伝承之蔵 Spin off
伝承之蔵 Spin off


2024年1月1日、今年も、昨年の出来事を一つ一つ思い出してみることから始め、今年を有意義に過ごすためのヒントにしてみた。

【1.SNS時代の問題点】
この数年、SNS関連の事件が増加傾向にあるので、私も、自身のパソコンのパスワード管理などを徹底することを心に誓った。他人にパソコンを覗かれでもしたら一大事である。

すでに、覗かれていた…。SNS関連では、そこに書かれている内容の真偽を確認することも大切である。「自分の目と耳で確認する」。この地道な作業を怠ってはならない。

情報の確認も大切だが、確認の仕方も大切である…。


【2.プレゼンの勧め】
現代社会では、「自分は、これがしたい!」と思った時、資料などを使って他人を説得するプレゼンが大切である。例えば、「コタツが欲しい」と思った場合…。

そして、そのプレゼンが受け入れられれば…。


ご褒美がくる。


【3.2024年問題】
今年は、いよいよ2024年問題がくる。2024年問題とは、ドライバーさんの時間外労働時間の上限が、年間960時間に設定されることで生じる、荷物の運搬の遅延などの問題をさす。

「粉ミルクを、ロックで飲みてぇんだよ!早く配達しろや!クロネコ・ヤマト!」。


「俺たち黒ネコは、客に媚びねぇ。文句があるなら、佐川急便に頼めや!」。


【4.ネコバスの現在】
昔、“となりのトトロ”という映画に、ネコバスというキャラが登場していた。

そのネコバスは、客を乗せて疾風のように走ったので、たいへん人気だったのだが、今は、その人気も凋落し、当時のネコバスのドライバーさんは、寂しそうに、次のように当時を振り返った。

「あの頃は、稼げたねぇ〜。今は、あんな田舎のネコバスじゃ稼げなくて、生活していけないけどね」。

【5.通信販売】
現在、「でも、お高いんでしょう?」のセリフで有名な夢グループの通信販売事業が、絶好調である♪

「うわぁ〜!社長!この商品、欲しい♪欲しい♪」。


「でも、お高いんでしょう?」。


【6.振り込め詐欺】
残念ながら、昨年も振り込め詐欺の被害が続発し、多くの被害者が出た。

「金に困っている人間が、闇バイトなどで勧誘され、さんざん利用された後、警察に逮捕される」というのが、通常コースらしい。

何があっても、「取り返しのつかない人生」というものは無いとは思うが、被害を受ける方の人生、被害を与える方の人生のマイナスを考えると、「もう少しだけ、考える力を使ってみてはどうか?」と思ってしまう。

【7.政治と金】
いつものことではあるが、昨年も、政治と金の問題が世間を騒がせた。

政治家に関係している方々も、「もう、今さら言えない…」ということも多いようなので、たいへんだと思う。

私たち国民にも、「もう、今さら言えない…」ということがあるようなので、お互いに勇気をもって対応することが大切である。

【8.強いリーダー】
このような政治不信の時こそ、松平健さんが演じる、“暴れん坊将軍”のような強いリーダーが必要である。

「ワ〜ハハハハハハハッ!苦しゅうない!全て俺にまかせろ!」。


「ヤベッ!松平健…。どっかで落としてきちゃった…」。


【9.起業の精神】
最近、優秀な若者たちは大きな企業に就職せず、失敗を恐れずに起業する傾向にあるという。

気にしない気にしない♪


ドンマイ♪


【10.交通事故】
残念ながら、昨年も、車の事故が続発してしまった。警察の方たちの努力によって、全体的には減少しているのだろうが、さらなる減少が期待される。

「オイッ!あれを見ろ!危な〜い!」。


「車の後方で、『オーライ!オーライ!』って言ってた御主人様の声が、聞こえなくなった…」。


【11.不漁】
ここ数年、漁業関係者は、サンマの不漁に頭を痛めているようである。

「それで一匹も釣らずに帰って来たのか?ボサッとしてないで、早く戻って釣ってこい!」。


「ハァ?私に…、働けと?」。


【12.体罰】
体罰は、人間に深刻な影響をあたえるので、体罰を放棄して優しく接することにした。

子供:「頭をナデナデするつもりか?そんな甘ったるいことを言っているから秩序が乱れるんだ!」。


大人:「生意気なので、体罰にもどすことにした♪」。


【13.むき出しの闘志】
格闘技では、試合前から、お互いの闘志をむき出しにするものらしい。

「あぁ?そいつは、先輩に対する口のきき方を知らないらしいな」。


「す…、すいません先輩!こいつは転校してきたばかりで、この学校のルールを知らないんです!」。


【14.餅と高齢者】
毎年のことではあるが、正月に餅をのどに詰まらせて救急搬送される高齢者が後を絶たない。

「救急隊の皆さ〜ん!餅をのどに詰まらせて苦しんでいる高齢者がいま〜す!助けてくださ〜い!」。


「餅を食べていた時に、突然、ウッ!となって、振り向いたら倒れていたんです。そして、その後…」。

【15.ジェンダー】
ここ数年、“ジェンダー”という言葉をよく聞くようになったが、ジェンダーとは、「男性・女性という性別に基づいて定められた、社会的属性や機会などの差」を意味する言葉らしい。

例えば、男性が、「女性というものは、男性の前ではこうで…。


…男性がいなくなるとこうなる」という、男性の思い込みなどが、それにあたる。


【16.男はつらいよ】
昔、“男はつらいよ”という映画があり、男性のつらさばかりを強調していたが、女性にも…。

「ちょっと男子ぃぃぃ〜!外で着替えてよぉぉぉ〜!」などのつらさがあるため、現在では、昔の感覚は通用しない。

その通りである。


【17.キレる】
昨年も、すぐにキレる人間たちが話題になっていたが、そこそこの歳なのに、何にそんなに腹が立つのか理解に苦しむ。

「『いないいないばあっ!』だと!俺が、いつまでもそんなことで喜ぶとでも思ったのか!」。


「誰が猫舌じゃ!よく見てろよ、俺が猫舌じゃないことを証明してやる!」。


【18.クレイマー対策】
そんなキレる人間が多い中、少しずつではあるが、対策もできてきているようである。

コールセンターのクレイマー対応♪最初からそうしていれば良かったのに♪


しかし、一部の恥ずかしがり屋さんは、まだ文字で伝えようとしている。


【19.他人に伝えるということ】
自分の意思を他人に伝えるというのは、何歳になっても難しいものである。

「オッと!俺の頭をナデナデするのは、まだ早いぜ!」。


「そうじゃねぇ。ナデナデじゃなくて、飯を食わせろ!」。


時々、野菜を怒らせてしまうこともある。オッと、話が長くなりましたね。それでは…。


「あ!」。


「け!」。


「ま!」。


「して!」。


「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」。


  2024/01/01  




    最近、メディアなどで日経平均株価の上昇が話題になっているので、株式投資をしていない方たちは、「だいぶ儲かっているんでしょ?」と思うかもしれないが、全ての投資家が儲かっているとは限らない。私の株式投資は、「安定した優良株を売買することによって利益を得る」というスタイルだったのだが、最近の日経平均株価の上昇で、私のような個人投資家では高すぎて買えないレベルにまで優良株の株価が上昇してしまった。そのため、私にでも買えるレベルの株式を取引きしてみたのだが、結果は惨憺たるものであった。

    私は、株式投資を始める時、株式投資で破産した方たち、または、株式投資で破産した後に復活した方たちの体験談を多く調べたのだが、その時、「自分には、株式投資の才能がある」と思い込んでしまった方や、「大きな損失を出してしまった。この損失を、早く取り返さないと!」と焦り、より多額の資金で株式投資をするようになる方などが、破産するに至っているという印象を受けた。そして、「もしかしたら、今の自分が、そのような状態に近いのではないか?」と思っていた時、ふと、昔、気になって保存しておいた画像のことを思い出したので、その画像を探して見てみたところ、そこには次のような言葉があった。「逃げて怒られるのは、人間くらい。ほかの生き物たちは、本能で逃げないと生きていけないのに、どうして人は、『逃げてはいけない』なんて答えにたどりついたのだろう」と。この言葉を見た瞬間、私は、「このまま株式投資を続けていても、損失が膨らむ一方である」と断定し、今の私に最も適した策は、「三十六計逃げるに如かず」であり、あれこれ迷うよりも、時機を見て逃げ出し、自分の身を安全な場所に置くことが最善の策だと判断した。そのため、すぐに、楽天証券の証券口座のみを残して、その他の証券口座は全て解約した。楽天証券の証券口座を残したのは、この3年間の株式投資の経験を使わないのはもったいないので、リーマンショックやコロナショックなど、〇〇ショック級に株価が暴落した時のみ、株式の取引を再開しようと思っているからである。そのため、現在、証券口座はあるものの、株式は1株も保有していない。

    株式を手仕舞いして、今までの株式投資の損益を計算してみると、ざっとではあるが、「1.株式投資をしていた3年間の生活費を稼げた。2.約150万円の残金がある。3.約200万円の寄付をすることができた。4.約20%の所得税を納付することができた」という結果であった。認知症の母の介護で無職だったため、株式投資だけで3年間の生活費を稼げた上、約150万円の残金があったことは大いに助かった。また、約200万円の寄付をして社会貢献し、約20%の所得税を納付したことで、私が失業していた時にいただいていた失業給付金を超える金額を返すことができたことは、税金でお世話になった私の心理的な負担を軽減してくれた。初めての株式投資にしては、まずまずの結果だったのではないだろうか。

    ・・・ということで、現在、タウンワークが私の一番のお友達である。2024年1月1日の能登群発地震で被災された方たちの生活は、目を覆いたくなるような惨状なので、今後も認知症の母を養う金が必要な立場の私ではあるが、株式投資で残った約150万円の中から50万円を寄付することにした。地震で被災され、極寒の中での生活に耐えている方々、ごめんなさい。もう私には、これ以上、寄付するだけのお金が残っていません。

  2024/02/01  




    もう25年ほど前になるであろうか、詩のコンクールの雑誌だったと思うが、その雑誌に、「飛び降り自殺」というタイトルの詩があった (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 特に何かの賞を受賞した作品ではないのだが、私は、この詩がたいへん気に入ってしまった。そして、今も気に入っている。当時、私の周りにいた方たちは、飛び降り自殺というタイトルを嫌って敬遠し、さんざん酷評していたが、この詩は、決して死に向かっているものではなく、逆に、生に向かっていると私は思っている。特に、ビルの屋上から飛び降りた後、細い枝を握ってまで生きようとしている場面からは、生に対する凄まじい執着心を感じとることができる。

    「人間は、その死によって全ての苦痛から解放される」と言われているが、私が興味を持っているのは死ではなく、その死の直前の人間の心理である。現実的な死が目前にある時、恐らく、人間は全てのしがらみから解放され、「完全に近い素の状態」になると推量される。例えば、今、私が交通事故に遭遇して激しく出血しながら意識が薄れ、現実的な死が目前にあるとする。その時、残り少ない時間を使って私は何を考えるのであろうか。家族に対する感謝であろうか、それとも、犯人に対する恨みであろうか。また、今、私が長い闘病の末に衰弱し、現実的な死が目前にあるとする。その時、残り少ない時間を使って私は何を考えるのであろうか。やっと苦しい闘病から解放される安堵感であろうか、それとも、苦しくても生きたいという生存欲求であろうか。現在の私が、それらの場面を想像して考えても、それは机上の空論であり、真に何を思うかは、その場面になってみなければ分からない。一つだけ確かなことは、人間は、生まれた瞬間から、確実に死に向かって歩いているということである。よって、“その瞬間の直前”は、誰にでも必ずやってくる。願わくば、その残り少ない時間を使い、全てのものに感謝しながら死にたいものである。

    警察庁のウェブサイトによると、令和5年の日本での自殺者は、21818人だという (ここをクリックすれば当該資料を閲覧できます)。 死の直前、その方たちは、残り少ない時間を使って何を考えていたのであろうか。それは、私には分からないし、推量することもできない。もしかすると、自殺した本人も、なぜ自分が死のうとしているのか分からなかったのかもしれない。死の直前、その方たちは何かに感謝し、満足感を得て死んでいったのだろうか。それとも、最後の最後まで不安感に包まれながら死んでいったのだろうか。もし、今、自殺しようとしているあなたが、死の直前、自分が何を考えているのか想像できないのであれば、それを想像できるようになるまで、とりあえず、もう少しだけ生きてみませんか?

  2024/02/04  




    先日、2024年1月1日の能登群発地震で被災された方たちに関して、自身の家が倒壊し、家族は全員が無事だったものの、残ったのは数珠と洋服だけという92歳の方の記事を読んだ (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 私のような昭和時代の人間は、「セクハラ・パワハラ・飲み会の強制参加などは当然のこと」という時代を生きてきたので、平成・令和時代の方たちから見ると違和感だらけの理解しがたい人間のように見えるであろう。まぁ、事実、とんでもない人間なのであるが。しかし、平成・令和時代を生きている方たちに、一つだけ私たち昭和時代の人間から見習ってもらいたいものがある。それは、私たち昭和時代の人間の“しぶとさ”である。私たち昭和時代の人間は、ちょっとやそっとでは諦めない。特に、昭和初期(昭和一桁)に生まれて、過酷な戦争を生き抜いた人間は、昭和時代の人間の中でも群を抜いてしぶとい。前述の記事の92歳の昭和時代の人間を見れば、その突出ぶりが分かる。ほとんど全てのものを失って1ヶ月しか経過していないのに、「また一から出直しや」である。もう、やる気になっている。他人の前では、「また一から出直しや」と言いながらも、恐らく、一人になった時は泣いているであろうヨボヨボの92歳が、諦めるどころか、今から本気で人生を再建しようとしている。数えきれないほどの問題を抱え、何かと世の中を騒がせている昭和時代の人間ではあるが、このしぶとさだけは、平成・令和時代の方たちにも学び取ってもらいたいものである。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

  2024/02/07  




    先日、ジャーナリストである櫻井よしこさん(=さくらい・よしこ)の「あなたは祖国のために戦えますか」というネットへの投稿が、物議を醸しているという記事を読んだ (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。 その櫻井さんに対して、「先ず櫻井よしこよ、お前が銃を持ち先頭切って戦いに行け」・「櫻井よしこ、お前が率先して行け。人の命を軽んじるな!!」・「自分は戦場に行く気もない人間がこういうことを言うんだよね」・「老人が若者を煽ってはいけません」・「祖国のためではなく、権力者のために血を流すことに若者も年寄りもNOと言っているのです」など、多くの反論があったとのことなので、そんなに話題になっているなら少し調べてみようと思い、櫻井さんが、どのような主張をしたのか調べてみたのだが、不思議なことに、いくらネットで調べてみても、この騒動の基になった櫻井さんの主張が掲載されたサイトが見当たらなかった。「ん?どのサイトに掲載されている主張を閲覧して、みんな反論しているんだろう?」と思いながら、そのサイトを探していると、櫻井さんが運営している“言論テレビ”というサイトに当該記事が掲載されていることが分かったのだが、困ったことに、そのサイトは有料のサイトであり、そこそこの料金であった。「ん〜、お高いなぁ…」と思っていると、そのサイト内で櫻井さんが、それらの方たちに反論している記事があったので、その記事を読んでみると、何ら特別な主張をしていたわけではなく、ごくごく普通の主張をしていただけであることが分かった (ここをクリックすれば当該記事を閲覧できます)。

    ここで特に取り上げるほどの騒動ではなかったのだが、このような時の物事の考え方の一例を示しておくことにする。まず、あなたが誰かの主張に興味をもった時、あなたは、どんなにその主張が自分の主張と違っていたとしても、まずはその主張の原典を探し、必ず、全文を読まなければならない。これは、基本中の基本であり、あなたが絶対にやらなければならないことである。論文などでは、文字数などの関係で、自分の主張をするために、他者の主張の一部分を引用して論を展開することがあるが、全文の中の一部分を切り取った時点で、その他者の本来の主張の本質を歪めている可能性がでてくる。そのため、必ず、論者は原典を明らかにしなければならない。つまり、「文字数などの関係で全文を掲載することはできないが、私の主張の論拠となった原典を記述しますので、ご確認ください」という意味である。この原典を探して全文を読むという行為を面倒くさがり、または、その手順自体を知らずに、他者の主張の一部分を切り取った「極端に短くまとめられた、誰にでも簡単に読める極めて雑な文章」を読んだだけで物事の本質を理解したつもりになり、トンチンカンな主張を展開している方が多くいるような気がする。そして、そのトンチンカンな主張を読んで、さらに、トンチンカンな主張をする方たちが、原典に記述されている主張を極端に歪めながら拡散している。その嘘を、もしくは、その悪意のない嘘を見抜くには、原典の全文を徹底的に読み込むしかない。そうすれば、明らかに原典に記述されている主張とは異なっていることが分かるからである。

    現代社会は、原典を確認する時間もないほど多忙なのであろうか。私の周りには、媒体によって恐ろしく簡単にまとめられたものがあふれている。それは、一見、時間が短縮できる手軽で便利なもののように見えるが、もう一度、よく考えてもらいたい、「本来であれば1時間かかるものが10分にまとめられた時、その本質は、本当に歪められていないのだろうか?」と。例えば、スーパーで売っている米を例に挙げると、スーパーでは、10キロの米を3000〜4000円で簡単に買うことができるので、実に便利であるとは思うが、同時に、その便利さと引き換えに、「苗を植えて米に生長させるまでの苦労」・「米を収穫する時の喜びと感謝」などの感覚が失われていることも知らなければならない。何も知らずに便利さだけを求めて米を買っている人間と、米が生産される一連の過酷な作業を知っていて米を買っている人間とは、見えている世界が全く違うのである。効率化することが全盛の現代社会では、ある程度、効率化の波にのまれることはしかたがないとは思うが、物事の本質を知るための苦労まで効率化してはならない。私たち人間が、その苦労まで効率化しようとするのであれば、その時点で、何か大切なものを失っている可能性があるので、その危険性を認識し、その場に立ち止まって熟考する必要がある。

  2024/02/11  




    現在、やっと、混乱を極めた生活から脱却し、落ち着いた生活を取り戻しつつある。何の混乱かというと、今年2月、自宅マンションを売却した混乱からなのだが、現在、母と私は、自然環境に恵まれた賃貸アパートで心静かに暮らしている。昔、職場の同僚たちと、「最近、仙台の中古マンションの価格が上昇してるんだって」という話題になったことがあったが、「価格の上昇と言っても、買った価格から50万円くらいしか上昇していないから、税金や引っ越し代などを考えるとマイナスだね。ただ忙しくて苦しいだけ」と言って笑い、誰も真面目に考えることはなかった。しかし、それから7〜8年が経過した現在、仙台の中古マンションの価格が、買った価格から数百万円も上昇、いや、高騰したので、もはや、笑っていられなくなってしまった。もともと、私は賃貸派の人間なので、マンションを買う予定はなかったのだが、今から約17年前、東京に住んでいた父が癌になり、余命半年との診断だったので、癌になった父を介護するために3LDKの新築マンションを買い、父と母を仙台に呼び寄せた。そして、その1年後、父が心静かに死んだので、その後は、そのまま、母と2人で暮らすこととなった。新築マンションを買った時は、「このマンションを売却する頃には、買った価格の半値くらいに下落しているだろうなぁ…」と思っていたのだが、思わぬ中古マンションの不動産バブルで、幸運にも売却益を得ることになった。

    最近、母の認知症が悪化し、私のことも理解できないと思われることが増えてきたため、さらに認知症が悪化して私の手に負えなくなった場合、最後の最後まで私が介護する予定ではあるが、福祉施設への入所も選択肢の一つになってきた。福祉施設に入所させると莫大な費用がかかるので、今回の自宅マンションの売却は、そのための準備金として好都合である。ただ、現在、私が乗っている軽自動車は、購入してから約18年が経過し、走行距離も14万キロほどになっているので、そろそろ、廃車にすることになるかもしれない。また、私が積み立てている個人年金も、約5年ほど支払いが残っているので、今回の売却益から新たな軽自動車を購入するための資金を温存し、残りの売却益から個人年金の残金を支払うことにした。しかし、それらの支払いを済ませても、まだ売却益が残るので、それらは寄付することにした。不動産バブルによる不労所得で申し訳ないが、心ある方たちに有効に遣っていただきたい。因みに、恐らく、これが最後の寄付になると思われる。

    これから、日本経済が本当にインフレに向かうのであれば、物価は少しずつ上昇していくので、日用品や保険料など、あらゆるものの価格が上昇していくことになる。物価の上昇に比例して賃金も上昇していくとありがたいのだが、若い方の賃金は別にして、私のような年齢での賃金の上昇は厳しいであろう。そのため、私は、介護や経済など、四方八方を敵に囲まれて苦しい立場に追い詰められることになる。しかし、どんなに、私が不平や不満を述べたとしても、誰も聞いていないし、誰も助けてはくれない。私が、日本の政治家の方たちに、「自分の生活が苦しいのは、おまえたちの責任だ!」と叫んだところで、何かが変わることはなく、私の生活は苦しいままである。そのようなことをする暇があるのであれば、その時間を無駄にせず、自分自身で介護や経済などを学び、それらの問題に対する対策を自分で考え、その対策を実行する行動力をもたなくてはならない。私が窮地に陥った時、心ある方たちや日本の政治家の方たちからの援助がないとは思わないが、私自身が、「自分の問題は、自分で解決する」という強い意志をもつことが、最も大切なのである。

  2024/04/05  




    残念なことに、TBSの金曜ドラマで放送されていた、「不適切にもほどがある」というドラマが終了してしまった。コンプライアンスが厳しい令和時代の人間と、そうではなかった昭和時代の人間を比較することによって、「本当に大切なものは何なのか?」という問題の答えを導き出そうとするドラマだったのだが、このドラマの中で描かれていた昭和時代の人間と共通する部分がいくつもあったので、改めて、私が昭和時代の人間であることを実感することができた。その共通する部分の中の一つが、クリームソーダである。

    このドラマの中で、喫茶店のマスターにクリームソーダを注文するシーンが頻繁にあるのだが、なぜ、昭和時代の人間は、こんなにもクリームソーダが好きなのであろうか。10年ほど前に私が参加した飲み会でのことだったと思うが、アルコールに弱い私は、ずっと、クリームソーダを注文して飲んでいたのだが、そろそろ、飲み会も終わる頃、他の方たちが最後にアルコールを注文したので、ついでに、私もクリームソーダを注文したところ、居酒屋の従業員の方から、「もう、クリームソーダはありません!」と言われてしまった。このあたりから、周りの客たちがクスクス笑い始め、その従業員の方が続けて、「お客さん。居酒屋で、ずっと、クリームソーダを飲み続けている人なんていませんよ。この店でクリームソーダが品切れになったのは初めてです!」と言った時には、周りの客たちは爆笑していた。

    理由は分からないのだが、私は、昭和時代のナポリタンとクリームソーダをセットで注文してしまう。昭和時代のナポリタンを食べて口の周りをトマトケチャップで赤くした後、クリームソーダの上に浮いているアイスをソーダに沈め、トロトロにしたアイスを少しずつ食べる。そして、最後にサクランボを食べるのである。「だから何なんだ?」と言われても、答えは何もない。極めて個人的な昭和時代の名残である。ただそれだけの話であり、特に深い意味はない。単なる日常生活の1コマを書いただけである。

「マスター、クリームソーダ!」。


  2024/04/12  




    2024年3月21日、ロサンゼルス・ドジャースの野球選手である大谷翔平さん(=おおたに・しょうへい=29歳)の専属通訳であった水原一平さん(=みずはら・いっぺい=39歳)が、違法な賭博をしていたことが発覚。その後、大谷さんも、「違法な賭博に関与していたのではないか?」という疑いをもたれていたのだが、先日、FBIなどの捜査機関が、「『大谷選手は被害者であり、いかなる不正行為にも関与していない。また、違法な賭博に関わったこともない』という結論に至った」と公表したことにより、事態は収束に向かっているようである。因みに、今回の件に関して、さほど根拠のない極めて個人的な感想なのだが、アメリカの報道に対しては、「ほぉ〜、厳しいこと言うなぁ〜」という印象をもち、日本の報道に対しては、「へぇ〜、ずいぶん優しいなぁ〜。大谷さんを批判することができない雰囲気でもあるのかな」という印象をもった。「日本のメディアには、弱い立場の人間が問題を起こした時も、または、疑いをもたれた時も、徹底的に叩き潰すという報道はせずに、大谷さんと同じように優しい報道をしていただきたい」というのが、ささやかな私の希望である。

    私が中学生だった時、ある競馬のコインゲームに夢中になり、毎日のようにゲームセンターに通ったことがあった。その後、少しづつ貯金していた金を遣うなど、小遣いの範囲を超えてコインゲームをするようになり、とうとう、小遣いを前借りするようになってしまった。最初は1ヶ月分だけだった前借りが、次第に2ヶ月分、3ヶ月分となり、最終的には、中学生では返済することができないほどの金額に膨れあがった。さぁ、そこからは、両親の独壇場である。「おい!いつ金を返してくれるんだ!」・「金を返さないつもりか!そんなことは許さないぞ!」などと私を責めたて、徹底的に追い詰めた。後で両親から聞いた話なのだが、「ギャンブルというものは、胴元が儲かるようになっている。おまえが儲かることは絶対にない!」ということを教えるために、故意に前借りを許していたとのことであった。その成果なのであろうか、以前、山形県にあった上山競馬場に行く機会があったのだが、その時も私が馬券を買うことはなく、ずっと、競馬場内で販売されていた山形県の郷土料理である“玉こんにゃく”を買って食べていた。

    今回の水原さんの違法な賭博に関する報道を見ていると、ふと、「私と水原さんの間には、さほどの差はないのではないのだろうか?」と思ってしまう。「全ての人間にギャンブル依存症になる可能性がある。そのことが重大な結果に至る人間と、そうではない人間との差は、その人間が置かれている環境の差に過ぎない」と。私たちに必要なことは、たったの二つ。一つ目は、自分をギャンブルができる環境から遠ざけること。そして、二つ目は、「いつ、自分がギャンブル依存症になるか分からない」という意識をもち、常に警戒することである。

  2024/04/24