伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off


( 注意 )この文章は、一切、校正されていません。ブログというよりもメモ帳です。



むかし、むかし。ある村に、“世界初のネコの神様”が誕生したそうじゃ。


村人たちは、そのネコの神様に、「〇〇の病気が治りますように」や「〇〇が幸せになりますように」など、いろいろなお願いをしていた。

そして、今まで、そのネコの神様は、全ての願いを必ず叶えてくれたので、村人たちの目には、ネコの神様が輝いて見えた。ところがある日…。

そのネコの神様は、こんなお願いをされてしまった。困ったネコの神様は…。


「俺は!どうすればいいんだぁぁぁ〜!」と叫び、そのまま、うつ病になってしまった。


そして、今度は、“世界初の引きこもりネコ”として有名になり、村は観光収入でガッポガッポ金が儲かったので、その後、村人たちは幸せに暮らしたとさ。

めでたし、めでたし♪


本年も、よろしくお願いいたします。By Nekokami


  2019/01/07  






    私は、昨年で50歳になった。50年も生きていると、「ん〜、どちらの言っていることが正しいのだろうか…」と思うことも多くなってくる。昔、何かのテレビ番組で観たのだが、漫才師の上岡龍太郎さん(=かみおか・りゅうたろう)が、妻に毛皮のコートを買ってあげたくない作曲家の服部克久さん(=はっとり・かつひさ)と、どうしても毛皮のコートを買ってもらいたい服部さんの奥さんとの夫婦喧嘩の仲裁に入った時の話をしていた。

私が、「毛皮のコートを買って」と言っても、主人が「ダメだ」と言うんです。
上岡
買ってあげれば。金もってるんだから。
服部



いや、そのコートを作る毛皮のために、世界中で多くの動物たちが殺されているんです。悲しいじゃないですか。
上岡
そりゃそうだ。奥さん、毛皮のコートなんか着なくてもいいじゃないですか。




それはそうなんです…。ですが…、主人は毛皮のコートを持っているんです。不公平じゃありませんか?
上岡
そりゃズルいでしょ。自分だけ持ってるなんて。
服部





いや、自分で毛皮のコートを買って着てみて、その間違いに気づいたんです。日本は極寒の国ほど寒くはないので、そんなに立派な毛皮のコートは必要ありません。妻には、同じ間違いをしてほしくないんです。
上岡
ん〜。

    奥さんがコートを諦めれば済むような気もするが、すでにコートを持っている服部さんが上手く逃げ切ったような気もする。「どこがおかしいのかは指摘できないが、どこかがおかしい気がする」という、全く論理的ではない感情的なモヤモヤ感が残る話である。これと同じようなことが、私たちの日常生活には多いような気がする。これからの若い方たちには、従来のような、「一つしか答えがない問題、または、暗記していれば解ける問題を素早く正解する」という教育も大切だとは思うが、「答えが複数ある問題を解く。さらには、答えが無いような問題に対しても、『何とか問題を解こうとする姿勢』で臨むようにする」という教育も大切なのだと思う。

  2019/01/20  






    2018年12月26日、日本政府は、商業捕鯨の再開に向けて、鯨の資源管理をしている国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明した。昨年9月に開かれたIWCの総会で、日本政府が、資源が豊富な一部の鯨種の商業捕鯨の再開を提案したが否決され、このままIWCに加盟していても商業捕鯨の再開は困難だと判断したようである。 因みに、日本捕鯨協会によると (ここをクリック)、 捕鯨支持国は39ヶ国あり、反捕鯨国は49ヶ国とのことである。

    一見すると、両者は拮抗しているように見えるが、反捕鯨国の49ヶ国には、アメリカ・イギリスなど発言力の強い国が含まれているので、必ずしも拮抗しているとは言い切れない。しかも、それら反捕鯨国の主張は、語気が強いわりには論理性に乏しいので、さらに混迷に拍車をかけている。「牛・豚・鳥などの肉は食べ放題なのに、なぜ鯨の肉はダメなのか?」「捕鯨の方法が残酷だと主張しているが、西洋で多く食べられている牛・豚・鳥の殺し方は残酷ではないのか?」と、牛・豚・鳥などが殺されている食肉加工工場の映像を見せながら質問すると (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます。ただし、このような映像に嫌悪を感じる方は閲覧しないでください)、 激高して支離滅裂な答えが返ってくるようである。しかし、このようなことは、反捕鯨国に限ったことではない。捕鯨支持国にも同様のことが言えるのである。日本に関して言えば、仮に、私が日本政府に、「現在、鯨の肉を食べたことがあるという日本の若者たちは少ないはずです。私は今年で50歳になるが、私自身、鯨の肉を食べたことは1回しかない。それなのに、“日本の食文化”と謳い、IWCを脱退して捕鯨を再開する必要が本当にあるんですか?」と質問した場合、日本政府の答弁が苦しいものになることは容易に想像できる。そのような捕鯨支持国と反捕鯨国の対立を見ていると、「たかだか人間の世界だけでの感情的な議論なんだなぁ…」と思ってしまう。所詮、各々の国の主観や経済的な利益の主張をしているだけであり、偶然、反捕鯨国の数が多く、それらの中に発言力の強い国があったというだけのことらしい。

    人間たちのコロコロ変わる主観や経済的な利益などの都合で、ある時は乱獲の対象となり、またある時は保護の対象となる動物たちも、とんだ災難である。昨今、人間の頭脳の一部の代わりとなる人工知能の開発が盛んなようなので、試しに、クジラの人工知能を開発してみたらどうであろうか。そして、そのクジラの人工知能に問いかけるのである。「君たちを保護したいんだが、私たち人間は何をしたらいいだろうか?」と。恐らく、そのクジラの人工知能は次のように答えるはずである。「君たち人間にできること? 1日も早く、この地球から消えてくれ」と。引きつった笑いしか生まないジョークである。

  2019/02/06  






    昨年、私の母が通所している介護施設でクリスマスパーティーが催されたので、私も一緒に参加してきた。その時、介護施設の近所の保育園から1〜2歳の園児たちが10名ほど来て、歌を歌ってくれたのだが、その姿を見ていて、武田信玄が残したと言われる、「人は、童子の時より知れり」という言葉を、しみじみと味わうことができた。よくよく一人ひとりを見てみると、突然、泣き出す園児がいたかと思うと、しっかりと歌を歌う園児もいたりと、すでに、それぞれの個性が形成されているようである。特に私の印象に残ったのは、歌と踊りを完全に覚え、さらに周囲の状況を把握して、周りの不安そうな園児たちの手を優しく握っている園児がいたことである。すでにリーダーとしての資質をのぞかせていたのには驚いた。かなり以前から幼児教育の大切さに関しては聞いていたのだが、「なるほど、こういうことか」と思わせる光景であった。

    確かに、この段階で個々の園児の特性を把握することができれば、将来、その園児が社会の中でどのような役割を担えば成功するのかを分析し、その個性を最大限に活用することが可能になる。しかし、ここで忘れてはいけないのは、人間というものは、そんなに単純なものではないということである。幼児教育の大切さを否定するわけではないのだが、それを過信すると思わぬ落とし穴に落ちることになる。子供の頃から才能を発揮する人間もいれば、晩年になって才能を発揮する人間もいる。子供の頃には才能を発揮していたが、成人した途端に才能が消えてしまう人間もいる。その才能の輝き方や時期は、人によっていろいろだからである。また、「本人が自ら伸ばしたいと思う才能」と「教育している者が伸ばしたいと思う才能」が一致するとは限らない。もし、その才能を伸ばす理由が、「その才能を一生をかけて磨き続け、社会に貢献し、自身も幸福な人生を送るため」というのであれば、本人にとっても、周囲の人間にとっても幸福なことなのであろうが、「大きな会社に入社して金を稼ぎ、将来、安泰な生活をするため」という理由なのであれば、その才能自体が、その人間が幸福になるための害になってしまう可能性も出てくる。「そもそも、何のために、その人間の才能を伸ばそうとしているのか?」という問に対して、ある程度の解答を持っていることも大切なのである。

    この記事を書いている時、ふと、昔、何かのテレビ番組で放送されていた、アメリカの天才少年の実話を思い出した。その子供は、幼児期から才能が輝き始め、10歳くらいの時には飛び級によって高校・大学を卒業し、有名大学の教授として大人たちに専門教科を教えていた。ところが、金・地位・名誉の全てを手に入れた少年に、大人たちが、「あと何か望むものはありますか?」と聞いたところ、その少年は、「もう一度、小学校に戻りたい…」と答えた。その後、その少年は小学校に戻され、同じ年の子供たちと一緒に学校生活を楽しんだそうである。その人間の才能を輝かせることは大切だが、いくら社会にとって大切な才能であっても、その才能の輝き方や時期、そして特に、「何のために才能を伸ばすのか?」という理念に関しては熟慮が必要だということである。

  2019/02/13  






    2018年12月4日、角界の貴ノ岩さんが、宿泊先のホテルで付け人を殴るという事件が発生。同月7日に貴ノ岩さんが引退を発表し、日本相撲協会も公式サイトで、“暴力決別宣言”を掲載するに至った。2007年6月26日、時津風部屋に新弟子として入門した17歳の少年が、兄弟子などから暴行を受けて死亡するという痛ましい事件が発生してから約10年になるが、その後も悲惨な暴力事件が各界で続いているのは残念である。貴ノ岩さんの暴力事件後、日本相撲協会が発表した暴力根絶の資料が、小学生でもすでに理解しているような内容だったので、“ひるおび!”という番組に出演していた、小説家である室井佑月さん(=むろい・ゆづき)が、「10年以上も前に人が死んでいるのに、まだここ? 『もう勝手にすれば!』と思っちゃう」と発言していた。確かに、その言い回しには問題があるのかもしれないが、そのような気持ち自体には理解できる部分もある。

    メディアの報道を見ていると、日本相撲協会に対して批判的ではあるものの、「伝統ある日本の相撲を守らなくては」という考えが根底にあるように思う。しかし、私のように、そういう考え自体に疑問をもつ者もいるのである。つまり、「伝統ある日本の相撲を守る」=「現在の組織の温存」という図式になっている結果、角界の悪しき慣習を完全に破壊できないでいるということである。私の個人的な意見であるが、今すぐ日本から相撲が消えても特に問題はない。確かに、残念だとは思うが、もしゼロから苦労を重ねて角界が再構築されれば、今よりも強靭な組織として、私たちの前で十分に機能してくれるはずである。しかし、角界の方たちは、私の意見とは違うのではないだろうか。もし改革ができずに日本から相撲が消えれば、「力士」=「ただのメタボ」となり、自分たちの居場所がなくなってしまうのである。それが嫌なのであれば、もう少し自身の問題として真剣に捉え、少しずつでも自身を変えていく努力をしてもよいのではないかと思う。

    たとえ、どんなに伝統のあるものであっても、時代の流れに合わせることができないものは淘汰されるべきであると私は思う。相撲の他にも、歌舞伎や落語など、伝統のあるものは数多くある。それらのものは、その時代時代の流れに合わせながら、少しずつ組織や意識などを変えて、決して資金的に恵まれているわけではないにも関わらず、しぶとく生き抜いて現在に至っている。ふと、昔、何かの番組で、歌舞伎役者である十八代目の中村勘三郎さん(=なかむら・かんざぶろう)が言っていたことを思い出した。「私が舞台をやっている時、芸術鑑賞に来ていた中学生たちが、最前列でウトウト居眠りをしていたんです。歌舞伎ファンたちから、『よっ!中村屋!』『よっ!紀伊国屋!』と歌舞伎の屋号で声がかけられた時、そのウトウト居眠りをしていた中学生の一人がガバッと起きて、『 中村屋? 紀伊国屋? なんだ…、パン屋と本屋じゃねぇか… 』と言ってたんです」と言って、スタジオが笑いに包まれた。そして、「全く怒ってないですよ。それでいいんです。それでいいんですよ。そういう方たちにも分かるような歌舞伎に、愛されるような歌舞伎に変えていきたいんです」と続けていた。

    相撲の人気は復活の傾向にあり、毎回、相撲の会場は大入り満員だという。しかし、その一方で、力士になりたいという若者は減少している。暴力事件が頻発する相撲の世界に、大切な自分の子供を預けようとする親が、どのくらいいるのだろうか? 角界の方たちには、中村勘三郎さんのような謙虚にして冷静な対応が望まれる。「観客席は超満員だが、土俵で相撲をとる力士がいない」とは、とんだ笑い話である。

  2019/02/17  






    上の写真は、先日、ご結婚されたベッキーさんである。昔、不倫がどうこうとかで世の注目を集めていたらしいが、私の周辺では、そのような話題が上ることはなかったので、日本中が大騒ぎだったという話も、本当にそうだったのか疑わしいものである。現在、ベッキーさんが幸せなのであれば、それはそれでめでたいことだと思う。今も昔も、不倫などというものは、たいして珍しいことではないので、芸能人の方たちが不倫をしていても私は特に何も感じない。そんなことよりも、芸能人なのであれば、百年後まで残るような質の高い芸を見せてもらいたい。不倫などの問題行動に関しては、当事者の間で解決すればよいだけの話である。

    「有名人なら不倫をしても良いのか!」「有名人なら何をしても許されるのか!」「有名人だからこそ、しっかりしてもらいたい」などの意見も分からないわけではないが、それならば、有名な小説家である太宰治はどうなるのか。その乱れた私生活は周知の事実であるのに、毎年、彼の命日を桜桃忌と称し、メディアの取材などに対しても、「私、太宰のファンなんです♪」と満面の笑みで答えている女性も少なくない。「“普通の有名人”はダメだが、“突き抜けた有名人”なら良い」ということなのであろうか。私も昔は、その曖昧な評価基準に苦しめられていたのだが、現在では、そもそも、「そんな評価基準が本当に存在するのか?」「ただの好き嫌いなのではないのか?」と考えるようになり、そのような評価、また、そのような評価をしている方たちに対して、何の興味も示さなくなってしまった。

    人間というものは、大なり小なり“罪”を犯しながら生きている。そして、お互いの罪を許し合わなければ、人間の社会は成り立たないのである。ここでいう罪とは、「法律に違反している罪」ばかりではなく、「『法律には違反していないが、その行為はいかがなものか』という罪」も含んだものである。当事者は別として、第三者である人間だけは、冷静に、そして慎重に物事を判断すべきだと思う。時間が経過すれば許されるような罪は、たいしたものではないのだから。無論、当事者にも反省してもらわなければ困るのだが、「メディアの報道の仕方」「視聴者の情報の受け取り方」「自らが受け取った情報に対する執拗な非難や煽り」などに関しても、本当に当時の自分の主張や行動が正しいものであったのかを熟慮し、その反省を今後の自分の人生に活かすと同時に、今後、他人の心を傷つけることがないようにしていただきたい。ただし、人間の生死に関わるような、凶悪な強盗や殺人などの場合は、この限りではない。それは別の視点が必要な話である。

  2019/02/27  






2018年の家庭菜園に関しての記述を忘れていたので、今回、まとめて記述することにする。


ラッカセイの苗を15本も植えたのだが、そのうちの13本がイノシシに引き抜かれてしまった。そして、残った2本の周辺に、その引き抜かれた13本を植えなおして様子を見ていたのだが…。

やはりダメだった…。そのため、たった2本だけの収穫であった。


少しだけ実がなっていた…。


今年のラッカセイの収穫は、たったこれだけ…。


殻の中の一粒一粒は、しっかりとしていたので安心した♪


ラッカセイの実をフライパンで煎って食べた。少しだけ煎った柔らかいラッカセイも美味しかったが、完全に煎った硬いラッカセイも美味しかった♪

イチゴの苗がイノシシに根こそぎ食べられて全滅したと思っていたのだが、よく見てみると少しだけ残っていた。これらの苗から少しずつ殖やしていくことにする。何年かかることやら…。

雑草も乾いてカラカラになったので…。


ファイヤ〜♪


あんど、ふぁいやぁ〜♪


龍頭の池は、底が抜けてしまった。全く水がない…。


ここから水がダダ漏れ…。


毎年のことなのだが、得体のしれないキノコが姿を現わす。最初は可愛いのだが…。


アッという間に生長して…。


なんとなく不気味…。


来年は梅の実をたくさん収穫したいので、トンチンカンのド素人ではあるが、初めて梅の枝の剪定をしてみた。上手く剪定できたかなぁ…。

お隣のSさんから教えてもらった“アロッズ”というリサイクルショップで買った戸棚を、下駄箱として使用している。

因みに、値段は1500円。安っ!2019年も楽しめそうな土地である。


  2019/03/03  







【認知症と向き合う 6 】

    2019年1月24日、母が救急車で搬送された。今後、同じような状況になる方もいるかもしれないので、その詳細を以下に記録として残しておくことにする。認知症の患者・高齢者などが、いつなってもおかしくないことなので、知っていて損はないと思う。私はバタバタとした対応になってしまったが、みなさんが私と同じような状況になった時、的確にして迅速な対応をすることを祈る。

日 付
時 間
内 容
1月24日
02:30頃
母が、めまい・頭痛を訴えて起床。しかし、本人が、「寝れば大丈夫」と言ったので、そのまま様子を見ることにした。


08:30頃
母が、ゴミ箱に嘔吐している音で私が起床。すぐに、かかりつけの病院に行く準備をする。
08:32頃
母が、便意を感じてトイレに行く。その約8分後、トイレから出てきた母が、「黒い塊のウンチが出た」と訴える。少し休ませようとしてイスに座らせた時、再び嘔吐(めまいのためにフラフラして歩行は困難)。


08:40頃
119番に通報。
08:45頃
救急隊が到着。私が知っている全ての情報を提供(冷蔵庫の中にあるカブが少し黒ずんでいる等)。救急隊が脳梗塞の可能性があると判断。すぐに、仙台東脳神経外科に搬送。
■まとめ■
脳のCTスキャンと心電図などにより、脳梗塞と心筋梗塞の可能性は否定された。医師の診断によると、鉄欠乏性貧血の可能性が高いとのこと。医師から私に、「便の色などは分かりますか?」との質問があった。デイサービスでの入浴から返却された下着を私が洗濯しているので、「コールタールのような黒い便が付着していたことがあり、3〜4ヶ月前には、わずかではあるが、下着に血痕があったと思います」と返答した。医師から、「それらは、鉄欠乏性貧血の特徴の一つです」との説明を受け、合わせて、貧血の治療には長い時間がかかるという説明を受ける。そして、かかりつけの病院への紹介状を書いていただいた。
■母が訴えた症状■
@めまい…同日2:30頃、物が、時計回りにグルグル回っているように見える。同日8:30頃、仏壇が、垂直にグラグラしているように見える。A頭痛…頭のてっぺんから首の近くまで痛い。今までにも、「頭がフラフラする」という訴えはあったのだが、今回は、本人が、「今までの痛さとは違う。こんなに痛くはなかった」と強く訴えていた。B吐き気…胃の中には何もないのだが、ただただ激しく吐き続けていた。
1月25日
かかりつけの病院へ行ったのだが、医師から、「かなり進行しています。仙台医療センターへの紹介状を書きますので、今すぐに行ってください」との診断を受ける。同日、仙台医療センターで診察していただいたところ、「即入院するレベルです。すぐに胃の内視鏡検査をしますので、準備をしてください」と診断されたが、胃の内視鏡検査後、「胃には異常はありませんでした。しかし、腸で出血している可能性がありますので、28日に腸の内視鏡検査をします」とのこと。
1月27日
21:00頃
28日の腸の内視鏡検査のため、ピコスルファートNa(下剤)を服用。
1月28日
01:00頃
便意があったが、排便はせずに再び就寝。
02:00頃
排便あり。トイレまで我慢できずにオムツに排便。その排便の処理に時間がかかった。
03:30頃
再び就寝。その後は排便はなかった。
07:30頃
母が起床。
08:00頃
腸の内視鏡検査のため、モビプレップ(下剤)の服用を開始。
11:30頃
モビプレップによる排便が終了。
14:00頃
腸の内視鏡検査を実施。
■まとめ■
医師より、「大腸に異常は見られませんでした。小腸に異常がある可能性は低いのですが、念のため腹部の超音波検査をします」との診断あり。今後の予定は、2月13日に腹部の超音波検査を実施し、2月25日に検体検査(採血)をした後、医師による最終的な診断を受け、今後の治療の打ち合わせをするとのこと。
2月13日
仙台医療センターにて腹部の超音波検査を実施。
2月25日
検体検査(採血)をした後、医師による診断を受けたのだが、肝臓に嚢胞(のうほう)があるので、同月26日に腹部のCTスキャンを実施するとのこと。※肝嚢胞(かんのうほう)… 症状がなく肝機能も正常であることが多いが、少ないながらも出血や破裂の危険性もあることから、今回は念のため腹部のCTスキャンを実施。
2月26日
腹部のCTスキャンを実施。「肝臓に水が溜まっていますが、これは誰にでもあることなので、特に心配することはありません」との最終的な診断結果であった。これにより、鉄欠乏性貧血であったと断定。ヘモグロビン内の鉄分の数値も正常になったので、クエン酸第一鉄Na錠の服用に関しても、あと1週間ほどの服用で終了して良いとのこと。

    上記の乱れた文章が、当時の私の混乱ぶりを示している。結局、母の病名は、鉄欠乏性貧血であったのだが、恥ずかしながら、貧血という病気が、こんなにもたいへんな病気だとは知らなかった。私は、貧血と聞いても、「ふぅ〜ん」ぐらいの感覚だったのだが、医師は違っていた。医師にとっては、「なぜ貧血の状態になっているのか?」ということが大きな問題だったのである。そのため、胃・小腸・大腸・肝臓などの臓器を徹底的に検査した。医師は、「ただの貧血なのか?」、それとも、「どこかの臓器に悪性の腫瘍があり、そこから大量に出血しているために貧血になっているのか?」を知りたがった。

    以下に、どのくらい医師がそのことを知りたがっていたのかを、私が思い知ったエピソードを紹介する。仙台医療センターで胃の内視鏡検査をすることになった時、内視鏡検査を嫌う母が、「また後日にできませんか?」と言って断ろうとした。すると、担当の医師が、「そんなことを言ってる場合じゃないでしょ!」と声を荒げた。その医師の険しい表情を見て、私は、現在の母の立場を理解したのである。そのためなのであろうか、胃の内視鏡検査が終了し、「胃に異常はありませんでした♪入院はしなくていいですよ♪」と診断した時の、その医師のニコニコした表情が今でも忘れられない。

    今回は、ただの貧血で済んだが、次は、この程度で済むとは限らない。高齢者の介護は、何が起こっても不思議ではないのである。数日間、徹夜に近い状態が続いたので、介護する側の私も体力の消耗が激しかった。また次の緊急事態がくるまで、十分に休養して体力を回復させておくことにする。

  2019/03/12  






    2019年3月12日、俳優・ミュージシャンであるピエール瀧さん(=本名・瀧正則=たき・まさのり)が、麻薬取締法違反の疑いで逮捕された。各種の報道では、「関東信越厚生局麻薬取締部(通称=麻薬Gメン・マトリ)の調べに対し、ピエール瀧さんが、『20代の頃からコカインや大麻を使っていた』と供述していることが、捜査関係者への取材で分かった」とされているが、その“捜査関係者”が誰なのかは公表されていない。そのため、その捜査関係者とやらが実在している人間なのか、また、実在していたとして、その人間の証言が事実なのか、それらのことを誰も検証することができないのである。この種の報道は、当局が自分たちに都合のいい情報のみをリークしている可能性があるので、そのまま信用することはできない。

    「どのような入手経路で、どのような種類の禁止薬物を、どのくらいの量、どのくらいの期間にわたって使用したのか。また、それによって周囲にどれくらいの悪影響を及ぼしたのか」など、その正確な実態がほとんど分かっていないのに、すでに、音楽・映画・ドラマ・アニメ・ゲームなどの販売・配信停止など、多くの方面にその影響が広がっているようである。まだ裁判もされていないので、当然、判決も受けていない。それどころか、まだ起訴すらされていないのである。その実態が分かっていないのに、最終的な判決も受けていないのに、なぜ先行してこんなにも多くの社会的な責任を追及されなければいけないのか? いつものことなのであるが、いくらなんでもやりすぎである。

    ピエール瀧さんが出演している映画が観たくなければ、映画館に行かなければよいのである。ピエール瀧さんが出演しているテレビ番組を観たくなければ、チャンネルを変えればよいのである。「テレビは不特定多数の人間が観る。その中には子供も含まれているので、教育のために良くない」という意見があるようだが、それならば、本当に禁止薬物を使用したのか分からない人間に対して、まだ起訴すらされていない人間に対して、「〇〇の関係者によると…」など、情報源も公表せず、かつ、その内容も確認ができない情報で、さも極悪人のような報道を垂れ流しにするのは、子供の教育にとって有益なのであろうか。また、ネットには、ピエール瀧さんの自宅の住所・配偶者・子供に関する情報が多く掲載されている上、その攻撃的な論調は、ピエール瀧さん本人・家族・親戚・友人・所属している事務所・契約している会社やポンサーなど多岐に及んでいる。それらの攻撃的、かつ、不確かな情報のネットでの垂れ流しは、子供の教育にとって有益なのであろうか。現在、人間の社会にとって最も大切な精神が破壊されようとしている。すぐに、その攻撃から身を守ることを考えなくてはならない。もっともっと慎重に議論しなければいけない問題が山積している。やれ映画の公開に関して協議するだの、やれテレビ番組の放送を中止するだの、やれ作品に罪はないだの、トンチンカンなことを議論している場合ではないのである。このような問題が起きるたびに、「どこか楽しそうにしながら、それでいて冷徹で徹底的な、悪気のない偏った正義」を見せつけられ、とても深い闇と恐怖を感じる。

  2019/03/19  







【 認知症と向き合う 7 】

    先月、母が緊急搬送されてから、わずか2時間だけとはいえ、夜間、母を独りにしておくことは危険だと思い、パチンコ屋での深夜清掃のアルバイトを退職することにした。私が安心して働くためには、母が介護施設に通所している時間帯で求職するしかなかったのだが、その時、母が利用していたサービスは、月・金曜日の週2日(11:00〜16:00)のデイサービスのみであり、その利用回数と利用時間のままでの求職が難しいことは明白であった。そこで、介護施設と相談し、月・水・金曜日の週3日(11:00〜16:00)に変更して母の様子を見ることにしたのだが、その結果、利用回数を週3日に変更しても特に問題がなかったので、「月・水・金曜日(11:00〜16:00)のみの勤務」・「残業はできない」・「最大限に譲歩しても、勤務の開始時間を11:00から10:00に変更する程度」、この条件で求職活動をすることにした。母が介護施設を利用し始めてから約1年、やっと母が介護施設の雰囲気になれてくれたようである。

    その条件でネットの求人情報を検索したところ、合致する求人情報はほとんどなかった。やっと2社だけ条件に合う求人があったので応募したのだが、2社とも不採用であった。自分でも、「そうだよなぁ…。俺も逆の立場だったら採用しないもん…」と思ったので、特に残念がることもなく、「まぁ、すぐに生活が破綻するわけじゃないから、ゆっくり探すか」という程度で求職活動を続けたところ、ワンダフルクリーンという清掃会社が、「10:00〜16:00、週3日から」という条件で求人していた。勤務地が自宅から遠かったので、「ん〜、通勤に時間がかかるなぁ…、どうしよう…」と思ったのだが、あまりにも求人の数が少ないので、とりあえず応募したところ、すぐに採用が決定。面接の時、会社側が介護に対して理解があることが分かり、私もこの採用を前向きに捉えることができたので、すでに3月25日からパチンコ屋で清掃の仕事を始めている。唯一の心配は、通勤に40分ほどかかるため、母の介護施設への通所時間が増加してしまい、母の拘束時間が8:40〜16:40までの8時間となってしまうことであった。今までは11:00〜16:00までの5時間だったので、週9時間の増加となる。現在、この増加が母にどのような影響を及ぼすのかを検証しているのだが、今のところ介護施設での影響は少なく、自宅での影響もあまり感じられない。このままの状態が続いてくれればと願うばかりである。

    去年から介護施設のサービスを利用し始めたのだが、最初は私の認知症に関する知識が浅かったので、私の都合に合わせて無謀な利用回数と利用時間を設定したため、母の負担が増大して認知症の症状が悪化してしまった。私が無知だったために、認知症に惨敗したのである。しかし、惨敗したおかげで、得られた教訓も多かった。この1年間、失敗した原因を一つ一つ分析し、少しずつ丹念に修正してきた。その結果、昔は、「認知症になったら、もうどうすることもできない」と思っていたのだが、現在では、「病気の進行度にもよるが、もしかしたら、介護の方法によっては制御できるかもしれない」と思えるようになってきた。そこで、今後は、前回の失敗を教訓とし、母の都合と私の都合を丹念にすり合わせ、双方の利益になるように一つ一つ慎重に行動し、その行動による効果を一つ一つ検証しながら、少しずつではあるが、より確実な正攻法で進むことにした。

    私がイメージしている介護の方法は、私に莫大な負担を強制するものであり、他の誰かがすぐに合意できるものではない。これは、私が熟考した末に見つけ出した方法であり、母と私にしか適用することができないものである。人生の送り方は人それぞれであり、当然のこととして人間の数だけ道がある。誰もが、人生の中で多くの壁にぶつかってきたと思うが、その壁の乗り越え方は、人それぞれだったはずである。私は、認知症に関する成功例とか失敗例として自分のことを述べているつもりはない。私にとって成功例でも、他の誰かにとっては失敗例となる場合もある。また逆に、私にとって失敗例でも、他の誰かにとっては成功例となる場合もあるのである。大切なのは、実際に起こった事実と、その時に自分がどのように考え、どのように行動し、その結果どうなったのかを記録に残すことである。今まで私は、多くの人間たちの意見を参考にさせていただいた。今度は私が、その中の一人になる番である。私は、「こうすることが正しい」と言っているのではなく、同じ境遇にある方たちの何かの参考になってくれればいい、何かの判断材料の一つになってくれればいいと思っているだけである。

  2019/04/01  






    2019年4月1日、今上天皇の退位にともなう新しい元号が発表された。新しい元号は“令和=れいわ”である。上の写真は、新元号に関する号外をもらおうとしている群衆。号外を奪い合い、号外がボロボロになってしまったそうである。また、報道関係者のスクープ合戦も過熱していたようで、少しでも早く新元号の情報を入手しようとしていたらしい。個人的には、「なんで発表まで静かに待って、静かに発表を受け入れることができないのかなぁ…」とも思う。そのような状況を見ていて、昔、その真偽は不明であるが、誰かから聞いた話を思い出した。「エレベーターに乗って、“閉まるボタン”を押すのは日本人だけだよ。外国人は、ボタンなど押さずに、自動で扉が閉まるまで待っている。なんで日本人は、自動扉なのに、自動で扉が閉まるまで待てないんだ?」という話である。日本人は、せっかちだということなのであろうか、それとも、心に余裕がないということなのであろうか。

    権力をもっている者たちが、その情報を公開することは大切なことである。しかし、同時に、情報を非公開にすることも大切なのである。新元号の決定にともなう議論が公開されれば、その時点で国民の意見が割れ、紛糾した末に決定した元号を素直に受け入れられなくなってしまうという事態になるかもしれない。全てを公開すれば良いというものではないのである。言語学者・政治家など、それぞれの道に精通した人間が苦労して決定したことを尊重し、その方たちが決定したことを静かに受け入れるという姿勢も大切である。確かに、どのようなものを公開し、どのようなものを非公開にするのかは難しい問題である。しかし、どちらか一方に極端に傾くことなく、個人的な感情に流されることなく、一つ一つ冷静に考えることも大切である。

    私は、昭和という時代に生まれた。その元号は生まれた時にすでに存在していたので、何も考えることなくそのまま受け入れた。また、私は、平成という時代を青年として生きた。最初に平成という元号を聞いた時、「なんか…、平凡だなぁ…」と思ったのを記憶している。しかし、平成が終わる今では、「平凡なもので良かった。その平凡さの中にこそ、本当の幸福がある」と思っている。そして今度は、令和という時代を老人として生きようとしているのである。個人的には、元号というものは、最初は単なる“機械的な言葉”であるが、その後、その時代に一生懸命に生きている人間たちを見ているうちに、“人間的な言葉”になっていくものだと思う。令和という元号も、今は単なる機械的な言葉に過ぎないが、これからの私たちの生き方によって、その言葉に血が通ってくる。そして、人間的な言葉になるのである。まだ元号が決定しただけ。慌てずに、焦らずに、ゆっくりと静かに、私たちの手で令和という時代を作っていけばよいのである。

  2019/04/05  






    2019年4月3日、東京都にある公園で、殺虫剤の成分を含んだ米をハトに与えて死なせたとして、大東文化大学の准教授である藤井康成さん(=ふじい・やすなり=51歳)が逮捕された。その真偽は不明であるが、「自分の家の近くでハトがフンなどをするのが嫌だった」というのが理由のようである。このニュースを聞いて、ふと、昔、母から聞いた話を思い出した。

    私の母方の祖父は、ある寺で住職をしていた。その寺には数百羽のハトがきてフンをするので、いつも寺の本堂はフンだらけだったのだが、私の祖父は、ただひたすらハトのフンを掃除するだけで、何の対策もとらなかった。ちょうどその頃、ある別の住職の寺でも、同じようにハトがフンをして住職を困らせていたのだが、その寺では、その住職が、ハトが止まる場所にクギやガラスのような鋭利なものを設置してハトが止まれないようにしたため、すぐにハトがくることはなくなった。

    ある日、ハトのフンの掃除をするのが面倒だと感じた母が、私の祖父に、「なんで、あっちの寺と同じようにしないの?」と聞いたところ、私の祖父は次のように答えたという。「人間の生きる道を説く住職が、動物を傷つけるようなことをしてはいけない。ハトがフンをするくらい気にするな。掃除をすれば済む話じゃないか。ハトと一緒に生きていけばいいんだ」と。私の祖父は、90歳まで生きた。まあまあ幸せに長生きしたのではないだろうか。私の祖父が幸せに長生きできたのは、心に余裕があり、ゆったりとした生活を送ったからだと思う。私の祖父のような人間を見ていると、ふと、疑問に思ってしまう。「何がそんなに気に入らないんだい?あんまりイライラしなさんな♪」と。

  2019/04/12  






平成31年4月13日、野菜を育てる準備をするため、イノシシに荒らされてしまった土地の整備を始めることにした。

それにしても…。イノシシの破壊力はすごい…。


せっかく作った道も…。


徹底的に破壊されてしまった…。


シャクナゲは無事であったが、シャクヤクは全滅…。


赤い矢印の石は、不動石。まさに不動!イノシシも撃退したようである。


赤い矢印の石は、石の舟。母が、「ひゃぁぁぁぁぁぁ〜♪舟みたいな石だねぇ〜♪」と言ったので、そう命名した。

ん〜、本当に舟みたいだ♪ 不動石などにお供えするための台にしている。


その石たちも、このありさま…。全てイノシシが掘ったもの。


断層みたい…。


展望台から下を眺めてみると…。


たくさんのイノシシが掘った穴が…。


展望台の下も…。


すごい穴…。


水源から暮露暮露庵まで水を送っていたパイプも破壊されていた。


送水がなくなったので、池は全て埋めることにした。全部やり直し。


大蛇の池よ!さらばだ!


ふと辺りを見渡すと、梅が咲いていることに気づいた♪


初めての梅の剪定だったので上手くいくかは分からない。上手くいってくれると嬉しい♪


  2019/04/21  






    先日、“刑事事件弁護士ナビ”というウェブサイトを閲覧していて、ふと、考え込んでしまった。そのウェブサイトには、「2010年の誤認逮捕の件数は343件で、年間300人以上の方が誤認逮捕で身柄を拘束されている」という趣旨の記述があったのだが、「果たして、この343件という数字は、大きいものなのであろうか? それとも、小さいものなのであろうか?」と。最初は、「1年で343件か…。ちょっと多いなぁ…」という印象だったのだが、「年間で約40万件の検挙数がある」という数字が加わると、 「40万件の中の343件か…。ん〜、誤差の範囲かなぁ…」という印象に変わった。さらに、「年間40万件の検挙数で、誤認逮捕が343件…。パーセンテージにすると何%だろう?」と思って計算してみたところ、たったの0.08575%であった。「ほとんど 0 じゃん!」というのが率直な印象である。しかし、もし自分や家族が誤認逮捕された場合はどういう印象になるであろうか。0.08575%という数字は消え、「パーセントの問題じゃねえんだよ!」となるであろう。また、自分や家族ではない他人が誤認逮捕された場合は、「何の落ち度もないのに、気の毒なことだ…」と、少し距離をおいた印象になるのかもしれない。

    今まで長々と述べてきたが、誤認逮捕に関する事実や本質は何も変わっていない。変わっているのは私の印象だけである。実際に起きた誤認逮捕の事実や本質は何も変わっていないのに、その表現方法が、「343件」なのか「0.08575%」なのかによって、また、その対象者が、「自分や家族」なのか「他人」なのかによって、私の印象は大きく変わってしまう。どうも、「情報量が少なければ少ないほど、対象者が自分から遠くの存在になればなるほど、その事実や本質に対する関心度が低くなり、自分が思っているほど正確に事実や本質を理解していない。また、積極的に理解しようともしていない」ということらしい。そう考えると、今まで私が直面してきた問題に対して、その問題の本質を私がどのくらい正確に理解できていたのか不安になってくる。「自分では適切に対応したつもりだったが、実は、その核心の部分には触れていなかったのではないだろうか?」と。最近、この問題が私の頭の中をグルグル回っていて、他のことに集中できないでいる。今までの経験から、その答えを導き出すこともなく、徐々に忘れていくのであろうが、現在、たいへんな苦境に立たされている。私の悪い癖である。

  2019/04/26  






    昨年の12月、新潟を拠点とするアイドルグループ、“NGT48”のメンバーである山口真帆さん(=やまぐち・まほ)の自宅にファンが押しかけ、山口さんに暴行を加えるという事件があったが、このグループを運営する会社の対応の不手際などもあり、今年の4月になっても、いまだに問題が沈静化していないようである。現在、私は、24時間体制で認知症の母の介護をしているので、母と一緒にテレビのワイドショーを見ることも多く、このグループに特に興味があるわけではないのだが、結果として、この問題に関する報道を繰り返し見てしまっている。ついでに感想を述べるというわけではないのだが、正直なところ、どこまでこの問題の事実関係が解明されているのかサッパリ分からない。現在、この問題で私が分かっているのは、「@この会社には、このグループを運営する能力がないAこの問題の事実関係は、あまり解明されていない」の二点くらいであろうか。

    被害者である山口さんは、会社側に対し、「グループのメンバーの安全を確保してもらいたい。真面目に活動させてもらいたい。健全なアイドル活動ができる場所にしてもらいたい」ということを求めているようである。確かに正論であるし、その気持ちも分かるのだが、組織を運営する能力がない人間に対して、「あれは、ああすれば良い。これは、こうすれば良い」と言っても、事態は悪化する一方である。山口さんの証言を一方的に信用するわけではないが、山口さんは、「社長からは、『不起訴になったということは、事件じゃないということだ』と言われ、『今では、(おまえの方が)会社を攻撃する加害者だ』とまで言われています」という趣旨の証言をしているようである。このような会社側の発言が事実だとすると、この発言からは、「組織を運営する能力がない人間がいろいろ批判されると、自分が何を批判されているのかを理解できず、『相手が自分をイジメている』としか解釈できないため、ますます感情的になって事態は悪化する」という状態に陥っているであろうと推量することができる。しかし、このような状態は、この会社に限ったことではない。テレビなどで報道されることがないだけで、一般的な会社でも頻繁に見られることである。

    この事件では、「このグループの内部に、犯人に犯行を唆した人間がいる」という趣旨の証言があるようである。その証言の真偽が、現在でも不明なままであることが、この事件がなかなか沈静化しない一つの原因ともなっているのだが、その証言が事実であり、そのような人間がグループにいたとしても、たいして驚くべきことでもない。芸能界に限らず、世の中には熾烈な競争が存在する場所がある。その場所では、自分の欲望を満足させるために、卑怯な手段を使って意図的にライバルを貶める人間もいるし、それ以上の悪意に満ちた行為が蔓延していることもある。そして、「確実な証拠がない」や、「それらの厄介な人間の相手をするのが嫌だ」という理由などで、それらの悪意に満ちた人間が放置されることも多い。つまり、理想の社会を実現することができるほど、全ての人間の人格が善良に形成されているわけではないのである。そのため、人間の社会は、「真面目に生活していれば報われる」という言葉からは大きく乖離してしまい、残念ながら、数多くの醜い現実が私たちの前に横たわるという状態になってしまっている。“無くて七癖=なくてななくせ”という言葉がある。どんな人間でも、多少は癖があるという意味である。今のところ、この世には、清廉潔白な人間など存在しないと思われる。もし、そう思えるような人間がいるとしたら、それは、「自分の醜い部分を上手く隠すことができる人間」ということなのであろう。現在、世の中が定義しているアイドルという言葉が、「激しい生き残り競争を勝ち抜き、その醜い過程を上手にファンに隠すことができる人間」という意味であるならば、もしかしたら、山口さんには、この能力が決定的に欠けていたのかもしれない。

    山口さんは、自分の手に入らなかったものを強調しているが、もし私なら、自分が手に入れたものを強調するであろう。具体的な例を挙げると、4月21日、山口さんは、長谷川玲奈さん(=はせがわ・れな)、菅原りこさん(=すがはら・りこ)と共にグループを去ることを発表したが、ここで強調すべきは、「会社側が3人を追い出して問題の沈静化を図ろうとしている」という部分ではなく、山口さんが苦しんでいた時、「最後の最後まで一緒に行動を共にしてくれた人間がいた」という部分である。また、グループには残るものの、いつも山口さんに寄り添っていたといわれている村雲颯香さん(=むらくも・ふうか)を入れると、山口さんには、生涯の友となる可能性がある人間が、3人もいるということになる。これは、たいへん素晴らしいことである。悔しい気持ちが残るとは思うが、会社側に対する忸怩たる思いを吐露するよりも、最後まで寄り添ってくれた3人に感謝し、今後も自分が理想とする社会に近づける努力を続けてほしいものである。辛くて苦しかった過去を悔やんでいても前には進めない。山口さんには、その辛くて苦しかった経験をプラスに変えるように生きてほしいと思う。

    真面目な人間が不幸な人生を送ることもある。不真面目な人間が幸福な人生を送ることもある。しかし、それでも、ただひたすら自分の理想とする社会に近づけるために努力を続けるべきである。そのような心境になった時、初めて多くの人間を魅了する本当のアイドルになるのではないだろうか。山口真帆、23歳。有名な所属事務所から実質的な解雇を言いわたされて、現在は無職。それでも大きな夢あり。今までの全てのキャリアを失ったとしても、まだ山口さんには未来が残っている。なんのなんの、まだまだこれからである。

  2019/04/29  






先日、母と、父の墓参りに行ってきた。父が死んだのは、平成21年2月10日、早いものでもう10年である。

誰かが父の墓に花を供えてくれていた。「この花を供えてくれたのは誰だろう?」。いきなりのクイズであった。300円の値札が付いている…。花を購入した店名も書いてある。「購入した店の名前」「値札を付けたまま供える大雑把さ」「父の墓までの複雑な経路を知っている」などを総合的に考えると、だいたい誰なのか推量できた。〇〇さん。ありがとうございます。

母が一生懸命に細かいところまで掃除していた。


ピッカピカッ!


買ってきた花と線香を供えて…。


ホイッ! 完成♪


私は、お墓参りが好きである。正確に言うと、お墓参りというよりも、いろいろな墓を見て回るのが好きである。その墓を見ていると、死んだ人間の本質の一端が覗けるような気がするから面白い♪

通常、墓石のこの場所には、“〇〇家”と刻まれているものなのであるが、この墓石には、“ねむる”と刻まれていた。しかも、ひらがなで♪

花を供えるためのこの石には、通常、家紋が刻まれていることが多いのであるが、この方の石には…。

酒が刻まれていた♪


よくよく見てみると、酒が供えてある。酒が好きだったのであろう。この方は、2018年1月3日、63歳で死んでいる。まだまだ若かったのに、残念なことである。この墓を見ていると、「この方も、家族の方たちも、その周囲の方たちも、寛容で面白い人間なのであろう」と思って、私はニコニコしてしまう。それらの方たちが楽しそうにしている風景を想像すると、私も楽しくなってくる♪

因みに、上の写真は、別の方の墓である。ん? “”? 「鶴の字の一部が…、省略されている…。なんて読むんだ?」。自宅に帰ってから調べてみると、鶴という字の旧字体だということが分かった。墓参りは、勉強にもなるのである。

  2019/05/08  






    ある日、母と私が山で家庭菜園をしている時、ふと気づくと、母が空に向かって、「分かったよぉぉぉ〜!ゴメンねぇぇぇ〜!」と言っていた。私が、「ん?何をしてるんだろう?」と思って理由を聞いてみたところ、以下のようなことであった。昔、母の父、私の祖父が生きていた時、祖父が母に、「ふぅ〜、今日は疲れた…。散歩するのはやめようかなぁ…」と言ったところ、母は、「ホラッホラッ!もっとシャキッとして、テキパキ行動しないとダメだよ!」と祖父を叱ってしまったことがあったらしい。その時、祖父は、「おまえも、俺と同じ年になれば分かる…」と言って、トボトボと散歩に出かけたらしいのだが、母が当時の祖父の年齢に近くなると、「この年になると、生きてるだけで疲れる…。もっと、父を大切にしておけば良かった…」ということを実感し、無理矢理、祖父に散歩をさせたことを後悔したため、今さらではあるが、天国にいる祖父に謝っていたのである。

    しかし、このようなことは、私にとっても他人ごとではない。なぜなら、その領域に私も入りつつあるからである。以前は、しっかりと睡眠さえとっていれば疲れがとれたのだが、50歳を過ぎてからは、しっかり睡眠をとっているにもかかわらず、前日の疲れがなかなかとれない。確実に体が老化している証拠である。歳をとって体が老化するのは当然のことであり、今後、私の体も、祖父や母と同じようになっていくであろう。しかし、大切なのは、老化を少しでも遅らせようとするのではなく、自分が老化していることを明確に意識することである。私は、自分が確実に老化していることを意識しているので、ある程度は、現在の自分の限界を把握しているつもりである。運動神経が低下しているので、今後、ある一定以上の体力が必要な仕事には就かないつもりでいるし、判断力も低下しているので、自動車などの運転でも、若い頃にも増して慎重に運転するようにしている。いよいよ私の人生も、死を意識する晩年の領域に入ったようである。あまり慌てず騒がず、ゆっくりと歳に合った生活にしていかなければならない。

  2019/05/17  






    政府の重要な政策の一つに、“働き方改革”というものがあるが、最近、その言葉が一般的になってきたようである。この働き方改革は、主に、「@長時間の労働A非正規と正社員の格差B労働力の不足」の三つの問題の解決を目的にした政策なのだが、@の長時間の労働、言い換えると、長時間の残業に関するメディアの報道を観ていて、ふと、昔、私が警備員をしていた時に、ある大きな会社の社員の方から聞いた話を思い出した。

    ある日、会社の残業の話題になった時、その方が、私に、「うちの会社でも、残業を増やして稼ぎたいという社員と、残業をしないで定時に帰りたいという社員がいました。そこで会社は、その対策として、“残業したい派”と“残業したくない派”の二つに分け、残業したい派の社員には深夜まで残業させ、残業したくない派の社員は定時で帰宅させるようにしました。会社は、それぞれの社員の希望に合わせた働き方を制度化したんです」という話をしてくれた。私が、「へぇ〜、良いじゃないですか。一人ひとりの社員に合った働き方をさせるなんて、さすが大きな会社ですね」と言うと、その方は、「いえ…、その制度は、3年ほどで廃止になりました」と続けた。私が、「え?どうしてですか?良い制度じゃないですか。みんなの希望がかなってるんですよね」と聞くと、その方は、「最初は、残業しないで時間的に余裕をもった生活を希望していた人間が、その後、結婚して子供ができると、『生活費を稼ぎたいので、残業させてください』と、意見を変えるようになったんです。そこで会社は、そのような社員たちの希望に合わせて残業をさせたんですが、全く話になりませんでした…。最初から残業したい派だった社員は、連日連夜、残業につぐ残業という厳しい環境で鍛え抜かれ、飛躍的に成長していましたが、最初、残業したくない派だった社員は、毎日毎日、定時までの決まりきった仕事しかしていなかったので、その数年間で、両者の実力の差は、天と地ほど離れてしまったんです。会社から見れば、残業したくない派の社員は、“全く使えない社員”以外の何者でもありません。そのような事態は、会社から見ると大きな損失なので、その制度を廃止したんです」と答えた。

    いつも疑問に思っているのだが、残業をしていないにもかかわらず、多くの優秀な人材を輩出し、順調な経営をしている会社がある一方で、うつ病や自殺者が出るほどの長時間労働をさせている会社があるのはなぜなのか。また、残業をしていないにもかかわらず、しっかりと生計を成り立たせている家庭がある一方で、連日連夜、深夜まで残業しないと生計が成り立たない家庭があるのはなぜなのか。そして、なぜ、問題を解決している人間が周囲にいるのに、それを参考にしないのであろうか。私なりに考えてはいるのだが、どうしても理解できない。明確な根拠があるわけではないが、会社が、「たとえ長時間労働させてでも、会社にとって優秀な社員を育てて、安定した経営をしたい」と認識している限り。社員が、「家族を養うために、一時間でも多く残業をして稼ぎたい」と認識している限り。それらの価値観を変えない限り、どんなに制度を改良したとしても、いつまでたってもこの問題は解決することはないような気がする。

    この問題の根底には、会社や社員が、現在の自分の価値観を適正に修正することができないということがある。その時代時代には、その時世に合った価値観が存在する。時代が変われば、価値観が変わるのである。つまり、昔は、その価値観で正しいとされていたが、今は、その価値観が正しいとは限らないということである。かく言う私も、若い時と今とでは、その価値観は原型をとどめないほど大きく変わっている。しかし、この問題の難しいところは、その時代時代を通して、変えるべきではないものも存在するということである。変えるべきものと、変えるべきではないものが複雑に絡み合って存在しているので、一つ一つを丁寧に吟味し、その時代に合った新たな価値観に再構築するには、その人間の成熟度が大きくかかわってくるのだが、困ったことに、この成熟度というものは1〜2年で身につくというものではない。10〜20年かけて身につける人間もいるし、一生かかっても身につけることができない人間もいる。また、成熟度というものは目には見えないため、自分には身についていると錯覚してしまう人間もいる。言葉にすると、「時代が変われば、価値観が変わる。価値観が変われば、行動が変わる」という簡単なものなのであるが、実際にその言葉どおりにならないことが多いのは、その言葉の正しさに比べ、人間の成熟度が追いついていないからである。働き方改革の問題に限らず、私たちが抱えている多くの問題を突き詰めて考えると、最後は人間の成熟度の問題に到達する。個々の問題の解決を図ることも大切ではあるが、同時に、人間の成熟度を上げる努力もしなくてはならない。むしろ、そちらの方が全ての問題の根幹なのだから。

  2019/05/26  






    先日、近所のスーパーで買い物をしていた時、お父さんと2歳くらいの子供が一緒にレジで精算をしていたのだが、その子供の機嫌が悪かったらしく、お父さんが精算している途中で騒ぎだしてしまった。すると今度は、その後ろで精算を待っていた男性客がイライラして、「うるせ〜な〜!早くしろよ!」などと怒り始めた。しかし、そのお父さんも、スーパーの店員さんも、周囲のお客さんたちも、誰一人としてその男性客の声に耳を傾けることなく、「この人は、何を言っているんだろう…」という感じで淡々としていたので、特に何か騒ぎになることもなく静かに時が流れ、誰からも相手にされなかったその男性客は、何かブツブツ言いながら店を去っていった。

    人間には誰しも子供の時代があり、その時には、大なり小なり周囲の大人たちに迷惑をかけるものである。そして、多くの大人たちが、それを迷惑などとは思わず、優しく子供の成長を見守ってくれたはずなのであるが、人間というものは忘れっぽいのであろうか、自分を育ててくれた方たちに感謝することを忘れてしまっている方がいるようである。因みに、本当に迷惑な人間というのは、泣いたり騒いだりしている子供ではなく、大人になっても成長できずに子供のような行動をする、“子供のように幼稚な大人”である。

    余談ではあるが、そのお父さんや、スーパーの店員さんや、周囲のお客さんたちが不愉快な思いをしている間、私は一人だけニコニコ笑っていた。なぜなら、その迷惑な男性客が、独特なキャラと演技で人気のある、俳優である片桐仁さん(=かたぎり・じん)にすごく似ていて、その迷惑な男性客の行動が片桐さんの演技に見え、なんとなく、撮影現場にいるような雰囲気を感じさせてくれたからである。嫌な人間をただ見ているだけだと、こちらもどんどん不愉快になってしまう。しかし、それでは、自分の人生の貴重な時間を嫌な人間に奪われ、損をしてしまっているようで、もったいないと感じる。「どんなに不愉快な状況でも、できるだけ、それを笑いに変えて楽しむ」。私の得意技である。

  2019/05/31  






2019年3月30日、自宅マンションのベランダが騒がしかったので様子を見てみると、一匹のハトがこちらを見ていた。

あっ!フンをしやがった!


ん?


おぉぉぉ〜!卵を産んでる!


「ハトの卵って…、こんなに小さいんだ…」。しばらくしてから再び様子を見てみると…。


親鳥が卵を温めていた♪


2019年4月6日、卵の様子を見るためにベランダへ出てみると、親鳥がウロウロ。近づこうとすると…。

親鳥は、向かいのビルの屋上に逃げてしまった。


卵を放置したまま…。


2019年4月21日、私を睨みながら卵を温めている親鳥を確認…。


人間に置き換えると、こんな感じ♪


2019年4月25日、あっ!卵が割れてる!


ホッ…。生まれてたのか♪2匹とも無事でよかった♪


2019年5月2日、ずいぶん大きくなった。そして、フンも…。


2019年5月7日、2匹ともスクスクと成長している♪


2019年5月12日、このフンの量…。


親鳥から何かを食べさせられているのだろうが、何を食べさせられているのか全く分からなかった。しかし、今日、その証拠を手に入れた。

赤丸がその証拠。


スナック菓子のようである。少ない量で高カロリー♪これを子供たちに与えても安全だと認識しているようである。この親鳥たちは、都会での生活に慣れているらしい。

2019年5月16日、ちょっと狭くなってきたかな…。


ベランダのあちらこちらにフンがある。子供たちの活動範囲が広がっている証拠である。その時、親鳥は…。

向かいのビルの屋上から、子供たちを見守っていた♪


2019年5月18日、おっ!子供が遊んでる♪


良い遊び場のようである。


その時、親鳥たちは、子供たちの安全を確保するため、しっかりと私を監視していた。


子供たちが遊んでいる間に…。


汚くなった巣を掃除した♪


ホイッ!完了!


それにしても…、すごいフン…。この日を最後に子供たちの姿を見かけなくなった。どうやら、巣立ったようである。

2019年5月20日、ベランダが騒がしかったので様子を見てみると、二匹のハトがいた。体の大きさから推量すると親鳥たちであろう。私がベランダに出ると、その親鳥たちは、いつものように向かいのビルの屋上に逃げ、しばらくすると飛び立って、その後、二度と私の前に現われることはなかった。ふふふ…。「ありがとう♪」と挨拶にでも来たのであろうか。なんとも礼儀正しいハトである。

親鳥たちが挨拶に来た二日後の2019年5月22日、またもやベランダが騒がしかったので様子を見てみると、また二匹のハトがいた。体の大きさから推量すると、今度は子供たちであろう。親鳥から、「お前たちも、挨拶に行ってこい!」とでも言われたのであろうか。私がベランダに出ると、子供たちも親鳥と同じように向かいのビルの屋上に逃げ、しばらくすると飛び立って、その後、二度と私の前に現われることはなかった。

ふと、昔話が成立する過程を感じた。私たちの身の回りにある何気ないことが基になっているのである。その基の話に、多くの人間たちが生きていく上で大切なものを加え、その後、その話が各地域に広がって、その地域の特性に合った話に変化していく。そのため、昔話を研究すると、そこに住んでいる里人たちの人間性などが分かってくるのである。今回、私が経験したことは、昔話の基の基となるような、“源・昔話”とでもいうようなものだったのかもしれない。因みに、洗濯物にフンをするなど、ハトが、私の自宅マンションの他の住民たちの害になることもあるので、今後は、ハトが巣を作る前に追い払う予定である。ハトに対して、私はそこまで甘くない。

2019年6月1日、自宅マンションの掲示板に、「ハトがベランダに巣を作ろうとしています。エサを与えずに追い払ってください」という趣旨の貼り紙がしてあった。私がハトに対して甘くないのと同じように、世間も私に対して甘くないようである…。

  2019/06/04  







【 認知症と向き合う 8 】

    今後の認知症の研究のためになればと思い、また、認知症の患者を家族にもつ方たちの参考になればと思い、認知症の母を介護している私が、見たままを、感じたままを、そのまま記述して記録に残すことにした。

    認知症の患者が幻覚を見ることが多いということは、メディアの報道などで知られていることである。そのため、私が母の介護を始めた頃は、幻覚という言葉を聞いても、特に疑問にも思わずにそのまま受け入れていたのだが、介護生活が長くなり、少し余裕もできて考える時間が増えてくると、ふと、私の母の症状の一部が、メディアで報道されている幻覚という言葉の定義に全く該当しないことに気づいた。

    認知症の患者に対して、“幻覚”や“錯視”という言葉が遣われることが多いが、その言葉を簡単に説明すると、幻覚とは、実際には存在しないものを見たり聞いたりする症状であり、幻覚は、さらに、存在しないものを見る“幻視”や、存在しない音を聞く“幻聴”などに分類される。また、それらとは別に、実際には存在しているのだが、それを見まちがえることを錯視という。母の症状で例えると、母は、「お茶に虫が入っている」と言って、湯のみ茶碗を頻繁に洗っているのだが、実際に虫が湯のみ茶碗に入っているのではなく、湯のみ茶碗に入っている茶柱などが、母の目には虫に見えてしまうのである。このようなことを錯視という。因みに、認知症の患者自身が、この錯視に気づいて自分の認識を改める場合もある。例えば、上の図を参考にしていただきたい。昔、突然、母が、「あっ!猫がいる!」と叫んだことがあったのだが、実際は、雑草があっただけであった。どうも、その雑草が猫に見えたようである。そこで、「ふ〜ん、この雑草が猫に見えるのか…。それでは、こうしたらどうなるのかな?」と思った私が、その雑草を足で踏んでみたところ、母は、しばらく考えた後、「なんだ…、雑草か…」と言って、自分の認識を改めた。つまり、自分が錯視していたことを認識したということである。

    「私の母の症状の一部が、メディアで報道されている幻覚という言葉の定義に全く該当しないことに気づいた」と前述したが、メディアなどで報道されている幻覚の例は、「実際には存在しないものを見た」というものであり、そのテレビ番組などに出演している認知症の患者は、「帽子をかぶった痩せている女性がいた」「黒くて太い蛇が床を這っていた」など、その幻覚の細かい部分もある程度は記憶している。しかし、私の母の場合は、見たものをほとんど記憶していない場合も多いのである。例えば、母が、「私の部屋に知らない人がいた!」と叫んだ時があったのだが、私が、「男?女?」「年齢は?」「髪型は?」「服装は?」「その人の身長はどのくらいだった?」と聞いても、「う〜ん…、忘れた…」と答えるだけで、細かい部分まで記憶していることは少ない。そのように答える時は、恐らく、母は何も見ていないのであろう。見ていないから、その特徴を答えることができないのである。正確に言うと、メディアなどで報道されている認知症の患者は、「実際には存在しないものを見て、その見えたものの特徴を記憶している」状態なのであるが、私の母は、「実際には存在しないものを見るということはなく、ただ自分が何かを見たと思い込んでいる」状態なのである。私は、医学的なことに関しては、トンチンカンのド素人であるが、脳の視覚的な部分に損傷があるのと、脳の記憶的な部分に損傷があるのとでは、大きく違うような気がする。

    現在、どのような環境に置かれた時に、母がそのような状態になるのかは分からない。しかし、医者ではない私でも、母の状態を粘り強く観察していけば、何らかの規則性を発見できるかもしれない。そして、その規則性を発見できれば、その対処法も発見できるはずである。母がアルツハイマー型の認知症であると診断されてから、もう一年半になる。最初はコテンパンに叩きのめされた私であったが、やっと最近になって冷静に対応できるようになってきた。もっと賢く介護すれば、この厄介な病気も、もう少しコントロールできるようになるかもしれない。今の私にできることは、諦めずに、粘り強く、真面目にコツコツ観察することだけである。

  2019/06/10  






2019年5月25日、「ブ〜ン!」。


「ぶ〜ん!」。


う〜ん…、“その姿”を撮ることができない…。ん?撮れた!


スズメバチだ!毎年のことだが、巣を作る場所を探している。


2019年6月9日、このあたりで、蜂の飛ぶ音が…。


写真では見にくいが、アシナガバチを発見!


あっ!巣を作ってる!


こっちには二つも!いつの間に!


すぐに巣を撤去。この段階で撤去できたのはラッキーであった。因みに、一番右の一番小さい巣が一番重い。なぜなら…。

巣の中に幼虫がいるからである。かわいそうだとは思うが、このまま天国まで行っていただく。


アシナガバチはおとなしい性格なので、こちらから攻撃しなければ、ほとんどアシナガバチから攻撃してくることはないという。蛾などの幼虫を食べてくれる益虫なので、本来ならば、そのままにしておきたいのだが、上の写真を見ると分かるように、人間に近すぎる。これではお互いに干渉してしまうので危険である。この土地を買った当時は何の知識もなかったので、蜂というだけでただただ恐れていたが、蜂について調べてみると、私が自然のルールを守りさえすれば、私も守られることに気づいた。最近では、必要以上に恐怖することはなく、同時に、必要以上に安心することもなくなった。恐怖と安全の境界線を、感覚的に把握したのかもしれない。なんか…、良い感じ♪ ふふふ…、今年も楽しくなりそう♪

  2019/06/17  






2019年、今年はイノシシの被害が深刻であった。どうやら、私の土地だけではなく、他の方たちの土地にも深刻な被害があったようである。確たる証拠があるわけではないのだが、その理由として、昨年の11月に仙台市泉区で始まった、三菱地所による泉パークタウンの最後の開発区域の造成が原因なのではないかと噂されている。つまり、そこにいたイノシシたちが棲む場所を失ってこの地区に移動したため、この地区のイノシシの被害が深刻になったのではないかというのである。

一番の被害はイチゴの苗であった。イチゴの苗が一面に広がっていたのだが…。


イノシシに根まで食べつくされ、生き残った苗は…。


たったこれだけ…。


昔、「スイセンの球根には毒があるので、イノシシは近づいてこない」という話を聞いたことがある。おっ!本当だ!スイセンは無事だった♪

…と思ったのだが。


毒がある球根まで掘り返している…。イノシシはスイセンには近づかないという話は、単なる迷信であった…。

これは、イノシシのフンである。ムムムッ…、この一帯を荒らした上、フンまでして去るとは…。


2019年5月25日、わずかに生き残ったイチゴの苗に実がなった。


2019年6月1日、おぉぉぉ〜!赤くなってきたぁぁぁ〜!今年は何個ぐらい収穫できるかなぁ〜♪


たったの3個…。


ところが、2019年6月9日、おっ…。


おおっ…。


おおおっ…。


ほとんど全滅したと思っていたのだが、こんなに収穫できた。


スーパーなどで販売しているイチゴと比較すると、形などは整っていないが、味は同じである。とっても美味しい♪今年はこれで終了。残念である…。

…と思ったのだが、2019年6月15日、さらに実がなっていた。


おぉぉぉ〜!こんなに収穫できたぁ〜!


美味い!母が、「イチゴは強いから大丈夫だよ♪」と言っていたが、本当であった。イチゴの苗が残ったのは良かったのだが、今後は、イチゴの苗をイノシシなどの動物から守る方法を考えなくてはならなくなった。ん〜、困った困った…。まぁ、イチゴを食べながら、ゆっくりと考えることにする♪ふふふっ♪

因みに、上の写真は、昨年のイチゴの収穫の一部♪


昨年の収穫量から今年の収穫量を引いた分が、イノシシの被害による損失である。現金に換算すると、約300円ほどであった。三菱地所による、泉パークタウンの最後の開発区域(一戸建て用の宅地1965区画を分譲する予定)の造成によって生じた損害なので、後日、三菱地所とその分譲地を購入した方たちに請求する予定。快適な暮らしを過剰に追求すると、このようなことにまで影響を及ぼすのだということを知っていただければ幸いである。

  2019/06/21  






2019年2月23日、久しぶりに山に行ってみると、敷地内に大量の土砂が不法投棄されていた。「ん〜。これが…、今、全国で問題になっている不法投棄か…。さてさて…、どうするかな…」。

私は、敷地内に不法投棄されていた土砂の特徴などから、「近くで家屋の建築工事をしている業者さんが、基礎工事後に不要になった土砂を捨てたのでは?」と推量した。そこで、もし、同様の被害を受けた方がいるのであれば連携して対応しようと思い、同じ地区の方たちに確認したところ、同様の被害がなかったことから、私が単独で業者さんに対応することにした。後日、“下図の土地に対する不法投棄に関する連絡”と題し、土砂が不法投棄されている場所の地図と、どのような状態で投棄されているのかの証拠写真、そして、「2019年2月23日、大量の土砂が不法投棄されているのを確認いたしました。貴社がされている行為は、廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃棄物処理法)の第16条「何人も、みだりに廃棄物を捨ててはならない」に違反しています。よって、3月15日までに不法投棄されている土砂が撤去されない場合は、仙台市役所の「産廃110番」(022-711-7883)、及び、警察に通報いたします」という趣旨の文章を掲載した警告書を業者さんに提出した。上の写真がそれである。その後、業者さんが土砂を不法投棄したことを認めたので、今後のことを話し合った結果、4月上旬までに土砂を撤去することで合意した。その業者さんとの話し合いでは、「対応してくれた方も悪い人間ではない。恐らく、そんなに悪質な業者さんではないであろう。ただし、行動がおおざっぱなので注意が必要である」という印象を受けたので、いずれは撤去してくれるだろうという楽観的な推量をした。

しかし、4月13日、約束の期日を過ぎたにも関わらず、撤去された土砂は半分のみで、残りの半分は放置されたままであった。

5月5日、約束の期日から1ヶ月が経過したにも関わらず、残り半分の土砂は放置されたままであった。

この業者さんの、“行動がおおざっぱ”の部分が露骨に出てしまったのであろう。そこで、再び、その業者さんと話し合いをすることになった。私が、「不法投棄された土砂が、いまだに撤去されてないのですが」と聞くと、業者さんが、「もうすぐ工事が終わりますので」と答えたので、私が、「それは良かった。で?いつ土砂を撤去していただけるんですか?」と、さらに聞いたところ、業者さんは、「撤去するのに重機のレンタルを依頼しないといけませんので」と答えた。私が、「そうですか。それはたいへんですね。で?いつ土砂を撤去していただけるんですか?」と聞くと、業者さんが、「ゴールデンウィーク中ですので、今すぐレンタルすることはできません…」と答えたので、私は、「今、撤去する日を決めましょう。5月11日までなら大丈夫ですよね。その日までは待ちます」と話して、話し合いを打ち切った。

5月12日、不法投棄された土砂が撤去されているのを確認。母もホッとしていた。これで、この不法投棄の件は完全に解決した。

何かのトラブルが起こった時、怒りにまかせて相手を責めたててはいけない。まずは相手の力量を見極め、問題を解決することが不可能なのか、それとも可能なのか、可能なのであれば、どのような方法を用いれば早期に解決することができるのかなど、おおよそのシナリオを頭の中で描いてから対応するのである。昔、誰かから、「60%勝てば勝ち戦。残りの40%をもぎ取るために無益な争いをしてはいけない」という言葉を聞いたことがある。今回の件で、私が目標に設定したのは現状の回復のみである。不法投棄された土砂を撤去してくれれば、その他のことは、一切、求めない。「なぜ私の土地に土砂を捨てたのか」などの説明も不要とし、「正式に謝罪したい」という要請や「謝罪に付随する金品の受領」の要請も全て拒否した。相手が、現状を回復しやすいような環境を整えたのである。必要以上に経緯の説明を要求したり、必要以上に誠意のある謝罪を要求したり、必要以上に金品を要求したりすれば、相手は、「この人に何をしても、要求がエスカレートするだけなのでは…」と認識して態度を硬化させ、トラブルが泥沼化して長期化する恐れが出てくる。そうなれば、結局、いちばん損をするのは私である。不要な要求をしない代わりに、現状の回復に関しては厳しい言葉と態度で臨み、この一点に関しては絶対に譲歩しない姿勢をあからさまにした。相手が現状を回復させ、謝罪の意思を示しただけでも、すでに60%に到達している。これ以上のことを望んではいけない。この問題は、これで完全に解決したのである。

  2019/06/26  






2019年4月21日、初めて梅の剪定に挑戦した。少々、時期がズレているとは思うが、細かいことは気にしない気にしない♪

5月12日、これは、白加賀の梅の実。おぉぉぉ〜!実がちゃんとなってる。剪定の効果かな?


これは、豊後の梅の実。こちらも順調♪


これは、南高梅の木。この場所に植えたのは失敗であった。あまり日が射さないので、木が生長せずに実もならない。植え替えを検討中。

5月25日、これは、白加賀。順調に生長している♪


これは、豊後。こちらも順調に生長している♪


これは、甲州小梅。写真では見にくいと思うが、こちらも順調に実がなっている♪ 剪定の効果なのであろうか、昨年よりも実が多くなっているような気がする。

6月1日、もうそろそろ収穫かなぁ…。


6月9日、おぉぉぉ〜!


レッツ…♪


収穫♪


収穫した白加賀の実♪


収穫した豊後の実♪


収穫した甲州小梅の実♪


上の写真は、2016年7月14日に初めて収穫した梅の実。毎年毎年、少しずつではあるが増えている♪

最初は、こんな小さな器で梅ジュースを作っていた。


昨年は、大きな器を買ってきたのだが、それほど実が収穫できなかった。器の底が見えそうである。こんなに大きな器を買う必要はなかった…。

今年は、大きな器の半分ほどが埋まったであろうか。収穫した梅の実の重さが170グラム。同じ170グラムの砂糖を入れて、梅ジュースの原液になるのを待つ♪

二週間後…。


これが、梅ジュースの原液♪


私が愛用しているルパン三世のコップで梅ジュースを飲んだ♪ 昨年までは、母と私で一杯ずつしか飲めなかったが、今年は何杯か飲めそうである♪ 少しずつではあるが、梅の収穫量が増えている証拠。ふふふ…。楽しい♪

  2019/07/01  






ふと、昔、「ヒット商品を生み出す発想というものは、日常生活の中に多くあります。誰でもヒット商品を生み出すことができるんですよ」という主旨のテレビ番組を見たことを思い出した。上の写真は、私の母が通っている介護施設の玄関にある、“カジノ”という製品名の手指消毒剤なのであるが、この消毒剤を見た瞬間、新商品のアイディアが浮かんでしまった。「手指消毒剤の製品名がカジノ…。Casinoってギャンブルのことだよなぁ…」。

これが、私が考えた新商品のスロット消毒剤♪ 大当たりした時にしか効果がないアルコール消毒液である。「この発想は、いったい何を意味するのであろうか?」と、私なりに熟考した結果、「私には、ビジネスの才能が全くないことが証明された」という結論に至った。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2019/07/08  






2019年6月1日、何という名前の花かは知らないが、母が大切にしている花を株分けして、山の土地に地植えすることにした。

こんな感じ♪ どんどん増やす予定♪


今年も苗をたくさん買ってきた。これは、スイカの苗♪ “割れないスイカ”という名前である。素朴な疑問なのだが、割れないスイカは、割れないのにどうやって食べるのであろうか?

これは、メロンの苗♪ メロンは、初めての栽培となる♪


これは、ミニトマト♪


これは、ナス♪


肥料も買ってきた♪


まずは土を起こす♪


2019年6月9日、先週、土を起こした畑を整備して…。


畝を作った♪ そして、上の写真の奥から、九条ネギ・時なし小カブ・春大根の順に種をまいた♪


上の写真の左から、キュウリ・アスパラガス・オクラの順で種をまき、苗までプランターで育てることにした。

今年も母は、ヤル気で満ち満ちている♪


スイカ・メロン・ミニトマト・ナスも別の畑に植えた。生長するのが楽しみ♪


先週、株分けした花が無残な姿に…。犯人はタヌキであろうか、キツネであろうか…。なんか…、も〜れつに嫌な予感がする…。

2019年6月22日、畑が荒らされていた。作ったばかりの畝が完全に破壊されている…。


丸太を破壊しているところから推量すると、犯人はイノシシであろう。


その他にも、大玉スイカの苗が引き抜かれ、メロンの苗は葉が食べられていた。恐らく、犯人はタヌキ・キツネ・野ウサギなどだと思われる。このまま継続して育ててはみるが、生長は厳しいであろう。

理由は分からないが、ミニトマトとナスには被害がなかった。


上の写真の左から、キュウリ・アスパラガス・オクラの順で種をまいたのだが、キュウリとオクラは順調に生長している♪ しかし、アスパラガスは全然ダメ…。

ん〜、おかしい…。こんなに早い時期から農作物に被害がでるとは…。それに、イノシシだけではなく、タヌキ・キツネ・野ウサギなどによる被害も多い…。動物たちが、こんなにも飢えているのは今までになかったことである。

2019年6月29日、どうやって動物たちから農作物を守ろうかと考えていたところ、ふと、小さな異変に気づいた。「あれっ? いつも、こんなに鳥がいたっけ?」。暮露暮露庵の周辺で、やたらと鳥たちが鳴いている。よくよく観察してみると、ウグイスやカラスなどが、激しく森の中を飛び回っている。

ウグイスは、通常、「ホ〜、ホケキョ!」と鳴くのだが、その後に、「ケキョ!ケキョ!ケキョ!」と続けることがある。「ホ〜、ホケキョ!」は、他の鳥に対する縄張り宣言であり、「ケキョ!ケキョ!ケキョ!」は、縄張りに侵入した者などへの威嚇である。この日、ウグイスは、「ホ〜、ホケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ!ケキョ!」と、かなり長くケキョを繰り返していた。他の動物との縄張り争いが熾烈な証拠である。

暮露暮露庵のすぐ近くにまで鳥たちが飛んできている。


しかも、一匹や二匹ではない。なぜ危険を冒してまで、こんなに人間の近くまでくるのか…。


すると…。


ん? なんか聞こえたような気がする…。


気のせいか…。


え?


イノシシだ! こんなに人間の近くまで!


写真を撮った時のシャッター音に反応した! こっちを見てる…。すごい! 15メートルも離れているのに、こんなに小さいシャッター音が聞こえるのか!

子供もいる! 写真には写っていないのだが、すぐ近くに子供がもう一匹いる。


何かが違う…。動物たちも人間と同じように、毎日、同じ行動をとることを好むように思う。なぜなら、その方が安全で確実だからである。厳しい自然環境の中で、わざわざ、いつもと違う行動をして危険を冒す必要は全くない。動物たちが、いつもと違う行動をとっている時は注意が必要である。何らかの原因で、いままで常であった状態が根本的に変わっている可能性があるからである。昨年の11月に仙台市泉区で始まった、三菱地所による泉パークタウンの最後の開発区域の造成が原因であると噂されているが、本当なのであろうか? 少し調べてみようかなぁ…。

  2019/07/12  






    先月、三重県の松阪市の商店街に、“正論おじいちゃん”が出没するとの報道があった。簡単に説明すると、「視覚障害者の方たちが、歩行者との接触事故に巻き込まれている」という主旨の広告を見て激怒。まず、その商店街の道の点字ブロック上に物が置かれているのを問題視して警察に通報し、警察の指導の下、店にその障害物を撤去させた。しかし、その後、このおじいちゃんの正義はエスカレートし、店の敷地から数センチでも看板や幟(のぼり)が出ていれば、自らが店に乗り込んで激しく苦情を申し入れ、時には、偶然、その店にいたお客さんにもコンコンと正論を繰り返すようになった。そのため、商店街の道には全く障害物がなくなったものの、同時に、商店街の活気もなくなってしまったという。おじいちゃんの主張は正論であり、その正論によって視覚障害者の方たちが守られたのであれば結構なことである。おじいちゃんも、さぞ、満足されたことであろう。

    法学の世界には、「善き法律家は悪しき隣人」という言葉があるという。例えば、私が何かのトラブルに巻き込まれて裁判をしなくてはならなくなり、ある百戦錬磨の優秀な弁護士に仕事を依頼したとする。その弁護士は法廷で細かい法律論を駆使し、その正論は私を勝訴に導いてくれるので、その弁護士に対して私は、最大限の賛辞を贈ることになるであろう。しかし、その後、その優秀な弁護士が私の自宅の隣に引っ越してきて、「今日は△曜日です。燃えるゴミは☆曜日ですよね。こんなことをされては困ります。ルールはしっかりと守ってください」など、日常生活で、その才能を存分に発揮したらどうであろうか? 裁判所では、あれほど頼もしいと感じた人間が、その同じ人間が、そのまま困った隣人になってしまう。つまり、“優秀な弁護士”には、裁判などでの助力は頼むが、隣には住んでほしくないということである。

    本当に優秀な人間とは、どのような人間であろうか? その時代時代で変わり続ける“現実と正論との境界線”を、常に意識している人間だと私は思っている。つまり、すぐに、「これが正しいことだ!」と決断する人間ではなく、「これは、本当に正しいことなんだろうか?」と迷いながらも、その迷いの中で苦渋の決断をすることができる人間。そして、その決断をした後も、「あの時の自分の決断は正しかったのだろうか?」と、さらに迷い続けることができる人間である。

  2019/07/17  






上の写真は、近所の方のイノシシの被害。重機で掘ったような穴である。


「なぜ、こんなにもイノシシやタヌキやキツネなどの被害が深刻なのか?」という問題の答えを見つけるために、少しだけ勉強した。

三菱地所による泉パークタウンの最後の開発区域の造成が原因だと噂されているのだが、昨年、近所に完成した太陽光発電の施設の影響かもしれないので、実際に施設に行ってみたところ、さほど広い敷地ではなかった。「ん〜、無関係ではないとは思うが、そんなに多大な影響があったとも思えない…」というところであろうか。

三菱地所による泉パークタウンの最後の開発区域の造成に関して、株式会社BWMさんのウェブサイトによると、2019年5月27日には、造成に関する伐採工事がほぼ完了していたとのことである。 以下の@〜Eの写真は、株式会社BWMさんのウェブサイトより引用(ここをクリックすれば当該サイトを閲覧できます)。

その作業を撮影した写真によると、完全に山の木を伐採しているのが分かる。


この山が、向こう側に見えている寺岡のような街並みになるようである。


伐採された木材と切り株が集められている。


これが、伐採された木材。


これが、切り株。すごい数…。


この工事に関して、三菱地所は、“(仮称)泉パークタウン第 6 住区開発計画”という資料を公開している (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 その18ページに、以下のような文章が掲載されていた。「対象事業計画地及びその周辺は、保全上重要な動物の生息地が存在している。対象事業計画地及びその周辺の動物相及び注目すべき動物について、供用後における人の存在や気配に対する配慮、並びにイノシシやツキノワグマ等の野生動物と住民の関係に対する配慮が必要と考えられることから、配慮項目とする」と。残念ながら、この文章の中にある“配慮”という言葉は、この開発区域を購入し、そこに住むであろう方たちに対する配慮という意味だと思われ、その周辺に住んでいる私たちへの配慮ではないようである。つまり、語弊を恐れずに言えば、「土地を買ってくれる人たちの危険に対しては気をつかうが、もともと住んでいた周辺の住民の方たちが危険になるのは知りません。ご自分で解決してくださいね♪」ということである。

この開発区域は、“泉ヶ岳から根白石への緑の回廊”と呼ばれる、動物たちが広域に移動するための“道路”の一部となっている。つまり、この開発によって人間に棲みかを奪われた動物たちは、この道路を通ってどこかに避難したということである。私の土地も、この道路の一部である。よって、この動物たちの移動による影響は避けられない。簡単に説明すると、以下のようになる。

この地区では、泉パークタウンの開発前、人間と動物の微妙な調和が保たれ、お互いに楽しく生活していた。

しかし、開発で棲みかを追われたクマなどが、この調和の保たれた地区に移動してくると、そのクマを恐れた小動物たちが棲みかを追われ、今まで保たれていた調和が崩壊。その後、生活の場を失って腹をすかせた小動物たちは人間の畑へ…。

そして、現在では人間に脅威を与える存在になってしまった…。


困った…。近所のTさんから聞いたのだが、この地区の猟友会の方たちが、「いやぁぁぁ〜、クマとイノシシが増えたねぇぇぇ。どんどん罠にかかるもんなぁ」と証言しているようである。どうやら、この地区のクマが激増している可能性が高いと思われる。私はクマを目撃したことはないのだが、クマを最初に目撃した日が、私の最後の日になる可能性もある。走るスピード・木登りの能力・腕力など、全ての能力が私よりも優れている。まったく厄介な相手である。

今年の家庭菜園でのイノシシ・タヌキ・キツネなどの被害に関しては、応急処置で対応するしかない。これほど被害が深刻になると、何か大規模な対策をする必要がでてくる。やれやれ…。三菱地所さ〜ん…。頼みますよぉぉぉ〜。

  2019/07/22  






    日韓請求権協定。1965年、日本と韓国との間で結ばれた協定である。語弊を恐れずに簡単に説明すると、この協定は、太平洋戦争における強制的な動員などの被害に対する補償を求める韓国に対し、日本が、5億ドル(無償3億ドル・有償2億ドル)を供与することで、日本と韓国が国家としての請求権、また、日本人と韓国人が個人としての請求権を放棄することを定めたものである。上記のような文章にしてしまうと、たった数行の簡単なものなのだが、昔、私が子供だった時、私の死んだ父が、この協定が生まれた背景を教えてくれたのを覚えている。父は、以下のように話していた。「日本によって利権を失った多くの朝鮮人がいる。しかし、同じように、朝鮮によって利権を失った多くの日本人もいる。それらの人たちは、国家とは関係のない、戦争とは関係のない一般人だ。そのような人たちが、全員、『謝罪しろ!補償しろ!』などと裁判をしたら、両国の個人の利権が交錯して混乱を極め、収拾がつかない状態になってしまう。そんなことをいつまでもやっていては、両国の将来に暗い影を落とすことになる。だから、この協定が生まれたんだ。まずは、日本が韓国に対して大きな補償をする。しかし、その後に起こるであろう細かい個人的な騒ぎに関しては、日本で起こった騒ぎは、日本政府が責任をもって抑える。そして、韓国で起こった騒ぎは、韓国政府が責任をもって抑える。そうすることによって、日本と韓国の将来が明るいものとなるように先人たちは願ったんだ。これは、日本と韓国の先人たちが、お互いに必死に知恵を出し合った結果だ」と。

    今、両国の先人たちの願いや知恵を、無駄にしようとしている人間がいる。韓国の現在の大統領である文在寅さん(=むん・じぇいん)と、前の大統領である朴槿恵さん(=ぱく・くね)である。朴さんの頃から日韓関係が傾き始め、文さんでその傾きが加速して現在に至っている。もともとから存在している竹島の領有権をめぐる領土問題などに加え、「@慰安婦問題に関する日韓合意が、韓国政府によって一方的に破棄されるA徴用工訴訟問題に関する韓国の最高裁判所による判決への韓国政府の対応B日本の自衛隊機に向けて射撃レーダーが照射されるという韓国の海軍によるレーダー照射問題」など、これからどこまで傾いていくのか誰にも分からない状態になってしまった。もはや、このような状態になってしまった以上、残念なことではあるが、行きつくところまで行くしかない。そして、日本と韓国は、先人たちが残してくれた大切な願いと知恵を無駄にしてしまった罰、そして、歴史から学ぶことを怠けてしまった罰を受けるのである。しかし、個人的には、それも悪いことではないと私は思っている。自分たちの愚かさに気づいたら、その気づいた瞬間に新たな一歩を踏み出せばいいのである。その一歩は、今までの一歩とは違った大きな一歩になるであろう。

    これでまた一つ楽しみが増えた。私が死んであの世に行った時、日本と韓国の先人たちは何と言っているであろうか?「そうか…、あんなに俺たちが苦労してもダメだったのか…」と言って悲しんでいるであろうか、それとも、「ハハハ!やっぱりダメだったか!そんなことだろうと思っていたよ」と言って笑っているであろうか。先人たちが、どこまで私たちの人間的な本質を見抜いていたのか、なかなか興味深い。ふふふ…、楽しみである♪

  2019/07/30  






私が購入した山の土地にはタラの木が多くあるので、毎年、たくさんのタラの芽を食べることができる。そこで、欲張り爺さんの私は、「一年中、タラの芽の天ぷらが食べたいなぁ…」と思い、実験的に、“ふかし栽培”をしてみることにした。

タラの木には、上の図のようにフシがある。


そして、上の図の赤丸のあたりに芽をだす。フシの少し上である。


ふかし栽培とは、上の図の緑の線のあたりを切断し、多くのタラの芽を栽培する方法である。本来、ふかし栽培は2〜3月ごろの寒い時期にするらしいのだが、「本当に2〜3月だけなのかなぁ…」と思い、実験的に6月にやってみることにした。この時期にふかし栽培をして成功すれば、一年中、タラの芽の天ぷらが食べられる可能性がでてくる♪

2019年6月22日、タラの木のフシの少し上を切断し、水を入れたジョーロに設置♪


太陽の光を当ててはダメということなので、物置小屋にしまった。


2019年6月29日、変化なし…。やっぱり暑い時期はダメなのか…。


2019年7月7日、変化なし…。ん?


おっ!三つも!


芽が出てる!


2019年7月13日、おぉぉぉ〜!すげぇ〜!ところが…。


2019年7月27日、水…、補給するの忘れた…。二週間もカラッカラの状態が続いたので、芽が枯れてしまった。

今回は失敗してしまったが、暑い時期でもふかし栽培ができる可能性があることが分かった。しかし、ふと、思った。「この土地にはタラの木が数十本もある。いちいち細かく切断して栽培するよりも、上から順番に、『食べる→切断→食べる→切断』を繰り返せばいいのではないだろうか?タラの木は生命力が強いので、次の年には元通りになる」と。自然のままにしておけば、いちいち水を補給する必要もなく、太陽の光も気にしなくていい。そのまま自然の状態にしておけば楽である。

上の写真の物置小屋の後ろの木は、ほとんどがタラの木である。自然のままの状態にしてタラの芽を食べるとなると、周辺の雑草の管理が必要になる。つまり、「ふかし栽培だと、周辺の管理は不要であるが、水の補給などが必要になってくる。一方、自然の栽培だと、水の補給などは不要であるが、周辺の管理が必要になってくる」ということである。ん〜、ふかし栽培にするか、自然の栽培にするか…。「管理するのをサボって、上手いものだけ食べようとするな!」という声が聞こえてきそうだが、私は、最小限の努力で、最大限の美味いものが食べたい…。因みに、ふかし栽培にするか、自然の栽培にするかで、もう5時間も考え込んでいる。「そんな暇があるなら、水を補給すればいいじゃねぇか!」とも思うが、私は考えることが好きなので、そのような時間は何時間でも苦にならない。しかし、水を補給する時間は5分でももったいないと感じる。最近、しみじみと思う。「タラの木は、ただ自然の法則に従って悠々と生きているだけなので、面倒なことは何もない。面倒なのは、いつも、『何とか自分の思い通りにしてやろう!』と考えている人間の方である。ひょっとすると、タラの木に生まれてきた方が幸せだったのではないだろうか…」と。

  2019/08/07  






    先月、三重県の松阪市の商店街に、“正論おじいちゃん”が出没するとの報道があった。簡単に説明すると、「視覚障害者の方たちが、歩行者との接触事故に巻き込まれている」という主旨の広告を見て激怒。まず、その商店街の道の点字ブロック上に物が置かれているのを問題視して警察に通報し、警察の指導の下、店にその障害物を撤去させた。しかし、その後、このおじいちゃんの正義はエスカレートし、店の敷地から数センチでも看板や幟(のぼり)が出ていれば、自らが店に乗り込んで激しく苦情を申し入れ、時には、偶然、その店にいたお客さんにもコンコンと正論を繰り返すようになった。そのため、商店街の道には全く障害物がなくなったものの、同時に、商店街の活気もなくなってしまったという。因みに、そのおじいちゃんは、「あなたは、交通ルールを無視して道路を横断したり、他人の所有物を所有者の許可なく移動したり破壊したりしていますが、ご自身の法律違反に関しては、どのように考えていますか?」という記者からの質問に、「そんなことは、たいしたことではない」という主旨の答えをしている。

    残念なことではあるが、このようなことは、このおじいちゃんに限らず、日本中のあちらこちらで見られる現象である。同じようなニュースを聞くたびに、誰から言われたのかは忘れたが、昔、誰かから言われた言葉を思い出す。「いいかい。自分で何か理論を考えたら、まず、その理論を自分自身に当てはめなさい。絶対に自分を例外に置いてはいけないよ」と。例えば、「体罰なんてとんでもない!絶対にやってはダメだ!」という理論を主張している人間が、日常的に体罰を繰り返している場合などがそれである。他人がおこなう体罰に関しては、その理論に従っていかなる理由があっても許さない。ところが、自分がおこなう体罰に関しては、その理論の例外としてしまうため、結局、「自分の行為は体罰ではない」という結論になってしまうのである。自分自身を例外に置くと、このような摩訶不思議な現象が起こってしまう。

    誤解していただいては困るのだが、私は、一生懸命に自分なりの理論を構築しようとしている点、その理論を実践しようとしている点に関しては高く評価しているし、その理論の正当性に関して高く評価しているものも多い。私が問題にしているのは、その運用である。この運用に関しては、それを運用する人間の人生そのものが大きく影響していると私は思っている。つまり、どんなに簡単な理論を運用する場合であっても、一日や二日で運用できるようになるはずかないということである。理論の運用にとって大切なのは、その人間そのもの。ある時は人を傷つけ、またある時は自分が傷つき、そして、ある時は自分の醜さから逃げ、またある時は自分の醜さと向き合う。そのようなことを延々と積み重ねることによって、嫌なことでも一つ一つ真面目に積み重ねることによって、理論を運用するための大切な基礎が形成される。理論を構築することも厳しい作業ではあるが、その理論を適正に運用することは、もっとたいへんな作業なのである。

  2019/08/12  






山での作業は楽しいので、ついつい時間を忘れて夢中になってしまう♪


上の写真は、チリ紙の上に置いた一円玉である。


しかし、見ていただきたいのは、一円玉ではなく、赤い矢印の部分である。


これは、先日、山での作業中に私の指に刺さった棘(とげ)である。自宅マンションに帰宅してから、ずっと、「どうも…、指がおかしいなぁ…、ん〜、何だろう…」と思っていたのだが、数時間後にこの棘を見つけた。こんなに小さな異物でさえも違和感を感じるようにできているとは、人間の体というものは、なんと繊細なものなのであろうか。この体験をして、ふと、思い出した話がある。昔、私が体調不良を感じて病院に行った時、医師から、「今日はどうされましたか?」と問診されたので、私が、「どこが悪いということはないんですが、どうも体に違和感を感じるんです」と答えると、医師が、「そんな説明で患部が分かるわけないじゃないですか!痛くなってから来てくださいよ!」と怒りだし、病院を追い出された。これが、違和感に関して忘れられない私の一番の思い出である♪

  2019/08/19  







【 認知症と向き合う 9 】

    今後の認知症の研究のためになればと思い、また、認知症の患者を家族にもつ方たちの参考になればと思い、認知症の母を介護している私が、見たままを、感じたままを、そのまま記述して記録に残すことにした。

    私の母は、認知症によって認知機能が低下しているので、ドラマなどのテレビ番組を見ても内容が理解できず、5分もしないうちにウトウトと居眠りをしてしまう。しかし、そんな母が、1時間の間、ずっと集中して見ていられることができるテレビ番組がある。その一つが、“ポツンと一軒家”というテレビ番組である。このテレビ番組を簡単に説明すると、「衛星写真だけを手がかりに、日本各地の人里から離れた場所に存在する一軒家を調査しながら、そこに住んでいる人間の人生に迫っていく」というテレビ番組なのだが、その内容が理解できるようで、ずっとゲラゲラ笑いながら見ている。

    2019年7月14日の放送では、愛知県の山中に住んでいる今泉伸夫さん(=いまいずみ・のぶお=66歳)の話に、「そうだ、そうだ」と共感していた。因みに、母が強く共感していたのが、今泉さんが、以下に挙げる二つの話をしていた時である。まず一つ目は、杉の倒木や土砂崩れなどで道がふさがれると、今泉さんは行政に頼ることなく、自分自身でそれらを撤去しているのだが、そのことに関して、「田舎に住むっていうのはよ。人を頼っちゃダメなんだよ。誰もやってくれないし、『やってくれない』っていじけとったって、暮らしていけないんだから」という話をしていた時。そして、二つ目は、今泉さんが、蘭やシャクヤクなどの花を残し、その他の雑草を刈っているのを知ったレポーターの方が、「自然の形としては、雑草なども残しておく方が自然の形なのでは?」という主旨の質問をしたところ、今泉さんは、「それは、里山という文化の見地からいうと違う。里山文化では、『そこに人間がいて、そこで生活を営むことこそが自然』という考えの方が正しい。つまり、『何もやらないで、草ボーボーの状態をただ眺めていて、はい、これこそが自然です』というのは、単に自然界の法則における自然であって、里山文化における自然ではない。人間がそこに住むという力、すなわち、『掃除をする』『草を刈る』という文化、そういう文化こそが自然だと俺は思う」という主旨の答えをしていた時である。

    恐らく、母は、昔、自分が田舎に住んでいた時の生活習慣や価値観などを、このテレビ番組の内容に重ね合わせて強く共感しているのであろう。たとえ認知機能が低下していても、子供の頃に身につけた基本的な生活習慣や価値観は変わらないということなのであろうか。確かに、母を山に連れて行くと、山の澄んだ空気を吸いながら森を眺めてニコニコし、「昔は、お父さんに怒られながら草むしりをしたものよ♪」などと話しながら、楽しそうに草むしりをしている。また、空いた時間には塗り絵などをし、それらが終わると、せっせと暮露暮露庵の屋上に上って、イスに座ってお茶を飲みながら自然の景色や鳥のさえずりを聞いて楽しんでいる。山に連れて行くと、母は、4〜5時間は何かに集中していられるようである。自然界の法則における自然の中にいるから集中していられるのではなく、この土地に潜在している里山文化の自然の中で、「この土地で生活するために必要なことをする」ことによって、母の中にある本能が活性化され、母の集中力を引き出しているのかもしれない。なんとも興味深い話である。

  2019/08/25  






今年の家庭菜園は、荒れに荒れたものになってしまった。九条ネギ・時なし小カブ・春大根の種をまいた畑は…。

イノシシによって畝ごと全滅。


スイカ・メロン・ミニトマト・ナスの苗を買って…。


植えたのだが…。


タヌキ・キツネ・野ウサギなどが犯人なのであろうか、大玉スイカの苗は引き抜かれ、メロンの苗の葉は食べ尽くされてしまった。

理由は分からないのだが、なぜかナスとミニトマトには全く被害がなかった。


キュウリ・アスパラガス・オクラの種をまいたプランターでは…。


アスパラガスは芽を出すこともなく全滅。


オクラは芽を出したものの、生長せずに全滅。


キュウリは芽を出して生長したので、畑に植え替えた♪


しかし、タヌキ・キツネ・野ウサギなどが犯人なのであろうか、すぐに全滅…。


買ってきた種や苗で生き残ったのは、ナスとミニトマトだけ…。この最後の農作物を守るために、陸奥之国の政府は、数年前、イノシシのために設置した防護柵の一部を撤去して、ナスとミニトマトの周囲に移動することを決定した。

これが、イノシシのために設置していた防護柵。一部を撤去してナスとミニトマトのために使用することにした。

ナスとミニトマトを囲むように設置。


この防護柵のマスの大きさは10センチ四方なので、イノシシの被害を少なくすることには効果がある。しかし、タヌキ・キツネ・野ウサギなどの小動物に関しては、7センチ四方より小さくしないと効果が薄いと言われているので、10センチ四方の防護柵でどのくらい小動物の被害を少なくできるのかは未知数である。つまり、「やってみないと分からない」という素晴らしい対処法である。とはいえ、今すぐに実行可能な他の方法があるわけではないので、今年は、対症療法に徹するしかない。

ミニトマトは順調に生長しているのだが…。


ナスは植えた場所が悪かった…。


そこで、小動物に食べられてしまう危険はあるものの、畑に植え替えてみた。


ミニトマトはすくすくと生長♪


実がなりはじめた♪


ナスは、なんとか小動物に食べられずに残っていたのだが、ニュースなどで報道されている日照不足の影響なのであろうか、実がほとんど生長していない。

その後、ミニトマトは生長を続けて立派な実をつけた。


母が、収穫を開始♪


楽しい♪楽しい♪


まだまだいっぱいある♪


今回、収穫することはできないが…。


次回も、たくさん収穫できそうである♪


因みに、ミニトマトの茎に赤い矢印のような現象が起こるのは、水不足が原因である。一週間に一回くらいしか山に行かないので、頻繁に水をやることはできない。ん〜、困った。どうしようかなぁ…。

収穫できる野菜が少なかったので残念ではあるが、母はそれなりに楽しんでいたようである♪


ナスは、5本とも小動物に食べられることなく、全て生き残っていた。


しかし、やはり日照不足の影響なのであろうか、全く実が大きくならない。


これ以上の生長は見込めないと判断して収穫した。


収穫できたナスは、たったの2本…。大きさは通常の1/3くらいであった。


陸奥之国の政府は、来年の種や苗が発売される前に、農作物を守るための大規模な防護柵を設置することを決定した。現在、その計画の詳細を検討中である。

  2019/08/30  






私は、“陸奥之国”と自称している土地を山に所有しているのであるが、そこには、その周辺の土地の所有者で結成している自治会があり、年に一回、その自治会の会員で全体会をすることになっている。そのため、2019年8月25日、その自治会の全体会に参加してきた。

その全体会で、イノシシの被害に対する自治会の対応について聞いてみたところ、上の写真に示されているように、私が所有する土地は、自治会のイノシシ対策の構想には入っていないとのことであった。全体会に参加した会員の方からは、「たいへん申し訳ない…」との声も聞かれたが、私は個人主義者であり、かつ、合理主義者でもあるので、特に「仲間外れにされた」とか「見捨てられた」とは思わない。“ポツンと一軒家”というテレビ番組で、愛知県の山中に住んでいる今泉伸夫さん(=いまいずみ・のぶお)が、「田舎に住むっていうのはよ。人を頼っちゃダメなんだよ。誰もやってくれないし、『やってくれない』っていじけとったって、暮らしていけないんだから」と言っていたが、その通りだと私も思う。一週間に一回しか行かない私のために、特に防護柵を設置する必要のない私のために、“みんな平等に”という理念のためだけに、無駄な金と時間と物質を投入するのは愚かな戦略である。私の土地が安全圏の外にあるのは残念なことではあるが、そんなことをいつまでもブツブツ言っていても無意味である。安全圏がなければ、自分で安全圏を作ればいいだけのこと。山で生き残る基本は、「周囲との連携が可能なのであれば連携して身を守る。しかし、連携が難しいのであれば、自分の身は自分で守る」ということである。

陸奥之国の政府は、外国に依存することの少ない自立した国づくりを進めることを決定した。


陸奥之国は、国土の狭い小さな国である。しかし、明確な理念と大きな誇りを持った国になるための道を選択した。

今まで進めてきた国土の整備をいったん凍結し、現在の状況を詳細に調査してから、改めて国土の整備を進めることにした。

上の写真を見ると、国のほぼ全域が危険であることが分かる。


以前、イノシシ・キツネ・タヌキなどから被害を受けたことを紹介したが、2019年8月24日現在、イノシシによる被害はさらに深刻になり、ますます拡大する傾向にある。

土の見えるところは、イノシシが土を掘り返した場所。


その被害の痕跡は暮露暮露庵を包囲しており、まるで人間を威嚇しているようであった。


雑草が、なぎ倒されている。


まずは、その雑草を全て引き抜いた。


今年、5本もナスの苗を植えたのだが、全てイノシシに引き抜かれていた。


引き抜いた雑草を大蛇の池に捨てて、雑草で池を埋めた。


因みに、大蛇の池とは、大蛇が這っているように見える池のこと。本日をもって消滅。


イノシシの被害は、畑だけではなかった。建物の下の土も掘り返されていた。


ここまで酷いとは…。そんなにエサがないのであろうか…。


昔、この場所は杉林だったので、ここには豊富な腐葉土がある。そのため、イノシシの好物と言われているミミズが多く生息している。

イノシシによって徹底的に畑を荒らされ、丸太の境界線が必要なくなったので…。


撤去♪


撤去した丸太は、何か別のことに使用する予定。


昔、母のために作ったデッキも…。


イノシシによって徹底的に破壊されてしまった。


お疲れさまでした♪ このデッキも撤去♪ すると…。


おぉぉぉ〜!デッキの跡から沢ガニが!


ほれっ!


あっ!卵がついてる!


これから国土の整備を始めるので、少し離れた場所の水たまりに逃がしてあげた♪


疲れたぁぁぁ〜! 今日1日で、約5m×10mの土地が確保できた。ここを畑にする予定♪


上の写真は、イノシシが掘った穴。その口の形がくっきりと残っている。


深さを測ってみたところ、約20cm〜25cmであった。同様の別の穴もそのくらいの数値だったので、イノシシが日常的に掘っている深さだと思われる。つまり、イノシシの防護柵を設置する時は、地面からの高さだけではなく、地面からの深さも計算に入れなければいけないということである。

まだ、計画を実施するかは分からないのだが、上の写真のように、百九十一高地の頂上まで行ける階段を設置する予定である。階段のイメージは、水色の丸のような感じ♪

簡易的な測定をしてみたのだが、角度的にも設置することは可能だと思われる。この計画に関しては、また次の機会に掲載することにする。

こんなに私が苦労しているのに、不思議なことに、ミニトマトは全く被害を受けることなくスクスクと生長していた。

「おっ!実がなってる♪」。


どんどん奥に入っていき…。


「うひょょょ〜♪」。


「ひゃはははは〜! まだまだ、あるよおぉぉぉ〜♪」。


ミニトマトの収穫が終わったら、今度は塗り絵に夢中。楽しそうでよろしい♪ 嫌なことはやらずに、自分の好きなことだけをする。私もこんな老後を過ごしたい。

  2019/09/04  






    現在、私は、パチンコ屋で清掃のアルバイトをしているのだが、仕事中に少し気になっていることがある。それは、私がトイレの清掃をしている時、便器に血がついていたり、ベトベトした尿が床に垂れているのを散見することである。私は、それらを清掃するのが嫌だと言っているのではない。「これらの症状がある方たちは、ちゃんと病院に行っているのであろうか?」と思って、その方たちの健康を心配しているのである。そのようなことを気にしていると、ふと、昔、母が私にしてくれた話を思い出す。

    母の話によると、母の父、私の祖父は、「80歳くらいまでは生きたいからな」と言って、自家製のニンジンのジュースを飲んでいたという。私の祖父は90歳まで生きたのだが、私は、ニンジンのジュースを飲み続けたから祖父が90歳まで生きたとは思わない。もし、90歳まで生きた理由があるとすれば、それは、自分の健康に気をつかう気持ちが最後まで持続していたこと、その気持ちこそが、長生きするために最も大切なことであり、最も効果的なことだったのだと思う。

    「自分の思った通りに好きなことをやって死にたい。その結果、たとえ短い人生になってもかまわない。ほっといてくれ!」という考え方もあるとは思うが、せっかく、この世に生まれてきたのだから、健康に気をつけながら、自分の思った通りに生きてほしいものである。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2019/09/10  






今年は、イノシシや小動物による深刻な被害があったため、ミニトマトを除く全ての野菜が全滅してしまった。そこで、最後まで残ってくれたミニトマトを保護するために防護柵を設置。その保護に全力を尽くした。

この防護柵のマスの大きさは10センチ四方なので、イノシシの被害を少なくすることには効果がある。しかし、タヌキ・キツネ・野ウサギなどの小動物に関しては、7センチ四方より小さくしないと効果が薄いと言われているので、10センチ四方の防護柵でどのくらい小動物の被害を少なくできるのかは未知数である。

しかし、私の心配をよそにミニトマトは絶好調♪ 2019年8月31日、収穫も最盛期を過ぎたので、防護柵を撤去して雑草を刈り、剪定や収穫などをしやすくした。

どんどん収穫する♪


まだまだ残ってる♪


やっぱり、収穫するのは楽しそう♪


本日の収穫♪


収穫後、次回の収穫のための剪定をしていた時…。


ふと気づいた…。


防護柵があった時は雑草などで見えなかったのだが、ミニトマトの幹が…。


こちらが根っこ…。


この状況から推量すると、小動物に噛み切られたようである。植えた5本のミニトマトの苗のうち、2本が噛み切られていた。これで、10センチ四方のマスでは、小動物による被害を防ぐことができないことが証明された。

2019年9月7日、小動物によるミニトマトへの被害は確認できなかった。ホッ…。


まだまだ実がなる♪


美味しそう♪


このミニトマトの状況を知った母は、下着のまま畑に飛び出して…。


せっせと収穫♪


家庭菜園は、人間がするべき本来の行動ということなのであろうか。認知症には、ものごとへの意欲を失うという症状があるというが、母は、積極的に家庭菜園に参加して楽しんでいるように見える。

高いところにあるミニトマトの収穫も、へっちゃら♪


ミニトマトを除く全ての野菜は全滅してしまったが、皮肉なことに、ミニトマトは過去最高の収穫量だった。

スーパーで売っているミニトマトの価格を基準にして、今年、家庭菜園で収穫できたミニトマトの総額を推量してみたところ、ミニトマトの品質にもよるので単純に比較はできないが、約5000円といったところであった。しかも、どのようにしてミニトマトが生長していくのかを観察したり、どのようにしてミニトマトの苗を守るのかを考えたり、スーパーでミニトマトを買っている方には得ることができない体験も追加されている。家庭菜園で野菜を育てるようになって、「スーパーで野菜を買うことによって、本来、私たちが体験しなければいけない多くのことを省略してしまっている」ということに気づいた。

  2019/09/16  







【 認知症と向き合う 10 】

    今後の認知症の研究のためになればと思い、また、認知症の患者を家族にもつ方たちの参考になればと思い、認知症の母を介護している私が、見たままを、感じたままを、そのまま記述して記録に残すことにした。

    認知症の介護を経験した方たちなら分かると思うが、「同じことを何回も続けて話してくる」「夜間に、突然、怒り出したり泣き出したりする」など、その介護には強い忍耐力が必要である。現在、私は、仕事をしている時間を除いた全ての時間、認知症の母の介護をしているので、その忍耐に伴うイライラがかなり蓄積してきている。その証拠に、母に強い認知症の症状が出ている時は、「病気だからしかたがない」と分かっている私でさえ、ついつい声が大きくなってしまうことがあるのである。介護を始めた当初は、このイライラを自制しようとしていたが、現在は、「認知症の患者と対峙している限り、このイライラは自制できない。人間である以上、心の中から湧きあがってくる当然の感情である」と、自分の中にある感情を認めてそれまでの方針を転換し、「どうしたら、そのイライラを軽減することができるのか?」ということに主眼を置いている。私は、そのようなイライラのために自滅するわけにはいかない。私が自滅して潰れてしまえば、それはそのまま、母が潰れることになるのである。

    現在、母は、月・水・金曜日の週3日(8:40〜16:40)、介護施設のデイサービスを利用している。母が、医師によって認知症と診断されてから約2年、紆余曲折はあったものの、最近、やっと症状を安定してコントロールできるようになってきた。現在の安定している状態を維持したいという気持ちは強いのであるが、私のイライラを軽減するために、たとえ少しの時間であっても、自分の自由になる時間の確保が必要になってきたので、上記の日程を一部変更してみることにした。介護施設と相談して変更した内容は、「日曜日を追加して、デイサービスの利用を月・水・金・日曜日の週4日(8:40〜16:40)とする」というものである。ただし、月・水・金曜日は私が仕事をする時間を作るための通所であるのに対して、日曜日は、私の自由な時間を作るための通所になるので、日曜日に限っては時間を固定することなく、「昼ごろから夕方くらいまでかなぁ〜」ぐらいの感覚で、その日の母の健康状態を見ながら、ゆったりと通所することにした。日曜日を追加して1ヶ月くらいになるが、この時間の増加による介護施設での影響は少なく、自宅での影響もあまり感じられない。油断はできないが、今のところ、私が自由にできる時間の確保に成功していると言っていいと思う。

    因みに、それらの自由な時間には、録画しておいたテレビ番組を見たり、パソコンで好きなことをして遊んだりしている。介護の経験がない方たちは、「え? たったそれだけ?」と思うかもしれないが、母と一緒にいるときにテレビ番組を見ていると、母が一方的に私に話しかけてくるので、私は見たいテレビ番組の内容を十分に理解することができずにイライラしてしまう。また、母と一緒にいるときに私がパソコンで遊んでいると、「そんな機械で遊んでいると目が悪くなるよ!やめなさい!」と言って母の機嫌が悪くなるので、すぐにパソコンの電源を切ることになってイライラしてしまう。介護する人間にとって、少しでも自分の自由な時間を持てることは、介護の経験がない方たちが思っている以上に貴重な時間となるのである。

  2019/09/20  






    人間というものは、「いちばん頑張っているのは自分だ!」と思いがちである。そのため、他人に対する不満を口にする。「あの人は、他人の悪口ばかり言ってる…。嫌な人…」という周囲からの評価も知らないままに。人間というものは、「自分のことは自分が一番わかっている」と思いがちである。そのため、自分自身のことを過大に評価する。「大したこともできないくせに、口だけはよく動かす人だな…」という周囲からの評価も知らないままに。しかし、ごく一般的な普通の人間というものは、その程度のものである。そして、そのような人間の中には、当然、私も含まれている。なぜなら、私は、自分自身を例外に置くことができるほど特別な人間ではないのだから。

    私は、何か不満を感じた時には、人間の世界ではない、もっと大きな世界の力を借りることにしている。具体的に言えば、上の写真を見ることである。この写真は、昔、私が警備員をしていた頃、ある冬の日の朝7時ごろに警備室前の風景を撮影したもの。山間部の極寒の夜を耐え忍び、暖かい朝日を浴びながら、その体からは水蒸気を発していた。この木は、必死に生きているのである。「寒い!寒い!なんとかしろよ!」と不満を口にすることもなく、「木に生まれなくて良かった〜♪」という人間からの評価を気にすることもなく、ただただ、ひたすら黙って耐え忍び、自然から与えられた命を全うしていた。

    この写真を繰り返し見ていると、不思議なことに、不平不満を感じることが少なくなる。たとえ他人からの評価が低くても、「バカにされて、笑われているくらいがちょうどいいのかも」と思えるようになったし、「ただただ黙って耐え忍び、自然から与えられた命を楽しむ」、そんな人生をカッコいいと思えるようになった。もっと視野を広くすることができれば、もっともっと心を広くすることができれば、もっともっともっと素晴らしい人生を送ることができるであろう。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2019/09/25  






2019年9月14日、ミニトマトは、まだまだ実をならせていた♪


おぉぉぉ〜♪


ん?


ちゃんと赤い実がなっているように見えるが…。


中には、こんな実もある…。


よくよく見てみると、実が割れているミニトマトもある…。


しかし、母は、「そんなの関係ねぇ!」と言わんばかりに収穫に夢中♪


本日の収穫♪ 実が割れているミニトマトも多くなってきた。ん〜、シーズン終了の気配…。


2019年9月21日、赤い部分がほとんどない…。


食べたいと思えるような実がない…。


こっちは、真っ黒…。


残り少ない赤くなった実を収穫。


たったこれだけ…。シーズンの終了を、ここに宣言する♪一口に野菜と言っても、全ての野菜が均一に深刻な被害を受けているわけではない。これは、私の個人的な感想なのだが、キュウリ・ナス・トマトは、野生動物に襲われにくいような気がする。来年は、どうやって野菜たちを守っていこうか。今までよりも野菜たちのことに関して学ばなければならない。面倒くさいのと同時に楽しみでもある♪

  2019/09/30  






先日、山で家庭菜園を楽しんだ帰り道、私の車の前をイノシシが横切ったので追いかけてみた。「おっ!いた!」。

「こっちに来る!」。


車中より撮影♪ 「どんどん近づいてくる!」。


「誰かエサを与えてるな! 全然、人間を恐がらない! 慣れてんじゃねぇえか!」。


クラクションをバンバン鳴らしているのに、悠然と去っていくイノシシ…。


人間に慣れているイノシシに危険を感じたので、100円ショップで護身用の銃を購入♪


火薬も♪


これが護身用の銃♪


パカッ!


火薬を設置♪


準備完了♪


山に向かって…。


発射!8発ほど撃った後、最大音量にした携帯ラジオを設置。今のところ、この方法で野生動物の接近を回避している。

陸奥之国の政府は、イノシシと小動物による深刻な被害から農作物を守るため、大規模な防護柵の設置を決定した。

まず、政府は、設置する防護柵の範囲を具体的にイメージしてみた。赤い部分が、防護柵を設置する部分。一気に全ての土地を囲ったとしても、防護柵の中の雑草や防護柵の周辺の整備が追いつかないので、少しずつ段階的に防護柵で囲う範囲を拡張していくことにした。

これが、暮露暮露庵の前の平地の部分。約15坪くらいある。ここを防護柵で囲って畑にする。


暮露暮露庵から、百九十一高地の頂上まで階段を設置し、その階段に防護柵も同時に設置する。そうすれば、写真の左側からのイノシシや小動物の侵入を抑制できる。新しい階段の設置にともない、古い階段と手すりは役目を終わったので撤去する。

棒の先にビニール袋をつけて地面にさし、イノシシと小動物から守るべき土地の範囲を見えるようにした。そして、階段を設置する予定の場所に水糸をつけ、角度的に階段の設置が可能であることを確認した。

これが、防護柵で囲う予定の全体図。


こんな感じ。


上の図は、防護柵を設置するために必要な材料の合計金額を計算したもの。ただし、備品などの金額は除いているので、実際にはもっと金額が膨らむことになる。

上の図は、防護柵を設置するために、土地を測量したもの。土地の傾斜角度は約20°だったので、階段の設置は可能である。

これだけの土地を一気に防護柵で囲うと、その管理が難しいので、まずは最小限の土地を防護柵で囲い、周辺の整備を進めながら、少しずつ拡張していくことにした。

暮露暮露庵の屋上でお茶を飲みながら、母が楽しそうに言った。「この土地は良い土地だね♪こんなに優雅な老後が過ごせるとは思ってなかった。ありがとね♪」と。

  2019/10/03  






陸奥之国の政府は国土の再整備にともない、今まで作成した地図を破棄して新たな地図を作成することにした。 (ここをクリックすれば当該地図を閲覧できます。2019年10月09日現在)。

赤い矢印のあたりに、大きな桜の木がある。


しかし、その桜の木があるのは陸奥之国ではなく、隣のМ国である。


これが、М国にある桜の木。


枝が伸びほうだいで、陸奥之国の国土が日陰になってしまっている。


現在、М国の国王は不在である。今までは、何か作業をするたびにМ国に電話で通告していたのだが、「いちいち通告しなくても良いですよ♪」とのことだったので、「財産及び請求権に関する問題の解決を定めた、陸奥之国とМ国との間の協定」である、“МーМ請求権協定” を根拠に陸奥之国の軍隊が南部М国領に進駐。陸奥之国の国土を日陰にしている桜の木の一部を伐採した。

サッパリ♪ 問題解決♪


次の問題は、暮露暮露庵の前の水害の問題である。


このままでは、畑を作ることができない。


そもそも、この問題は、水源からパイプラインで引いた水を放置していることに始まる。しかし、運の悪いことに、この水がОG国を流れてしまっている。

現在、ОG国の国王は不在である。今までは、何か作業をするたびにОG国に電話で通告していたのだが、「いちいち通告しなくても良いですよ♪」とのことだったので、「財産及び請求権に関する問題の解決を定めた、陸奥之国とОG国との間の協定」である、“МーОG請求権協定” を根拠に陸奥之国の軍隊が北部ОG国領に進駐。陸奥之国の国土を水害から守るため、北部ОG国領に池を作ることにした。

上の写真の右側から、水源からの水が流れてくる。そして、この地点で陸奥之国へ流れる水と、ОG国へ流れる水が分かれる。つまり、この流れを一つにして、全ての水をОG国に流れるようにすれば、陸奥之国の水害は少なくなるのである。

まずは、周辺の木を切り倒し、水の流れがどのようになっているのかを徹底的に調査する。全てが水源から引かれている水とは限らない。雨が降った時だけ染み出してくる水もあるのである。その全てを把握して新たな水の流れを作る。

どうも赤丸のあたりにポイントがありそうである。


それぞれの水の流れを一つに集約して流す。


どんどん流す♪


さらに流す♪ 因みに、写真がピンボケなのは、いつイノシシに襲われるか分からないので、急いでシャッターを押しているからである。

このあたりで水の流れが止まっている。つまり、このあたりから水が地下に染み込んでいるということである。これで、陸奥之国の水害は少なくなると思われる。

これで完成! あとは様子を見ながら、問題が発生すれば、一つずつ解決していくだけである。


数日後、少しずつ水が乾いてきている。


斜面の水も乾いてきている♪ まあまあ成功したと言えるであろう♪


余談ではあるが、この記事を書いている時、偶然、上の写真を発見した。周囲の物と比較すると…、その大きさが分かる…。でかいなぁ…。

イノシシ君…。どうやら知らないうちに撮影していたようである。


上の写真をよく見てみると…。


ウリ坊も二匹いる。本来、イノシシは茂みなどからは出ないと言われているが、堂々と茂みではない場所を闊歩している。人間に慣れてしまったのか、イノシシの個体数が増加して食糧不足になったため、しかたなくエサを求めて茂みから出てきたのかは分からないが、人間にとって、厳重な警戒が必要なことは間違いない。

  2019/10/09  






陸奥之国の再整備にともなって、梅の木などを管理しやすい場所に植え替えることにした。


現在、梅の木が植えてある場所は、赤丸のあたり。


こんな感じで植えてある。


ところが、夏季は上の写真のようになってしまって太陽の光が当たらないため、なかなか木が生長しなかった。

そこで、上の図のように、梅の木などを1ヶ所に集約して管理することにした。


これが、ビワの木♪ 知り合いのNさんにいただいた。Nさんは店を経営しているのだが、その店が母の散歩コースにあったため、Nさんと母が親しくなり、そこに私が加わったという感じである。母と歳が近いこともあり、Nさんと母は、花や野菜などの話をしていたようなのだが、先日、3人で話をしていたところ、Nさんが農家の出身であることを知り、「おっ、これは野菜を上手に育てるための先生になるのでは♪」と思い、Nさんにお願いして、10月の半ばあたりから、一緒に山へ行ってもらうことになった。

これが、イチジクの木。


全ての梅の木を、この場所に植え替えた。


梅の木を植え替えた時、ついでに剪定したのだが、切り落とした枝を見ていて、「もったいないなぁ…。挿し木をして育ててみよう♪」と思い、挿し木をすることにした。上の写真がそれ。一般的には、梅は、挿し木をすることができないと言われているのだが、「そんなことは、やってみなければ分からないじゃないか!」という精神は大切だと思ったので、挑戦してみた。

1週間後…。みんなの言っている通りであった…。「やってみなければ分からない!」という精神は大切だが、みんなの意見を素直に聞くという精神も大切だと思った。因みに、母は、「素敵なドライフラワーが完成したので、失敗ではない」と言い張っている。

その後、ビワは順調に生長している♪


イチジクは、すでに葉が落ちていたので、植え替えが成功したのかは、来年の春にならないと分からない。

南高梅は、植え替えに成功♪


白加賀も植え替えに成功♪


豊後も植え替えに成功♪


甲州小梅も植え替えに成功♪ 来年は、梅ジュースの量が増えそうである♪


  2019/10/16  






陸奥之国の政府が、防護柵の設置を決定したため…。


その周辺の雑草を除去した。


棒の上に白いビニール袋をつけて、だいたいの面積を把握する。


水糸を張って階段の高さを設定。


水糸が地面に接触しないことを確認♪


ところが、邪魔な切り株を二つ確認…。


邪魔者…。


は…。


消す♪


これは驚いた! 切り株の下には、雑草の根がいっぱい。


二つ目の邪魔者…。


も…。


消す♪


この切り株の下にも、雑草の根がいっぱい。土の中では、人間には分からない、いろいろなことが起こっているようである。

スッキリ♪


水糸を張って、単管パイプを打ち込む場所を確定する。


百九十一高地の頂上まで、水糸をピンと張ってぇぇぇ〜♪


こんな感じで単管パイプを打っていく♪


どんどん打っていく♪


次に、階段の木材を設置した時にパイプとの距離が隔たらないように、全てのパイプの水平を確認する。

暮露暮露庵の前のパイプと…。


百九十一高地の山頂のパイプに…。


水糸をピンと張ってぇぇぇ〜♪


一つ一つ…。


確実に…。


水平をとっていく♪


完璧♪


左側に続いて、右側の水平をとる♪


左側と同じ要領で♪


サクサクッと♪


ホイッ! 完成♪ ついでに手すりもつけてみた♪


因みに、新しい階段が完成するまで、古い階段を使おうと思っていたのだが…。


ついに、私の体重に悲鳴をあげ…。


その役割を…。


終えた…。お疲れさまでした♪ でも、捨てないよ♪ 他のことに再利用するからねぇ〜♪


  2019/10/23  






陸奥之国の政府は、国土を野生動物から守るために防護柵の設置を決定。その建設にとりかかった。


前回の作業は、水糸を張るところまでで終了。


今回は、階段用の板を設置するための、横木の設置から開始。


これを設置していく。


こんな感じで横木を設置し…。


その上に階段用の板を設置していく。


まずは一列だけ頂上まで階段用の板を設置し、水平が保たれているのかを確認する。


頂上まで完全に水平が保たれていた。あとは機械的に階段用の板を設置していくだけ。


旧階段の限界が近づいている…。


手すりを仮設置した。


中央にも基礎を設置し、階段用の板を補強。


すべてのものを連結させて強度をアップさせた。


因みに、現在、設置している階段用の板は、前に建設して現在は解体されている大きなウッドデッキの木材を再利用したもの。

ホイッ! 完成!


…と言いたいところだが、3枚だけ板が足りなかった。


ん〜、なかなか良い感じ♪


試しに頂上まで階段を上ってみたのだが…。


補強が足りなかった…。私が階段の上を歩くと、赤い矢印の部分の板が、しなってしまう…。


このままでは、近い将来、階段用の板が折れてしまうであろう…。


そこで、急遽、予定を変更して階段用の板をさらに補強することにした。


補強が完了♪


試しに頂上まで階段を上ってみたのだが、今度は完璧であった♪


階段の基礎が完成したので、階段用の板も完成させることにした。


足りなかった3枚の板を購入。


ホイッ! 完成!


旧階段は、いつ板が折れて不通になってもおかしくない状態である。早く、新階段を完成させなくては。

  2019/10/30  






陸奥之国の政府は、国土を野生動物から守るために防護柵の設置を決定。その建設にとりかかった。


前回の作業は、階段用の板を設置するところまでで終了。


今回は、滑り止めの設置からなので、横木などを購入して作業を開始した。


まずは、最初の横木を設置。


そして、間隔の基準となる木材を、最初に設置した横木の上に設置。因みに、この間隔の基準となる木材の長さは31センチ。その長さの根拠は、私の母の歩幅である。これで、母が無理なく階段を上がることができる。

間隔の基準となる木材の上に横木を置く。


クギで固定して完了♪


間隔の基準となる木材を除去して、証拠を隠滅♪


あとは、この作業を繰り返すだけ。


ただひたすら、この作業を繰り返す。


こんな感じ♪


残りは1/3♪ 一気に完成させるぞぉぉぉ〜! ところが…。


クギがなくなっちゃった…。無念ではあるが作業を終了…。


因みに、旧階段はもう限界を超えている。新階段を建設するために大量の重い荷物を旧階段で運んだのだが、その負荷が大きすぎて板がギシギシ鳴っていた。

後日、クギを購入して作業を再開。


ホイッ! 完成!


次は、手すりを設置する。まずは、一番上と一番下に基準となる単管パイプを設置して水糸をピンと張る。そして、水糸がズレないように石を置いて固定。因みに、単管パイプの高さは94.5センチ。その長さの根拠は、私の母が無理なく手すりを利用できる高さだからである。

水糸が単管パイプの中央を通るようにする。


ピタッ♪


ピタッ、ピタッとできるよ♪


ピタットハウス♪


ハイ!ハイ! 画像は、“ ネズミーマウスマーチ ”より引用しました。この動画…。まだあったんだ…。 (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。

こんな感じ♪


手すりを仮設置して、母に階段を上がってもらった。


おぉぉぉ〜! 完璧! 何の問題もないとのことであった♪ 百九十一高地を再び占領♪

バンザ〜イ! \(^o^)/


これでほぼ完成♪


あとは、ぬかるんでいる部分に、どんな階段を設置するかである。


赤線のように階段を設置してしまうと、トタンで壁を作っても、赤丸の切り株を使って野生動物たちが壁を飛び越えてしまう。

それを防止するためには、赤線のように階段を作る方法もあるし…。


赤線のように階段を作る方法もある。まずは、ぬかるんだ状態をなくしてから考えることにする。


赤い矢印の方に進むと水源がある。そして、赤丸は百九十一高地の展望台である。


この茂みの先に水源がある。夏季は雑草が茂っていて、いつイノシシに襲われるか分からないので危険なのだが、母が水源を気に入っていて、年間を通して水源に行きたいと言っている。この新階段の建設によって、百九十一高地までは年間を通して通行できるようになった。次の目標は、水源までの歩行の安全を確保することである。申し訳ないが、しばらくの間、母には待ってもらうことにする。

新階段の完成によって、旧階段は撤去する予定。余談ではあるが、最近、周辺諸国で深刻なイノシシによる被害が報告されているにもかかわらず、陸奥之国ではイノシシなどによる被害がまったくない。陸奥之国には、イノシシが大好きな水辺やミミズなどが豊富にあるのだが、それでも被害がないのは、新階段の建設にともなう騒音などが原因だと思われる。クギを打つ音、単管パイプを地面に打ち込む音、火薬を爆発させる音、残った火薬の臭いなどが、イノシシに、「ここには人間がいて危ない」というメッセージを送ったのかもしれない。そこに人間が生活しているという痕跡を残すことが、イノシシ対策には有効なのだと思う。しかし、イノシシも生きるために必死なので、すぐにその状況に慣れてしまうであろう。「これで少しだけ時間をかせぐことができた」ぐらいの感覚でいれば間違いない。

  2019/11/06  






現在、陸奥之国は、大きな水害の問題に直面しているのだが、その原因が全く分からない。


困ったことに、この水害の問題を解決しないかぎり、新階段を完成させることができないのである。


そこで、陸奥之国の政府は、早急に水害の問題を解決することを決定した。


「なぜ、ぬかるんでしまうのか?」。まずは、この水害の原因を調査することから始めた。


ぬかるんでいる場所に堀を作り…。


水を排出することにした。


暮露暮露庵の前も水でビショビショ…。


他にも、ぬかるんでいる場所に堀を作り、どこに地下水脈があるのかを特定することに全力を尽くした。

ん〜、かなりの水量だ…。


調査の結果、少なくとも上の写真の6ヶ所から水が染み出していることが確認できた。おそらく、水源からの地下水脈だと思われる。

地下水脈が確認できた全ての場所に堀を作り、その水を排出した。


どんどん堀を作って…。


地下水脈から水を排出して、土地がぬかるまないようにする。


しかし…。


台風19号が陸奥之国に襲来!


私が作った堀の許容量を超える雨量であったため…。


その水が畑にまで流れ…。


ついには、私道にまで流れ出てしまった。


この台風19号の影響により、水源から引いていたパイプに問題が発生、水源からの水が断たれてしまった。

パイプから水が流れていない…。しかし、これは、水害の原因を調査するには都合が良かった。


水源からの水が断たれた結果、ぬかるんでいる土地の面積が狭くなり、調査がしやすくなった。しかし、どんなに調査しても、どこに水害の原因があるのかが分からなかったので、過去に撮影した写真を見てみることにした。

これは、昔、私が撮影した写真。かなりの水量である。現在は埋めてしまったのだが、ここには大蛇の池という池があった。

昔の写真には、はっきりと水の流れが写っていた。


しかも、こんなに水量が…。


上から見た写真。そうか…、だから大蛇の池を作ったんだ…。この水を溜めて畑にまくために…。すっかり忘れてた…。

数日間、この場所を放置した結果、ぬかるんでいる土地の最大の面積は、上の写真の赤い線までであることが分かった。

どこに、どのくらいの地下水脈があるのかが分からない以上、やはり、赤い線のように階段を作るのが安全だと思われる。そして、大蛇の池を復活させるのも一つの方法である。これだけの水量があると、何らかの方法で処理しなければならない。

因みに、大蛇の池は、大蛇が這っているように見える池だったので、そのように命名した。一度は消滅したものの、やはり大蛇は執念深かった。どうやら、復活しそうである。そこで問題になるのは、池の名前なのだが、“新・大蛇の池”、“続・大蛇の池”、“大蛇の池 2”、ん〜、どうしよう…。まぁ、まずは、穴掘りから始めることにする…。また穴掘りかぁ…。疲れるなぁ…。

  2019/11/13  






陸奥之国の政府は、一刻も早く水害の問題を解決する必要があると判断し、大蛇の池を復活させることを決定した。

暮露暮露庵の前は、水でビショビショ。


ん〜、この水量…。


「どこに大蛇の池を作ればいいのか?」。上の写真の@〜Bは、ぬかるんでいる場所。Bは堀を作って水を流したので、現在は特に問題はない。残りの@とAの水を合流させた場所に大蛇の池を作る予定。

しかし、Aの場所をよくみてみると、確かに水はあるのだが…。


たったこれだけ…。ほとんど無視してもいいレベルである。


@の場所に堀を作ったところ、水量が多いことが分かった。


階段の上から撮影。


地下水脈から堀に水が流入し、川のようになった。


どんどん流れていく。


「ん〜、どこに大蛇の池を作ろうかなぁ…」と考えていた時、ふと、視線を感じた…。


「お前さんもガンバルねぇ〜。でも、俺たちのことも考えてくれよ。俺たちもここに住んでんだからさぁ」。

ん〜、困ったなぁ…。どこに大蛇の池を作って、どこに階段を設置するか…。


…と考えていたところ、少しずつ地面が乾いていき…。


一週間後には、ほとんど水がなくなった。


暮露暮露庵の前も地面はカラカラ。


この状態であれば、そのまま階段を設置しても問題ないのでは…。


ん〜、どうするかなぁ…。


さらに一週間たっても変化なし。どうやら、台風や大雨のような特別な状況にならないかぎり、問題ないようである。

陸奥之国の政府は、大蛇の池を復活させることを撤回し、そのまま階段を下まで延長することを決定した。

  2019/11/20  






陸奥之国の政府は、新階段を完成させることを決定。その建設を開始した。


建設の方法は、今までと同じ♪


ホイッ! 完成! 全長30メートル! 物資の輸送の生命線となる階段である。“中央階段”と命名した♪


「へぇ〜、できたんだ♪」。


「どれどれ…」。


「おぉぉぉ〜! しっかりしてるねぇ〜! 全然、グラグラしないじゃん♪」。


「もう少しで頂上…」。


到着! バンザーイ! \(^o^)/


よほど嬉しかったのか、この日、母は中央階段を3往復もしていた。


旧階段は解体。しかし、単管パイプも木材も全て再利用するので、無駄になるものはない。


これが、全長30メートルの中央階段♪


上から見たところ♪


上の写真は、私が頻繁に利用しているビバ・ホーム。今回、私が1メートルの単管パイプを大量に購入したので、一時、在庫切れ寸前になった。因みに、以下は、中央階段の建設のために購入した商品の一覧である。ただし、再利用した単管パイプや木材などもあるので、合計の金額は低くなっている。

商 品
個 数
金 額
 単管パイプ1m
122本
56120円
 単管パイプ2.5m
1本
1140円
 単管パイプ3.5m
1本
1380円
 直交クランプ
107個
17120円
 垂木クランプ(自在)
76個
12540円
 2×4材12F
6本
3870円
 杉24×36×3000
12本
1896円
 2×4材スタッド
4本
1764円
 丸釘N65・丸釘N75
各1箱
1432円
 手摺ジョイント
3個
702円
 木材のカット料
1230円

出費の合計 99194円



この中央階段は、母の行動範囲を劇的に広範囲にした。しかし、それは、母の楽しみを激増させるのと同時に、野生動物の危険を認識できないまま、認知症の母が広範囲に行動し、予期せぬ危険に遭遇する可能性が高くなったことも意味している。自然の楽しみを享受しながらも、適切な監視が必要である。

以前、斜面に作った畑に水を供給するためにパイプラインを建設したのだが、その畑が荒廃したため、陸奥之国の政府は、現在、水手が切られているパイプラインの廃止を決定。それを撤去した。 (ここをクリックすれば当該地図を閲覧できます。2019年11月21日現在)。 余談ではあるが、ある日、お隣のМさんが中央階段を見ながらニコニコして、「すごいの作りましたねぇ〜。もうプロじゃないですか♪」と言っていた。また、別の日には、山を散策しているグループの方たちが中央階段を見て、「すげぇ〜なぁ♪ なんか楽しそう♪」と話し、ケラケラ笑いながら去っていったこともあった。まぁ、何かの話題になって楽しんでくれたのであれば、それはそれで良いと思う。さらに、お隣のSさんは、私が中央階段を作っている様子を遠くから見ていたらしく、「こんな短期間によく作ったなぁ。それに、上手くなってるよ。クギを打つ音を聞いていれば分かる」と言っていた。私からすると、クギを打つ音だけで、その良し悪しが分かる方がすごいと思うのだが…。

  2019/11/27  






中央階段の完成で物資などの輸送が容易になったため、陸奥之国の政府は、点在している畑を1ヶ所に集中し、大規模な畑を作ることを決定した。

その場所は、上の図の緑の部分である。完成すれば、約30坪ほどの畑になる。


しかし、図で見ると簡単そうに見えるが、実際は、上の写真のような場所であり、しかも、傾斜角度が20°もあるため、机上の計算ほど簡単ではない。

そこで、陸奥之国の政府は、まずは現地の正確な情報を把握するため、その測定を開始。上の図の☆Aから草木の伐採を開始した。

伐採を開始!


☆Aの辺りの伐採が完了♪


次は、☆Bに向かって伐採を開始!


上の写真は、☆Aから☆Bを見たところ。ん?


伐採したススキだ…。


伐採したところから赤い液体が…。


う〜ん…。なんか…。血みたい…。あまり気分の良いものではない…。


さらに、☆Cに向かって伐採を開始!


どんどん伐採する。


どんどんどんどん伐採する。


最後に急な斜面の草木を伐採した。


あとは、☆A〜☆Dの範囲の草木を伐採する。


こんな感じ♪


ひたすら伐採していく。ん〜、良い感じ♪


いっぱいツルが…。フジかな? フジであれば棚を作って観賞したいので、とりあえず残すことにした。

これも…、フジ?


複雑に巻きついてる…。


これを全て解かなければならない…。


太いツルが3本…。


このツルがこれに巻きついていて、こっちのツルはそれに…。そして、そのツルがこっちのツルに…。向こうのツルはここに巻きついていて、さらにこっちのツルがあっちに…。ん〜、イライライライライライライラ…。

ふぅ〜、解くのに1時間かかった…。


疲れた…。少し休憩…。


赤丸が根っこ。すごく太い。いつの間にこんなに生長したんだろうか。


おぉぉぉ〜、少しずつだが、確実に完了に近づいている! 何事もコツコツ真面目にである。


ススキを撤去するのは時間がかかるので、少しずつ進めることにした。


ホイッ! 完成! 赤丸は、伐採した草木♪


赤丸Aがこちら♪


赤丸Bがこちら♪ 赤丸の板の高さが90センチなので、伐採した草木の高さは約3メートルである。


余談ではあるが、今回、私が伐採した草木の中に漆の木があったようである。その証拠が次の写真。


かぶれちゃった♪ 痒い! かゆい! カユイ!


  2019/12/04  






前回は、測量のために草木を伐採した。今回は、いよいよ測量である。まず、中央階段から畑にする予定の場所に通行しやすいように、ススキの一部を伐採。

ふと、辺りを見まわしてみると、以前、パイプラインを設置していたところに…。


タヌキの巣か? キツネの巣か? ハクビシンの巣か?


こんなにパイプラインの近くに棲んでいたのか…。


だいたいの面積を把握するために…。


水糸を張って…。


さらに、白いビニール袋をつけた棒を立てた。


赤線の部分が畑になる予定。約30坪である。


このまま畑として使用してもいいのであるが、傾斜角度が20°となると、少々、使いにくい。


そこで、水平の土地に壁を作り…。


壁の上に水平線を仮設定して、その線から上の部分の土を下によせて…。


平らな畑にすることにした。


まずは、地面から高さ90センチの位置に水糸を張る。そして、赤丸のように合板を設置して壁を作る。中央階段の建設に10万円も税金を投入してしまったので、もはや陸奥之国の政府に金はない。では、その合板は、どのように調達するのか?

「カメラさん。左によって!」。


「もうちょっと左!」。


「ストップ!」。


小屋を解体して、その合板を再利用する。そして、畑を作っている間に国民から税金を集めて、新たな小屋を再建する♪

壁を支える基礎を設置。単管パイプは、旧階段に使用していたものを再利用した。一段だけでは不安なので、二段目を設置する予定。

こんな感じ♪ 伐採した草木の上から土をかぶせて腐葉土にする。


全体図♪


予定通りに完成すれば、約30坪の平地の畑ができるはずである。


不要な草木を燃やして処分する。火の管理は大切なので、母にまかせた。「いいよ〜、まかせて〜♪」とのこと。

しかし、私との約束は完全に無視して、塗り絵に夢中…。火を監視する意思はないようである。


赤丸は、畑を作るために伐採した草木。すごい…。


畑にする予定の地面から、すべての根っこを引き抜かなければならない。昔の人は、今のように便利な道具がなかったのに、この作業をしていた。偉い!

最近、陸奥之国では、イノシシの痕跡が発見されていない。周辺の国では、ひどい被害が報告されているのにである。新しい畑の開拓にともなって、その国土の形状が変形し、イノシシが警戒しているのが原因だと思われる。このような効果がどのくらい続くのかデータを蓄積すると面白いかもしれない。「どのくらい作業をして、どのくらい形状を変えると、どのくらいイノシシが来ないのか」。これが分かれば、一定の期間に一定の作業をしていれば、イノシシの被害が少なくなるということになる。イノシシに対する最大の防御は、「人間が生活している明確な痕跡を残す」ということなのかもしれない。因みに、上の写真のように、両側が壁のようになっている場合、イノシシは、「これは、人間がしかけた罠なのでは…」と考えるため、不用意に細い道を進もうとはしないようである。

これは、畑にする予定の土地の全体図。写真の奥の中央階段を見れば分かると思うが、その傾斜角度は20°である。しかし、写真の手前は、ほぼ平地になっている。そのため、写真の奥の方の土を下によせることにした。

こんな感じで土を下によせていく。


「どのくらいの土を下によせたら水平になるのか?」を、常に意識しながら作業する。


そろそろ合板を設置したいので、二段目を設置した。


こんな感じ♪


合板を設置すれば、土留は完成する。あとは、ただひたすら斜面を切り崩して土を下によせるだけである。

  2019/12/11  






前回は、土留のための合板を支えるために、木材を二段にするところまで作業をした。今回は、いよいよ合板の設置を開始する。

ここに合板を設置していく。


設置する合板は、この小屋を解体したものを再利用する。


ん? そっか…。屋上を解体して再利用してもいいのか…。


予定を変更♪ 屋上を解体することにした。まずは単管パイプを解体。


単管パイプとは便利なものである。組み立ても簡単、解体も簡単。屋根の解体も20分ほどで完了した。

あとは、一枚ずつはがしていくだけ。


どんどんはがす♪


ホイッ! 完了!


ここに、一枚ずつ合板を設置していく。


こんな感じ♪


二枚目…。


三枚目…、四枚目…。


合板がなくなったので、ここまでで終了…。


こんな感じ♪ この壁は、畑での作業を楽にすることも目的だが、同時に、イノシシから農作物を守ることも目的である。因みに、イノシシの目の高さは、上の写真の赤線くらい。

この壁の高さは約90センチである。イノシシの目の位置から壁を見ると上の写真のような感じになる。イノシシは、1メートルくらいであれば楽々と飛び越えると言われているが、それは、危険を感じて敵から逃げている時の運動能力である。もし私たち人間なら、上の写真のような状態のとき、危険を冒して壁を飛び越えようとするであろうか。壁の向こう側が崖になっている場合もあるのである。イノシシも人間と同じ、いや、人間よりも慎重かもしれない。必要以上にイノシシを恐れてはいけない。イノシシが、この壁を飛び越えたら、そのときに壁の高さを上げればいいのである。

全体的には、こんな感じ♪


面積的には、こんな感じ♪ 約30坪♪


あとは、土をよせていくだけ。


どんどんよせていく♪


赤線の高さで土留を作らないと、よせた土が分散してしまうので、壁を作ることにした。


材料は、屋上を解体したときのものを再利用する。


これ♪


仮設置した♪ あとは土を掘って高さを調整し、水平にするだけ。


ん〜、なんとなく…、それらしくなってきた。今後が楽しみ♪


  2019/12/17  






当初、陸奥之国の政府は、上の写真のように畑を防護柵で囲うことにしていた。


しかし、上の図のように広範囲に防護柵を設置するには、莫大な税金の投入が必要となる。そこで、陸奥之国の政府は計画を変更し、拡張を予定していた土地は、イノシシなどの被害が少ない梅やビワなどの果樹園にすることを決定。莫大な費用がかかる防護柵の設置から全面的に撤退した。

陸奥之国の政府は、国土の全てを防護柵で囲うのではなく、必要な場所のみに防護柵を設置することにした。この大きな方針の変更により、新たに開拓している畑に、集中的に税金を投入することになった。

前回の作業に続き、土留を作るところから再開した。


ホイッ! 完成!


こんな感じ♪


あとは、ひたすら土を下によせていくだけ。


ん? 切り株が…。グラグラ…。


おぉぉぉ…。


切り株を除去♪


スッキリ! ん?


今度は…。


この切り株が…。


おぉぉぉ…。


切り株を除去♪


スッキリ!


どんどん土をよせていく♪


よせる土は、いくらでもあるよん♪


どんどん…。


どんどん…、どんどん…。


たとえ少しずつでも、積み重なると、けっこうな量になる。まぁ、いつかは終わるということで♪


おぉぉぉ!


赤線の面積が、約30坪。この土地を開拓する時には、「何年かかることやら…」と思ったが、これまでにかかった日数は5日ほどである。思ったよりも早く完成するかもしれない♪

この畑の土が水平になるように、調節しながら土をよせていく。


土をよせるために土を削った場所の段差が、約1メートルになった。もう一つ壁が作れそうである。合計すると60坪ほどの畑ができるのだが…。「 ん〜、どうしよう…。そもそも、60坪もの畑が必要であろうか…。しかし、畑として使わなくても、展望台や東屋などを作ってもいいか… 」。あとで考えよっと♪

  2019/12/26  






前回に続き、土を下によせていく作業をする♪


おぉぉぉ〜!


たった独りで作業をしているのだが、けっこうできるものである。


たくさん土をよせたので、段差が約2メートルになってしまった。


ん〜、切り株が邪魔だ…。調べたところ、下の赤丸の切り株は除去するのが難しいが、上の赤丸の切り株はなんとかなりそうである。

ん〜。


けっこう掘れるので、なんとかなるかも…。後でじっくり攻めることにする。


お?


困った…。膨らんでいる…。強度が弱かったかな…。


おぉぉぉ〜! いい感じ♪


次に作業をするのは、赤丸の部分。


まずは、邪魔なものを除去していく。


ススキの根は強いので、除去するのに一苦労である。


少しずつ根を除去していく。


少しずつ…。


完全に除去♪


因みに、このような木の根も除去しにくいので、見るとイラッとする。


え? しまった!


雪だ!


急がないと!


慌てて全ての根を除去した♪ 本格的に雪が降る前に、ある程度の整備を完了しておく必要がある。


余談ではあるが、自宅マンションの近所のNさんからいただいたビワは、順調に生長している♪


中央階段にある梅の木を眺めているとき、ふと、気づいた…。


蕾がある! 12月に蕾が出るんだ…。知らなかった…。来年の6月が楽しみ♪


本日の作業は終了♪ 次回は、赤丸の土を下によせていく♪


上の写真は、陸奥之国を遠くから撮影したもの♪ 今さらではあるが、よくもまぁ、こんな階段を建設したものである。

もしかしたら…、私は…、“やればできる子”なのでは…。


  2019/12/31