伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off


2024年1月1日、今年も、昨年の出来事を一つ一つ思い出してみることから始め、今年を有意義に過ごすためのヒントにしてみた。

【1.SNS時代の問題点】
この数年、SNS関連の事件が増加傾向にあるので、私も、自身のパソコンのパスワード管理などを徹底することを心に誓った。他人にパソコンを覗かれでもしたら一大事である。

すでに、覗かれていた…。SNS関連では、そこに書かれている内容の真偽を確認することも大切である。「自分の目と耳で確認する」。この地道な作業を怠ってはならない。

情報の確認も大切だが、確認の仕方も大切である…。


【2.プレゼンの勧め】
現代社会では、「自分は、これがしたい!」と思った時、資料などを使って他人を説得するプレゼンが大切である。例えば、「コタツが欲しい」と思った場合…。

そして、そのプレゼンが受け入れられれば…。


ご褒美がくる。


【3.2024年問題】
今年は、いよいよ2024年問題がくる。2024年問題とは、ドライバーさんの時間外労働時間の上限が、年間960時間に設定されることで生じる、荷物の運搬の遅延などの問題をさす。

「粉ミルクを、ロックで飲みてぇんだよ!早く配達しろや!クロネコ・ヤマト!」。


「俺たち黒ネコは、客に媚びねぇ。文句があるなら、佐川急便に頼めや!」。


【4.ネコバスの現在】
昔、“となりのトトロ”という映画に、ネコバスというキャラが登場していた。

そのネコバスは、客を乗せて疾風のように走ったので、たいへん人気だったのだが、今は、その人気も凋落し、当時のネコバスのドライバーさんは、寂しそうに、次のように当時を振り返った。

「あの頃は、稼げたねぇ〜。今は、あんな田舎のネコバスじゃ稼げなくて、生活していけないけどね」。

【5.通信販売】
現在、「でも、お高いんでしょう?」のセリフで有名な夢グループの通信販売事業が、絶好調である♪

「うわぁ〜!社長!この商品、欲しい♪欲しい♪」。


「でも、お高いんでしょう?」。


【6.振り込め詐欺】
残念ながら、昨年も振り込め詐欺の被害が続発し、多くの被害者が出た。

「金に困っている人間が、闇バイトなどで勧誘され、さんざん利用された後、警察に逮捕される」というのが、通常コースらしい。

何があっても、「取り返しのつかない人生」というものは無いとは思うが、被害を受ける方の人生、被害を与える方の人生のマイナスを考えると、「もう少しだけ、考える力を使ってみてはどうか?」と思ってしまう。

【7.政治と金】
いつものことではあるが、昨年も、政治と金の問題が世間を騒がせた。

政治家に関係している方々も、「もう、今さら言えない…」ということも多いようなので、たいへんだと思う。

私たち国民にも、「もう、今さら言えない…」ということがあるようなので、お互いに勇気をもって対応することが大切である。

【8.強いリーダー】
このような政治不信の時こそ、松平健さんが演じる、“暴れん坊将軍”のような強いリーダーが必要である。

「ワ〜ハハハハハハハッ!苦しゅうない!全て俺にまかせろ!」。


「ヤベッ!松平健…。どっかで落としてきちゃった…」。


【9.起業の精神】
最近、優秀な若者たちは大きな企業に就職せず、失敗を恐れずに起業する傾向にあるという。

気にしない気にしない♪


ドンマイ♪


【10.交通事故】
残念ながら、昨年も、車の事故が続発してしまった。警察の方たちの努力によって、全体的には減少しているのだろうが、さらなる減少が期待される。

「オイッ!あれを見ろ!危な〜い!」。


「車の後方で、『オーライ!オーライ!』って言ってた御主人様の声が、聞こえなくなった…」。


【11.不漁】
ここ数年、漁業関係者は、サンマの不漁に頭を痛めているようである。

「それで一匹も釣らずに帰って来たのか?ボサッとしてないで、早く戻って釣ってこい!」。


「ハァ?私に…、働けと?」。


【12.体罰】
体罰は、人間に深刻な影響をあたえるので、体罰を放棄して優しく接することにした。

子供:「頭をナデナデするつもりか?そんな甘ったるいことを言っているから秩序が乱れるんだ!」。


大人:「生意気なので、体罰にもどすことにした♪」。


【13.むき出しの闘志】
格闘技では、試合前から、お互いの闘志をむき出しにするものらしい。

「あぁ?そいつは、先輩に対する口のきき方を知らないらしいな」。


「す…、すいません先輩!こいつは転校してきたばかりで、この学校のルールを知らないんです!」。


【14.餅と高齢者】
毎年のことではあるが、正月に餅をのどに詰まらせて救急搬送される高齢者が後を絶たない。

「救急隊の皆さ〜ん!餅をのどに詰まらせて苦しんでいる高齢者がいま〜す!助けてくださ〜い!」。


「餅を食べていた時に、突然、ウッ!となって、振り向いたら倒れていたんです。そして、その後…」。

【15.ジェンダー】
ここ数年、“ジェンダー”という言葉をよく聞くようになったが、ジェンダーとは、「男性・女性という性別に基づいて定められた、社会的属性や機会などの差」を意味する言葉らしい。

例えば、男性が、「女性というものは、男性の前ではこうで…。


…男性がいなくなるとこうなる」という、男性の思い込みなどが、それにあたる。


【16.男はつらいよ】
昔、“男はつらいよ”という映画があり、男性のつらさばかりを強調していたが、女性にも…。

「ちょっと男子ぃぃぃ〜!外で着替えてよぉぉぉ〜!」などのつらさがあるため、現在では、昔の感覚は通用しない。

その通りである。


【17.キレる】
昨年も、すぐにキレる人間たちが話題になっていたが、そこそこの歳なのに、何にそんなに腹が立つのか理解に苦しむ。

「『いないいないばあっ!』だと!俺が、いつまでもそんなことで喜ぶとでも思ったのか!」。


「誰が猫舌じゃ!よく見てろよ、俺が猫舌じゃないことを証明してやる!」。


【18.クレイマー対策】
そんなキレる人間が多い中、少しずつではあるが、対策もできてきているようである。

コールセンターのクレイマー対応♪最初からそうしていれば良かったのに♪


しかし、一部の恥ずかしがり屋さんは、まだ文字で伝えようとしている。


【19.他人に伝えるということ】
自分の意思を他人に伝えるというのは、何歳になっても難しいものである。

「オッと!俺の頭をナデナデするのは、まだ早いぜ!」。


「そうじゃねぇ。ナデナデじゃなくて、飯を食わせろ!」。


時々、野菜を怒らせてしまうこともある。オッと、話が長くなりましたね。それでは…。


「あ!」。


「け!」。


「ま!」。


「して!」。


「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」。


  2024/01/01  




    最近、メディアなどで日経平均株価の上昇が話題になっているので、株式投資をしていない方たちは、「だいぶ儲かっているんでしょ?」と思うかもしれないが、全ての投資家が儲かっているとは限らない。私の株式投資は、「安定した優良株を売買することによって利益を得る」というスタイルだったのだが、最近の日経平均株価の上昇で、私のような個人投資家では高すぎて買えないレベルにまで優良株の株価が上昇してしまった。そのため、私にでも買えるレベルの株式を取引きしてみたのだが、結果は惨憺たるものであった。

    私は、株式投資を始める時、株式投資で破産した方たち、または、株式投資で破産した後に復活した方たちの体験談を多く調べたのだが、その時、「自分には、株式投資の才能がある」と思い込んでしまった方や、「大きな損失を出してしまった。この損失を、早く取り返さないと!」と焦り、より多額の資金で株式投資をするようになる方などが、破産するに至っているという印象を受けた。そして、「もしかしたら、今の自分が、そのような状態に近いのではないか?」と思っていた時、ふと、昔、気になって保存しておいた画像のことを思い出したので、その画像を探して見てみたところ、そこには次のような言葉があった。「逃げて怒られるのは、人間くらい。ほかの生き物たちは、本能で逃げないと生きていけないのに、どうして人は、『逃げてはいけない』なんて答えにたどりついたのだろう」と。この言葉を見た瞬間、私は、「このまま株式投資を続けていても、損失が膨らむ一方である」と断定し、今の私に最も適した策は、「三十六計逃げるに如かず」であり、あれこれ迷うよりも、時機を見て逃げ出し、自分の身を安全な場所に置くことが最善の策だと判断した。そのため、すぐに、楽天証券の証券口座のみを残して、その他の証券口座は全て解約した。楽天証券の証券口座を残したのは、この3年間の株式投資の経験を使わないのはもったいないので、リーマンショックやコロナショックなど、〇〇ショック級に株価が暴落した時のみ、株式の取引を再開しようと思っているからである。そのため、現在、証券口座はあるものの、株式は1株も保有していない。

    株式を手仕舞いして、今までの株式投資の損益を計算してみると、ざっとではあるが、「1.株式投資をしていた3年間の生活費を稼げた。2.約150万円の残金がある。3.約200万円の寄付をすることができた。4.約20%の所得税を納付することができた」という結果であった。認知症の母の介護で無職だったため、株式投資だけで3年間の生活費を稼げた上、約150万円の残金があったことは大いに助かった。また、約200万円の寄付をして社会貢献し、約20%の所得税を納付したことで、私が失業していた時にいただいていた失業給付金を超える金額を返すことができたことは、税金でお世話になった私の心理的な負担を軽減してくれた。初めての株式投資にしては、まずまずの結果だったのではないだろうか。

    ・・・ということで、現在、タウンワークが私の一番のお友達である。2024年1月1日の能登群発地震で被災された方たちの生活は、目を覆いたくなるような惨状なので、今後も認知症の母を養う金が必要な立場の私ではあるが、株式投資で残った約150万円の中から50万円を寄付することにした。地震で被災され、極寒の中での生活に耐えている方々、ごめんなさい。もう私には、これ以上、寄付するだけのお金が残っていません。

  2024/02/01  




    もう25年ほど前になるであろうか、詩のコンクールの雑誌だったと思うが、その雑誌に、「飛び降り自殺」というタイトルの詩があった (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 特に何かの賞を受賞した作品ではないのだが、私は、この詩がたいへん気に入ってしまった。そして、今も気に入っている。当時、私の周りにいた方たちは、飛び降り自殺というタイトルを嫌って敬遠し、さんざん酷評していたが、この詩は、決して死に向かっているものではなく、逆に、生に向かっていると私は思っている。特に、ビルの屋上から飛び降りた後、細い枝を握ってまで生きようとしている場面からは、生に対する凄まじい執着心を感じとることができる。

    「人間は、その死によって全ての苦痛から解放される」と言われているが、私が興味を持っているのは死ではなく、その死の直前の人間の心理である。現実的な死が目前にある時、恐らく、人間は全てのしがらみから解放され、「完全に近い素の状態」になると推量される。例えば、今、私が交通事故に遭遇して激しく出血しながら意識が薄れ、現実的な死が目前にあるとする。その時、残り少ない時間を使って私は何を考えるのであろうか。家族に対する感謝であろうか、それとも、犯人に対する恨みであろうか。また、今、私が長い闘病の末に衰弱し、現実的な死が目前にあるとする。その時、残り少ない時間を使って私は何を考えるのであろうか。やっと苦しい闘病から解放される安堵感であろうか、それとも、苦しくても生きたいという生存欲求であろうか。現在の私が、それらの場面を想像して考えても、それは机上の空論であり、真に何を思うかは、その場面になってみなければ分からない。一つだけ確かなことは、人間は、生まれた瞬間から、確実に死に向かって歩いているということである。よって、“その瞬間の直前”は、誰にでも必ずやってくる。願わくば、その残り少ない時間を使い、全てのものに感謝しながら死にたいものである。

    警察庁のウェブサイトによると、令和5年の日本での自殺者は、21818人だという (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 死の直前、その方たちは、残り少ない時間を使って何を考えていたのであろうか。それは、私には分からないし、推量することもできない。もしかすると、自殺した本人も、なぜ自分が死のうとしているのか分からなかったのかもしれない。死の直前、その方たちは何かに感謝し、満足感を得て死んでいったのだろうか。それとも、最後の最後まで不安感に包まれながら死んでいったのだろうか。もし、今、自殺しようとしているあなたが、死の直前、自分が何を考えているのか想像できないのであれば、それを想像できるようになるまで、とりあえず、もう少しだけ生きてみませんか?

  2024/02/04  




    先日、2024年1月1日の能登群発地震で被災された方たちに関して、自身の家が倒壊し、家族は全員が無事だったものの、残ったのは数珠と洋服だけという92歳の方の記事を読んだ (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 私のような昭和時代の人間は、「セクハラ・パワハラ・飲み会の強制参加などは当然のこと」という時代を生きてきたので、平成・令和時代の方たちから見ると違和感だらけの理解しがたい人間のように見えるであろう。まぁ、事実、とんでもない人間なのであるが。しかし、平成・令和時代を生きている方たちに、一つだけ私たち昭和時代の人間から見習ってもらいたいものがある。それは、私たち昭和時代の人間の“しぶとさ”である。私たち昭和時代の人間は、ちょっとやそっとでは諦めない。特に、昭和初期(昭和一桁)に生まれて、過酷な戦争を生き抜いた人間は、昭和時代の人間の中でも群を抜いてしぶとい。前述の記事の92歳の昭和時代の人間を見れば、その突出ぶりが分かる。ほとんど全てのものを失って1ヶ月しか経過していないのに、「また一から出直しや」である。もう、やる気になっている。他人の前では、「また一から出直しや」と言いながらも、恐らく、一人になった時は泣いているであろうヨボヨボの92歳が、諦めるどころか、今から本気で人生を再建しようとしている。数えきれないほどの問題を抱え、何かと世の中を騒がせている昭和時代の人間ではあるが、このしぶとさだけは、平成・令和時代の方たちにも学び取ってもらいたいものである。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2024/02/07  




    先日、ジャーナリストである櫻井よしこさん(=さくらい・よしこ)の「あなたは祖国のために戦えますか」というネットへの投稿が、物議を醸しているという記事を読んだ (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 その櫻井さんに対して、「先ず櫻井よしこよ、お前が銃を持ち先頭切って戦いに行け」・「櫻井よしこ、お前が率先して行け。人の命を軽んじるな!!」・「自分は戦場に行く気もない人間がこういうことを言うんだよね」・「老人が若者を煽ってはいけません」・「祖国のためではなく、権力者のために血を流すことに若者も年寄りもNOと言っているのです」など、多くの反論があったとのことなので、そんなに話題になっているなら少し調べてみようと思い、櫻井さんが、どのような主張をしたのか調べてみたのだが、不思議なことに、いくらネットで調べてみても、この騒動の基になった櫻井さんの主張が掲載されたサイトが見当たらなかった。「ん?どのサイトに掲載されている主張を閲覧して、みんな反論しているんだろう?」と思いながら、そのサイトを探していると、櫻井さんが運営している“言論テレビ”というサイトに当該記事が掲載されていることが分かったのだが、困ったことに、そのサイトは有料のサイトであり、そこそこの料金であった。「ん〜、お高いなぁ…」と思っていると、そのサイト内で櫻井さんが、それらの方たちに反論している記事があったので、その記事を読んでみると、何ら特別な主張をしていたわけではなく、ごくごく普通の主張をしていただけであることが分かった (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。

    ここで特に取り上げるほどの騒動ではなかったのだが、このような時の物事の考え方の一例を示しておくことにする。まず、あなたが誰かの主張に興味をもった時、あなたは、どんなにその主張が自分の主張と違っていたとしても、まずはその主張の原典を探し、必ず、全文を読まなければならない。これは、基本中の基本であり、あなたが絶対にやらなければならないことである。論文などでは、文字数などの関係で、自分の主張をするために、他者の主張の一部分を引用して論を展開することがあるが、全文の中の一部分を切り取った時点で、その他者の本来の主張の本質を歪めている可能性がでてくる。そのため、必ず、論者は原典を明らかにしなければならない。つまり、「文字数などの関係で全文を掲載することはできないが、私の主張の論拠となった原典を記述しますので、ご確認ください」という意味である。この原典を探して全文を読むという行為を面倒くさがり、または、その手順自体を知らずに、他者の主張の一部分を切り取った「極端に短くまとめられた、誰にでも簡単に読める極めて雑な文章」を読んだだけで物事の本質を理解したつもりになり、トンチンカンな主張を展開している方が多くいるような気がする。そして、そのトンチンカンな主張を読んで、さらに、トンチンカンな主張をする方たちが、原典に記述されている主張を極端に歪めながら拡散している。その嘘を、もしくは、その悪意のない嘘を見抜くには、原典の全文を徹底的に読み込むしかない。そうすれば、明らかに原典に記述されている主張とは異なっていることが分かるからである。

    現代社会は、原典を確認する時間もないほど多忙なのであろうか。私の周りには、媒体によって恐ろしく簡単にまとめられたものがあふれている。それは、一見、時間が短縮できる手軽で便利なもののように見えるが、もう一度、よく考えてもらいたい、「本来であれば1時間かかるものが10分にまとめられた時、その本質は、本当に歪められていないのだろうか?」と。例えば、スーパーで売っている米を例に挙げると、スーパーでは、10キロの米を3000〜4000円で簡単に買うことができるので、実に便利であるとは思うが、同時に、その便利さと引き換えに、「苗を植えて米に生長させるまでの苦労」・「米を収穫する時の喜びと感謝」などの感覚が失われていることも知らなければならない。何も知らずに便利さだけを求めて米を買っている人間と、米が生産される一連の過酷な作業を知っていて米を買っている人間とは、見えている世界が全く違うのである。効率化することが全盛の現代社会では、ある程度、効率化の波にのまれることはしかたがないとは思うが、物事の本質を知るための苦労まで効率化してはならない。私たち人間が、その苦労まで効率化しようとするのであれば、その時点で、何か大切なものを失っている可能性があるので、その危険性を認識し、その場に立ち止まって熟考する必要がある。

  2024/02/11  




    現在、やっと、混乱を極めた生活から脱却し、落ち着いた生活を取り戻しつつある。何の混乱かというと、今年2月、自宅マンションを売却した混乱からなのだが、現在、母と私は、自然環境に恵まれた賃貸アパートで心静かに暮らしている。昔、職場の同僚たちと、「最近、仙台の中古マンションの価格が上昇してるんだって」という話題になったことがあったが、「価格の上昇と言っても、買った価格から50万円くらいしか上昇していないから、税金や引っ越し代などを考えるとマイナスだね。ただ忙しくて苦しいだけ」と言って笑い、誰も真面目に考えることはなかった。しかし、それから7〜8年が経過した現在、仙台の中古マンションの価格が、買った価格から数百万円も上昇、いや、高騰したので、もはや、笑っていられなくなってしまった。もともと、私は賃貸派の人間なので、マンションを買う予定はなかったのだが、今から約17年前、東京に住んでいた父が癌になり、余命半年との診断だったので、癌になった父を介護するために3LDKの新築マンションを買い、父と母を仙台に呼び寄せた。そして、その1年後、父が心静かに死んだので、その後は、そのまま、母と2人で暮らすこととなった。新築マンションを買った時は、「このマンションを売却する頃には、買った価格の半値くらいに下落しているだろうなぁ…」と思っていたのだが、思わぬ中古マンションの不動産バブルで、幸運にも売却益を得ることになった。

    最近、母の認知症が悪化し、私のことも理解できないと思われることが増えてきたため、さらに認知症が悪化して私の手に負えなくなった場合、最後の最後まで私が介護する予定ではあるが、福祉施設への入所も選択肢の一つになってきた。福祉施設に入所させると莫大な費用がかかるので、今回の自宅マンションの売却は、そのための準備金として好都合である。ただ、現在、私が乗っている軽自動車は、購入してから約18年が経過し、走行距離も14万キロほどになっているので、そろそろ、廃車にすることになるかもしれない。また、私が積み立てている個人年金も、約5年ほど支払いが残っているので、今回の売却益から新たな軽自動車を購入するための資金を温存し、残りの売却益から個人年金の残金を支払うことにした。しかし、それらの支払いを済ませても、まだ売却益が残るので、それらは寄付することにした。不動産バブルによる不労所得で申し訳ないが、心ある方たちに有効に遣っていただきたい。因みに、恐らく、これが最後の寄付になると思われる。

    これから、日本経済が本当にインフレに向かうのであれば、物価は少しずつ上昇していくので、日用品や保険料など、あらゆるものの価格が上昇していくことになる。物価の上昇に比例して賃金も上昇していくとありがたいのだが、若い方の賃金は別にして、私のような年齢での賃金の上昇は厳しいであろう。そのため、私は、介護や経済など、四方八方を敵に囲まれて苦しい立場に追い詰められることになる。しかし、どんなに、私が不平や不満を述べたとしても、誰も聞いていないし、誰も助けてはくれない。私が、日本の政治家の方たちに、「自分の生活が苦しいのは、おまえたちの責任だ!」と叫んだところで、何かが変わることはなく、私の生活は苦しいままである。そのようなことをする暇があるのであれば、その時間を無駄にせず、自分自身で介護や経済などを学び、それらの問題に対する対策を自分で考え、その対策を実行する行動力をもたなくてはならない。私が窮地に陥った時、心ある方たちや日本の政治家の方たちからの援助がないとは思わないが、私自身が、「自分の問題は、自分で解決する」という強い意志をもつことが、最も大切なのである。

  2024/04/05  




    残念なことに、TBSの金曜ドラマで放送されていた、「不適切にもほどがある」というドラマが終了してしまった。コンプライアンスが厳しい令和時代の人間と、そうではなかった昭和時代の人間を比較することによって、「本当に大切なものは何なのか?」という問題の答えを導き出そうとするドラマだったのだが、このドラマの中で描かれていた昭和時代の人間と共通する部分がいくつもあったので、改めて、私が昭和時代の人間であることを実感することができた。その共通する部分の中の一つが、クリームソーダである。

    このドラマの中で、喫茶店のマスターにクリームソーダを注文するシーンが頻繁にあるのだが、なぜ、昭和時代の人間は、こんなにもクリームソーダが好きなのであろうか。10年ほど前に私が参加した飲み会でのことだったと思うが、アルコールに弱い私は、ずっと、クリームソーダを注文して飲んでいたのだが、そろそろ、飲み会も終わる頃、他の方たちが最後にアルコールを注文したので、ついでに、私もクリームソーダを注文したところ、居酒屋の従業員の方から、「もう、クリームソーダはありません!」と言われてしまった。このあたりから、周りの客たちがクスクス笑い始め、その従業員の方が続けて、「お客さん。居酒屋で、ずっと、クリームソーダを飲み続けている人なんていませんよ。この店でクリームソーダが品切れになったのは初めてです!」と言った時には、周りの客たちは爆笑していた。

    理由は分からないのだが、私は、昭和時代のナポリタンとクリームソーダをセットで注文してしまう。昭和時代のナポリタンを食べて口の周りをトマトケチャップで赤くした後、クリームソーダの上に浮いているアイスをソーダに沈め、トロトロにしたアイスを少しずつ食べる。そして、最後にサクランボを食べるのである。「だから何なんだ?」と言われても、答えは何もない。極めて個人的な昭和時代の名残である。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

「マスター、クリームソーダ!」。


  2024/04/12  




    2024年3月21日、ロサンゼルス・ドジャースの野球選手である大谷翔平さん(=おおたに・しょうへい=29歳)の専属通訳であった水原一平さん(=みずはら・いっぺい=39歳)が、違法な賭博をしていたことが発覚。その後、大谷さんも、「違法な賭博に関与していたのではないか?」という疑いをもたれていたのだが、先日、FBIなどの捜査機関が、「『大谷選手は被害者であり、いかなる不正行為にも関与していない。また、違法な賭博に関わったこともない』という結論に至った」と公表したことにより、事態は収束に向かっているようである。因みに、今回の件に関して、さほど根拠のない極めて個人的な感想なのだが、アメリカの報道に対しては、「ほぉ〜、厳しいこと言うなぁ〜」という印象をもち、日本の報道に対しては、「へぇ〜、ずいぶん優しいなぁ〜。大谷さんを批判することができない雰囲気でもあるのかな」という印象をもった。「日本のメディアには、弱い立場の人間が問題を起こした時も、または、疑いをもたれた時も、徹底的に叩き潰すという報道はせずに、大谷さんと同じように優しい報道をしていただきたい」というのが、ささやかな私の希望である。

    私が中学生だった時、ある競馬のコインゲームに夢中になり、毎日のようにゲームセンターに通ったことがあった。その後、少しづつ貯金していた金を遣うなど、小遣いの範囲を超えてコインゲームをするようになり、とうとう、小遣いを前借りするようになってしまった。最初は1ヶ月分だけだった前借りが、次第に2ヶ月分、3ヶ月分となり、最終的には、中学生では返済することができないほどの金額に膨れあがった。さぁ、そこからは、両親の独壇場である。「おい!いつ金を返してくれるんだ!」・「金を返さないつもりか!そんなことは許さないぞ!」などと私を責めたて、徹底的に追い詰めた。後で両親から聞いた話なのだが、「ギャンブルというものは、胴元が儲かるようになっている。おまえが儲かることは絶対にない!」ということを教えるために、故意に前借りを許していたとのことであった。その成果なのであろうか、以前、山形県にあった上山競馬場に行く機会があったのだが、その時も私が馬券を買うことはなく、ずっと、競馬場内で販売されていた山形県の郷土料理である“玉こんにゃく”を買って食べていた。

    今回の水原さんの違法な賭博に関する報道を見ていると、ふと、「私と水原さんの間には、さほどの差はないのではないのだろうか?」と思ってしまう。「全ての人間にギャンブル依存症になる可能性がある。そのことが重大な結果に至る人間と、そうではない人間との差は、その人間が置かれている環境の差に過ぎない」と。私たちに必要なことは、たったの二つ。一つ目は、自分をギャンブルができる環境から遠ざけること。そして、二つ目は、「いつ、自分がギャンブル依存症になるか分からない」という意識をもち、常に警戒することである。

  2024/04/24  




    前回、ロサンゼルス・ドジャースの野球選手である大谷翔平さん(=おおたに・しょうへい=29歳)の専属通訳であった水原一平さん(=みずはら・いっぺい=39歳)が、違法な賭博をしていたことに関して記述したが、もう一つ、水原さんが、違法な賭博をしていたことが報道された段階では、大谷さんも違法な賭博に関与していた疑いがあったにもかかわらず、大谷さんを批判することがタブーであるかのような雰囲気があったことが気になったので、その件に関して追記することにした。

    昔、私が、母方のN叔父と夏の高校野球のテレビ中継を観ていた時、まだ、小学生だった私は、自分が応援していた高校のチームが大差で負けていることに耐えられず、テレビを消そうとした。すると、N叔父が、「なんでテレビを消すんだ!ちゃんと最後まで観ろ!」と怒り始めたので、私が、「もう、9回の裏だから負けるでしょ」と答えると、N叔父は、「そんなこと分からないだろ!これから逆転するかもしれないぞ!」と、さらに怒ったので、私は、渋々、テレビを観つづけた。結局、私が応援していた高校のチームは負けてしまったのだが、最後の最後まで諦めることなく、泥だらけになりながら必死にもがいている選手たちの姿を今でも覚えている。その試合が終わった後、N叔父は私に、「頑張っていたじゃないか。応援するなら、良い時も悪い時も、しっかり最後まで寄り添うことだ」と言ったのだが、私が、当時のN叔父と同じくらいの歳になった現在、自分が見たくないこと、自分が聞きたくないことを避けている人間を見ると、「物事の本質が見えていないのではないだろうか?」と感じることが少なくない。もしかしたら、当時のN叔父も、私に同じようなことを感じていたのかもしれない。今回は、大谷さんが違法な賭博に関与していないことが判明したが、たとえ、大谷さんが違法な賭博に関与していたとしても、そのことから目を背けてはいけないのである。

    「違法な賭博に関与していたのではないか?」という疑いが晴れた後の大谷さんの活躍には、目を見張るものがある。実に素晴らしい景色が、私たちの前に広がっている。しかし、大谷さんの疑惑に対して、「見ないように、聞かないようにしていた人間」と「その疑惑から目を背けなかった人間」とでは、実際に観ている大谷さんの活躍は同じでも、心で感じている景色は全く違うものである。そして、今後、大谷さんの活躍から得られる教訓の質も、圧倒的に違うものとなるはずである。

  2024/04/27  




自宅マンションの売却に伴う引っ越しの忙しさも落ち着いてきたので、今年も母が山で遊べるようにするため、畑などの準備をすることにした。自宅マンションの売却に伴う引っ越しの忙しさも落ち着いてきたので、今年も母が山で遊べるようにするため、畑などの準備をすることにした。

これが、畑1。草ボウボウ。野バラが、こんなに大きく…。


サッパリ♪


これが、畑2。


これが、畑3。


これが、畑4。土留が完全に崩れている…。


あまりにも草ボウボウだったので足元が見えず、草取りの作業中に赤い矢印の場所から転落してしまった。

ところが、幸運なことに、草取りをして集めていた草がクッションとなって無傷で済んだ。ラッキー♪

今年は引っ越しの忙しさで山に来られなかったので、タラの芽を収穫することができなかった。残念…。

来年は、腹いっぱいタラの芽の天ぷらを食べる予定♪


去年までは大量のワラビが収穫できたのだが、今年はイノシシに荒らされてワラビが全滅…。


それにしても…、ひどい…。


しかし、少しだけ残っていたので、数年後には再び増えていることだろう。


畑を耕して、今年の野菜づくりの準備をした♪


畑を耕していた時、昨年、栽培したジャガイモの残りが土の中から出てきた。土の中に埋めておけば長期保存ができるという話は、本当のようである。

豊富な水が水源から流れてくるため、水沿いにはネコノメソウが繁殖している。上の写真の赤い矢印がそれ。

これが、ネコノメソウ。ネットで調べてみたのだが、ネコノメソウは食べることができないようなので…。

代わりにクレソンを栽培することにした♪


クレソンを栽培するために、繁殖しているネコノメソウを根こそぎ…。


サッパリ♪


赤い矢印の場所にクレソンの種をまいた。あとは、生長するのを待つだけ♪


しかし、ネコノメソウの除去作業は続く…。


  2024/05/01  




    東京の上野で焼肉店など14店舗を展開しているサンエイ商事という会社の社長夫婦が殺害され、栃木県の那須町で遺体が発見された事件が、連日、大きく報道されている。被害者の遺体に火をつけ、そのまま放置するという残忍な犯行であったにもかかわらず、ほとんどと言っていいほど、この被害者に対する同情的な報道はない。一方、加害者も、報道されている内容が事実だとすれば、殺人を計画した人間・殺人を指示した人間・殺人を実行した人間、これら全ての人間が、極めて幼稚な思考で、ずさんな行動をする人間だと推量できる。一体、この事件の被害者と加害者は、どのような人生を送ってきたのだろうか。

    「1+1=2」の人生と、「1×2=2」の人生では、結果が同じ「2」であっても、その内容は大きく違う。前者は、「失敗して挫折し、その経験から学んだことを歳の数だけ積み重ねた人生」であり、後者は、「自分が失敗していることにすら気づかず、反省することのない日々を、歳の数だけ、ただ時間のみが経過した人生」である。

    この事件で殺人の実行役とされている20歳の方が、2024年3月、東京の渋谷でインタビューされた際、「好きな言葉は、お金です。お金ですよ、世の中は」という主旨の答えをしている (削除されていなければ、ここをクリックすれば当該映像を閲覧できます)。 その答えが、考えに考えた末の結論なのであれば、私は、その答えを尊重する。しかし、20歳という年齢を考慮しても、あまりにも幼稚な答えである。恐らく、今まで、「1×20=20」という20年を歩んできたのであろう。願わくば、これからの20年は、「1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1=20」という20年を歩んでもらいたいものである。

  2024/05/12  




    先日、JR東日本グループが、カスタマーハラスメント(=顧客による著しい迷惑行為のこと)の対処方針を発表した (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 今後、自社の従業員に対してカスタマーハラスメントがあった場合、「お客さまへの対応をいたしません」とのことなのだが、「ふぅ〜ん、今までは対応してたんだ」と思い、ついつい笑ってしまった。因みに、私は、カスタマーハラスメントをするような人間に対して、真面目に対応したことはない。昔、私が、某市役所で警備員をしていた時、大雪が降っていた夜中、「道に雪が積もっていて車が出せない!早く除雪しろ!」というクレームの電話があった。私が、「現在、某会社の除雪車が総出で除雪しています」と伝えたところ、その方が、「ふざけるな!俺の家の前から除雪を始めろ!」と答えたので、私は、「報告書に書いて、担当の者に伝えておきます」とだけ話して電話を切った。最後の最後まで何か叫んでいたようであったが、私が電話を切ったので、その方が何を叫んでいたのかは分からなかったし、知りたいとも思わなかった。そして、それ以上、何か対応しようとも思わなかった。

    昔、ジャーナリストであった勝谷誠彦さん(=かつや・まさひこ=享年57歳)が、「たとえ、その人間が最低のバカであったとしても、その人間が不利益を被らないように定められた基準」のことを“バカ基準”と呼んでいたのを思い出す。この基準に従うことは、「おバカさんが利益を得て、平均的で良識のある人間が不利益を被り、やがて、ヘトヘトに疲弊して意欲を失う」ということを意味する。私の個人的な感想ではあるが、どんなに丁寧に説明しても、おバカさんは納得しない。そして、どんなに物事の道理の話をしても、おバカさんは理解することができない。たいへん申し訳ないのだが、真面目に対応するだけ時間の無駄ということである。もし、私にできることがあるとすれば、「あなたが何を要求しても、あなたがどんなに怒っても、ダメなものはダメですよ」というメッセージを伝え続けることくらいである。

  2024/05/15  




先日、ガソリンスタンドで給油した時、「20リットル以上の給油でボックス・ティッシュを1箱プレゼント♪」というイベントをしていたのだが…。

0.1リットル足りなくてボックス・ティッシュをもらえなかった。


このような日は、何をやってもツイていないものである。


特に何かのデータがあるわけではないので、本当にツイていないのかは分からないが、私自身が、「今日はツイてない」と思い込んでいるのだから、何をやっても上手くいくはずがない。そのため、このような時、私は、「何もせずに家で静かにする」と決めている。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2024/05/23  




    最近、仕事をしながら家族を介護する方たちのことをビジネスケアラーと呼んでいるようだが、経済産業省の試算によると、そのビジネスケアラーが増加することによる経済損失額は、2030年に9兆1792億円に達し、現状の日本経済を維持することが困難になるので、同省は、ビジネスケアラーを支える会社を支援するなど、ビジネスケアラーによる経済損失を抑制する具体的な対策を検討する方針だという (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。

    認知症の母を介護するために離職した私からすると、仕事をしながら家族を介護できる方たちは、かなり恵まれた環境にいるように見える。ビジネスケアラーの方たちが生産性を低下させているのは事実だと思うが、私のように介護離職した人間は、各種の保険料や税金が減免されるなどの措置で国の財政に負担をかけているため、その生産性はゼロにも及ばず、マイナスにまで低下している。さらに深刻なのは、このビジネスケアラーの方たちは、将来、仕事と介護を両立させる負担に耐えきれずに離職してしまうかもしれない、“介護離職予備軍”でもあるということである。因みに、現在、1年間に約10万人というペースで介護離職者が増え続けている。

    テレビなどで、介護関係の専門家の方たちが、「介護離職は避けた方が賢明です。介護のために収入がなくなって経済的に困窮すると、その経済的な困窮は介護が終わってからも続き、経済的に困窮したまま、今度は自分が介護される側になるという可能性が高くなります」という主旨の解説をしているのを見ることがあるが、介護離職する人間は、それらのことを十分に理解している。しかし、どんなに正しい話を聞かされても、実際には、介護離職という一択しかないから離職するのである。介護離職の危険性の説明に力を注ぐよりも、1年間に約10万人というペースで介護離職する人間が増え続けているという事実に着目し、ビジネスケアラーの方たちの介護離職を防ぐ対策の実行に力を注いでいただきたい。

    私たちのように介護離職してしまった人間は、もう助からない。しかし、「介護離職した人間は、働きたくないわけではないし、働く能力がないわけでもない。ただ、介護という鎖で手足を縛られ、身動きがとれないだけである」ということだけは、忘れないで欲しいものである。

  2024/06/02  




私は、認知症の母をデイサービスに送迎する時、上の写真の店の前を通るのだが、毎週水曜日、この店の前には、「本日は定休日」と書かれた看板が出されている。

「定休日に、定休日を知らせる看板を出すのは当然でしょ?」と思われる方たちも多いと思うのだが、私が気になっているのは、ガムテープを貼って自分の店の名前を書いている部分である。

恐らく、「隣の店は、定休日ではありません」ということを言いたいのだとは思うが、その配慮が別の問題を引き起こしている。

ガムテープの貼り方が雑なため、“定”の字が、“足”の字に見えてしまっている。私は、99%が寛容と大らかで構成されている人間なのだが、困ったことに、残りの1%は、繊細で神経質という極めて厄介なものである。運悪く、この店の看板は、その1%に当たってしまった。毎週水曜日に、この店の前を通ると、「足休日って…」と思いながらイライラしてしまう。定休日だということが伝われば特に問題はないし、気にするほどのことではないことも分かっているのだが、一度、気にしてしまうと、なかなか冷静になれない。やれやれ…、困った性格である。

  2024/06/05  




    先日、長野県の長野市が運営している体育館の利用に関して、無料だった利用料を有料化することが検討されているという記事を読んだ (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 この体育館を利用している市民にアンケートを実施した結果、70%の市民が有料化を容認したものの、「利用料金が高額すぎる!」との批判もあったという。しかし、この記事の本質的な部分は、「今後、どのようにして体育館を維持し、管理していくのか?」ということではなく、「今後、私たち日本人は、どのようにして生きていくのか?」ということにあるように思う。

    この体育館を例に挙げれば、長野市の市民には、大きく分けて二つの道が残されている。一つ目は、維持管理が難しくなった体育館を廃止することである。そして、二つ目は、維持管理が難しくなった体育館を存続させるために、市民の金を稼ぐ能力を高めることである。市民一人ひとりの金を稼ぐ能力を徹底的に磨けば、利用料金の値上げなど気にならなくなる。先ずは、長野市の市民が、「今後、自分たちは、どのようにして生きていくのか?」。その方向性を決めることが大切である。

    これは、長野市だけの問題ではなく、私たち日本人の問題でもある。私たち日本人が、「公共施設を維持するために、さらに金を稼ぐのは難しい」と決めるのであれば、公共施設を廃止して今まで通りの生活を続ければよい。しかし、「公共施設を維持するために、金を稼ぐ能力を磨く」と決めるのであれば、変えていかなければいけない意識が山ほどあるので急がなければならない。約30年もの間、私たちは、デフレの時代を生きてきた。今、その流れが、インフレの時代へと大きく変化しようとしている。時代の流れが激しく変わる時、私たちは、生き残るために、牙をむき出しにして危険を回避しなければならない。デフレの時代の約30年間、いかに自分が恵まれない境遇にいたのかを嘆き、その不平や不満を叫んでいても、新しい時代から取り残されて淘汰されるだけである。そのようなことをしている時間があるのであれば、私たちは心の中にある牙を磨き、今後、どのようにして自分は新しい時代を生き抜いていくのかを、自分自身の頭で考えなければならない。

  2024/07/01  




    最近、円安に関するニュースを頻繁に見るようになったが、そのニュースの多くが、円安と物価の上昇のみを結びつけ、視聴者に“円安=悪”という印象をもたせたまま、マイナス面だけを強調して報道されているのが少し気になる。例えば、輸入している商品の価格が円安で上がれば、国の税収が上がるなどのプラス面もあるし、逆に、輸入している商品の価格が円高で下がれば、消費者の購買意欲が増すなどのプラス面もある。円安であろうと円高であろうと、メリットとデメリットの両方があるので、一概に円安が悪いとは言えないし、同じように、円安が良いとも言えないはずである。確かに、急激な為替の変動は問題であるが、そもそも為替とは変動するものなので、そろそろ大騒ぎするのをやめ、「現在の為替相場に適応するように努力する」という当然の対応をすることをお勧めする。

    私は、経済に関してはトンチンカンのド素人である。しかし、今、もっとも注意しなければいけない問題が、為替の変動などの問題ではなく、「長く続いたデフレの時代が終わりを迎え、インフレの時代が始まろうとしている」という問題であることぐらいは、ド素人の私にも理解できる。長く続いたデフレは、「過剰な値引き競争などが、人間の心を荒廃させていく」という地獄だったが、これから始まるであろうインフレは、「現金を稼いでも稼いでも、毎日毎日、保有している現金の価値が、どんどん減少していく」という地獄である。私たちのような庶民にとっては、どちらも地獄なのだが、デフレとインフレでは、その対応の仕方が全く違うので要注意である。

    これから述べることは、私の個人的なインフレ対策なのだが、私は、現在、銀行に貯金している現金の比率を低くするために、長期で保有するための株式を少しずつ買い集めている。これは、配当金を目的にした株式投資なので、特段の理由がない限り、一生、売却せずに保有し続けるつもりである。私が保有している株式の配当利回りの平均は約3.5%なので、「消費者物価の上昇率を前年比の2%」と定めている日本銀行の物価目標が実現したとしても、物価が上昇した分は、十分に吸収できるようになっている。因みに、同時進行で短期の株式投資を勉強しており、現在、平均して1ヶ月に2〜3万円ほどの収入を得ている。しかし、株式投資を再開したものの、やはり、株式投資はギャンブルなので、それだけに頼るのは危険である。そこで、認知症の母を介護施設に預けている、週一回の夜間、夜勤のアルバイトを始めることにした。そのアルバイトの収入が、1ヶ月に約6〜7万円になるのだが、この必ず得ることができる固定した収入の存在は大きい。まだまだ途中ではあるが、本格的なインフレの時代になる前に、物価上昇のリスクを、「短期投資の利益」+「長期投資の配当金」+「アルバイトの固定給」の3つに分散し、何とか認知症の母の介護をしながら生活していける体制を急ピッチで構築している。

    いろいろと述べたが、これらのインフレ対策は、インフレによる資産の減少を抑制するためのものであって、資産を増やすものではない。これだけ対策をしても、資産が増えることはないのである。私たちは、簡単にインフレという言葉を遣っているが、その本質はデフレと同じくらい危険なものである。そのインフレの時代が、もう目の前にまで迫っている。インフレの時代になっても気にならないだけの資産がある方たちは問題ないのだが、インフレの本当の恐ろしさを知らない方たちが、円安に関するニュースを見ながら不平や不満をブツブツ言って騒いでいるのを見ていると、とてつもなく心配になってきてしまう。

  2024/07/07  




    新聞やテレビなどの報道によると、先日の東京都知事選で、法律が想定していない方法でポスター掲示板が利用されるケースが多発し、ポスター掲示板の利用に関して、東京都などを相手どり、東京地裁に提訴したという候補者まで現われているという (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 こういう時にこそ、国会議員の方たちに政治家たるものの矜持を示していただきたいのだが、昨年から世の中を騒がせている自由民主党の裏金問題のため、政治家の矜持を示すどころか、どこかで聞いたような定型文のコメントを読み上げる程度にとどまっている (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 法律が想定していない方法でポスター掲示板を利用している候補者たちは、「公職選挙法には違反していない」という主旨の主張をしているらしい。現在も続いている自由民主党の裏金問題では、「法律には違反しておりません」「記憶にございません」などの答弁も多かったので、ここで何か道徳的なコメントを発表すれば、「どの口が言っているんだ!」と批判されるので、静かにしているのであろう。政治家の方たちの多くが、本気で、「法律に違反していなければ、何をやってもかまわない」と考えているとは思わないが、政治家の方たちの矜持の水準が、年々、低くなっているようには感じる。

    若い方たちは知らないかもしれないが、1988年に、“リクルート事件”と呼ばれる汚職事件があった。その時、収賄したとされる政治家の方たちが、「私は何も知りません。秘書がやりました」という主旨の答弁をしていたことが強く記憶に残っているのだが、どこかの小学校で、小学生が悪戯をして先生に叱られた時、その小学生が先生に、「秘書がやりました」と言い逃れしたという報道は、もっと強く記憶に残っている。その後、10年ほどが経った頃であろうか、ある学校の先生から、「今の子供は、決定的な証拠を突きつけないと、悪いことをしていても徹底的に白を切る」という話を聞き、「少しずつではあるが、ジワジワと悪い影響が水面下で広がっている」と感じ、危機感をもったのを覚えている。

    物が壊れるのであれば、誰にでも分かる。しかし、心が壊れるのは目には見えないので、誰にでも分かるというものではない。もしかしたら、数十年前から、日本人の心が少しずつ壊れ始めていたのかもしれない。そして、今、この瞬間も日本人の心が壊れ続けているとしたら、それは、とても恐ろしいことである。政治家の方たち自身が堕落したのか、それとも、私たち国民が政治家の方たちを堕落させたのかは分からない。しかし、願わくば、政治家の方たちが襲撃された時、国民が、「ふ〜ん、そう。だから何?」という反応を示すところまで堕落する前に、政治家の方たちが、私たちに日本人としての矜持を示してくれることを願うばかりである。

  2024/07/11  




2024年8月5日、日経平均株価が、たった1日でマイナス4400円を超えるという急落があった。7月11日〜8月5日の株価の下落は凄まじいものであり、過去最大の暴落となったようだが、この暴落により、信用取引で株式投資をしている方たちの中には、一瞬、自殺を考えた方も多かったと思う。因みに、信用取引を簡単に説明すると、「証券会社から借金をして株式を買う」ということである。今回の歴史的な暴落では、多くの経済評論家の方たちが、「さらに暴落するかもしれないので、気をつけてください!」「ここまで暴落すると、株価は数年は戻りません!」という主旨の発言をしていたが、すでに株価は暴落前の半分ほどまで回復している。「責任をともなわない人間の発言が、いかに信用できないものか」を学ぶ良い機会だったのではなかろうか。

今年から始まった新NISAで初めて株式投資を始めた方たちは、突然の株価の暴落で驚いているであろう。メディアの報道によると、今回の暴落に驚いて、新NISAを解約してしまった方たちもいるという。そんな方たちに、株式投資の経験が、たった4年しかないにも関わらず、「20年くらいやってる貫禄がある」と評される私から、一言だけ苦言を呈しておくことにする。

株式投資をするなら、「7年〜8年に1回、必ず大きな暴落が起こることを前提として準備をする」ということを認識しなければならない。私の場合は、そのことを考慮し、今回の暴落が起こる前は、上の図のように、約20%の資金のみを運用して配当金を得ていた。私は、暴落に関する知識は学んでいるものの、株式投資を始めてから1回も暴落を実際に経験していないので、「その時、どのような精神状態になるのか?」「その時、いつも通り冷静に取引ができるものなのか?」など、大きな状況の変化に適切に対応することができるのか不安だったので、次の暴落が起こった時のために約80%の資金を温存し、余裕をもって暴落に対応できるようにしていたのである。

その3ヶ月後、今回の歴史的な暴落が起こった。いつ起こるのか本当に分からないものである。「あっ!」という間に株価が暴落し、みるみる株価が下落していくのを見ながら、「なるほど。株価が大きく下落して含み損が膨れあがると、このようなメンタルになるのか。落ち着け、落ち着け」と思いながら、株価の暴落というものの実態が、どういうものなのかを学んだ。

暴落から学ぶことも大切であるが、その前の準備も大切である。現在、私は、短期投資もしているが、配当金を目的とした長期投資に比重をおいているので、暴落の前から、「暴落したら買うべき優良な株式のリスト」を作成していた。具体的には、ウェブサイト 「 みんかぶ 」(ここをクリック)の配当利回りランキングを見て、週1〜2回、上位2000社の中から優良な株式を選定してメモに残しておくというものである。「いつ暴落するか分からないのに、そんなことしてるの?」と笑われることもあったが、その作業を地道に続けた。

今回の暴落によって、今まで喉から手が出るほど欲しかったが、高額のために買うことができなかった優良な株式がバーゲンセール状態となり、メモに残しておいたリストの上位から順番に迷うことなく一気に買い集めることができた。株価が下落した配当率の良い株式を買い集めた結果、それまでに得ていた金額の5倍の配当金を得ることになった。やはり、普段から暴落した時のことを考えておくことは大切である。今回、初めての本格的な暴落の経験だったにもかかわらず、ほぼ予定どおりに冷静に対応することができた。

現在、運用している資金は約50%くらいなので、あと1〜2回の暴落には耐えられそうである。


今回の暴落で、一時、含み損がマイナス180万円にまで膨れあがったが、しっかり準備していた私は…。

この暴落を楽しんでいた♪


そして、バーゲンセール状態となった優良な株式を買い集めている間に…。


みるみる…。


株価が…。


回復し…。


マイナス180万円だった含み損がプラスになっていた。


そして、いつの間にか株価が、暴落する前の半分ほどにまで回復。因みに、株価が暴落する前と同じ水準にまで回復すれば、プラス150万円ほどの含み益になるはずである。

今回の暴落で新NISAを解約してしまった方たちは、そもそも、新NISAで買った商品が、どのような商品だったのか理解していたのだろうか?上のイラストのような、「年利率3%なら、30年後に2914万円」「年利率5%なら、30年後に4161万円」「年利率7%なら、30年後に6100万円」という甘い言葉で誘われ、「みんなもやっているから」という理由だけで新NISAを始めたということはなかったのだろうか。新NISAの内容を十分に理解してこそ、リスク対策を立てることができるのである。因みに、私も新NISAを始めようと思い、何度も担当の方から説明を聞いたのだが、どうしても、その内容を理解することができない。私のように、外国での投資を希望している場合、「会ったこともない、話したこともない、顔も知らないファンドの方たちを無条件に信用して金を預ける。そして、原則として、その運用に関する情報公開はない。そのようなことで適正な投資ができるのか?」「年利率〇%とあるが、その利益は、どのような計算式から導き出されたのか?」「日々の為替の変動によって大きな影響を受けるが、その対策はどうするのか?」など、たいへん多くの複雑な対応を迫られる。そのため、私は、未だに新NISAを始めることができないでいる。

今回のように株価が暴落した時、その暴落した株価が元の株価に戻るという保証はどこにもない。今回、私は、そのような状況の中で、大きなリスクを負って優良な株式を買い集めた。このような勝負をする時、私は、敢えて銀行から現金を引き出し、その現金を見ることにしている。普段はパソコンで株式を売買しているので、自分の金が動いているという感覚が薄くなっているからである。その現金を見ながら、どれだけ苦労して、この金を稼いだのかを思い出し、「この苦労して稼いだ金が、一瞬にして消えるかもしれない。本当に勝負しても良いのか?それだけの覚悟が自分にあるのか?」と、もう一度、自分に問うてみる。そして、冷静さを保った状態の中で決断する。そのようにすると、真に腹が決まり、何も恐くなくなる。私は、認知症の母を養うために株式投資をし、何がなんでも利益を得なくてはならない。これは、真剣勝負である。私だけではなく、多くの方たちが私と同じように株式投資をしているはずである。そのような中に、「自分が買っている商品の内容を全く理解していない。自分が、どのような商品を買っているのかすらも分かっていない」という方たちが入ってきたら、どうなるのかを考えていただきたい。そのような方たちには、株式市場には近づかないことをお勧めする。綿密に計画を立てて真剣に戦っている人間に、行き当たりバッタリで戦っている人間が勝てるほど甘い世界ではないのだから。

  2024/08/26  




    残暑が厳しい昨今ではあるが、現在、最も残暑が厳しいのは兵庫県であろう。兵庫県知事と知事の側近たちに関する内部告発の問題が、兵庫県民の体感温度を上げてイライラさせているからである (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 「その組織のことに関して知りたいのであれば、清掃か警備に聞け」と言われる。私は、長いこと警備員という仕事をしていたので、この種の問題に関しては特に驚かない。守秘義務があるので詳しくは記述できないが、昔、私が警備員として勤務していた某公共施設でも、「〇〇部署の金庫から数百万円がなくなった」「〇〇さんが〇〇という不正をしている」などの噂を少なからず聞いていたからである。もし、それらの噂が事実であったとしても、公にされることなく内々に処理されていたと思われるので、どこの組織でも大なり小なり何らかの問題が起きているということが推量できる。

    私は、今回のような強権的な行為をする人間のことを、吸血鬼になぞらえ、“吸血人間”と呼んでいる。「夜、闇の中では活き活きと活動できるが、朝、太陽の光を浴びると砂になって消えてしまう」。つまり、大衆の目にさらされない場所では、耳を疑うような残酷で非人間的なことを平気でできた人間が、大衆の目にさらされる場所では、ある者は、質問に対して的を射た答えをすることすらできない人間になり、また、ある者は、追及する側から追及される側に立場が変わった瞬間に体調不良となって入院してしまう弱々しい人間になり、そして、ある者は、まるで自分が被害者であるかのように笑みを浮かべながらペラペラと経過を話す幼稚な人間になったということである。さらに言えば、今回の問題では、兵庫県知事の側近でもない人間が、銃で脅されているわけでもないのに、家族を人質に取られているわけでもないのに、間接的とはいえ、これだけの凄惨な行為に加担してしまったという点も忘れてはならない。

    メディアで報道されている吸血人間たちを見て、「この人たちは、何を考えているんだ?」と思った方たちも、恐らく、同じ状況に身を置けば、多くの方たちが、この吸血人間たちと同じことをしたであろう。また、「この人たちのどこが恐いんだ?」と思った方たちも、恐らく、同じ状況に身を置けば、多くの方たちが、この吸血人間たちを恐れたであろう。今回の問題を契機に公益通報者保護法などの問題点を議論することも大切ではあるが、今回の問題で最も大切なことは、「人間というものは、どんなに賢そうに見える人間でも、どんなに温厚そうに見える人間でも、ある一定の状況に置かれると、信じられないくらい残酷なことを平気でする人間に変貌する」ということを認識することである。私たちは、「自分は、あんな人間には絶対にならない!」と自分を例外にせず、「自分も同じ状況に身を置けば、必ず同じことをする」と認識し、そのような状況から自分を遠ざけるための努力を怠ってはならない。それほど、人間というものは恐ろしいものなのである。

  2024/09/16  




    上の写真は、兵庫県の知事である斎藤元彦さん(=さいとう・もとひこ)である。最近、兵庫県知事と知事の側近たちに関する内部告発の問題が大きく報道されているが、その報道を見ていると、なんとも不愉快な気持ちになる (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 知事と知事の側近たちに対してではなく、世の中の雰囲気に対してである。確かに、知事と知事の側近たちによって県庁の職員の2人が自殺に追い込まれたのではないかという疑惑があり、その他の疑惑も多々あるようではあるが、ここまで寄って集って知事と知事の側近たちを袋だたきにする必要があるのであろうか?

    知事と知事の側近たちに関する内部告発があった時、知事と知事の側近たちは早々に内部告発者を特定し、その方を処分した。このことに関して、知事と知事の側近たちは、「第三者委員会を設置し、その告発の内容の真偽に関する結論を待つべきであった」との猛烈な批判にさらされたが、その時、猛烈に批判した私たち大衆は、この問題のために設置された百条委員会が、知事と知事の側近たちの疑惑を調査している最中で、まだ結論を出していないにもかかわらず、知事に対しては、「辞めろ!辞めろ!」と大合唱し、その側近たちに対しても猛烈な批判を続けている。これでは、知事と知事の側近たちがした行為と同じである。いや、もしかしたら、私たち大衆は、それ以上の行為をしているのかもしれない。そのようなことにすら気づいていない私たち大衆の姿は、たいへん滑稽であり、同時に、たいへん恐ろしいものでもある。今回の件に限らず、私たち大衆は、毎回毎回、同じようなことを繰り返しているので、恐らく、今回も何ら反省することもなく、今後も同じようなことを繰り返すのであろう。

日本には、“猿蟹合戦”という昔話がある。蟹に意地悪をした猿が、栗と蜂と牛糞と臼に仕返しされるという話なのだが、その仕返しの方法が常軌を逸している。

熱々に焼けた栗が、猿に飛びついて火傷させ…。


その火傷を冷やそうとした猿を、待ち構えていた蜂がメッタ刺し…。


ハチに刺されて苦しみながら逃げていく猿を、今度は牛糞が滑らせて転倒させ…。


火傷とハチに刺された痛みに耐えながら、転倒して身動きができなくなった猿を、最後に臼が得意げに踏みつぶす。確かに、猿の行為は褒められたものではないが、だからと言って、ここまで報復する必要があったのであろうか?

因みに、令和版の猿蟹合戦では、「改心した猿と共に、みんなで幸せに暮らしましたとさ♪」という内容に変わっているものもあるらしい。平成・令和時代の若者たちは、その柔軟な思考で物事の本質を見つめているようである。私たち昭和時代の醜い部分を踏襲する必要はない。遠慮なく、どんどん醜い部分は正し、この国が少しでも正しい方向に進んでくれることを願う。

  2024/09/21  




    現在、私は、認知症の母の介護を始めて8年になるのだが、そろそろ疲れてきたのであろうか、ここ2ヶ月くらい全く意欲が湧かない。ほとんどパソコンを立ち上げることもなく、母がデイサービスで不在の時も、ただ何となくダラダラとテレビを観ながらウトウトしている、そんな日常を繰り返している。認知症の母の介護が安定してできるようになり、経済的な収支も安定しているので、ホッとして気が抜けているのかもしれない。

    母の認知症の症状は、「少しずつ症状が進行し、私のことも正確には認識していない」というような状態である。1〜2年ほど前までは、母との会話の内容が、「だいたい、こんな感じかな…」くらいには理解できていたのだが、今では、その内容をほとんど理解することができない。そして、テレビに映っているタレントさんに話しかけたり、イスや壁に話しかけるという行為も頻度が増している。そのため、私は、薄っすらとではあるが、母が寝たきりになった場合などを想定し、その時、どのような対応をするべきなのかを考えているのだが、今後、母の症状の進行によっては、その具体策を真剣に検討しなければならなくなる。

    私の母も来年で90歳になるので、もはや、いつ死んでもおかしくない。今、私が母にしてあげられることは、「母が心静かに天寿を全うするために、自分に何ができるのか?」ということを考えて行動することくらいである。朝、起きたら死んでいたという場合も多いので、特に、テレビドラマのように臨終の場に立ち会って話をするということを希望しているわけではない。大切なのは、母の臨終に立ち会えるかどうかではなく、母が死ぬまでに何をしてあげたかである。冷たく聞こえるかもしれないが、そのようにしなければ、長期的に介護を続けることはできないし、本人と家族が望むような結果を得ることはできないと思う。

  2024/11/11  




2024年10月30日(日本時間31日)、大谷翔平さん(=おおたに・しょうへい=30歳)と山本由伸さん(=やまもと・よしのぶ=26歳)が所属するメジャーリーグのドジャースがワールドシリーズで優勝した。この試合に特に興味があったわけではないのだが、ウトウトしながらダラダラ見ていると、とても面白いことが起こった。

相手チームのヤンキースに0対5で負けていた、5回表のドジャースの攻撃である。0対5でドジャースが負けていたので、大谷翔平さんと山本由伸さんのファンの方たちの中には、「今日の優勝はないな…」と思ってテレビを消した方も多かったと思う。しかし、この試合の醍醐味は、この回に集中していた。

先ず、何でもないセンターフライを、名手と謳われているジャッジさんが落球。


続けて、完全にアウトにできたはずの場面で、ショートがサードに悪送球。


とどめは、「ここでアウトにすればチェンジ」という場面で、ピッチャーがファーストのカバーに入らずセーフ。

この後、ドジャース打線の連打により、ヤンキースは5対5に追いつかれた。これらのミスが何を意味するのか、名投手と謳われているコールさんの表情を見れば分かる。

その勢いのままドジャースは優勝したのだが、ふと、昔、誰かから聞いた三つの話を思い出した。一つ目は、「人間は、必ずミスをする。優秀な人間は、ミスをしないように行動するのではなく、どのようにしたら、できるだけミスを少なくすることができるのかを考えて行動する」という言葉。二つ目は、「大きなミスが起こった時は、その大きなミスだけではなく、必ず、小さな複数のミスが重なっている」という言葉。そして、三つ目は、「人間は誰でも等しくミスをする。優秀な人間と、そうではない人間との差は、絶対にミスをしてはいけない決定的な場面でミスをしたかしないかだけだ」という言葉である。

これだけ決定的な場面で、しかも、これだけ多くのミスが重なると、たとえ、名門であるヤンキースであっても待っているのは敗北しかない。これは、肝に銘じておくべき教訓である。

  2024/12/22