伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off


令和2年1月1日(水)、暮露暮露は考えていた。「どうして、毎年、正月になるとネコの画像を使ってしまうのだろう…」と。そこで、「人間の世界とネコの世界には、何か共通点があるのではないか?」という仮説をたて、その仮説を証明するために、人間の世界の出来事とネコの世界の出来事を比較してみることにした。

人間の世界で、“あおり運転”が問題になっていた時、ネコの世界では…。


同じようなことが問題になっていた。


人間の世界で、覆面をしたコンビニ強盗が問題になっていた時、ネコの世界では…。


同じようなことが問題になっていた。


人間の世界で、冤罪事件が問題になっていた時、ネコの世界では…。


冤罪事件の被害者に多くの同情がよせられていた。


人間の世界で、刑務所からの受刑者の脱走が問題になっていた時、ネコの世界では…。


同じようなことが問題になっていた。


人間の世界で、“愛と誠”という娯楽映画が上映されていた時、ネコの世界では…。


同じような映画が上映されていた。


人間の世界では、選挙の期間中、政治家が急に国民の意見を聞くようになる。その時、ネコの世界では…。

人間の政治家と同じように、今まで一度も話したことがない者たちからも意見を聞いていた。


人間の世界で、芸能界の薬物汚染が問題になっていた時、ネコの世界では…。


同じようなことが問題になっていた。


人間の世界で、インフルエンザの流行が問題になっていた時、ネコの世界では…。


その影響が直撃していた。


人間の世界で、女性に“ボンッ・キュッ・ボンッ”のダイエットが流行していた時、ネコの世界では…。

その解説に熱心になるネコがあふれていた。


人間の世界で、ラクビーのワールドカップが流行していた時、ネコの世界では…。


その影響が直撃していた。


これで、私の仮説は証明された。暮露暮露は理解したのである。「人間の世界とネコの世界には共通点が多い。だからネコの画像を使ってしまうんだ」と。

新年、明けましておめでとうございます♪ 今年もヨロシクお願い致します♪


  2020/01/05  




いよいよ雪の季節がやってきた…。


水が…。


凍ってる…。寒っ!


今回の作業はここから。前回、草木の根を除去したので、写真では時間がかかりそうに見えるが、そうでもない。

ホラッ♪


そろそろ合板を設置しないとなぁ…。


合板を確保♪


ここにあった合板を引き抜いた♪


習慣とは恐ろしいものである。赤い矢印の方から入ってもOKになったのに、なぜか惰性でドアを開けてしまう。

合板の設置が完了♪


邪魔な切り株が2つ…。


左の赤丸の切り株は、除去するに時間がかかりそうなので…。


右の赤丸の切り株から除去した♪ 切り株とはすごいものである。上の写真の赤丸の部分が土に引っかかっているだけで、ピクリとも動かない。

矢印の部分に、土留を作る。


廃材を再利用して〜♪


補強して〜♪


ホイッ! 完成!


おぉぉぉ〜!


30坪って…。思ったより広いなぁ…。


ん〜。


膨らんでいる…。


ただ…。膨らんでいるのは一部分だけ。どうやら赤い矢印のパイプの打ち込みが甘く、傾いてしまったようである。全体的には問題はない。

赤丸の切り株が邪魔なので、除去することにした♪


周りの土を掘ったのに、ピクリとも動かない。イラっとしたので…。


ハンマーで叩いてみた♪


ただ木くずを散らかしただけであった…。


残っているのは、赤い矢印の部分だけ。しかし、ピクリとも動かない…。


宙に浮いているように見える。こ…、これは…。


スタジオジブリの映画にでてくるラピュタ城だ!


ラピュタ城は、“バルス”という滅びの呪文で…。


崩れ去った…。そこで…。


マネしてみた♪ ばるす!


変化なし…。


やっぱりコツコツ努力することにした。おっ! グラグラしてきた!


おぉぉぉ! 亀裂が…。


おぉぉぉぉぉぉ!


除去♪


除去したものの…。30キロぐらいあるかなぁ…。動かせない…。


ゴロゴロと転がして…。少しずつ動かしていく…。


少しずつ…。


少しずつ…。重いなぁ…。


やっと畑の外に運んだ…。崖の下に落とせば完了♪ その後は…、知ぃぃぃ〜らない♪


スッキリ♪


次は、赤丸の部分の土を下によせていく。


完了♪


  2020/01/12  




陸奥之国の政府が目的としていた畑が、ほぼ完成した。約30坪ほどの畑である。あとは、イノシシ対策としての防護柵を増設すれば完成♪

上の写真の赤丸は、切り株。


この切り株の右側に防護柵を増設する。


防護柵は、以前と同じ方法で増設する予定。


その後、政府は、防護柵の増設の必要性を認め、その設置を決定した。


現在は、上の図のように、土留 兼 防護柵があるのみであるが…。


政府は、上の図のように、野生動物から畑を守るためにコの字に防護柵を増設し、より強固な防衛を図ることにした。その増設の完成は、今年の農作業が始まる前までを予定している。

畑の土地を平らにするために、どんどん斜面を崩してしまったので…。


高さ2.5メートルほどの崖になってしまった…。崩れてきたらどうしよう…。


まぁ、今年は、これでやってみる! いくら机の上で熟考した案であっても、実際には、その通りにはいってくれないものである。不具合が出てきたら、その時に修正すればいい。何事も、まずは、やってみること♪

  2020/01/19  




新しく整備した畑の完成が近づいたので、陸奥之国の政府は、いよいよイノシシの討伐に着手した。


隣国のOG国は、長い間、国主が不在であったため、野生の王国に侵略されて植民地となっており、イノシシの活動の拠点になっていた。

これを問題視した政府は、OG国からイノシシを駆逐して、自らの植民地にすることを決定した。


草木は放置され、OG国は混乱を極めていた。


まずは、OG国の中央の草木を伐採することにした。


南側の草木の伐採から開始。


北側に向かって、どんどん草木を伐採。


どんどん伐採する。


おっ!中央階段が見えてきた。


伐採した草木は、OG国の川の南側に捨てた。


こんな感じ。


どんどん捨てた。


どんどん伐採して…。


どんどん捨てる♪


ただし、ただ捨てているわけではない。伐採した草木を積み上げて巨大な壁を作り、イノシシの侵入を防ぐのである。

少しずつだが、綺麗になってきた。


ふぅ〜、ちょっと休憩♪


次は、まだジャングルのままであったOG国の東側の草木を伐採する。


東側を…。


綺麗にした♪


おぉぉぉ〜! 草木が邪魔で見ることができなかった中央階段が、はっきりと見えるようになった。


伐採して積み重ねた草木も、立派な壁になっている。


新しい畑を整備するために伐採した草木も、OG国の南側に移動する予定。


おぉぉぉ〜! ジャングルのようだったOG国が!


OG国の草木を伐採して分かったのだが、かなりの面積の“ 沼田場 = ぬたば ”があった。上の写真の黒くなっている場所が沼田場。

沼田場とは、「イノシシなどの動物が、体についている寄生虫や汚れを落とすために泥を浴びる場所」のことである。

こんな近くにイノシシの拠点があったとは、恐ろしい話である。


OG国の草木の伐採が完成したので、「いつか使うだろう」と思って保存していた木材などを…。


OG国の中に仮置きした♪ とっても便利♪


おぉぉぉ〜! OG国の草木を伐採したので、暮露暮露庵に光が差し込んできた。


ふぅ〜、本格的に雪が降る前に作業が完成して良かった♪


私がOG国の草木を伐採した後、中央階段からOG国を見渡しながら母が一言、「 へぇ〜、よくやったねぇ〜♪ 他人様の土地を好き勝手に♪ 」。「 それを言っちゃダメ♪ 」。

陸奥之国の政府は、国主が不在となっているOG国を完全に植民地とした。しかし、“植民地”という言葉は響きが悪い。そこで、最近、日本という国で流行している言葉を引用することにした。日本という国では、お金を持っている大きな会社が、お金を持っていない小さな会社を下請けにして、立場の弱い会社の従業員たちに低賃金で過重な労働を強いている。しかし、“下請け”という言葉は響きが悪いので、お金を持っている大きな会社は、下請けの会社のことを、“協力会社”と呼んでいる。「それは良い! なんて便利な言葉なんだ!」と思った陸奥之国の政府は、OG国のことを、“協力国”と呼ぶことにした。言葉を綺麗なものにしたからといって、実態が変わるわけではないのだが、その程度のことで誤魔化せたと思っているのであれば、それはそれで幸福なことである。

  2020/01/27  




いよいよ、陸奥之国の政府は自国の軍隊に対し、OG国に常駐しているイノシシを討伐する命令を下した。

「 ハハハ! OG国はイノシシのものだ。人間の攻撃など、余裕で防御できるもんね♪ 」。


まず、政府は、軍隊を常駐させるための城を築いた。上の写真がそれ。


「 ハハハ! 城を築いただと! そんなものがどこにある! 」。


「 ん? 」。


「 なんだ? 」。


「 人間たちが… 」。


「 木を… 」。


「 伐採している… 」。


「 こ…、これは… 」。


「 おぉぉぉ〜! 突然、城が現われた! 」。


「 一夜にして城が築かれた… 」。


「 一夜城だ! 」。


南側には、伐採した草木の壁が…。


北側には、鉄の柵が…。


東側にも鉄の柵が…。


「し…、しまった! 完全に人間たちに囲まれてしまった!」。


陸奥之国の軍隊は、一夜城に布陣。


すぐに2ヶ所の出入口を封鎖した。


さらに、イノシシを攻撃して完全に包囲。


追い詰められたイノシシは、砦を築いて必死に応戦し…。


一進一退の激戦の後、一夜城と対峙して膠着状態となった。


も…、もはやこれまで…。


あっ! イノシシの砦から煙が!


おぉぉぉぉぉぉ〜! 炎が! ん? なにか聞こえてきた…。「 イノシシ…、十年…。下天の内を比ぶれば〜♪ 」。

本能寺の変の時に織田信長が舞ったと言われる“敦盛”だ! イノシシの大将が、敦盛を舞ってる!


炎は強さを増していき…。


やがて、イノシシたちを包んでいった。


敵ながら、立派な最期であった。


2時間後、イノシシの砦は完全に消滅。イノシシたちは、OG国での権益を全て失った。


  2020/02/03  




陸奥之国がOG国を協力国とし、その防備を固めたため、イノシシとの主戦場はON国に移った。


現在、ON国は、その居城は存在するものの、国王不在に近い状態であったため、以前のOG国と同様にイノシシの攻撃にさらされていた。上の写真の赤い矢印がその痕跡。

上の写真の黒く見える場所は、すべてイノシシが掘り返したもの。


こちらも。


居城の周辺も、徹底的に掘り返されていた。


これは…、一匹や二匹ではないなぁ…。


上の写真は、ON国側からOG国側を見たもの。伐採した草木で作った壁の近くまでイノシシが迫っている。

しかし、イノシシの痕跡を見てみると、草木の壁の直前でUターンしていることが分かる。


他の場所も同様であった。


上の写真の、国境の目印は、陸奥之国とOG国とON国の三国が接している国境である。国境の目印の周辺は、国境を明確にするために草木を伐採したので、見通しが良い場所となっている。不思議なことに、イノシシは、草木の壁の近くまでは来るのだが、人間にとって、もっとも入りやすいと思われる赤丸の部分からは入ってこない。やはり、イノシシは、敵から発見されやすい見通しの良い場所を嫌うのであろうか? いずれにしても、草木の壁がイノシシに対して有効であることが証明された。あとは、「どのくらいが適正な壁の高さなのか?」「どのくらい草木の壁は保存ができるのか?」などの詳細を研究していけばいい。例えば、今の壁の高さの半分で有効なのであれば、壁の長さを2倍に伸ばすことができるのである。

  2020/02/09  




陸奥之国には、私が知らない多くの植物がある。ある日、赤い実がなっている植物を見つけたので、お隣のSさんに聞いたところ、“ 山帰来 = さんきらい ”という名前の植物であることが分かった。

こんな感じで赤い実がなっている。


蔓に棘があるので、最初は野バラだと思ってバシバシ伐採していた。


綺麗な赤い実である。この赤い実の中に種があるらしい。陸奥之国には、この山帰来が多く自生している。

蔓性の植物なので、どんどん伸びていく。


あまりにも綺麗な赤い実だったので、鉢で育てようと思い、4本ほど掘り起こしてきた。


これが、山帰来の根。


まるで、生姜のようである。山帰来の根には、ステロイド系のサポニンが多量に含まれているので、昔は、この根を乾燥させたものを、皮膚病や梅毒の治療薬として服用していた。また、現在でも、市販されている便秘薬に山帰来の根の成分を配合しているのは、便秘による肌荒れや吹き出ものを抑制するためだという。

山帰来という名前の由来に関しては、諸説あるようであるが、“ 和漢三才図会 = わかんさんさいずえ ”という書籍の巻第九十六の蔓草(千五百十六ページ)には、「梅毒という病気が流行していた時、色欲を好む者たちは、その淫行によって梅毒に感染した。昔は、梅毒の治療方法を知っている者が少なかったので、症状が進行した患者たちの手足などは痙攣し、ついには、目や鼻が腐ってしまった。そのため、梅毒に感染した患者たちとは、食器や手ぬぐいなどは共用せず、その症状が重い患者たちは山野に捨てられた。しかし、近頃、土茯苓(=どぶくりょう=山帰来のこと)を服用して、梅毒に感染した患者たちが、山から帰って来るようになった。実に、良薬である」という主旨の記述がある。梅毒に感染した患者たちが、「山から帰って来た」というところから、「山・帰・来」となったようである。 (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。

山帰来は、可愛らしい赤い実が好まれていて、クリスマスや正月の飾りとしても需要が多い。


へぇ〜、楽天市場では、山帰来のリースもしているのか。


え?


4378円! こんなものが…。


1本…、2本…、3本…、4本…。


5本…、6本…。


7本…。


8本…。1本が4378円だから…。4378円×8本=35024円! こんなもので良かったら、まだ山にたくさんあるのに…。

「安いよ安いよ〜! 新鮮な山帰来の根♪ ご通行中の遊び人の兄ちゃん! 買った買った〜♪」。


  2020/02/15  




今まで、中央階段の脇にある斜面の土地は、あまり利用しなかったのだが…。


陸奥之国の政府は、この斜面を本格的な果樹園にすることを決定した。


現在、この斜面には、梅・イチジク・ビワが植えてある。


こんな感じ♪


柿の木を2本♪ 買った♪


イチジクを2本♪ 買った♪


この斜面に一列に並べるために、目印の棒を立てた。


柿とイチジクを植えた♪


こんな感じ♪


買った時に、イチジクの実がなっていたので…。


収穫した♪


イチジクの実を収穫した時、白い液体が…。


すごくベトベトしている…。


実を切ってみたら、こんな感じになっていた。来年の収穫が楽しみ♪


柿とイチジクを植えている時に、ふと、思った…。「なんでここは、こんなに平らなんだろうか?」と。

そして、昔、ここを畑にしていたのを思い出した。上の写真がそれ。


トマトやナス…。


そして、キュウリなどを収穫していた♪


スイカも、すくすくと生長していたのだが…。


楽しいことばかりではなかった…。


こんな近くに小動物の巣があったのでは、被害が大きいのも当然か…。


梅の木を4本ほど買ってきた。上の写真は、甲州小梅。


そして、最初に植えたイチジクが枯れてしまったので、そこに梅の木を植えた。


また、少し弱っている梅の木があったので、新しい梅の木と交換した♪


こんな感じになった♪


いろいろ植えているうちに、ビワが孤立してしまった。ビワを他に移して梅を植えたいところであるが…。

このビワが孤立しているのには理由がある。このビワは、私の自宅マンションの近くに住んでいるNさんからいただいたもの。そのNさんは、娘さんを乳ガンで亡くしている。娘さんが亡くなる間際に、「ビワが食べたい…」と言ったのだが、季節外れのためにビワを買うことができず、娘さんはビワを食べることなく亡くなってしまった。そのため、Nさんは、「ビワを見ると、涙が出てくる…」と私に話してくれた。このビワを他の場所に移してしまうと、移動によるストレスで枯れてしまう可能性が出てくる。そのリスクを避けるために、植え替えることができないのである。私が、この土地の所有者であるうちは、このビワが寿命で枯れるその日まで、このままこの場所にいることになる。

さらに果樹園を拡大させようとしたのだが、赤い矢印の土留の板が邪魔だったので…。


撤去した♪


柿の木を1本♪ 追加した♪


イチジクを2本♪ 追加した♪


そして、アンズの木を2本♪ 買ってきた♪


柿とイチジクとアンズを植えた♪


こんな感じ♪ 空白の部分に違和感を感じると思うが、そこには…。


サンショウが自生している♪


立派に生長したサンショウであるが、邪魔なので伐採することにした。


しかし、このサンショウは、厳しい自然環境の中を立派に生き抜いてきた勇者である。これは称賛されるべきだと思ったので、サンショウに敬意を表して伐採するのを止めた。

長い間、このサンショウは放置されていたので、枝が込み合っていて光が当たらない状態であった。そこで、剪定することにした。

サッパリ♪ ちょっと伐りすぎたかな…。


なぜこんなに思い切った剪定ができたかというと、周辺にサンショウの木がたくさん自生しているので、失敗してもダメージがないからである。

最終的に、こんな配置になった♪


品種は、こんな感じ♪ ただし、ビワとサンショウの品種は不明。


ん〜、楽しみだぁ〜♪


  2020/02/23  




現在、新しく開拓した畑までの動線が中途半端な状態になっている。そのため、中央階段から畑までの通路を確保することにした。

現在は、上の写真のようになっていて、母が畑まで歩いて行くのは難しい。


まずは、大きな切り株を斜面の下に落とし…。


さらに、笹を伐採した後、赤い矢印の板をはずし、赤い線のところに移動して…。


土留にする♪


埋めてしまったので、ピクリとも動かない…。


周辺の土を掘って取り出す。


移動を完了♪


こんな感じ♪


あとは、少しずつ土をよせていくだけ♪


どんどん土をよせていく。


赤い矢印の場所の…。


土留が足りなくなったので…。


作った♪


ふぅ〜、疲れた…。


ん〜、良い感じ♪


このあたりから畑に行けるようにする。


上の写真は、水源の景色を楽しむために作ったイス。


しかし、イノシシが座ったのであろうか。かなり水平が失われている…。そのため、このイスを解体して、その木材を再利用することにした。

赤丸のあたりに、通路を作る。


作り方は、中央階段と同じ。


こんな感じ♪ 上の写真を見ると、斜めになっているように見えるが…。


しっかりしている♪


手すりをつけて完成♪


暮露暮露庵から畑まで無理なく行けるのかを確認する。中央階段を上って…。


左に曲がると…。


畑♪


ホイッ! 完成♪


母に歩いてもらったところ、「問題なし! 良くできました♪」とのことであった。


  2020/03/01  




陸奥之国には、タラの木が多く自生している。上の図の水色のエリアだけでも、タラの木が50本ほどある。

上の写真の赤い矢印のあたりが、タラの木のエリア。


このエリアのタラの木を管理し、計画的にタラの芽を栽培することにした。


タラの木は、生命力が強い。昔、「邪魔だなぁ…」と思ってタラの木を伐採したのだが…。


脇から2本も…。


去年、邪魔だったタラの木を伐採したのだが…。


裏側を見てみると…。


もう芽が出ている♪


ここなら良いタラの芽が栽培できそう♪ ついでに、前回、失敗してしまったタラのふかし栽培に再挑戦することにした。

2019年12月31日、上の写真のように、芽とフシを残して切断する。


そして、水につける。たったそれだけ♪


こんな感じ♪


切断した部分から、何やら粘液を出している。恐らく、生き残るために、自分自身で殺菌処理などをしているのであろう。

2020年1月14日、空いていたスペースに、タラの木を詰めた。


1月16日、おっ!、もう芽が緑色になってきた!


上の写真の赤丸の部分を拡大したものが、次の写真。


これが、カビなのかは不明であるが、念のために同じ状態の数本を除外した。ただ、これがカビかどうか不明なので、実験的に1本だけ残しておいた。

1月21日、おっ!


1月26日、おぉぉぉ〜! 他の芽も出てきた!


1月29日、芽がいっぱい♪


1月31日、ほとんどの木に芽が出たので、生長の早い組を“表側”とし…。


生長の遅い組を“裏側”とした。


2月2日、表側は、さらに生長した♪


おぉぉぉ〜! それらしい♪


裏側も、ゆっくりではあるが生長している♪ 表側と裏側という表現で分けたが、特に区別しているわけではない。生長が早かろうと遅かろうと、タラの木の価値に変わりはない。人間もまた同じである♪

2月3日、ますます元気に生長している♪


この段階になると、わずか1日でも驚くほど大きく生長する。


2月3日、緑色が多くなってきた♪


裏側も、マイペースで生長している♪ ふふふ…、少しずつ、少しずつで良い♪


2月7日、もうそろそろかなぁ♪


裏側も、良い感じ♪


2月14日、食べごろ♪


おぉぉぉ〜! 裏側の芽の中で、表側の芽の生長を追い抜いたものもいる!


生長の遅いものを残して収穫した♪


こんな感じ♪ 美味しそう♪


タラの芽といえば、天ぷらである♪


サクサクに揚げる♪


ホイッ! いっちょ揚がり♪ うどんと一緒に食べた♪ 自分の土地で採れたということもあると思うが、母が、「美味い! 美味いねぇ〜!」と言って、半分以上バクバク食べていた。ふかし栽培のタラの芽は、天然のタラの芽には及ばないが、十分に楽しませてくれた♪

現在、楽天市場では、タラの木が信じられないような高値で取引されている。都会に住んでいる者は、便利な生活と引き替えに、多額の金を払わなければ自然を楽しむことができない。一方、田舎に住んでいる者は、不便な生活と引き替えに、金を払わなくても自然を楽しむことができる。どちらに住むのも一長一短である。

  2020/03/10  






    上の写真は、私が30年ほど前に買った服である。今まで、ボタンがとれたこともなければ、生地が破れたこともない。“丈夫で長持ち”。私が生まれた昭和という時代を象徴するような服なので、私は、現在でもこの服を愛用している。ただし、私が、この服を着ている姿を見て、周囲の方たちがどう思っているのかは分からない。「今時、あんなデザインの服を着るなんて…」と思っているかもしれないし、「服を選ぶセンスがない…」と思っているかもしれない。しかし、そもそも、丈夫で長持ちという言葉の中では、デザインのセンスという項目は優先順位が低い上、私自身が、周囲の人間の評価を全く気にしない人間なので、服がどう思われていようと、私がどう思われていようと、特に問題は感じない。私にとっては、「5000円ほどで買った服が、30年以上も問題なく着用できている」という事実のみが大切なのである。

    令和の時代、私のような昭和という時代に生きた人間の感覚が、再び大切になってくるのかもしれない。「自分の好みで買った服を、一回も着ることなくクローゼットにしまっている」、「自分のセンスで、デザイン性に優れた服を買ったものの、一年もたたないで捨ててしまう」などは、よく聞くことがある話である。服の製造における環境に対する負荷が完全に0なのであれば、特に問題はないのだが、仮に高い負荷がかかっているのであれば、製造する側も、販売する側も、購入する側も、もう一度、その流通過程を見直す必要が出てくる。しかし、このようなことは服に限ったことではなく、人間が使用している全ての物に該当する問題である。私の個人的な意見なのだが、現在、日本人の生活は多くの物であふれ過ぎているような気がする。さらに言うと、私の目から見て、多くの不必要な物であふれ過ぎているような気がする。「何のために買うのか?」、「それを買ってどうしたいのか?」など、もう一度、物を買うという行為の目的を熟考してみてはいかがであろうか。ローマの政治家であったマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスは、次のような言葉を残しているという。 「欲しいと思うものを買うな。必要だと思うものだけを買え」と。

  2020/03/18  







【 新型コロナウイルスに関する感想 1 】

    最近、新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が騒がしいようである。上の写真は、2020年3月14日(土)、山陽新聞デジタルに掲載された、岡山市内の薬局の様子。マスクや消毒液の品切れを知らせる貼り紙には、「無いものは無いんです…」とある。「無いいものは」と誤った表記になっているのを見ると、「校正する余裕もないほど、対応に追われているんだなぁ…」と思ってしまう。私は、新型コロナウイルスに関しては、個人的には何とも思っていないのであるが、メディアの報道が過熱するにつれて、少しずつ私の生活にもその影響が及んできている。いつものことなので、今さら論じることもないのだが、「メディアの報道が過熱すると、どうしてもその報道の内容を妄信して引きずられてしまう人間がでてくる。そして、その報道に引きずられる人間が多くなると、そのような人間を利用しようとする人間が現われるなど社会の混乱が始まり、実際にはたいして影響力のないことにも、実際の影響力を超える影響力を与えてしまう」ということになる。そのため、困ったことに、私が個人的には何とも思っていないことでも、周囲の騒ぎが過熱すると、必然的にその対応を迫られるのである。

    それにしても不思議である。なぜ、こんなに大騒ぎをする必要があるのか、私には全く理解できない。「新型コロナウイルスは、中国の武漢で発生したようだ」と言われているが、そのためなのであろうか、「トイレットペーパーとティッシュペーパーは中国が製造元だから、今後、品薄になる」というデマ情報が流れ、一時、日本中でトイレットペーパーとティッシュペーパーが買い占められるという事態になったらしい。私の自宅マンションの近くにあるスーパーでもトイレットペーパーが売り切れになっていたので、「へ〜、本当に買い占められているんだ」と思ったのを記憶している。トイレットペーパーとティッシュペーパーを買い占めている方たちが、そのデマ情報を信じて買い占めたのか、それとも、「このデマ情報に踊らされて、買い占めに走るヤツがいるかもしれない。早く買わないと!」と思って買い占めたのかは不明であるが、いずれの理由にしても、結果的に多くの人間が買い占めに走り、社会を混乱に導いたことは事実である。「新型コロナウイルスの発生場所は、本当に武漢なのか?」「トイレットペーパーの製造は、本当に中国に依存しているのか?」などの疑問を感じる余裕もないほど、新型コロナウイルスへの不安が蔓延しているということなのであろう。因みに、私は、トイレットペーパー・ティッシュペーパー・マスクなどでは全く困っていないし、それらの将来の在庫状況を心配してもいない。トイレットペーパーが無くなったら新聞紙で拭けばいいし、新聞紙が無くなったら手で拭いて、手についたウンチを洗面所で洗えばいい。また、ティッシュペーパーが無くなったら手でかんで、手についた鼻水を洗面所で洗えばいいだけなので、特に問題にする理由が見当たらない。マスクに関しては、私は、マスクの予防効果は極めて限定的だと思っているので、そもそもマスクをつける必要がない。もし、新型コロナウイルスに感染したら、仕事を休んで自宅マンションで安静にしているつもりなので、さらにマスクをつける必要はなくなる。

    現在、メディアでは、「多くの日本人が、新型コロナウイルス対策で疲弊している」という主旨の報道をしているが、私の個人的な感想を述べれば、「私の日常生活では、そのようなことは、ほとんどない」ということになる。疲弊するどころか、そこにはいつもの平穏な生活があるだけである。特に何か対策をしているわけではない。メディアに氾濫する情報に惑わされず、いつものように規則的な生活をしているだけ。感染症の専門家の話によると、新型コロナウイルスに対応する新薬が開発されるまで、1〜2年ほどかかるという。つまり、「新薬が開発されるまでは、新型コロナウイルスに感染しても対応できないので、自分自身の自然治癒力で治す覚悟をしてください」ということである。治療の方法がないのにジタバタしても意味がない。無意味に疲弊していくだけである。結局、新型コロナウイルス対策として本当に大切なことは、先人たちが実体験から導き出してくれた、うがい・手洗い・十分な睡眠などの教訓を徹底的に守り、基本中の基本である昔ながらの規則的な生活を送ることだけなのである。

  2020/03/23  







【 新型コロナウイルスに関する感想 2 】

    現在、私の母は認知症であり、月・水・金・日曜日の週4日、介護施設のデイサービスを利用しているのだが、困ったことに、新型コロナウイルスの問題が介護施設を直撃している。すでに報道されているように、兵庫県と愛知県の介護施設で新型コロナウイルスの感染者が確認されたため、厚生労働省から各介護施設に、休業を要請する際の留意点に関する連絡があったようである (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 この連絡の中で厚生労働省は、仮に介護施設が休業することになった時、その利用者に対しての代替サービスの確保を要請しているのだが、訪問サービスなどの代替サービスを利用しても、母の介護のために仕事を休まなければならないことに変わりはないので、私にとっては、実質的にはサービスの停止ということになる。因みに、この件に関しては、すでに、私が所属する清掃会社に連絡し、「介護施設が休業になった場合は、仕事を休んでも良いですよ」との承諾を得ている。私は、新型コロナウイルスに関しては、個人的には何とも思っていない。しかし、私が個人的には何とも思っていないことでも、周囲の騒ぎが過熱すると、必然的にその対応を迫られてしまう。まったく困ったものである。

    最近、メディアでは、新型コロナウイルスに関連するニュースが、時間をかけて詳細に報道されている。多くの番組では、毎日のように、「人間の生命を守る」・「高齢者が重症化しやすいので、高齢者を守らなくては」など、多岐にわたる視点から、「〇〇県で、〇〇人の新型コロナウイルスの感染者が確認されました」「〇〇県で、〇〇人の新型コロナウイルスによる死亡が確認されました」などの数値を挙げて、新型コロナウイルスの解説をしてくれているのだが、私には全くピンとこない。厚生労働省の人口動態統計によると、平成30年の日本人の死亡数は約136万人である (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 2020年3月13日現在、その死亡数と新型コロナウイルスでの死亡数を比較すると、新型コロナウイルスで死亡した方は28人なので、日本人の死亡数の約0.002%ということになる。「これから死亡数が劇的に増加するかもしれないじゃないか!」と言われそうだが、仮に1万人の方が新型コロナウイルスで死亡したとしても、日本人の死亡数の約0.7%であり、数値的には無視してもいいレベルである。無論、事の重大さを死亡数だけで表すことはできないのだが、他の原因で多くの方たちが死亡しているのに、新型コロナウイルスで死亡した方たちだけを強調して報道するのは、その公平性に疑問が残る。

    新型コロナウイルスによる高齢者の重症化に関しても同じである。同じく、厚生労働省の人口動態統計によると、80歳以上の高齢者の主な死因は、悪性新生物(373547人)・心疾患(208210人)・老衰(109606人)・脳血管疾患(108165人)・肺炎(94654人)であり、全体の約65%を占めている。つまり、現在のところ、新型コロナウイルスによる高齢者の死亡数は、数値的には無視してもいいレベルということである。因みに、80歳以上の高齢者の主な死因以外での死亡には、貧血(2187人)・不慮の窒息(8879人)・転倒(9645人)などがある。不慮の窒息とは、その多くが飲食物の誤嚥であり、その中でも圧倒的に多いのが餅の誤嚥である。つまり、「新型コロナウイルスによる高齢者の死亡を気にするくらいなら、餅を喉につまらせて死んでいる高齢者を減らす方が有効」ということである。餅を喉につまらせて死亡している高齢者を減らす方が有効なのに、新型コロナウイルスで死亡している高齢者たちだけを強調して報道するのは、その公平性に疑問が残る。

    その他にも、「新型コロナウイルスの爆発的な感染による医療崩壊を防ぐ」・「感染の拡大を防ぐため、学校に対して政府が臨時休校を要請した」・「施設の休業やイベントの自粛などを政府が要請した」などに関する問題が、毎日のように報道されている。メディアは、私たちに危機を知らせるために、一生懸命に報道してくれているのだとは思うが、あまりに過熱した報道は、“煽り”と表裏一体なので注意が必要である。今、私が、もっとも恐ろしいと感じているのは、新型コロナウイルスではなく、心に多くの不安を抱えている大衆である。大衆というものは、一度、火がついてしまうと、ある一定の方向に激しく流されてしまうため、バランスを崩した後の大衆をコントロールすることは難しい。今から76年前、日本がアメリカに宣戦を布告した時、田舎に住んでいた私の母方の祖父でさえ、「日本みたいな小さな国が、アメリカに勝てるはずがない」と言っていたそうである。当時の心ある方たちは、十分に、「この戦争はするべきではない」と認識していたはずなのに、結果として戦争を回避することはできなかった。大衆によって、“ある種の雰囲気”が形成されてしまうと、大衆自身がその雰囲気を払拭するなどという自浄作用は期待できない。「一人では実現が不可能なものでも、多くの人間の協力を得ることができれば実現が可能になる。大衆の力というものは偉大なものであり、その大きな力は称賛に値する」と言えば聞こえは良いが、一方で、大衆の力が誤った方向に進んでしまうと、単なる“ブレーキのない暴走列車”と同じなので、大衆の動向に関しては十分な注意が必要である。

  2020/03/29  







【 新型コロナウイルスに関する感想 3 】

    2020年3月30日、コメディアンである志村けんさん(=本名・志村康徳=しむら・やすのり=享年70歳)が、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったという報道があった。陽性であることが判明してから、たった6日間のことだったらしいので、この病気の重症化するスピードは驚くほど早いということである。「この病気は、高齢者の方・若くても喘息など呼吸器の慢性疾患をもっている方・糖尿病などの疾患をもっている方などが感染すると容易に重症化し、肺炎などの重篤な状態になってしまうと同時に、もともと患っている疾患も悪化させてしまうので、入院する方や死亡してしまう方が増加する」。上記の文章は、新型コロナウイルスの説明ではなく、ただの季節性インフルエンザの説明である。この文章を読んで、「あっ! 新型コロナウイルスのことだ!」と思った方は、少し思い込みが強い傾向にあるのかもしれない。厚生労働省の人口動態統計によると、平成30年に呼吸器系の疾患で死亡した方は、肺炎(94661人)・その他の呼吸器系の疾患(72779人)・インフルエンザ(3325人)などが主な原因であった。因みに、喘息でも1617人が死亡している (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。

    メディアでは、「改めて新型コロナウイルスの危険性を認識できた」という主旨の報道が多いように感じるが、厚生労働省の人口動態統計を見る限り、新型コロナウイルスだけが特に危険な病気だとは思えない。それどころか、新型コロナウイルスよりも恐ろしい病気が、数多く存在しているという事実を認識できる。「『新型コロナウイルスには治療薬が無い』。それが不安なんです…」という主旨の街頭でのインタビューを放送している番組もあるが、実際には、治療薬が無い病気は、他にも多く存在している。国民の不安な気持ちを報道することも大切だとは思うが、「治療薬が無い病気は多く存在します。新型コロナウイルスは、その中の一つにすぎません」という報道も大切なのではないだろうか。因みに、季節性インフルエンザには予防のためのワクチンもあるし、タミフルなどの治療薬もある。しかし、それでも、子供や高齢者を中心に、ここ数年、年間3000人以上の方たちが死亡している。それなのに、なぜ、新型コロナウイルスは、「短期間で命を奪う恐い病気」という認識になり、季節性インフルエンザは、「かかっちゃった♪ インフル・タミフルぅぅぅ♪」という認識になるのであろうか。とんと不思議である。

    今、日本では、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために極端な自粛が蔓延し、その結果として、日本の経済は今までに例がないくらいに疲弊している。新型コロナウイルスの感染拡大は自然によるものであるが、現在の自粛による経済の疲弊は人間によるものである。私たち人間は、自分たちが構築した経済システムを自らの手で破壊している。この自粛を続ければ、新型コロナウイルスでの犠牲者は減少するのだろうが、経済的な困窮での犠牲者は増加することになる。数年後、新型コロナウイルスの危険が回避され、他人に自粛を奨励して自分たちの希望を叶えた人間たちが、徹底的に破壊された経済の世界に直面した時、どう思うのであろうか。

    この自粛の騒ぎを見ていて、ふと、思い出した話がある。記憶が曖昧で申し訳ないが、以前、演歌歌手である北島三郎さん(=きたじま・さぶろう)が何かの番組で話していたことだったと思う。昔、アメリカとソビエトの冷戦が激しさを増し、核戦争の危機がささやかれていた時、ある会社のセールスマンが北島さんの家に来て、「核戦争になった時に備えて、ご自宅の地下に核シェルターを設置しませんか?」とセールスしたという。その時、そのセールスマンは、自分の会社の核シェルターの優秀さを力説したのだが、北島さんは次のような質問をした。「核シェルターを設置すれば、私の命が助かることは分かりました。でも、核戦争が終わって核シェルターから出た時、私以外の人間が全員死んでいたら、その後、私はどうやって生きていけばいいんですか?」と。ふふふ…。その通りである。「木を見て森を見ず」。自分の目の前にある1本の木だけを見ていてはいけない。少し冷静になって森を見てみる。これは大切なことである。あっちも自粛、こっちも自粛。これこれ、浮き足だちなさんな♪

  2020/04/04  







【 新型コロナウイルスに関する感想 4 】

    上の写真は、新型コロナウイルスである。大きさは0.1マイクロメートルほど(=0.0001ミリメートル)。最近、この小さな暴れん坊のおかげで、たいそう世界が騒がしくなっている。このウイルスには、人間の価値観は全く通用しない。経済大国や発展途上国の国境を軽々と飛び越え、白人・黒人・黄色人種を差別することもない。また、若者・老人・男性・女性を区別することもなく、さらには、権力を持っている人間・金を持っている人間・何も持たない貧しい人間などにも関係なく、全ての人間に平等に感染する。私は、「ウイルスというものは、人間に害を与える悪いもの」というイメージを持っていたのだが、調べてみると、実は、「ウイルスは、人間が生存していくために必要不可欠なもの」ということが分かった。因みに、ウイルスは、30億年以上も前から地球に存在しているので、私たち人間にとっては大先輩ということになる。世界の中には、「これは、新型コロナウイルスとの戦争だ! 我々は、この戦争に必ず勝つ!」などと言っている方たちがいるらしいが、30億年もの間、しぶとく生き抜いてきた先輩に勝てるはずがない。昔、学校の先生から、「人間は、食物連鎖の頂点に立っている」と教えてもらった記憶があるのだが、どうやら、その知識は誤っていたようである。

    私は、感染症に関してはトンチンカンのド素人であるが、最近、少しだけ勉強したので、新型コロナウイルスというものの一端を理解できるようになった。簡単にまとめると以下のようになる。

@
その強さは、「 SARS > 新型コロナウイルス > 季節性インフルエンザ 」である。
A
感染した場合、80%は無症状・軽症で自然に治癒するが、14%は重症となり、残りの6%が重篤となる。
B
感染力が強く、年齢を問わず全ての人間に感染する。ただし、持病がある方や高齢者など、免疫力が低下している方は重症化しやすい傾向がある。
C
感染を完全に防ぐ方法はないので、「うがい・手洗い・十分な睡眠・できるだけ人と接触しない」などを地道に続けるしかない。

    その他にも様々なことが分かったのだが、「今、私が直面している問題に対して、自分はどのような行動をすればいいのか?」という視点からまとめると、上記の@〜Cということになる。私が直面している問題とは、認知症の母の介護である。先日、山梨県において、濃厚接触者である両親が陰性だったにも関わらず、生後8ヶ月の女の子が新型コロナウイルスに感染していることが確認された。もはや、いつ誰が感染していても不思議ではないということを示しているばかりではなく、すでに爆発的に感染が拡大している可能性があることも示している。そのため、自分が感染することを前提としたシミュレーションが必要になってきた。以下が、それらをまとめたものである。

                         【Case 1】介護施設で感染者が確認された場合(私の母を除く)
対応
母の通所を中断し、私が仕事を休んで自宅マンションにて母の介護をする(仕事を休むことは、すでに、私が所属する清掃会社の了承を得ている)。

                         【Case 2】私の母の感染が確認された場合
対応
母の介護施設への通所を中断し、私が仕事を休んで自宅マンションにて母の介護をする。その後、介護によって私が感染した場合は、介護を続けながら私も療養する。

                         【Case 3】母が感染せず、私の感染が確認された場合
■Phase 1■私の症状が無症状・軽症の場合
対応
母の介護施設への通所を中断。私は仕事を休んで自宅マンションにて療養することになるが、認知症の母と私を切り離して生活することは難しい。そのため、自宅内を簡易的な壁で区切り、私と母の生活を完全に分離することになるが、私と母が接触することができなくなるため、食事・トイレ・買い物などが問題になってくる。食事に関しては、宅配弁当などを利用することになると思うが、直接の接触を避けるため、自宅の宅配ボックスに配達してもらうなどの配慮が必要となる。そして、トイレに関しては、一回一回、清掃してできるだけ感染を防止するしかない。また、買い物に関しては、介護施設の訪問サービスで、「私が指定する買い物リストに従って3〜4日に一回くらい買い物をし、宅配ボックスに預けていただく」ことが可能かどうか、現在、介護施設に相談中である。
■Phase 2■私の症状が重症・重篤の場合
対応
私の症状が重症・重篤化した場合、確かに、認知症の母と私を切り離して生活することは難しいのだが、私の症状が重症・重篤化して集中治療室での闘病となると、母を施設に預けなければならなくなる。そのため、何か問題が起きた時の対応や料金の支払いなどを、予め施設と合意しておくことが必要となる。
■Phase 3■私が死んで、母が生き残った場合
対応
母が、残りの人生を心静かに暮らせるように、私の資産を母に譲渡する。本人が認知症のため、誰か信用できる後見人が必要となるのだが、不動産の売却や介護施設への入所の手続きなど問題は多い。その中でも、私が死んで、生き残った母の感染が確認された場合、施設に預けることもできず、私が介護することもできないという最も深刻な事態に陥ることになる。

    私にとって、最も深刻な問題は、Case 3 の Phase 2 ・ Phase 3 である。私が死んでしまえば、当然、認知症の母の介護ができなくなるため、私は、自分が死ぬ前に手を打っておくことが必要になる。新型コロナウイルスは、重症・重篤になってから死ぬまでの期間が極端に短いのが特徴のようなので、何か対策を実行するには、感染が確認され、軽症から重症・重篤に移るまでの間に実行するしかない。何の対策もとらずに死ぬつもりはないが、相手に考える時間を与えないとは、さすが30億年もの間、しぶとく生き抜いてきた先輩である。やれやれ…、困った先輩だ…。

  2020/04/14  




陸奥之国の政府は、隣国との国境が曖昧なことを危惧し、将来の領土問題を回避すべく、国境を確定することを決定した。

まずはAの部分の国境を確定するため…。


境界線に棒を立てて、それを見える化した。赤い矢印がそれ。


この境界線には、レンギョウを一列に植えている。春になると、黄色い花が咲いて綺麗である。


このレンギョウを増やすために、挿し木をしてみた。


自宅マンションで挿し木を観察したいので、いっぱい伐った。


こんな感じ♪


鉢に挿し木をした。すると…。


おぉぉぉ〜!芽が!


レンギョウの生命力は強い!


このようにして増やしたレンギョウを…。


陸奥之国に持っていって…。


土地を整備して…。


一列に植える♪


あとはレンギョウが生長するのを待つだけ♪ いつの日か、黄色いレンギョウが一列に咲く春が来るであろう。

本来なら、もっとレンギョウの列を伸ばしたいのだが、赤丸の部分から水が染み出していて、これ以上はレンギョウを植えられない。

この部分の整備をしてから、レンギョウの列を伸ばすことにする。


因みに、こちらは、お隣のS国の国主からいただいたムクゲ。


次は、Bの部分の国境を確定するため…。


境界線に棒を立てて、それを見える化した。赤い矢印がそれ。


おっ! 杭が打ってある! 昔、私が、ここを整備しようとして何らかの理由で断念した証拠である。しかし、今回は、何があっても断行する予定。

石がゴロゴロ…。


丸太や切り株もゴロゴロ…。


こっちにもゴロゴロ…。


なんとか丸太や切り株などは除去した。


因みに、この土地の面積を計算してみたところ…。


平地で利用できるのは…。


約13坪であることが分かった。


最後は、Cの部分の国境を確定するため、境界線の杭を探すことにした。


長い間、お隣のМ国の国主が不在のため、昔、М国の国主が張ったネットがこのありさま…。


境界線の杭はどこだ!


あった!


このような杭を全て見つけて、国境を確定する。


赤い矢印が境界線の杭がある場所。


おいおい…。Мさん…。境界線にネットを張ってくれたのはありがたいんだけど…。だいぶズレとるよ…。

頂上まで正確な境界線を見える化し、国境を確定した。とりあえず今回はここまで。今後、新しい畑の整備など、その作業内容に合わせて国境を確定していくことにする。

  2020/04/20  







【 新型コロナウイルスに関する感想 5 】

    新型コロナウイルスが世界の脅威と認識されてから、どのくらいの時間が経ったであろうか。メディアの報道を見ていると、このウイルスが破壊しているのは、人間の健康だけではなさそうである。ある者は、「自分が感染しているかもしれない」ということにも気づかず、このウイルスに感染した者を差別するという醜態をさらし、またある者は、このウイルスによって経済的に困窮して人間性を失い、今まで隠していた本性を周囲にさらしているようである。つまり、私たち人間は、このウイルスによって、今まで苦労して構築してきた経済システムを破壊され、今まで享受してきた平穏な生活を破壊され、果ては、今まで長い年月をかけて積み上げてきた道徳心をも破壊されたということである。

    どのメディアの報道を見ていても、なんと不平・不満の多いことか。当初、保健所の新型コロナウイルスへの対応を批判することが多かったので、「何か対応が遅れる理由があるのかな?」と思って保健所に関して調べてみたところ、なぜ保健所の対応が遅れているのかが分かった。日本共産党中央委員会が発行する機関紙である、“しんぶん赤旗”によると、1990年に850ヶ所あった保健所は、2019年には472ヶ所にまで統合され、職員の数も大幅に削減されたようである。ここまで保健所の統合・職員の削減をしてしまうと、新型コロナウイルスの対応が後手に回るのも当然であろう。保健所の対応を批判する前に、保健所の統合・職員の削減に対して無関心であった自分自身を反省することも大切だと思う。仏教の世界には、「人間は、善い行為をすれば善い結果があり、悪い行為をすれば悪い結果がある」ということを意味する、因果応報という言葉がある。特に根拠があるわけではないのだが、今回の新型コロナウイルスによる騒ぎは、新型コロナウイルスのためではなく、今まで私たち人間がとっていた行為が原因になっているように感じる。

    どのメディアでも、保健所の崩壊とともに医療の崩壊も問題にしているが、医療の崩壊という問題は、もともとからあった問題であり、新型コロナウイルスだけが原因ではない。長い間、私たちは、日本の医療制度の脆弱性に関して無関心であった。その結果、新型コロナウイルスが日本の医療制度の弱点を直撃したのである。“新型コロナウイルス=医療の崩壊”という印象を視聴者に与えるのは、問題の本質を歪めてしまう可能性があるので危険だと思われる。また、私は、東日本大震災を経験しているので、東京に住んでいる方たちほど医療の崩壊に対して危機感がない。先日、救急車で搬送中の患者が多くの病院に受け入れを拒否され、受け入れ先の病院が見つかるまでに数時間が経過したと、東京での医療の崩壊の現状が報道されていた。しかし、数時間で受け入れ先の病院が見つかればいい方である。東日本大震災の時、医師たちは、次々に運ばれてくる多数の患者の命に優先順位をつけ、助かる可能性がある患者から治療した。その結果として、治療を受けることができないまま、多くの人間が死んでいったのである。医師たちの無念、看護師たちの無念、患者たちの無念、患者の家族たちの無念は筆舌に尽くしがたい。確かに、医療の崩壊は問題ではあるが、あの日の惨状を経験している者と、そうではない者との間に温度差が生まれるのは当然である。私が病気になっても、医療が崩壊していれば診察は受けられない。どんなに不平・不満を言っても、受けられないものは受けられない。どんなに厳しい現実でも、それを受け入れなければならない時があるのである。非常事態の時は、「無くて当然。あれば感謝」。誰かの善意を過剰に期待してはいけない。

    今回の新型コロナウイルスによる騒動の本質は、極めてシンプルである。「ウイルスは、自分たちが生き抜くために、ただただ、その感染を拡大させる。そして、人間もウイルスと同じように、自分たちが生き残るために、ただただ、しぶとく生き抜く方法を考える」。ただそれだけ。新型コロナウイルスが終息すれば、次は〇〇ウイルスが待っていて、その次は△△ウイルスが待っている。私たち人間は、遥か昔からこれを延々と繰り返しているのである。今、私たちに必要なのは、「現在、当然だと思っている私たちの社会システムは、本当に今のままで良いのであろうか?」・「新型コロナウイルスより強力なウイルスが現われた時、今のままの社会システムで本当に人間は生き残っていけるのであろうか?」と疑問に思うことである。どうすれば現在の危機を回避できるのかを考えることも大切であるが、そのすぐ後ろに次の未知のウイルスの危機が迫っていることも忘れてはいけない。私たち人間は、考えることをやめることはできない。そして、覚悟を決めてドッシリと構え、自分自身を変え続けなければ生き残ることができないのである。ふと、本田技研工業の創業者である、本田宗一郎さん(=ほんだ・そういちろう=享年84歳)の言葉を思い出した。「頭は生きているうちに使え!」と。

  2020/04/23  




今まで世話になってきた暮露暮露庵だが、とうとう小屋が傾き始めてしまった…。


そのため、陸奥之国の政府は、新たに開墾した畑で不足している木材を確保するため、暮露暮露庵の解体を決定した。

上の写真の手前の部分を解体する。


まずは屋根から。


スッキリ♪


今度はこっち。


ホイッ! 完了!


次に、骨組みを解体する。


どんどん解体する。


屋根の部分の解体が完了♪ 次は、小屋の合板を解体する。


まずは屋根から。


どんどん解体する♪


完了♪


解体した合板は、新たに開墾した畑で再利用する。次は、壁の合板を解体する。


どんどん解体する♪


ホイッ!完了♪


だいぶスッキリしてきた♪ 本日はここまで。


次の日、ポリカーボネートが…。


風で吹き飛ばされていた…。


陸奥之国の自然環境が厳しいことを…。


認識した…。


次は、床の合板を解体する。


赤い矢印の部分を解体すると、その木材の裏に…。


てんとう虫がいっぱい…。


こうやって冬の寒さに耐えていたのか…。よく頑張った!


次は、赤丸の部分を解体する。


まずはここから♪


次は、この木材。


どんどん解体♪


どんどんどんどん解体♪


おぉぉぉ〜!


最後に階段を解体して…。


みっしょん完了♪


ん〜、意外と広々している♪


小屋の下には、大きな石がゴロゴロ。小屋を建てる前に掃除しなかったんだ…。私のズボラさがよく表現されている。

解体にともなって多くの資材が利用可能になった。すべて再利用する予定。


クランプはとっても便利♪


単管パイプも便利♪


これらの木材は、すべて再利用する♪


合板は、打たれているクギを抜いてから再利用する。


再利用できる合板は、全部で17枚。畑の防護柵に使用する予定。


これで解体は完了♪ さてさて、次は何を作ろうかなぁ♪


  2020/04/30  







【 新型コロナウイルスに関する感想 6 】

    上の写真は、福岡県八女市にある、国指定の天然記念物である“黒木の大藤=くろぎのおおふじ”である。毎年、約20万人が訪れるという藤だが、新型コロナウイルスの感染が拡大しているにも関わらず、今年も訪れる方たちが後を絶たないので、新型コロナウイルスの感染が拡大するのを防ぐため、2020年4月28日、惜しまれながらも刈り取られたという。このことに関して、デイリースポーツは、教育評論家である尾木直樹さん(=おぎ・なおき)や高須クリニックの院長である高須克弥さん(=たかす・かつや)が、この措置に抗議していることを報じている (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。

    この記事には、尾木さんが、「藤の花をすべて切り落とすなんて考えられない!」と題して、「天然記念物の藤の花 切り落とし地上が紫色に染まっている風景にゾッしました」(原文のママ)・「全て切り落としなんて藤の木への侮蔑であり、人には予想もつかない負担、苦痛を与えていることでしょうか!? あまりの浅はかさに恥ずかしいです言葉失っている尾木ママですー」(原文のママ)と主張しているとある。因みに、藤は、種を作るために多くの栄養分を必要としている。種を作る前のこの時期に刈り取っておけば、藤は、その栄養分を全て蓄えておくことができるので、来年は、さぞ、美しい花を私たちに見せてくれることであろう。つまり、この時期に藤の花を切り落としても、特に藤に苦痛を与えることはないし、それどころか藤の負担を軽減することになるのである。また、そもそも、人間が勝手にこの藤のことを天然記念物と呼んでいるだけであり、藤にそう呼んでくれと頼まれたわけではない。そして、この藤を美しいと感じているは人間だけで、恐らく、自然は、「藤を侮辱している!」などとは思っておらず、「ふ〜ん、そうなんだ。だから?」ぐらいにしか思っていないので安心してもらいたい。

    私が所有する土地にも藤が多くあるが、あちらこちらに蔓を伸ばして生き残りを図る厄介で力強い植物なので困っている。人間は、その厄介で力強い植物を小さな棚を作って閉じ込め、藤が伸びたい方向に伸ばした蔓を、ただ人間が美しいと感じるためだけにバッサバッサと切って観賞用に整えている。つまり、昔も今も、人間は藤を奴隷のように扱っているのに、今さら、「藤を侮辱している」・「藤に苦痛を与えている」と主張しても、なかなかピンとこないということである。例えば、昔のように、黒人を奴隷にしている白人がいたとしよう。誰かがその奴隷の黒人の髪の毛を切ったからといって、その白人が、「奴隷を侮辱している」・「奴隷に苦痛を与えている」といって怒るであろうか? もともと奴隷にして侮辱と苦痛を与えているのだから、「何を今さら…」と思われるだけである。

    また、尾木さんは、「だいたい藤の花に何の罪があるというのでしょうか!問題は密になるから見学に来ないようにすることのはず、問題は人間側にあることは言うまでもありません だから押し寄せる人々を制止する知恵で解決するはずです」と主張し、藤の花が問題なのではなく、新型コロナウイルスの感染が拡大しているにも関わらず、藤を観賞するために密集してしまう人間たちのモラルの問題であると指摘している。しかし、そう指摘するのであれば、「それでは、どうしたら人間の密集を防ぐことができるのか?」という問題を解決するための実行可能な知恵も同時に主張するべきである。恐らく、藤の花の刈り取りをした方たちも、大切な観光収入になる藤の花を刈り取りたくて刈り取ったわけではないと思う。しかし、それ以外に人間の密集を防ぐ実行可能な方法を見つけることができなかったので、不本意ながらそうしただけなのであろう。新型コロナウイルスの感染が拡大するのを防いでくれた方たちに、感謝することはあっても批判する理由はなにもないのである。それでも、その方たちの行動を批判するのであれば、それを防ぐ実行可能な知恵と、自分自身はそのことに対してどのような貢献ができるのかを示す必要がある。

    そもそも、人間というものは、たいして賢い動物ではない。有名な藤の花があれば、それを見たいと思うし、それを見たいと思えば、たとえ新型コロナウイルスの感染を拡大させてしまう可能性があったとしても、その場所に行ってしまうのである。突然、「今すぐ!その価値観を変えろ!藤を見に来るな!」と言っても、それはなかなか難しいことである。人間の価値観を変えるには、まず、「事態は悪化の一途をたどっている」・「将来、このようになることが予想される。だから、この部分を、このように変える必要がある」・「このような変更をするには、このような痛みがともなうが、なんとか耐えてほしい」と、繰り返し繰り返しコンコンと言って聞かせる必要があるので、多くの人間が納得して自分の価値観を転換するまでには、かなりの時間がかかってしまうのである。「もともと人間というものは、そういう動物であり、その行動をすぐに抑制させることは難しい」ということを理解しなければならない。

    世間の方たちの多くは、尾木さんや高須さんの主張に賛同しているようである。もしかしたら、新型コロナウイルスの感染が拡大するのを思ったように防ぐことができず、イライラしている方が多いということなのかもしれない。「今、どういう状況だか知っているだろ!なんで自粛しないんだ!早く自粛しろ!」と、ヒステリックに叫んでいる方にも、それ相応の根拠があるのだとは思う。この新型コロナウイルスの特性に関して学び、その事態の深刻さを十分に理解していることは立派だと思うし、その努力に対して、私は敬意を表する。しかし、新型コロナウイルスに関することを学ぶのと同時に、「人間というものは、どういうものなのか?」ということも学んでほしい。“人間理解”というものが根底にない主張は、その主張がどんなに正しいものであったとしても、その主張を実行に移した場合、必ずと言っていいほど失敗する。

  2020/05/07  




陸奥之国の政府は、新たに開拓した畑を野生動物から守るために、畑の周囲にコの字に防護柵を増設し、より強固な防衛を図ることを決定した。

政府の計画は、上の図のようなものである。


防護柵の材料は、暮露暮露庵を解体した時の廃材を再利用する。


合板…。


木材…。


クランプ…。私の計画では、新たに購入が必要なのは、クギぐらいである。


第一日目。木材の長さもちょうど良い。


こんな感じにする♪


まずは手前から…。


単管パイプを打って、木材を固定する。


奥の方も完成♪


「手伝うからねぇ〜♪」とは言っていたが、その気はないようである…。


合板を固定する。


どんどん固定する。


ホイッ! 完成!


赤線のところに防護柵を作るので…。


防護柵の高さを統一するため、地面を掘った。本日の作業はここまで♪


第二日目。防護柵の高さを見える化するため、水糸を張った。


パイプを打って、木材を固定する。


ホイッ! 完成!


合板を固定する。


赤い矢印の部分を出入口にする予定。本日の作業はここまで♪


第三日目。とりあえず合板を置いて、仮の出入口にし…。


スコップで固定していたのだが…。


実際に出入りしてみたところ、出入りしにくかったので、やっぱり完全に固定することにした。


ホイッ! 完成! 出入口のない防護柵が完成した♪


出入口を作るまでの出入りは、ここか…。


ここからにする。


作業をしている時、すごい鼻息が聞こえてきたので振り向くと…。赤い矢印のあたりにイノシシがいた。

左の赤い矢印は、私が作業をしていた畑。右の赤い矢印は、イノシシがいたところ。そのイノシシは、私を鼻息で威嚇しながら逃げていったので、接触することはなかったが、かなり人間の近くまで接近してくることが分かったので、さらなる警戒が必要である。

動物のフンを発見。恐らく、キツネのフンであろう。


こんなに…、畑の近くに…。


後日、再び、キツネのフンを発見。


こんなに…、暮露暮露庵の近くに…。畑の防護柵の内側には何の痕跡もないので、今のところ、高さ90センチの防護柵は機能しているようである。何か実害が発生したら、新たな方法を考えることにする。

  2020/05/16  







【 認知症と向き合う 11 】

    今後の認知症の研究のためになればと思い、また、認知症の患者を家族にもつ方たちの参考になればと思い、認知症の母を介護している私が、見たままを、感じたままを、そのまま記述して記録に残すことにした。

    先日、山での家庭菜園を終えて自宅マンションに帰宅する途中、私がコンビニでコーヒーを買って車に戻ったところ、車で待っていた母が、「この車…、少しずつ前に進んでない?」と言った。どうやら、母の目には、静止している物が、少しずつ動いているように見えるらしい。因みに、左右に動くよりも、上下に動くことが多いようである。そう考えてみると、いつも母がしている不可解な行動の中で、いくつかの行動の説明ができるようになる。例えば、何かに七味をかけて食べるとき、母は、必ずと言っていいほど、「虫が動いてる!」と言う。実際には、虫ではなくゴマなのだが、そのゴマが上下や左右に動いて見えるため、脳が、ゴマを虫と誤認識してしまうと考えれば合点がいく。

    母を見ていると、「母が錯視(=さくし=ものを見まちがえること)をするのは、認知症の影響ばかりではなく、目の異常による影響もあるのではないだろうか?」と思ってしまう。つまり、脳の視覚的な機能の低下を抑制するのと同時に、「静止している物が、動いているように見えてしまう“目の病気”」を抑制することができれば、少しでも錯視が改善するのではないだろうかということである。例えば、「静止している物が、動いているように見えないメガネ」を開発するなど、何らかの方法を用いて、「目に見えている物を動かないようにする」という状態にすればよいのである。私は、医学に関してはトンチンカンのド素人なので、現在、認知症の研究に従事されている多くの方たちの研究成果に期待するしか、母を助ける方法がない。認知症の母の介護をしている私の経験が、少しでも認知症の研究の役に立てばと思い、以下に、私が特筆すべきと思った二つの例を挙げることにする。

一つ目は、「白いビニール袋と棒」である。以前、私は、家庭菜園の作業で棒を立て、その棒に水糸をはったことがあった。

そして、遠くからでも棒の位置が分かるように、棒の先に白いビニール袋をつけた。


こんな感じである。


遠くから見ると、このように見えるのだが、ある日、母が山に向かって、「お疲れさまで〜す♪」と叫んでいたので、その理由を聞いてみたところ、「白い服を着ている人たちが、頑張って作業をしている」と答えた。

簡単に説明すると、母の目には、白いビニール袋が見えているのだが…。


その白いビニール袋が、左右に動いているのか、上下に動いているのか、上下左右に動いているのかは分からないが、何らかの異常によって動いているように見えるため…。

「白いビニール袋と棒」が、錯視によって、「白い服を着て作業をしている人間」に見えてしまうようである。

しかし、その近くに行って、しっかりと実物を見せると、「あぁ…、違ったのか…」と、自分が錯視していたことを理解できる。「自分が錯視していたことを理解できる」。この部分だけを切り取って考えると、認知症による脳の問題というよりも、目の問題のような気もする。

二つ目は、「玄関の覗き穴」である。以前、母が、「誰かが、玄関の覗き穴から私を監視している」と言って、上の写真のような状態にした。

最近、母の認知症の症状が安定していたため、「実験的に、あのティッシュをどけてみようかなぁ…」と思い、上の写真のように取り除いてみたところ、母が私に、「あの光…、上下に動いていておかしいよ…。誰か玄関の外に人がいるんじゃない?」と言った。

どうやら、覗き穴から入ってくる太陽の光が、上下に動いて見えるようである。


そのため、すぐに、覗き穴にティッシュを入れて塞いだところ、以後、母は、何の反応も見せなくなった。認知症の患者が錯視しそうな物の特徴を分析し、事前に対策をとっておくことも大切だと思われる。

  2020/05/23  







【 新型コロナウイルスに関する感想 7 】

    私には、マスクをするという習慣がない。そのため、新型コロナウイルスで騒ぎになっている現在でも、仕事のとき以外はマスクをしていない。先日、私が、近所のスーパーで買い物をしていると、「どうして、あの人はマスクをしてないんだ?」というヒソヒソ声が聞こえてきた。「最近、新型コロナウイルスによる閉塞感で、イライラしている方たちが多いのかなぁ」という感想である。昔から、「マスクの着用!」という言葉を頻繁に聞く。みんなでスローガンを立て、それを守って生活し、何かの目標に向かっていくことは大切なことだとは思うが、残念ながら、私は、「本当にマスクは効果があるのだろうか?」というところから考え始めるタイプの人間なので、逆に、「どうして、そんなにマスクの効果を信じることができるのだろうか?」と思ってしまう。因みに、マスクをしてこなかった私の個人的な体験ではあるが、今まで一回もインフルエンザに感染したことはない。

                        【1】ウイルスの大きさ
マスクの網目の大きさが10μm(=ミクロン=1μmは1000分の1ミリ)なのに対し、ウイルスの大きさは0.1μmである。ただし、飛散している“飛沫”と呼ばれるウイルスを含んだ粒子には、水分や埃が付着しているので、その大きさは5μm以上になる。

                        【2】感染経路(インフルエンザの場合)
■飛沫感染■
感染者が、咳やクシャミをすると飛沫が飛散するので、感染者から1〜2メートルの範囲内にいた場合、この飛沫を吸い込んで感染する可能性がある。因みに、1回の咳で約10万個、1回のクシャミで約200万個のウイルスが飛散する。
■接触感染■
食器・携帯電話などの日用品に付着した飛沫を手で触り、その手で目・鼻・口などに触れると、ウイルスが粘膜から体内に侵入して感染する可能性がある。因みに、日用品などに付着したウイルスは、3時間〜24時間ほど存在し続ける。
■空気感染■
感染者の飛沫の水分などが蒸発したとしても、すぐにウイルスが消えるわけではなく、数時間は空気中に存在し続けるので、そのウイルスを吸い込むことによって感染する可能性がある。そのため、飛沫感染を防止するために、感染者から1〜2メートル離れていたとしても、同じ部屋などにいた場合は、ウイルスを吸い込むことによって感染する可能性がある。

                        【3】ウイルスの増殖(インフルエンザの場合)
ウイルスが1個でも細胞に感染して増殖が始まると、8時間後に約100個、16時間後に約1万個を越え、24時間後には約100万個に増殖する。因みに、ウイルスは、粘膜に付着してから数分〜20分ほどで体内に侵入する。

    上記は、ウイルスに関して、私が簡単にまとめたものである。一般的に、マスクをする方たちが期待しているのは、“予防効果”と“他人に感染させない効果”であろう。しかし、上記のまとめを見れば分かるように、マスクの着用だけでそれらを実現させるのは不可能である。上記のまとめに記述されていない詳細な情報を知れば、なおさら不可能であることが分かる。つまり、マスクによる予防効果は全くないし、他人に感染させない効果は、咳やクシャミをする場合に、ハンカチ・袖などを使って口や鼻を押さえることで十分にマスクの代用になるので、マスクの着用に固執する必要はないということである。マスクの効果を期待している方たちは、ウイルスの知識に富み、マスクの着用を徹底している医療従事者たちが感染しているという事実を、どのように説明するのであろうか? 医療従事者たちは、マスクの着用のみならず、ゴーグル・グローブ・ガウンを着用しているにもかかわらず感染させられている。ということは、逆に、マスク・ゴーグル・グローブ・ガウンを着用している医療従事者たちが、周囲の人間に感染させている可能性もあるということである。

    昔、インフルエンザが流行した時、誰だったかは忘れたが、私が、「ずいぶん感染者が多いが、本当にマスクには感染拡大を防ぐ効果があるのだろうか?」という質問をしたところ、「もしマスクをしていなかったら、もっと多くの人間が感染していたはずだ」というトンチンカンな答えが返ってきたことがあった。そして、数十年が経過した現在でも、私は、マスクに関して同じ質問を繰り返している。「右に進めと命令されれば、意地でも左に進む者がいる」・「右に進めと命令されれば、『止め!』と命令されるまで、いつまでも右に進み続ける者がいる」・「右に進めと命令されれば、『この行動に何の意味があるのだろう?』と思いながらも、その意図を理解しないまま右に進む者がいる」。人間の社会というものは、そういうものなのであろう。何かが起これば、「〇〇だ!△△だ!」と騒ぎ立てるが、騒ぎが終われば、多少の変化はあるものの、いつもの生活に戻る。人間の一生というものは、そのようなことを繰り返しながら、ただ何となく過ぎていくものなのかもしれない。私も若かったころは、「どうして、そうなるんだ!」と悩んだこともあったが、今では、「まぁ、そんなもんかな〜♪」と思うようになっている。人間というものを理解することができたのか、ただ世の中に流されているだけなのかは分からないが、いずれにしても、「ん〜、それも悪くない♪」と感じている。その証拠に、近所のスーパーで買い物をしていて、「どうして、あの人はマスクをしてないんだ?」というヒソヒソ声が聞こえてきても、50歳になった私は、ただニッコリと笑って聞いているだけである。

  2020/05/31  




新たな畑が完成したので、そろそろ野菜を育てる準備をすることにした。


育苗ポットを買った♪


野菜の種とジャガイモの種芋を買ってきた♪ 今までは苗を買っていたのだが、今年は種から育ててみることにした♪

まずは、ジャガイモを育てる準備をする。


2020年3月15日、種芋を2週間ほど日光にあてる。


4月4日、いい感じ♪


説明書に書かれている通りにやってみる。


種芋を…。


二つに切る。


ホイッ! 完了!


ホイッ!ホイッ!完了!


説明書には二つに切ると書いてあったが、「四つに切れば、2倍の収穫量になるのになぁ」と思ったので…。

上の写真のように、一つのジャガイモだけ四つに切り、収穫量が2倍になるか試してみることにした♪


こんな感じ♪ 成功するか失敗するか楽しみ♪


切った種芋からは水分が出てくるので、さらに、3〜5日くらい日光にあてる。


4月9日、カラッカラ♪


こんな感じ♪ もう、植えてもOK♪


今度は、畑の準備をする♪


種芋を植える準備が完了♪


母が、種芋を植える作業に志願した♪


30センチ間隔に種芋を置いていく。


種芋を置いて…。


30センチ間隔で…。


次の種芋を置く♪ これの繰り返し♪


一列では足りなかったので、もう半列だけ増やした。作業が完了!


ついでに、育苗ポットに種をまく準備をすることにした。


土を入れて…。


ホイッ! 完了!


あとは、気温が暖かくなるのを待って種をまくだけ♪


  2020/06/09  




ジャガイモの種芋を植えたので、そろそろ野菜の種を植える準備をすることにした。


ホームセンターで“三角ホー”を買ってきた。「三角ホー? 面白い名前だなぁ」と思ったので調べてみたところ、英語の“ hoe ”のことであった。因みに、hoe とは、作物の生育中に浅く耕したり、除草のために使う道具のこと。

三角ホーは長いので、腰への負担が軽い♪


三角になっているので、使いやすい♪


ジャガイモの種芋が植えてある場所を除いて、すべて耕した。


種の種類は、ダイコン・カブ・ホウレン草・カボチャ・ニンジン・キャベツ・トマト・ミニトマト・キュウリ・オクラ・エダマメ・ラッカセイの12種類。ダイコン・カブ・ホウレン草は地植えし、その他は育苗ポットに植える。ただし、ニンジンは6月になってから。

2020年4月28日、せっせと一粒ずつ植えていく♪


すごい集中力! 母の認知症が発症してから2年半になるが、その間に、私がイメージしていた認知症のイメージが劇的に変わった。これなら、人間は十分に認知症と共存できるはずである。

たっぷり水を与えて発芽を待つ♪


上の写真の右側から、ダイコン・カブ・ホウレン草の順で植えた。


たっぷり水を与えて発芽を待つ♪


ラベルが三つしかない…。その他のラベルを育苗ポットに置き忘れたので、どこに何の種を植えたのか分からなくなっちゃった…。

  2020/06/14  




陸奥之国には、たくさんの藤がある。それは良いのだが…。


近くの木にからまって…。


さらに、からまって…。


ピッタリとからまって…。


どうやったのかは分からないが、隣の木にまでからまっている。因みに、藤にからまれている木はタラの木である。ここまで大きくなるとタラの芽も採れないので…。

伐ることにした♪


タラの木を伐ったのだが、驚いたことに倒れることなく…。


宙に浮いている!


赤い矢印の藤の蔓だけで、このタラの木を浮かせていた。


スゲェ〜!


ブランコにして遊んだ♪


落ちた…。さすがに、私の体重を支えるのはムリだったか…。


タラの木がなくなって空が広くなった♪ そうだ…。


もっとタラの木を伐採しよう♪


おらぁ〜!


オラァ〜! オラァ〜!


O R A 〜! O R A 〜!


バッサバッサと伐った♪


伐ったタラの木は、カラカラになって加工しやすくなるまで待ってから、木材として利用する♪


このタラの木が…。


こんな感じ♪


一方、藤は…。


芽が腐って枯れていた…。緑色の部分が残っているので、「再生するのかな?」と思っていると…。


おっ?


いっぱい黒い芽が出てきた!


スゲェ〜! 黒いから腐っているんだと思ってた! 切らなくて良かった♪


地面に単管パイプを打って、藤の蔓を1本にして伸ばす予定♪


昔、母が斜面から転落した時、藤の蔓が足にからまったおかげで助かったことがあった。藤の蔓が足にからまっていなければ、首の骨を折っていたかもしれない。そのため、陸奥之国では、藤を保護する政策をとっている。まぁ、やっかいな植物ではあるが、助けてもらったので感謝することは大切である。

  2020/06/18  




今年も野菜の栽培を始めたのだが、今年はできるだけ多くの野菜を種から育ててみることにした。栽培する野菜は、オクラ・カボチャ・キュウリ・トマト・ミニトマト・キャベツ・エダマメ・ラッカセイ・ジャガイモ・ダイコン・カブ・ホウレン草・ニンジンの13種類。野菜の栽培には、育苗ポットで育てた方が良い場合と、地植えした方が良い場合があるので、オクラ・カボチャ・キュウリ・トマト・ミニトマト・キャベツ・エダマメ・ラッカセイを育苗ポットで育て、ジャガイモ・ダイコン・カブ・ホウレン草・ニンジンは地植えすることにした。今回は、育苗ポットで育てた種の結果報告である。

2020年4月28日、せっせと一粒ずつ植えていく♪ オクラ・カボチャ・キュウリ・トマト・ミニトマト・キャベツ・エダマメ・ラッカセイの種をセット! それでは観察をスタート♪

【オクラ】 5月17日、おっ! いい感じ♪


5月28日、ん〜。


オクラ様! 討ち死にぃぃぃ〜!


【カボチャ】 5月17日、おっ! いい感じ♪


5月28日、あぁぁぁ…。


6月18日、ん〜。


カボチャ様! 討ち死にぃぃぃ〜!


【キュウリ】 5月17日、おっ! いい感じ♪


5月28日、あぁぁぁ…。


6月6日、ん〜。


キュウリ様! 討ち死にぃぃぃ〜!


【トマト・ミニトマト】 5月12日、おっ!


発芽した!


5月17日、よしっ!


順調♪


5月26日、あぁぁぁ〜。


5月28日、ん〜。


トマト様! ミニトマト様! 討ち死にぃぃぃ〜!


【キャベツ】 5月17日、おっ!


5月28日、いい感じ♪


6月18日、ん〜、20粒も植えたのに…、成功したのは3粒だけ…。


いやっ! 生き残ってくれただけで感謝じゃ♪


【エダマメ】 5月12日、おっ!


5月17日、いい感じ♪


5月24日、おぉぉぉ〜!


6月6日、成功!


ようやった! 地植えじゃぁ〜♪


【ラッカセイ】 5月17日、おっ!


発芽した!


5月28日、ん〜。


6月18日、20粒も植えたのに…、成功したのは7粒だけ…。


いやっ! 生き残ってくれただけで感謝じゃ♪


育苗ポットで育てた種の結果報告。オクラ・カボチャ・キュウリ・トマト・ミニトマト・キャベツ・エダマメ・ラッカセイの8種類を種から育ててみたが、生き残ったのは、キャベツ・エダマメ・ラッカセイの3種類。その中でも成功したといえるのはエダマメのみ。この3種類を地植えして、今後の生長を観察してみる。

「トマト・ミニトマトを種から育てるのは難しい」ということは聞いていたのだが、自分で検証してみて、やはり難しいと感じた。「発芽はするものの、その後の生長がない」というのが私の感想である。しかし、私の管理の方法に不備があった可能性もあるので、今後も挑戦してみる予定である。現時点で報告できる結果としては、オクラ・カボチャ・キュウリ・トマト・ミニトマトは種からの栽培が難しいので、これらの野菜は苗を買った方が良いということである。

  2020/06/26  




2020年4月28日、せっせと一粒ずつ植えていく♪


5月9日、おっ!


ダイコンの芽だ!


おっ! おっ!


カブの芽だ!


おっ! おっ! おっ!


ホウレン草の芽だ!


5月26日、少しずつ緑が目立つようになってきた♪


ダイコン♪


カブ♪


ホウレン草♪


6月6日、みんな順調に生長している♪


ダイコン♪


あっ! 小さいダイコンが!


カブ♪


大きな葉の下を見てみると…。


おっ!


おぉぉぉ〜!


ホウレン草♪


6月18日、ダイコンも順調♪ カブも順調♪ ホウレン草も順…。


え?


ん〜。


ホウレンソウ様! 討ち死にぃぃぃ〜!


ホウレン草の討ち死にに落胆していたのだが…。ふと、カブを見てみると…。葉がデカッ!


葉の下を見てみると…。おぉぉぉ〜!まさに収穫すべき時!


どれどれ…。


どっこい…。


しょ!


満面の笑み♪


2本では不満だったようで…。


収穫できそうなカブを探し始め…。


「どれを収穫しようかなぁ」。


「おまえだ!」。


「エヘヘヘヘ♪」。


こちらも満面の笑み♪


ホウレン草は全滅してしまったが、ダイコンとカブは順調に収穫できそう♪


  2020/07/01  




今年もジャガイモを地植えしたのだが、今回は、その経過報告である。


2020年4月9日、種芋を地植えした♪


5月4日、おっ!


芽が出てきた!


5月14日、母が熱心に水やりをしてる♪


おぉぉぉ〜!


5月28日、少しずつ緑が目立つようになってきた♪


順調♪


6月6日、順調に生長している♪


少し込み合ってきたので、剪定することにした。


6月7日、しっかり育っているものを…。


2〜3本くらい残して、あとは切る♪


6月18日、剪定した後も順調に生長している。剪定に失敗しなくてよかった…。ホッ♪


因みに、説明書に書いてあったとおりに…。


二つに切った種芋の生長と…。


「四つに切れば、2倍の収穫量になるのになぁ」という私の仮説を実証するために、四つに切った種芋の生長を比較した実験だが、その答えが出た♪

@とBは発芽すらしなかった。AとCは発芽したものの、その生長が極めて遅い。上の写真の手前に写っている、二つに切った種芋の生長と比較すれば一目瞭然である。恐らく、発芽するためのエネルギーを確保するために、種芋の半分の質量が必要なのであろう。先人たちも、今回の私と同じ疑問を持ち、同じことを実験したのではなかろうか。その結果として、「種芋は半分に切って地植えする」という方法に落ち着いたのだと思う。

ここまでくれば、あとは収穫の時期を待つだけである。楽しみだぁぁぁ〜♪


  2020/07/07  




2019年、イチゴ畑がイノシシに荒らされて壊滅的な被害を受けた。しかし、2020年5月9日、生き残ったイチゴたちが、今年も元気に花を咲かせてくれた♪

ほぼ全滅だと思っていたけど、けっこう生き残ってたんだ…。


おっ! 実ができはじめてる!


スゲェ〜!


6月6日、イチゴが真っ赤になった♪


美味しそう♪


他のイチゴも、赤くなってきてる♪


収穫した最初のイチゴ♪


このイチゴを食べた母が、「美味しかった♪」と言って喜んでいた。この収穫で最後だと思っていたのだが…。

スゲェ〜! 実がいっぱい!


腐らないように石の上に置いておく。壊滅的な被害だと思い込んでいたので、周りのイチゴの状況をしっかり見ていなかった。

その後も次々に…。


実がなっていき…。


6月9日、こんなにいっぱい♪


この収穫で最後だと思っていたのだが…。


その後も…。


実がなっていき…。


6月11日、こんなにいっぱい♪


この収穫で最後だと思っていたのだが…。


その後も、どんどん実がなり…。


6月18日、手では持ち切れず、収穫したイチゴを袋に入れた♪ イチゴの収穫量は、ほとんど昨年と変わらないような気がする。今年のイチゴ畑は、面積的には昨年までのものより狭いのだが、効率よく栽培できたということなのであろうか。

実は、今回、収穫できたイチゴの中には、全滅のリスクを避けるために、メインのイチゴ畑から分散して移植しておいたイチゴも少なくない。一ヶ所に集中させて栽培する方法も大切ではあるが、やはり、リスクを分散させて栽培する方法も大切である。いずれにせよ、イチゴの完全復活の瞬間がきた! めでたい♪ めでたい♪

  2020/07/15  




新しい畑の開拓が完成したので、「よく頑張った♪」と自分を褒めながら畑を眺めていると…。


山桜だ♪ ちょっと見ない間に大きくなったなぁ♪ ん?


あっ! 花が咲いてる! やっと桜の花が咲き始めた♪ 今後が楽しみ♪


一方、育苗ポットで野菜の種を育て始めたのはいいのだが…。


どうやって水を確保するのかが問題になっていた。


「いちいち運ぶのぉぉぉ〜! 面倒くせぇぇぇ〜!」。


しかし、ふと、思いついた。「そうだ! 昨年まで使っていたパイプラインを再設置すればいいんだ!」と。

パイプをつないで…。


つないで…。


万歳♪ \(^o^)/


使いやすい場所まで、もうちょっと伸ばして…。


仮設置が完了♪


おぉぉぉ〜! だいぶ近くなった! これなら水くみが楽チン♪


しかし、人間というものは、つくづく愚かな生き物だと思う。


もう近くに水があるのに…。


さらに便利に…。


さらに楽にと欲望を膨らませてしまう。


なんと愚かなのであろうか。


でも、とっても楽なので止められない♪


母が野菜の種に水をやっている間、私は、パイプラインの設置作業で疲れていたので休憩していた。その時、この風景を見て、ふと、思った。「来年から桜の花が綺麗に咲くだろうなぁ。ここに休憩所でも作るか…」と。…ということで、ここに休憩所を作ることが決定した♪

  2020/07/21  




陸奥之国には、たくさんの旬の味がある。今回は、その中の一部を紹介いたします。


【フキノトウ】


上の写真の状態の時に収穫する。


天ぷらにした♪ フキノトウは、3月上旬 〜 3月下旬くらいまで楽しめた♪


【フキ】


収穫したフキを丁寧に処理する。


立派なフキ♪


母は、このフキがたいそう気に入っている。フキは、4月下旬 〜 7月下旬くらいまで楽しめた♪


【ワラビ】


ワラビの収穫を楽しむ母♪


あれっ? 収穫したワラビは?


子供みたいなことをしない!


たっぷり収穫♪


ワラビは、4月下旬 〜 6月上旬くらいまで楽しめた♪ 今年は、603本(約3.5キロ)のワラビが収穫できた。

赤い矢印は展望台。この周辺でワラビが収穫できる。私は、この場所を畑にしようとしていたのだが、近所の方に、「畑? やめたほうが良いよ。一度、土を荒らしてしまうと、ワラビが収穫できなくなるから」と言われたので、半信半疑のまま放置していた。しかし、今では畑にしなくて良かったと思う。上の写真だけ見ていると、ただの荒れ地のようだが、立派なワラビ畑である♪

この写真がその証拠。


見えている緑が、ぜぇぇぇ〜んぶワラビ♪


因みに、ワラビを収穫する時のコツは、硬い部分と柔らかい部分の境目を見つけることである。これは、手の感触で分かる。その境目を折ると、簡単にポキッと収穫できる。

【サンショウ】


上の写真は、サンショウの新芽♪


天ぷらにした♪ ビリッとして美味しい♪ サンショウの新芽は、5月上旬 〜 5月中旬くらいまで楽しめた♪

【タラの芽】


おっ! いい感じ♪


よしっ! 収穫するべっ!


え? なんだって? 美味しいものがある?


どれどれ…。


ここは私がじきじきに…。


タラの芽が高いところにある場合は…。


三角ホーを使って…。


ググッと引き寄せる♪


ホイッ! 収穫!


立派♪


いっぱい収穫できた♪


その後も…。


次々と…。


タラの芽を…。


収穫した♪


こんなにいっぱい収穫できた♪


もちろん、タラの芽は天ぷらにする♪


下処理が…。


完了!


タラの芽の天ぷら♪


美味そう♪


驚いたことに…。


その後も…。


小ぶりではあるが、たくさん収穫できた♪


因みに、タラの芽を放置していると…。


こうなってしまう。タラの芽は、4月中旬 〜 4月下旬くらいまでは大きなタラの芽が楽しめた♪ そして、5月上旬 〜 5月下旬くらいまでは小ぶりなタラの芽が楽しめた♪

【ヨモギ】


おっ! 収穫しやすくなってきた!


母にヨモギの収穫を頼んだのだが…。


遅い! イライライライラ…。


私が、早く大量に収穫♪ ところが…。


私が収穫したヨモギは、そのほとんどを捨てることになってしまった。


母は、料理する時のことまで考えながら収穫していたので、母が収穫したヨモギは楽に下処理ができた。それに比べて、私は何も考えないで、ただヨモギを引っこ抜いていただけなので、そのほとんどを捨てることになってしまったのである。

ヨモギも天ぷらにした♪ ヨモギの新芽は、4月下旬 〜 5月上旬くらいまで楽しめた♪


ふと、昔、この周辺で山菜を収穫していた方が、「ここは、宝の山だぁぁぁ〜!」と言っていたのを思い出した。その時は、その言葉の意味が分からなかったのだが、今は理解できる。確かに、宝の山である。しかし、それは、山菜だけを意味するのではない。

上の写真は、母がワラビを収穫していて、転んだ時の写真である。


転んでもワラビだけは離さなかった。それどころか、「転んじゃった! ギャハハハハ!」と言って笑っていた。山菜を収穫できる上に、人間の感情も豊かにしてくれる。確かに、宝の山である。

しかし…。


宝の山には…。


危険も含まれているので、油断は禁物である。


  2020/08/07  




陸奥之国の政府は、桜を観賞することができる休憩所の建設を決定。


いよいよ、その建設を開始した。


まずは、ここに土留を作る。


方法は、いつもと同じ。


高さは、このくらいで良いかな…。


どこまで土留を伸ばせるかを調査した。


すると、この辺りには巨大な石が埋まっていることが分かった。これでは、単管パイプを打ち込むことができない。

上の写真の石は、巨大な石の地表に出ている部分。


因みに、この石はワニに似ているので、“ワニ石”と命名した。


こんな感じ♪


この辺りが、単管パイプを打ち込むことができる限界かなぁ…。


考えていてもしかたがないので、打ち込んでみた♪


やはり、赤い矢印の単管パイプは、地下に石があるために、これ以上は打ち込めない。グラグラしている…。そこで…。

左の単管パイプはしっかりと打ち込めたので、この2本の単管パイプをつないで補強することにした。

赤い矢印の丸太を撤去し、これと同じ構造にする。


こんな感じ。


合板を設置♪


以前、畑を作った時、単管パイプの打ち込みが甘かったため、合板が膨らんでしまった。


その失敗を教訓として、今度はガチガチに補強した♪


廃材を再利用して…。


ここをふさぐ。


こんな感じ♪


またまた、廃材を再利用して…。


ここをふさぐ。


こんな感じ♪


おぉぉぉ〜! 目前に桜がある休憩所! 素晴らしいぃぃぃ〜!


あとは土を寄せるだけ。


どんどん寄せていく。


どんどん♪ どんどん♪


どんどん土を削っていく♪


ん…。


なんだ?


幼虫か?


掘ってみたら…。


セミだった♪ 起こしてしまってゴメン♪


赤丸の部分も平らにしたいので、土留を作ることにした。


丸太を仮設置して…。


土を寄せてみた♪ 思ったよりは良くできたが、油断はできない…。


この丸太の下には巨大な石が埋まっているので、単管パイプを打ち込むことができない。そのため、多くの小さな木材を打ち込んで丸太を固定するしかない。

まあまあ良くできた。全体的には…。


おぉぉぉ〜! 休憩所にするのはもったいない。畑にするかなぁ…。


因みに、畑に水を供給していたパイプラインは…。


その水量が多く…。


休憩所の作業ができなかったので…。


パイプの配置を変えた。


こんな感じ♪


仮設置が完了♪ この水を使って洗いものなどをする♪


  2020/08/15  




陸奥之国の政府は、新しく整備した畑が成功したので、さらに新たな畑を整備することを決定した。


上の図の赤丸のスペースに畑を整備する。


まずは、上の図の点線の部分に、新たなイノシシの防御柵を建設する。


方法は前回と同じ。この方法が最も安定している♪


まずは、パイプを打ち込んで木材を固定。


あとは合板を設置するだけ♪


ずっと遊んでいる人…。


ホイッ! 完成!


ここは、赤線の部分に防護柵を建設するのだが…。


傾斜になっているので…。


下の部分は、丸太でふさぐことにした。


因みに、今さらではあるが、陸奥之国には豊富な水があることに気づいたので…。


小さな水たまりを作って、その水の音を楽しみながら作業することにした♪


ホイッ! 完成! 今年はイノシシの防御柵として使用し、来年は畑の土留として使用する。


来年は、この一帯が全て畑になる予定♪


少し離れた場所から撮影した写真。ん〜、要塞のようになってきている♪


因みに、畑への日当たりを確保するために、邪魔な木は…。


バッサバッサと伐採♪


この周辺には、立派な藤が多くある。この藤が何年もので、いつ花が咲くのかは分からないが、一応、切らずに放置しておいた。

そこで、ついでに、藤の棚を作ることにした。まずは、単管パイプを設置して…。


藤を仮固定してみた。このクラスの藤が3本もある…。


なんとかなりそうだったので、本格的に藤の棚を作ることにした。


棚が完成♪


藤を棚に這わせるための単管パイプを設置。1本目…。


2本目…。


2020年6月18日、完成!


「ひやぁぁぁ〜、よく作ったねぇぇぇ〜♪」。


2020年7月30日、棚は藤でフッサフサ♪ ん?


あっ! 花が咲いてる!


調べてみると、他にも花が咲いていた。「藤は、種をまいてから花が咲くまでに、10年はかかる」と聞いたことがある。これからは、どんどん花が咲いていくのかもしれない。楽しみだぁぁぁ〜!

因みに、すでに完成済みの休憩所が殺風景だったので、シャクナゲ3本とアジサイ2本を植えることにした。

アジサイは、自宅マンションの近所のNさんにいただいて移植したもの。あれっ?どこだっけ?


あったあった♪


掘り起こして…。


二つに切る。


まずは、シャクナゲを植える。


シャクナゲの間にアジサイを植える。


シャクナゲ、アジサイ、シャクナゲ、アジサイ、シャクナゲ…。完成♪


おぉぉぉ〜! シャクナゲとアジサイに囲まれながら、藤を観賞する。しかも、いっさい作業は手伝わずにお茶を飲んでいるだけ。「お前は貴族か!」。

  2020/08/24  




陸奥之国には、ドクダミが豊富にあるのだが…。


ドクダミは繁殖力が強く、どんどん増えていくので、たいへん困っている。


ん〜、この厄介なドクダミを、なんとか利用したい…。


そこで、ドクダミ茶を作ってみることにした。作り方は簡単で、ドクダミを収穫して、カラカラになるまで太陽の光で乾燥させるだけ。

完成♪


今回は、急須を使うので葉と茎を分けたが、鍋などを使う場合は、葉と茎を分ける必要はない。


これが、ドクダミの葉。


あとは緑茶を飲むのと同じ♪ ドクダミの葉を入れて…、お湯を入れて…。


好みの濃さになったら飲む♪


ホイッ! 完成♪


ドクダミ茶は、独特の臭いと味がするので好みが分かれると思うが、母は気に入ったようである。古くから庶民に使われてきた生薬であるドクダミだが、その名前の由来は、「毒を矯める=どくをためる=毒をただす」という意味から、“毒矯め=どくだめ”と呼ばれるようになり、それがさらに変化して、“毒矯み=どくだみ”と呼ばれるようになったという。今までは厄介な植物であったが、乾燥させれば長期の保存が可能なので、緑茶と並ぶ楽しみとなった。しかも、全て無料。貧乏な人間にとっては、まさに宝の山である♪

  2020/08/30  




陸奥之国の政府は、この斜面を本格的な果樹園にすることを決定し、その決定を実行した。


これが、その配置図。現在のところ、すべて順調に生長しているが、今回は、この中で実が収穫できたものだけを紹介する。

【梅】


毎年のことではあるが、今年もしっかりと花を咲かせている。そこで…。


今年から、実を多く収穫するために、人工授粉をしてみることにした。


花粉を持っている梅の花にポンポンして、耳かきに花粉をつける。


そして、その耳かきについた花粉を、花粉を持っていない梅の花にポンポンして受粉させる。


花が散った後…。


実ができて…。


大きくなっていく♪


そして、さらに実が多くなる。


こんな感じ♪


しかし、残念なことに…。


落ちてしまう実も多い…。


そして、収穫の時!


たったこれだけ…。人工授粉したのに、昨年よりも収穫量が少ない…。よくよく考えてみると、この場所に梅の木を移植し、さらに剪定にも失敗したためだと思われる。数年ものの梅の木は実がほとんどならず、今年、新しく買ってきた梅の木の実のみの収穫であった。来年以降に期待♪

因みに、新たに買ってきた梅の木も受難の日々であった。


何者かに枝を折られるということが続いた。


この梅の木の近くにあったフンの大きさから推量するに、梅の枝を折ったのは、キツネ・タヌキなどの小動物だと思われる。幹が太くなれば、このような被害は少なくなるのであろうが、今は梅にとって最も危険な時期である。

【イチジク】


2020年5月5日、おっ! 実が!


5月24日、少しずつ大きくなってる!


7月30日、あれっ? 重くなったのかな? 下に垂れてる…。


かなり大きくなってるなぁ…。


8月4日、色が変わった!


母に意見を求めたところ、「こうなったら、もう収穫できるよ♪」とのこと。


母によると、実が紫色になり、実の下に穴があいたら収穫OK。収穫が遅れると、鳥やアリの餌になってしまうらしい。

水源の綺麗な水で洗って…。


割ってみると…。 美味しそうぅぅぅ〜♪


優雅だ♪ 今年の収穫は1個だけであったが、来年からは少しずつ数が増えていくであろう。楽しみ♪

【サンショウ】


2020年8月11日、実山椒を発見。


収穫♪ サンショウは一年の間に3回も楽しめる。1回目は若葉で、天ぷらなどにして楽しむ。2回目は実山椒で、佃煮や塩漬けで楽しむ。3回目は割山椒で、皮の部分を乾燥させて挽いて粉にする。ウナギなどにかけて楽しむのがこれである。因みに、最近、ウナギの値段が高騰して食べることができないので、私の場合は、2回目までの楽しみということになる。

ふと地面を見てみると…。


カタクリの花が咲いていた。豊かな自然というものは、それを見ているだけで楽しいものである♪


  2020/09/01  




今年は、キュウリ・トマト・ミニトマトを種から育てようとしたのだが、すべて失敗してしまった。そこで、キュウリ・トマト・ミニトマトに加えて、ナスの苗を買ってきた。やはり、キュウリ・トマト・ミニトマト・ナスに関しては、種からの栽培は難しいようである。

【キュウリ】


2020年5月28日、いっぱい苗を買ってきた。


6月27日、順調に生長している♪


7月30日、最初の収穫♪


その後も、順調に生長しているキュウリがある一方で…。


今年の長雨と日照不足の影響を受けているキュウリも多かった。


それでも、いつも通りとは言えないものの…。


そこそこの収穫はできた♪


確かに、長雨と日照不足の影響で収穫量は少なかったものの、自分たちで食べるだけならば十分である。

【トマト・ミニトマト】


2020年5月28日、大玉トマトと…。


ミニトマトの苗を買ってきた。


6月27日、順調に生長♪


8月4日、大玉トマトが順調に生長…。


…と言いたいところであるが、やはり、長雨と日照不足の影響を受けているようである。


ミニトマトも同じ…。


8月11日、大玉トマトを収穫♪


しかし…。


このようなトマトも多かった…。


大玉トマトに関しては、長雨と日照不足の影響で収穫量が激減し、自分たちで食べるものも十分とは言えなかった。そして、ミニトマトに関しては、壊滅的な打撃を受け、ほとんど収穫できなかった。

【ナス】


2020年5月28日、ナスの苗を買ってきた。


6月20日、順調に生長♪


花もしっかり咲いて…。


実もしっかりなっている♪


順調♪


ナスに関しては、今年の長雨と日照不足の影響はなく、ほとんど例年と変わらない収穫量であった。


【ジャガイモ】


2020年7月30日、ジャガイモが全滅…。


今年の長雨と日照不足の影響なのであろう。掘り返してみると…。


こんなに小さい…。


ジャガイモたちも生き抜こうと必死だったはずなので、「せめて…、戦死した戦友の骨の一部だけでも…」と思い、土を掘り返した。

たった…、これだけの収穫…。


…と思ったら、もう少し収穫できた…。


…と思ったら、こんなに収穫できた…。


最終的には、こんなに収穫できた♪ 全滅して実などないと思っていたのだが、ジャガイモたちは地下で必死に踏んばっていた♪

今年の長雨と日照不足は不運であったが、それでも、そこそこのジャガイモを収穫できることが証明されたことは幸運であった。

因みに、まるで成功したかのように掲載したダイコンの栽培に関しても…。


こんなものも…。


そして、こんなものも…。


はたまた、こんなものもあった。


失敗なしに成功することは少ない。来年もガンバルだけである♪


  2020/09/09  







【認知症と向き合う 12 〜 その1 〜】

    今後の認知症の研究のためになればと思い、また、認知症の患者を家族にもつ方たちの参考になればと思い、認知症の母を介護している私が、見たままを、感じたままを、そのまま記述して記録に残すことにした。

日 付
時 間
内 容
7月9日
15:30頃
母の精神状態が不安定になっていたのだが、いつものことだったので、特に気にすることもなかった。しかし、16:12頃、私がトイレから出た時、母が部屋にいないこと、玄関の鍵が開いていることに気づく。


16:15頃
自宅マンションの最上階から1階のロビーまで母を捜索したのだが、発見することができなかった。「30分だけ自宅マンションの周辺を捜索し、それでも発見できなかった場合は警察に通報する」と決めて捜索を開始したが、発見することができなかった。
16:50
110番に通報。「@名前 A身長 B体型 C年齢 D歩き方 E服装 F髪型 G靴 H杖 I山梨県か東京都のどちらかに帰ろうとしている」など、自分が思いつく全ての情報を警察に提供。


16:53頃
警察が到着したので、母の顔写真を警察に提供して状況の説明をしている時、警察の無線に、「〇〇町のコンビニで老人が保護されている」との連絡が入る。その後、母であることを確認。警察と当該コンビニまで同行し、17:20頃、正式に警察から母の身柄を引き渡された。
■母の目的■
今回、母が当該コンビニで、「山梨までは、どう行ったらいいですか?」と聞いていることから、実家のある山梨県に帰ろうとしていたと推量できるが、実際の歩行経路は、デイサービスを利用している介護施設への経路であった。介護施設までの経路を何となく覚えていて、その経路を山梨県までの帰り道と混同したのであろう。
■徘徊への準備■
今回は、母が所有している服や靴などの多くを私が覚えていたので助かった。覚えていなかったら、警察への情報提供の内容が曖昧になり、もう少し時間がかかっていたかもしれない。より注意深く、母の行動や習慣を観察する必要がある。また、自宅マンションから当該コンビニまでは約1キロあるのだが、その距離を、このような短時間で徘徊したとなると、母が徘徊しようとする瞬間に止めないと、徘徊による母の危機を防ぐことはできない。今後の対策としては、「@母が徘徊したくなるような不安定な精神状態にしない A母が徘徊しようとする瞬間に止める」の二つしかないが、この二つを着実に実行するのは困難であり、「なかなか打つ手がない」というのが実態である。
■注意事項■
110番に通報して気づいたのだが、「警察の方は、マニュアルの通りに私に質問している」という印象であった。つまり、決まった質問をしているだけで、自分が疑問に思ったことを深く聞き出すという感じではなかったということである。そのため、警察に聞かれないことでも、自分が持っている情報は全て明確に主張すべきである。情報は多ければ多いほど良い。ただし、同時に、「確実に〇〇です」・「たぶん、〇〇だったと思います」のように、どの程度の精度の情報なのかも明確にすべきであろう。そうしないと、誤った情報を提供し、警察の方が、「〇〇という情報だ」という前提で捜索した場合、誤った情報の修正に時間がかかり、発見するのが遅れる可能性が出てくる。因みに、今回の発見のきっかけは、“山梨県”であった。110番に通報した時に聞かれたわけではなかったのだが、私の方から情報提供した。警察が扱っている案件は、私の母の徘徊だけではない。できるだけ多くの情報を提供すれば、点と点を迅速に結びつけるのに有益である。
7月16日
8:50頃
私が起床すると、母がいないことに気づく。玄関の鍵が開いていたため再度の徘徊だと思い、前回、7月9日に徘徊した時に保護されたコンビニを捜索したが発見できなかった。
9:22
110番に通報。
9:30頃
警察が到着した時、警察から、「8:20頃、『△△町のコンビニの前で、雨に濡れながら立っている老人がいる』との通報があって現場に急行したのですが、私たちが行った時にはいませんでした」との話を聞く。そして、「私たちが捜索しますので、ご家族の方は、自宅で待機して下さい。お母さんが自宅に戻ってきた時、玄関の鍵がかかっていると、また徘徊してしまいますから」との指示があったので、自宅で待機する。
10:22
消防署より、「現在、道で座り込んでいた老人を、こちらで保護しています。そちらのご家族で間違いないですか? 以前、救急搬送した時の記録に名前がありましたので、確認のため電話しました」との連絡が入る。私の母で間違いないことを伝え、警察に消防署で母が保護されていることを連絡してから、消防署に向かう。
10:30頃
消防署で警察と合流。警察の書類にサインして徘徊による行方不明の件は終了する。ただし、母が徘徊している時、転倒して頭部と右足首を打撲していたため、そのまま、病院に救急搬送された。
11:30頃
頭部CT検査・右足首のレントゲン検査の結果、「骨などには特に異常はありません」と診断される。
12:15頃
帰宅。
■母の目的■
今回、母は、「朝、起きたら玄関に男の人が2人いて、その男の人たちが、『それでは、私たちは帰ります』と言ったので、玄関で見送った。そしたら、その一人が玄関を出たところで転んだので、その人を助けるために近づいたら私も転んだ」と証言している。どうも、帰ろうとしていた二人について行こうとしたらしい。いつもは、「玄関に誰かいるから恐い」「部屋に入ってくる人がいる。どこから入ってくるんだろう?」と言っているのに、今回に限ってついて行くというのは、不思議な話ではある。もしかしたら、認知症が新たな段階に入ったことの証拠なのかもしれない。因みに、今回、母が徘徊したルートは、昔、母が散歩コースにしていたルートと一致している。つまり、母は、「自宅マンションから帰っていく人について行ってた」という意識のようであるが、実際は、「昔の散歩コースを歩いていた」ということである。
■徘徊への準備■
今回の徘徊で、母が2時間以上も徘徊できることが分かった。2時間も動かれると、捜索する範囲を広く設定しなければならない。やはり、母が徘徊してからでは手遅れである。母が徘徊しようとする瞬間に止めることができる強い措置が必要である。
■注意事項■
警察の方たちに情報を提供するため、母の徘徊が始まった時間・服装などの正確な情報を自宅マンションの防犯カメラから得ようとしたのだが、個人情報保護法の観点から、防犯カメラの映像を見るためには、数人の方の許可が必要となるため、防犯カメラでの確認に時間がかかってしまった。しかも、防犯カメラにはパスワードが設定されていて、マンションの管理人の方にもパスワードは知らされておらず、マンションの管理会社の一部の方しか知らないらしい。つまり、防犯カメラの映像を確認したい場合、「管理人の方に連絡する→管理人の方が管理会社の責任者へ連絡する→管理会社の責任者からマンションの理事に連絡し、防犯カメラの使用許可を得る→管理会社の責任者が当該マンションまで来て、パスワードを入力して防犯カメラの映像を見る」という手順が必要となる。よって、私が防犯カメラの映像を確認することができたのは、警察の方たちへの対応が終わってからであった。個人情報の保護は重要なことなので、時間がかかるのはしかたがない。ここで私が怒っても、何も状況は変わらない。大切なのは、「私が住んでいるマンションでは、たとえ緊急事態であったとしても、防犯カメラの映像を迅速に見ることはできない」ということを認識することである。次回の徘徊に備え、自分の周りで、迅速に使うことができる情報源がどのくらいあるのかを確認しておくことが必要である。

    2020年7月9日、同年7月16日、とうとう恐れていたことが現実になってしまった。徘徊である。上記の表を見れば分かると思うが、認知症の中で最も厄介な症状の一つである。母が、医師に認知症と診断されてから約3年、「いつかは来ると思っていたが、やはり来たか…」というのが正直な感想である。症状が現われてしまった以上、ブツブツ不満を言っていてもしかたがない。まぁ、約3年も遅らせたのだから、母も頑張ったというところであろうか。徘徊という症状は、今後の展開の重要な分岐点となるであろう。今度は、私が頑張らなくてはならない。ここは正念場である。少し時間をかけて、じっくり静かに考えるべきであろう。次回は、この徘徊を受けて、私がどのように考えて、どのように行動したのかを述べたいと思う。

  2020/09/18  







【認知症と向き合う 12 〜 その2 〜】

    今後の認知症の研究のためになればと思い、また、認知症の患者を家族にもつ方たちの参考になればと思い、認知症の母を介護している私が、見たままを、感じたままを、そのまま記述して記録に残すことにした。

2020年7月9日、1回目の徘徊があった。その後、100円ショップで鈴を購入して玄関のドアにつけ、母が玄関を出ようとした時に鈴が鳴るようにした。

鈴にクリップをつけて、そのクリップをセロハンテープでマグネットに固定。


こんな感じ。


母の手が届かない場所に鈴を固定して完成。しかし、同年7月16日、2回目の徘徊があった時、私は熟睡していて、この鈴が鳴ったことに気づかなかった。そこで、玄関に鍵をかけて、母が外出できないようにすることにした。

自宅マンションの玄関の鍵は、このようになっている。


この部分は、マグネット形式になっていて取り外しが可能。


ドアに固定されている鎖を切断して、このマグネットの部分を取り外し、私が保管する。


これで、母は、上の写真の赤丸の部分の鍵を開けることができなくなった。


今後は、上の写真の赤い矢印の部分の鍵を開けても玄関のドアは開かないので、私がマグネットの部分を取り外し忘れなければ、母が徘徊する可能性はゼロになった。しかし、ここで問題になってくるものがある。

    母が通っている介護施設からの指摘で分かったのだが、通称、“高齢者虐待防止法”という法律があり、自宅に鍵をかけて高齢者を閉じ込めるという行為は、この法律に抵触する可能性があるという。因みに、この法律の正式名称は、“高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律”である。 (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。
    この法律に関して調べてみると、高齢者虐待防止法の第一章の総則の第二条の4の一のイに、「高齢者の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること」とあった。さらに、この法律の運用に関して調べてみたところ、「身体的虐待」という分類があり、その中で、「外部との接触を意図的、継続的に遮断する行為」を禁じていた。そして、具体的な例として、「外から鍵をかけて閉じ込める。中から鍵をかけて長時間家の中に入れない。など」との記述があった。簡単に説明すると、「母が徘徊しないように玄関の鍵をかける」という私の行為が、この法律に抵触する可能性があるということである。
    介護施設の方から、「このような行為があることを確認した場合、介護施設として役所に通報しなければならない」という主旨の話があったので、一応、私も同意した上で役所へ通報していただいたところ、役所の方から、「『何か相談があったら、遠慮なく申し出てください』と、お伝えください」という主旨の言葉があり、現在のところ、法律の厳格な適用は避けていただいている。日本は法治国家なので、当然、法律というものは重要である。しかし、法律の条文と現実に起こっている事実を照らし合わせてみると、その法律の運用は極めて難しいものとなる。介護施設も役所も、さぞ、その対応には苦慮していることであろう。

    認知症の患者が、家などに閉じ込められて外出を制限されると、精神の状態が不安定になり、窓やベランダなどから無理に外に出ようとして怪我をする場合がある。そのため、「徘徊を恐れて家に閉じ込めるのではなく、しっかりと見守りながら患者と一緒に外出するなど、患者に寄り添う介護が最良」というのが一般的である。その介護を実践する方法として、「玄関にセンサーを設置して、患者が外出する時には警報音を鳴らすようにする」「徘徊した時のために、患者の靴にGPSを埋め込んで、その位置を把握できるようにしておく」などがあるらしいのだが、私の個人的な意見ではあるが、その有効性には疑問が残る。
    玄関に警報音が鳴るセンサーを設置することに関しては、「私が熟睡中に警報音が鳴った場合、すぐに起きて対応することができるのか?」という問題がある。例えば、私の自宅マンションの場合、「玄関を出て右に行ったのか左に行ったのか? → 右に行った場合、エレベーターに乗ったのか乗らなかったのか? → エレベーターに乗った場合、上に行ったのか下に行ったのか? → エレベーターに乗らなかった場合、階段を上に行ったのか下に行ったのか?」など、短時間に一気に選択肢が増えてしまうため、徘徊が始まってから1分もあれば、距離的には近い場所にいたとしても、完全に患者を見失ってしまう場合もあるのである。
    また、徘徊した時のために患者の靴にGPSを埋め込むことに関しても、「患者の靴にGPSを埋め込んだとしても、GPSを埋め込んだ靴を履いて徘徊してくれるとは限らない」という問題がある。全ての靴にGPSを埋め込めば、多額の費用が発生して経済的な打撃が大きくなる。そして、それを延々と続けなければならないのである。しかも、靴を履かずに裸足で徘徊した場合は、その努力と費用が全て無駄になってしまう。
    確かに、「徘徊を恐れて家に閉じ込めるのではなく、しっかりと見守りながら患者と一緒に外出するなど、患者に寄り添う介護が最良」という理論は正論であり、私が実践しなければならない理想の形なのであろう。しかし、実際に介護している私から見ると、その正論は空虚でしかない。「母が徘徊して事故などに巻き込まれる、または、巻き込むリスク」と「閉じ込められて精神的に不安定な状態になって暴れるリスク」を比較した場合、後者の方が、圧倒的に患者のリスクが小さく、介護する者の負担も小さい。そのため、私は、「理想の形を目指すのではなく、現実に即した形を目指し、その欠点をできるだけ少なくする」という方法で介護することにした。「母が徘徊しないように玄関に鍵をかける」という行為の長所は、鍵をかけ忘れることさえなければ、確実に徘徊を避けることができる点である。短所は、徘徊しようとしている患者が、玄関に鍵がかかっていることで自分の希望が達成できず、精神的に不安定な状態になることである。そこで、私は、玄関に鍵をかけて安心するのではなく、患者の周辺の環境をより整え、この短所をできる限り減らすことに注力することにした。その結果、2020年9月24日現在、私が寝ている間に玄関の鍵を開けて徘徊しようとした形跡が1回あったものの、それによって、母が精神的に不安定な状態になって騒ぎ出すということはなかった。認知症の症状が進めば、状況も変わってくると思うが、今のところ、この方法が最善であると思われる。

上の写真は、2020年7月16日、母が徘徊して転倒した日の状態である。


上の写真は、同年7月19日、転倒した日から3日後のものである。この姿を見ると、「どうやったら、完全に徘徊を回避させることができるだろうか?」と考えるようになり、たとえ、法律に抵触して罪に問われることがあったとしても、強制的に徘徊させない方法を最優先するようになる。今回は、偶々、この程度の怪我で済んだが、車や自転車との接触によって母が死んでいてもおかしくなかったし、逆に、相手が危険を避けようとして事故を起こして死んでいてもおかしくなかった。徘徊によって患者にかかる負担を考えれば、徘徊の対応によって介護する者にかかる負担を考えれば、無関係にもかかわらず巻き込まれてしまう者にかかる負担を考えれば、「母が徘徊しないように玄関に鍵をかける」ということが、大切な選択肢の中の一つであると私は信じる。

  2020/09/27  




予想していたことではあったが、とうとう現実になってしまった…。イノシシの襲来である。上の図の※A〜※Gはイノシシが襲来した痕跡、赤丸はイノシシのフンがあった場所。

※A


※B


※C


※D


※E


※F


イノシシが牙で土を掘り返した痕跡が赤丸なのであるが、その穴の形が北から南に向いているので、イノシシは、上の写真の右側から左側に向かって進んでいったと推量できる。

※G


上の写真の赤丸は、イノシシのフン。


これと…。


これが残っていた。


ここで疑問なのが、「イノシシは、中央階段を横切って進んだのか?」ということである。


中央階段の下を見たところ、雑草が踏まれているとか、イノシシの牙で土が掘り返されているなどの痕跡はなかった。イノシシが中央階段を、“人間が仕掛けた罠”と認識しているのかは分からないが、今のところ、中央階段の下を通過することはないようである。

よって、現時点でのイノシシの襲来のルートは、北側からのルートと南側からのルートの2つである可能性が高い。今後、新たな痕跡を発見すれば、その認識は変わるかもしれないが、現在はそう考えている。

いずれにしても、畑を整備した時に作ったイノシシの防護柵は突破されていない。農作物は完全に保護されている。今後、イノシシに防護柵を突破されることがあるかもしれないが、そうなったら、その時に、柵の高さを2倍にするなどの対策を考えることにする。「イノシシの対策で、たいへんそうだなぁ〜」と思われるかもしれないが、実は、そうではない。私が、この土地の所有者になる前は、この周辺にはサルが多く、サルによる被害が頻繁であった。その後、イノシシの出現によってサルがこの土地を追われたので、現在ではサルはいない。イノシシが賢くないとは言わないが、サルは賢く、その対策は難しい。柵を建設してもすぐに突破されてしまうし、木登りも上手いので、木になった実もすべて持っていってしまう。個人的には、サルよりもイノシシの方が対策しやすいと思っている。

  2020/10/09  




春から育てていた野菜の収穫が一段落したので、新たにタマネギの苗を買ってきた。


2020年8月23日、苗を植えるのは、母の担当。一つ一つ丁寧に植えている。


こんな感じ。苗の間隔は30センチ。


9月22日、おっ!


順調♪


はつかネギの苗も買ってきた。


2020年8月23日、こちらも、母が30センチ間隔で苗を植えた。


9月22日、二十日ぐらいで収穫が可能になるので、“はつかネギ”と呼ばれているらしいのだが、実際には30日ほどかかった。葉が20センチ以上になったら収穫が可能とのこと。

こんな感じ♪


おもいっきり指を開くと、親指の先から小指の先までが約20センチなので…。


もう収穫してもOK♪


根のあたりから3センチほどのところを切る。


チョキン♪


いつも思うのだが、こんな姿勢で収穫をしていて、なぜ腰が痛くならないのであろうか?


いっぱい収穫できた♪ うどん・そば・味噌汁・納豆などに入れて楽しむ予定♪


あと2〜3回ほど収穫できるらしい。楽しみ♪


2020年9月15日、キュウリ・ナス・トマトの最後の収穫が完了。


収穫した野菜を丁寧に洗う。


キュウリ・ナス・トマトを撤去した。


新しい野菜を植えるために整地♪ 残っているのは、タマネギ・はつかネギ・ラッカセイのみ。


因みに、春に種をまいたニンジンは…。


芽は出たのだが…。


その後、ほぼ全滅…。


残ったのは、4本のみ。


そこで、再び余っていたニンジンの種をまくと…。


また芽が出た…。問題は、このまま生長することができるかである。


おぉぉぉ〜! 順調に生長してる!


現在、畑で育てている野菜は、上の図のとおり♪ 今後が楽しみ♪


  2020/10/16  







【 新型コロナウイルスに関する感想 8 】

    最近、少しずつではあるが、やっと新型コロナウイルスの本質が分かってきたので、今回は、どうして私たちは、失う必要がなかった財産を失い、する必要がなかった努力を今も続けているのかに関して考えてみたいと思う。簡単に説明すると、「私たちの論理的な思考力が脆弱な上、リスクに真剣に対峙する覚悟がなかったため、漠然とした雰囲気に流され、自分たち自身で自分たちの財産や時間を無駄に失っている」といったところであろうか。因みに、私が指摘している“論理的な思考”とは、以下のようなものである。


【暮露暮露が定義する論理的な思考】

    まず、「なぜだろう?」と疑問をもつことから全てが始まる。これがないと何も生まれない。自分がもったその疑問に関して調べているうちに、疑問が問題意識に変わり、さらに、「どのようにすれば、この問題を解決することができるのか?」という意識に発展する。そして次に、その問題に関する資料を集め、その資料を自分自身に分かりやすいように整理する。最後に、その問題に対する自分の主張を導き出し、自分が集めた資料を参考にして自分の主張の根拠を示す。


問題を解決するための主張と、その根拠を導きだしたら、それを実践してみる。無論、自分の主張の全てが上手く実践できるわけではないので、上手く実践できなかった点を明確にし、なぜ上手く実践できなかったのかを、再度、論理的な思考で考える。私たちは、この一連の過程を死ぬまで繰り返さなければならない。

    上記は、私が個人的に定義している論理的な思考なので、少し分かりにくいと思う。そこで以下に、新型コロナウイルス関連の報道を例に挙げて、補足の説明をする。「本日、新型コロナウイルスに感染した方は〇〇人でした」と、新型コロナウイルスに感染した方たちの人数を強調して報道しているメディアがあるが、私たちが、このような報道を見た場合、「あれ? それで終わり?」と疑問をもたなくてはならない。具体的には、「すでに感染している方たちの中で、治癒した方たちは何人いるのか?」・「感染している方たちの中で、重症化した方は何人いるのか?」・「重症化した方たちの中で、何人の方たちが死亡したのか?」・「治癒した方たちの中で、後遺症などが確認された方たちは何人いるのか?」・「その後遺症には、どのようなものがあるのか?」などの疑問である。そして、そのような疑問をもった後、私たちは、自分自身がもった疑問に対する答えを、自分自身で探さなければならない。東洋経済オンラインというサイトの“新型コロナウイルス 国内感染の状況”には、「2020年10月17日現在、宮城県内で新型コロナウイルスに感染した方の数は522人、治癒した方の数は470人、重症化した方の数は36人、死亡した方の数は2人」という主旨の情報が掲載されているので、上記の疑問の多くは解決できる (ここをクリックすれば当該サイトを閲覧できます)。 しかし、ここで大切なのは、必ず、他の情報と比較して、本当にこの数値が正確なのかを確認することである。この数値をそのまま信用してはいけない。このサイトが嘘をついている可能性もあるし、嘘をついているわけではないが、数値に誤りがある可能性などがあるからである。

    東洋経済オンラインに掲載されている情報で、「2020年10月17日現在、宮城県内で新型コロナウイルスに感染した方の数は522人、治癒した方の数は470人、重症化した方の数は36人、死亡した方の数は2人」ということは分かった。しかし、このような数値の羅列だけ十分であろうか? 少なくとも、私にはピンとこない。私は他人と比較して学力が低い方なので、いつも自分が得た情報を、自分自身が理解しやすいように整理することにしている。私の場合、パーセンテージで示した方が分かりやすいと思ったので、以下のように整理してみた。


    宮城県の公式サイトによると、2020年9月1日現在、宮城県の人口は2293488人とのことなので (ここをクリックすれば当該サイトを閲覧できます)、 2020年10月17日現在、宮城県内における新型コロナウイルスの治癒率は約90%、重症化率は約7%、死亡率は約0.4%ということになる。残念ながら、このサイトには後遺症に関する情報がなかったので、いろいろ調べてみたところ、「老若男女を問わず、肺・腎臓などに後遺症がでる場合があり、しばらくの間、味覚障害・嗅覚障害などが続く場合もある」とのことであった。因みに、後遺症がでる方の正確な割合は分からないが、現在のところ、治癒した方の約30%程度らしい。



    上記のまとめを見て、どう感じるであろうか? きっと、「本日、新型コロナウイルスに感染した方は〇〇人でした」と聞いただけでは得られない印象をもったと思う。このまとめを見る限り、新型コロナウイルスという病気は、少なくとも日本では大した病気ではないと私は思う。「新型コロナウイルスに感染した若者たちが、免疫力が落ちている高齢者の方たちに感染させ、重症化して死んだらどうするんだ!」という声が聞こえてきそうだが、それならば、逆に聞いてみたい。「風邪に感染したあなたが、免疫力が落ちている高齢者の方たちに感染させ、肺炎になって死んだらどうするんですか?」と。新型コロナウイルスと同等のリスクがある病気は山ほどあるし、もっとリスクがある恐ろしい病気も山ほどあるのである。それなのに、新型コロナウイルスだけしか見ていないと、そのようなトンチンカンなことを言うようになる。無論、うがい・手洗い・十分な睡眠など、基本的な感染症の対策は私もしている。しかし、どんなに感染症の対策をしても、1個に感染すると24時間後には100万個に増殖するようなウイルスを完全に防ぐことは不可能である。「どのような対策をしたらウイルスから身を守れるのか?」を論理的な思考で必死に考え、それから導きだされた答えを実践する。そして同時に、「できる限りの対策をし、それでも死んでしまったら、それは仕方がない」と覚悟することが重要である。

    メディアなどでは、「命がかかってますから! 人間の命は尊いんです!」という主旨のコメントが多い。確かに、その通りである。それを言われれば、「命を救うためなら、〇〇兆円もの税金を無駄に遣っていいんですか?」とは主張しにくい雰囲気になる。しかし、「正論を大声で叫び続ければ、その正論に手足を縛られて身動きがとれなくなり、やがて自滅する」というのも事実である。人間の命を脅かしているのは、新型コロナウイルスだけではない。それなのに、新型コロナウイルスを中心に置いてリスク管理をするのは、いかがなものであろうか? もし、新型コロナウイルスに感染して死ぬのが嫌なら、一生、家の中に閉じこもっていればいい。そうすれば、感染のリスクを極限まで減らすことができる。しかし、そのようなことをすれば、食物の過剰摂取・運動不足による身体機能の低下・経済的な困窮によるストレスなどの原因となり、新型コロナウイルス以外の原因で死ぬことになる。つまり、何か一つのことを極端に恐れて、そのリスクを回避しようとすると、自然の流れのバランスが崩れ、他の原因で命を落とすことになるのである。今回、「論理的な思考の脆弱さ」と「死の覚悟の不十分さ」のために、こんな大したことのない病気で、この半年間、日本中が右に左に大きく揺れ動いてしまった。しかも、しばらくの間、この異常な状態は続きそうである。このようなことで、将来、襲ってくるであろう真に恐ろしい病気に対応することができるのであろうか? やれやれ…、心配である。

  2020/10/25  







【 新型コロナウイルスに関する感想 9 】

    新型コロナウイルスが猛威をふるい始めてから半年くらいになるであろうか。私たちは、終息することがあるのかどうかも分からない新型コロナウイルスとの戦いに莫大な金を費やして経済を疲弊させ続けるだけではなく、莫大な時間と労力を費やして自分自身を疲弊させ、最も大切な人心を乱れさせてしまっている。まったく、目を覆わんばかりの失態である。この半年で私たちは、新型コロナウイルスに関してある程度は理解できたものの、実際のところ、「あまりよく正確な実態は分かっていない」というのが真実のようである。現在、新型コロナウイルスに感染しないための手段は、「うがい・手洗い・十分な睡眠・ウイルスに感染しそうな場所には近づかない」くらいなので、冷静に考えてみれば、昔と何ら変わらない基本的な予防手段を徹底すればよいだけだということになる。

    上の写真は、海の中から光を輝かせるなどの現象を起こし、豊作や疫病などに関する予言をしたと伝えられる“アマビエ”という妖怪である。今年の3月ごろ、「疫病退散に御利益があるアマビエのイラストをみんなで描こう♪」というニュースがメディアで報道されたので、覚えている方も多いと思う。私は、私たち人間が、自分たちが発達させてきた科学に頼りきって生活していると思っていたが、今回、新型コロナウイルスの猛威を前にして、「科学にも頼るが、妖怪にも頼る」という方たちが意外に多かったことに感銘を受けた。自然の前では、私たち人間は極めて小さな存在である。「ウイルスとの戦い」「ウイルスとの共存」などと言っているが、ウイルスが人間を「敵として相応しい存在」と認識しているのか分からないし、ウイルスが人間と「共に存在していきたい」と認識しているのかも分からない。そして、それは、私たち人間が決めることではない。私たちにできることは、科学を発達させて“ある程度の防御”をすることであり、科学による防御が成功することを祈ることである。それでも防御できなかった場合は、その結果を無条件で受け入れるしかない。自分たちにできる凡事を徹底し、それが成功することを祈る。そして、嵐が過ぎ去るのを心静かにじっと待つしかないのである。「人事を尽くして天命を待つ」。新たな科学的な開発も必要だとは思うが、もう一度、先人たちが苦難の末に絞り出した言葉を思い出してみるのも大切である。

  2020/11/13  




今年は、オクラ・カボチャ・キュウリ・トマト・ミニトマト・キャベツ・エダマメ・ラッカセイの8種類を種から育ててみたのだが、生き残ったのは、エダマメ・キャベツ・ラッカセイの3種類のみであった。今回は、その3種類のその後である。

【エダマメ】


2020年6月27日、育苗ポットから地植えした。


7月30日、おっ! エダマメ!


おぉぉぉ〜!


たったこれだけ…。


【キャベツ】


2020年6月27日、育苗ポットから地植えした。


7月2日、ん〜。どんどん葉が虫たちに食べられていく…。


8月4日、完全に失敗した…。


【ラッカセイ】


2020年6月20日、育苗ポットから地植えした。


8月10日、1つだけ苗が枯れてしまったが…。


残りのラッカセイは元気♪


9月22日、どんどん生長している♪


10月24日、おっ! 少し枯れてきた!


11月14日、よし! 完全に枯れた! いざっ、収穫!


よっこい…。


しょっ!


ホイッ!


けっこう収穫できた♪


…と思ったのだが、殻を割ってみると上の写真のような状態であった…。やはりラッカセイも、今年の長雨と日照不足には勝てなかった…。

オクラ・カボチャ・キュウリ・トマト・ミニトマト・キャベツ・エダマメ・ラッカセイの8種類を試験的に種から育ててみたものの、なんとか地植えにまで残ったものが、エダマメ・キャベツ・ラッカセイの3種類のみ。そして、収穫までできたものはエダマメのみという結果であった。やはり、種から育てるのは難しいようである。さらに、その年の気象条件も大きく影響してくるので、野菜を育てるというのは博打に近い。今さらではあるが、農家の方たちの苦労の一端が見えたような気がする。

  2020/11/18  




今年も多くの雑草たちが、スクスクと生長した。


もちろん、全て伐採♪


こんなにたくさん。「さてと…、燃やそうかなぁ〜♪」と思っていたら、お隣のSさんが来て、「先日、野焼きをしていたら警察が来て、たいへんだった…」と話してくれた。なんでも、誰かからの通報で警察が出動し、鑑識の方たちが野焼きをしていた証拠品としてドラム缶に残っていた灰を押収するなど、10:00頃から17:00頃までずっと警察の対応に追われていたそうである。結局、略式起訴になったらしいのだが、「野焼きで略式起訴って…。なにそれ?」と思ったので、ネットでザックリと調べてみたところ、“野焼き煙害被害者の会”のウェブサイトを見つけた (ここをクリックすれば当該サイトを閲覧できます)。 「なるほど…、野焼きによって被害を受けている方たちもいるんだ…」と思いながらサイトを閲覧していると、野焼きをして罰金や逮捕になった事例をまとめたものがあった。30キロ・50キロ・数百キロを野焼きによって焼却処分した業者さんの場合は、逮捕なども当然だとは思うが、約1.6キロの紙クズを野焼きしただけの60歳の方が処分されていたのは、たとえ起訴猶予という処分であったとしても少し気の毒のような気がする。野焼き煙害被害者の会の方たちの気持ちも分かるが、あまり細かいことでゴチャゴチャ言い過ぎると反発も強くなるので、冷静に、穏やかな言葉遣いで、コンコンと主張していただきたいと思う。因みに、前述の“誰かからの通報”とは、「市役所・消防署・警察などは全て連携していて情報を共有しているので、その中の誰かの通報」という意味らしい。つまり、通報といっても、誰か特定の個人が通報したということではないということである。例えば、ヘリコプターによる消防署の巡回・警察車両の巡回などは全て要注意で、そのどれかに発見されてしまうと、とぉぉぉ〜っても面倒くさい事態になってしまう。

「…とはいっても、少しぐらいなら大丈夫だろう」。


「ほとんど煙もでてないし…」。すると、母が…。


「ちまちま燃やしてないで、ドバっと燃やしちまいな!」。すると…。


「バタバタバタバタ」。ん? なんの音だ?


「あっ! ヤバい!」。


「ヘリコプターだ! 消防署の巡回かもしれない!」。


「火を消せっ!」。


「ジョバジョバ!」。


「シュ〜!」。面倒くさいなぁ…。


「廃棄物の処理 及び 清掃に関する法律」によると、落ち葉・刈り取った草木などで少量の場合は、焼却してもOKらしい。しかし、ドラム缶や一斗缶での焼却は法律違反になるという。ん〜、少量の焚火をドラム缶でしたら法律違反になるのであろうか (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 自宅の庭でバーベキューをしている方たちは、全員が略式起訴になっているのであろうか。毎年、広瀬川で芋煮会をしている方たちも、全員が略式起訴になっているのであろうか。必要な法律なのであろうが、その運用に関しては曖昧な点が多いようである。こういう場合は、迂闊に動くと危ない。少しづつ探りながら、“少量の焚火”をすることにする。

しかし…、ここで野焼きをして、誰かの迷惑になるのであろうか? 「野焼きによって有害物質が拡散する」ということなのであろうが、学校行事のキャンプファイヤーは、木材をバンバン燃やすにもかかわらず法律で認められている。その一方で、ただ端材を燃やしていただけのお隣のSさんは略式起訴になってしまった。ん〜、特に根拠はないのだが、なんとなく違うような気がする…。

  2020/11/29  







【 新型コロナウイルスに関する感想 10 】

    新型コロナウイルスが猛威をふるい始めてから半年くらいになるであろうか。現在では解消されているが、以前、このウイルスが流行し始めた時、世の中ではマスク・トイレットペーパーなどが不足し、大騒ぎになったことがあった。その時、今まで優しかったお客さんたちの態度が激変し、平然と店員さんを罵倒するようになったことを嘆く、「コロナよりも怖いのは人間だった」との店員さんのネットへの投稿が話題になった。しかし、正確には、そのお客さんたちの人格が急に変化したのではなく、「緊急事態に陥ったため、今まで隠すことができていた本性を隠す余裕がなくなってしまった」というのが実際のところであろう。

    この「コロナよりも怖いのは人間だった」という記事を読んだ時、ふと、私が中学二年生だった頃のエピソードを思い出した。私と同じクラスに、元気で気さくなYさんという女子生徒がいた。私は、子供の頃から常識というものを理解しない少し変わった人間だったのだが、そのYさんは、そんな私に対しても、他のクラスメートと同じように接してくれた。しかし、ある日、クラスメートのKさんが、14歳という若さで死んでしまったことを契機として、Yさんの態度が激変することになる。

    Yさんは、死んでしまったKさんとは、幼馴染で仲が良かった。そのKさんの葬式の日程が私の家に電話連絡されてきたのだが、私が不在であったため、私の父がその電話に対応した。ところが、そのことを父が私に伝言するのを忘れたため、私は葬式に出席することができなかった。この日を境に、Yさんの私への態度が激変し、あからさまに敵意を示すようになる。事情を説明しても納得することはなく、結局、残念ながら、そのまま卒業することとなった。中学生の頃の話なので、現在、特に何か悪い感情があるというわけではないのだが、このことから得た教訓は、今も私の中で生きている。

1. 人間の生死に関わることでは、ミスをすることは絶対に許されないこと。
2. 人間は、いったん何かを思い込むと、なかなかそれを修正することができないこと。
3. 人間関係というものは、簡単に激変してしまうほど脆いものであること。

    何十年もの間、真剣な努力を積み重ねて作り上げた人格は、どんなに大きな危機に直面したとしても、そうそう簡単に変化することはない。しかし、積み重ねる努力を怠ってきた人間は、何十年の時が経過したとしても成長することはないので、私たちは、緊急事態に直面して余裕がなくなった時、その人間の本当の顔を見せつけられることになる。つまり、その人間がどのような人間かを知りたいのであれば、今、目の前での行動を見るのではなく、その人間が、毎日毎日、自分の人格を高めるためにどのような努力をしているのかを見極める眼力が必要なのである。

  2020/12/04  







【 新型コロナウイルスに関する感想 11 】

    新型コロナウイルスが猛威をふるい始めてから半年くらいになるであろうか。最近では、新型コロナウイルスでの重症患者が急増しているため、病院の受け入れ態勢が逼迫している問題・病院の経営が悪化している問題などの報道を見ることが多くなった。しかし、医療崩壊の問題・病院の経営が悪化している問題は以前から議論されているもので、さほど新しい問題ではない。今までその問題に真摯に対応してこなかったツケが、一気に回ってきただけという印象である。よくよく考えてみれば、保健所の数を削減した問題に関しても、原子力発電による放射性廃棄物の問題に関しても、介護職員の待遇改善の問題に関しても、私たちの無関心が、その問題を悪化させる発端になっているように思う。つまり、低コストを過剰に追求した結果、一見、合理化に成功したように見えた問題が、実際には何の問題解決にもなっておらず、何らかの緊急事態に陥った時、その虚像が崩壊して信用を失った上、結局は高コストになってしまうということである。

    上の写真は、新型コロナウイルスに感染した患者の対応に追われている医療関係者への感謝を示すため、みんなで拍手している様子である。医療関係者に対する感謝の気持ちは大切であるし、拍手をしてその気持ちを示すことも大切だとは思うが、それだけでは、「拍手をしたので、今後とも同じように頑張ってくださいね♪」と主張していると誤解されかねないので、とても危険である。医療関係者の方たちの志や善意に頼りきった状態では、やがて、その我慢も限界に至り、近い将来、必ず医療は崩壊することになるであろう。

    医療関係者の奮闘に関するニュースを見ていて、ふと、昔、放送されていた“家なき子”というドラマのことを思い出した。このドラマで有名になった、「同情するなら金をくれ!」という言葉があるのだが、当時、私は、そんなに面白いとは思わなかった。しかし、私の母方のN叔父は、「そうだ、そうだよ! 金をくれよ!」と言ってゲラゲラ笑っていた。当時のN叔父と同じ歳になった今、その言葉の本当の意味を理解できたような気がする。今回の医療関係者への拍手を例に挙げれば、「拍手=感謝」ではなく、「拍手+負担=感謝」ということになるのである。つまり、医療関係者に感謝するのであれば、医療関係者に拍手をするのと同時に、“医療救済税”のような増税があった場合、私たちは進んで納税しなければならない。その時こそ、真に医療関係者へ感謝したことになるのである。

  2020/12/13  







【認知症と向き合う 13 】

    2020年12月5日(土)、母が救急車で搬送された。今後、同じような状況になる方もいるかもしれないので、 その詳細を以下に記録として残しておくことにする。認知症の患者・高齢者などが、いつなってもおかしくないことなので、知っていて損はないと思う。 みなさんが私と同じような状況になった時、的確にして迅速な対応をすることを祈る。

日 付
時 間
内 容
12月5日
10:45頃
母が寝室で嘔吐している音を聞く。すぐに鉄欠乏性貧血の薬を飲ませるが、再度、嘔吐する。二度目の鉄欠乏性貧血の薬を飲ませる。


10:50頃
119番に通報。
11:10頃
仙台オープン病院に搬送される(救急車内で体温を測ったところ38.9℃であった)。


11:20頃
仙台オープン病院に到着した時、熱が41℃に上昇していて、すぐに新型コロナウイルス・インフルエンザ・SARSなどに感染していないかを検査する。 それと同時に、私も11:20頃 〜 15:20頃まで4時間ほど個室に隔離され、 トイレ以外は移動禁止となる(因みに、そのトイレは私の専用トイレとなり、私が使用した後は消毒するとのこと)。 15:20頃、検査の結果が陰性であったため、移動禁止が解除される。
15:20頃
救急病棟の担当医から、尿路感染症・肝血管腫の疑いがあるとの説明を受け、一週間ほど入院することが決定。 看護師さんから、新型コロナウイルス対策のため、「面会は全面的に禁止・差し入れなどは13:00〜15:00の間のみ受け付ける」などの説明を受ける。 看護師さんたちに、私の母の認知症の対応ができるか不安であったが、「真夜中でもかまわないので、母に何かあったら電話をください」と伝え、 母を残して自宅マンションに帰る。
16:00頃
自宅マンションに帰宅。


19:30頃
仙台オープン病院より、「ひどい興奮状態なので、電話で話していただけますか?」との連絡あり。 電話の向こうから、今までに体験したことがないほど興奮した母の怒鳴り声が聞こえる。 私と10分ほど話すと母は落ち着き、 看護師さんから、「ありがとうございます。落ち着いてきているようです。また何かありましたら連絡いたします」との話あり。
12月6日
17:00頃
仙台オープン病院より、「何を話しても、どうしても、なぜ自分がここにいるのかが理解できないようです。 息子さんの顔を見れば安心するかもしれないので、今から病院まで来ていただけますか?」との連絡あり。 母が落ち着くように、塗り絵・花の本・昭和10〜30年代の歌謡曲が入ったラジカセ・ 看護師さんたちが少しでも母の状況を理解できるように私が書いたメモを持って病院へ向かう。 到着時、看護師さんに見守られながら徘徊している母を発見したので、話しかけて安心させる。 母の表情が穏やかになったのを見た看護師さんが、 「4人部屋だと他の患者さんへ影響してしまいますので、個室に移動していただくことはできますか?」・ 「息子さんと一緒にいると安心するようなので、付き添いで病室にいていただくことはできますか?」などの要請を受けたので、 それらの要請を全て受け入れ、急遽、その日から私も病院に住むことになった。
12月7日
6:00頃
仙台オープン病院から会社に出勤。
9:10頃
仙台オープン病院から、「主治医から退院の許可が出たので、退院の手続きを進めます」との連絡あり。
17:00頃
仙台オープン病院で退院の手続きをして退院。
■まとめ■
結局、尿路感染症のみの診断であった。 5日分の薬を処方され(カロナール錠200・レボフロキサシン錠mg「DSEP」)、通院の必要もないとのこと。

    母の尿路感染症の治療は、5日分の抗生物質の服用で終了した。まずは一安心といったところである。仙台オープン病院の方々には、新型コロナウイルス対策で忙しい中、緊急対応をしていただいて、たいへん感謝している。何の情報も無い状態で認知症の母の看護をすることになった看護師さんたちの苦労は、たいへんなものであったと思う。実際、母の暴言・徘徊などには手を焼いたようである。

    今回、私と介護施設の介入がない状態になってみて、改めて認識できたことがある。認知症の症状が完全に近い状態で現われた場合、介護する者にかかる負担は相当なものになるということである。その完全に近い認知症の症状を、私と介護施設で、日々、ほぼ完全な状態で抑え込んでいるということに対しては、もう少し、評価が高くても良いような気がする。

    余談ではあるが、仙台オープン病院の看護師さんから聞いた話である。私の介護で穏やかになった母に、看護師さんが、「優しい息子さんがいてよかったね。息子さんのことが好きでしょう?」と聞くと、母は、「いいえ…、別に…。私が好きなのは旦那♪」と答えたという。私は、すごく頑張って介護をしているつもりなのだが、もう少し、評価が高くても良いような気がする…。

  2020/12/18  




栽培している野菜も残り少なくなってきたので、イノシシの被害を恐れず、来年のために畑を拡張することにした。

赤い矢印の場所が、来年、畑になる予定。なんか…、波乱の予感がする…。


まずは、ジャングルに入るための入口を整備する。


さらに、ジャングルの中に切り込んでいく。


なんとか、藤棚まで到着♪


この周辺には、桑の木が多く自生している。


それらを全て伐採する。因みに、桑の木を伐った瞬間だけ、アーモンドのような良い香りがする♪


おりゃぁぁぁぁぁぁぁ〜! 伐採! 伐採!


おっ! 畑が見えてきた♪


伐採した草木はイノシシの防御柵に添えて、その上に土をかぶせる。


4時間ほどでこれだけ綺麗になった。意外に早く完成するかも♪


これが、桑の木の根。これを引き抜くのが重労働。


そんなものが何十本もある。


少しずつ…、少しずつ…。


たいへんなのは桑の木だけではない。切り株・名前も分からないような木の根も引き抜かなければならない。

何の木だか分からないが、踏んでも蹴ってもダメ…。


おっ! この部分の根が抜けないのか!


やっと抜けた!


赤い矢印の部分の根だけで土にしがみついていたらしい。


たったこれだけの根で…。


赤い矢印は、今年の5月ごろに伐り倒したタラの木。半年が経過して枝が伐りやすくなったので…。

たくさん枝を伐って…。


少しずつ大木を処理していくことにした。伐った枝は煮炊きに使用する予定。


少し危ないが、母が散歩できるくらいまでは整備できた。まぁ、慌てずに少しずつ整備していくことにする。来年の種まきまでに終わらせればいいんだから♪

  2020/12/23