検査のことである。また、“脳血流シンチ”とは、脳の血流を評価する検査のことであり、MIBG心筋シンチの検査と組み合わせることで、レビー小体型認知症の診断の精度を上げることができる。

    そのような検査を経て、同年10月25日、母が、“アルツハイマー型認知症”であることが断定された。認知症といっても、アルツハイマー型認知症・脳血管性認知症・レビー小体型認知症・前頭側頭型認知症・その他の認知症に似た症状を有するものなど多くの種類があるのだが、アルツハイマー型認知症は、上記の種類の中でも最も患者数が多く、緩やかに病状が進行するという特徴があるらしい。母の症状の進行度を軽度・中度・重度で表現すると、中度とのことである。ただし、医師からは、「もしかしたら、重度に足がかかっているかもしれません」との話も付け加えられた。そして、「現在の医学で認知症を完治することは不可能です。アルツハイマー型認知症なので緩やかに病状が進行していくとは思いますが、その進行度は患者さんによって様々で、確実なことは何も言えません」とのことであった。

    因みに、私は研究者タイプの人間なので、自分の耳に入った情報は全て疑っている。正確にいうと、疑うというよりは、“必ず確認する”という方が正しいかもしれない。そこで、医師に、「一般的には、認知症の治療は、その進行を薬で止めるところまできていると言われていますが、実際はどうですか?」と聞いてみたところ、医師からは、「認知症の進行を薬で止めることはできません。『少しだけ遅らせることができるかもしれない』というだけです」との答えであった。さらに、私が、「仮に薬を使用した場合、どのくらい遅らせることができますか?」と聞いたところ、「それぞれの患者さんによって薬の効果が様々なので、一概には言えませんが、例えば、認知症の発症に4年かかるところを、薬の使用で5年に延ばすことができるかもしれません」との答えであった。ただし、薬を使用した場合、頭痛・腹痛・吐き気などの副作用が伴う他、全員に確実に薬の効果が現われるわけではないという。つまり、薬を使用しても、苦痛を感じるだけで、全く効果が得られない場合もあるということである。認知症の研究成果は日進月歩なのであろうが、現在、最前線で戦っている患者とその家族が期待している程の成果ではないようである。

    最後に医師から、「現在の病状で薬を使用することはお勧めできません」・「現在の医学で認知症を完治させることはできません。申し訳ありませんが、私たちは診断をするだけです。今後は、介護の分野になります」との話があった。この段階では、@母がアルツハイマー型認知症であることA薬の効果は期待できないことB病状は少しずつ進行していき、完治することはないこと。この三つを受け入れ、腹をくくることしか私には選択肢がなかった。現在も私は、認知症との戦いの最前線にいて、毎日、四苦八苦している。医師にも、「認知症になったからと言って、過度に気にする必要はありません。今、日本では、あっちこっちに認知症の患者さんがいますから。この瞬間にも、認知症と診断されている方がいます」と言われたので、もしかしたら、私は、今後の日本に多大な影響を及ぼすような大きな問題の最前線にいるのかもしれない。そこで、少しでも、私と同じ立場にいる方たちや、認知症の研究をしている方たちの助けになればと思い、母の認知症に対して、私がどのように考え、どのように行動したのかを伝承之蔵に掲載することにした。

  2018/02/19  






暮露暮露庵の再建計画の続きである。屋根が完成したので、いよいよ家屋を作ることにした。先ずは、床板から作る♪

床板は、解体した木材を再利用する。


木材は伸縮するので、どうしてもズレが出てしまう…。


ズレを考えていても作業が進まないので、やっちゃった♪ 3畳分のスペースを確保♪


ついでに、トイレの配管のための穴を作った。


ホイッ! 完成♪


こんな感じ♪


こちらも、解体した木材を再利用して、家屋の骨組みを作る♪


ここが最も水漏れがする場所なので、慎重に作業する。


単管パイプで固定しながら、少しずつ骨組みを作っていく。


単管パイプでプレハブに押しつけながら骨組みを作る。そうしないと、木材とプレハブの間に隙間ができて水漏れしてしまう。

木材とプレハブの間にスポンジを挟んで水漏れを防ぐ。


どんどん組んでいく♪


おぉぉぉ〜!


段差があって上り難いので、階段を作ることにした。これも、再利用したもの。


手すりを作って、木材を基礎に打ちつける…。


滑り止めをつけて…。ホイッ! 完成♪


おぉぉぉ〜!


続いてドアをつける。ドアは、安い中古品を買ってきて使う♪


枠なしで5000円♪


枠を作ってドアをつけた♪


ドアが落ちないように、しっかりとネジを締める。


おぉぉぉ〜! 完璧!


木材に穴を開けて…。


完全にドアが閉まるようにした。これで鍵がかけられるよん♪


ドアが完成したので、デッキを作ることにした。


木材を買ってきて打ちつける。


ホイッ! 完成!


おぉぉぉ〜!


カッコ良いぃぃぃ〜♪


  2018/02/28  






暮露暮露庵の再建計画の続きである。「屋根が完成した♪」と喜んでいたのだが…。


風が強いのか、雨水が横から吹き込むようである。


そこで、こちら側にも屋根を作ることにした。


先ずは、単管パイプで基礎を作る。


こんな感じ♪


残りの半分は水平にした。そうしないと、階段を上がる時、頭が屋根にぶつかってしまう…。


こんな感じ♪


水平になっている部分は雪が積もるので、その重みに耐えられるようにした♪ 因みに、毎年、30センチほど積もるよん♪

あとは一枚ずつポリカを張っていくだけ♪


どんどん張っていく♪


さらに張っていく♪


ホイッ! 完成♪ ん? 見えない…。夢中になって作業をするので、終わるのはいつも夜…。


こんな感じ♪


これは、水平の屋根と斜めの屋根の境界部分。ここから雨が吹き込んでこないかを注視する。今のところは大丈夫♪

おっ! 明るい! こんな感じ♪


今までに一度も見たことがない形の屋根だが、細かいことは気にしない気にしない♪


壁にする合板を買ってきた。


先ずは、天井の部分から♪


どんどん張っていく♪


ホイッ! 完成!


おぉぉぉ〜! なかなか良いじゃん♪


  2018/03/03  






暮露暮露庵の再建計画の続きである。なんとか楽しめるスペースが完成したので、今後は細かい部分を作ることにした♪

母が転落しないように、手すりと傾斜の緩やかな階段を作った。


ん〜、良い感じ♪


これは、今から使う木材♪


これは、今後、再利用する予定の木材。このままでは邪魔なので、どこかに仮置きしないと…。


それでは…。


中にどうぞ♪


まぁまぁ、そう遠慮せずに。崩れてはこないから♪


入ってすぐのスペースには、衣服や工具を置く予定♪


二番目のスペースは、トイレにする予定♪


因みに、システムは以前と同じ。排泄物はこの穴へ♪


排泄物が見えないように蓋(ふた)をする♪


配管はこれだけ。とっても簡単♪


三番目のスペースは、手洗い場にする予定♪


プレハブのドアの高さの関係で、段差ができてしまった。板を張りつけようとも思ったのだが、計画を変更して窓にすることにした。

先ずは、木材で窓の枠を作って…。


こちらにも…。


透明なシートを買ってきた♪


百円ショップで、隙間を埋めるテープを買ってきた♪


これらを使って…。


ホイッ! でけた!


そして、釘で打ちつけて完成! 目的は雨水の侵入を防止することではなく、虫の侵入を防ぐことである。


カーテンをつけて…。トイレも完成♪


トイレットペーパーも設置完了!


もちろん、クマモン♪


ハンガーをかける棒を設置♪


こんな感じ♪


百円ショップでハンガーを大量に購入♪


木材の幅を計算してなかった…。そこで、矢印の方向にグゥ〜ッと伸ばした…。


ホイッ! 完成!


ここに手洗い場を設置する。


ホイッ!


排水は、このバケツに一時的に溜めた後、外に捨てるようにする。


20リットルの水の重さに耐えられる台を設置♪


ん〜、良い感じだ♪


  2018/03/12  






暮露暮露庵の再建計画の続きである。雪の季節が到来。ここで気になることが二点ある。一つは、屋根に雪が積もるのかということ。もう一つは、小屋で雨漏りがしないのかということである。

ほ〜、良かった♪ 屋根を急斜面にしたので、雪は積もらないようである。


もう一つの心配は的中!


おぉぉぉ〜! 雨漏りがぁぁぁ〜!


小屋の上に雪が積もってる…。


上の赤丸から、強風によって雪が吹き込んだようである。


ここを何とかしないと…。


こうなってしまう…。


簾(すだれ)とポリカで壁を作った♪ 完璧!


…と思ったのだが、一週間後、強風で吹き飛ばされていた…。


こんなところまで吹き飛ばされた…。


あぁぁぁ…。


すごい強風…。


上の写真のような応急処置をした。ポリカを敷いて、風で吹き飛ばされないように単管パイプで押さえただけ。しかし、意外にもこれが有効であった。私の建築技術が未熟なせいで小屋が傾いている為、その傾斜で雨水が地面に落ちていくようである。以後、一度も雨漏りはしていない。

雪が積もる箇所が多いが、冬期には何の作業もないので許容範囲である。


これは、小屋の中からドアを見たところ。壁とドアの間に隙間が多いことが分かる。このままにしておくと、夏期に虫が侵入してくるので隙間を埋める。

木材で枠を作り、壁に釘で打ち込む。


ホイッ!


こんな感じ♪


木材で隙間を消してぇぇぇ…。


ドアを閉める。おぉぉぉ〜、隙間が消えた♪


百円ショップで買ってきた隙間を埋めるアイテム♪


こんな感じで作業する。


どんどん作業する。


おぉぉぉ〜! 隙間が完全に消えた!


屋上に行く階段の手すりを作った。


こんな感じ♪


誰か教えてほしい。なぜ、道具を整理できるスペースを作ったのに、さらに乱雑になってしまうのかを。ただし、「あなたが、だらしないだけでしょ」という解答は除く…。

毎年、この風景♪ 寒い!


どのくらい寒いかというと…。


湧き水が凍って、鍾乳洞のような氷ができている…。今年は特に寒かったようだ…。


屋根でただ一つ水平になっている箇所。


けっこう雪が積もるようだが、その重みに耐えてくれたようだ♪


すごい氷柱…。


こっちにも…。山は寒いんだろうなぁ…。


雪に埋まっていた釜戸を掘り出して、コーヒーを飲むためのお湯を沸かすことにした。


ボワッ! ふぁいやぁぁぁ〜!


牛乳パックをWの形にして燃やす。


少しずつ押しこんでいく。


どんどん押し込む。


完全に押し込んで…。


燃焼が完了!


お湯が沸いた♪


母が好きなインスタントコーヒーを買ってきた♪


スティックを取りだして…。


粉を入れる…。


沸かしたお湯には、灰などの不純物が混じっていることがあるので…。


フィルターを通す。


おぉぉぉ〜!美味しそう♪


ん〜! 良い景色ぃぃぃ〜♪


私に、いろいろな楽しみを提供してくれる自然に乾杯♪


  2018/03/19  







【 認知症と向き合う 2 〜 症状と考察(1)〜 】

    私が、「母は認知症なのでは?」という疑問を抱いたのは、今から約5年前のことであった。何度も同じことを言ったり、何度も同じことを聞いたりという症状が激しかったので、私は母を病院に連れて行こうとしたのだが、母は、「何で私が病院に行かなきゃいけないの?」と言って、決して病院に行こうとはしなかった。幼い子供であれば強引に病院に連れて行くのだろうが、大人を強引に引っぱっていくわけにはいかないので困っていると、しばらくして、母が、「病院に行ってみようかな…」と言ってくれたので、すぐに病院に連れて行った。その時の医師の診断は、「確かに脳の委縮はありますが、歳相応の脳ですので問題はありません」という趣旨のものであった。母の母、私の祖母も認知症だったので、「母のようになったらどうしよう…」という思いが、母にあったのかもしれない。

    診断結果でも特に問題はないとのことだったので、その後は普通に生活していたのだが、今から約2年前の秋、新たな症状が現われはじめた。私の勤務中に、母から、「今日、スーパーのレジで会計をしていたら、後ろから若い女性が手を伸ばして、私の財布からクレジットカードを抜き取って逃げていった。警察に連絡した方が良いかなぁ?」という電話があった。私が母に、「どんな女性だった?」と聞くと、母は、「髪の短い若い女性だった」と答えた。因みに、母はクレジットカードを所有していない。そもそも、レジで会計中に後ろから手を伸ばしてクレジットカードだけを盗むというのも奇妙な話である。普通に考えれば、財布ごと盗んで安全な場所に移動してから、クレジットカードと金銭を抜き取るはずである。この症状は3〜5回ほど続いたのだが、その後は、特に奇妙な話をすることもなくなった。

    そして、去年の8月下旬、以下のような症状が現われた。
@
自宅のトイレの場所が分からなくなる。
A
自宅から3分ほどの場所にある駐車場から帰る時に迷子になった。
B
私のことを死んだ叔父だと思っている。
C
私が仕事に行っている時、「息子がいなくなった!」と騒ぎだして外に飛び出し、迷子になっ
た(この時は幸いにも自宅マンションの管理人さんに保護された)。
このような症状は、現在でもほとんど見られないレアなケースではあるが、看過することはできなかったので、嫌がる母を強引に病院に連れて行った。そして、精密検査の後、アルツハイマー型の認知症と診断された。


    精密検査をしている1ヶ月の間にも、急速にいろいろな症状が現われ始めた。症状は以下のようなもので、それを簡易的に説明したのが上の図である。
@
自宅のベランダに若い女性がいる(母が、「そこは寒いから部屋の中にどうぞ」と言うと、そ
の女性は、「ありがとうございます。でも、私はここで結構です」と答える)。
A
私が寝ている部屋の窓の近くに(部屋側の場合と部屋の外側の場合がある)、特に危害を
加えてくるわけではないが、ずっと若い男性3人が座っている(1人目は背が低くて太ってい
る男・2人目は背が高くて痩せている男・3人目の男の特徴は不明で、現在はほとんど見ることがない)。
B
私の部屋の窓の近くに、男性1人が座っている(この男も特徴は不明で、1回のみ見ただ
けで、その後は話に出てこなくなった)。
C
玄関の外側に男性が立っていて、ドアの覗き穴から部屋の中を覗いている(ドアにロープを
巻きつけてドアが開かないようにしたり、覗き穴にティッシュを貼るなど、極端に恐がっている)。
D
玄関のドアの近くにある非常階段に男性が座っていて、母のことを鋭い目つきでジッと睨ん
でいる。
このような幻視が見える場合、認知症の種類の中でも、レビー小体型の認知症である場合が多いのだが、1ヶ月にわたる精密検査の結果、レビー小体型の認知症である可能性は完全に否定された。以後、私は、上記のような幻視の話を母から繰り返し聞かされることになるのであるが、しばらくすると、ふと、「あれ?」と思うようになった。最初、私は、母が無意味な幻視を見ていると思っていたのだが、同じ話を繰り返し聞いているうちに、「母が見ている幻視には意味があるのでは…」と思うようになった。その意味とは、“心の不安度”の教示である。


    @とAの時は、「そうなんだ、あまり関わらない方が良いね。怒らせたら恐いしね」という感じで話を合わせれば良いので、あまり気にする必要のないレベル。Bの時は、「もうすぐ仕事が終わるから、すぐに帰るね」と、30分の間隔で電話をしなければいけないレベル(そうすると、母は、「そう!ありがとう!ありがとう!」と言って、少しでも安心することができる)。Cの時は、極端に怯えているので、泣きながら電話してくる。すぐに仕事を中断し、早退して自宅に直行する必要があるレベル(ただし、実際に自宅に帰ると、私が帰ってきて安心したのかケロッとしている)。

    不幸にして家族が認知症になってしまった場合、その患者の言葉や行動をメモしておくことをお勧めする。その時には無意味なことだと思っていても、積み重ねたメモ見ていると、「たぶん…、こんな意味なのかな?」と推量することができる場合があるからである。

    これから認知症の家族を持つかもしれない皆さんに知ってもらいたい。ネットで“認知症”を検索してみると分かるのだが、認知症にはさまざまな種類があり、それぞれに特有の症状がある。それらの症状を理解することも大切なのだが、「これはこうだ!」・「あれはああだ!」などと、あまり既存の知識にとらわれないことも大切である。なぜなら、認知症の患者の症状は、あまりにも多様だからである。私の母も、中度〜重度と医師に診断されてはいるが、その症状によっては軽度に分類されているものも多いし、中度〜重度なら現われているはずの症状が現われていないことも多い。また、どの資料にも記述されていない、私の母だけに見られる症状もある。もっとも大切なことは、じっくりと患者の症状を観察して“その患者”の特性を見抜き、その患者に合った介護の形を確立することである。

  2018/03/26  






    私は、昔から周囲の人間に、“ストレスを感じない人”と思われているようである。というのも、私は、あまり他人からの評価などを気にしないタイプの人間なので、しばしば、「ストレスを感じることがあるの?」という笑ってしまうような質問を受けることがあるからである。確かに、私は、ストレスを溜め込むというタイプの人間ではない。過度に会社人間ということもないし、過度に周囲の人間との結束力を求めることもない。しかし、だからといって、生活を支えてくれる会社に対する感謝がないわけではないし、周囲の人間が嫌いなわけでもない。ただただ、私なりの適切な距離感を保っているだけである。一応、私も人間という種類に属しているようなので、全くストレスを感じていないかというと、そんなこともない。もしかしたら、上手にストレスを受け流しているのかもしれない。上の画像にもあるように、私たち人間は、自分の思い通りに物事を動かそうとしすぎるから、イライラしてストレスを感じるのだと思う。よくよく考えてみれば、今までの私の人生の中で、自分の思い通りになったことなど皆無に等しかった。私は、今年で50歳になるのだが、最近、しみじみ思う。「私たち人間は、ただただ、自然の摂理に従って生活していれば良いのである」と。

宇宙の中の…。

銀河系の中の…。

太陽系の中の…。

地球の中の…。

アジアの中の…。

日本国の中の…。

東北の中の…。

宮城県の中の…。

    仙台市に私は住んでいる。広大な砂浜の中の一粒の砂のような場所で、何か思い通りにならないことがあったからといって、何を気にする必要があるだろうか? 宇宙は、約138億年も生きているという。しかし、私は、100年も生きることができずに死んでいく。そして、やがては宇宙の塵となる。一粒の砂のように小さい場所で、一粒の砂のように小さいことを、限られた貴重な時間を浪費しながら気にしているくらいなら、思いっきり自分の好きなことをしながら、思いっきり他人の喜ぶようなことをしながら、我武者羅(がむしゃら)だけど真剣に、そして真面目に生きた方が、よほど楽しく充実した人生を送れると私は思っている。

  2018/04/02  






    私は現在、半導体の製造装置を生産している工場で派遣社員として働いている。契約社員の時期も含めると、今まで3つの製造系の会社に所属したことになるのだが、どこの会社も同じような課題を抱えていた。「どうすればミスは無くなるのか?」や、「どうすれば品質を高めることができるのか?」などがそれである。一つ目の、「どうすればミスは無くなるのか?」と質問されれば、「そもそも、人間というものは不完全でミスをするものなので、少しでもミスを少なくするように努力する」としか答えようがない。どんなに時間がかかろうとも、必ず効果があるという保証が無かろうとも、ミスがある度に、「注意力を高めてミスを無くしましょう」と、ただひたすら繰り返し注意を促し続けるしかない。「そんなことは知っているが、それでもミスをゼロにしたい!」というのであれば、ミスをする可能性が高い人間というものを全員解雇し、莫大な金をかけて工場の全ての作業を機械化することをお勧めする。今のところ、ミスをゼロにする特効薬はそれしかない。

    私が所属した3つの製造系の会社でも、何とかミスをゼロに近づけるという努力をしていた。その努力を全面的に評価した上で、私が、一つだけ欠けているものがあると思うのが、作業をしている人間の、“失敗に対する意識”の向上である。簡単に説明すると、作業をしている人間が、自分がミスをした後の状態を具体的かつ明確にイメージすることである。上の写真を見ていただきたい。これは、私がセラミック工場に勤務していた時の失敗作を、記念にいただいたものである。この時、私は、原料の粉体を顆粒(かりゅう)にしたものを、ゴム型を使って形を整える作業をする“成形”というグループに所属していた。 セラミックの製造工程に関しては以下の資料を参照していただきたい(ここをクリック)。 ある日、私が作業でミスをし、上の写真のように、中心がズレた製品を作ってしまった。その後、偶々、成形の次の生加工という工程のYさんと話す機会があったので、そこでいろいろな話を聞いたのだが、その話を総合すると、私がミスをした場合、以下のような損失があるとのことであった。先ずは、たいへん高額な粉体を無駄にした損失。その粉体を顆粒にするのにかかった時間と人件費の損失。そして、次の生加工で作業を進めることができず、工程が停滞してしまった損失(この時、生加工で使用している機械を停止させるのだが、その複雑な機械を再起動させるのに30分ほどかかる)。さらに、私のミスで工程が停滞してしまった時間の分を、生加工の方たちが、本来は不要だったはずの残業で穴埋めすることになるので、その時間と人件費も大きな損失となる。つまり、私にとって小さなミスでも、全体から見れば大きなミスということになるのである。私が、「少し穴がズレたぐらいでゴチャゴチャと…」と愚痴っている裏で、会社は莫大な損失を穴埋めする為に奔走することになる。Yさんは、決してミスをした私を責めているのではない。「各人が、少しでもミスを減らすように努力してほしい」と願っているだけなのである。その為には、自分がミスをしたらどのような影響があるのか、金額・時間・労力などを具体的かつ明確にイメージすることが大切ということになる。

    二つ目の、「どうすれば品質を高めることができるのか?」は、さらに複雑な課題である。現在、半導体業界の景気は絶好調なのだが、その反面、急激な規模の拡大による人手不足に苦しんでいる。「人手が不足しているなら大量に採用すればいいじゃん♪」という単純な話ではない。大量に採用すると、私のように、今まで半導体業界とは無縁という人間も多く含まれてしまうので、スキルを向上させる為に、そのような従業員を管理・教育する者が必要になるのだが、急激に規模を拡大するとその人材が不足することになる。好景気を背景として過剰に受注した製品を製造する為に、作業に不慣れな従業員を採用すれば、それまでの製品と比較して品質が低下するのは必至である。現在、半導体業界は、「どのように品質を高めるか」ではなく、「品質の低下をどの程度に抑えるか」という極めて厳しい局面にさしかかっているように思う。

    以前、長いこと半導体業界にいる方から、「数年前までは、もっとゆったりしていたのになぁ〜。今みたいに人も多くなかったから休憩室もガラガラだったし。パソコンのモデルチェンジがある春と秋の他は暇だったもん」という話を聞いたことがあった。昔、半導体の多くは主にパソコンに使われていたのだが、現在はスマートフォンにも使われるようになったので、その需要が激増したらしい。数年前まで数十人の規模でしかなかった会社が、あっという間に数百人の規模の会社に変貌すれば、混乱してもしかたがない。2〜3人のグループを管理・教育するのであれば、人間関係を濃密にし、一人ひとりをきめ細かく管理・教育することが可能なのだが、10人を超えるグループを管理・教育するとなると、重要なポイントを絞り、些細なことは気にせずに大きな枠で進めていくという管理・教育の方法をとることが妥当となる場合もでてくる。小人数を管理・教育する方法と、多人数を管理・教育する方法は全く別物なのである。会社は、この違いに気づき、いち早く管理・教育する方法を変えなければならないのだが、その意識の変革は、文章で表現するほど簡単なものではなく、長い時間がかかるのも事実である。つまり、会社の規模を拡大するだけなら、そんなに難しいことではないのだが、その為に必要となる人材の育成と、今までの意識を急激に変革させることは、そんなに簡単なものではないということである。

  2018/04/09  






    私は現在、半導体の製造装置を生産している工場で派遣社員として働いているのだが、先日、定時で退社しようと玄関にいた時、激しいにわか雨が降ってきたことがあった。その時、私の前を歩いていた2人の女性が以下のような会話をしていた。一人の女性が、「わぁ〜、メッチャ雨が降ってきたぁ〜。傘を持ってないのにぃぃぃ〜」と言ったところ、すぐに、別の女性が、「わぁ〜、メッチャ車が洗車されるぅ〜♪」と。突然、雨が降ってきて憂鬱になったのも束の間、すぐに、「洗車されて嬉しい♪」と希望を見出していた。その微笑ましい光景を見た私は、思わず笑ってしまったのだが、ふと、小説家である山田風太郎の言葉を思い出した。

    ある日、風太郎は、戦後の焼け野原になった東京で、ある女性の親子の会話を聞いた。子供が、「あぁ〜あ、何も無くなっちゃったね…」と嘆いていると、その母親は、「生きてさえいれば、きっと良いことあるよ」と言って慰めた。その時、風太郎は次のように感じたという。「戦争で多くの人間が死んでいるのに、この母親は、もう将来に希望を見出している。住む場所も食べ物も何も無いのに、もう前に向かって必死に歩き出そうとしている。そこに私は、人間というものの力強さを感じた」と。現実の規模は違うのだが、なぜか風太郎が見た親子と、私が見た女性たちが重なって見えた。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2018/04/16   






    先日、アメリカの航空会社であるサウスウエスト航空の旅客機のエンジンが、飛行中に破損したというニュースを読んでいて、ふと、ある話を思い出した。誰から聞いたかは忘れたが、ある日本の航空会社での話である。もう旅客機が離陸するという時間に、ある整備士が上司に、「一本だけ…、ネジを締め忘れたかもしれません…」という報告をした。その上司は、すぐに旅客機の離陸を中止させ、ネジの締め忘れがないかを徹底的に点検させたのだが、結局、ネジの締め忘れはなく、旅客機は予定の時間を大幅に過ぎて離陸することになった。多くの乗客から苦情がきたようであるが、その上司は、その整備士に次のように言ったという。「報告してくれてありがとう。おかげで安全に離陸することができた」と。この言葉が無ければ、その整備士は、「ネジ一本のことだから…。報告するといろいろ面倒だし…」と軽く考えるようになり、上司に何も報告しない人間になってしまったかもしれない。その上司は、たった一言、優しい言葉をたった一言かけただけで、その時の安全だけではなく、将来の安全も手に入れたのである。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2018/04/23   







【認知症と向き合う 3 】

    平成30年2月19日、同年3月26日の認知症に関する記事を、本日5月15日に再掲載いたしました。私は、この記事を1ヶ月ほど削除していましたが、今回は、この件に関しての説明となります。母の認知症が少しずつ進行して新たな症状が現われ始めているので、仕事と介護のバランスを再考するため、先月4月30日付で所属していた派遣会社を退職しました。現在、4〜5時間だけ働くことが可能なアルバイトを探しています。今まで母の生活費や、母が東京に所有している不動産の固定資産税・都市計画税・管理費・修繕費などは全て私が支払っていたのですが、時間の短いアルバイトとなると、私の経済力だけでは支払うことができなくなります。東京の不動産は固定資産税・都市計画税・管理費・修繕費の合計が年間で数十万円という大きな出費になる上、昨今のマンション賃貸の著しい家賃収入の低下もあり、このまま不動産を所有し続けること自体が大きなリスクとなっています。その為、私の不動産ではありませんが、この不動産を売却することにしました。当然、母にも相談して納得してもらっていますが、母は認知症なので、どこまで正確に理解しているのかは分かりません。皆さんも御存じだとは思いますが、不動産を売買するには、本人の意思確認が必要となります。つまり、母の不動産を売却するという意思が確かなものなのかを、司法書士の方に確認していただくことになります。母が認知症であることが伝承之蔵の記事によって判明すると不動産の売買が難しくなり、私にとって不都合な事態になるので、本日まで認知症に関する記事を削除いたしました。

    平成30年4月27日、この不動産の売買契約が無事に完了し、今のところ特に問題はないようです。今後、何かがあったとしても、この売買契約は有効であり、買主さん・不動産屋さん・司法書士さんには何ら責任は無く、私一人の責任であることを、この記事を以って証言いたします。今の状態がいつまで続くのか、認知症の進行に伴う費用の増加がいくらになるのかなどが算定できない上、認知症に対する国などからの支援も期待できないとなれば、ただひたすら個人で備えるしかありません。認知症に関して詳しい方は知っていると思いますが、認知症の症状が進行して正常な判断ができなくなってからでは、患者が所有している不動産の売買や、患者の名義の預金などを使うことが難しくなります。つまり、介護などにかかる費用の全てを、介護している人間が負担することになります。金銭的・肉体的な負担が長期にわたると、介護する人間は疲れ果て、遅かれ早かれ潰れることになります。アルツハイマー型認知症は、現在の医学で完治することは不可能で、その多くの患者の症状は緩やかに悪化していきます。悪化することがほぼ確実であり、想定できる将来の状況が分かっているので、今回、私は、“先制攻撃”をしました。これから母を介護する上で最も有力な武器の一つは、“金”です。皮肉なことに、私があまり好まない金というものが、今後は私の有力な武器になります。ここで忘れてはいけないことは、この金は母の金だということです。どのように使うのかを実質的に決めるのは私になりますが、この金は母の金です。父が母の幸せを願って残した金です。この金を1円でも私が横領すれば、私は人間ではなくなってしまいます。ふと、昔、母が私にしてくれた話を思い出した。母の父、私の祖父の言葉です。私と同様、あまり金が好きではなかった祖父が、次のように言っていたという。「いいか、金は大切だぞ。人生で1〜2回は必ず大きな金が必要になる。その時の為に貯めておけ」と。

  2018/05/15   






実験の畑だけでは収穫量が少ないので、新しく畑を開墾することにした。


ここに畑を作ることにした。それにしても荒れ果てている…。


いつものことではあるが、先ずは掃除から♪


そして、土を掘り返す♪


こんなに石が埋まっていた…。


ちゃんと仕事をしているか、母が監視にきた。


ちゃんとやってるよ!こんなに掘ってるじゃねぇか!


しかし、この切り株だけは取れなかった…。


母が楽しそうに枯れ草を燃やしている♪ 焚き火をするのが好きみたい♪


その頃、私はせっせと土をフルイにかけていた。


こんな感じ♪ ん〜、それにしても邪魔な切り株だ…。


ん?


おぉぉぉ〜!


ゴロンッ!


すげぇ切り株! やっと取れた…。


作業がやり易くなった♪


あぁぁぁ〜! 疲れたぁぁぁ〜! フルイは面倒くさい!


まだ半分も終わってないのに…。


どんどん石だけがたまっていく…。


私の様子を見ていたお隣のSさんが、大型のフルイをくれた♪


おぉぉぉ〜! すげぇ〜! 2時間も経ってないのにこんなに土が!


4倍くらいの処理能力があるだろうか。早いはずだ♪


この時、お隣のSさんが、「そんなに細かくフルイにかけなくても、野菜は育つと思うよ」とアドバイスしてくれた。


そうか…。そういえば、「フルイにかけられた土と、フルイに残った土に違いがあるのか?」という疑問の検証をしていなかった…。もし、フルイにかけられた土の畑と、フルイに残った土の畑で何ら違いがなく、野菜が同等に育ったとすると、フルイにかけるという行為は無駄だということになる。

すぐに計画を変更! “フルイにかけられた土の畑”と“フルイに残った土の畑”の二種類の畑を作り、野菜の生長に違いがあるのかを検証することにした。

こちらが、フルイにかけられた土の畑。


そして、こちらが、フルイに残った土の畑。


肥料を買ってきた♪


フルイにかけられた土の畑に畝を作り、肥料を混ぜる♪


フルイに残った土の畑でも畝を作り、肥料を混ぜる♪


完成! 野菜の生長にどんな違いがでるのか、それともでないのか、楽しみだぁぁぁ〜♪


  2018/05/19  






以前、水源の水をパイプラインで畑の近くまで引いたのだが、その後、放置していたので水の流れが悪くなってしまった。そこで今回は、水源からの水を大蛇の池までダイレクトに流す作業をした。

そのまま何もしていないので、水が地中に染み込んでしまって利用できない…。


そこで、水が地中に染み込まないようにする為、水路を作った。


どんどん掘った。


さらに掘った。


ずんずん掘った。


昔、水の音を出す為に、木材を利用して高低差を作ったことがあった。久しぶりの手入れ…。


以前は@に水を通したのだが、地形を無視して強引に水を引いた為、頻繁に洪水が起こってしまった。そこで、今回は地形に沿ってAに水を通すことにした。しかし、このルート変更によって、今度はAの近くにある階段の土がぬかるんでしまった…。

その為、新たに別の道を作ることにした。


以前は、単なる土留めとして利用していただけだったのだが、今度はしっかりと水平をとるところから作り直した。

土留めが完成したら土を流し込む♪ 因みに、写真の白い根はドクダミである。とにかくドクダミは強い! そして、しつこい…。

ホイッ! 完成!


階段をかけるための踊り場を作った。


この木材を階段にする。


因みに、この木材は、大きなウッドデッキに上る為の階段を再利用したもの。


作り方はいつもと同じ。シンプル・イズ・ベスト!


ホイッ!完成!


おっ! 階段ができてる♪


どれどれ…。


なかなか良いねぇ〜♪


お前、大工さんになれば良かったのに♪


よしっ! 合・格♪


以前の階段に使っていた木材を、今回の階段の周辺に移動して再利用した♪


おぉぉぉ〜!


ついでに、もう1つ池を作った。やはり水の音は良い♪


調子に乗って、さらに池を作った♪


こんな感じ♪ 昔から赤丸の部分から水が染み出していたので、この際、池にして隠すことにした。


こんな感じ♪


おぉぉぉ〜! 池だらけ! 水の都だ♪


ん〜、私の性格が良く現われている気がする…。行き当たりばったりのくせに、どことなく何かの思想に基づいて整然としている…。

  2018/06/05  






今回は、暮露暮露庵の増築に関する記事です。


先ずは、玄関の階段について。


これでは、母が階段を使用する時、転落してしまう可能性がある。


その為、手すりの大枠を設置してから、真ん中に転落防止の単管パイプを設置した。


こんな感じ♪


次に、屋根をベランダにする作業をした。合板は、以前、暮露暮露庵の壁に使用していたものを再利用する。かなり曲がっていたので石を乗せて曲がりを修正。

作業を開始♪


こんな感じで作業する。


3本の木材の上に…。


合板を置いて固定。


同じ作業を繰り返す。


こんな感じ♪


合板が足りなくなっちゃった…。


こんな感じ♪


後日、買ってきた合板を設置して床板が完成!


母がベランダから転落すると困るので、手すりを作ることにした♪


単管パイプで手すりを作るのだが、その役割は転落防止だけではなく、強風で床板が吹き飛ばされないように重しにすることも兼ねている。

一面だけの手すりでは強度が弱いが…。


三面の手すりをクランプで固定すると、ピクリとも動かなくなる。


真ん中に転落防止の単管パイプを設置して完成!


こんな感じ♪


おぉぉぉ〜!


私は、お隣のSさんから教えてもらった“アロッズ”というリサイクルショップを頻繁に利用している。因みに、住所は「宮城県仙台市宮城野区鶴ケ谷京原115」なので興味がある方はネットで調べて行ってみてください。

今回は、ベランダに置く為の、イス・テーブル・傘を購入したのだが、このセットがたったの3200円♪


設置♪ ん〜、雰囲気が出てきた♪


強風で吹き飛ばされないように、傘を石で固定した。


同じく傘の下も…。


おぉぉぉ〜! 良い天気♪


最近、母は熱心に塗り絵をしているのだが、2時間ほど夢中になって塗り絵をし、疲れたらお茶を飲んで休み、休んだら花壇の手入れをし、3時になるとお茶とお菓子を食べ、お腹がいっぱいになると昼寝をし、ひと眠りしたら草刈りをし、疲れたら自宅に帰るという貴族のような生活をしている。私が定年するまであと10年…。私も早くそのような生活がしたい…。

見てくれは悪いが、たいへん機能的にできている庵である。あと風呂と台所が完成すれば、最低限の生活はできるようになるはずである。

  2018/06/17  






今年も梅の実がなったので、例年のように梅ジュースをつくったのだが、写真を撮るのを忘れてた…。上の写真は、あとで慌てて撮った写真…。

過去の写真を使って、梅の実がどのようになるのかを説明すると、こんな感じで…。


蕾ができ♪


こんな感じで…。


花が咲き♪


こんな感じで…。


花が枯れたところに…。


実がなる♪


今年は、こんなに実がとれた♪


2年前に初めてとった時には、これしかとれなかったので…。


小さな容器で梅ジュースの原液を作った。


しかし、今年は、例年よりも多くの実がとれたので、大きな容器を買ってきた♪


2週間後、梅ジュースの原液ができたら、煮沸して殺菌する。


これが原液♪ 毎年、少しづつ増えている♪


なめ茸の容器を利用したが、特に意味はない。


自分の敷地の梅の実のジュースだからなのであろうか、母が、「美味しい! 美味しい♪」と言って、楽しそうに飲んでいる。

ついでに、私も愛用のルパン三世のコップで飲んだ♪


「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉がある。今まで梅の木を放置していたので、あまり実がならなかったのだと思う。今年は少し勉強して剪定をしてみる予定。ん〜、来年が楽しみだ♪ 剪定に失敗するかもしれないけど…。

上の写真は、暮露暮露庵の前にあるイチゴ畑。昔、イチゴの苗を三つ買ってきて別の場所に植えたのだが、そのまま放置した為、そのうちの二つが枯れてしまった。そして、残りの一つも枯れたと思った私は、枯れた苗を捨てようとして、根から引き抜いたまま放置。すると数年後、こんなイチゴ畑になってしまった…。やはりイチゴは強い!

よく見てみると、今年はやけに実が多くついている。ひょっとして…、と思っていると…。


2週間後、多くのイチゴがなっていた♪ 上の写真の赤い点々が全てイチゴの実♪


おぉぉぉ〜! すげぇ〜!


こんなにいっぱい♪ 実がなってから2週間ほどの間、山に行くたびにイチゴを収穫して食べることができた♪

しかし、多くのイチゴが地面に接触した為、腐ったり虫に食べられたりしていて収穫できなかった。しっかりとイチゴ畑を管理すれば、今の2倍は収穫できたと思われる。ちゃんと管理さえすれば来年は…、ムフフのフ…。私の個人的な感想ではあるが、初心者は、先ずは放置していても早く簡単に実がなって食べられるようなものを植えた方が良いと思う。実を食べて“楽しい”を実感することができれば、もっと勉強しようという気になってくるし、別の植物に挑戦しようという気にもなってくる。

因みに、さっそくイチジクの木を買ってきて植えた。イチジクは強くて生長が早い! 植えて1週間なのに、もう蕾がでている。私の頭の中には、すでにイチジクの実を美味しく食べている自分がいる♪

  2018/06/21  






今回は、暮露暮露庵の玄関脇に駐車場と花壇を作った時の話です。


この部分に、駐車場と花壇を作る♪


あぁぁぁ…。なんとも汚い…。


先ずは、再利用できそうな木材を他の場所に移した。


そして、燃やせるものは全て燃やす♪


雑草も刈って…。


まあまあ…、綺麗になったかな…。


これは、去年の秋に伐採したタラの木。これらも全て燃やす♪


ん〜、綺麗になった♪


写真では分かりにくいと思うが、この土地は赤線のように傾斜している上、奥に向かって土地が上がっている。


その為、先ずは奥に向かって水平をとり…。


次に、丸太を使って高さを調整し、横の水平をとる。


こんな感じ♪


赤い矢印の部分も、丸太で水平をとる。


何となく大枠ができてきた。あとは個々の部分を完成させていくだけ♪


花壇にする場所を掘り起こして、雑草の根や石などを取り除く♪


こんなに掘っちゃった♪ 私が人間ブルトーザーと呼ばれる理由が分かるような気がする。この作業を一日中やっても疲れなかったのに、仕事だと30分で疲れてしまう。つまり、私は仕事をする気がないということである♪

土を掘ると、大量の木の根・木の枝・石が出てくる。


タラの木と枯れ草を次々に燃やしていく♪


ふぅぅぅ〜。


花壇は完成!


次は、駐車場を作る。


水平をとる為に土を掘っていると…。


大きな切り株が出てきてしまった…。


しかも、二つも…。


切り株を取り除くのは無理なので、丸太を二つにして土で切り株を埋めることにした。


ホイッ! 駐車場が完成!


ふぅぅぅ〜、疲れたぁぁぁ〜! まだ木屑が…。


ふぁいやぁぁぁ〜♪


花壇のつもりで作ったが、畑にしても良いような気がする。何を植えようかなぁぁぁ〜♪


  2018/07/06  






今回は、新しく作った花壇に花を植えた時の話です。


これは、数年前に母が買ってきて植えていたスイセンの球根が増えたもの。球根を掘り出して保存していたのだが、そのまま忘れてしまってカラカラに…。もうダメだと思ったのだが、試しに鉢に植えてみると…。

おぉぉぉ〜! さすがスイセン! 強い!


こちらのスイセンも無事だった♪


根も元気♪


整列!


球根が多くて一列では足りず…。


二列にした。スイセンの繁殖力は強い。たった数個の球根がこんなに多く…。


土をかけて完了! あとは待つだけ♪ 目印の石を置いて観察する。


まだ土地が余っているので、百円ショップで花の種を買ってきた。ラベンダーと…。


朝顔♪


スイセンと同じ要領で植えた♪


まだまだ土地が余っているのだが、もう植える花がないので、残りの土地は花壇ではなく畑にした。畑・イン・ザ・花壇♪

百円ショップで、はつかダイコンとカブの種を買ってきてプランターに植えた。


プランターから地面に植え替える時に、長さを測るものが必要なので、余っていた木材を利用して…。


10センチ間隔で目印をつけた。


ホイッ! 完成!


こんな感じで使う♪


ふぅぅぅ〜、疲れた…。


あっ! 肥料を入れるの忘れた…。


今から全てをやり直して肥料を入れる元気は私にはもう無い。あとは野菜たちの生長に期待するだけ…。「 諸君! 肥料なんかに頼らず、自分の力だけで強く生きていけ! それが君たちの人生を豊かにするんだ! 」。 …ということで、野菜たちの幸運を祈る♪

まだ、これだけのスペースが空いている…。


そこで、母が数年前に買ってきて植えていたミヤコワスレが繁殖していたので、花壇に移すことにした。

根を4つに分けた。


こんな感じ♪ 右側にミヤコワスレを移して、左側にキュウリとミニトマトを一列に植えた♪


次は、実験の畑。因みに、もう実験はしていない。ただの畑である♪


まずは耕して…。


今度は忘れずに肥料を入れる♪


肥料・オン・ザ・畑♪


今年は、ラッカセイを植える♪ 上の写真は、プランターで種から育てたもの。


因みに、私も知らなかったのだが、ラッカセイは次のように生長していく。まずは皮つきのまま種をまく。

その後、種がパカッと割れる。


そこから芽が出てくる♪ この写真では分かりにくいと思うので、イラストで簡単に説明すると次のようになる。

種をまく。


パカッ!


ニョキッ!


ポン!


現在、ラッカセイは順調に生長し続けている♪ ん〜、楽しみ♪


  2018/07/09  






今回は、以前に作った新しい畑の続報です。


これが、新しい畑♪


その畑に、いろいろな農作物を植えてみた♪


これは、トウモロコシの苗♪ この苗を買った店で、「この苗には三つの根がありますが、別々に分けて植えるんですか?」と聞いたところ、「別々に植えると育たないので、一緒に植えてください」とのことだったので、一緒に植えることにした。

これは、スイカの苗♪


今回は、この二種類の土にキュウリ・トマト・ナスを植えて、その生長の違いを検証してみる。


ふと、「根が三つあるのに、本当にトウモロコシの苗は一緒に植えないとダメなんだろうか…」と疑問に思ったので、トウモロコシの根を三つに分けて植えなおした。そこで、一番大きな根をトウモロコシ(オリジナル)と呼び、その他の2つの根をトウモロコシ(+2)と呼ぶことにした。因みに、上の写真は、トウモロコシ(オリジナル)。

こちらが、トウモロコシ(+2)。


後日、トウモロコシ(オリジナル)は大きく生長♪ ところが…。


トウモロコシ(+2)は全然…。


その後も、トウモロコシ(オリジナル)は、どんどん生長するのだが…。


トウモロコシ(+2)の生長は極端に遅い…。


おっ!トウモロコシ(オリジナル)にモジャモジャが!


トウモロコシ(+2)も、トウモロコシ(オリジナル)と比較すると高さは低いのだが、こちらもモジャモジャが出てきた。

大きな誤算だったのが、周りの雑草の生長である。これでは太陽光を遮ってしまい、農作物の生長に大きく影響してしまう。来年は何か良い方法を考えないと…。

キュウリは順調♪


ナスも順調♪


中間報告ではあるが、二つの種類の土の差は、ほとんど無いと言って良いであろう。つまり、今まで土をフルイにかけた時間は、すべて無駄な努力だったということである。しかし、キュウリやナスなどは別にして、ジャガイモやラッカセイなど、地中で生長する農作物に関しては、フサフサの土の方が手入れがしやすいと思われる。そう考えると、完全に無駄だったとも言い切れない気がする。

この時期、母は、農作物の収穫を何よりも楽しみにしている♪ 少しでも認知症の抑制につながれば幸いである♪

キュウリやナスがバンバン収穫できるので、母の笑いが止まらない♪


もうそろそろトマトも収穫できるかな。


1週間後…。


おぉぉぉ〜! トマトは収穫OK♪


ミニトマトも、いくつかは収穫OKかな。


頼んだ記憶はないのだが、母が雑草をかき分けながら勝手に収穫。この積極性…。本当に認知症なのか疑問を感じる…。

収穫した農作物の個数を数えてる…。そして、帰る時も…。


持ってあげるよぉぉぉ〜!


危ないからぁぁぁ〜!


ほらほらフラフラしてぇぇぇ〜!


ホッ! 無事に下りられて良かった。


どんなに危険な状況でも、収穫した農作物は絶対に手放さない♪


平安時代の受領の貪欲さを示した、“受領は倒るる所に土を掴め”という言葉がピッタリ♪


さらに1週間後…。


食べきれないほどの…。


農作物たち♪ ん?


あっ! スイカだっ!


おっ!こっちにも♪


軍手と比べると、その大きさが分かる♪


こっちも♪


同じツルに2つの実があると養分が分散されてしまって全滅の危険があるので、残念だが一つは間引く。

一つの苗に一つの実♪ 石の上に置いて生長を待つ♪


これは、間引いたスイカの実。もったいないので食べることにした。小さくても立派なスイカ。中身は赤くて美味しいであろう♪

…と思ったのだが、考えが甘かった…。確かに、少しだけスイカの味はするのだが、美味しいというレベルではなかった。

  2018/08/01  







【 認知症と向き合う 4 〜 症状と考察(2)〜 】

    今後の認知症の研究の為の資料になればと思い、私が見た母の症状をそのまま記述いたします。特に詳細なデータをとったわけではなく、私の個人的な印象のみで、何の根拠もないのだが、上の画像のように、母の目の下が赤くなった時、母の様子がおかしくなっているような気がする。その具体的な症状としては、「私が何を言っても納得しない」「突然、怒り出して物を投げる」「人の悪口を言い出す」「突然、激しく泣きながら私を罵倒する」などである。母の目の下が赤くなるのは、真夏・真冬・季節の変わり目・夜・母が疲れている時であり、その赤さの範囲によって、母の感情の状態を推量することができる。赤くなる範囲が狭い時も感情が高ぶっているのだが、範囲が広いと感情の高ぶりがさらに激しくなる。原因は不明だが、個人的には、「認知症と血流には何か関係があるのかなぁ…」と思っている。母の目の下が赤くなった時の対応としては、母の話をうなづきながら聞き、ただひたすら、「そうだよね」と共感するのみ。どんなに理不尽なことを言われても、「そうかぁ、それは俺が悪かったね」と言って必ず共感すること。自分が悪く言われても、特に怒る必要はない。なぜなら、次の日の朝には全てを忘れていて、「おはよう♪」と言って、ケロッとしているのだから。

  2018/08/08  






今回は、暮露暮露庵の玄関脇に作った花壇の続報です。


こんな感じ♪


花壇のつもりで作ったのだが、すっかり畑になっている。左側がカブで、右側がはつかダイコン。カブは順調に生長しているが、はつかダイコンは苦戦しているようである。やはり、プランターで発芽させて畑に植え替えるよりも、そのまま畑に植えて間引いたほうが良いようである。また一つ賢くなった♪

万一の場合に備えて残しておいたプランターのカブが全滅…。


はつかダイコンも同じく全滅…。


キュウリ・ミニトマト・ミヤコワスレは順調♪


朝顔・ラベンダー・スイセンも順調だと思うが、よく分からない。


これが、朝顔かな?


まあまあ順調だと思っていたのだが、二週間後…。


ジャングルになっていた…。


たぶん…、はつかダイコンとカブは全滅したであろう…。


キュウリとミニトマトは順調♪ ん〜、さすがに力強い♪


キュウリとミニトマトが生長した時のために、棒を組んで実がとりやすいようにした♪


一方、ラッカセイはというと、赤丸に異変が…。


どうも、上の写真の赤丸の黄色いものが、ラッカセイの花のようである♪


そして二週間後…。花壇と同じ状態になった…。


しかし、この畑の土はフルイにかけた土なので、サクサクと雑草がとれ、すぐに綺麗になった♪


  2018/08/12  






    今から1ヶ月ほど前だったろうか、ゴルフ選手である片山晋呉さん(=かたやま・しんご=45歳)の不適切な応対に関するニュースがテレビで放送されていた時、日本ゴルフツアー機構の会長である青木功さん(=あおき・いさお=75歳)が謝罪している姿を見ていて、ふと、私が警備員をしていた時に同僚から聞いた話を思い出した。

    昔、ある男子ゴルフの大会の警備をしていた時のことである。セキュリティのため、選手を含む大会関係者がクラブハウスに入場するためには、専用のIDカードの提示が必要なのだが、こともあろうに、私が所属していた警備会社は、全くゴルフに興味がない警備員をクラブハウスの出入り管理の担当にしてしまった。そして、当時、世界的に活躍していた青木さんがクラブハウスに入場しようとした時、その警備員は、IDカードを提示しないで入場しようとした青木さんに対し、「すいません! IDカードを見せてください!」と言って、青木さんの入場を認めなかった。“世界の青木”を知らなかったことにも驚いたのだが、もっと驚いたのは、青木さんが、「あっ、申し訳ありません。車の中にありますので、すぐに持ってきます」と言って、IDカードを取りに戻ったことである。大会の主催者から、「青木さんの顔くらい覚えておいてください!」と言われたそうだが、「IDカードがない者は通さないように」と言っているのも主催者である。警備員がIDカードの提示を求めた時、「何だと!俺のことを知らないのか!」という大会関係者も少なくない中、青木さんの行動は輝きを放つ。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2018/08/14  






今回は、以前に作った新しい畑の続報です。


私が母と一緒に山に行く途中、しばしば、道路で果物の販売をしている方を見かける。


ほぉ〜、モモを売ってるんだ。


へぇ〜、スイカも売ってるんだぁ〜。


しかし! 私にスイカは必要ない! なぜなら、今、私の畑でスイカを栽培しているのだから♪


うふっ♪ 素晴らしい畑♪


トウモロコシ(オリジナル)は、順調に生長している♪


トウモロコシ(+2)も順調♪


あまり雨が降らないからなのか…。キュウリは順調とは言えない…。


しかし、トマトは順調♪


スイカも順調…。ん?


あっ! 食べられてる!


だ…、誰がこんなことを…。


皮だけ少し食べられている…。


大丈夫かもしれないので、もう少しだけ様子を見ることにした。


ん〜、これはひどい…。スイカの傷口から推量すると、キツネ・タヌキ・野ウサギなどの小動物であろう。来年は、鉄格子で保護しなければ…。

ん?


こ…、これは!


1980年に発売されたナムコのゲーム…。


パックマンだっ!


おぉぉぉ〜!


結局…、モモとスイカを店で買ってきて…。


天然水で冷やして食べた…。来年は自分で育てたスイカを食べよっと♪


一方、ラッカセイはというと、しっかりとした花が咲き…。


順調に生長していた♪ ん〜、楽しみぃぃぃ〜♪


  2018/08/20  







【 認知症と向き合う 5 】

    認知症の患者を家族に持った方たちの参考になればと思い、今回は認知症と仕事に関する問題をそのまま記述することにした。母がアルツハイマー型の認知症であると診断されてから、私は、母の症状に合わせて4回も転職している。つまり、認知症の患者を持った家族は、その家族構成にもよるが、今までと同じように仕事をすることが困難になる場合があり、そうなった時の準備も必要になってくるということである。

    母が認知症と診断された去年の秋、私は半導体の製造工場Aに派遣されて働いていたのだが、ちょうど今年の2月末で派遣契約が満了し、お互いに契約を継続しなということが決定していたので、最後の2ヶ月間は、勤務時間を10:00〜15:00の実働4時間に変更し、デイサービスなどで母の世話をしていただける介護施設を探すことに奔走することにした。まずは、介護施設というものについてゼロから勉強し、母の症状に合った介護施設を探し出して通所を決定。今年の1月末から、週2回(月・金曜日)・9:00〜16:00(7時間)の条件でデイサービスの利用を開始した。

    2月末で半導体の製造工場Aを退職し、3月から半導体の製造工場Bに派遣されて働くことが決定。介護施設での母のデイサービスの利用状況も良好だったので、母のデイサービスの利用を、週3回(月・水・金曜日)・7:00〜18:30(11.5時間)の条件に変更し、私は、8:30〜17:30のフルタイム(土・日曜日が休日)で働き始めた。ただし、火・木曜日のみ、私が仕事をしている間は、母が独りで自宅にいなければならないという問題は未解決のままであった。

    半導体の製造工場Bで働き始めて約1ヶ月が経過した頃から、母の症状に変化が現われ始めた。それまで、私の仕事のことを考えて我慢してデイサービスに通ってくれていたのであろうか、朝、「デイサービスに行きたくない!」と言うことや、デイサービス中も、「すぐ家に帰りたい!」と言うことが多くなり、ついには、介護施設を抜け出して自宅に帰ろうとするまでに症状が進行してしまった。そして、デイサービスがない日には、仕事中に私の携帯に頻繁に電話をかけてくるなど、介護施設だけではなく、自宅に独りでいる時も症状の悪化が顕著になった。私がフルタイムで働きたいがために、週3回・1日11時間を越える通所を母に強制したことが招いた結果である。そのため、私は、フルタイムで働くことを断念。半導体の製造工場Bを退職し、同時に派遣会社のエントライズも4月末で退職した。

    その後、私が、家計簿に記述されている全ての生活費を見直した結果、現在の生活を維持するためには、最低でも6時間の労働が必要であることが分かったのだが、条件付きの6時間であり、いつの時間帯でも良いというわけではない。母の症状が安定しているのが、11:00〜15:00の間であるため、その時間帯に重なる勤務時間の仕事を探さなければならない。しかし、その時間帯に重なり、かつ、できるだけ高時給・短時間で働けるようなアルバイトは全くない。妥協に妥協を重ねてやっと見つけたのが、週5日・12:00〜18:00・時給800円のラブホテルでの清掃の仕事であった。そのため、母のデイサービスの利用を、週2回(月・金曜日)・11:00〜18:30(7.5時間)の条件に変更して、私は働き始めたのだが、母の病状が進行したのであろうか、デイサービス中の、「すぐ家に帰りたい!」も多くなり、デイサービスがない日にも、15:30頃から、「今どこにいるの?」「早く帰ってきて!恐い!」「家の中に誰かがいる!警察に電話したほうが良いかな?」など、私の携帯に頻繁に電話をかけてくるようになり、仕事中で電話に出られない時には、着信履歴が20件になっている日もあった。私が仕事中に腰を痛めたこともあり、ラブホテルの清掃の仕事は10日くらいで退職することになったのだが、現在の生活を維持するために必要な6時間の労働すら維持することが難しくなっていることは明白であった。

    そこで、今度は、デイサービスの条件は変更せず、労働時間を5時間に減らし、週5日・11:00〜16:00・時給820円の倉庫内での作業の仕事を始めた。私は、仕事が終わった時、母を安心させるために、「今から帰るからね」と必ず母に電話をかけていたのだが、ある日、仕事が終わって母に電話をかけた時、母が全く電話に出ないことがあった。何回かけても全く反応がなかったので、「家の中で倒れているのかもしれない」と思い、すぐに自宅に向かったのだが、途中で自宅から私の携帯に電話がかかってきて、私の知らない方が、「もしもし…、初めまして。私、Wと申します」と話し始めた。Wさんの話によると、Wさんは私と同じマンションの住人の方で、母が、仕事で自宅にいない私のことを認識できず、「誰かに連れ去られたのでは?」と心配して、私を探しに自宅を出たところ、自宅が分からなくなって迷子になっていた。そこに、偶然、母のことを知っていたWさんが通りかかり、「なんか様子がおかしい…」と思ったWさんが、母を自宅まで一緒に連れてきてくれたとのことであった。母が助かったのは幸運以外の何ものでもない。もし、Wさんと会っていなかったら、車にひかれて死んでいたかもしれない。次の日、会社の上司に事情を説明し、倉庫の仕事も2週間ほどで退職することになった。

    ここに至って私は事態の深刻さを認識し、自分の都合に合わせて仕事を続けながら母の介護をすることは不可能だと判断した。そのため、現在は、週4日・11:00〜1:00・時給1200円のパチンコ店の夜間清掃の仕事をしている。理由は、夜間のため、母は暗闇を恐がり、外出する可能性が極めて低いこと。また、2時間という短い時間だということである。確かに、母は、「夜、独りになると恐い…」と言っているが、2時間という短い時間であり、また、可能な限り母を安心させるための電話もしているので、今のところ問題はない。一日のほとんど全てを母と一緒に過ごすようになってから、安心したのであろうか、母の症状は極めて安定している。ただし、それと引き替えに、生活はかなり不安定になってしまった。現在は、できる範囲内で生活費を稼ぎ、国民年金保険料・国民健康保険料・所得税・住民税などのありとあらゆる税金の減免制度の利用を検討、または、すでに申請書を提出している。認知症の患者が家族にいても、仕事を続けることが可能な場合もあるが、私のように仕事を続けることが困難な場合もある。認知症の症状は患者によって異なり、一概に、「これっ!」という特効薬がないのが現状である。さてさて、これからどうするかな…。どうやら、母と私が乗っている舟の底には穴があいていて、少しずつ沈んでいるようである。私が頭をフル回転させないと、いずれこの舟は沈没してしまう。まぁ、あのタイタニック号も氷山に接触してから沈没するまでに約1時間40分かかったというから、私たちの乗っている舟も、すぐに沈没するということもないとは思うが。やれやれ…、なんとも困った話である。

  2018/08/25  






今回は、暮露暮露庵の玄関脇に作った花壇と新しい畑の続報です。


花壇は雑草がボウボウで、ジャングルのようになっている。植えてあるものはキュウリとミニトマト。


支柱が崩れてしまったため、キュウリが地面に接触してしまった…。


どこにキュウリがあるのか分からない…。


草ボウボウで日光が当たらないためなのか、ミニトマトの生長が遅いような気がする。


とりあえず、キュウリとミニトマトの周りだけ整理した♪


雑草で見えなかったが、思っていたよりも収穫できた♪


こちらは、新しい畑♪ もうそろそろ終了かな。


母も残念そうにしている…。


今年は水不足だったせいか、トウモロコシの生長が悪い…。因みに、上の写真は、トウモロコシ(オリジナル)。

ピンボケで申し訳ないが、上の写真は、トウモロコシ(+2)。こちらも、生長が悪い…。


上の写真は、前回、小動物の被害にあったスイカ。被害が少なかったので、そのままにして様子を見ていたのだが…。

二週間後…、また荒らされていた…。


今度は完全に食べられてる…。チクショー!


あっ!


すげぇぇぇ〜! 私がこんなに落ち込んでいるのに、第一の被害者であるスイカは悲しむこともなく、すでに新しい命を生長させていた! 自然ってすごい♪

上が、花壇で獲れた農作物。下が、新しい畑で獲れた農作物。この差は、たぶん日照時間と水不足の問題だと思う。来年は新しい畑の周りの雑草を刈って日光を確保し、水不足になりがちな斜面という地形をなんとかしなければ。

二週間後…。


あっ! トウモロコシ(オリジナル)が食べられてる! そして、スイカも…。


根から引き抜かれてる!


このスイカ・トウモロコシ殺人事件の犯人は誰なのか? 2年ほど前にも同じような事件があり、実は、すでに犯人のアジトも発見している。上の図の、×印が犯人のアジトである。

2年ほど前、私は、ある名探偵に事件の調査を依頼した。そして、その名探偵が犯人のアジトを発見してくれた。

あっ!


す…、 巣だ!


こっちにも!


ん〜。


これは…、いったい何の巣なんだ…。


ん?


こ…、これは!


タ…、タヌキだ! 犯人はタヌキだったんだ!


この信楽焼の写真が何よりの証拠!


こうして事件を解決した名探偵は、ぼったくった高額な調査費と共に、颯爽と去っていったのであった…。めでたし、めでたし。

  2018/09/04  






    私の父は、平成21年2月10日、癌で死んでしまった。私は、「早いもんだなぁ…、もう9年になるのか…」と思っているのだが、母は違うようで、認知症になった今でも、夜中、「お父さん…、お父さん…」と呟きながら、シクシク泣いている時がある。

    母は、お盆になると、上の画像のように、自分の畑で育てて収穫したキュウリとナスを使って飾り付けをするのを楽しみにしている。これらの行為には、先祖の霊が、キュウリの馬に乗って少しでも早く帰ってこられるように、そして、ナスの牛に乗って少しでも遅く帰っていかれるようにという願いが込められているという。

キュウリで馬を作って…、父が早く帰ってきますように♪


ナスで牛を作って…、父がゆっくり帰っていきますように♪


分かりやすっ!


先祖の霊の前で…、こんなことが許されるのだろうか…。


  2018/09/08  






今回は、暮露暮露庵の玄関脇に作った花壇と新しい畑の続報です。


花壇で栽培していたキュウリなどもシーズン終了…。


新しい畑での栽培もシーズン終了…。


新しい畑では、もうシーズンが終了したにもかかわらず、トマトが必死に実をならせようとしていた。自然の力はすごい♪

同様にナスも必死に花を咲かせようとしていた。


因みに、近くにある山椒の木には実がなっていた。


山椒の実は食べられるそうなので、来年は実の収穫の仕方を勉強して実を収穫してみようと思う♪


これは、別の畑で栽培しているラッカセイ…。雑草がボウボウでラッカセイが見えない…。


雑草を刈った♪


あっ!


ラッカセイの実ができてるっ!


母が、「もう大丈夫よ、収穫して食べよう♪」と言ったので、収穫して中を見てみると…。


全然ダメ! 収穫が早すぎた! 今シーズンの最後の楽しみなので、慎重に栽培することにする♪


  2018/09/23  






    平成30年9月20日、自由民主党の総裁選挙で、安倍晋三さんが石破茂さんを破って自民党の総裁になったのだが、ふと、昔、何かのテレビ番組で、歴代の内閣総理大臣の顔写真を撮影している専属の写真家の方が話していた内容を思い出した。その方は、「私は写真家なので、政治に関しては詳しくありません。しかし、歴代の総理大臣の顔写真を撮影していて気づいたのですが、仕事ができる総理大臣は、日が経つにつれて、顔つきが“悪人面”に変わります」と話していた。そして、その発言に対して、司会者の方が、「安倍総理の顔は、どうですか?悪人面になってきてますか?」と聞いた時、その方は、「悪人面になってきました」と答えて笑っていた。

    昔、東京都知事で、都民のために社会保障を充実させ、都知事を辞める際には、東京都民の拍手喝采を受け、七色の紙吹雪を受けながら満面の笑みで都庁を去っていった都知事がいたが、その“社会保障の充実”のための莫大な借金を残された次の都知事は、その任期の少なくない時間を財政再建に費やすことになってしまった。そういう時代だったのであろうか、財政を考えずに社会保障を増大させた都知事は称賛され、そのツケを払わされた都知事は忌み嫌われた。そして、当時の東京都民は、「あの都知事の時代は良かった…」と回想するほど、社会状況に対する当事者としての意識が低かったのである。

    いつの時代も、国民というものは、「早く経済を立て直せ!」「もっと社会保障を充実させろ!」など、見通しの甘い自分勝手な要望を主張するものである。しかし、政治家というものは、国民の耳に心地よいことばかりを言ってニコニコしているわけにもいかない。国民の要望と厳しい現実との板挟みになった時、本当に日本国の将来を考えている総理大臣であれば、日増しに表情が厳しくなっていき、顔が悪人面に変わっていくのは至極当然のことであり、また、そういう総理大臣でなければ国民は困ってしまうのである。

  2018/10/02  






    最近、ネットで面白い言葉を見つけた。“死ぬこと以外はカスリ傷”・“あったら便利はなくても大丈夫”などである。因みに、誰が、いつ、どのような時に言った言葉なのかは不明とのこと。言葉というものは面白いもので、誰が言ったのか分からないような、たった一つの言葉で、心が救われることがある。

    昔、私の父が癌で死んだ時、私は、母から聞いた話に救われた。母が子供だった頃の話なのだが、ある葬式で、そこにいた知らない大人が次のような話をしていたという。「これだけ多くの人間が死んでいるのに、誰一人として帰って来ないんだから、あの世っていうのは、よっぽど良いところなんだねえ」と。荒唐無稽で笑ってしまいそうな話であるが、当時の私にとっては、もっとも救いとなった言葉であり、今でもハッキリと記憶している。ただそれだけの話なのだが、尊い話だと思ったので記述しておくことにした。

  2018/10/22  






現在、私は、パチンコ店で深夜清掃のアルバイトをしているのだが、清掃中、店内のパチンコ台から、「パチンコ・パチスロは適度に楽しむ遊びだぜぇ〜、のめり込みに注意するんだぜぇ〜」という、「○○だぜぇ〜、 ワイルドだろ〜」で一世を風靡した、お笑い芸人であるスギちゃんのギャンブル依存症への注意喚起の声が聞こえてくる。これを聞いていて、一抹の寂しさを感じた…。

「全然、ワイルドじゃない…。残念ながら、スギちゃんの時代は終わった…」と。


古い時代が終わるということは、新しい時代が始まるということである。「パチンコ・パチスロはギャンブルだぜぇ〜、破産するまで楽しむ遊びだぜぇ〜、 ワイルドだろ〜」。おぉぉぉ〜!いよいよ暮露暮露の時代が来たぁぁぁ〜!

昔、ビートたけしさんのテレビタックルという番組で、ギャンブル依存症で不幸な人生を送っている人間の例を挙げ、ギャンブルへの規制を強化すべきだと主張していた有識者に対し、作家である黒鉄ヒロシさんが、「私はギャンブルが好きなんです。ギャンブルで不幸になる権利もあるはずだ!」と反論していたが、黒鉄さんの話を聞いていて、「ん〜、そういう人生もあるか」と妙に納得した記憶がある。個人的には「とは言っても、そこそこに…」とも思うが、破産を覚悟してギャンブルをしている人間に対して、「ギャンブルは適度に楽しみましょう♪」と言うのも、何か違うような気がする。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2018/10/28  






    現在、KYB(株)グループによるダンパーの検査データの改ざん問題が世の中を騒がせている。KYB(株)グループがダンパーの検査データを改ざんし、国の基準を満たしていない製品などを販売。その被害は病院やマンションなど、全国の約1000の建物に及ぶらしい。因みに、ダンパーとは、振動のエネルギーを消したり散らせたりして、その振動を軽減する装置のことである。

    この問題の報道を見ていると、ふと、2005年に世の中を騒がせた、“姉歯事件”のことを思い出す。姉歯事件とは、当時、一級建築士であった姉歯秀次さん(=あねは・ひでつぐ)が、地震などに対する安全性を示した構造計算書を偽装していた問題のことである。メディアでは、偽装された構造計算書で建てられたマンションなどを数千万円で購入した方たちが、涙ながらに不安を訴えている姿が連日のように放送されていた。ウェブサイト“お先にご無礼しました”の記事によると (ここをクリックすれば当該サイトを閲覧できます)、 当時、証人喚問された姉歯さんが国会で、「数値が国の基準に満たなくても、建物の耐震性能が優れているので、偽装とは思っていない」という趣旨の発言をして非難されたが、2011年3月11日に東日本大震災が発生した時、「震度5以上の地震がきたら建物が倒壊する恐れがある」と報道されていた姉歯さんが設計していた建物には、条件つきではあるものの、ほとんど被害がなく、奇しくも、その発言が正しかったことが証明されたそうである。

    上記の記事が正しいと仮定すると、姉歯さんが国の基準を順守しなかったことも確かに問題ではあるが、同時に、国の基準が厳しすぎるということも問題にするべきであるし、さらには、「早くしろ!安くしろ!」という消費者の姿勢も問題にするべきなのである。よって、今後、私たちは、「国は、国民の安全を確保するために厳しい基準を設ける。また、消費者は、「安全を確保するにはコストがかかる」・「適正な製品を製造するには時間がかかる」ということを理解し、つまらない値下げや納期の短縮などを要求しない。そして最後に、業者は、消費者などに対して偽りなく正しい情報を提供し、その道の職人として適正な価格で誠実に商売をする」という姿勢で臨むべきである。ところが、実際は、そうなることはないということが容易に推量できる。だから、同じことが何度も繰り返されるのである。国は、自分たちへの責任追及を回避するため、より厳しい基準を設け、消費者は、自分たちが当事者であることにも気づかず、コストを下げることに躍起になる。そして、国の基準と消費者の圧力の板挟みになる業者は、チェック機能が甘く、表に出にくいもので手抜きをして安くした製品を消費者に販売し、国には基準を守っているという嘘の報告をする。この構造が改められない限り、同じようなことが延々と繰り返されることになる。

    世の中の人たちは、今回のKYB(株)グループによるダンパーの検査データの改ざんを問題視して騒いでいるが、現在の建築基準法を順守しなければならない僅か数千の建物を問題視しているわりには、その法律が施行される以前に建てられた耐震性の弱い無数の建物に関しては無関心である。同じように、ただ法律を守らなかったというだけで、奥さんが自殺に追い込まれるほど姉歯さんを責めたのに、「建物は、かなりの強度を保っているので、震度7〜8でも十分に耐えられる」という、姉歯さんの主張が正しかったことに関しては、それを振り返って謝罪することもない。まったく、困ったものである。因みに、私の自宅マンションの近くに築40年ほどと思われる建物があるのだが、あの東日本大震災でも倒壊することはなかった。その古い建物を見るたびに、私は笑ってしまうのである。

  2018/11/02  






    2018年8月21日、仙台市にある宮城県工業高校の男子生徒(15歳)が、自宅で自殺しているのが発見された。メディアの報道によると、「遺族は、『担任の罵声などで追い詰められた』と説明しています」とのことである。この遺族の説明が正しいのかどうかは、しっかりと検証してみないと分からないが、どうして、同様の出来事が後を絶たないのかとは思ってしまう。このような話を聞くと、2006年12月2日に朝日新聞に掲載された、さかなクンの、「広い海へ出てみよう」という文章を思い出す (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 さかなクンによると、メジナという魚は、広い海の中では仲間をイジメないが、狭い水槽に入れると、仲間の一匹を仲間外れにしてイジメが始まるという。つまり、広い海ならイジメはないが、小さな世界に閉じ込めるとイジメが始まるというのである。「メジナは海の中では仲良く群れて泳いでいる」という部分には、少しだけ、「本当かなぁ…。海の中でもイジメてるような気がするが…」とも思うが、まぁ、さかなクンの主張の趣旨は理解できる。

    2018年7月20日の河北新報に、「<仙台市いじめ防止条例>教員・保護者の役割明記 市議会で負担増懸念の声」という記事が掲載されていたが (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)、 語弊を恐れずに説明すると、この記事は、「もう私たちだけでは対応しきれませんので、保護者も役割を分担してください。条例は整備しておきますので」と言っているのである。いつも思うことなのだが、なぜ学校に通うことにこだわるのだろうか?学校というものは、確かに、ある一定の役割を果たしているとは思うが、決してそれ以上のものではない。所詮、人間が運営している組織であり、そこで働いている人間の能力にも限界がある。「学校にいたいと思ったらいれば良いし、嫌だと思ったら退学すれば良い」という程度の認識で良いのではなかろうか。

    学校では“優秀な生徒”であったとしても、卒業して社会人になった瞬間に“ダメな社員”になる場合もある。反対に、学校にいた時には問題ばかり起こしていた生徒が、学校を卒業して自分の好きな進路に進んだ瞬間に活き活きと輝く場合もある。そもそも、先生という職に相応しくない人間が、その職に就いている場合もあるのである。学校というものを、“その程度の組織”と思っていれば、「学校で嫌なことがあったから自殺する」などということが、実にバカバカしく思えてくるはずである。世の中には、楽しいことが山ほどある。一緒にいると楽しい人間が山ほどいる。そして、君たちの才能が開花するのを待ち望んでいる人間が山ほどいるのである。ごく一部の嫌な人間のために、学校という組織のために死ぬなどということは、「命がもったいない」の一言である。命は、たった一つしかない。だから、もっと大切に、もっと慎重に、もっと力強く使い切ってほしい。

    上の画像は、今から約26年前、当時の私が読んで印象に残り、切り抜いて保存していた漫画の一コマである。ふと、この漫画のことを思い出したので、物置の中から引っ張り出してきた。この記事の内容に相応しいかどうかは分からないが、いくつかの大切な要素が盛り込まれている漫画なので、何かの参考になると思って掲載することにした。この漫画は、1993年8月1日、週刊少年ジャンプ増刊 Summer Special に掲載されていた、道元むねのりさん(=みちもと・むねのり)の“ゼンリョク少年”という作品である。興味のある方は、ご覧ください。 (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。

  2018/11/06  






    平成30年10月10日、NHKのクローズアップ現代という番組で、個人向けの不動産融資で数々の不正が明らかになったスルガ銀行の問題を取り上げていた (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 この問題の背景には、個人による積極的な不動産投資への意欲があるという。番組の中で、武蔵コーポレーションの社長である大谷義武さん(=おおや・よしたけ)は、「“将来への不安”が最大の要因です。将来への不安が無ければ、ここまでの不動産投資市場は形成されていなかったと思います。現在、その不安がますます加速しています」という趣旨の分析をしていた。また、この番組には、マンションオーナーをしている主婦の杉村八千代さん(=すぎむら・やちよ)という方も出演していたのだが、杉村さんが不動産投資を始めたのは3年前で、その頃は、「将来が豊かになるイメージが全然わかなかった。以前は、定期貯金や積み立てで一生懸命ふやしていたが、金利が0.1%ほどになってしまっているので、今までの増やし方で老後のために備えるのは厳しいと思った」というようなことを感じていたという。杉村さんが所有している高級そうな車のことを問われると、「不動産投資をやり始めてから、お金を貯めて買いました」と、ニコニコと嬉しそうに答えていたのが印象的であった。

    自動車の部品工場に勤めている杉村さんの夫の年収は500万円ほど。杉村さんは、不動産投資を始める前、家計を支えようと清掃などのパートをしていたのだが、それでも生活にゆとりがないと感じていたらしい。そして、老後のことを考えると、とても預貯金だけでは安心できないので、もっと資産を増やしたいと考え始めた。そんな時、雑誌などで不動産投資が人気を集めていることを知り、自分も不動産投資をすることを決意。2億3500万円で3棟のマンションを購入するため、その全額を地元の信用金庫に融資してもらったという。その3棟が全て満室になれば、毎月の家賃収入は合わせて144万円になり、そこからローンの返済や諸経費など約86万円を差し引くと、杉村さんには、毎月、約57万円が残ることになる。杉村さんの話によると、「大きなお金が動きますが、残るお金も大きいので、運用していけば通帳にどんどんお金が貯まっていきます。その実感を覚えると、しっかり満室にしていけば、ちゃんと運用できるんだなと思いました」とのこと。今後、杉村さんは空室のリスクに備えるため、マンションを6棟に増やすそうである。

    もう誰もが気づいていると思うが、現在、杉村さんは、かなり危機的な状態にいると思われる。私は、不動産投資に関してはトンチンカンのド素人であるが、その私でさえ、杉村さんの不動産投資にはさまざまな疑問を感じる。「@現在は満室というが、将来、全6棟で多くの空室が出た場合、どのように家賃収入の減少を補填するのか?A多くの空室が出た場合、当然、家賃収入は減少することになる。しかし、その場合でも、固定資産税・都市計画税・管理費・修繕費などの出費はそのままである。それら多額の支払いはどうするのか?Bマンションのインフラの老朽化やマンション自体の老朽化などが深刻になり、それらによる空室が出た場合、家賃を下げて入居者を募集しなければならなくなる。その家賃収入の減少によるリスクをどのように考えているのか?C築年数が経って老朽化が深刻になった場合、巨額の修繕費が必要になる。その修繕費の準備金は諸経費に含まれているのか?Dマンションの入居者が善良な住人であれば良いのだが、そうではない住人が入居してしまった場合、どのような対応をするのか?E家賃の滞納があった場合、どのような対応をするのか?F上記のようなリスクが現実になった場合、所有している不動産による家賃収入が激減することになる。その時、マンションのローンは計画どおりに返済できるのか?」などが、その疑問である。不動産というものは、所有しているだけで多くの金と時間がかかる。杉村さんの計算どおりに儲かるなら、銀行は個人向け融資などせず、自分たちで不動産投資をしているはずである。上の画像は、フランス人の画家であるジョルジュ・ビゴーが日露戦争を風刺したもの。イギリス人が日本人に、ロシア人が焼いている美味しそうな栗を奪うようにけしかけている。これと同じように、老後を不安に感じている個人投資家に対し、銀行が大きなリスクを個人投資家だけに押し付け、自分たちは甘い利益だけを奪おうとしているように見える。もともとは、杉村さんの老後の不安に端を発しているのだが、いつの間にかマンション経営に巻き込まれ、仮にマンション経営が破綻した場合、杉村さんは多額の負債を残すことになり、老後の貯えどころではなくなってくる。杉村さんには、マンションの老朽化が深刻になる前に、マンションがまだ新築同然である時点での転売をお勧めする。

    杉村さんの夫の年収は500万円ほどで、杉村さん本人も清掃などのパートをしていたという。子供がいるのかどうかまでは報道されていなかったが、仮に子供がいたとしても十分であろう。因みに、現在、私は週4日・1日2時間の清掃のアルバイトだけなので、年収は60万円ほどである。確かにギリギリではあるが、最低限度の生活はできるので特に不満はない。杉村さんは、すでに幸福だったのに、そのことに気づいていなかったのであろう。杉村さんに限らず、最近、やたらと老後の不安を感じている方が多いように思う。しかし、「老後のことを考えると不安」と主張するわりには、老後の“何を”不安に思っているのかということが欠けているし、どうして不安を感じるに至ったのかということの説明もない。例えば、「お金が少ないのが不安」というのであれば、“いくら”あれば安心することができるのか。そもそも、なぜ、お金を持っていれば安心することができるという主張に至ったのかということである。仮に、10億円の預貯金があったとしても、今、不治の病になれば死ぬしかない。それどころか、病気で死ぬ前に、その10億円の預貯金を奪いにきた盗賊に襲われて殺されるかもしれない。また、何の落ち度がなくても、今日、道を歩いているだけで通り魔に刺されて死ぬかもしれない。その他にも無数のリスクが存在しているのである。自分に老後なるものが本当に来るのかも分からないのに、なぜ、お金だけを突出したものとして考えるのか。お金を持っていたとしても、必ずしも安心にはつながらないのである。10万円を手にすれば20万円ほしくなる。20万円を手にすれば30万円ほしくなる。人間の“欲”というものは、そういうものなのである。大切なのは欲を抑えて、必要以上な不安感を持たないこと。そして、覚悟を決める。つまり、“ある程度”リスクに備えたら、仮に、それが足りなかったとしても、「しかたがない…」と受け入れる覚悟を持つということである。果たして、今、自分が考えている老後のイメージが適切なものなのか、もう一度、よくよく自分の頭で考えてみることをお勧めする。

  2018/11/19  






    先日、近所の床屋さんに行ってきた。どこの床屋さんでも、カット終了後に店員さんが、「こんな感じて良いですか?」と言って、鏡に頭部を映して見せてくれると思うが、私は視力が0.05なので、眼鏡をかけないとほとんど見えない。一生懸命にカットしてくれる店員さんには悪いが、私は、髪型を全く気にしない人間なので、今まで眼鏡をかけず、頭髪の状態が見えないままOKを出していた。しかし、今回は、なんの気まぐれか、眼鏡をかけてしまった。そして、鏡に映った自分の頭髪を見た瞬間、たいへん驚いた。

    上の写真は、私の頭部を上から撮影したもの。頭髪の砂漠化が顕著であることは明白だが、実は、このような状態は、私が中学生の時の状態とほとんど変わっていない。頭髪が薄くても、その人間自体の価値には何の影響もないので、全くハゲていることを気にすることはない。実際、「あの人…、ハゲたら性格が悪くなったよね…。嫌な人…」などと評価されたことはないし、むしろ、カツラ業界からの評価はウナギ上りであろう。

    私が驚いたのは頭髪のことではなく、今から35年ほど前の床屋さんの言葉である。私が中学生だった時、床屋さんに、「俺は髪が薄いけど、ハゲるのかなぁ」と聞いたところ、その床屋さんは、「いや、これ以上はハゲないね。今まで多くの人間の髪を見てきたけど、こういうタイプがハゲたのは見たことがない。たぶん、このままだと思うよ」と答えた。私は、科学的な根拠を求めるタイプの人間なので、人間の勘というものは信用しない。しかし、今、その床屋さんの言葉が正しかったことが証明されたので、“職人の勘”の凄さに驚いたのである。世の中の全てのことが、科学的に説明できるわけではない。むしろ、科学的に説明できないことの方が多い。だからこそ、私のようなタイプの人間には、「科学的な根拠はないが、長年の経験から、『たぶん、こうだろう』という考え方」を尊重することが大切なのだと改めて思った。因みに、100年ほど前から行われ、現在では、さほど危険もなく一般的に行われている全身麻酔は、なぜ意識がなくなるのか、なぜ痛みを感じなくなるのか、なぜ体が動かなくなるのか、なぜ呼吸ができなくなるのか、そのメカニズムについては、あまりよく分かっていないという。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2018/11/25  






    先日、ある家に1万円を送金しなければならなくなり、できるだけ早く送金したかったので、「現金書留にすると、明日になってしまうなぁ…」と思い、普通の封筒に1万円札を入れて、夜中のうちにポストに投函した。しかし、先方に確認したところ、一週間たっても配達されていないとのこと。そのため、郵便局に配達の確認をしようとしたのだが、ちょうどその頃、テレビで郵便局員の不正行為が報道されていたこともあり、私は、「ん〜、ペラペラの封筒に入れたから、少し1万円札が透けて見えていたなぁ…。もし郵便局員が盗んでいたら、俺が犯罪を誘発したことになる…」と思い、誰かを窃盗犯にしてしまうのは気が重いので、1万円は諦め、後日、今度はちゃんと現金書留で1万円を送金した。すると数日後、郵便局から速達が届いたので、「おっ!1万円が入っているのかな?」と思って開封したところ、「今回のあなたの行為は、郵便法の第17条に違反しています。上記の期日までに身分証明書と印鑑を持って、仙台東郵便局まで…」という趣旨の書類が入っていた。私は、郵便局に気をつかって配達の確認を遠慮したのだが、郵便局は、私に遠慮することなく法律の順守を迫ってきたのである。現金をそのまま封筒に入れて送付した私が悪いということは分かっている。それを分かった上でのことなのだが、なんとなく寂しさを感じるのはなぜだろう…。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。






    現在、私は、“郵政民営化を徹底する会”の結成を予定している。特に深い意味はない。単なる私怨である…。

  2018/12/02  






平成30年10月3日、久しぶりに山に行ったのだが、そこには、イノシシに荒らされた畑が広がっていた…。

収穫前のラッカセイが無残な姿に…。


15本の苗のうち13本がイノシシに引き抜かれていた。無事だったのは2本だけ…。


これは、引き抜かれた13本の苗…。


もしかしたら、苗が生きているかもしれないので、無事だったラッカセイの周辺に再び植えてみた。


一生懸命に作った池もほぼ全滅…。


あ〜ぁ…。


これはひどい…。


徹底的だなぁ…。


これは、お隣のMさんの敷地。整然と並んでいたブロックも、このありさま…。


草ボウボウになってきたので、雑草を刈ることにした。


雑草を刈っていると…。


おっ!ミニトマトが残ってた♪


こんなにいっぱい!


ガンバる83歳♪


雑草がこんなに…。


なんとか地面が見えるようになった♪


斜面の畑もこんな感じ。


おっ!ミニトマトが2つも!


ナスもなってる!


こっちには2本も♪


おぉぉぉ〜!中玉トマトがぁぁぁ〜!急いで収穫だぁぁぁ〜!


チッ!


ふふふ…。面白い悪戯を思いついた♪


「お母さぁ〜ん。トマトあげるぅぅぅ〜♪」。


「ほぉ〜ら♪美味しそう♪」。


「ハハハハハ!美味しそうだなぁぁぁ〜♪」。


ギャハハハハハハハ〜!


冗談だってば…。


  2018/12/13  






    2017年6月5日、東名高速でAさんが、Bさんとその家族が乗った車両を複数回にわたってあおった後、追い越し車線にBさんの車両を強制的に停止させたところ、後続のトラックに追突されてBさん夫婦が死亡。その娘さん2人も傷害を負うという何とも痛ましい事件が発生してしまった。そして、2018年12月14日、横浜地方裁判所で、その事件の判決があり、裁判所はAさんに危険運転致死傷罪の適用を認めたのだが、この事件への危険運転致死傷罪の適用には賛否があり、今後も議論を呼びそうである。

    私は、今までにあおられたという経験がほとんどない。因みに、私は、車両を運転し始めてから30年ほどになるのだが、未だに助手席に座る方に、「何年ぶりの運転?」と言われるほどの運転技術である。そのため、運転中は後続の車両にも気を配り、道の脇に停車するなどして、どんどん道を譲っている。信号機が多くある一般道で道を譲っても、目的地までの所要時間は10分も変わらない。その数分を短縮するために事故を起こすような危険な運転をするくらいなら、10分だけ早く家を出れば済む話である。

    車両というものは、心の穏やかな人間が適正に使えば便利なものであるが、すぐに感情的になって話の通じない人間が使えば単なる凶器に過ぎない。すぐにカッとなって話も通じない人間が、日本刀を振り回して歩いているようなものである。そう考えれば、その対応も簡単になる。その人間が、「俺が通るんだから道を譲れ!」と言っているならば、道を譲れば良い。その人間が、「バカ野郎!遅いんだよ!」と言っていても、相手にせずに無視すれば良い。その人間が、車両から降りて近づいてきたら、相手にせず、その場から離れれば良い。「三十六計逃げるに如かず」。そのような人間には、何も望まない。話し合いも期待しない。争わない。あれこれ考えることなく、すぐにその場から逃げるだけである。なぜなら、そのような人間は、“病人”なのだから。車両のトラブルを起こさないために必要なのは、適正な運転技術と、人間の本質を見抜く目と、穏やかで寛容な心である。そして、不幸にしてトラブルが起こってしまった時に必要なのは、逮捕して重い量刑を科すことも大切ではあるが、同時に、病人の治療をすることも大切である。

  2018/12/21  






    私は、今年、健康診断において、脂質の異常で“要医療”の診断を受けた。各種のコレステロールの数値が高かったのである。今までも各種のコレステロールの数値は高かったのだが、とうとう観念して病院で治療していただくことにした。すると、医師から、「コレステロール値を下げる薬を30日分だしますので、夕食後に2錠だけ飲んでください。1ヶ月後、もう一度、血液検査でコレステロール値を見てみましょう」との指示があった。しかし、私は子供の頃から、「いいかい、良く聞くんだよ。医者が薬を4錠飲みなさいと言ったら、2錠だけ飲みなさい。医者が薬を3錠飲みなさいと言ったら、1錠だけ飲みなさい」と、私の母方の祖母と母から教えられていたので、今まで医師の指示どおりに薬を服用したことはない。そのため、「夕食後に2錠か…、ちょっと飲み過ぎだなぁ…」と思ったので、夕食後に1錠だけ飲むことにした。また、「1ヶ月かぁ…。毎日、薬を飲んだら健康に悪そうだなぁ…」とも思ったので、3日に1回の割合で薬を飲むことにした。つまり、「3日に1回、夕食後に1錠だけ薬を飲む」と、自己判断したのである。

    そして1ヶ月後、再び同じ病院に行って血液検査をしたところ、各種のコレステロール値は全て基準値の範囲内に収まっていた。実際に服用したのは、3日に1回、夕食後の服用のみだったので、1ヶ月で10錠だけである。しかし、医師から処方された薬は、夕食後に2錠ずつなので、1ヶ月で60錠にもなる。私の目標は、10錠で達成できた。ということは、私が医師の指示どおりに薬を服用していたら、50錠も飲み過ぎたことになる。さらに、「本当は10錠でも飲み過ぎなのでは…、5錠だけでも数値を下げることができたのかもしれない…」という疑問さえわいてくる。50錠も飲み過ぎていたら、何か他の病気になっていてもおかしくない。「病気を治そうとして薬を飲んだら、その病気は治ったものの、他の病気になった」。志村けんさんのコントのような話である。ただそれだけの話なのだが、面白かったので記述しておくことにした。

  2018/12/27  






    最近、身体的にもそうなのだが、特に精神的に老いを感じるようになった。昔から、私の最も誇れることは、「しっかりと人の話を最後まで聞く」ということであったのだが、近頃では、まだ人が話している途中なのに、「あぁ、あのことか」と思い込み、その人の話が続いているにも関わらず、その話に割り込んでしまうことが多くなってしまった。人が話している時に割り込むと、その方の話すペースを乱した上、その話の真意がこちらに伝わらなくなる。つまり、私は人の話の真意を十分に理解していないということである。このようなことでは、重要な決断を伴うことに関わることはできない。「これは、老害の初期症状なのかなぁ…」と、少し寂しく思いながらも、「そろそろ引退するべき時がきた」と自分に言い聞かせている。

    昔、「たかじんのそこまで言って委員会」というテレビ番組で、落語家である桂ざこばさん(=かつら・ざこば)と女性ゲストたちが口論になったことがあった。ざこばさんが、「女の一生とは何か?」と問われて、「女というものは、男に尽くして尽くして尽くして死んでいくもの」と答えたので、女性ゲストたちが全て敵となり、激しい口論となったのである。しかし、司会者の辛坊治郎さん(=しんぼう・じろう)が、「じゃあ、男の一生は?」と問うと、ざこばさんは、「男というものは、女に貢いで貢いで貢いで死んでいくもの」と答えた。「女は、男に尽くして死んでいくもの」までだと、「おや?ちょっと酷いぞ」とも思うが、「女は、男に尽くして死んでいくもの。男は、女に貢いで死んでいくもの」と、最後まで話を聞くと、さほど酷いことを言っているとは感じない。人の話は最後まで聞くものである。しっかりと最後まで聞かなければ、話している人間の真意を理解することができない上、自分自身が損をすることになるのである。

  2018/12/31